JR東日本の名物駅の一つが鶴見線の「浜芝浦」駅。海に最も近い駅と言われて、ある意味絶景を誇るのだが、この鶴見線には、もう一つ有名な駅があることが鶴見に行ってわかった。それも鶴見駅からすぐそばの二番目の駅。
国道駅。
「レトロな駅ということで有名」とあっさり書かれている。駅名も、「国道」とは。国道は日本国には数百あるのに、ナンバーなし国道だ。
まず、駅のプラットフォームだが、レトロで古びているが、この程度の駅はよくある。ただ、横浜の中でもかなりの密集地の鶴見にしては古すぎる感じだ。
ところが、かなり高所なので、地上に降りるわけだが、エスカレーターもエレベーターもない。しかし、いかにも戦前の感じが漂ってくる。ちょっと息をのむ感じだ。満州鉄道といった感じの駅舎だ。明治時代の駅は木造が多かったが、どうしてこんな構造になっているのだろうと不思議になる。
さらに、地上に降りると、もっと驚くのは駅の下が空間になっていて通り抜けできるようになっているのだが、その両側に飲み屋とか商店が入っている。あいにく飲み屋はコロナ休業中だ。少し歩いてみると、個人の住居にもなっている。表札が出ていて、どうも現状、市民が住んでいる感じだ。
そして、トンネル状の通路の一方の端には『国道駅』という駅表示があるが券売機はなし。Suicaのみが使えるようだ。そしてこのトンネル状の入口の右側は金網で保護されているがいくつか穴ぼこが開いている。後で調べると、昭和20年に鶴見が空襲を受けた時に機関銃で掃射された時の銃痕だそうだ。大げさに言えば「小さな原爆ドーム」と言える。
あまりに不思議なことばかりなので、後日調べてみると駅が完成したのが1930年。鶴見臨海鉄道という会社だった。その後、1943年、戦争中に国鉄に合併となっている。その後、1971年には早々と券売機だけの無人駅になり、2002年にsuica対応となり、本年(2022年)2月末に券売機も撤去された。つまり私がこの駅に降りる直前のことだ。たぶん記念行事はなかっただろう。
そして「国道」の駅名のことだが、鶴見線は鶴見駅から横浜方面に向かって左前に向かって斜めに走っているのだが、鶴見駅のすぐそばには横浜に向かう国道がある。つまり鶴見線は国道の上を高架で交差するわけで、その交点にあるのが、この駅だった。ではなぜ国道○号というように数字がないのかというと、その国道は鉄道ができた時には1号線だった。正確には「國道1號」。いわゆる江戸時代からの東海道とほぼ同じである。箱根駅伝では鶴見中継所の先になる。来年のテレビ観戦では一日目では鶴見中継所の3キロほど先の左側の場所を注目しよう。1号なので、書かなかったのだろう。
現在は国道15号に格下げになったが、第一京浜と呼ばれている。横浜の人には当たり前だが、現在の国道1号は第二京浜と呼ばれて、1936年から建設が始まり1952年に完成している。道路の幅が広く、直線コースが多いことから設計時には軍用機の離着率を想定していたのではないかとの説がある。ドイツのアウトバーンはそう言われている。しかし、日本の戦争は中国大陸や南洋で行われることを想定していたはずで、東京上空で空中戦が行われることを考えていたとしたら、まったくおかしな話だ。この件は、まったく研究が行われていないようだ。
国道駅。
「レトロな駅ということで有名」とあっさり書かれている。駅名も、「国道」とは。国道は日本国には数百あるのに、ナンバーなし国道だ。
まず、駅のプラットフォームだが、レトロで古びているが、この程度の駅はよくある。ただ、横浜の中でもかなりの密集地の鶴見にしては古すぎる感じだ。
ところが、かなり高所なので、地上に降りるわけだが、エスカレーターもエレベーターもない。しかし、いかにも戦前の感じが漂ってくる。ちょっと息をのむ感じだ。満州鉄道といった感じの駅舎だ。明治時代の駅は木造が多かったが、どうしてこんな構造になっているのだろうと不思議になる。
さらに、地上に降りると、もっと驚くのは駅の下が空間になっていて通り抜けできるようになっているのだが、その両側に飲み屋とか商店が入っている。あいにく飲み屋はコロナ休業中だ。少し歩いてみると、個人の住居にもなっている。表札が出ていて、どうも現状、市民が住んでいる感じだ。
そして、トンネル状の通路の一方の端には『国道駅』という駅表示があるが券売機はなし。Suicaのみが使えるようだ。そしてこのトンネル状の入口の右側は金網で保護されているがいくつか穴ぼこが開いている。後で調べると、昭和20年に鶴見が空襲を受けた時に機関銃で掃射された時の銃痕だそうだ。大げさに言えば「小さな原爆ドーム」と言える。
あまりに不思議なことばかりなので、後日調べてみると駅が完成したのが1930年。鶴見臨海鉄道という会社だった。その後、1943年、戦争中に国鉄に合併となっている。その後、1971年には早々と券売機だけの無人駅になり、2002年にsuica対応となり、本年(2022年)2月末に券売機も撤去された。つまり私がこの駅に降りる直前のことだ。たぶん記念行事はなかっただろう。
そして「国道」の駅名のことだが、鶴見線は鶴見駅から横浜方面に向かって左前に向かって斜めに走っているのだが、鶴見駅のすぐそばには横浜に向かう国道がある。つまり鶴見線は国道の上を高架で交差するわけで、その交点にあるのが、この駅だった。ではなぜ国道○号というように数字がないのかというと、その国道は鉄道ができた時には1号線だった。正確には「國道1號」。いわゆる江戸時代からの東海道とほぼ同じである。箱根駅伝では鶴見中継所の先になる。来年のテレビ観戦では一日目では鶴見中継所の3キロほど先の左側の場所を注目しよう。1号なので、書かなかったのだろう。
現在は国道15号に格下げになったが、第一京浜と呼ばれている。横浜の人には当たり前だが、現在の国道1号は第二京浜と呼ばれて、1936年から建設が始まり1952年に完成している。道路の幅が広く、直線コースが多いことから設計時には軍用機の離着率を想定していたのではないかとの説がある。ドイツのアウトバーンはそう言われている。しかし、日本の戦争は中国大陸や南洋で行われることを想定していたはずで、東京上空で空中戦が行われることを考えていたとしたら、まったくおかしな話だ。この件は、まったく研究が行われていないようだ。