評伝・中島敦(村山吉廣著)

2019-10-31 00:00:15 | 書評
副題が『家学からの視点』となっている。このところ夭折の作家・中島敦の話ばかりで辟易でしょうが、もう少しだけ。本作とあと1作、たぶん現在のところの最終的評伝というのがあるはず。そして、神奈川近代文学館で開催中の「中島敦生誕110年展」。伝記とは関係ないが、穴を掘っている時に見つけた横浜高等女学校のこと。



本著は副題の通り、中島家に共通の学問としての「漢学」の立場から中島敦を捉えようとした著作である。といっても簡単に言うと、代表作の「山月記」や「李陵」などは中国の歴史に題材を頼っているので関係があるのは自明なので、むしろ著者が綿密に調べたのが中島家の先祖からの流れである。家学が漢文学といっても実は先祖代々の話ではなかった。

いずれにしても中島敦に影響与えたと考えられる人物は祖父である中島撫山(ぶざん)という第12代であり、10人のこどものうち8番目の田人(たびと)の子が敦である。中島撫山という人物は漢学者としてはひとかどの人物で北関東(久喜)を中心に多くの弟子がいて、全国に教え歩いていたそうで、そのこどもたちの多くは影響を受けている。

ということで、中島家の始祖からの流れと中島撫山について記述される部分が全体の1/3、中島家の人々(敦を除く)が1/3、中島敦のことが1/3という構成になっている。ただ、敦については既に相当数の評伝があり、結局、どの作品が優れているということではなく、どの作品が好きだというような選択肢しかないように思える。また、謎に包まれた母の離婚問題とか、新婚早々別居していた理由とかについては、あまり肉薄はしていない。一方、先祖のこととか、父親のこと、斗南先生と呼ばれる伯父さんのことは詳しい。

順を追って、まず祖先のこと。中島という姓は遠祖が尾張の中島郡を領した中島氏であることによるとのこと。連(むらじ)であったようだが、連は大和朝廷時代の役職でもあり、地方の豪族という意味もある。いずれにしても戦国時代の末には京都にいたわけだ。

そして、戦国時代から江戸時代へ移ることが確定した大坂の陣で中島家は兄が豊臣側に回り、弟が徳川側に回る。結果は弟の勝。その結果、弟が初代清右衛門として江戸に移住することになった。

では、代々の当主が〇代目中島清右衛門と名乗った一族は江戸で何をしていたのだろうか。中島家の伝承では、『御乗物部』ということだそうだ。乗物というのは駕籠で御がつくのはその中でも引戸のついた最高ランクの物を指すようだ。いわゆる大名駕籠である。この駕籠の注文を受けて、駕籠の製作をする下請けに回していたようだ。士農工商の中でも工でもあり商でもある。

しかし、武士じゃなかったのに大坂の陣で二手に分かれたというのもよくわからないが、ともかく撫山の父である第11代は駕籠の製作販売を業としていて、それなりに豊かであった(豪商)そうである。

ところが撫山は、この代々の仕事がつくづく嫌になったそうだ。大名との取引となれば、重要なのは袖の下。そういう実態に我慢ができなかった。しかも幼少のころから漢学に親しんでいたので、いつか家を捨てようと考えていた。そして三十になった年に家を出て親しい漢学者の先生の家に住み着いてしまう。家出をするには年を取りすぎているが、孔子のいう「三十ニシテ立ツ」である。さらに幸運だったのは、ちょうどこの頃コレラをはじめ様々な病気が流行して、多くの漢学塾で指導者が亡くなったらしく、穴埋めのために新米先生の撫山の仕事は自然と増加していったわけだ。

そして、撫山のこどもたちのことだが、10人の子のうち男が6人、女が4人。まず家系図で気付くのは、中島家の人たちの長寿ぶり。この女4人の中には寿命百歳もいる。八十、九十は当たり前ということ。それなのに敦が33歳で喘息という病気で亡くなったことが、なんとなく受け入れにくい。喘息は伝染病ではなく、こども時代にはその気配もないことから、定説はない。家庭内に愛情がなかったことで、いつも黒猫を抱いて眠っていたことが原因ではないかとの親戚の指摘もあるが、真実は不明。

そして、敦の父親である田人だが、教員だった。中学の教員として朝鮮半島のソウルにも勤務している。つまり敦も中学時代はソウルにいた。そして一高、東大と進んでいく。田人については著者は小人物と断定していて、敦とは親子喧嘩が絶えず、前述の黒猫を蹴ったりもしている。現代のイジメ教師のようだったのかもしれない。敦は母親はいないは父は乱暴者ということで、一人で生きるしかなかったわけだ。

中島家の不思議なのは、11代目の家から家出して駕籠屋を捨てた撫山が結局12代目になる。撫山の弟はかなり年下であり杉陰といい、日本画家になったわけだ。駕籠屋の子が漢学者と日本画家になったわけだ。この杉陰の子には男児が得られず、ちょうど早世した敦の末子を養子として受け入れている。

そして撫山のこどもたちの中には海軍中将もいるし生涯独身の怪人物である斗南もいる。遺灰を熊野灘にまかせて海の神となって米軍の艦隊を撃沈しようとした男である。敦とは将棋の仲間で、敦自体、「将棋がきわめて強い」と知人評があるのに、斗南はさらにずっと強かったそうだ。本書には書かれていないが、敦は若いときに江戸時代の棋聖の記録を並べたりしていて、おそらく斗南の影響なのだろう。

ところが、中島家の人物の共通の特徴というのは「漢学と囲碁」ということだそうだ。囲碁ではなく将棋にはまったのは家への複雑な感情の表れなのだろう。

繰り返しになるが、本著では中島敦そのものではなく、彼の親類筋の記載が中心になっているので、ここで筆を置く。

JIA DE号は放置されるのか

2019-10-30 00:00:34 | 市民A
台風の被害で、よく報道されるのは市原市のゴルフ練習場の倒壊の後始末問題。ようやく住居の上に倒れかかっていた鉄柱類の撤去が始まった。千葉県には親しい人も多いので、やや内実に近い話も聞こえていて、「まもなく動きだす」という情報のあと、クレーンが働き始めた。リアルそのものの話はわからないが、練習場の会社が入っていた大手保険会社の契約でどこまでカバーされるのかについて、ロンドンの再保険会社と調整していたのだろうと推測している。

保険範囲が定まらないと、責任の持ち方が決まらないということだったのだろう。その範囲の中で支払われる保険料というのは、来年か再来年の世界中の保険料が少しだけ上がるというところで相整うはずだ。

さらにいうと、保険の範囲という問題は被害を受けた住民側の保険にも関係するはずで、こちらも上記ロンドンの会社のところで調整されるのだろう。ただし、それとは無関係に民事訴訟は可能で、被害額、弁償額、保険金が確定した段階で、損害の多い人や少ない人がでてくるのだろう。


ところで、台風19号の時(10月12日)東京湾が直撃になり、パナマ国籍の中型貨物船「JIA DE」が沈没し、4人が救助されたものの、5人が亡くなり、3人が行方不明になった。3人の方は船内に閉じ込められている可能性もあるのだが、船を引き揚げる話は進んでいないようだ。実際、そう大きい船ではないものの海底での船体の状況次第では、その上を航行することができないわけで、次の事故の原因になりかねない。

沈没したときから情報を探していたのだが、あまり有用な情報がなかったのだが、少し複雑なことになっているようだ。

まず、当初情報では錨地に錨を下ろして停泊中にもかかわらず、沈んだことになっていたが、一つの噂として、実際には当局の指示で、別の錨地に移動するように指示があって、錨を巻き上げて移動中に転覆したという話があるようだ。もう一つの情報だが、船側が過積載だったのではないかという噂があるようだ。(トラックの過積載と違って、空き容積があっても重いものをいくらでも積めるわけではない。船での積み過ぎが危険なのは誰でも知っている。)

これらについては国の運輸安全委員会が調査を始めたようで、サッカーと同じでホーム有利、アウェイ不利の結論が出るだろうとは思うが、だからといって誰が引揚費用を払うかというのは別物だろう。

そして、さらに複雑化しているのは川崎市の条例のせいという噂がある。本来、沈没した船の引き揚げは船の所有者(いわゆる船主)が行うもので、船主が保険にも入っている。妙な話だが、引き揚げの保険に入っていないとサルベージ会社やタグボートの会社も仕事してくれない。代金を払ってくれないからだ。

ところが川崎市は条例で、船舶の引き揚げや曳航といった費用は運航会社が負担すると決めているらしいのだ。おそらく、国内では船主は零細で運航会社がリッチという構造なので、過去に船主からの回収に苦労した経験があるのだろうか。ところが今回の場合、運航会社というのは東京にある中規模の会社なのだが、船主ではないし保険の当事者でもない。船主は海外船主でありそちらが払うのが筋だということなのだろう。

さらに、4年前にやはり川崎港で船火事があり、その時の運航会社は偶然にも今回と同じで、その時の焼けてしまった船体の曳航の時ももめていて、結局、なんらかの不透明な手打ちが行われたのではないだろうかとも噂されているらしい。さらに、その時のコトバの行き違いから名誉棄損の裁判にまで至ったとも言われている。


まあ、すべて正しいルールを作って正しく運用するということが重要なのだろうが、こういう保険もすべて再保険先の保険会社が結果として裏で悪魔のように差配しているということになるのかもしれない。

トランスポーター(2002年 映画)

2019-10-29 00:00:15 | 映画・演劇・Video
シリーズ物に手を出すと、色々と苦しくなるというのは、よくある話で、寅さんとか釣りバカとか座頭市とかを極める気にはならないが、数本のシリーズならいいだろうかとか思って、『トランスポーター』を見てしまう。



リュック・ベッソンの脚本で、主演がジェイソン・ステイサム。英国人だ。なんとなく007シリーズのように、一人で暴れまわる。たぶんラグビーでもしていたのだろうと思って後で調べると水泳の飛び込み選手だったそうだ。007と大きな違いは、ジェームズ・ボンドは英国のスパイ(つまり公務員)という正式な職業なのに対し、『トランスポーター』の主人公のフランク・マーティンは、運び屋である。運ぶ物にはこだわりがなく、「私はなんでも正確な時間に運びます」と、日本の大手運送業者と同じことを言う。

シリーズ第一作で運ぶのは、若い女性。バッグに詰められている。本当は、なぜ運ばれるのか、今一つわからないのだが、この女性の父親は中国系のマフィアだ。アジア系のこども約400名をフランスに密輸しようとしていた。

そして、運び屋の口を封じようとする組織、警察、運んだものの組織から逃げ出した女性との関係とか、話が徐々に複雑になり、時々、カーチェイスが行われ、フランスのどこかの町に瓦礫と死体の山ができる。愛車はBMW。今度はドイツ製だ。もっともカーチェイスできるような車はフランスにも、アメリカにもないだろう。シリーズは進展しても、カーチェイスはそのままだが、次あたりは、ドローンに乗って空中戦になるのだろうか。

書き忘れたが、中国マフィアの娘を演じるのはスー・チーさんといって有名政治家と同じ名前だが、台湾の女優だ。


実は、このDVDを観たのは先週だったのだが、その日のニュースで、ロンドンの近郊でトレーラーのコンテナから39人のアジア系(全員あるいはほとんどが中国人)の遺体が発見される事件が起きていた。なにか嫌な感じだ。スーパーマンやバットマンの映画なら、誰かに頼まれる前に事件現場に正義のヒーローが現れて事件を最小化してくれるのだが、ジェイソン・ステイサムは報酬を先に決めないと活躍してくれない。

18世紀から19世紀の人身売買については、もっぱらポルトガルがアメリカ大陸向け、英国が欧州向けとテリトリーを決めていて、リバプールが奴隷集荷場だったと言われる。今回の事件と同様に、多くの奴隷が寒さのために亡くなったとされている。

中島敦(森田誠吾著 評伝)

2019-10-28 00:00:06 | 書評
中島敦にはまりこんでいる。といっても、すでに正規に作品として発表されているものはほとんど読んでみた。現在は中島敦全集の別冊の中島敦作品の評論等を読んでいる。

そのような、作家の周辺を書く方式としては、「評論」、「伝記」、「評伝」という種類がある。森田誠吾著の『中島敦』は、評論ではない。評伝となっているが、限りなく伝記に近い。皮肉なことに中島敦の代表作は『李陵』との評が多いが、その作品では「述べて、作らず」という手法が追及されている。それでは小説でなく史書になってしまうのだが、そこが技の使い方というか、今回のテーマから離れるのでこれ以上は触れない。



この本が出版されたのは文庫本の奥付で1995年1月となっている。最初から文庫本だったのか単行本があったのか定かではないが、筑摩書房が昭和23年に社運をかけて全集を発行しようとしたいわゆる第一次中島敦全集を元にしていると思われる。この全集は売れ行き好調と誤認した出版社が、増刷してしまった分がそのまま売れ残り、出版業界に「ベストセラーを出した出版社はつぶれる」という教訓をもたらしたほど筑摩の経営を傾けた。

その後、筑摩書房は太宰治や宮沢賢治の全集で盛り返したものの、昭和51年(1976年)第二次中島敦全集が完成したが、2年後に会社更生法に至ってしまう。そして、2002年に第三次中島敦全集が出版されていて、多くの新しい情報が詰め込まれている。ということで、森田誠吾著は、第二次全集の段階で書かれていて、かならずしも彼の人生の中の行動や深層心理までに筆はいたっていないのかもしれないが、何種類かの伝記を読むことはそれなりに重要だ。

目次から引くと、1.出自、2.東京、3.伴侶、4.横浜、5.宿痾、6.南洋、7.傷心、8.家路。ということになって、出生から時を順に追っている。

4の横浜というのは、敦の勤務先のことで、横浜高等女学校という私立学校の先生になったわけだ。現在の元町の近くにあった学校で、今は磯子にあって横浜学園高校と共学校に変わっている。この学校の話を書くと、まったく終わらなくなるので稿を改めて書くしかない。

5の宿痾というのは、彼の精神状態のことなのだが、それとは別に33歳で早世した原因が宿痾喘息。こどもの頃は頭脳だけではなく運動も一流。まったくの健康であった彼が慢性的な喘息になった理由は明らかになっていないのだが、森田氏は、こども頃から家庭内の愛情に飢えていた敦少年が四六時中、飼い猫を抱いていたことによるアレルギーが原因ではないかとの説を書いている。

6の南洋だが、一つには芥川賞候補になった「光と風と夢」は英国の作家で「宝島」や「ジギルとハイド氏」を書いたスティーブンソンが、肺病を軽減するために南太平洋のサモア島で暮らす日常を書いたものだが、英国人を鬼畜と表現した時代に芥川賞を受賞できるはずもなかった。そして、敦は、喘息の苦しみから逃れるために当時日本の統治領だったパラオに働きに出るのだが、パラオはサモアと異なって、それほど暖かくはなかったのだ。私は「光と風と夢」は、パラオにいった経験を生かして書いたのだろうと常識的に考えていたのだが、実際は逆なのだ。南洋の小説を書いたら、そこに行きたくなり、行ってみたらそれほど暑くなかった、ということ。

実は、1992年に「中島敦 没後50年展」が神奈川近代文学館で開催されているが、ちょうど今、同じ場所で生誕110年展が開かれているのである。会期はあと1ヶ月を切っている。あと何冊か読んでから万全な態勢で展覧会を制覇したいな、と思っている。

小津史料館には驚くことが

2019-10-27 00:00:22 | 美術館・博物館・工芸品
東京日本橋の昭和通り沿いにある『小津和紙』の3階に『小津史料館』がある。あまり有名ではない小さな博物館なので、今まで訪れなかったが、そういうところにもささやかな驚きがあるものだ。

まず、一階の小津和紙の店舗だが、いったい今の東京に何が起きているのだろうか。

店舗には人があふれているわけだ。それも、ほとんどが外国人旅行者だ。さすがにアジア系の方は少なく欧米系ということだ。和紙が珍しいのだろう。さまざまな和紙がさまざまなサイズで次々に売られている。問屋のようだ(実は問屋でもあるのだが)。外国語が飛び交っている。少なくても三か国語は聞こえている。ほんと、御茶ノ水の折り紙ショップもこんな感じだった。



そして、エレベーターで3階に上がるとそこはもう静寂の中に史料室がある。

実は、『小津和紙』とか創業366年というので、江戸時代からの和紙の問屋かと思っていたのだが、和紙の展示品や製造過程を見ている時には気が付かなかったのだが、歴史的資料を見ているうちに、「おやっ」ということになる。江戸時代には別の商売をしていたようだ。江戸の富豪番付でいうと、だいたい5位から10位の間にあったようだ。とても紙など売っていたわけではない。金融業を主としていたようだ。悪く言えば紀州のドンファンみたいだ。

展示資料の中には、大名などが、藩の金策に窮して小津商店から金子を借りて、その見返りの借入証が並んでいる。本当に千両箱十箱クラスの金だ。借入の証文は返却されれば借主に返すはずだから、史料として残っているということは、返さずじまいになったということだろう。もう、大名家の名折れだ。ご子孫がいれば早く返した方がいいだろうが。金利はとても払えないだろう。



そして、小津家に関係の深い人として、1.本居宣長、2.小津安二郎のことが触れられていた。

まず、本居宣長。医者の傍ら、日本の古典文学を読破し、「古事記」の研究、「源氏物語」を講義したり、平安文学に見られる「もののあはれ論」を展開した。江戸幕府からは一歩距離をおいていた。経歴には伊勢松坂の木綿商の家に生まれたとなっている。Wikipediaには「伊勢松坂の豪商・小津家の出身」と書かれているが、誤解を招く表現だ。当時は豪商でもなんでもなかった。

さらに、小津家から出て本居を名乗ったかのような話だが、実は逆。つまり捻じれているわけだ。

まず、本居家は伊勢にあり南朝方北畠家に勤める重臣だった。しかし戦国時代末期になり信長は北畠家をつぶすために蒲生氏郷に北畠を攻めるように指示。この段階で、本居家の当主だった本居武秀は北畠から蒲生へ寝返ったわけだ。蒲生家はその後、秀吉の天下統一に力を貸す大名になったのだから。基本戦略は正しかったのだが、個別問題は別だ。資料では、北畠×蒲生の戦いの中で討ち死にしてしまう。そして残された身重の妻は伊勢の小津村に退き、男子を生むわけだ。そして新たに村の名前である「小津」を名乗ったことになっている。

実は、主人が亡くなっても戦いに勝ったわけだから、妻がこそこそ逃げるというのは不思議な話だ。邪推かもしれないが、この蒲生氏郷という男、短気という欠点があり、気に入らない部下は、成敗してしまうことが多かった。もしかしたら本居武秀もそういう形で犬死したとも考えることは許されるかもしれない。そうなると妻も逃げ出した方がいいということになる。

ともかく、この不幸の中に生まれた七右衛門が伊勢で木綿商を始め、その子、三郎右衛門道休の代に江戸にも店を出した。1698年のことだ。江戸の店は、その後、1755年に為替取引を始める。これが豪商への第一歩だった。一方、伊勢では5代目のこどもたちの中に宣長がいて、こどもの頃は店の手伝いをしていたのだが、母親が木綿商の先行きに不安を感じ、宣長少年に医師の勉強を始めさせた。そして、成人したのち、何を考えたのかは不明だが、戦国時代に失われた「本居姓」を復活させたわけだ。もちろん本家は小津のままである。


そして、小津安二郎だが、黒澤明と並び、映画監督として海外でも有名だ。原節子を含む「小津組」として映画史に大きな存在を残した。実は、小津家とは血縁はないようだ。関係がないということではなく、小津家は事業が拡大するにつけ、事業ごとに分家をしていくのだが、番頭クラスに小津の姓を与えていた。ちなみに安二郎の父は海産物問屋だ。(原節子の名前は中島敦の研究の中にも出てくる)

そして小津家が紙問屋を始めたのは1880年。東京洋紙会社を買い取り、小津洋紙店を始めたときからだそうだ。

ところで、現代の小津産業だが、紙の仲間に入れるのかどうか、電子工学や医療で使われる紙や、不織布を製造販売しているそうだ。

これがオークションサイトに

2019-10-26 00:00:26 | しょうぎ
少し前に、ヤフオクで十数品を売り払った。使わなくなった専門書や参考書など。著作権とか関係している場合は慎重になるが、それほどとは思われない物は片づけたい。その中には、いくつか将棋関係の書籍類もあったのだが、やはり「藤井聡太」という魔法の単語が書かれていると確実に売れるが、それがないと売りにくい。

で、一般論で言うと、将棋関係のオークションは玉石混交だ。特にメルカリの方は石だらけの中に「もしかしたら玉?」というのもある。盤や駒の価格が比較的安く、「榧〇寸盤」が一桁、二桁安いのだが、売る方に知識がなく、本物かどうかを画像を見て判断するべく項目が不足していることが多い。実物を目で見ればほぼわかるのだが画像ではなかなか判らないし、裏返した画像もない場合がある。

一方、ヤフオクの場合は本物率が高いような気がするが、「こんなもの売り出すの?」というものがある。



『免状』である。

○○○○殿と実名が書かれている。(当たり前だ。)段によって、書かれる内容が異なるが、いうまでもなく、他人の名前の書かれた免状はなかなか売れないだろう。そもそも本人が売るわけはないと思われる。

おそらく、親父や祖父の遺留品なのだろう。額に入っていると場所をとるから将棋盤と駒と一緒に売ってしまえ、ということだろう。将棋を知らないと言っても、あんまりだろう。

後で免状を売られそうな場合は、遺書に「一緒に燃やしてほしい」と書いておくべきだろう。あるいはもっと確実なのは、免状の裏に遺言状を書けばいい。「全財産を将棋連盟に寄付する」とか紀州のドンファンの真似をすればいいだろう。残すべき財産がまったくない人は、そもそも免状を申請しない方がいいだろう。


さて、10月12日出題作の解答。






初手が見えにくいが、しばらく考えるとこれしかないことになる。2一の地点に合駒を打たれないように先着。「敵の打ちたいところに打て」という古典的格言通りである。

動く将棋盤は、こちら

GIF版



今週の問題。



判ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

旅猫リポート(2018年 映画)

2019-10-25 00:00:27 | 映画・演劇・Video
有川浩氏の同名小説の映画化。W主演は福士蒼汰演じる宮脇悟とオス猫(ナナ)。猫役は高畑充希。猫役といってもカブリ物で登場するのではなく、声だけ。夏目漱石の『猫』と同じ方式だ。舞台やラジオドラマでは男性が演じたが映画では女性になったのは、猫顔女優を探したからだろうか。



ストーリーの現在時刻は福士蒼汰が猫を連れて各地の知人宅を回る旅から始まる。旅の目的はまだ明かされない。知人に猫を預ける旅なのだが、なかなかうまくいかない。恐い犬がいたり、別の猫を飼ったばかりだったり、そもそも猫の方は悟と別れる気がない。

そして、時制は大きく過去に戻り、悟少年のこどもの頃の悲しい記憶に戻っていく。映画は、この過去のできごとと現在時刻の間を往復して過去の人たち(つまり同年代の友人)の現実につながっていく。

結局、この旅の目的は、悟が不治の病に追い詰められているという秘密に行き着くのだが、ナナ(猫)の方も、観客より先にその秘密に気が付いてしまう。

そして、悟にとっての最後の地となる病院の近くでナナは野良猫生活を始め、患者のお散歩時間になると面会を続けるわけだ。


メインストーリーの中に竹内結子(演:悟の伯母)がいるのだが、関係が複雑なので省略。

本来は、猫や犬を看取るのは人間のはずだが、本作では逆になっている。映画は一年後の法事の時までで終了するが、海の見える高台にある宮脇家の墓地はいずれナナが猫又に変身して守ることになる(はずだ)。

実は、この映画には少年から青年にかけての男女が何人も登場するのだが、本来、社会の中に一定の率で存在する不良少年少女や人格欠陥少年少女は一人も登場しない。一方で、不良中年は色々といるわけだ。もっともそういう人は選挙になると投票所に行き、若い人たちは投票に行かずに結果として社会の中で食い物にされているのが現実なのだろうか。

環礁-ミクロネシア巡島記抄-(中島敦著 紀行)

2019-10-24 00:00:37 | 書評
中島敦は、東京帝国大学を卒業している。それも大学院。病弱であり卒業までに時間はかかったものの、卒業後は文学に取り組みながらも仕事をしようとして、役人になる。南洋庁という省庁である。もとはというとドイツ領だった太平洋の北側の島々を、第一次大戦の戦果としてドイツから頂戴したわけだ。ひとことで言うと植民地。南洋開発といいながら、海軍の基地化を狙っていた。

中島敦にも、この紀行にも何の関係もないのだが、今でもドイツ人は第一次大戦で日本にしてやられたと思っている人が一定数いるようだ。第二次大戦の同盟も野合であったのだろう。

そして彼の勤務地はパラオ島のコラールという町。実は1万人以上の日本人がミクロネシアに住んでいたそうだ。その中心地である。南洋庁といっても実際の役人(日本人)は中学卒業者ばかりで、東大卒など雲の上の人。いきなりナンバー2で、給料は職員の3倍だったようだ。そして、パラオには肺の療養に渡ってきた日本人もいたそうで、中島敦も宿痾喘息との戦いを続けていたのだから、そのつもりもあったのかもしれない。

彼は、有名な英国の小説家であるスティーブンソンが同じく肺を病んでいて、南太平洋の島に住んだことを知っていたのだが、肺の回復に大きな期待を持っていたはずだ。

『環礁』は、実は彼が島を離れて1年ほど後に書かれる。そして発売されて一ヶ月ほどで中島敦は33歳で、東京で亡くなってしまう。『環礁』の中には、彼自身の家族も含め個人的な都合や理由はまったく書かれていない。そういう意味で本作には私情は感じられず、作品はまったくプロ的である。

巡島記と副題があるように、彼はコラールに着任すると、あいさつ代わりも含め、島々をめぐり始める。島々はそれぞれ独自の文化を持っていて、言葉も多くは異なる。島の自然についての描写、人々の民族的描写、文化・民俗学的描写、マリヤンという女性との出会いと別れ、そして美しい海や牛やヤギとの時間。

想像で書くのはほどほどにしたいが、彼が何とか生きながらえていれば、開高健のようになっただろうと私は思っている。

冗談ではなく、この『環礁』を読むと、いても立ってもいられないほど、パラオに行きたくなる。一ヶ月ほど滞在して、沈む夕日を楽しみながらスマホに青空文庫から中島敦の小説を無料で取り込んで読み耽るなど最高ではないだろうか。

中島敦は作品数が少なく、生涯も短いということから、何種類かの伝記や研究書があり、ざっと読んでいるところなのだが、困ったことに書かれている内容がそれぞれ少し異なっている。おそらく資料を掘り下げればそれなりに新しい中島敦像が浮かんでくるのかもしれない。

そして、パラオの島々は中島敦が去ってまもなく、太平洋戦争に巻き込まれていったわけだ。

すこし、不思議に感じること

2019-10-23 00:00:10 | 市民A
恩赦、ラグビー、台風被害のことについての報道で、不思議に感じることがポツポツとあるのだが、どうなのだろう。

まず、恩赦。罰金刑の方に対する権利復帰が主な対象のようだが、そもそも悪いことをした人が得をするような方式というのはどうなのだろう。特に酒気帯び運転や無免許運転の人が一日でも早くハンドルが握れるようにというのは、方向違いのような気がする。詐欺師や窃盗犯・・免許の色が青い人を金色に戻してくれたりすると多くの国民が嬉しいのだが。

ラグビー準々決勝。日南戦というか、ラインアウトからのスローインでターンオーバーが非常に多かったように感じたのだが、それが決定的な差になったと思う。サインが読まれていて待ち伏せされているのではないかともうっすらと感じた。もちろん、試合の中でサインを見抜かれたのかもしれないが、試合の前から見抜かれていたとしたら・・・。そういうことになったら、この大衆的熱気というのが全く違う方向に流れていきかねないから、こわくて口に出せないのかなとか・・

台風被害。ハザードマップのこと。結局、ハザードマップ上で線で区切られた土地には住んではいけないというようなことになりかねず、私的財産の侵害になるし、また、都市災害の原因は複合原因になるし、誰が悪いのかもよくわからなう。多くの家が火災保険に入っていないのは保険料に対して保険金が低いと感じているからだろう。
ところで市原のゴルフ練習場の倒壊問題だが、ゴルフ練習場側の保険会社がロイズとの再保険の確認中ということのようだ。基本的には、世界中のほとんどの保険会社がロイズに再保険を掛けているのだから、再保険が有効な範囲は保険金を払って来年の世界中の保険料が少し上がるということで収束するはず。さらに千葉で聞いた話では、少額の家屋被害の場合、多くは被害額の査定にはこないそうだ。保険会社の合併により社員数が減少して、査定できる社員が不足しているようだ。

ラグビーで民衆蜂起か?

2019-10-22 00:00:11 | スポーツ
ラグビーワールドカップが盛り上がっている。視聴率は50%近くにもなり、オールブラックスのトレーニング場がある柏市では小学生の間で「ハカ」が流行っているそうだ。

実は、弊ブログ8月13日『ラグビーの話』の中で、日本でのラグビーの発祥のこととともに、ノーベル賞作家の大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』のフットボールはサッカーなのかラグビーなのかそれらの原型である民衆フットボールなのかという考察を書いた。要するに万延元年に日本の一部で起きた民衆蜂起をそれから百年後に起こすための練習として、当局の目を眩ませるためにフットボールの練習と偽ろうということなのだ。

民衆蜂起の練習ならばタックルもできるラグビーか、狂熱のエネルギーの高い民衆フットボールだろうが、そもそも民衆フットボールは警察に見つかりやすいし、そもそも大江氏は小説の中でボールを蹴ることは記述されているが手で投げるとか書かないので、たぶんサッカーなのだろうと推理したのだが、昨今の興奮状態を考えれば、やはりラグビーなのかもしれない。

やはり、作家本人に聞くのが一番かもしれない。

ところで、日本代表の多国籍化が話題になっているが、実は多くの選手は既に日本人に帰化している。日本に帰化しても名前がカタカナのままであったり、そもそも体形や顔の作りは変わらないということもあるのだが、帰化しているか外国籍かは、名前の表記を見ればわかる。たとえば、リーチマイケル氏。リーチとマイケルの間に「・」がなく、氏名というが、先に氏があり、後に名がある。元々は、マイケル・リーチだった。

そして、公式ビールであるハイネケン。日本製である。

缶けりの記憶

2019-10-21 00:00:26 | スポーツ
そういえば、こどもの頃に『缶けり』をしたことがあったが、どういう缶を蹴っていたのだろうか。缶の種類についてはまったく記憶にない。その当時の日本人は公衆道徳が野良犬並みで道端にはゴロゴロと各種の缶が転がっていたのだろうと、自分の記憶を納得させる。

ラグビーワールドカップの公式ビールはハイネケン。キリンビールが作っている。スタジアムではプラのカップが使われている。紙コップだと丸めて投げる輩(やから)がいるからだろうか。ハイネケンを飲みながらテレビで観戦したが、ガラスのコップではなくスタジアムの臨場感に近づくため、プラのコップを探したら在庫がない。非常用の紙コップはあったが、尿検査サイズであり、断念した。

缶けりラグビーの図を作ってみた。両チームのハイパントはいつまでも止まらないが気にしないでほしい。

凧の博物館で見る多様性

2019-10-20 00:00:46 | 美術館・博物館・工芸品
日本橋の老舗洋食店である「たいめいけん」の5階に凧の博物館がある。たいめいけんの創業者であり、江戸っ子のコックであった茂出木心護氏(1911‐1978)は、終生を通し凧の愛好家であったのだ。世界中の凧、普及品や珍品などを収集したわけだ。

私の想像だが、世界の名画を集めるとか、古代遺跡を集めるという趣味の方もあるだろうが、洋食店の初代経営者にはそれだけの資産はなかったのではないだろうか。それに対し『凧』は、基本的にこどもの玩具である。さらに原料のほとんどは紙である。収集が過ぎて店の経営が傾くというような懸念がないのだろう。もちろん、洋食店を臨時休業し世界各地に凧の収集ツアーに行ったりすれば、店が傾いてつぶれるだろうがそういうことはなかったはずだ。なぜなら、洋食店の前には今でもお昼時間には列ができているからだ。



館内はまず、入るのに圧倒される。5階のエレベーターが開くと、ただちに凧が目に入る。たとえればドンキの店内のように空間のすべてに凧の展示がなされている。凧というのは、一般常識では、やっこ凧とか角凧というように平面的なもので、そのまま壁に吊るせばいいのだろうが、実はそういう形状でない凧がたくさんある。鳥の形のものや四角の箱のようなもの、帆船のようなもの。実に多彩だ。そういう立体的な形の凧は壁に張り付けるわけにはいかない。天井から吊るすしかないだろう。



そういうわけで、凧があちらにもこちらにもあって、ぐるぐると館内を回ると、同じところを何度も通ったりする。つまりドンキ的。日本の凧はいかにも機能的ということだろうか、これが中国と日本の文化の差なのだろう。多様化していく中国、簡素化していく日本。

ところで、最近、ほとんど正月に凧をみない。こどもの頃はよく広場で凧を揚げていた。しっぽの付け方が決め手で、まず仮のしっぽを付けて、その結果で修正する。それを繰り返して、やっとのことで空高く揚げることができる。こどもと父親のファミリービジネスとなり、家族対抗戦のようになるが、家庭内の父親の権威も凧と同じように上がったり落ちたりする。要するに、難しいのだ。さらに、親子間の技の伝承など、数十年前に崩壊したのだろう。親も子もゼロからの凧への挑戦ではうまくいかないだろう。最近の将棋教室もそういう気配なのだが。

ところで、初代経営者は凧を収集したのだが、二代目はスポーツカイト(スポーツ凧)に手を染める。三輪車を凧に引かせて陸上を疾走するパワーカイト、水上と空中を疾走するカートボーディング。要するに人間が凧に乗って空を飛んだり、水上でサーフィンをしたりだ。そして、世界最大級の翼面積のカイトを持ち世界中を渡り歩いている。

そして、現在、たいめいけんは三代目が切り盛りしているようだ。三代目が重要なのは日本史の教科書が教える通りだ。世界に羽ばたいたりせず、日本国内にとどまり、各種スポーツカイト類の輸入・販売を行うに留まっている。そして博物館の維持保全ということだろうか。

将棋入門ドリル1・2・3

2019-10-19 00:00:17 | しょうぎ
新しい将棋教室が始まるので、資料を調べていると、将棋連盟の公式ドリルというのがあることがわかった(というか、前から知っていたのだが)。

とりあえず、ステップ1(入門から10級)・ステップ2(10級から8級)・ステップ3(8級から6級)を買ってみる。



くもん出版である。将棋で「くもん式」という駒がある。大きな駒で駒に矢印が書かれていて、矢印の方向には動いていいという方式なのだが、これが将棋講師にとって苦難の初めなのだ。将棋教室にきて、「矢印のない駒は動かせない」という親子がいるわけだ。

実際にまったく初めての子がきても40分位でルールを教えて20分間の実戦形式で動きは覚えるのだし、将棋の駒が動かせれば、くもん式は卒業になるのだが、くもん式でないと指せないというわけだ。

要するに親は「自分の子は将棋のような難しいゲームはすぐには指せないはずだ。なぜなら、私(父または母)も指せないからだ」という論理を持っているわけだ。つまりこどもの能力を信じていないわけだ。

このドリルも、よほど頭の悪い子を想定して作られているような気がする。9×9のマスではなく、4×4とか5×5の盤で解説しているが、それは将棋とは違うゲームのような気がする。

「将棋を孫に伝える会」というのがあるようだが、「将棋を親に教える会」とか「将棋を囲碁将棋部担当教師に教える会」というのが必要な気がする。こどもに将棋を教えて一攫千金を狙うために、まず自分で将棋を勉強して、たちまち挫折した母親の話を聞いたことがあるが、逆にこどもより熱中してしまった母親の話も聞く。こども相手に連勝を続けた結果、こどもが将棋をやめてしまい、相手を失ってしまい将棋熱も冷めたようだ。

今度、始まる教室には、くもん式の駒は家にあるが、両親とも「将棋倒し」しか教えてくれないという子が二人(男女)いるのだが、どうしよう。

といっても、どうしても、まわりに将棋を指せる人がなく、将棋教室にもいけない子には、このドリルが最後の砦のような気もする。


さて、10月5日出題作の解答。





上の記事の中で、4×4や5×5の盤は邪道と書いておきながら、こちらは盤面が3×3あれば十分という図。豆腐が欠けた図である。

動く将棋盤は、こちら

GIF版も掲載中。




今週の問題。




まあ、便宜的に入玉図を作ったが、あまり難解さはない。指の運動で解けてしまうかもしれない。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

軽井沢ビールを飲みながら

2019-10-18 00:00:11 | あじ
軽井沢ビールを2本飲んだ。プレミアム・クリアとダーク。ラベルデザインは、千住博画伯。この会社は千住博氏の美術館も持っているそうだ。

実は、ビールの味の差ぐらいはわかるのだが、それではどのビールが好きかと言われると困ってしまう。どのビールも味が違うのだが、どれがよくて、どれが口に合わないとかそういう感覚があまりない。あえて言うと、「毎日、違う味がいい」というのが本音だ。大方の日本人は味の多様性が好きなはず。そもそも、ほとんどの種類の酒類を日替わりで飲んでいる。




「みんなちがって、みんないい。」

このフレーズは今の国会で時の総理大臣が突然言い出したのだが、1930年に26歳で亡くなった天才詩人「金子みすゞ」の『わらい』という詩集の中の、「私と小鳥と鈴」という詩の全10行の最後の一行だ。総理大臣の選挙区的出身地である山口県の長門市に、プーチン大統領との歴史的会談の予定があった時に、金子みすゞの記念碑が建ち、裏側に総理大臣名が刻まれている。彼女の著作はある団体が管理していたはずだが、どうなっているのだろう。

「みんないい」といっても詩の中では「鈴と私と小鳥のみんないい」と言っているだけで、何でもいいと言っているわけではない。「自民党と公明党と維新の会のみんないい」ということと同じだ。それと、彼女の詩に心酔するのは構わないが、彼女は人生が八方塞となって自ら亡くなった。今の韓国のような時代だったわけだ。

ビールに話を戻す。

ところで、缶ビンのゴミ出しの時に、他人様の空き缶をみると、ほぼ一種類の人もいる。だいたいが「金麦」なのだが。箱で買うのだろう。悪くはないが、3本続けては飲めない。

食事にしても、ある特定の範囲しか食べない人がいて、宴会の時、困ってしまう。


軽井沢ビールを作っているのは軽井沢ブルワリーという会社で、工場は佐久にあるのだが、そういえば洪水被害はなかったのだろうか。こつこつと一生懸命働いて作った工場が、大災害で無に帰すというのは時々起こる話だ。そうではないことを祈るしかない。

7人の醸造家というのがいるそうで、大手ビール会社から定年後に入った方々や若い農学博士などを中心としているようだが、経歴をよく読むと、ドーバー酒造という会社が事業の中心会社らしい。社員募集の案内のメールはドーバー酒造のアドレスになっているが、詳細は不明だ。

RONIN(1998年 映画)

2019-10-17 00:00:42 | 映画・演劇・Video
まず、映画の話の前にアイルランドのこと。ラグビーワールドカップに参加している強豪国のアイルランドチームだが、面倒なことにアイルランド共和国のチームとは言い切れない。アイルランド共和国と北アイルランド(英国の一部)の合同チームになっている(選手は多国籍だろうが)。

そもそもアイルランドからすれば、32州のうち6州を英国に占領されていると思っている人が大半だ。

さらに今月末に運命の日を迎えるかもしれない英国のEU離脱。アイルランドも英国も今はEUに加盟しているが、離脱すると、国境を自由に行き来できなくなるし、多くの物品の国境を越えた取引には10%程度の関税が必要になる。まず、国境に壁をつくるのは大変だし、どちらの国が国境設置料を払うのだろうか。あと2週間なのに国境のフェンスは1メートルすら作られていない。消費税2%アップでも大騒動なのに10%では手に負えなくなる。

そうなると、スコットランドと同じように北アイルランドも独立を目指す公算が高いだろう。さらにスコットランドの場合は、国民投票とか議会で議決といった方法を選ぶのだろうが、北アイルランドの場合はゲリラ戦という可能性が高い。一般にIRAという武装組織はテロリストのように思われているが、もともとはアイルランドの正規軍。それが二つに分離して、北アイルランドでは英国を占領軍とみなして戦っていたわけだ。

その戦いが休戦したのが1998年4月の「ベルファスト合意」。



そして、この『RONIN』は、このアイルランド問題に関係している。なお『RONIN』というタイトルは日本の四十七士をイメージして付けられたそうだが、四十七士とは何の関係もない。日本の場合はバカ殿さまの狂気によって、失業者となった赤穂浪士が主人公だが、RONINの場合は冷戦終結で失業したスパイやテロリストが報奨金を目当てに頼まれ強盗とか殺人代行といった活動を行う。金がすべてだ。このあたりが共感しにくい背景だ。

そして、RONINたちが狙うのが、あるジュラルミンケース。どうもロシア人が関係しているようだ。それとアイルランド人がこのケースを探している。そのアイルランドの活動家の支持で動くのが謎の美女で彼女がRONINを色々探してきて、ケースを奪うためには何人殺してもいいという指示を与える。場所はフランス。パリとニースで作戦は行われる。

そして、実際に次から次に一般市民が巻き込まれて死んでいく。人質にされた者は奪回されずに、殺されてしまう。町は大破壊だ。

そして迫真の実写版カーチェイス。最近は日本でも流行っているが、自動車専用道路を逆走しながら大逃走。さらに銃を乱射するので、あちこちで被害車両数が積み重なる。他の作品ではみたこともない特殊技術だ。工事中とか解体中の高速道路を借りて撮影したのだろうか。本作、最大の謎だ。

そして、本作最大の謎であるべきジュラルミンケースの中身だが、明らかにならないうちに映画は終わる。アイルランド人の黒幕が亡くなったことで、ベルファスト合意に結び付いたわけだ。私の推測では、ケースの中身は「高濃度ウラン」だろうと推測。冷戦終了につき、余った核兵器からウランが抜きだされて、国際闇市場に流出したのだろう。それをなんとか買い戻そうとロシア人が登場し、反対にアイルランド人は自ら核兵器を持ちたいわけだ。

ということで、カーチェースが最大のみどころといってもいいのだが、長く見ていると車酔いするので注意が必要だ。

20年前の映画だが、10年後に、大部分のクルマがAI付き自動運転車になると、撮影も大変になる。そもそも車が回転しないように横滑り防止機能が付いている上に、ぶつかりそうだと自動ブレーキが利くし白線をタイヤが踏むだけで警報が鳴り響く。

そもそもドローン兵器が出現した今、自動運転の自爆テロとか起こりやすくなっている。

話は変わるが、ニースの街でカーチェースのシーンがあるのだが、市街地の雰囲気は、岡山県の下津井(しもつい)によく似ている。蛸の町だ。

それと白人の顔って、見てもあまり区別がつかないので、RONIN達の中で、誰が先に死んだのかよくわからない点もあるのだ。