PUFFY15

2012-02-29 00:00:49 | 音楽(クラシック音楽他)
PUFFYが15周年記念として昨年発売したベストアルバム。

先日、昨年のライブ映像を見て、「元気回復モード」に切り替えたくて、さらに一枚買ってくる(というか三宮で時間が30分余って、タワーレコードへ行く)。なんか、本家アメリカのタワーレコードが潰れてしまって、さらに日本のタワーレコードはアナログ的な香りが強くなって、居心地がいい。

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年初から、厭なことばかりだったけどPUFFYを聴きだしてから、落下モードから脱出したような気がしている。で、ベスト盤なので、全部で39曲も収録している。

前にも書いたけど、ごく単純なユニゾン方式で二人で同じ音程で同じメロディラインを歌うわけで、ほんの少し高低で声の質が違うところが低音でパワフルで高音が弾けるように聴こえる理由なのだろう。

作詞もかなり書いていて、個人名じゃなく「PUFFY名義」になっているので、著作権料は折半なのだろう。というか、このグループこそバラバラに解散したら何も残らないと思うので、オセロみたいに変な占い師や予言者の類に捕まらないようにしなければいけない。

思えば、ビートルズだって、主要メンバーの一人が女予言者に捕まったことが解散の原因だったのだろうし。

ところで、PUFFYの曲の中で個人的イチオシが、「マイ・ストーリー」。同名のアルバムを出している別の女性アーティストもいるが、無関係。

無料聴取は、こちら

ことばの散歩道(阪下圭八著)

2012-02-28 00:00:24 | 書評
kotobasampo「金輪際」「有頂点」「もののけ」「君」「僕」「面白い」などの、日常的に使われるコトバについて何らかの歴史を背負ってきた意味の変遷を115章にわたって綴られている。

日本文学の先生なのだろうが、高校の頃は日本文学を研究しようかと思ったこともあるのだが、古典を読んで、感傷に浸るような読み方じゃだめなんだよね。研究者って。

個人的には、コトバなんて元の意味がまったくわからなくなるほど使い倒して、はじめて日本語の海に馴染むのだろうと思っているので、語源が違うとか、美しい日本語とかいうのを聞くと、気持ち悪くなる。本書は、コトバの過去の用例を紹介するにとどめ、どちらがいいとか野暮をいわないところがいい。


で、いくつか紹介すると、


『ねずみ』

 古来、ねずみについては、決していいことにはなっていない。害獣である。濡れネズミとか、頭の黒いネズミといったのは西鶴。ネズミ講。警察嫌いを増殖させる交通警官のネズミ捕り(たぶん著者も捕まったことがあるのだろう)。

でもね、「ねず鳴き」というコトバがあって、近世の遊女がお客を喜ばせるために小さな声で鳴いたそうだ。社会的弱者の感じが現れた表現ではないだろうか。そしてネズミというコトバの語源は「根の国に住む」ということらしい。「根」の国って別の世界のことらしい。

『馬が合う』

 友達同士など、気兼ねなく付き合える友人の関係のようなコトバだけど、昔は、武士が馬を使いこなすことらしい。だから乗馬した武士が思う通りに馬が動くことのようだ。


『ニホン』か『ニッポン』か。

 実は、本書の中でかなりの長さを示すのが、この問題。だいたい自分の国の読み方が二通りあって、どちらが正しいとか言いきれないなんてことがあるのがおかしいのだが、・・・

個人的には、ニッポンとニホンとは違うんじゃないかと思っていたのだが、本書でも、この二つの違いについてチャレンジしている。

普通使われるのは「ニホン」で、ちょっと余所行きの感じがするのが「ニッポン」なのだが、古来、中国から入ってきた「日本=ニッポン」という発音に対して、「やまと」という土着的なコトバがあったのだが、さらに「ニッポンをニホン」と読み替えることにより、中国に対して日本のアイデンティティを主張したのではないか、というような主旨である。はじめたのは藤原道長。その前に「倭」という品の悪いコトバ(チビを意味する)から、「日本(太陽の上る国)」というコトバへ言い直させたことは、日中外交上の最初の成功だったということらしい。

鯉昇独演会に

2012-02-27 00:00:54 | 映画・演劇・Video
落語に行くのは何十年振りかもしれない。高輪の港区民ホールの瀧川鯉昇(りしょう)独演会に行く。

落語に行くというと、概ね二種類あって、「ホール」か「座敷」か。座敷の場合は、それぞれいくつかのパターンがあるのだが、初心者は「ホール寄席」を選んだ。

実は、落語のことなんて全然知らないのだが、古典物と新作があるらしい。もっとも古典といっても、本当に有名な「目黒のさんま」なんかは知っているが、指の数ほどしか知らないので、新作だって古典だってたいして変わらない。中にはシェークスピアを下敷きにした編作を行っている噺家もいるらしいが、オリジナリティも重要だし、同じ話だって、もちろん技量の差は大違いだ。

それで、独演会というと、歌手のコンサートみたいに、ずっと一人でやるのかと思ったら、そうじゃないようだ。まずは弟子が出てきた。

前座登場。瀧川鯉ちゃの「牛ほめ」。やはり前座だと笑いの質が違う。やや冷たい笑い。実はほぼ満席で50歳代が多い。男女比率は6:4位か。平日の夜なので勤め帰りのサラリーマンが多い、セーター姿の人は男女とも60歳代。年金組か。30代、40代の客は、早い話が本当の落語好きなのだろう。

そして、次は二ツ目登場で、瀧川鯉橋。「元犬」。人間になりたくて仕方なかった犬が、霊験あらたかに神社に詣で続け、やっと人間になる。しかし、人間になりたい一心はわかるが、人間が何をしているか観察していなかったと見え、失敗を繰り返すわけだ。

会社にも重役になるためにゴマすりを続け、やっとなったらボンクラ役員の馬脚があらわれるというのがいる。おっと、総理大臣はほとんどそうだ。

二ツ目だけに笑いの質が向上。乾いた感じの笑いの風が舞い上がる。


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そして、真打、瀧川鯉昇登場。「長屋の花見」。確か事前情報では50歳代後半のはずだが、ずいぶん老け顔だ。68歳と言われても驚かない。よく脱力系と言われるそうだが、まだ意味がわからない。

どうも、客に緊張を求めない、という方針らしい。ヨレヨレと噺は右に行ったり左に行ったり過去にいったり現代に戻ったり。結構、笑わせるが、ちょっと落語とは違う方向じゃないかというような感じもある。で、ようするに客が脱力笑いに至るわけだ。

でも、笑わない人ってずいぶんいるわけだ。左隣の席の旦那は、通なのか、しょっちゅう笑う。何度も聞いているのだろう。笑うべきタイミングの5秒くらい前に笑うのだが、「ネタバレ」みたいな感じだ。右隣の女性は、まだ初心者のようで、笑うタイミングはOKだが、拍手のタイミングを間違えた。最後のオチの前だ。クラシックコンサートだったら大変だ。


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そして、仲入りの休憩後に登場したのが、有名な女芸人、「桧山うめ吉」。三味線弾きながら語るわけだが、なんでこんなにトークが上手いのだろう。見かけは若いが実年齢はみかけの年の二倍+らしい。どうも女芸人というのも技の割りにステータスが低いね。かわいそ。チョッとね・・

そして、本日、二回目の登場が瀧川鯉昇の「御神酒徳利」。舞台は江戸。旅籠屋で起きたちょっとした事件から、「算盤占い」というインチキ芸を始めた小心者の使用人が、大事件に巻き込まれていく波乱万丈物語である。島津藩の幕府への密書紛失事件まで登場する。噺家の大熱演にかかわらず、客は脱力方向に進んでいくという不思議な現象である。


それで、落語を極めるには、100回位足を運ばなければならないのだろうが、100回行きたい場所は他にもいくつかあるので、たぶん極めることはできないだろうと、自分の未来を電卓で占う。

神戸清盛歴史館の広大な駐車場って何?

2012-02-26 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
清盛の作った(いや作ろうとした、いや清盛の夢の中にしか存在しない)福原宮。実は現代の神戸福原といえば、全国有数の石鹸屋街なのだが、それは大きな誤解で、石鹸街は、ほんの狭い場所に集中しているらしいのだが、清盛の福原宮は、京都に対抗した海の都を目指した巨大都市のはずだった。

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歴史館は、清盛ドラマ館とセットになった、あくまでもプレハブ1階建ていかにもマンションモデルルーム風なのだが、驚くのはその周りにある広大な駐車場。あとで徒歩15分ほどの清盛塚までいったが、そこにも第二駐車場があった。

入場者は数人。その10倍の人が事務員で、その数倍くらいの会場整備員がいる。

ドラマ館はNHKドラマに沿った嘘っぽい歴史を紹介しているのだが、歴史館では本当の歴史的考察で福原宮の場所を探るというような内容になっている。どうも、その歴史館のある場所あたり(中央市場付近)から西に埋め立ての人工島を作って、そこを港にしようとしたらしい。人工島は完成した。

そして日宋貿易に乗り出して、海外貿易を独占しようとしたようだ。独禁法違反。輸出していた産物はイオウ(火薬の原料)。輸入したのは銅銭。清盛はかなりしたたかな男だ。

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で、さっぱり盛り上がらないドラマの話はやめてしまって、神戸の話でもすると、瀬戸内海を東に向かい京都方面に入るには、海流の複雑な明石海峡の手前で、潮待ちをしなければならないので、そこに人工島を作るというのは当時の船舶では理にかなっている戦略だったのだ。

現代の東アジアの数千トンサイズの小規模船舶の航行を行っている海運会社の意見だと、しきりと神戸より東には行きたくないというような声を聞く。

よく考えると、東アジアというのは東シナ海から南シナ海、フィリピン海というように大陸と太平洋の間に中間的な海が広がっている。その中間的な海を北上してきて関門海峡から瀬戸内海に入っていくと、神戸までくるわけだ。そこから先に行くと潮岬から太平洋に出てしまうわけだ。

つまり、日本人が普通に海と言えば太平洋のことをイメージするのだが、それは「オーシャン」なのだ。そして、東アジアの内海と太平洋の境目というのがアメリカの決めた米国防衛線ということ。北海道、本州、沖縄、台湾、フィリピン、シンガポール、オーストラリア。

そう思うと、咸臨丸って無茶苦茶なチャレンジだったわけだ。広い太平洋で海戦をやろうなんて、そういえば源平で繰り広げた瀬戸内海での死闘と同じようなものなのかもしれない。もっとも壇ノ浦で平家を滅亡させた源氏政権も34年後に滅んだのだが、大日本海軍を全滅させた上にトドメの原爆2発を落とした米国は、しぶとい。が、まだ世界の覇権を握ってから100年は経っていない。

日めくり詰め将棋カレンダー2013始まる

2012-02-25 00:00:45 | しょうぎ
この時期、LPSAからの封書が届くところから、詰カレ2013が始まる。7手詰までの短編詰将棋を創って(あるいは在庫倉庫から引っ張り出してちょっと磨き直して)3月31日までに5題以内で投稿。すると、すっかり忘れたころに来年の日めくりカレンダーへの当落が判明する。

ところが、短編は苦手なのだ。どうしてもどこかで見たような作品になってしまう。いつも苦労に苦労を重ねるのだが、残念ながら今年は時間が無い。勤め先の期限切れで、・・。

とりあえず、在庫の中の自信作は1つだけなので、あと2つ位は、と思っているのだが、他人の評価ってよくわからないので自信作が落選し、セーフティネット作が当選したりする。

そう思っていると、柳田明先生が講師となる『詰将棋創作講習会』がLPSA本部で開かれるそうだ。参加資格は3手詰めを解ける方。これなら大丈夫だ。優秀作は即、カレンダーに採用ということだ。

ただ、残念ながら3回の教室のうち2月16日は過ぎてしまったし、2月23日は落語を聞きに行くし、3月3日は北関東にゴルフに行くので、残念、残念。

さて、2月11日の出題作の解答。

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21手詰めである。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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簡素作である。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ正誤判断。

嗚呼!!涙メシ(石田純一の巻)

2012-02-24 00:00:06 | あじ
ANAの世界最新鋭機B787で二度目のフライト。今度は窓側の席なので大きくなった窓からの眺望をたのしめそうなものだが、あいにく最終フライトで外は闇である。

ただ、この前搭乗した時に、国内線では珍しく前席の背もたれにある画面で短編ビデオを楽しんだのだが、今回も20分もの2本を楽しむ。しょせん1時間で目的地に到着するので、20分物がちょうどいい。その番組の名前は、・・

嗚呼!!涙メシ

有名人が一生の思い出として食べ物にまつわるエピソードを紹介するのだが、ゲストは、石田純一。「不倫は文化だ」と意味不明の名言を吐いた結果、某モデルと破局をむかえ、元女子プロゴルファーと結婚。やってることは、あまりトレンディじゃない。

で、彼の涙メシ第三位。売れない役者生活の時に、ALICEのドラマー矢沢透氏に何度かごちそうになった、青山の台湾料理店『フーミン』。なすのニンニク炒めが定番だったそうで、「先輩は後輩にオゴラなければダメだ、と教えられたそうだ」。

実は『フ―ミン』には、昨年行ったのだが、こぶ平改め九代目林家正蔵が子分数人を連れてやってきた。誰だって、正蔵という名前を思い出す前にこぶ平という名前を思い出してしまうところが、悲しい。

そして、石田純一の涙メシ第二位は、銀座の寿司屋である『きよ田』。小林秀雄の本にも登場するらしいが、のれんをくぐったのが37歳の時だそうだ。こはだ、かんぴょう、アナゴが好物ということで、こういう店こそが、「店の格が客の格を作る」ということらしい。

自分が37歳で人格者に変貌したみたいな言い草だ。

そして、涙メシの第一位は、母親の味ということで、あまり料理が得意でなかった母親が純一氏のこども時代の4年間の米国生活中に覚えたほとんど唯一の手料理、『チキンのプロヴァンス風シチュー』ということだそうだ。

番外は、「マイブームメシ」。神戸三宮の居酒屋である『雄』。奥様の理子さんの行きつけの飲み屋だったそうだ。コブクロ刺しが旨いそうだが、理子さんってそういうのを食べていたわけだ。どうもその店の常連客達は理子さんの兄替わりになって、「石田連れてこい!」とかいう話になって、東尾監督の家に行く前に、この店の宴会に呼ばれることになったそうだ。兄替わりになって、・・という部分が、なんとなく怪しい感じが漂うが、詮索はしない。

キルビル2(映画・2004年)

2012-02-23 00:00:28 | 映画・演劇・Video
続編。変な題名だが、ビルを殺すのを最終目標とした女が日本刀を振り回し、さらには中国の拳法を駆使し、連続殺人を繰り返していくわけだ。そして『キルビル』で殺しそびれた何人かとビルを殺すまでのアクションをタランティー二監督が撮影する。

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どうも底流には、日本蔑視精神が見え隠れするのだが、『キルビル2』は地味だ。登場人物は『キルビル』より少ないのだが、上映時間は長い。大人数のチャンバラは行われない。千葉真一も栗山千明も登場しないが、寿司職人千葉真一(いや、服部半蔵)が作った名刀だけは活躍する。

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ただ、追われるビルも追いかける女も、実はどちらも元は殺し屋である。殺し屋同士が秘術の限りを尽くして戦うわけだ。だからこそ、あまり深い思い入れができないわけだ。

なんとなく、『キルビル』の残した多くの謎を片付けるためにのみ作られた映画かもしれない。

イヤな夢を見そうな予感がする。

石川遼の確定申告は?

2012-02-22 00:00:18 | 市民A
確定申告が始まった。今年の最大の問題は東日本大震災に関する手続きである。被害を受けた方々の特例措置ほどの意味はないのだが、たとえば赤十字社への寄付については、所得控除が認められることになっている。

そして寄付と言えば、プロゴルファーの石川遼選手。2011年の賞金をすべて寄付すると発表していた。このあたりの計算をしてみた。本当は、詳しく計算できるのだが、説明の都合上、かなりアバウトの計算を行ってみた。

まず、賞金額は9,828万円。日本ツアー第三位である。優勝は〇回。つまり安定しているということだ。実際の収入は、コマーシャルやバラエティー番組への出演など、賞金額をかなり上回っているのだが、彼が寄付するといったのは、あくまでも賞金額だ。計算上、1億円としておく。

そして、彼が寄付しようと言ったのは、あくまでも税引き後の話だろう。寄付した上に税金を払うのでは赤字になってしまう。

そして、収入が1億円としてまず控除されるのが必要経費。さっぱり見当がつかないが、1000万円ということにしておく。移動交通費とか宿泊費、コーチ料などだ。決して無免許運転の罰金は含まれない。そうすると課税所得は9,000万円になる。

これに税率だが、所得税が約40%、住民税が10%で合計50%。つまり9,000万円の50%として4,500万円が税金であり、寄附金は4,500万円になる。

そして確定申告に行って、4,000万円の寄付を所得控除すると、収入額は4,500万円となる。そうすると、2,250万円の税金が石川選手に還付される。

つまり、寄付を4,500万円しても、確定申告で2.250万円が戻ってくるわけだ。

じゃあ、その2,250万円はどこから発生するかだが、いうまでもなく国家財政からなのである。

反逆する風景(辺見庸著)

2012-02-21 00:00:22 | 書評
1944年に宮城県石巻に生まれた著者は大学卒業後、共同通信の記者として世界各地を見てきた。ところが、1991年に芥川賞を受賞。小説家への道を歩むのかと思いきや、しばらく記者を続け、1994年には「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞。ドキュメンタリー路線を進むのかと思いきや、詩集を出したりしている。

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本書は1994年、「もの食う人びと」を上梓した年末に、記事としてではなく、書籍として書いたエッセイということだそうだ。だからして、かなり読むのが難しい。著者によれば、「もの食う人びと」は記事として書いたので、ジャーナリズム的な白黒二元論の枠に縛られたが、本書は世界の事象をもっと複雑な陰影をつけて描き、それを伝えようとする努力が感じられる。

場所はチェルノブイリだったりダッカであったり、ウガンダ、ブータン。そして北関東であり浅草。果てしなく説明不能な人間たちの所作が綴られる。

そして、本書の出版された数カ月後に地下鉄サリン事件が起きる。オウム真理教に入信していた若者たちを捉えたのは、世界を二元論で捉えるのを正と教えられたエリートが複雑な実社会の中で、自分を見失った闇の中で見出した究極の二元論的新興宗教だったのだろう。

故郷の震災被害について、著者は、今のところ口を閉ざしている。おそらく、報道されないようなタブーがジャーナリズムや文壇に蔓延していることへのプロテストなのだろう。


ところで、知人のことと断って、反日常的な男二人のことが書かれている。

自身も長身で奥さんも長身という男だが、いつしか女遊び(買春)を覚えたそうだ。それだけでは面白くもないのだが、奥さんが長身(178センチ)だったもので、遊ぶ相手は小さな女性を好みにしていたそうだ。これでも全然面白くない。

ところが、徐々に、前の女性よりも背の低い相手を選ぶようになったということで、本書に書かれた段階では145センチまで折れ線グラフは右肩下がりになったそうだ。まさにフェチの極みだろう。そしていきつくところは、幼女ということになるのだろう、と予測。

もう一人は、中央官庁に勤めるエリート。こちらは、風呂の中で大きいのを排泄するのが趣味だそうだ。まあ、自分の家の浴槽で排出するなら勝手だが(それでもかなりの異常と思うが)、そのうち、温泉とかスーパー銭湯とかで人目を盗んで決行するのだろう。そしてこちらもいずれ発覚する。

ただし、変人二人を法律の前に並べて考えれば、幼女フェチは重罪だろうが、浴場排泄を取り締まる法律ってあるのだろうか。異常度から言えば後者の方が理解できない度は上のような気がする。

玉体にメスが

2012-02-20 00:00:45 | 市民A
天皇陛下の冠動脈バイパス手術は、手術自体は無事に終了した。検査入院の後、慌ただしく手術が行われたのは、執刀医のゴッドハンドに手術の予約が入っていない土曜日を狙ったのか、それとも緊急性があったのか、そのあたりは計り知れない。3月11日の御公務に間に合わせようとしたのか、あるいは手術まで時間を取った場合、その間にシビアな状況が発生した場合の宮内庁への批判をかわそうとしたのか、様々な可能性が考えられるが。

実は、天皇陛下の手術と言うのも、明治時代には「玉体にメスを入れるなんてとんでもない」という考え方があって、それどころか手首の脈をとるにも手袋をして行わなければならないとされていて担当医が怒りの辞職までしている。要するに、天皇個人の健康よりも天皇神政を掲げて天皇を利用しようとする多数の人間が取り巻いていたということだ。

もっとも明治時代には、まだ手術の技術も発達してなかったのだから、仮に手術するにしても担当医はたまったものではなかっただろう。実に昭和天皇が崩御の1年数か月前の1987年に腸の手術を行ったのが、始めてだったようだ。

ところで、今回の手術について、宮内庁は、術後の生活レベルについて、テニスができる位まで回復するのを目標にしていると発表しているが、78歳でテニスができなくても別に構わないように思う人が多いだろう。なんとなく違和感がある。

色々とネット上の意見を探していると、今回の手術について、天皇陛下が目標として考えているのは、「もっともっと重大な公務」ではないか、というような意見があった。

日本の歴史を見ると、天皇陛下が重大な決意を示すというのは、そう何回もあったわけではない。桓武天皇を最後にその後、藤原氏、平家、源氏と混乱の時代に登場したのが後白河天皇(法皇)。北条政権末期に登場したのが後醍醐天皇。江戸時代末期に登場したのが孝明天皇。そして、太平洋戦争の開始と終結の時に自分の権限をふるったのが昭和天皇ということ。

変な政党がいがみ合っている場合じゃないのに、無政府型に突き進んでいる「わが国の状況に鑑み」、ついに天皇自身が登場するのだろうか。「わが国」という単語を使っていいのは天皇陛下だけだ、と考えることもできないではない。

ところで、宮内庁病院だが、本来、予防医学を中心業務にしていれば良かったのだが、最近はさまざまである。不妊治療とか神経科。さらに児童心理学まで必要になっているわけだ。

清盛 神戸のドラマ館は立派だが

2012-02-19 00:00:58 | 美術館・博物館・工芸品
神戸駅から雨に濡れずに地下街を南下したところにドラマ館がある(建物の一部に入居)。

神戸と言えば、「清盛」でしょ。と言えるのかどうか、それははっきりしないが、神戸が大都市になったのは清盛が神戸を港として整備したからだ。その規模や目的をみれば、巨大工事だったのは間違いない。

一方、清盛は藤原氏が支配する貴族・天皇支配の日本に終止符を打った武家革命の先駆者だったとも言える。平清盛→源頼朝→北条家。そういえば、戦国時代だって信長→秀吉→家康ということになる。人気が無いのは平家物語はじめ多くの書物が、清盛をアンチヒーローとして捉えているからだ。

天皇をないがしろにし、さらに中国との貿易を独占しようとしたわけだ。中国との貿易といっても輸出品の中心はイオウだったそうだ。中国は近隣諸国と戦争ばかりしていて、そのための火薬の原料だったとのこと。

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ただ、今年の大河ドラマでは、一気に名誉挽回がはかられるはずだった。何しろ、天皇の御落胤ということになる(もっとも平家は桓武天皇の子孫なのだから、そんなにすごい話でもない)。この、白河法皇のこどもというのは、本当は事実かどうか明らかにはなっていないが、NHKは都合により、そうしてしまった。

一方で、史実に忠実ということで、主演の松山ケンイチに汚い衣装を着せて歴史考察チェック済みのような態度をとるから嫌われる。韓流ドラマとの差を強調したのだろう。

そして、ドラマに合わせたかのように、清盛関係の歴史が整理されているようだが、実際に墓は見つかっていない。1年ももたなかった福原京の完成予想図も、定説がない。

そして、神戸市民そのものが、平清盛をブームとして捉えているようには、まったく見えないわけだ。視聴率についても、今後登場する役者のラインナップから言って、盛り返す要素はまるでなさそうだ。いっその事、源頼朝を滅ぼしてしまって、天皇制も廃止し、平家による神戸幕府でも作ってしまったらどうなのだろう。

青い熊戦法

2012-02-18 00:00:51 | しょうぎ
先週、将棋の「必勝法」について書いたが、主に心理作戦。実力が全然違えば役に立たないが、将棋大会などでは、だいたい同じ位の棋力で対戦することが多いので、心理作戦は有効だと思う。

そして、つい最近。ある名言を知ったのだが、それはあまりにも将棋の必勝法に近いと思うので、紹介してみたい。

『青い熊』戦法。

穴熊戦法みたいだが、まったく違う。

モノまねタレントの「コロッケ」さんが、貧乏だったこども時代に、母親から聞かされた人生訓だそうだ。

そして、それは、熊とは何も関係がないわけだ。

 あせらない

 おこらない

 いばらない

 くさらない

 まけない

この5句の頭文字ということだそうだ。

これをティーチング中の人に教えたところ、「上の四つはよくわかるが、五つ目は難しい」と言われた。誤解だ。

負けない、というのは、相手に負けないということではなく、「弱い自分に負けない」ということだそうだ。(相手に負けない、というのでは人生訓じゃないよね)

もっとも将棋とは、相手に悪手を指させるという勝ち方もあるわけで、

 焦らせる

 怒らせる

 威張らせる

 腐らせる

 負けに追い込む

というような逆青熊戦法もあるのだろうとは思う。


さて、2月4日出題作の解答。

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▲4三角 △同竜 ▲2二金 △同金 ▲1一飛 △同玉 ▲1二金まで7手詰。

実際には、最後まで読み切らないと、手が発見しにくいかと思う。4枚の持ち駒で7手詰。すべてが「打」である。持駒を、飛、角、金、金ではなく、飛、角、金、銀にした方がいいかなと思っている。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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こういうのは難しいのか易しいのかよくわからない。解くには長い時間はかからないが、作るのにはかなりの時間が必要だった。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ正誤判断。

神戸牛のステーキ

2012-02-17 00:00:37 | あじ
神戸は比較的好きな街で、何度も時間をかけて訪れている。灘の酒蔵で試し酒も経験したし、六甲山からの神戸の夜景を眺めたこともある。北野の異人館から港や税関、そして南京町に元町。

しかし、一つ落としているものがあった。○●組本部ではない。

神戸牛のステーキである。

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そして、ついにその日がやってきたわけだ。三宮の駅に近いあるステーキハウスで鉄板焼きで特製神戸牛サーロインステーキ200gを注文する。

画像は既に少し食べてしまったあとなので150g程度しかないが、しっかりと牛肉の味が出ている。そして脂身でもやしを炒め、ニンニクをフレーク状にする。望めば、あわびとか車エビを追加することも可能だ。

ただ、この店のちょっとした問題は、「せわしない」ということ。何しろ、注文して数分後に肉が登場し、直ぐに焼いてしまうのだから、基本は、すぐに食事は終わる。「手早く」肉を焼いてくれるのは、「市橋」さんという方。本ブログによくコメントいただく方と同名である。まさか違うだろうけど。

そして、カウンター席に座っていてもしかたないので会計を済まし、夜の街を歩くのだが、なんとなく平清盛もこの神戸を愛したのだろうということに気付いた。

君が代歌詞を議論したら

2012-02-16 00:00:24 | 市民A
1月16日、最高裁で新たな国旗国歌問題に判例が出る。国旗掲揚と国歌不起立の教師に対する処分として、戒告までの処分は認められるが減給は認めないとした。昨年には、起立を校長教師に求めることは合憲と判断を下しているが、従わない場合の処分についての基準を示したことになる。ただし、今回は、教師の「信条」に基づく行為だったので、「個人の信条の自由は保障されるべきもの」という憲法上の基本的人権によるもので、単に「組織上の都合」で行った行為は、たぶん範囲外なのだろう。

しかし、一方で世界を見渡すと。国旗、国家というものを意識しない国はない。しかし、わが国では、普段、硬派の石原知事も彼なりに君が代の一部には疑問を持っているそうで、判決の後に「国旗、国歌は国家のメタフォである」とのコメントを出している。さすがに芥川賞作家である。世界で最もシンプルな国旗と、たぶん世界で最も短い国歌というのは、具体ではなく抽象の世界なのだろうか。

また、国旗、国歌について、その妥当性を永続的に考え続ける国民というのも世界に例を聞かない。一般論、個別論、国旗容認論、さまざまな解釈の羅列が何の検討もされずに戦後ずっと続いている。

さらに、反対のための反対。賛成のための賛成という自主性のない人たちが政治家やジャーナリストの大半であることが問題を複雑かつ曖昧にしている。


反対論の中にはさまざまな意見があるが、特に君が代についていえば、「君が代」と「日の丸」と「天皇陛下」は三位一体化して帝国主義政策を取ることになり、世界戦争の主役の一人になった、という論の人がいる。さらに、「君が代」とは天皇の治世を指す言葉であるのか、「天皇制」そのものを意味するのか、あるいは「実在の天皇」を示すのか、そのあたりもあいまいだ。

個人的には、「日の丸」は、明治維新の前から存在するもので、幕末の英雄たちは、まだ立場の違いを問わず帝国主義の本質を知らなかったのだから、問題はないのではないかと思っている。ただ、前述した反対のための反対派や賛成のための賛成派の人たちは、かならず国旗と国歌をパッケージにして論ずるので、それは違うんじゃないかと思う。

次に、「君が代」だが、これは、作曲と作詞に分けて考えるべきだと思う。明治維新になるまで国歌という概念のなかった日本が、あくまでも邦楽の香りを残したまま洋楽器との折り合いを付けた苦心作というのが私の感想。だから、もともと楽器用の楽曲に詞が乗るので、きわめて歌いにくいわけである。

そして、短い歌詞が付く。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

古今和歌集に、元となる歌がある。

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

その後、冒頭部分が、「わが君」から「君が代」に変わる。読み人知らずである。

そして、古今集の「わが君」ですら、解釈はまちまちである。「現実の天皇」か「天皇制のメタフォ」なのか、中には「別の王朝のミカド」ではないかとする説まである。

たおやめぶりの古今集というのは天変地異の続いた貞観時代を何とかくぐり抜けた日本人がたどりついた意識の象徴である。原典の「わが君」は「天皇」を意味するのではなく、「天皇制」が象徴する国家の永続を願って詠まれたもののような気がする。いくら古代人でも天皇が千年生きるとは思わないだろうし、やはり天皇制が象徴する国家の永続を願った歌のように思える。

実は、政府の公式見解も、結論的には、戦前の天皇崇拝につながった君が代利用については批判する一方、“国家の象徴としての天皇制が長く続くことを祈っているのだから、国家の永続を祈ったことと同じだ”というような意味の解釈になっていて、ややあいまいである。賛成のための賛成派に配慮しているのだろう。

で、最近思っているのだが、天皇が政治の中心に座った時代というのは、日本史の中でもかなり短い期間ということ。それでも世界に例を見ないほど長く王朝が続くというのは、まさにあまり表に出ないから、ということなのかもしれない。むしろ表に出てきた時こそ、結果として王朝断絶の危機に陥っているような気がする。

江戸時代においてもほとんどの日本人は天皇の崩御や次期天皇を知っていたようで、ちょっと?の天皇でも、まあ実在の天皇と天皇制の永続は別物と考えていたようである。ただ、そうなると、「国家の永続のためには、天皇制の継続がマストの選択なのか」という次の難問を引き摺り出してしまうのだが、その時には、たぶん「君が代」に代わる国歌が登場するような気もするし、そうであるなら君が代は、天皇制讃歌であるが国家讃歌とは若干異なるということになる。

そして、いくら書いても結論には到達しないのだが、それはそれでいいのではないだろうか。

現段階で、天皇が日本国の象徴であると定めた部分についてまで、憲法を改正しようという声は、あまり聞こえないからなのだが、一方、かなり以前から、個人的な飲み会の席なんかで、天皇制についてのちょっとした聴き取り調査を行っているのだが、案外、廃止論も多いことに気付いている。君が代についても肯定派が99%というようなことでもなく、70%台ということからして、やはり、君が代議論はオープンに行った方がいいのではないかと思うのである。

オランダの名前を残したもの

2012-02-15 00:00:08 | あじ
近くの格安スーパーでイチゴを買うと、だいたい形が不揃いである。不揃いだから格安なのだろう。もっとも、形の良いいちごじゃないとショートケーキには向かないのだろうが、たいていの場合、形が不揃いでも関係ない。甘くて不揃いのものと、すっぱくて形のいいものを比較すれば、誰でも甘いイチゴの方がいいのだろう。

ichigo


そして、イチゴのことをちょっと調べると、現在、食用に栽培されるイチゴは、バラ科の「オランダイチゴ属」だそうだ。バラ科というのも意外な感じで、オランダイチゴというネーミングも妙だ。調べると17世紀に北米産のイチゴとチリ産のイチゴを掛け合わせたそうだ。ちょうどチューリップバブルが破たんした後で。

で、中にチューリップ型のイチゴがあった。