南木佳士氏はこの小説が芥川賞を受賞した1989年から現在に至るまで、小説家兼医師である。その間、なぜか小説家として不調に陥り、また医師としても不調に陥った。複合型鬱病というのかな。書評の前に鬱病の話をするのも変だが、普通は二足の草鞋の場合、片方が不調でも片方が普通なら問題はない。花粉症と同じように、ストレスの蓄積がある量に到達すると発症するわけだ。
もっとも本業と趣味という組み合わせなら、そもそも趣味でストレスというのはあまりないのだが、氏の場合、どちらも本業化し、どちらにも何らかの個人の問題があったのかもしれない。確かに、趣味で医師をやるわけにはどうしてもいかないし、芥川賞が重荷になったのかもしれない。
ついでに芥川賞のことだが、記録を見ると1982年から芥川賞の候補になること5回目で受賞している。これだけで精神的ショックは大きいような気がする。毎年、それほど多くの選考委員が交代しているわけではないので、同じような選考の場になり「南木支持派」と「不支持派」にわかれて、誰かが根負けして寝返ったのだろうか。
さて小説の内容だが、作者自体の体験を基にした医者の孤独感を題材にしている。4つの短編集は連作ではないが、人の生死、ふるさと、医者の諦観が強く打ち出されていて、確かに読んでいて楽しくなるようなものではない。それが作風なのだろう。
あえていうと、医者の世界の外側から医者を描いたのではなく、医者の目から医者の世界、病者の世界を書いたものということができるだろう。
もっとも本業と趣味という組み合わせなら、そもそも趣味でストレスというのはあまりないのだが、氏の場合、どちらも本業化し、どちらにも何らかの個人の問題があったのかもしれない。確かに、趣味で医師をやるわけにはどうしてもいかないし、芥川賞が重荷になったのかもしれない。
ついでに芥川賞のことだが、記録を見ると1982年から芥川賞の候補になること5回目で受賞している。これだけで精神的ショックは大きいような気がする。毎年、それほど多くの選考委員が交代しているわけではないので、同じような選考の場になり「南木支持派」と「不支持派」にわかれて、誰かが根負けして寝返ったのだろうか。
さて小説の内容だが、作者自体の体験を基にした医者の孤独感を題材にしている。4つの短編集は連作ではないが、人の生死、ふるさと、医者の諦観が強く打ち出されていて、確かに読んでいて楽しくなるようなものではない。それが作風なのだろう。
あえていうと、医者の世界の外側から医者を描いたのではなく、医者の目から医者の世界、病者の世界を書いたものということができるだろう。