近隣事件簿(2)東京三菱支店で10億円着服

2005-11-30 21:23:08 | 市民A
cedd19e7.jpgこれは今月、表沙汰になった事件。銀行の女性派遣行員が渉外担当として12年前から高額預金者十数人から集めた預金を着服していたとして逮捕された。金額は9.9億円で内2.3億円は公訴時効。9.9億円のうち、手元に残っているのは2.5億円で7.4億円は消えた。投資の失敗の穴埋めといっているらしいが、豪快な話だ。

まず、この事件、マスコミ報道では現在の東京三菱銀行港北ニュータウン支店を撮影していったのだが、これは、昨年6月に引越してきた場所。その前は、別の場所で別の名前の支店であった。「荏田(えだ)支店」。徒歩10分ほど離れた場所だ。銀行番号005、支店番号303はそのままだ。現在は二階が進学塾になっているが、銀行のあった場所にはまだ入居者はいない。事件の大部分は、この場所で起きている。

cedd19e7.jpgまず、この事件、派遣社員の女性が起こしたといわれるが、54歳。銀行の子会社のダイヤモンドスタッフサービスと契約し、12年間も同じ渉外担当だったということ、つまり、資産家の自宅に出向き、満期預金を狙って、長期高金利商品で配当ありという、実際には存在しない商品を売り込んだわけだ。この手の事件を聞くといつも思うのだが、世の中に口のうまい人間はいるものだ。そして、高金利というのが、僅か年利1.25%というのがニクイ線だ。この銀行の客筋を熟知している。実際に、一旦、銀行の口座に入った顧客の預金(新商品)は勝手に引き落とされ、別に用意された顧客の配当金受け取り口座に金利見合い分が振り込まれていたということだ。この辺の細かな手口が発覚を遅れさせた理由なのだろう。

現在、東京三菱の行員は17,500名と言われ、さらに派遣社員が7,000人。ずいぶん派遣社員の比率が高い。実際には、女性行員を派遣会社に移籍しただけで、人件費項目から、一般経費にすりかえただけなのかもしれない。それなら、一般行員と仕事は同じということなのだろうが、逆に重要な仕事を与えると、転勤させられないので、こういった事件が起き易い。渉外担当をしている派遣社員は550人いるということだ。三菱銀行自体、以前は「金を貸してやる」という殿様商法だったため、交際費がほとんどなかったという話を東京銀行関係者から聞いたことがある。正社員で外回りが得意な行員が少ないのかもしれない。


ところで、この事件で思い出すのは、2003年に発覚したシティバンク横浜支店長(当時45歳)の着服事件。こちらは18億円。渋谷支店長、横浜支店長在任中にこちらもほぼ同様の手口で、顧客の自宅を回って(あるいは銀行の個室で)、架空の高金利商品を売り込む。ところがシティの支店長は、やや、やり口が雑で、銀行には入金しないでいきなり着服。その上、自分も東京スター銀行へ転職までしてしまえば、発覚は必然だったのかもしれない。懲役7年を求刑されているようだ。その時の事件の被害者も、この近くに住んでいる老人が狙われている。

一方は、堅実主義の顧客層の東京三菱、一方は冒険主義のシティバンク。かたや派遣社員、かたや支店長。対照的ではあるが、結果には大差がない。

しかし、二つの事件に共通の事実を発見。容疑者の名前だ。どちらも「かわ」ではじまる。東京三菱、「川・・・・」。シティ、「河・・・」。合理的説明(こじつけ)を考えねば・・・
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近隣事件簿(1)サレジオ学院暴走車突入

2005-11-29 21:26:06 | 市民A
ea78c6a6.jpg10月17日、午前11時30分頃のことだ。都筑区にあるキリスト教系(上智系列)の中高一貫の進学校であるサレジオ学院(男子校)の正門付近に高速度で乗用車が突っ込む。歩道にいた生徒たちを直撃し、高校1年の2名が死亡、1名重体、6名重軽傷。クルマは反動で反対側の公園に飛び込む。

結局、この事故を起こした23歳の男は、危険運転致死傷罪で起訴された。最高懲役20年で、かつ日本の法令としては異例の他の罪に最高30年を限度として加算されることになる。しかし、いくら長期間彼が服役しても、二人は還らない。

ea78c6a6.jpg法定速度40キロのところを100キロ以上出していたことが、タイヤ跡や、学校の防犯カメラの分析で明らかになっているらしい。(本人は70キロくらいと証言している)

私が、まず気になったのは、月曜の11時半になぜ大勢の高校生が歩道にたっていたかということなのだが、「中間テスト」の時期でテスト終了後だったということ。運が悪い。かつて、日比谷線が中目黒で事故を起こした時も麻布の生徒が試験中で犠牲になっている。

次に、40キロとか70キロとか100キロとか言っても、なぜ歩道に突っ込まなければならなかったのだろうということ。報道では、右カーブといっていた。自分で確認に行くことにした。

ea78c6a6.jpg問題の道路は大通りから直角三角形の長辺のように斜めにショートカットするように走っている。大通りとの交差点から200メートル程度なので、速度から言って、交差点を曲がったのではなく、直進してきたのだろう。確かに現場の直前は右カーブがきつい。時速40キロでも相当ハンドル操作には慎重さが求められる。実感としては、時速60キロから70キロが限界と思える。何しろカーブの先がよく見えない。そういう意味だと、このカーブは制限速度をさらに30キロくらいに落とすべきなのだろう。何らかの事情で40キロのところを60キロで走る車は多いが、このカーブはそれではかなり危ない。まして100キロ超だとまず曲がれない。

ea78c6a6.jpgさらに現場にはガードレールがあるのだが、カーブが特にきつい場所まで設置されていて、正門の前では、少しカーブが緩くなることもあり、ガードレールが切れている。また学校への各種資材搬入のためもあるのだろうか。そこに飛び込んだのだろうか。クルマが飛び込んだ道路反対側からみると、1台の違法駐車車両があったのだが、暴走車と同じコースを高速で走ると、急カーブで死角となり、駐車車両をかわすには反対車線に逃げるしかないが、そこにクルマがくれば正面衝突になる。

私見では、直前のカーブの走行速度が十分に(少なくても物理的に40キロまで)落ちるような対策を建てると同時に、正門の構造を変えたほうがいいのではないかと思うのである。さらにいえば、ガードレールが少し貧弱だ。

そして、この男が、なぜ、数百メートルを暴走したのか?彼の考えはまったく理解できない。
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夢の浮橋、断念

2005-11-28 21:30:53 | 美術館・博物館・工芸品
ab79c538.jpg津軽シリーズ最終回。津軽鉄道金木駅から太宰治の生家である斜陽館を見学したあと、隣駅の芦野(あしの)公園までは、列車の時刻が合わず、歩くことにする。”太宰思い出の径”という単なる金木小学校の通学路を歩く。途中、記念のメモリアルプレートがあるのだが、人間失格や斜陽からの一節がいくつか書かれているのだが、小学生が毎日読んでもいいのだろうかとか一瞬思うが、あまりの寒さに脳に血が回らない。コートにマフラー、ジャケットにベストにさらに下にはウォームビズシャツにタイツ。元々はゴルフシューズだったゴムスパイク付きの靴。そして、ついにホカロンを使用開始。吹雪が強くなり折り畳み傘を持つ皮手袋が濡れてくる。スキー用のヘヤーバンドを忘れたのが悔やまれる。

15分ほどで、ごく普通の小学校を通り過ぎ、国道339号線という8メートル道路に出る。この道は、この先延々と続き、津軽半島最先端の竜飛岬に通じる。実は、予習で読んでいた「津島家の人々・朝日新聞社」の中に、この金木から先の住民が江戸時代の飢饉の際、亡霊のように金木、五所川原、弘前方向に放浪し、途中餓死者が重なり合うようになった、というだけではなく、街道沿いの民も飢饉の状況は同じ。その倒れた餓死者の肉を食べて生き永らえていたという戦慄の記載があったわけだ。まさに飢餓街道である。カニバリズムということばが湧きあがる。実は、この金木の先にある芦野公園に来た理由の一つは、ここにある金木町立歴史民俗資料館で、そのあたりの情報をうっすらでも確認したかったからである。(単なる興味ということではなく、津軽藩が経済政策として何をしていたのか?という江戸時代産業史の関連。)

しかし、国道を歩いても道端の方は、すっかり落ちた落葉樹に積もった雪や水溜りになっている。たまに通る車がスリップするかもしれないし、慎重を極める。そして、広場があり、その奥に資料館らしい建物があるのだが、人気がない。完全に休館で建物も冬支度になっている(後でガイドブックを見ると小さな字で11月から3月は休館と書いてあった。)。しかたない。手も足も出ない。

そしてもう一つの目的物である芦野公園へ向かう。芦野湖(箱根の芦ノ湖と同じ読みだ)の湖畔に広がる公園だ。が、ここも誰もいない。そして雪が吹き付ける。実は、毎年6月19日に太宰の生誕祭が行われているのが、この湖畔に立つ記念碑の前だ。それは、公園の入口から少し奥に行ったところなのだが、公園の地面はすっかり落ちてしまった広葉樹の落ち葉が厚く重なり、雪で濡れている状態で大変滑りやすい。地面が見えないのだから、遊歩道なのか、単にベアグラウンドなのかわからない。そして芦野湖に近づくと地面の傾斜が湖側に深くなっていき、足を取られると、そのまま湖まで滑って行きそうになる。特に津軽三味線発祥の碑は斜面がきつく近づけなかった。

ab79c538.jpgそして、湖の一部にかかる「夢の浮橋」。長さが265メートル。さらに、そこにいくのに50メートルほどの細い吊橋が架かっている。だが湖面の上は小雪交じりの横風で視界が不良だ。10秒考えて、橋を渡ることを中止した。橋を渡ったら、戻ってこなければならない。往復1000メートル弱か?。「ゆけどかへらず」という中原中也の詩の一節を思い出す。

結局、今回の津軽行はこの湖の岸までで、引き返すことになった。冷えた体を駅の隣にある喫茶店「ラ・メロス」で暖めようと足を速めるのだが、そこで待っていたのはまたも休館中の喫茶店であった。そして数十分の間、駅で足踏み運動をしていると、津軽鉄道が時刻通り来る。五所川原へ戻る。途中駅に「五農高校前」という駅があり、五所川原農林高校の男女生徒が大量に乗ってくる。下校時間なのだろう。そして、五所川原駅に到着したときに奇妙な風習があることがわかった。1両編成の列車には、五農高の男子生徒や女子生徒や一般客が混在しているにもかかわらず、女子生徒が降りないのだ。一般客や男子生徒が降りるまで待っているのだ。すごい男尊女卑だ。大K民国以上。

ab79c538.jpg津軽へ来る前に机上で立てていたプランでは、もう少し前に五所川原に戻っていて、駅から徒歩圏内にある銭湯「西北温泉」に浸かり、昨夜の麻布十番温泉との比較を行うことにしていた。しかし、津軽鉄道がストーブ列車ダイヤに変更になっていたため、五所川原で使える時間は35分しかないことになってしまった。まず、少し歩いてみたが、10分歩いてもまだ西北温泉に到達しなかった。あきらめて、駅に引き返す。防寒最終兵器の「靴ホカロン」は温泉帰りの雪道を歩くためだったのだが、使わずにすむことになった。そして、まもなく到着した五能線で弘前まで到着。

実は、東京から弘前に入ったのは、高速バスだったのだが、帰りは飛行機にした。コストは相当高いが、二日続けてバスで眠るには、年を取りすぎている。朝、いつまでも起きないバス乗客のポケットの手帳に辞世の一句が書かれていた、ということになる。

 旅に病んで夢はブログをかけめぐり

ab79c538.jpg明日は、3年に一度の現代美術祭である横浜トリエンナーレ2005に行く予定もあるし、何しろ10日ほど前、風邪で3日間寝込んでいたときに、世界同時株高になって7桁の利益があったことを思い出したからでもある。飛行時間は1時間。青森空港行きのバス発車までの30分を利用し、ちょっと買い物。雪道用のビジネスシューズ。イトーヨーカ堂弘前店で購入。首都圏のヨーカ堂は、まったく存在感が薄いが、地方都市ではデパート代わりなのだろう。元気がいい。鉄道の車窓からはジャスコも見えた。

本来なら、話は以上で終わるのだが、この長い長い一日はまだ続く。

夜8時半頃に羽田向きに飛び立つ予定のJAL便は30分遅れて青森空港に到着。慌しく機内清掃が終わり、ボーディング開始。しかし、雪はさらに降り続き、機体の翼に雪が積もってしまった。そのため、何ら意味のない時間がエプロンの上で経過する。その結果1時間20分過ぎてから、乗客を乗せたまま、駐機場へ向かったのである。消防車のような特殊車両が登場して、翼に温水がかけられ、降雪は除去されるが、端からどんどん雪は降り積もる。対策の決断遅れが事態を深刻にさせた。経営者もパイロットも同じだ。そして、無理やり離陸したのはいいのだが、東京上空で羽田空港着陸便が重なっていて、また待たされる。空港着は23時30分にもなる。タクシー代を出せとか機内で乗客が騒いでいる。

そして、なぜか、羽田から乗り継ぎの4本の電車のうち3本が最終電車ということになり、タクシーに乗るきっかけを得ることなくダラダラダラダラと自宅に帰着したのは1時30分。こうして金曜夜17時30分から32時間、0泊3日(内車中泊1)の旅は終了。2時にベッドで眠ろうと目を閉じ、目を開けると明るい。熟睡し過ぎて、夢を見る間もなく1秒で朝になってしまったのだ。疲れはまったくとれていない。
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北斎展 驚異の500点 世界から集結

2005-11-27 21:39:51 | 美術館・博物館・工芸品
ac359559.jpg12月4日まで北斎展が東京国立博物館で開かれている。既に多くのファンが足を運んでいるだろうが、これは凄すぎる。何しろ約500点。大量出展の名だたるところは、ベルギー王立美術歴史博物館、ヴィクトリア・アンド・アルパート美術館、ボストン美術館、アムステルダム国立美術館、メトロポリタン美術館、ベルリン東洋美術館、ギメ美術館・・その他、数点だけとか海外だけでも数え切れないし、国内の各美術館、個人所蔵品など。下世話ではあるが運送だけとっても容易ではない。誤って別の作品を返したりしかねない。余計な話だが、この会期中、都内の浮世絵専門のいくつかの美術館の入りはさぞ悪いのではないだろうか。ただし、中期的には、これを機に、浮世絵を見直そうというブームになるといい。

ac359559.jpgそして、この巨大な浮世絵空間を作れるのも「葛飾北斎」だからなのだ。彼の芸術人生は、ピカソ並だ。1760-1849という89年間の長寿の間に次々と作風を変えていく。数々の彼の技巧は、そっくり浮世絵の技法本1冊になる。従って、この北斎展は浮世絵のテクニック展示会ともいえる。さらにピカソと似ている点は長寿だけではなく、何回も結婚したことでもある。そして晩年は、遊びの境遇で爆発的に多作になる。そして、どういうつもりだったのか謎であるが、ピカソを圧倒的に上回るものが、引越しの回数だ。研究家によれば、93回だそうだ。いかに江戸時代は現代より財産が少ないとは言え「お絵かきセット一式」やら、木版の原版やら荷物は多いだろうし、引越しも簡単にはいかないだろうに、と心配してしまう。

ac359559.jpg作品は木版という性質上、ほぼ同じ作品が大量に市場に出回るのだが、少しずつ摺りが違う。途中で版元が勝手に色を変えたり、版木を修正したりする。会場で仕込んだ知識によると、絵師の独創性が強く見られるのが、初摺(しょずり)分で約200枚程度。その先は、版元が自分の営業方針で色を濃くしたり、小雨を大雨に直したりしてしまう。傾向としては、北斎の冨嶽シリーズでは、初摺の淡い色を濃色に変えたりしている。さすがに円熟期のベストセラー絵師になった頃は版木の改竄は行われていないようだ。一方、広重の方は、細かな線描写が命だが、版を重ねるうちに線がつぶれるので、修正がかなり行われているそうだ。

また、一般に、売上げが伸びないと、後摺(あとずり)は大胆に変えられてしまう。版元と絵師の契約や著作権の問題はよく知らないが、本の世界でいえば、初版200冊までは、印税方式で、第二版以降は原稿売り切りになって、出版社の方で、スジを書き換えてもいい、というようなことなのだろう。悲劇が喜劇になったりする。

ac359559.jpgそして、コレクターにとっては、初摺物か後摺物かは、大きな問題になるわけだ。今回はもちろん初摺が数多く出展されているのだが、それも嬉しい。というわけで、いいこと尽くしではあるのだが、本当に半日以上つかって見るならいいのだが、金曜夜の数時間で見ようとすると、きびしい。何箇所にも掲示がでているのだが、閉館までの残り時間を計算しながら鑑賞しなければならない。さらに、冨嶽を中心とした後期人気作品群は出口に近いほうに展示されているので、余裕を持った計算をしなければならない。500点を仮に2時間でみようとすると、歩行時間も含め3600秒×2÷500=14.4秒。1点を10秒という計算になる。

ac359559.jpgそして、この会場を一周すると、「もうしばらくは、浮世絵は満腹だ」という気持ちになる。体の中でこなれるのに時間が必要。そして、自分の中では、最近「写楽の再評価」と「英泉の探求」という方向が生まれているのであるが、これはじっくりと。



本展は北斎を6つの時期にわけている。各時期の代表作として紹介されているのは、次の6点。

春朗期 正宗娘おれん 瀬川菊之丞 東京国立博物館 20歳デビュー作
宗理期 阿蘭陀画鏡 江戸八景 観音 ボストン美術館 洋風表現
葛飾北斎期 潮干狩図 大阪市立美術館 読本挿絵の第一人者に
戴斗期 伝神開手 北斎漫画 十編より 浦上満蔵氏 北斎漫画など絵手本
為一期 富嶽三十六景 凱風快晴 ギメ美術館 名作多数
画狂老人卍期 扇面散図 東京国立博物館 最晩年 肉筆画


ac359559.jpgところで、上野の国立博物館へは誰しも上野駅公園口から公園に入り、しばらく直進してから、矢印に沿って右に曲がるのが普通なのだが、そのコースを歩くと、例の人たちの集団の中を歩かなければならなくなる。ベンチウォーマー達だ。野球の話ではない。ベンチをマイホームにしている人だ。こういう日本の現実から目をそらしてはいけないのだ、などと深い思索に入るのもいいのだが、何も北斎の前に余計なことを考えなくてもいいではないか、と思う人は公園の外側に沿って右向きに歩いて行けば、自然に到達する。
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北へ

2005-11-26 21:45:36 | 美術館・博物館・工芸品
450d2154.jpg弘前駅は、近代的な駅舎になっている。しかし、奥羽線には、将来も新幹線は来ない。現在は、東北線で盛岡から八戸まで。この先、青森から青函トンネルで函館に抜けるのだ。そして間違いなく札幌までは延びるだろう。そこから先は不明だ。お昼前なので、駅で昼食をとりたいのだが、五能線の発車までには10分しかなく、乗リ遅れると、大変なので先に延ばす。五能線は、ほんの少しだけ奥羽線を走り、川部駅で、前後逆向きになり津軽半島の根元を日本海側へ向かい西北方向に進む。鯵ヶ沢(あじがさわ)行き。鯵ヶ沢とは妙な地名だ。(アジが沢にいたのだろうか?)

途中、リンゴ畑の中を走るので、美しい光景を期待していたのだが、残念ながら、99.9%が収穫済み。残る0.1%は姫リンゴと1、2個だけ樹頂部分に真っ赤になって残る実だけなのだが、これは完熟しているので、とても美味そうだが、残念ながら列車の車窓からは手が届かない。それに、窓の外は、11月中旬としては普通に、断続的に小雪が舞い、大変寒い。防寒対策の追加として車中でベストを着込む。そして、他の乗客に笑われる。

そして、列車は、1時間ほどで途中駅の五所川原に到着する。そして、ここから津軽半島のちょうど背骨のように延びる津軽鉄道が始まる。直前のニュースでは、石炭ストーブが車内にある「ストーブ列車」の運行が始まったらしい。カバンの中からホカロンを取り出し、準備する。事前に調べていた時刻表では、五所川原駅で数分の時間差で津軽鉄道に接続するはずなのだが、どうもそういうわけでもない。

紙で貼った臨時の時刻表があって、数十分の先の発車になっている。駅は、入れ替え制の映画館のように同じ構内をJRと津軽鉄道が混在して使っているため、駅の外にでなければならない。どうやら、ストーブ列車が走るのでダイヤが変わっているようだ。後でわかったのだが、通常の運行列車は1両なのに、ストーブ列車は2両仕立て。ところが途中駅の「毘沙門」という駅は1両分しかホームがないため、2両編成車が通過しなければならない関係で、全ダイヤに影響があるらしい。

予定では、このまま、太宰治の生家であり、津軽の大地主である津島家のある金木駅の一つ先である、芦野公園(あしのこうえん)まで一気に行き、駅前の喫茶店「ラ・メロス」でオムライスを食べ、その他、いくつかの目的を果たしたあと、戻りながら、太宰治生家である斜陽館のある金木へ、という計画だったのだが、ダイヤを精査すると、計画通りでは難しいことがわかった。そのため、ここ五所川原で昼食をとってから、順に金木へ向かうことにする。

といっても駅前には食事ができる環境はない。雪の中、町の臭いのするほうへ向かうと、弁当店がある。お握りでも買うか、と店内に入って注文すると、弁当にした方がいいと言われる。要するに12時半になって売れ残っているからなのだ。500円のところを400円にしてもらい、300円のおかず(鶏肉のオリーブオイル煮)が無料サービスになる(あまり嬉しくないが、喜んだ顔になる)。駅の待合室で食べるのだが、鶏肉は難儀だ。何しろ、ゴミ箱が「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」になっているのだが、「鶏肉」は燃えるゴミで「プラ容器」は燃えないゴミ。何とか燃えるゴミを胃に詰め込む。

450d2154.jpgそして、五所川原から金木に列車は進む。津軽半島の最初の大集落が金木で、次が五所川原、そして弘前になる。高校野球のトーナメントみたいなものだ。さらに仙台があり、東京があるということだろう。実際には、現在は金木駅の方が五所川原駅より立派だ。太宰治(本名、津島修治)の生家である通称「斜陽館」のおかげだ。金木駅から10分ほど歩くと、目指す斜陽館が現れる。巨大な屋敷だ。ここが、地元の大地主である津島家の本拠だったのだ。津島家については11月6日付弊ブログで触れたので、詳しくはそちらを参考にしてほしいが、太宰治の父は貴族院議員であり、兄の文治は衆議院議員でもあり、青森県知事でもあった。逆に、太宰は、金満家の息子の常として地元小学校から青森の中学へいき、弘前高校から東京帝大へ行くのだが、青森中学の時に田中清玄の影響で共産党に近づく。政治家一家にとって、非常に悩ましい存在だったのだ。そして、東京で小説家の卵として苦行しているうちに、実家のことを「封建主義」とか批判したりする。

しかし、一方、小説家としては徐々に頭角をあらわしたのだが、一方でクスリとデカダンスの臭いは女性達を惹きつけ、ある女性と心中そして失敗。江戸時代だと、心中失敗の場合、男は島流しで、女は吉原送りだが、昭和の時代はおとがめなしだ。さらに、その年に美知子と結婚。そして一男二女を得る。

そして、長女園子は後年、上野雄二という大蔵省官僚と結婚するのであるが、彼は地元で絶大な力を持つ「津島」の姓を得るため、入婿し、結局昭和51年に衆議院に初当選する。そして苦節29年の結果、タナボタではあるものの橋本派を引継ぎ津島派の頭領に納まることになったのだ。もちろん太宰が生き永らえていたならば、「通俗!」と怒鳴り、娘の官僚との結婚自体ありえなかっただろう。

そして、問題の斜陽館だが、一時、旅館として利用していたらしいが、きわめて立派で巨大だ。まったく斜陽ではない。全体の色調が地味なのだが、素材は一流、調度も一流、さらに美術品多数。例えば、近年公開された池之端の、岩崎家の洋館とも、ひけをとらない。太宰ならずとも封建主義の弊害を感じてしまうだろう。

450d2154.jpg小説家と政治家という兄弟は、なんとか仲違いを解こうと、小説「津軽」の執筆取材で昭和19年に太宰が津軽に戻ってきた際に何度か食膳をともにするのだが、結局は「君は君、俺は俺」という状況から何ら進展しない。そして3週間の取材で、酒や魚や蟹を食い荒らして東京へ帰っていく。

その後、もちろん大戦後の農地解放で、津島家は太宰の予感の通り没落し、斜陽館だけが残ったわけだ。ちょうど建物の右奥の和室は、太宰の生れた部屋である。こんな奥の部屋にも床の間がある。そして彼は結局、玉川上水で自殺してしまうのだが、兄の文治は「東京都民の飲み水を汚してしまって申し訳ない」とのコメントを発している。


そして、今回の最終目的地である芦野公園へは、金木からは鉄道で一駅なのだが、時間が合わないため、歩くことにする。外は、徐々に吹雪いてくる。ついに最後から二番目の防寒対策であるホカロンを使うことになる。そして、「太宰思い出の道」という小径を進むのだが、単に農家の間を歩くだけの道。要するに、通っていた小学校への通学路ということ。そして、ごく普通の小学校があらわれる。ここが、芦野公園の入口である。
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スリムビルの未来は?

2005-11-25 21:49:43 | 市民A
志村けんに似た男が釈明会見をしているのをテレビで見た。姉歯という一級建築士が、せっかく作った設計図を、一旦、強度計算で満足な数値を得たあと、設計改ざんして、鉄骨や鉄筋の本数を減らし、ノーチェックの民間建築確認士を利用し、21棟(内6棟は建設中)がすり抜けていたということ。どうも家族の病気とかあるらしいが、何ら言い訳にはならないだろう。姉歯の下の名前が「秀次」という歴史上不吉な名前であるのも気になる。

何となく商売をしている市川というエリアから、同窓生ではないかとの疑念があったのだが、さすが全国組織のNHKが出身情報を公開したらしい(放火犯をつきとめるのには時間がかかるくせに)。まったく違う筋だったので、遠慮なくマナイタに乗せることにする。

そして、まず思い出してほしいのは、今年7月23日に東京で起きた地震だ。一部の地域では震度5強を記録したにもかかわらず、非常待機要員だった都庁職員が近くの住宅から登庁しなかった件だ。実際には、ビルは何一つ倒壊しなかったが、実際こんな設計士がいることを考えれば、大問題となった可能性もある。世の中、予想もできない恐ろしいことをする人間がいるということだ。

一方、建築基準法違反で一級建築士の資格剥奪というように進んでいるが、建築士免状がなくなるのは当然として、果たして何か重罪に問えるのだろうかという問題がある。単に建築士法第18条(業務執行)の違反だけなのかもしれない。本人が吠えていたように、間違いや不正行為を見つけるのが確認検査機関の仕事で、見逃した方が悪い、というのも一理ある。

ef6cb38b.jpg次に、一介の建築士が、独自行動として改ざんを一手に引き受けていたのだろうか。あまりに杜撰な設計であり、図面を見れば一目で危ないということは、係わったすべての業者が気がついたはずなのだが、・・というところが、この事件の深さにつながるのだろう。単独犯罪なのか、共同謀議なのか。実際に建物が倒壊したわけではないので、「未必の故意」が適用になるには難しいかもしれない。

そして、単に建築基準法の観点からいうと、あくまでも「建築確認」の制度は、「建ててしまってから、違法建築だった場合、取り壊すのでは経済的損害が大きいから、事前に審査して、さらに中間検査を行い、完成してから再度完成検査をしましょう」という主旨なのである。許認可ではなく、あくまでも建築確認なので、民間機関でもできるようにしようということである。最終的には、都道府県などの長が違反建築物に対する措置を行うことができるとされている。つまり、単なる確認行為の検査機関のイーホームズがずさんであったとしても、せいぜい資格が取り消しになるだけなのかもしれない。


ところで、この事件の背景を考えていくと、いくつかの事実が見えてきた。まず、2003年後半から2004年にかけて、偽装が始まったのだが、この時期に鉄鋼価格(鋼材価格)が急騰している。調べているうちに、2004年4月15日付で、(社)全国建設業協会から、石原国交大臣あてに「鋼材価格の急騰対策について」という要望書が提出されていることがわかった。文書の中には2003年後半から2004年3月までの間に、H型鋼が52%、異型棒鋼が39%もアップしているので対策を建ててほしいという内容になっている。そして、奇妙なことに、この文書が出された2004年4月以降、価格はそのレベルでほぼ横ばいに推移している。

実は、この鉄鋼価格というのは曲者で、大口需要家の場合、ある数量までは大口価格(レギュラー価格)で買い、一部をスポット価格で買うのが一般的だ(もちろん、下請けと鋼材込みの条件で握ることがあるとも聞く。)。スポット価格の方が値動きが荒いわけだから、スポット比率の高い会社は、現在のような鋼材不足の時期は苦しい。

しかも、将来の鋼材価格をあらかじめヘッジするのは極めて困難であるにもかかわらず、受注価額は先決めしなければならない。現在のように高値でも安定している場合は、受注価格を決めるときに織り込めばいいのだろうが、2003年後半の急騰時には、どこかの段階でカブらざるを得ない状況だったのではないだろうか(もちろん鋼材価格下落時は丸儲けなのだが)。そして、その時の施主(あるいは建設会社)からの強い圧力に負けて、ちょっとだけ設計改ざんしたのが、癖になり(あるいは、つけこまれ)深みにはまったのではないだろうか。

次に、疑惑を感じたのは、この民間確認検査機関のこと。この制度は1999年から導入されたらしいが、それまでは、都道府県にいる建築確認主事という公務員が担当していたわけだ。実は、個人的に以前住んでいたマンションで、南側にマンションが建つことになって、反対運動に参加したことがあったのだが、途中で、建築中のマンションに設計ミスがあることがわかった。ところが、それをはっきり認めると、建築確認を出した役所の方が業者に訴えられることになるため、驚くことに規定以上に日照権を奪われる住宅に住んでいる第三セクターの社員に見えざる手が伸びてきたことがある。このように、うかうかと公務員が審査を行っていると、厄介に巻き込まれる危険があったわけだ。そして、もちろん今でも建築確認主事は公務員として存在するのだが、その仕事の性格上、公務員を退職後に民間の確認検査機関に再就職することが多いということらしいのだ。(が、イーホームズの方々の前職については今のところ、つかんでいない。)

ところで、今回の大部分の違反建築は取り壊すしかないのは、素人にも想像がつく。まさか、マンションの外側に倒壊防止用の支えを取り付けるわけにはいかない。そうなると、おカネの話になる。なにしろ高額でクルマのように大量生産品ではないので、直ぐに交換ということはできない。住民側から言えば、実は、ここでは二つの方法があるのだろうとは思える。一つは、瑕疵物件として契約破棄(というか契約が成立しなかった)という方法である。これは、あくまでも正しいのだが、問題は契約がなかったとして代金が返ってくるかということだ。シノケン社は解約に応じるというので、残念でも、それは解約して現金で受取るのが一番だろう。

しかし、ヒューザー社は、解約されても、代金は返せないと言っている。こうなると、売買契約は成立したものとして、「誰かに」損害賠償を請求するしかないのかもしれない。実際には、誰から補償をもらってもいいのだから、関係者を列記して請求するのだろうが、これがまた裁判所が心細い。あまり、購入者側に有利な判例はないらしい。しかも、ヒューザー、木村建設、姉歯と並べてもどこからも回収できそうにない。木村建設は、早々と破産整理を宣言し、これ以上の損害を被らないようにしてしまった。会社を残されて、只働きを続けさせられる危険を感じたのだろう。

何しろ、瑕疵の件は、民法635条に規定されていて、注文者が契約解除できることになっているのだが、但し書きがついていて「但し、建物その他土地の工作物ついてはこの限りにあらず。」と念入りに書かれている。要するに契約解除は認めずに、直して使え、ということだ。



先の話だが、もう一つ注目すべきは、解体後の鉄骨の行方だ。話題になっているのは耐震性の話ばかりだが、耐火性の問題もある。火事になると鉄骨が熱くなり、急激に強度が落ちていく。そのため鉄骨に厚さ15ミリ以上のモルタルでコーティングしなければならない。実はニューヨークのグラウンド・ゼロの廃鋼材は、もともと新日鉄製だったこともあり、中国と韓国の会社がたちどころに持っていってしまったそうだ。今回の建物の鋼材は、流れからいってあまり高級品とも思えないが、溶接ではなくボルト締めなので、そのままの形でも使えそうな気もする。どこに持っていくのかというのも見ておきたい。


ところで、震度6対応を1.0として、各建物の耐震検査を行った結果が公表された。その中で、最弱の0.28という数値のマンションが港区にある。シノケン社の「ステージ大門」。震度5で危ないとされる数字だ。そして、そこに行ってみると、ずいぶん細身のマンションだ。阪神淡路以降、ベランダが外に飛び出す設計は見ないのだが、ここはそうだ。1階が駐車場で9階建で8戸。つまり、一階に一戸という縦型展開だ。そして、まわりにはびっしり民家が立つ。崩れたら、間違いなく道連れになる。場所はJR浜松町から徒歩7分ほど、東京駅まで20分くらいだろうし、羽田までのモノレールは浜松町発だし、念のため書くと、夜行の高速バスの始発ターミナルもある(ここに住んでいる人には無縁だろうが)。

ef6cb38b.jpgそして、この建物から1ブロックで、あのスーパーDAIEI本社がある。こちらは、超巨大な床面積だ。肥満に悩む団塊世代の生活習慣病のようなもので、こちらも倒れかけている。横断歩道で信号待ちしていると、企画部らしい社員同士が新たな閉鎖店舗の相談をしていた。雪の多い大都市の名前を二つしゃべっていたが、ここには書かない。そして、このステージ大門とDAIEI本社を結ぶ直線をさらに延ばすと、こればかりは倒れては困るものがある。
それは「東京タワー」だ。倒れると、韓流ドラマが放送できなくなり、NHKの不払いはさらに増えてしまうはずだ。
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「生の芸術 アール・ブリュット」展

2005-11-24 21:53:08 | 美術館・博物館・工芸品
841f5d23.jpg10月27日の「Another Side of Killer Street」の中で、キラー通り沿いのワタリウム美術館に触れ、過去に行われた美術展の中で、2002年末-2003年初頭の「ヘンリー・ダーガー展」の迫力に触れたところ、弊ブログ御愛読者のvagabond67様より、「ダーガー作も出展している展覧会が、銀座の”ハウス オブ シセイドウ”で開かれているので、ちょっと代わりに見てきておくれ」と指示をいただいた。

ギンザ?!、シセイドウ?!・・これは大変・・と、めったに着ないダークスーツにBVLGARIのネクタイなど締め、さて包み金はどれくらい必要なものか。あとでvagabond氏に付け替えねば・・どうやって?・・、と方向違いの勘違いをする。

実は、勤め先から近い。早足で10分。時々歩くナイトクラブ街を抜け、目的の建物、HOUSE OF SHISEIDOへ着く。向かいはルイ・ヴィトン。ガラス張りの建物で入口がわからないのだが、それらしきあたりへ進むと、巨大なガラス面全体が横に動いた。こんな大きな自動ドアを見たことがない。花崗岩張りの床をコツコツと歩くと、自然に展示スペースへ進む。不思議なことに、入場券売り場の自販機もなければ、ご祝儀袋を渡す受付もいないし、赤ワインの差し入れも不要だ。要するに、広告宣伝費か販売促進費の一環なのだろう。突然にvagabondさんが天使のように思えてくる。

841f5d23.jpgさて、アート・ブリュットというのは美術史上、何派に属するの?と考えるのは実は極めて危うい。中心的な作家群に共通するのは、「精神疾患の表現者」ということなのだが、それは画家の分類であって、画法の分類ではないわけだ。乏しい知識から、(はっきり確定されていないながら)3分類に分けて考えたい。

まず、美術史をダーウィニズム的に考えるなら、シュール・リアリズムの端の方を引っ張ってみるといいかもしれない。シュールの中の一派として、非現実、妄想、幻視性といった題材を多く描いた画家群がいる。そのずっと延長の方にあたるというのだが、しかしダリはちょっと変人かもしれないが、常人であり知能指数も高そう。まあ、そのあたりにつながるというのが無理な解釈の一つ。

次に、精神疾患症患者の絵画を専門に集めるコレクターが増えてきたわけ。ちょうど1900年頃からの動きで、フランス・スイス・ドイツと欧州各地にその動きが拡がる。そして、その後、コレクター同士の暗闘が始まり、第二次大戦後、アンドレ・ブルドン、ジャン・デゥビュッフェを中心に、病気という範疇から離脱し、芸術としての「アール・ブリュット協会」が設立。しかし、数年で空中分解する。

その後、またしても混迷が続いているのだが、ある意味で、「いわゆる画壇のような権威から離れた」ところの、評価を与えられていないグラスルーツ的な作品群というジャンルで考えようという動きがあったのが、アメリカである。アメリカ関係のアール・ブリュットコレクションは、こういう考え方に近い。

ヘンリー・ダーガー(1892-1973)は、何しろ生前には何一つ作品は公開されていない。4歳で母と死別。8歳で孤児院から知的障害児の施設に送られるが、脱出。シカゴの病院で清掃員として働きながら、アパートの自室で密かに小説を綴り始める。7人の少女「ヴィヴィアンガールズ」が非現実の世界で、悪の象徴との戦いを続ける15,000ページの物語と数百枚の挿絵が残され、死後、アパートの大家によって発見される。多くの作品には、男性器の付いた少女が描かれ、見る側を悩ませる。さらに、多くの作品は紙の裏側に、別の作品が描かれ、展示する美術館を悩ませる。結局ガラスではさんで、通路に配置し、裏からも見えるように展示するわけだ。残念ながら、今回は1作品だけだったのは、今回の展覧会の企画がフランスのabcd協会の力によるもので、ダーガーの主要作品はアメリカにある。

841f5d23.jpgつまり、「起源としてのシュール以降」が1分類。「精神疾患症患者の美術コレクション」という主にフランスでのジャンルが1分類。「オーソリティから乖離した場所でvividに輝くコレクション」という主にアメリカでのジャンルが1分類ということなのかもしれない。そういう意味で、「art brut」という熟語を「アール・ブリュット」と、フランス語・米語のチャンポンで読むのもなんとなくわかるような気がする。

気になった作品は、
ダーガーの「ジェニー・リッチーにて」(本物は、絵巻物のように横長で、紙の裏にも別の作品が描かれる)。
アドルフ・ヴェルフリ(スイス)の「クリストファー・コロンブス」。
ビル・トレイラー(米)の「無題」。無題ではかわいそうなので、おおたが勝手にタイトルをつけると、「DOG>CAT>BIRD>HUMAN-BEING」とか・・

この展覧会は11月27日までだが、次は12月7日から06年1月29日までで、"石内都の写真と共に"「永遠なる薔薇」。何の偶然か、少し前に東京竹橋の近代美術館で、彼女のデビュー当時の作品展を見た。廃娼街を題材としたモノクロ中心の作品。そして、彼女のトークビデオ。パワフルな語りだが、語る言葉の意味がよくわからなかった。

芸術かドキュメンタリーか。これも見逃せない。

そして、超巨大な自動ドアも、見逃せない。
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弘前、そこでは時間は止まっている

2005-11-23 21:57:12 | 美術館・博物館・工芸品
弘前は遠い。東京から行くならいくつかの方法がある。飛行機なら青森空港からバスで1時間かかる。新幹線で行くなら、八戸から在来線で青森に向かい、今度は少し逆走して戻らなければならない。あるいは、盛岡からバスもあるがこれも合計6時間はかかる。高速道路は弘前インターがあり、その先が青森なのだが、何しろ700キロもある。地理的にはブナの原生林が広がる白神山地を背後に従えているのだが、ちょうどこの位置は対馬海流の流れが本州に近づくため、緯度の割りに温暖でそして平地だ。しかし、私が早朝7時着のバスで到着した時は、ちょうど雪の合間で、風が冷たい。

bd0670ab.jpg数々の防寒装置を持っていたのだが、とりあえず、スパイク付き革靴とアンダータイツ、コートとマフラーを使用する。ベストと手袋とホカロンはまだ使わない。弘前から、さらに寒い場所へ北上する予定だからだ。そしてバスターミナルからとりあえず天守閣のある弘前公園を徒歩でめざすが、まだ7時半。公園の開園は9時なので、それまで、各観光地を歩くことにする。が、弘前は津軽の中心だったこともあり、観光スポットは点在し、一筆書きにはならない。めずらしく購入したガイドブックを片手に、行きつ戻りつということになる。

まず、弘前には教会が多い。レンガ造りなのが弘前昇天教会で洋館風が日本基督教団弘前教会。これはいい勝負と見た。

bd0670ab.jpg次に、青森銀行記念館。旧第59銀行本店は城下町の弘前にあったそうだ。記念すべき記念館を写真に撮影しようとすると、どうしても電線がじゃまになる。ガイドブックの画像も電線が写っている。現在の青森銀行は青森市にある。城下町の弘前に対して、青森は商業都市だ。ところで、青森には「みちのく銀行」という一見、優良な銀行がある。ただし、どんどん預金残高が増えても、青森では貸付先がないそうだ。そのため、結構、積極的にプロジェクトものに手を伸ばしているそうだ。さらにロシアに3店舗出店。「live or dead」だ。

bd0670ab.jpg弘前公園を回り込んで裏側に向かうと長勝寺があるのだが、その門前には、みやげ物店ならぬ禅宗の寺が集まる。33もの寺が並ぶ禅林街となっている、禅寺デパートか。そしてさらに足を延ばすと東北随一と言われる最勝院の五重塔があるのだが、その隣に「太宰治の通学していた、とその時勘違いしていた」弘前高校があった。太宰が行った旧制弘前高校は現在の弘前大学。勘違いしたため、別の文化財を発見した。戦前の講堂だけが保存されている。ガイドブックには書かれていない新情報だ。そして、この高校からは隣の最勝院の五重塔が、よく見えるのだ。地元では最勝院ではなく大円寺と呼ばれているということ。後で調べると、1600年代にここにあった大円寺が津軽藩の命で五重塔を建てたのだが、明治初年の廃仏毀釈で廃山。その後、最勝院として復活したそうだ。津軽人の記憶力はすばらしい。

そして、今回の津軽ツアーの一つの目的である太宰関連では、万茶ン(喫茶店)、一戸時計店(時計)をからかう予定であったが、いずれも開店前でありパスする。

bd0670ab.jpgその後、弘前城のある弘前公園に行ったのだが先日アップしたので省略する。さらに「津軽藩ねぷた館」に入る。ねぷたの絵師も浮世絵師のように、有名な絵師は限られた伝承の中にいる。ねぷたの太鼓を叩かせてもらってから、さらに、津軽三味線の独演会を聴く。若い佐藤さんという千葉県出身の修行中の19歳の青年の熱演。ジョンガラ節、よされ節。佐藤さんは、たぶんまた違う弦楽器を求めて旅に出るのだろう。千葉はふるさと感のない県なので結構有名な探険家を生んでいる。世界の食文化の研究の第一人者の石毛直道氏、小野田寛郎少尉を単身で救出した鈴木紀夫(故人)など。

そして、いよいよ時間がなくなり、次の目的地に向かうため駅までタクシーを利用。バスは100円だが、五能線に乗り遅れるともっと大損害なので、約1,000円を支出。弘前駅は立派だ。そして、五能線、鯵ヶ沢(あじがさわ)行きに乗り、五所川原へ向かう。実は、鯵ヶ沢という列車の行き先は人生で初めて聞いたのだが、妙なことに横浜に帰ってすぐに別の場所で聞くことになったのだが、それはまだ一部調査中なので、別稿。

bd0670ab.jpg追記:初稿では、教会を取り違えていたので、修正。ガイドブックに洋館風の弘前教会の記載がなかったため、弘前カソリック教会と混同。ということで弘前カソリック教会は見損じていたことになる。こんな感じだったようだ。
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高橋尚子は、なぜ人気があるのか?

2005-11-22 22:03:38 | スポーツ
c4c0aebb.jpg東京女子マラソンは、出走直前に高橋の思い描いたシナリオ通り、やや遅めのペースで集団編成・脱落型レースとなり、古典的マラソンの常道である35キロ過ぎから独走開始。ペースメーカーが並行して走っていたことや、事前に肉離れ情報を公開していたことも、逆に他の選手の「冒険心」を抑制する効果があったのかもしれない。

実は、異例といえる事前の「肉離れ情報の公開」が何を意味していたのか? 少し考えていたのだが、多くのファンは、「引退レース」という不吉なコトバを想像したかもしれない。F1レースのように数多くのスポンサーを抱えたまま、戦艦大和のように・・という不安だ。

もちろん、実際にはまったく違う結果となったわけだが、真意は今のところ明らかにされていない。右足には縦にキネシオらしいテープが貼られていたのだが、もちろん肉離れが重傷であればそれだけでは無理だ。

そして、彼女に対する応援は、先週の金曜夜、たまたまテレビ朝日の前の広場で大型ディスプレーの前に自然と集まってきたファンを目撃した時にも感じていたし、テレビ視聴率も瞬間的には35%まで上がっていた。

私も、とりあえずファイテンを装着(テレビを見るだけなので、VAAMは飲まなかったけど)。そして、実に、明治乳業の株を1000株買ってみた(残念ながらこちらは不発だったようだ。612円が615円になっただけ。(すでに売却。)

ところで、この彼女に対する、人気の集中は、どこからくるのだろう。ということを良く考えてもよくわからないし、決定的な第三者分析も見られない。ということは、複合的要因なのだろうか。
他の選手と比較したりして、いくつか考えてみる。

1.金メダリストだからか?
  シドニー以前から人気があった。さらに、田村や里谷も金メダルを持っているが、人気はかなわない。
2.マラソンランナーだからか?
  マラソンランナーといっても男子マラソンに人気者はいない。有森は銀メダルだが、イマイチ感がある。野口のファンはシブい。
3.瀬戸際感があるからか?
  現在こそ33歳であるが、25歳当時から人気があった。
4.性格が温和そうだからか?
  実際には、気が強いことは皆気付いている。同じようなパターンの千葉真子は、高橋のカゲに隠れてしまっている。他人への気遣いと思われている部分は、勝負につきものの読心術の部分と思う。

c4c0aebb.jpg結局、決め手となる合理的な理由は、よくわからないのだが、それらの複合要因に加え、決定的な要因があるのだろうと私は推察する。

それは「小顔&長足」だろう。男なら鈴木大地。ゴール写真から測定してみる。7.5頭身だ。仮に顔が少し大きく、足が少し短いとどうなるだろう。想像するのは難しいので、ゴール写真を拝借し、ちょっとだけ縮尺を変えてみる。顔を5%大きくし、足を5%短くしてみる。

やはり・・・

それにしても、またいつもの解説者のパターンだ。増田明美が95%の時間を使い、千葉真子が5%。せっかくディジタル放送で見ていたのだから、できることなら解説者AとBの好きな方を選択できるようにしてもらいたいものなのだが。
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足の長さの話の弁明

2005-11-22 22:02:48 | スポーツ
前のエントリで、足が長いことの有利さの話を書いてしまい、団塊の世代の方々に怒られそうなので、弁明を打つ。

標準的な人間は、首から上が30センチ、胴体70センチ、足が70センチ。合計170センチ。だいたい、こんな比率だ。そして手の長さは60センチで足より少し短い。

実は、この胴と足の長さが同じというのは、虫(および、クモ類・イカ・タコ・一部のカニ)を除いて動物界にはほとんどいない。対抗できるのはキリンくらいだ(キリンにも人間の方が僅かに勝っていると思う。意外なライバルはマンモスだが、これは既に打倒している)。ウソだと思ったら、膝を伸ばして四つ這いになってみるといい。大変不安定だ。手が10センチ長ければキリンのようにバランスがよくなる。つまり、ほとんどのサルや類人猿は手の方が足より長いのだが、人間は逆だ。これぞ万物の長だ。多少足が短くても悲しむことはない。

ところで、私は、この「手が短い」というところから、人類が直立歩行にいたったのではないかと思っている。手足の長さが同じだと、きっと走るときには四本の足を使っているかもしれない。オリンピックが競馬のようになってしまう。

そして、動物界の他の動物から見ると、「アシナガサル」=「人間」ということになる。そして、サルにくらべて極めて毛が少ないので、アシナガ○○サルということになるのだろうが、ハゲという文字を使うと、また別の人に弁明しなくてはならなくなってしまうのだろう・・ 
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六本木ヒルズから麻布十番温泉へ

2005-11-21 22:06:06 | マーケティング
aab993d5.jpgこの話、実は東京都内から弘前城へつながっている。まず、今年中にどうしても弘前城に登城しようと思っていたのだが、日程の関係で、11月19日のピンポイントになってしまった。しかし、わざわざ観光地である弘前まで行って、すぐに帰ってくるのは、まったくもったいない。さらに、近くに行きたい場所もある。可能な限り有効に時間を使うためにはどうすればいいか。思案の結果、年甲斐もなく高速バスという手を思いついたわけだ。メリットは二点。「早朝着」と「安さ」。なにしろ、朝の7時過ぎに弘前へ着く。そして値段は大手のバス会社のハイデッカー三列シートで9,900円。新幹線や飛行機だと東京から18,000円程度。さらに、前日行けば一泊が必要だ。

ただし、ディメリットがある。快適ではないことだ。バスで眠るのが大好きな人はあまりいない。それも9時間超だ。実は、バス便を調べていたら、さらに安いバスもあった。片道5,000円。往復で9,500円というのだ。ただし、4列シートでトイレなし。途中休憩3回。要するに普通の観光バスだ。これはちょっとキツイ。あと数十歳若くて、あと数十倍貧乏だったら・・

そして、このメリット、ディメリットの間で悩んでいたのだが、ちょうど読んでいた二冊の本に、シベリアの話が書かれていた。一つは、菓子職人である若いドイツ人、ユーハイム夫妻がはるか極東の遼東半島へ大きな夢をカバンに詰めてシベリア鉄道に乗り込む話。そして、もう一つは、シベリア鉄道開通前、偉大なロシア人作家チェーホフが囚人の様子を描写するために、サハリンの刑務所へ、背骨を痛め、あばら骨を折りながら馬車で往復した話。それに比べれば僅か9時間、高速道路のバスで角度150度のリクライニングシートでカーテンで囲まれウトウトすることなど・・・

ただし、浜松町のバスセンターは出発は夜の22時過ぎ。会社の退社時間からはタップリある。が、残念ながら宴会風にするのは、バスのことを考え(トイレはあるものの)やめておく。そして、最近はやりの金曜夜の美術鑑賞ということで、上野の「北斎展」に行くのだが、これが凄すぎる(後日詳細)。そしてその後、二つの目的で六本木へ向かう。

aab993d5.jpg一つ目の目的は、12月で混み混みになる前に写真スポットを押さえておこうということ。そのうち大公開する予定だが、ヒルズに東京タワーを絡ませるのが定石とされるのだが、その他、ヒルズとテレビ朝日の間の毛利庭園にキンキ・キッズのアルバム「H album H・A・N・D」を記念して、青いイルミネーションがあった。そして背後に満月が・・・(以前、ちょっと書いたことがあるのだが、この毛利庭園の一角で、赤穂浪士の切腹&介錯が行われ、大量の首がコロコロしたことは、この庭園内には一言も書かれていない)

そして、テレビ朝日の前の広場に設置された大型ディスプレーには高橋尚子の映像が流れ続け、本当に多くの人たちが足を止め、応援している。なぜ、高橋尚子ばかりに人気が集まるのか、これも別に考えてみたい。そして、「おめでとう」。

六本木ヒルズを麻布方向に約5分歩くと、第二の目的地に到着する。「麻布十番温泉」。

なんと、ヒルズと絡みの写真が撮影できる。事前調査では一階が銭湯で「越の湯」400円。三階が「温泉」となっている。どうも夜は温泉が安くなっているようで930円。10秒だけ悩んで高い温泉の方に行く。何しろちょっと荷物があり、バス旅に備え、入浴と着替えを同時に行おうという魂胆なのだ。この温泉、こういう時でないと、めったに行くものではないし、そう思えば、ちょっと高くてもいいか、と割切る。

何しろ、冬の津軽は寒い。予定では、午前中に弘前を済ませ、北上し五所川原から津軽鉄道で太宰治と津島家の町である金山へ行き、さらにその北の芦野公園まで行こうと考えていたのだ。どうしても寒支度が必要になる。たまたまテレビでは青森空港の吹雪や津軽鉄道のストーブ列車が報じられている。用意したものは、まず、ゴムスパイク付きシューズ、アンダータイツ、皮手袋、ウォームビズシャツ、ベスト、コート、マフラー。そして極めつけはホカロンとさらに靴ホカロン。とりあえず、アンダータイツははいておかないと、弘前でバスを降りたときに困る。

肝心の温泉の話。ビルの三階の温泉だが、三階の大部分は大広間になっている。それなのに、見ている限り個人客ばかりだ。私の前は、白人外人さんだ。入浴前に脱衣所で、衣類の整理などしていると、管理人が来て、温度を調べる。超ヌル湯になっていたらしい。思い切って水割りしたらしい。白人のヌル湯好きは皮膚の構造に起因するのだろうか?超熱湯にするからといって管理人は出て行った。おそらく、源泉と水の混合比率を調整するのだろう。

そして長々と荷物の整理などしているうちに湯温は急上昇したのだろう。温度計は46度を超えている。さすが江戸だ。半端者は住めない。湯の色は珈琲色。能書きを読むと、地下500メートルから湧き出す重曹湯となっている。そして、非常に快適だ。温泉は自然モノに限る。関東一円の中でも最高の肌触りだ。箱根の奥の奥の湖尻温泉もいいが、何しろここは手ごろだ。度々、通いそうな予感もする。なにしろ1,000円程度で味わえる快感。(もっとも50,000円超で味わう快感風呂というのもあるらしいが)

aab993d5.jpgそして、浴槽一人じめの快感も、暫くして、次の二人連れが現れることで、新局面を迎える。30歳前後の先輩社員と後輩社員。コミック誌のようだ。売れない売れない、廃刊廃刊と悩んでいる。そして湯が熱いと言う。暗に先に浸かっている私に、水で割っていいかどうか婉曲に聞いているようだが、無視する。黙っていたので、どうも場所柄、私のことを南アジア系と思っていたのかも知れない。湯から出ている顔だけはゴルフ焼けだから。そして、面倒なのでさっと湯から上がる。ふくらはぎを見ると左が真っ赤なのに、右は少し青い。怪我の後遺症なのだろう。自分で軽くもみほぐし、六本木とお別れする。

実は、青森に行く前に東京の温泉に行ったのは、翌日の帰京前に五所川原で、ある温泉に行って、対比感を楽しもうと思っていたからなのだが、残念ながら、吹雪を前に断念することになった。そして、バスの中は途方もなく暑く、タイツをはいていることを一生の不覚のように思ってしまったのだが、結局、そのまま井村屋の蒸し肉まんのようになったまま、雪の弘前に到着する。
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弘前城最上階で見たものは

2005-11-20 22:12:15 | The 城
0d816b3f.jpgつい数時間前に帰着。短い津軽行だったが、今回の最大の目標だった弘前城に登城。現存12城のすべての攻略がここに完結した。

実は、弘前城天守閣は広大な弘前公園の中にある。11番目攻略の福井・丸岡城をエントリした時に、「11月23日から4月1日まで、公園は閉鎖され深い雪に眠る。」と書いたところ、複数の方々より「冬でも開園している、入場料が無料になるだけではないか」との指摘をうけたのだ。

しかし一方、何か心に引っ掛かりも残っていたのだ。冬季に無料になるのは、何か理由があるのではないか?それは博物館として使っている天守閣が閉館になるのではないだろうか?という推測からである。そして11月に入り、念のため現地に電話で確認する。11月23日から無料になるのは天守閣が閉館になるのではないか?という質問をしたところ、

「△◇○□◎△◇○□◎、んだ、休みでけへ~、△◇○□◎」とのこと。

日本国内で一番難しい言語である津軽弁なので、一向に要領を得ない。が、どうも休みになるようにも聞こえる。そうとなれば、焦るしかないではないか。ただし、現状いくつかの仕事が固まっていて、都合がとれない。かろうじて、ピンポイントで11月19日を捻出。(この日程に関しては、色々あるのだが、後日のブログに回す。とにかく、寒い津軽に行くことにする。)

0d816b3f.jpgまず、この弘前城だが、大きな問題がある。他の11城に比べて、かなり新しい。他の城は1600年頃に築城されたまま、残っているのだが、弘前城天守閣は1611年に築城されたものの、1627年の落雷による火災で一旦焼失している。(江戸城もほとんど歴史上存在した期間は僅かであり、弘前城と同時期に炎上したが、再建されていない。)その後、弘前城が再建されたのは、はるか後年の1810年である。つまり、他の城が約400歳の実年齢とすると、弘前城は半分の200年ということになる。さらに、まったくの新設というわけでもなく、別のところにあった櫓を分解し、組直したとのこと。他の城に比べても一回り小さいのもこれが原因。

弘前側もかなり気にしているようで、この三階建ての天守閣の最上階には「現存12城の写真」が掲示されている。もちろん自城は最初の一枚だ。そして、奇しくも、私の12城廻りの最後の弘前城の最上階に、旅の総括としての12城一覧写真集が待ち構えていたようなものだ。

0d816b3f.jpg城のことを少し書く。12城の中で、土足のまま上がれるのは、確かここだけだと思う。ビニールの床マットが敷かれている。ちょっと興ざめ感ありなのと、構造上の問題なのか、大きな足音を立てると城が少し揺れる。美術工芸品が多数並ぶが、展示品の一番目に付く場所には、一本の日本刀が飾られている。よく能書きを読んでいると恐ろしいことが書かれている。何か隣藩の南部藩が暗殺者を放ったようなのだが、津軽藩の記載によれば、犯人を江戸に連行し、最終的には斬首にしたのだが、その時に使用された刀が展示してあるわけだ。他県のものから見れば、津軽・南部両藩の争いなど、「コップの中の・・・」ということなのだろう。

そして、天守からは、弘前から見える岩木山が極めてダイナミックに眺望される。自分の性格から予想していたとおり、その場では、あまり特別な感情は沸いてこない。達成感は徐々に熟成されていくのだろう。しかし、精神的な安堵感がどっと出てきた。

城を後にする前に、冬の公園のことを警備の方に聞くと、標準語の回答で「11月23日から来年3月31日は天守閣のみ、お休み」ということを確認したのだ。

その後、天気は急激に悪化し、弘前市内は吹雪になっていくのである。

とりあえず、睡眠不足のため、まだ、客観的に考えられる状況ではないので、後日、詳しく触れることにする。
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現存12城攻略アーカイブズ

2005-11-20 22:11:19 | The 城
現存12城攻略に限定し、個人アーカイブズを作成。
ただし、高知城のみは、1997年に登城したもので、画像は借用している。

2004年11月28日 姫路城    本物の価値
2005年02月06日 備中松山城 難攻不落な城攻め
2005年02月07日 彦根城    難攻不落の城攻め
2005年03月06日 宇和島城  現存天守閣の五つ目は宇和島城
2005年03月14日 伊予松山城 伊予松山城に登ったが・・
2005年03月21日 高知城    高知城とネタの「太い」寿司
2005年03月28日 丸亀城    石垣を這い上がるように
2005年04月04日 松本城    松本城は「なんとなく」
2005年04月09日 犬山城    犬山城は個人固定資産か?
2005年09月06日 松江城    現存12城攻略、10番目「松江城」
2005年10月16日 丸岡城    11城目:丸岡城、辿り着くのが難業
2005年11月20日 弘前城    弘前城最上階でみたものは

読み直してみると、3城目の備中松山城の中で、全制覇はしないと書いてある。
次に4城目の彦根城では、残り三つになれば、考えるかもしれないとなっていた。
ただし、5城目の宇和島では、再度、全部は行かないと書いてある。
さらに、7城目の丸亀でも否定している。
しかし、8城目の松本の時に、意外な展開になったと方針転換の兆候がある。
9城目の犬山の時には、何年かかるかわからないが、と方針が変わったようだ。残り三つになればと予言したとおりになったわけだ。

最後の1箇所は、離れていたのだが、以前、日本全県制覇が、あと1県(滋賀県)を残して4年も立ち往生(今回の彦根城で完結)した轍を思い起こし、雪中強行となったわけだ。そしてもちろん、その行為の裏側に、このblogがあるのは間違いないことを付け加える。  
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食とくらしの小さな博物館”で見つけたのは

2005-11-19 22:15:28 | 美術館・博物館・工芸品
69ce2297.jpg多くの企業は、自画自賛的に企業博物館を持つのだが、立派なものもあれば、単に元役員の隠居先のようなものもある。そして都営地下鉄高輪口駅徒歩5分(品川からは15分)にある味の素の企業博物館「食とくらしの小さな博物館」はかなり本格的だ。そして、わが高校の先輩で文化人類学及び食文化の大家である石毛直道氏が監修している(どこまで口を出したかは不明だが)。

ところで横道にそれるが、私のように、次から次へと博物館を攻略しようという行動の裏側には、逆に次から次へと疑問や興味が湧き出す何物かが必要なのだが、どうも一つの博物館に行くと、一つ以上の謎が増えていき、核分裂反応のように次の課題が生じる。この博物館に来たのもその一環で、そしてさらに次の謎が増えていくわけだ。そして、謎の解法の一つのキーがネット情報であり、別のキーは足を動かすことであり、それでもわからないことは多数ある。

さて、会場の前半部は「味の素の歴史」が展示される。1908年にグルタミン酸ナトリウムの製法特許を池田菊苗博士という東大の先生が取得する。そして、鈴木商店という食糧問屋だった鈴木三郎助が資本を提供することにより、大量生産が可能になったわけだ。紹介パネルに、菊田博士の特許は「日本十大発明の一つ」という記載があった。一つも知らないから10個の謎が一気に増えた。

しかし、要するに味の素は化学物質であり、みてのとおりの白い粉末状の結晶体である。それを様々な料理に見境なくパラパラと振りかけるわけだから、伝統的な味を追及する料亭や割烹に売り込むには、マーケティング上、無理がある。また、実際に使っていても、味の素で旨みを加えているなどという情報を、決して同業者には言わないだろうから、口コミ拡販の効果はない。アデランスのような性格の商品だ。

結局、戦後の核家族化といった、文化住宅の時代に大きく販売量を伸ばすことになる。味の素が文化的食材として陽の目をみるわけだ(ただし、博物館ではこうは紹介されていない。私の推測。)。その後、製法特許切れに伴い、後発メーカー(タケダ)の追随を振り切るため、食品部門に進出していく。レトルト食品は非常に多い。しかしこの分野も日本ハムなどが強く、競争は厳しい。

そして、後半部分だが、「アミノ酸事業」の紹介が中心。世界トップ企業なのだ。アミノ酸について、かなり細かく解説が加えられている。さらにパソコン端末から、アミノ酸の科学的解説や、用途や効果といった大規模な情報が入手できる。(後に知ったが、わざわざ高輪にいかなくてもネット上に公開している。少し前に、渡来植物であるトマトが当初は観賞用で、食用でなかった理由として、二つのアミノ酸(グルタミン酸とアスパラギン酸)の混合比率が、ある一定値になる短い期間だけが食べ頃である、と紹介したのは、ここでの知識。

そして、現代はアミノ酸戦争というか、スポーツの世界でも薬物ではなく、このアミノ酸をどのように利用できるかが成績に直結しているといわれている。ちなみに味の素はアミノバイタル。サポート選手は室伏、カズ、谷川真理など。高橋尚子の使っているVAAMは明治乳業だ。効果は違う。その他、森永製菓はウイダーでマリナーズをクビになった長谷川をサポート、明治製菓はザバスで上原、稲本サポート。そういう眼で明日の11月20日の東京女子マラソンを見るのも楽しい。私の使用感は、肉体運動にはVAAM、頭脳ゲームにはアミノバイタルではないかと思うが、「気のせい」という一言なのかもしれない。


ところで、元々、この博物館に行った理由なのだが、この博物館の一階が食物関係の総合図書館になっている。そして、長く追及している食物関係の問題が二つあったので、その手掛かりを探していたわけだ。一つは醤油関係の件なのだが、まだまだよくわからない。ただし、この調査中の副産物として、「桜田門外の変」の裏側に、近江商人と井伊直弼の近江コネクションが水戸藩の支配していた醤油原料としての大豆利権の争奪戦に関係するという一説を知ることができたのだ。

そして、もう一つが、バウムクーヘンで有名な「ユーハイム」の創業者であるカール・ユーハイムの極めて奇妙で感動的な人生を綴った伝記が存在することがわかったのだ。そして、「カール・ユーハイム物語」は貸出も可能なのだが、少しじっくり読み込みたいので、購入しようと思ったところまでが、当日の話。


実は、この「カール・ユーハイム物語」。入手するまでにさらに1ヶ月以上を要したわけだ。まず絶版になっているので、紀伊国屋にもないし、Amazonにも古書を含めて見当たらない。とうとう「日本の古本屋」という組織の会員になり、元々680円の本を約1800円のコストをかけて入手することになった(1973年版)。そして、現在、読破中なのだが、期待通りの感動物語ではあるのだが、さらにまた新たな謎が湧き上がってきたのだ(しょせん、私が無知なだけなのかもしれないが)。それはその本の著者のことだ。

69ce2297.jpg頴田島一二郎氏。頭の字が読めない。漢和辞典で調べてみると、「ほさき・エイ・ヨウ」となっている。しかし、”ほさき”という人は知っている。保崎だ。しかし、それでは保崎一郎さんと田島二郎さんと二人分の名前になってしまう。ここでへこたれず、次に国会図書館の検索システムに切り替え、カール・ユーハイム物語で検索すると、進展があった。エタジマ・イチジロウということになっている。そして(1901-1993)と長命を全うしている。さらに昭和10年代からの約15冊の書籍が保管されている。書名から言うと多くが伝記のようにも見える(井口防疫官、いのちの器、オツタマ僧正傳、ここも紅、この冬の壁、流民、・・・・)。

実はユーハイムの伝記はかなり詳細な調査に基づいて書かれているように感じているところなのだ。当然ながら、他の伝記にも、そういう歴史の片隅の感動が隠されているのであろうか。一気に謎はさらに15個も増えてしまったのだ。

さらに、頴田島氏は1991年にも出版しているのだが、90歳になっても伝記を書いていたのだろうか。この人物にも興味が涌いてくる。この人物そのものの伝記を誰かが書かねばならないのだろうか。
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nuの話

2005-11-18 22:18:01 | 美術館・博物館・工芸品
b18ffbdd.jpg最近、よくトラックバックスパムがやってきて、その都度やっつけている。対応しにくい朝方に来ることが多い。よくみていると、他のブロガーの方にも同様のURLからきているようだ。大体こんな感じだ。

ht tp:// acua. mine. nu /**** (文字を離して書いてみた)

そして、問題は、このドメインの後ろの方に付いている「nu」という部分。ここには通常、プロバイダーに対して発行する国の国名がつく。(アメリカだけは国名をつけないことになっているが、それはおかしいとEUが問題視しているのだが、それは別の話である。)

では、nuとはどこの国か?というのはネット関係者にはかなり有名な話らしいのだが、「NIUE」という場所だ。南太平洋のニュージーランド領。かなりニュージーランドからは離れている。面積は260km2で人口は2,100人強。ポリネシアン人が大多数。260km2の島ということは、逆算すると直径18kmの円ということになる。

そして1974年に自治権を得ていて、隙あれば、独立しようとしているらしい。外交的には、オーストラリアと国交を持つ。隣の隣の国と親密な関係を持つのは古代中国の「遠交近攻政策」とも通じる。

GDPはわずか年間8百万ドル(10億円)程度と推定されている。そして、かつては最大の産業は、「切手」発行ということだった。珍しい切手を発行し、販売していた。原価は極めて安いだろうから収益率は高い。そして、切手を定価で販売する限り、何の問題もない。切手を使って脅迫状を送るような犯罪行為があったとしても、この国が責められることはあり得ない。

ところが、この10年ほど前から新しい産業が始まったわけだ。ドメイン販売。つまり「・・・.nu」ということ。この商売には切手以上に原価がない。要するに、”カネでドメインを買った上、後でなんだかんだと言われたくない方々”のご愛用URLとなるわけだ。しかし、最近はさすがにあちこちでブロックされ、めったにみないと思っていたのだが、またも活躍を始めたのかもしれない。

何か事情が変わったのか?と思い、NIUEの周辺情報を探していたら、思わぬことになっていた。今年の8月に、オーストラリアの鉱山会社が、この島で、ある金属鉱石を発見したわけだ。その金属とは、

ウラニウム」だ。

どうも怪しいところには、怪しいものが集まるものだ。独立運動ドメイン乱発ウラニウム。美しい島や海には似合わない。奄美群島の一部の島の選挙違反とは規模が違いそうだ。

まさに、冒険小説家には絶好だ。取材に行かねば・・ボディガードになる人間を探さなければ・・できればボンドガールのような・・

追記:最後のところにある選挙違反で有名な島・・当初は奄美大島と間違えて書いたのだが、徳之島であるので、本文微調整。
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