JRなのに駅が国道?

2022-03-31 00:00:20 | 市民A
JR東日本の名物駅の一つが鶴見線の「浜芝浦」駅。海に最も近い駅と言われて、ある意味絶景を誇るのだが、この鶴見線には、もう一つ有名な駅があることが鶴見に行ってわかった。それも鶴見駅からすぐそばの二番目の駅。

国道駅。

「レトロな駅ということで有名」とあっさり書かれている。駅名も、「国道」とは。国道は日本国には数百あるのに、ナンバーなし国道だ。



まず、駅のプラットフォームだが、レトロで古びているが、この程度の駅はよくある。ただ、横浜の中でもかなりの密集地の鶴見にしては古すぎる感じだ。



ところが、かなり高所なので、地上に降りるわけだが、エスカレーターもエレベーターもない。しかし、いかにも戦前の感じが漂ってくる。ちょっと息をのむ感じだ。満州鉄道といった感じの駅舎だ。明治時代の駅は木造が多かったが、どうしてこんな構造になっているのだろうと不思議になる。



さらに、地上に降りると、もっと驚くのは駅の下が空間になっていて通り抜けできるようになっているのだが、その両側に飲み屋とか商店が入っている。あいにく飲み屋はコロナ休業中だ。少し歩いてみると、個人の住居にもなっている。表札が出ていて、どうも現状、市民が住んでいる感じだ。



そして、トンネル状の通路の一方の端には『国道駅』という駅表示があるが券売機はなし。Suicaのみが使えるようだ。そしてこのトンネル状の入口の右側は金網で保護されているがいくつか穴ぼこが開いている。後で調べると、昭和20年に鶴見が空襲を受けた時に機関銃で掃射された時の銃痕だそうだ。大げさに言えば「小さな原爆ドーム」と言える。


あまりに不思議なことばかりなので、後日調べてみると駅が完成したのが1930年。鶴見臨海鉄道という会社だった。その後、1943年、戦争中に国鉄に合併となっている。その後、1971年には早々と券売機だけの無人駅になり、2002年にsuica対応となり、本年(2022年)2月末に券売機も撤去された。つまり私がこの駅に降りる直前のことだ。たぶん記念行事はなかっただろう。

そして「国道」の駅名のことだが、鶴見線は鶴見駅から横浜方面に向かって左前に向かって斜めに走っているのだが、鶴見駅のすぐそばには横浜に向かう国道がある。つまり鶴見線は国道の上を高架で交差するわけで、その交点にあるのが、この駅だった。ではなぜ国道○号というように数字がないのかというと、その国道は鉄道ができた時には1号線だった。正確には「國道1號」。いわゆる江戸時代からの東海道とほぼ同じである。箱根駅伝では鶴見中継所の先になる。来年のテレビ観戦では一日目では鶴見中継所の3キロほど先の左側の場所を注目しよう。1号なので、書かなかったのだろう。

現在は国道15号に格下げになったが、第一京浜と呼ばれている。横浜の人には当たり前だが、現在の国道1号は第二京浜と呼ばれて、1936年から建設が始まり1952年に完成している。道路の幅が広く、直線コースが多いことから設計時には軍用機の離着率を想定していたのではないかとの説がある。ドイツのアウトバーンはそう言われている。しかし、日本の戦争は中国大陸や南洋で行われることを想定していたはずで、東京上空で空中戦が行われることを考えていたとしたら、まったくおかしな話だ。この件は、まったく研究が行われていないようだ。

最後の砦はダーチャか

2022-03-30 00:00:38 | 市民A
大統領の1400億円の別荘が明るみに出ても、その点についてのロシア国民からの非難が聞こえてこないのは「別荘」の持つ価値観からだろうか。

実は、特にモスクワ中心にダーチャと呼ばれる別荘保有率が非常に高い。かの国の統計の一般的傾向として数字の幅が大きいということもあり、さまざまな%が存在するのだが、モスクワ市民の別荘保有率は低くて40%、高い数字の場合90%と言われる。

なぜ、そんなことになったかというと、ソ連フルフチョフ首相時代に都市郊外の土地を国民にバラまいたことによる。土地の所有が国家に所属するからこそ可能だった。

では、その土地をどう使うかについては豊かなものと貧しいものの差は建物の差になって、要するに夏だけではなく冬も住める家を建てるのは金持ちということ。しかし貧しくても農園小屋みたいなのは建てていて、週末をダーチャで過ごすというのは、ごく一般的なライフスタイルだそうだ。(統計の数字のばらつきは、小屋のようなものを数えるかどうかだろうか)

そしてロシア国民はそこで何をやるかというと、基本的には農業で、ロシア人の食べるジャガイモの半分以上は自分で作るものだともいわれる。さらに動物やガチョウなどの家畜を多くの国民が飼っている。つまり19世紀的生活が好きなわけだ。米国大統領が「ロシア国民を19世紀の生活に追い込んだ」と非難しても、もともと19世紀が好きな国民が多いわけだ。

そして、鎖国生活に追い込まれ物価が爆発しても、じゃがいもだけは食べることができるわけだ。おそらく、ダーチャを奪われる、あるいはダーチャでの生産物を取り上げられたり年貢(税金)を掛けられたりすることになると、政権があぶないのかもしれない。

日本では(米国でも)、別荘というのは、なかなか大変なもので、ダーチャのように毎週末を過ごして農作物を得るというようなのは、あまり聞かない。実は、自宅の近くのいかにも宅地のように見える農地で週末(時には平日も)に耕作している人がいるが、近くの大地主で、副業で自作の直売所で農作物を置き売りしているようだが、ダーチャの精神からは遠く離れているように感じる。

もっとも、国から頂き物のダーチャの見返りの愛国心というのも、あまり純粋には思えない。

浜芝浦駅にも行ってみる

2022-03-29 00:00:58 | 市民A
先日、島原鉄道の大三東(おおみさき)駅のことを、海に最も近い駅と紹介したが、その時に一抹の不安を感じていた。



前々から知ってはいたのだが、JR東日本の鶴見線に「浜芝浦」という駅がある。一部では有名な駅だ。最も海に近い駅として知られていたからだ。さらに、この駅の大きな特徴は、駅自体が東芝の出資会社のなんらかの施設(工場なのか倉庫なのか研究所なのかは不明)の中、つまり私有地内にあり、一般人は改札口から外に出てはいけないわけだ。切符売り場もない。

とは言っても、駅まで行って、また戻ってきて運賃を払うのは合法的であり、多くの人が始発の鶴見駅からこの駅まで来て、撮影をして、また戻っているようだ。ということで鶴見周辺散策に行く。



実際に駅まで行くと、遠く湾岸道路の鶴見つばさ橋も見えるし、ある意味豪快な風景でもある。島原鉄道とはかなり違う。もっとも終点の会社は会社3分割とか2分割とか会社の現実を置きざりにして、決算書の操作だけで生き延びようとして失敗を続けているので、いつ会社がなくなり、その結果、駅がなくなるかもしれない。



そして問題の海との距離だが、わずかに島原鉄道の方が海に近いのだが、問題は大三東駅では干満の差が大きく干潮時はかなり先まで砂州が広がっていると言われる。一方、浜芝浦の方は岸壁があって、干潮でも満潮でも海岸線は変わらない。

となると干潮時は浜芝浦の方が海に近いことになる。

この海岸線の概念だが、日本では満潮時の海岸線を地図に書くことにしている。つまり陸の面積が少ない。この点で言えば大三東駅の方が海に近いと言える。

もっとも領海の概念では、干潮時の最大拡大海岸線を基準として12海里を取っているそうだ。

ヒトラー~最期の12日間~(2004年 映画)

2022-03-28 00:00:24 | 映画・演劇・Video
時節柄、「ヒトラーの最期」を描いたドキュメンタリー映画を観る。ほぼ実話通り。ベルリンの総督用地下基地でソ連軍の最終攻撃まで見届けた女性秘書(兼タイピスト)のトラウドゥル・ユンゲの回想録が元になっている。配役も実物とそっくりになっている。

ベルリンの郊外12キロまでソ連軍が迫っている状況で総督は最後の誕生日を迎える。とりまきは、ヒムラー、ゲッベルズ、ゲーリングなど。追い詰められたヒトラーに可能性は三つ。まず、休戦交渉。そしてベルリン脱出。最後まで降伏しない。部下の勧めを無視して、「まだ反撃のチャンスがある」と指示を出すが、いずれの部隊からも交戦不能と連絡が来る。

そして、逃げる者は逃げ、ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ翌日自殺。主のいない国ドイツはそれでも市民兵が戦い続けるも戦闘停止のお触れが出る。

現代のP大統領ときわめて似ている性格だ。

まず、身長コンプレックスがある。

またよく言われるようにパーキンソン病による震えがある。ヒトラーについては左手。P氏は左足?

一見狂人のように思える言動も、個人の強すぎる信念に基づいている。ヒトラーの信念は「ゲルマン民族の優秀性とゲルマン支配の世界観」。P氏の場合は、「ゲルマン」を「スラブ」と書き換えれば同じになる。

さらに、本映画の冒頭で、ベルリンから12キロのところまでソ連軍が接近してきたという情報が突然に部下から報告を受け、激怒している。不都合な情報は伝わらない仕組みだ。

P氏が今後どうなるかは、わからないがヒトラーの場合は暗殺計画が2回失敗している。つまりP氏についての運命は、まだまだ長いストーリーが必要なのだろう。

島原鉄道乗り倒し旅&ウクライナ急行?

2022-03-27 00:00:24 | たび
島原半島の旅には、島原鉄道(株)の『島原半島周遊パス』がお得という情報を直前に知った。それなら行く先を水増ししたくなるのが、非上級国民の性(さが)ということになる。パスを購入すれば、島原鉄道の事業(鉄道・バス・フェリー)の2日間乗り放題ができる。(元々は島原半島南部まで伸びていた路線を雲仙普賢岳の爆発以降、廃線にしたようだ。

このチケットは2日間のうち1日は土日祝が含まれないといけないのだが、そもそも目下のコロナ禍では土日祝でなければ観光地の食事処も開いていないことがあるので、平日に行くのはリスクがある。



ということで、まず、まもなく西九州新幹線の停車駅になる諫早駅で島原鉄道改札に向かう。周遊券は自販機で買えるのだが、間違いやすいので社員の方がアシストしている。二日券で3000円だが、1日券は2000円。実は諫早から島原まで片道1460円なので、往復するだけでも得なのだが、どうも売れていない。お得過ぎるチケットに釣られて旅行に来る人に売るものだから、一般客に押し売りするようなものでもないのだろう。

結局、1日目は、諫早→島原(鉄道)、島原←→原城跡(バス往復)
   2日目は、島原←→大三東(鉄道往復)、島原←→がまだすドーム方面(バス往復)
    さらに、島原→雲仙→小浜(温泉)→諫早(いずれもバス)

ということで、6880円分使用させていただいた。



ところで、1日目に乗った鉄道車両は赤を基調にしていたが、2日目に乗った車両は奇しくもウクライナカラーの黄色と青の二色使用。急いで塗り直したのだろうか。キエフ発オデッサ行きか。



よく見ると、行先表示の下に『ワンマン』の文字。偽装車両のおそれあり。

いぶし銀ではない詰将棋

2022-03-26 00:00:04 | しょうぎ
2022年2月22日という2尽くしの日に桐山清澄九段の引退が決まった。竜王戦のみに出場チャンスがあった公式戦参加資格という細い糸がついに途切れてしまった。

最終局となるのは竜王戦の5組残留決定戦という皮肉な一戦。まだ日程はきまっていないが4月か5月だろうか。実は、これに勝っても残留できないのだが、「棋士最後の一局が勝利」という珍記録となるはず。棋士の最終局は負けとなる理屈だが、いくつかの例外の一つだ。中原誠十六世名人は勝局のあと、脳梗塞で入院し引退したが、これも異例だった。



書棚にあった桐山九段の書といえば昭和51年発行の『詰将棋天狗道場』。29歳で、大活躍中の一冊。パラパラとページを開くと、いぶし銀的ではなく華麗で感覚の斬新な手筋の詰将棋も多い。もっともいぶし銀のような地味な詰将棋って本質的におかしいはずだ。


さて、3月12日の出題作の解答。








今週の問題。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

皿うどんに苦戦

2022-03-25 00:00:14 | あじ
長崎の食べ物と言えば、ちゃんぽんと皿うどんということだろうか。長崎で驚いたのは、街中にリンガーハットがあること。わざわざ長崎の人がリンガーハットに行くのだろうか、と首をかしげてみた。というのも、丸亀にないのに丸亀うどんと名乗り、丸亀に出店したものの顧客の指示を受けられなかったという事例があるからなのだが、後日調べると、リンガーハットは長崎の会社だった。

ということは、長崎で食べなくてもいいということだが、うどんの例でいえば香川県には多くのうどん店があって、それぞれ違う味で勝負しているわけで、長崎でもそういうことがあるかもしれないと思ったからだ。

ということだが、なかなかチャンスが回ってこない。島原半島を電車とバスで回っているのだが、どちらも1時間に1本といった頻度なので、行動を食事ではなく時刻表に合わせるほかないからだ。

そして、ついにチャンスが回ってきたのが雲仙(温泉)なのだ。観光地らしい町並みで飲食店が二軒並んでいて、どちらもほほ同じメニューのようだ。まあ、偶然ではなく何らかの理由があるのだろうが、本題と関係ないので突っ込まない。

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そして、皿うどんを注文。予想よりも長い調理時間の後、登場したのだが、これが相当ヘビーだ。簡単に言うとリンガーハットの二倍量だ。味はリンガーハットよりも胡椒が効いている。量が二倍ということは、二倍お得ということだろうか。

原城跡へ

2022-03-24 00:00:26 | The 城
原城跡は島原半島の南部に位置する。1637年の年末から1638年までの5ヶ月にわたる島原の乱の主戦場である。この地に籠城した3万7000人の全滅を含め4万5000人が死亡したとされ、大坂夏の陣、応仁の乱とならぶ死者数である。参考まで当時の日本の人口は1200万人と現在の10分の1である。(江戸時代に日本の人口は3000万人まで増加した)。

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キリスト教徒の殉教戦なのか農民一揆なのか、その両方の要因で戦いが始まった。もっとも原因は同じと言ってもいいかもしれない。島原藩を統治していたのは松倉重政という小大名だったが、彼は幕府のキリシタン禁止令を厳密に実行しようと考えた(幕府へのアピール)。そのためキリスト教の中心地だったマニラ市を攻撃しようと、とんでもないことを考え、ルソン島攻撃をはじめるための準備を始める。銃を買い、地図を集めたり、現地にスパイを送ったり巨額の費用が必要となった。そのため、農民から重税で厳しく取り立てていた。

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現地は、乱の終結後、石垣の徹底破壊が行われ、死者も石もその場所に埋められたと言われる。ながらく心霊スポットと言われ、最近は観光地化を目指しているようだが、400年も前のことなので、城址内に個人私有地があるようで、タマネギ畑になっていて、収穫もしている。

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前面は海、後ろには雲仙三山がかすかに見える。当初幕府側は短期決戦を目指したが、損害が多く兵糧攻めに切り替えた。

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天草四郎を中心としたこの乱の後、松倉氏の悪政が幕府に報告され、藩主は斬首刑となった。

この乱のあと、キリシタンの取り締まりが強化され、隠れキリシタンにつながっていく。

島原半島の温泉

2022-03-23 00:00:05 | たび
島原半島では、三か所の温泉場が有名だ。東から島原温泉、中央に雲仙温泉、西側が小浜温泉。情報を調べると、半島西岸の小浜温泉の下に105度Cの熱湯が上がってきて、その分岐が雲仙火山群の方から地下の硫黄分を含んで吹き上がるのが雲仙温泉、さらに東岸の島原温泉は多くの成分が含まれていると言われている。

今回の旅程では島原に泊まって雲仙、小浜と半島を横断し、諫早に戻ろうということで、温泉には雲仙で入り、小浜にある日本一巨大な足湯設備に浸かって海を眺めるつもりだったのだが、現地直前チェックで数日前に小浜の足湯が点検整備のため一時閉鎖されたことがわかる。

ということで、雲仙で足湯、小浜で温泉と入れ替える。

雲仙には観光協会が設置した共同足湯があり、これが結構、熱い。長く足を入れておくと、茹蛸のように真っ赤になる。赤くなるだけではなく、本当に茹で上がってしまうので、足を出したり入れたりしないといけない。



実は、一ヶ月ほど前から足の指を中心に、しもやけになっていて、少し痒かったのだが、完全に治った。ただ、温泉の成分が効いたのか、温泉の熱量のせいなのか。どちらが治療に効果があったのかは、わからない

そして、島鉄の鉄道バス乗り放題チケットを使って小浜に向かう。



直前に調べた情報で、屋上の温泉で、海が見えるという旅館で、ワンコインで1時間ほど温まる。さすがに湯質はサラサラで、何より眺望がすばらしい。

この1、2年眺望がすばらしい温泉によくあたっている。富士山、渓谷、海。よくいくサウナの屋外露天風呂は、外から覗かれないように高い柵や目隠しがあり眺望価値ゼロだが、ずいぶん違うものだ。

雲仙の地獄

2022-03-22 00:00:53 | たび
雲仙と言っても山に登らなければ、大変なことは何もない。普通の温泉地と変わらない。日本は火山が多いが、その中でも九州には阿蘇山、雲仙、桜島と巨大な火山が多い。そもそも九州の縄文文化は火山の爆発で全滅したとも言われる。火山や地震といったエネルギーの前では現代人も縄文人も大して差がないのだ。

そして温泉地にあるのが「地獄めぐり」。前もって調べたところ、雲仙の地獄は、別府温泉に比べると、まるで小さいと言われるらしい。

別府にはいったことがあるが、シーサイドの新しい別府の方だったので地獄めぐりはしていないので比べようもないが、北海道の登別の地獄めぐりよりは広いと思う。



その中でも壮大なのが、「大叫喚地獄」。嫌な名前だ。

というのも江戸時代初期にはキリシタン弾圧のため、宣教師や隠れキリシタンを、雲仙に連れてきて、転ばない場合、噴き出す熱湯の中に突き落として殺していたわけだ。



隠れキリシタンであっても殺されたものの記録が残っているというのは地下組織があって進行が続いていたということだろう。断定はできないが、一部の書物によれば、磔になる殉教者が増えれば増えるほど隠れキリシタン内の地区責任者の地位が上がるため次々と入信者を増やしていたとも書かれているのを読んだことがある。

明治政府も当初はキリスト教の禁止を続けていたのだが、不平等条約の改定を目指すなかで海外諸国から指摘されて、解禁することになった。もちろんその頃にはポルトガルやスペインといったカソリック国は力を失っていたということもあるだろう。

島原の子守唄、深い問題があるらしい

2022-03-21 22:14:03 | たび
島原鉄道の島原駅は、ある意味では市の象徴でもある島原城より立派に見える。もちろん天守閣は地元の人が直接的便益を受けるわけではなく、駅舎の方が実用的であるのは自明だから立派でも構わないが、他の島原鉄道の駅の状態からすると、千倍も立派な感じだ。

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そして駅前には銅像が立っている。『島原の子守唄』の像だ。

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なんとなく古来より歌い継がれた子守唄かなと思って、曲を思い出せずに後で調べると、

「おどみゃ島原の、」から始まる聞き覚えのある曲だった。

YouTubeでは、藤圭子さん他何人かのVIDEOが見られる。著作権等のことが不明なので、紹介だけだが、「この親ありてあの娘ありや」というように上手い(当たり前だが)。

なんとなく、悲しすぎる子守唄のように感じるのは、どうも古来からの唄ではなく、別の地方に伝わる似たような感じの唄が元になっているのではないかという指摘があるそうだ(基本的には、「似ている」というのはセーフだと思うが)。

そして、戦後に現れた子守唄のようだ。

明治時代から戦争が終わるまで、島原地方は貧しく、娘たちが東南アジア方面に娼婦として送られた「からゆきさん」の歴史を、歌詞に込めたということらしい。地元の観光バスのガイドさんがそう紹介していたという声が多い。しかし、直接的には表現されていないので、言われなければわかりにくい。

それでいいのか、島原。という気持ちにならないのだろうか。

あるいは、銅像は、日本の中の被害者として、観光客にアピールしているのだろうか。

綾込陶器

2022-03-20 00:00:16 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市民ギャラリーあざみ野で、本日まで展示されているショーケース・ギャラリーで後藤有美展が開かれている。



二種類以上の色土を集めて成型する陶芸技法を「綾込」というそうだ。これは陶器と絵画、言い換えると工芸と美術の間にある。造ってみたものの陶芸でもないし絵画でもない(それこそ色物とでも呼ばれるのだろうか)と仲間外れにされたのだろうか。それならと、今年が4年目ということだそうだ。



確かに、完成品は異質だ。見慣れていないせいかもしれない。古今東西を考えても、こういう焼物を見たことがなかった。

もっと大きくして壺湯の浴槽とかいいような気がする。湯吞茶碗のような壺湯は自分が食用にされるような感じで好きじゃないが、綾込なら落ち着けるような気がする。ガラス製品ならベネチアングラスのように華やかなものがあるのだから、それの陶器版と思えばいいのかもしれない。

職団戦、代替大会開催

2022-03-19 00:00:32 | しょうぎ
2年間休止している職団戦が代替大会として開催されるようだ。4月23、24日の二日間、立川市で行われる。従来の大会とは切り離して成績が来季の参考にならないようにということ。1チーム5人ではなく3人ということで、3人は強いが2人は弱いというようなチームは優勝のチャンスだろう。もちろん選手選考の段階で仲間割れが予想される。

2日間をS、A、FクラスとB、C、D、Eクラスに分けるということ。2チーム以上出場可能ということで、3人しかいなくても、両日とも申し込むチームがあるかもしれない。発覚した時の制裁措置は発表されていないが、おそらく「職団戦1年間の出場禁止の上、Fクラスからの再登録、罰金100万円」ぐらいだろうか。

多くのチームは会社の経費で参加しているだろうが、この時期、参加許可が出るのだろうか。

もちろん出場しないので、大会レポートはできないので、あしからず。


さて、3月5日出題作の解答。








今週の問題。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見いただければ正誤判定します。

具雑煮の起原

2022-03-18 00:00:10 | あじ
長崎県には色々な綾のある歴史がある。そもそも大陸との中継点であり、元寇の時は大惨事に見舞われた壱岐や津島。キリシタンを中心とした日本史上最悪の内戦である島原の乱。そして世界に開かれた出島に時折大被害を浴びせる雲仙火山群。

島原という土地も様々な歴史が交錯する。

地元の代表的な料理と言えば「具雑煮(ぐぞうに)」というものがある。通常、雑煮は正月三が日に食べるものだが、島原の具雑煮には専門店まである。島原駅から緩やかな上り坂の先に島原城があるが、その裏側に位置する場所に、具雑煮の専門店である姫松屋がある。200年続いている老舗だそうだ。

実はまん延防止措置が発令中で事前情報では20時閉店のはずだったが、嫌な予感もあり19時までに入店しようと足を速めたが、なにしろ駅の正面にある島原城の掘割をぐるっと回らないと向こう側にはつかない。息絶え絶えに店に着いたのが19時2分前。店内は暗くなり女性店員が片づけをしているのが窓のガラス越に見える。

あわてて窓の外から、指で○か×かを尋ねると、大きなジェスチャーで○サインが出た。本日最後の客になった。



メニューを見ると美味しいカキフライを食べたくなったが、我慢して『具雑煮』を注文。しばらくして鍋に入った雑煮が登場。餅は丸餅で想像より小さい。内容物は練り製品がおおいように思えた。野菜や焼き穴子も入っている。非常に薄口で代表的な沖縄料理に似ているように感じる。慣れていないのか、薄味と感じる。

この具雑煮だが、200年前の開業のさらに200年前、島原の乱の時に、天草四郎が籠城した3万7千の兵士や農民に保存食の餅を配り、あとは海の幸、野の幸を加えて3ヶ月戦い抜いたと言われる。

ただ、あくまでも島原にあるのは幕府側の島原城。天草四郎はもっと南部の原城の立てこもった。

島原城は美しすぎる

2022-03-17 00:00:39 | The 城
島原に行ったのは、主に原城探訪と雲仙、小浜の温泉が目当てだったのだが、長崎県というのは歴史の塊のような重厚な土地で、島原城にも曰く因縁が詰まっている。現在では観光資源化されているが、そんな簡単なことではないように思える。

当初築城されたのは1618年頃と言われる。江戸時代の当初である。藩主は松倉重政。武闘派の武将であったそうで、明治初頭まで残る美しい天守閣を作っていた。どれぐらいの武闘派だったかというと、キリシタンの本拠地がルソン島であったことから、フィリピンにスパイを送り込んで内情を調べ、日本からフィリピンに軍を進めようと幕府に進言し、城内に対外戦争用の武器をあつめていたそうだ。



ところが、軍備拡大の結果、資金不足になり農民から年貢で搾り取ろうとしたため、民の疲弊が進む。そして息子の勝家の時に過酷な税制に耐えられなくなった農民たちを中心に島原の乱が起きる。この法外な年貢の件で幕府は松倉家を追放してしまう。

実際には島原の乱という大戦争により島原という地名が有名になったので、島原城に天草四郎が立てこもったと思ってくる人が大量にいるらしいが、逆である。天草四郎がいたのは原城で幕府側の本拠地が島原城になる。

現在の天守閣は1964年のことだそうだ。城の天守閣内部には普通はお宝を展示しないが、本城では隠れキリシタン遺産が素晴らしい規模だ。もっとも本城は幕府の意向によりキリシタン弾圧の中心だったのだから倒錯感がある。