ダイヤモンドダスト(南木佳士著 小説)

2017-11-30 00:00:28 | 書評
南木佳士氏はこの小説が芥川賞を受賞した1989年から現在に至るまで、小説家兼医師である。その間、なぜか小説家として不調に陥り、また医師としても不調に陥った。複合型鬱病というのかな。書評の前に鬱病の話をするのも変だが、普通は二足の草鞋の場合、片方が不調でも片方が普通なら問題はない。花粉症と同じように、ストレスの蓄積がある量に到達すると発症するわけだ。

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もっとも本業と趣味という組み合わせなら、そもそも趣味でストレスというのはあまりないのだが、氏の場合、どちらも本業化し、どちらにも何らかの個人の問題があったのかもしれない。確かに、趣味で医師をやるわけにはどうしてもいかないし、芥川賞が重荷になったのかもしれない。

ついでに芥川賞のことだが、記録を見ると1982年から芥川賞の候補になること5回目で受賞している。これだけで精神的ショックは大きいような気がする。毎年、それほど多くの選考委員が交代しているわけではないので、同じような選考の場になり「南木支持派」と「不支持派」にわかれて、誰かが根負けして寝返ったのだろうか。

さて小説の内容だが、作者自体の体験を基にした医者の孤独感を題材にしている。4つの短編集は連作ではないが、人の生死、ふるさと、医者の諦観が強く打ち出されていて、確かに読んでいて楽しくなるようなものではない。それが作風なのだろう。

あえていうと、医者の世界の外側から医者を描いたのではなく、医者の目から医者の世界、病者の世界を書いたものということができるだろう。

都筑中央公園の紅葉

2017-11-29 00:00:23 | おさんぽ
自宅から徒歩25分ほどのところにある都筑中央公園で散策する。何か千年の歴史がありそうだが、基本的には港北ニュータウンの中央にある公園というか天然の丘陵を利用して公園化している。それまでは世間から封印された未開地だった。あえていうと古墳時代やその前の時代(弥生時代、縄文時代、石器時代)には集落があったらしいが痕跡は僅かだ。

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首都圏には、多摩ニュータウン、千葉ニュータウン、港北ニュータウンというほぼ同じ位のニュータウンがあって、港北ニュータウンが一番新しいのだが、高齢化が進む多摩ニュータウンに、かなり急ピッチで近づいているそうだ。

ただ、急激に年齢が上がっているといっても、若年者が減るというよりも高齢者が流入しているという奇妙な構造が起きているということらしい。

11月には、主に多摩ニュータウン各地にスーパーを展開する三和スーパーが港北ニュータウンに初進出した。多摩ニュータウンは京王相模原線沿いに横長の長方形型に展開(横15キロ、タテ5キロ)するのに対し、港北ニュータウンはタテヨコが同じような正方形型であるため、多摩ニュータウンでは、中小サイズのスーパーを何軒も横並びに配置しなければならないが、港北ニュータウンでは中心部に大型店を設置すればいいので、コスト的には有利なのだろう。

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紅葉を背景に犬の撮影を行う人が多く、例に倣ってみた。

「亡命者の対話」より・ブレヒトソング(演劇)

2017-11-28 00:00:38 | 映画・演劇・Video
六本木で行われる麻布演劇市で「フォーラム・コイナさんの会」の公演としてドイツ人劇作家ブレヒトの『亡命者の対話』が上演された。

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ブレヒト(1898年‐1956年)が生前米国で書いた劇だが発表されたのは、没後という因縁がある劇作だそうだ。劇の名前にもなっている『亡命者』だが、これはブレヒトそのものの運命にもかかわっているわけだ。

ブレヒトはそもそもなんだったのだろうという大問題があって、一応、共産主義者ということになっているが、欧州の人というのは、ロシア帝国を見て、レーニンによる革命を見て、さらにヒットラーを見て、自分の立ち位置をどこかに定めなければならなかった。ブレヒトはロシア帝国は×、ソビエトは△、ナチスドイツは×という立場だったようだ。特に、妻がユダヤ系だったため、かなり早期にドイツから逃げる必要があった。

まず1933年にデンマークへ逃げるが、ドイツ軍が進撃してきて、ストックホルムに逃亡。そこでもあぶなくなりヘルシンキへ移動する。しかし、日本では知られていないが、フィンランドは第二次大戦の時は、日独伊側に立っていた。つまり敗戦国なのだが、・・そして、フィンランドも危ないので、ロシア経由で米国に到着したのが1941年。

どうも、劇をハリウッドやブロードウェーに買ってもらいたがっていたようだが、そうはいかないわけだ。そして戦後の米国で自称共産主義者のブレヒトは赤狩りの危険に気が付くのである。そして1947年にスイスに逃げ出し、翌1948年に東ドイツ(東ベルリン)に逃亡。

そして生涯を閉じる。

で、ブレヒトの評価は、この共産主義的という思想をどう考えるのかというところにかかっているわけだ。思想劇なのか、コスモポリタンなのか。

一作観ただけで大きな顔はできないが、30代から逃げ回っていたのは、「理想主義的な共産主義」を追い求めていながら、世界のどこにもみつけることができなかったのではないだろうか。

本作は、亡命者同士がドイツではない別の場所で、ファシズムと自由主義のどちらがいいか議論を繰り返すのだが、結論は出そうもない。(個人的には、封建主義と民主主義の対立軸も存在するので、ことはそう簡単ではないような気がする)


しかし、民間演劇集団がブレヒトを演じるなどという大胆不敵なことが起こる不思議な国だ。というか不思議な街、六本木。

追い詰められているのは

2017-11-27 00:00:41 | 市民A
大相撲番外編鳥取暴行事件で最も追い詰められているのは、当事者ではなく鳥取県警のような気がする。なにしろ、現場は鳥取市内だが、関係者はすぐにいなくなり、福岡ないし東京に分散。さらに当事者が外国人である。いくら日本語が得意としても通訳が必要のような気がする。さらに、国元に帰ってしまうかもしれない。

しかも県警の捜査員のおそらく数十倍のマスコミ記者が連日、取材し、テレビや新聞や雑誌で成果を公表するし、関係者という人が大勢登場し、まったく相矛盾する事実を発表する。ビール瓶ではなく焼酎瓶だったという話もある。平手か拳かというのすら一致しない。

うかつに処理すると、容疑者取り違え的な大失態になりかねない。

診断書というのも謎めいていて、よく読むと不可解だ。骨にひびの疑いで全治2週間とは軽すぎるし、耳が聞こえないというのは鼓膜が損傷しているのだろうが、脳外科の範疇でなく耳鼻科の範疇だと責任逃れしているようにも思える。

また、お花の免許皆伝料の胴元がでてきて「モンゴル人の喧嘩は荒っぽいのが普通」と平然と話しているが「米国人は日本で大麻を吸ってもかまわない」と言っているのと同じように感じる。

県警が罪名を付ける前にマスコミや元検事が「暴行罪で書類送検」と審判してしまっているようだが、暴行事件自体が、前もって計画されたものであると認定されると、3横綱そろい踏みで「共謀罪の適用第一号」になる可能性だってある。

「古い体質」と一言でいうのだが、その中には「封建主義」と「全体主義」の二つの問題があるのだと思う。この二つは、日本が戦争を始めて、負けた理由そのものであるのだが、さらに大相撲のヒエラルキーとは別の「モンゴル人力士会」という組織が強大になったという新たな対立軸まで発生しているようだ。

もっとも個人的には、鳥取県に向かって運転していた時に、県内に入るとすぐに前後を大型トラックに挟まれ、加害者であるべきトラックにお咎めなしで被害者的な私だけから速度超過の反則金を巻き上げたのは、憲法で保障される法の前の平等を逸脱していると考えられ、それこそ大相撲のような体質なのだろうが、当然のこととして、捜査結果は刻々と警察庁へ報告し、お伺いを立てているのだろう。


そういえば、古い体質の組織である日本将棋連盟が1年前に「将棋ソフト指し疑惑」で大揺れになった時に、騒ぎの発端(火付け役)となったタイトル棋士のニックネームは「魔王」だった。くしくも、暴行に使われたという疑いのかかっている焼酎瓶の銘柄が「魔王」であるという一致点に気が付く。

実は、相撲界には「大魔王」という力士がいた。式田山部屋に八年間所属し、最高位は序二段。平成21年に23歳で引退している。現在は31歳のはずだ。引退した後、大魔王的な仕事や拳骨を使った仕事をしていないことを祈りたい。

ジャンセン美術館(銀座)

2017-11-26 00:00:55 | 美術館・博物館・工芸品
ジャンセン(1920-2013)は、ジャン・ジャンセンというのが正式名称ということだそうだ。ジャンが重なるという不思議な名前である。日本で言うと、「桜井さくら」とか「太田太」とか「和泉いずみ」とか「進藤進」とかだろうか。20世紀後半を代表する画家である。アルメニア人でフランスに在住していた。

絵画の最大の特徴は輪郭線を描くこと。藤田嗣二のように見えるが色彩には戦後感がある。

日本には、二つの美術館がある。一つは安曇野ジャンセン美術館。普通の美術館である。多くの作品は娘のフローラ・ジャンセン(娘)が所有しているそうだ。

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そして簡単に行けるのがジャンセン美術館。有楽町駅から数分で、泰明小学校の向かい側のビルに入っている。

この美術館の最大の特徴は、絵画の所有者のこと。

ユル・ブリンナー(1920-1985)氏。「王様と私」、「荒野の七人」で有名なアカデミー賞男優である。1920年にロシア、ウラジオストックに生まれ、パリを経てアメリカに渡る。多国籍の祖先をもち、4度結婚し5人のこどもがいるとされる。ジャンセンと同年生まれということは、パリで友人関係だったのだろうか。

この美術館の雰囲気では、展示作はまた展示品でもあるということではないだろうか。確証はないが。鉛筆書きで数字が記されているが、解読できない。是非、チャレンジしていただきたい。入館無料だし。

1回戦を取るか2回戦を取るか

2017-11-25 00:00:06 | しょうぎ
11日23日に東京体育館で開かれた将棋職団戦(5人1チームの団体戦)に出場。今回こそ体力消耗で引退しようと思っていたのだが、「欠員が出た!」と泣かれて、まわしを締めることになった。

そして、この大会には藤井君の影響はでていないようだ。将棋連盟の出張売店には藤井グッズが積まれていたが、あまり売れていないようだ。サイン会でもすればいいのかもしれないが詰将棋入りの色紙を書くのが面倒なら、相撲取りのように手形バンバンの方が手っ取り早いかもしれない。げんこつ型の手形もこれからはやりそうだし。

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それでトーナメント1回戦の席についたのだが、よく見ると対戦相手は5人全員が揃っているのだが、その横の席、つまり2回戦に当たる対戦の片側のチームの席が空いている。どうも何らかの問題で不戦敗らしい。もしかしたら、不祥事でも発覚したのかなと邪推したのだが、それよりも問題は、目前の試合に勝つと、一回戦不戦勝のチームと当たるということと、目前の試合に負けた場合は、裏街道と言われる敗者戦(降格決定戦でもある)に回るのだが、その場合、不戦敗したチームと当たるわけだ。つまり不戦勝をいただけるわけだ。

さらにいうと、裏街道に回れば、表街道よりも相手が弱いわけで、はっきりいえば、1回戦に負けた方が良い結果を得られる可能性が高いわけだ。「となると、1回戦は負けた方がいいのかな」と思わず口に出したところ、相手チームからも「そうか、負けた方がいいんだ」と賛同の声が上がる。

しかし、将棋と言うのは、なかなかわざと負けるのは難しい。王様が突進して自爆攻撃すれば良さそうだが、王様を取ってくれないと終わらない。あえていえば反則負けだが、二手指すとか行けないところに駒を動かすとか。相手が指摘しないかもしれない。先手番で最も確実に負けるのは、一手も指さずに「参りました」と投了することだが、永久追放ものだろうか。結局、両者無気力将棋はなかったようだ。

対局結果は個人も団体も2勝1敗。平凡としかいえない。

さて、11月11日の出題作の解答。詰将棋パラダイス誌に入選し、解答者から酷評を浴びた一作。駒を取るなんてもっての他という人が多いわけだ。

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動く将棋盤は、こちら

今週の問題。

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最後の一気通貫が爽快なはずだ。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定いたします。

バフンウニ(登別より)到着

2017-11-24 00:00:26 | あじ
年末になり、例の寄付金と記念品の交換会を始めた。今年は所得が減った上、逆に多様化したので、一体、いくらまでならお得なのか、はっきりしないし概算計算でいいのかもよくわからないので、ちょっと少なめに。

なんとなく、昨年までに寄付をした市町村の首長様から丁寧なお礼状と使途の明確化及び作った施設の写真などが送られてくると、「それならもう一回」と思いたくなる。というかそれこそ地方市町村の生きる道だ。

ということで、北海道登別市の「バフンウニ」。ウニの中の最高ランクだ。ウニの殻の形状が馬糞に似ているということで、この最低ランクの名前が付いているが、実際には馬糞には似ていないと思う。決定的に色が違う。だいたいウニと馬糞の両方見たことがある人はそう多くないはずだ。現代では、どちらも見たことがない人が多いのではないだろうか。

なんとなく感じるのは、この素晴らしい味のウニをよそ者に食べさせたくないから、そのような名前を付けたのではないかと勘繰る。

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そして、寄付金としてのウニは普通のミョウバン戻しではなく、そのまま塩水に浸したままで冷蔵便で送られてくる。塩水から丁寧に一片ずつ取り出しペーパータオルで水切して、それでおしまい。あとは食べるだけである。

ウニのなかでもバフンウニが最高級というのは、その味の幽玄なところだろう。一片を下の上に載せるだけで30秒後に甘く刺激的な味が広がっていく。ゆっくりと舌の上で味わうものなのだ。

もちろん、日本酒があれば最高だが、飲み過ぎること必定だろう。三升半飲んでビール瓶を握ると危険なので、自粛する。

博士の異常な愛情(1964年 映画)

2017-11-23 00:00:04 | 映画・演劇・Video
核戦争を題材とした映画。スタンリー・キューブリック監督で、ピーター・セラーズが一人三役。それも重要な役をやるのだから、よほどギャラが払えなかったのだろう。米国大統領、英国大佐、それと水爆博士。

米ソ両国が地球を何回も破滅させる核兵器を持った状態で、米国のある空軍基地の将校が、「R作戦」というソ連のICBM基地にB52で水爆を落とす計画を、意図的に発令してしまった。先制攻撃をすればソ連は滅亡すると考えたわけだ。B52は各基地に2時間で到達する計画だが、R作戦では、その指示を出した将校の暗証コードでしか取り消しを命じられない。

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あわてた米国大統領は、あろうことかソ連にホットラインで連絡し、自国機の撃墜を依頼する。一方で基地に立てこもった米国将校は別の部隊の攻撃を受け、そのさなかに自殺してしまう。

そして、ソ連軍の攻撃を受けたB52のうち撃墜されなかった爆撃機にようやく指令取消しによる引返し命令が届き、ようやく事態が収束されたかのように見えたが、実は、燃料タンクと通信設備が故障した一機が目標地点を機長判断で変更。低空飛行で目標地点に近づいていくのだ。

実は、その時、映画の中のソ連は、核兵器のコストに困っていて、「どうせ先に使えないなら、地球破滅規模の水爆を大量に地下に仕込んで、米国の核攻撃が行われた場合、自動的にコンピューターが地球上の全生物が死滅する規模の地球自爆装置を作動する」ことになっていたのだ。

そして、あくまでも映画の中でだが、残念ながら、米国の水爆は、・・・・。

実は、北朝鮮のミサイルが津軽海峡方面を通り過ぎた翌日に、NHKのBSプレミアムで放映されたそうだ。タイミングの良さからいって、NHKはミサイル発射の時期を知っていたのではないかとの疑いを誰かにかけられているようだ。

もっとも、北朝鮮が持っている核兵器では、地球を何回も破滅させることはできないわけで、できることは限られている。試さなくてもいいと思う。

銀杏の数より多い人間

2017-11-22 00:00:50 | おさんぽ
先週末、都心のホテルでランチのための待ち合わせをして、新橋から虎ノ門・霞ヶ関方面に店を探したが、ほぼ全店休業状態だった。しかたなく待ち合わせたホテルに戻り、約2倍の料金を払うことになった。通行人も少ないし、人間たちはどこに行ったのだろうと思い、帰りに所用で外苑前駅で降りると、歩道からはみ出すぐらい人間が歩いていた。

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外苑通りの銀杏並木だ。確か四谷の方から歩いてくるとここに出るのだったような気がする。

本当のことを言うと、何が面白いのかさっぱりわからない。実は、自宅の狭い庭に桂の木がそびえていて、大量に黄色の葉を撒き散らしている。それがご近所迷惑にならないように、落ち葉拾いを毎日やっている。数ある庭仕事の中で、もっとも付加価値が低いのがこの落ち葉拾いだろうか。

ということで30mほど歩いて、Uターン。

固く閉ざされた湯島聖堂の扉

2017-11-21 00:00:53 | おさんぽ
御茶ノ水散策ついでに、湯島聖堂に。名前からいって湯島天満宮の親戚のようだが、まったく基礎となるところが異なる。どちらも学問の関係では入試前にお世話になる方が多いらしいが、最寄り駅も場所もかなり異なる。メトロ湯島駅に近いのは天神様の方で、御茶ノ水に近い聖堂の方は孔子の教え(論語)を研究する場所だ。

受験生はどちらか好きな方を選べばいい。「両参り」と言って聖堂と天神の両方を、道を間違えずに訪れることができると、ご利益として試験会場に道を迷わず到着できる効能があるようだ。

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で、湯島聖堂は江戸幕府が封建制度維持のために孔子の教えがもっとも適当と考えて篤く保護していた。もっとも徳川家は名門とはいえ幕府開府までには、さんざん不道徳なことをしていたのだから、そんなことでいいのかと思うが政治とはそういう面がある。

江戸幕府は、さらに昌平坂学問所をここに開設し、それが後に東京帝国大学につながっていくようだ。教える内容はずいぶん変わった。

湯島聖堂と言うのは、孔子廟がある大成殿のことを指すらしく、入徳門から入り、大成殿の厚い扉を開かなければならないが、残念ながら辿り着いたのは、その扉の前までだった。

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なを、「入徳門」の「徳」の字だが、「徳」と言う字と「德」という字がある。右側の中央に「一」の字が入るか入らないかの差である。湯島聖堂で使われるのは「德」という権威の高い方の字である。徳川家では宗家(将軍家)のみが、この「德」の字を使うことが認められていたのだから、この門を一般人が通るなど、「手討ち」ものだろうか。

なお、敷地内には孔子像が立ち、どこかでもっと大きな像を見たような気がして画像を残さなかったのだが、世界最大とのことだ。どこかでマーライオンと混同したようだ。

神田明神と名乗る神田神社

2017-11-20 00:00:36 | おさんぽ
御茶ノ水地区お散歩2ヶ所目は、『神田明神』。自ら神田明神と名乗る一方で、門の表札は「神田神社」。ということは、明神と神社の差は何かというと、特に定めがあるわけではない。正式名が神社で、俗称が明神(大明神)ということで、大きな神社にのみ明神という言われ方がするそうだ。あまり、自分から明神と名乗るものでもなさそうだ。

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そしてご祭神は、大己貴命(大国主命:大黒様)、小彦名命(恵比寿様)、平将門命の3柱であるが、これには因縁がある。

もともと神社の始まりは8世紀で、出雲出身者が出雲神である大黒天を祀って創建したそうだ。中央政府による圧迫で出雲という心霊地区を弱体化させるために追い払ったのだろう。そして200年ほど経って平将門の乱があって、破れて首を斬られた将門の首が何らかの方法で空を飛んで東京大手町付近に飛んできたそうで、彼の慰霊を行い祟りがないように祀ったとされる。

そして、東国武士の神様と敬われるようになり、徳川家康が関ケ原に出陣前に戦勝を祈り、神田祭の日(9月15日)に、日本の運命が定まった。

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一方、明治政府は天皇に反旗を掲げた平将門を祭るなどとんでもないと祭神をクビにして、茨城県の神社から恵比寿様を移してきて、祭神に据え替えた。さらに、江戸時代までは「神田明神」と呼ばれていたことを禁止し、普通の神社の総称である「神田神社」としか呼ばせなかった。神田明神の苦難の時代だった。将門の復権は1984年のこと。失権してから110年が過ぎてしまった。

ところで、先日、和歌山県の淡嶋神社で、絵馬に書かれた現代日本人の祈りを調査しようとして巫女さんの鋭い眼光攻撃を浴び断念したのだが、神田明神では誰でも絵馬を見ることができるが、大半は我々の一般的な願望を願う言葉が並べられている。

進学、就職、縁談、病気快癒、家内安全・・実際には努力もなく絵馬に書いたって助けてくれる神様はいないだろう。第一希望の学校に入れず、就職失敗、病気は快癒せず慢性化し、家内安全どころかW不倫発覚とか。しかし、数多くの絵馬の中に、一枚のまったく個性的な主張を展開する言葉があった。何しろ、神様に頼むのではないわけだ。

  物語を作る人に 絶対なる!!

「物語を作る人」の部分には、下線が引かれている。

まったく、いい言葉だ。私が見つけてしまった以上、その言葉、いただいてしまおう。

『おりがみ会館』は日本ではなかった

2017-11-19 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
御茶ノ水付近をお散歩していて、近くにあった『おりがみ会館』に立ち寄る。

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実は、折り紙関係の美術館や博物館は日本にはかなりたくさんあるようだ。順不同でいうと、石川県には世界最大と自負している『日本折紙博物館』、都内では墨田区にある『東京おりがみミュージアム』、成田空港にある『日本折り紙博物館』。その他にも広島県三次市に『きみた折り紙博物館』。その他にもあるかもしれない。番外ではインドの『コルカタ・オリガミセンター』。

思うに、展示物の作成原価が安いから作りやすいのかなと、的外れかもしれない仮説を立ててみる。

展示物が倒れて負傷者が出るようなものでもなく、材料費は中には高級和紙もあるかもしれないが、基本的は安価だろう。紙だと長期保管が困難だが、製作者が存命であれば復元は可能だ。

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しかし、展示物を見ていて思ったのだが、やはり他の一芸と同様に、達人とシロートとの差は歴然のようだ。熟練者の作品と折り紙クラブの会員作とは何段階もレベルが異なる。折り鶴と言ってもとんでもなく微細かつ巨大作品が展示されていた。折り紙クラブの作品でさえ到底到達不可能であるので、教室会員になろうとも思わない。何しろ、単に散歩の一環だったわけだ。

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そして、驚愕したのは売店に入った時。大勢のお客様のほとんどは欧米系の外国人の方で、英語本を買ったり、各種高級和紙を買ったり、ニコライ堂への道順を聞いたり。対応されている店員(館員?)の方々も流暢な外国語対応だし、ある意味どこの外国でも、外を歩いたり運動をしたりという動的な趣味の人だけではなく、家に籠ってミニチュア的なものを安価で作るという方を好むという人もいるのだから「折り紙の世界」というのは、バーチャルではなくリアルな世界でありながら魔法的なのだろう。

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時期的にも戌年を控えて犬の折り紙セットが並んでいたが、大部分が外国人観光客という客筋からいって、やや違和感かな。犬の折り紙セット数百円を支払っても、たぶん完成できずゴミ箱行きになりそうなので、帰宅後、ネットで調べて試作をしようと思ったのだが、外に出て歩き出すと、折り紙世界の魔法が解けてしまった。

「詰めろ」か「受けろ」か

2017-11-18 00:00:41 | しょうぎ
将棋を指していて何気なく使っている用語や格言でも、意味がよくわからないものもある。格言で言えば、「横歩三年の患い」とか「王の早逃げ八手の得」などは、意味は分かるが、いかに何でも言い過ぎではないかと思う。「打ち歩詰めに詰めあり」というのは実戦ではそういうことはまずない。詰将棋なら間違いなく正しいが、そもそも詰将棋には絶対に「詰め」がある。

用語で不思議なのは、「一手すき」。「すき」というのが「隙」なのか「空き」なのかの差なのかもしれないが、「一手すき」といっても、放置すれば詰まされるのだから「すき」なんてないわけだ。さらに、それと同じ状態を「詰めろ」というのだが、これは妙だ。「詰めろ」というよりもどちらかというと「受けろ」の方が正しいと思う。もっとも相手に「受けろ」と命令する権利はない。

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実は、この「詰めろ」の語源は明らかになっているそうだ。

昭和初期の強豪棋士である大崎熊雄八段(贈九段)が、相手に一手すきを掛けたときに、「さあ、詰めろ」と言っていたそうだ。「こちらの王が詰むなら詰めてみろ」という意味で使ったようで、やはりあまり品のあることばではなさそうだ。大熊八段は阪田三吉の時代の棋士で日露戦争の時は旅順包囲戦にも従軍している。その時、弾が当たっていたら、存在しないコトバだったわけだ。

*よく調べると、実際に弾に当たって負傷したそうだ。「撃てるものなら撃ってみろ」と言ってしまったのかもしれない。


さて、11月4日の詰将棋の解答。

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舞台装置が大きいが手数は短い。余詰めや変同対策の結果だ。要人来日の時の過剰警備のようになってしまった。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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入玉風でバラっとしている。正月が近いので「1」の字詰めを目指したが完成に至らなかった図。といっても詰手数は1月1日に関係がある。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

和歌山ラーメンを勘違いしていた

2017-11-17 00:00:36 | あじ
和歌山のソウルフーズといえばラーメンだろうか。実は、あまり期待はしていなかった。というのも東京のある和歌山ラーメン店の味は、どう考えても平凡で醤油味が強く尾道ラーメンや旭川ラーメン、徳島ラーメンと区別がつかない。

ところが、事前にチェックすると、ネット上の口コミ(つまり本物の口コミじゃない)では、かなり超絶的感動を与える味らしい。特にJR和歌山駅から徒歩圏内の井出商店のラーメンが群を抜いているようだ。が、和歌山にいたのはそのお店の定休日。

駅の近くのラーメン店ベストテンを参考に駅ビル内のあるラーメン店に入店し、チャーシュー大盛のラーメンを頼む。和歌山の特徴だが、カウンターなどに置かれた巻きずしを食べてもいいことになっている(有料)。

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これは東京で食べた和歌山ラーメンとは別物の素晴らしさだ。製法はよくわからないがダシは複雑な味である。叉焼も食べやすく刻まれている。麺は固ゆでの細麺。結局、スープ飲み干しということになり、巻き寿司に手を伸ばす余裕はなくなる。

もしかしたら、東京で食べてうまく感じないのは和歌山ラーメンだけではなく、尾道も旭川も徳島も同様で、単に三流ラーメン店がラベルを張り替えているに過ぎないのかもしれない。

淡嶋神社で見たものと見なかったもの

2017-11-16 00:00:33 | たび
友ヶ島に行くためにわざわざ和歌山県の加太港まで行ったので、徒歩10分以内のところにある淡嶋神社総本社に行かないわけにはいかない。

といっても友ヶ島をネット上で調べていた時に発見したのだが、確か人形供養で有名で、全国から宅配便で何らかの理由で不要になったものの祟りを恐れた所有者からご供養をお願いされているようだ。もちろん生きたペットなどはお断りだが、最近では人間まで簡単に処分する事例が発生している。

さらに、堺にある世界最大の墳墓の主とされる仁徳天皇の祖母にあたる神功皇后が、妊娠中にもかかわらず朝鮮半島南部で軍事作戦を行った帰路、瀬戸内海で暴風雨に会い漂流を始めたのだが、奇跡的に友ヶ島に漂着した。そして社が友ヶ島4島の中でも最も小さな岩のような神島に建てられた。

伝承の通りであれば瀬戸内海を西から東に向かって当時の首都である大阪の直前に嵐になり、危うく太平洋まで漂流するところだったことになる。舟には生まれたばかりのゼロ歳児の応神天皇も同乗していたはずで、そうなると仁徳天皇以下も存在しないことになる。というか、結局、その家系は何代か先に欠け、神話時代に分家した家系から継体天皇が即位する。

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その友ヶ島にある社を仁徳天皇が本土に移したのが淡嶋神社とされる。

また婦人病に罹った女性の神様がいて、悲運にもこの神社に流されたところ、新鮮な魚介類(鯛が名産)に恵まれた結果、快癒したと言われ、それが「女性のための神社」と変形し、人形供養や雛流し、針供養といった微妙な行事になったり、女性の願い事専門神社になった由縁のようだ。

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拝殿に向かって左側には、供養を待つ人形が多数座っていて、いささか不気味だ。その奥の方には絵馬コーナーがあり、いつものように絵馬に書かれている無茶苦茶な希望を観察しようと思ったところ、撮影禁止!の立て看板が見えた。撮影までする気持ちはないのでカメラをカバンの中にしまうのだが、そちら方面に歩こうとすると売店(とは言わないが)の巫女さまからレーザービームのようにキツイ視線が飛んできたので何事もなかったように踵を返す。帰宅後、調べ直すと拝殿の裏手で女性がパンティを奉納するという奇習があるそうだ。いやはや・・

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神社の入口付近には焼却炉があり、奉納された人形たちが、間違いなく煙となって天国に登っているというファクトの証が強調されている。誰も疑ったりはしていないのだが。