ハッピーフライト(2008年 映画)

2018-01-31 00:00:24 | 映画・演劇・Video
ある意味、前半は綾瀬はるかのための映画かもしれないと思う。ホノルル行きの国際線に初めて乗るCAを演じるのだが、コックピットの中には機長昇格試験をかねた副操縦士(田辺誠一)。そして離陸間近になって、ドタバタが始まる。整備不良の見切り離陸、トラブル客発生、バードストライク。

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そしてやっとの思いで離陸すると、機内では客とのいざこざが始まる。さらに機器故障が発生し、羽田に戻ることに決定。ところが東日本には台風がやってきて、暴風雨に雷、そして燃料も足りなくなってくる。

要するに、この映画の中には、喜劇と悲劇が混ぜ合わせになっている。

さらに、正機長が機内で負傷してしまい操縦桿は昇格試験中の副操縦士が握ることになるのだが、ほぼ同じ事態のシミュレーション訓練で、彼は機体を海に沈めている。

綾瀬はるかだって時には悲劇の主人公を演じることもあるのだから、このまま東京湾に着水して一人だけ助かるシナリオかもしれないわけだ。

そして、滑走距離がとれない状況の中、B747は羽田空港に急角度で突っ込んでいくわけだ。

思うに、離陸前にCAからまたはVIDEOで行われるライフジャケットの実演の際、本映画を見せて、飛行機はいかに危ないものであるか、また、危なくてもなんとかすることができるのだが、そうはいっても一か八かやるしかないということもあるということがよくわかるのではないだろうか。

大損害!!

子育て地蔵

2018-01-30 00:00:48 | おさんぽ
自宅から散歩圏にある早淵川の堰のそばにお地蔵様を発見。通常、地蔵尊といえば路傍にたたずむことが多いが、木造の建物に入っている。入り口には木製の柵があるのは、「地蔵泥棒」がいるからだろうか。返してくれない国もあるし。

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通称、「堰の地蔵さま」と呼ばれていて、子育て地蔵と呼ばれていたようだ。七五三とかお宮参りの後、合わせて参詣したそうだ。神道の後に仏教。日本古来の宗教スタイルだ。このあたりに住んでいたのは百姓だけだったのだが、明日を信じて自分の子孫の繁栄を祈っていたのだろう。今より健全な思想と思う。

お地蔵様の身長は2m47cm。1723年生まれで、もうすぐ300歳。同年、世界最初の経済学者アダム・スミスが生まれる。時代は吉宗の享保の改革中で、情死禁止令が出て歌舞伎では人情物が禁止になる。

ツーリスト(映画 2010年)

2018-01-29 00:00:57 | 映画・演劇・Video
アンジェリーナ・ジョリー(アンジー)とジョニー・デップ(ジョニデ)が共演する映画。(ミステリー+アクション+喜劇)÷3というタイプだろうか。

デップは米国人の自称数学教師で旅行中に男を演じるが、実はマフィアの金をくすねて逃走中だった。組織の会計課長みたいな仕事をしていた。一方、盗んだ金を収入とすれば所得税が未納になっていてスコットランドヤードがインターポールを通して指名手配していた。

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逃走中に2000万ドルをかけて整形し、元の会計課長の顔を変え、デップの顔面に改造していた。

一方、アンジーは刑事として会計課長の捜査中に恋に落ち、そのまま失踪するも、デップが行方をくらましどんな顔かも知らない。

ところが偶然と必然の結果、二人は再会するのだが、マフィア&警察が徐々に近づいてきて、特にデップはパジャマのままベネチアの街を逃げ回ることになったりする。そのあたりで、この映画はアメリカ人がイタリア人をはじめ欧州各国の文化程度を馬鹿にする映画であることが感じられるのだが、本作のキモである「本当は数学教師=マフィアの元会計課長だった」という事実に観客が気が付かないように進んでいく。

実際には映画の閉幕5分前に謎解きが行われるのだが、逆に相当早い時期のその可能性が高いと睨んでいた。だいたい二大スターの共演なのに、その一人が単なる通りがかりの数学教師というのでは変ではないか、ということなのだが、前半部の作りが少し甘く、矛盾のほころびが見えなくもない。

ところで、これを書くために調べているとYahoo!知恵袋に、本当の会計課長は誰なのかという質問が並んでいる。最後まで見ても謎が解けなかった、というのは少し寂しいだろう。


なお、本作は米国では2010年に公開されたが、日本では2011年ということになる。公開日はポスターによると2011年3月11日となっている。東日本大震災の日だ。暗い映画館にいると、まったく映画どころではなかっただろう。個人的には、1年程度、映画館が怖いという潜在的恐怖感を持っていた。

京都文化博物館 新旧

2018-01-28 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
六角堂に近い場所に京都文化博物館がある。確か日銀の京都支店の建物を利用していたはず。案内図に従って進むと、近代的な建物があり、そこが京都文化博物館だった。

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そして、常設展では、いささか簡単に京都の歴史を文化面で並べてあるのだが、あれだけ長い歴史があるのに、何か抜けているのではないかと思うほど、単純というか。

考えてみると、京都というのは平安時代の文化をそのまま江戸時代まで引き継いで、さらに現代にいたるまでそう変わっていない町なのだろう。底流に流れるのは、「古代都市」(古代というのは古墳時代以前だから、古典的都市というべきかな)。

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当日の特別展は、「保存と修理の文化史」について。イタリアやフランスも芸術国家なので補修技術は進んでいるが、日本の場合、紙と木が対象なのでまったく独特だ。障子や襖を張り替えるのとは異なって、破れたり日に焼けたりした障子や襖を継ぎ合わせるようなものだし。

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そして、外に出て建物の角を曲がると、レンガ造りの旧館があった。こちらの方に入りたかったのだ。入場無料なのだが次の大型展の準備中。しかし未完成作品が並んでいるところを見るという、めったにみられない光景を楽しむ。

そして、建物の元の使用目的だった日銀京都支店のおもかげというと、入り口の先にカウンターがあること。普通の銀行と同じだ。もちろん個人向けの普通預金の預け入れとかしてくれないはずだが、なんだかおかしい。銀行強盗対策だろうか。

京都将棋名物といえば

2018-01-27 00:00:50 | しょうぎ
京都で将棋の名所といえば、対局場として南禅寺、天龍寺がある。いずれも阪田三𠮷に由来する名勝負の舞台だ。その二寺には行っているのだが、もう一つ挙げれば、初代名人大橋宗桂と史上最強棋士といわれてきた天野宗歩が眠る伏見の霊光寺だろうか。駒形墓地であるようだ。(注:宗歩の墓は東京の本妙寺という振袖火事の出火元にもある)

しかし、霊光寺は、ある情報では、事前に許可した人にしか門を開いていただけないようなのである。では、電話一本でいいのだろうか。

おそらく「なにがしか」が必要なのだろう。(注:なにがしとは「おぬしなにがしじゃ」という意味の単語ではなく「ハウマッチ」という意味。)

勝手に思い込んでいるだけかもしれないが。・・・


さて、1月13日出題作の解答。

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ちまちまと切れないように駒を入れ替える。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。京都シリーズといえば、・・

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わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見いただければ、正誤判定。

京都では、らぁ麺が

2018-01-26 00:00:19 | あじ
京都は学生の街なので、餃子やラーメンの名店が多く、といって「京都ラーメン」というカテゴリーを作れないほど多様だ。多様が京都ラーメンの特色なのかもしれない。

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ということで、今回は今出川にある「らぁ麺 こんじき」に。今出川駅からもっとも近いラーメン店だ。

大きくわけて「鶏白湯スープのラーメン」と「台湾まぜそば」が二大メニューであるのだが、たまたまかもしれないが、まぜそばを食べている人はいなかったし、そもそもラーメンを食べに行ったのだから、安易に妥協してはいけないなと、たいして意味のない決意を思い出し、白湯スープの普通のラーメンに卵一個を追加する。

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卵は、あらかじめ半分に切られている店が多いのだが、ここは丸ごと一個だ。少し食べにくい。スープはかなり濃厚であり、京都人の特徴そのものだ。みかけは淡白だが根が深い。

特筆すべきはその麺だが、角がある。簡単に言うと、蕎麦のような感じだ。普通に叩いて作るとどうしても麺は丸くなるはずなので、どうやっているのだろう。包丁で切るのは難しいような気がする。同じ質量でも断面が正方形の方が表面積が増えるので、麺にスープが絡みやすいのだろう。

次に来るときは、台湾まぜそばも食べようと思い店を後にするが、歩いていると別のラーメン店が登場。次は、ここにしようと安易に決意を曲げてしまう。

六角堂(池坊)、謎多し

2018-01-25 00:00:23 | たび
烏丸御池と四条烏丸の中間に六角堂がある。本堂が六角形であるために、そう呼ばれているが、華道では唯一無二の超越的な家元の池坊の中心地である。ちかくには池坊会館や、池坊短大もある。

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池坊の起源は聖徳太子が六角堂を興し、その池のほとりの花を愛したことによるとなっているが、聖徳太子は平安時代の人物ではなくもっと昔の人なのだ。通常は斑鳩(奈良県)に住んでいた。蘇我×物部の戦いの結果、自分が支持していた蘇我の時代になったため、記念碑的意味で大阪に四天王寺を建立したのだが、その建設用の木材を探しに京都にきて烏丸の地に良材を発見し、そこに建てた寺が六角堂(紫雲山頂法寺)だった。

杉の木をバサバサと切り倒そうという時に、野に咲く花を切り取って池のほとりに花を捧げたのが生け花の起源というのも、ちょっと状況がイメージできない。作業員の人身事故の供養のためではなかったかとも脳裏を横切るが、不吉なことは一瞬で忘れることにする。

しかし、良材が多いということは平安宮への遷都の有力な条件になったのかもしれない。

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ところで、わからないといえば花を生けるというのは人類の共通の美意識によるものだろうが、そこに精神的な価値を見出して「華道」を定義するのが重要なのだが、よくわからない。花を生ける精神なのか、あるいは技術や知識なのか、単に自然主義なのか。

まあ、考えることもなく六角堂を訪れたわけではないのだが、特に伝統とか精神とかを感じることもなかった。

とにかく、花についての素養もないし、鑑賞してもそれほど感動度は高くないし、華道の神髄に近づけそうな予感もない。


ところで、池坊の名前をさらに有名にしたのが大相撲の不祥事連発。評議委員会議長の池坊保子氏について、過去のご乱行が報道されている。

しかし、彼女は池坊家の妻であり母ではあるが、池坊代表を継ぐことはない。血縁上当然だが彼女の娘(池坊専好)が池坊専永の後継者になることになっている。

つまり、伝統を継ぐのは、彼女ではないということと、そのための教育や礼節も保子氏には無関係ということになる。

混雑する御金神社

2018-01-24 00:00:03 | たび
「おカネ神社」とは、人間の金銭欲をそのまま文字で表現した神社である。二条城からほど近いところにあり、敷地は相当狭い。また住宅の中に潜んでいるというタイプの神社であり、数十メートルに近づいても発見できず、スマホの位置情報に頼ったのだが、実は人だかりができるほど若い男女観光客が多かった。

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鳥居の前で写真を写す人が多いのだが、自分が写し終わったら、鳥居の下をくぐるのだから出てくるときには自分が被写体になってしまう。

しかし、晴明神社の絵馬は羽生弓弦関係ばかりだったが、御金神社の絵馬は「お金儲け」の話ばかりだ。大金を望む人もいれば、僅かな上がりを大切にする人もいる。

参拝者の多くが20代男女のように見えた。世代間の貧富格差が偏っているということだろう。パワースポットの一つになっているようだ。

よく考えると、「御金神社」というのが、お金持ちになる御利益がある「喜び系の神社なのか」、逆に、お金を失う危険を体験できる「絶叫型神社なのか」、どこにも説明は書かれていなかった。

二条城、すべて德川家のためだったが

2018-01-23 00:00:14 | The 城
以前、かなりの文化人の方と話していた時に、お城の話になり、いわゆる残存天守閣12城の話になり、東の方から(弘前、松本、犬山、高岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、高知、松山、宇和島)なのだが、その方が「おかしい!二条城を忘れている」と強く言い張ったことがあった。まあ、有名な方に抵抗すると、後で食事代の支払いの時に得をしないので、お茶を濁した結果、割り勘になったのだが、単に「御城=天守閣」との誤解があるわけだ。

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ある意味、日本の城の中でもっとも立派なものは二条城であるのも事実であるが、18世紀に天守閣は火災で焼失し、再建はされなかった。江戸城の天守閣だって17世紀の中頃に焼失した後に再建されなかったのだから、当然と言えば当然。大坂の陣ではすでに大砲もどきまで出現しているのだから、城を枕に戦っても勝ち目がないことはわかっていた。

とはいえ、前に二条城に行ってからかなり長い時間が経過していて、昨年におバカ大臣が学芸員をののしったのも二条城だったし、以前のイメージと比較して自分の脳の老化程度を確認しようという無駄な抵抗もあった。

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しかし、残念ながら、以前のイメージと同じであったのだが、年を重ね、お城鑑賞に関する無駄な知識を山のように詰め込んでいるため、それなりに細部は面白い。

その前に由来だが、德川家による德川家のための城なのだ。完成したのは1603年。家康が征夷大将軍になり江戸幕府が始まった年である。もちろん天下普請といって、全国の大名から寄付金を調達。ふるさと納税と異なるのは返礼品がないこと。

そして、慶応3年(新暦では1868年)12月9日、この城でもっとも大きな二ノ丸御殿の大広間で德川慶喜は全国40藩に対し、「大政奉還したいが、どうか」と諮る。独断ではなく、各藩に意見を聞くとは、将軍とは思えない弱気である。異論はあったのだが、他に名案なく征夷大将軍の退職願を出したわけだ。(ところがすぐに受理してもらえなかった)

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城内の本丸エリアは築城初期の面影が残り、門にしても戦闘用である。天守閣の跡は石垣が整備されているが、手入れが良すぎる。本丸御殿は現在整備中であるが、これは江戸時代の物ではなく、御所内にあった桂宮邸を明治期に移転。二の丸御殿とのバランスは良くないと言ってもいいだろうか。

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ところで、二条城は深く15代にわたり德川宗家と関係していたのだが、その後の宗家はどうなっているのかといると、現在は18代の德川恒孝氏(1940年生)。息子さんは家広氏(1965年生)で第19代と決まっている。しかし、ベトナム人の奥様との間にお子様がいないと言われているため、20代についてはまったく決まっていないそうである。まだ52歳なのだから。あれこれ頑張ればいいと思うのだが。

一条戻橋から晴明神社、そして利休

2018-01-22 00:00:53 | たび
ちょっと、京都に行ってきた。冬の京都を堪能するなら迷わず鞍馬へ行くべきだが、軟弱なのでその手前の今出川から南に歩き始める。大目標と小目標があるのだが、昨年小目標だった晴明神社(安倍晴明を祀っている)と一条戻橋が今年は大目標になる。

昨年の京都のあと、気になっていたのが晴明神社に千利休の屋敷跡と井戸があることだった。たまたま堺に行った時に利休の生地に行ったのだが、堺の観光ガイドの人に切腹した場所のことを聞いたものの、何も知らなかった。もう一つ、年末に「安倍晴明」という映画(DVD)を観たのだが、創作とは言え、旧事に因ることもあった。

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晴明は陰陽師であり、晴明の居宅(一条堀川)に行くには、一条戻橋を渡ることになっていた。晴明は橋を牛車が渡ると、自宅に客人が到達する前に訪問客が来ることを予感していたとされるのだが、今回確認したところ、晴明神社から戻橋は相当近く、ビルが立ち並んでいないなら自宅から橋が良く見えたはずだ。100m~200mしかない。予感などではないわけだ。

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そして、今回まず驚いたのは、多くの若い女性が晴明神社を訪れている。しかも絵馬を見ると、9割以上が「羽生弓弦選手の負傷快癒の祈願」なのだ。つまり羽生選手が「SEIMEI」というプログラムを演じて以降、晴明神社が羽生ファンの聖地になっているからだそうだ。

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私も、勝守(かちまもり)を有償でいただくことにする。


そして、利休の話。晴明神社の入口の鳥居の前に石碑があり、利休の聚楽屋敷跡となっている。これはどういうことなのだろう。時間的には、平安中期に亡くなった安倍晴明はその少し後に居宅跡に神社ができたことになっている。利休はその500年後の人間。しかもその500年後の現代には相変わらず晴明神社がある。重複感がある。

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こうなると、相矛盾した話を資料を読んでから考えないといけないのだが、さらに隠蔽されているのが千利休。聚楽屋敷で切腹をして、首は一条戻橋にさらされた。現地ではどこにもそういう記述は見当たらない。ますますわからなくなる。で、聚楽屋敷というのは聚楽第という秀吉が京都に作った城のことを指すのだが、秀次が失脚してから、有力武将が城の中にいたのを排除し、城を徹底的に破壊したそうだ。ということで、その大きさなどははっきりしないことが多い。

そして、この神社のわずかに西南の場所が聚楽第の北端だったとされているのだが、総合的に考えれば、聚楽第の城内に利休は館を持っていて井戸も汲んでいて、その聚楽第は秀吉が無理やり土地の強制収用をして、その中に晴明神社の敷地が含まれていたということなのだろ。つまり、利休や秀次の切腹や朝鮮派兵の失敗、さらには豊臣家の滅亡は、すべて安倍晴明の怨霊ということが言えるわけだ。

渋谷区郷土博物館・文学館

2018-01-21 00:00:27 | 美術館・博物館・工芸品
あまり目立たないところにある渋谷区郷土博物館・文学館に行った。渋谷駅や大山街道(青山通り)の特別展だが、青山街道といえば、「市電」ということでかなりそこに重点があった。

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以前、ハチ公を調べたときに、ご主人は渋谷に住んでいて、本郷の東京大学に通っていたのだが、どういう経路なのかというと、概ね今の赤坂見附駅のあたりで、乗り換えたのではないかと推測したのだが、そうなると3本乗ることになり結構大変だ。急に亡くなったのは通勤疲労だったのだろうか。あるいは、現在なら赤坂見附で銀座線から丸の内線に乗り換えるのだから、同じような路線があったのだろうか。本郷には土地勘がないのでよくわからない。

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文学館の方は、「渋谷に関連があったり住んでいた文学者」を列挙したら、キリがないのだから、もっと絞り込んで、「渋谷を舞台にした作品」という切り口の方がいいのではないだろうか(あまり思いつかないが)。渋谷文学賞でも創出したらどうだろうと思うが、よく考えるとドゥマゴ文学賞というのが既にある。そもそも大都会なのだから公的機関の出番はないのかもしれない。

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そして、古代の渋谷。縄文土器が出るというのは素晴らしい文化水準である。縄文土器の破片が展示されていて、手に持って触ることができるが持ち出しは禁止(と思う)。意外に硬く、頑丈な感じだ。思えば、出土品の本物を触ったのは初めてである。それだけで入館料の元が取れると思う。

ついに和服の購入かな

2018-01-20 00:00:17 | しょうぎ
朝日オープン準々決勝で、藤井四段は佐藤天彦名人を破り準決勝に進み、2月17日の羽生竜王との対戦が決まった。勝てば同日(午後)に決勝(相手は未定)が行われ、初の棋戦優勝となる。

と、なると・・・

和服が必要ではないだろうか。

幸い、1日二局なので、準決勝と決勝と着替えず、羽織袴付きの一セットでいいだろう。これが7番勝負だと、3セットは用意したいが、一セットでいいというのは、何とついているのだろう。

そうすると、和服選びというよりも呉服屋選びということになるのだろう。逆に呉服屋からすれば、将棋のトップ棋士ほどいい顧客はいない。だいたい特定の棋士ばかりがタイトル戦に出るのだからそういう棋士を何人か掴めば大儲けできる。

つまり東海地区の雄である松坂屋が、最初の一セットを着付師同行サービス付きで無償プレゼントすればいい。帯をつかんだら離さないというのが呉服店の必勝定跡だろう。

ついでに師匠にも浴衣一着かな。


さて、1月6日出題作の解答。

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通常と逆方向へ向かう。

動く将棋盤は、こちら

今週の問題は、実戦から取材。

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もちろん藤井君のではなく、私の実戦から。どうも実戦形は駒が増えてしまう。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

ハタハタ対ニギス(ジオパーク浦富海岸エリア)

2018-01-19 00:00:33 | あじ
岩美というのは銀山のあるところと勘違いしていた。銀山は石見で世界遺産になっている。岩美は鳥取県の東側で三陸海岸ジオパーク浦富海岸エリアのことのようだ。

寄付金のお返しに、数種類の魚介の干物の詰め合わせが届いていた。

よく考えると、1年半前に鳥取に遊び行った時に足を伸ばした場所だった。「シーサイドうらどめ」というところで海鮮丼をいただいたことを思い出す。さらに、隣の駐車場の車の陰で女性ダイバーが着替えしているところが偶然に目に入ってしまったことを思い出した。

さらに、当日は鳥取県に入る道路で鳥取県警に車を止められ、入県料数万円を支払わなければならなかった。

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さて、干物の話だが、もともとは詰め合わせの目玉は、「のどぐろ」だったのに、「のどぐろが不漁なので、代わりにニギスとさせていただきます」とのことだった。

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ニギスというの初めて聞いた魚名なので、調べると「キス」に似た魚ということがわかる。つまり「キス」ではない。さらにハタハタにも食べられるハタハタと食べられないハタハタがあることがわかる。難しいものだ。

その他、イカ一枚とカレイ6枚もセットだったのだが、実は別人からもっと大量の干物を頂いたため、冷凍庫は干物だらけで、漁師の家みたいに魚ばかり食べている。

ハタハタはかなり大きい。こんな大きなハタハタをみたことがない。もしかしたら普通食べない方のハタハタだったのか、大きいだけあって大変おいしい。次に「ニギス」だが、どうも日本海側ではよく獲れてしまう魚らしく、美味くて珍味だが安いという種類らしい。実際、その通りで薄味でうまい魚なのだが、背骨と頭骨が硬くて丸かじりは無理だ。

まあ、骨が硬くてもゆっくり食べればいいだけだろう。『鳥取県、食事と運転はゆっくりと』ということだろう。

落葉小僧(南木佳士著 小説集)

2018-01-18 00:00:03 | 書評
南木佳士氏は医者であり小説家である(直木賞)。ほとんどの作品で生と死がテーマになり、信州と釣りがキーワードとして登場する。医者になって人を助けるという大テーマのため地方で医者になるというパターンや、親の後を継いで、あまり志が高くない医者の場合もある。一方で患者の立場になるときもある。

なにしろ、著者は拘り過ぎる点もあり、鬱病になったりしたこともある。こういう思い詰めて逃げ道のないような小説を書くというような人がなりやすいのだろうと同情するしかない。

本作は短編集で6作からなる。「落葉小僧」「フナを釣る」「ニジマスを釣る」「ハヤを釣る」「ヤマメを釣る」「金印」。

並び順からいっても一作目、二作目が作者や編集者のこだわりの作なのだろうが、個人的には4作目の「ハヤを釣る」が良かった。釣りの場面は極小的でプロットと関係は薄い。戦争中で死に損ね、戦後、結核で片肺除去を受け、それでも生きながらえ、戦争未亡人と一家をなし、3人のこどもを育て、公務員として定年まで働く。そして自宅で昏睡状況になりながら、ふたたび生き返り、長いリハビリが終わって自宅に戻り、さてと立ち上がり釣り竿を握るのだが、実際に小説としては何を握っても成り立つのだろう。ゴルフクラブでも包丁でも馬券だっていいだろうか。

そして六作目の「金印」だが、福岡の志賀島で江戸時代に発見された「漢委奴国王印」のことである。三人のわけあり医師(男女)が福岡市での学会を抜け出して、金印を見るために福岡の市立博物館に行くのだが、あいにく東京のデパートで開催中の特別展に出品されていて実物がなかった。急遽、学会参加を終わりにして羽田行きのフライトに。そしてそこまでしてデパートで見た本物の金印をみて、三人とも「思ったほどの物ではなくガッカリ」ということで小説をまとめていく。

ところが、私自身、福岡で本物を見たことがあるのだが、足が震えるほど感動したわけだ。つまり小さくても光り輝く中に「日本が国として古代に実在していた」証拠品なのである。この実物がなければ中国の書物に名前があるといっても、その倭國が日本であるという証明になるわけではないわけだ。金印の現物があるからこそ倭国は日本であるといえるわけだ。

ペガサス航空斜面停止

2018-01-17 00:00:42 | 市民A
ペガサス航空アンカラ発のB737-800型機がトラブゾン空港で着陸に失敗。滑走路をはずれ、黒海に突っ込みそうな状況で、数日前に偶然、土砂を投棄していた場所で機体損傷および海中落下を免れた。

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パイロットの証言では滑走路の2/3まで来ていて、通常完全に減速(時速50キロ程度)しているところ時速200キロ以上だったということだ。これが事実なら、再び離陸してやり直すか、運を天を任せて思い切り逆噴射で行くか、あるいは回して止めるかということで、いずれ結論は出るだろうが、これしかチャンスがなかったということになるかもしれない。

海の反対側はやや距離はあるが住宅街であるし、海も浅瀬のようなので、大破しても生存率が高いとみたのかもしれない。もちろん、うかうかして単に滑走路の先の方に降りてしまったのかもしれない。(たぶん違うと思うが、燃料をセーブするために、なるべく滑走路の先に降りて、その惰性で、燃料を使わないでターミナルまで行こうという会社もあるらしい)

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画像を見てすぐに気が付いたのが右側のエンジンがないこと。エプロンで落としてしまったのが原因なのかと思ったのだが、この機体の先の海に落ちているそうだ。案外、エンジンがはずれたことで、機体の落下エネルギーが分散して残ったのかもしれない。

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また、偽トランプと思われるツィートを見つける。本物風に(Pedasus)とか間違えている。また、God & any other Divine Force のおかげで致命的事故を免れたと、キリスト教徒だけでなくその他宗教の信者の票を気にしているように装っている。

なんとなく、偽ツィートで、Now the War BIGINS! とかでミサイル撃ち合い開始は嫌だな。

後の話だが、機体を片付けるのが大変そうに思える。修理して使うなんて言わないでほしい。