今年の100冊目

2007-12-31 00:00:03 | 書評
毎年、100冊以上の本を読んでいたのだが、今年は大苦戦。6月末までの半年で30冊。9月末で52冊。10月に16冊、11月に18冊、そして12月30日にようやく12月の14冊目。これでやっと100冊。本当は、数日前に達成するはずだったが、集計に使っているEXCELの100行目は、最初の1行を「項目」に使っているため、99冊目であることに気付き、あわてて、99冊目を映画監督の書いた軽い失敗作の新書にして、今年の春、4月から少しずつ読み進んでいた本を100冊目として、やっと読了。



「星新一・1001話をつくった人」。著者は、当代きっての伝記ライター、最相葉月。

なぜ、8ヶ月もかけて572ページを読んだのか。あるいは、読むことをこばむものがあったのか。

一つは、星新一は、作られた作品とまったく違う重い人生を抱えていたから。そして、この伝記(あるいはドキュメンタリー)は、彼の最晩年、つまり闘病生活の末、帰らぬ人となった、その時点からの筆で始まるということも読めなくなっていた原因でもある。思えば、作家という職業、誰も定年などないのであって、休筆と言う名の作家終結宣言を行うか、あるいは壮絶に果てるか。まあ、そんなところから、突如として、星新一=星親一の実業家としての前半生に筆は戻る。

星親一の父親、星一は星製薬の創業者である。最相は膨大な資料の中からこの星製薬の正体を追う。いわゆるモルヒネ生産を独占的に行っていた会社であるが、このモルヒネは、ケシ→阿片→モルヒネ→ヘロインという精製工程の中の一つの姿であり、産業としてはケシ畑の栽培から始まる。明治以降、星製薬が行った事業が、それぞれの段階で、現在、どうなっているか、おそらく、本書に書かれていない部分が多いように思える。

星新一には父親の周辺を調べ書いた「人民は弱し、官吏は強し」があるが、さらに別の事実があるということを新一は後日知ったそうだ。

そして、星製薬の破綻。その後の星親一が、傾いた会社の中で運命に翻弄されるさまが描かれている。そして、追い出されるように社長を辞任。ひょいとしたことから、現実逃避的にショートショートというSFのエッセンスだけのような作風に至る。頭の固い出版社からは、枚数あたりの原稿料しか貰えず、名声の割りに大いに苦労したらしい。

800編を過ぎたあたりから、アイディアは枯れ、体力は消耗し、気力だけで書き進み、とうとう1001作に到達。

不器用を絵に描いたような人生ということだろうか。

また、新一の母方の祖母は森鴎外の妹である。森一族には文学者が多い。本の詳しい内容は、書店に行って本体価格2300円を払うか、近々文庫された折に、上下刊合計1500円程度で購入されるかどちらかでお願いしたい。


そして、同じショート・ショートでも、おおた葉一郎の「しょーと・しょーと・えっせい」は、既に1400編を超えているのだが、もちろん、書けばいいということではないのは言うまでもない。「天声人語」を打ち破るのが目標ということなのだが、その道は極めて遠く、険しい。



そして、現在、自宅在庫本になっているのは5冊。超難解な詰将棋が3冊。そして、創作者のためのレトリックや表現法の本が2冊。分野は異なるが、いずれも、限られた読者層に対し「余人を近づけず」というようなタイプの本だ。年末年始の9連休で、ついに着手しようかと思っている。
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寒い話

2007-12-30 00:01:51 | MBAの意見
東北地方の農家がハウスの重油ドロボーを捕まえた話が報道されていた。90リットルといえば、1万円以下である。ハウス栽培では夜でも12度以下にはできないらしいが、残念ながら使った燃料代は野菜の価格に転嫁できないようだ。元々、ハウス農法は、燃料代が高くても地場物の旬をはずしたところで高価格で勝負する「裏道戦略」なので、ハウス農法自体が、今後行き詰るのだろうと思うが、まだそういう論説は見当たらない。エネルギー問題については近視眼の評論家ばかりだからだろう。

論説などという大げさな話の前に、軽四輪車の燃料タンクにはカギがついていないものが多く、灯油用のポンプにホースをつけて、ポリタンクに抜き取って盗む手口が復活したらしい。軽油はまだしも、ガソリンの場合、ビニールホースを液体が流れるだけで帯電していくので、火元がなくても着火大爆発になる可能性が数パーセントはある。絶対にやめた方がいい。自爆テロみたいな結果になるはずだ。色がオレンジや赤色系なのがガソリンなのだが、闇に紛れて盗みに入った場合、色を確かめるためにライターなど使ったらもう終わりだ。

話の格調をもう少し上げて、そういう方面の知人に聞いたところ、この重油や灯油は昨年から2割ほど需要が落ちているそうだ。ガソリンは数パーセントのマイナスだそうで、クルマの新車回転サイクル約8年の後には、同じくらいになるだろうとのことだ。


しかし、今年はやや寒い。灯油の需要が落ちた、ということは他のガスや電力にその分の需要がシフトしたのか、ということだが、特にそういう傾向は見られない、ということだそうだ。その人の話では、「ガマンしているらしい」ということだそうだ。

例えば、

1.老人は居間でテレビを観たりしないで、早く寝る。

2.各部屋ごとに暖房をつけないで、家族まとめて一部屋で過ごす(Wiiでもするのかな)。

3.古い薪ストーブを引っ張りだす。

というようなことらしい。


そして、嫌な話をもう一つ書くと、仮に灯油から電気やガスにシフトしたからといって、財布が楽になるのはしばしの間ということになる。電気の原料のうち、僅かな水力分を除けば、全部外国からの購入分。ウランだって、天然ガスだって、石炭だって原油に追随して上昇していく。現在のバランスを越えて発電量が増えれば、休止している石油火力が復活することになる。また、ガスにしたって同じだ。契約が長期か短期かという差で、いずれ上昇する。現に、主にLPGを使っているタクシーでも最近プリウスが増えている。

結局、この状況と言うのは、「原油が高くなり過ぎて、日本人が原油を買えなくなった」ということなのだろう。湾岸戦争で協力した数兆円や、シーレーン論や外相が中東歴訪したりしても、しょせん原油は今や世界で最も流通性の高い商品である。世界の誰でもがおカネで買える(というかおカネがなければ買えない)商品。バレル100ドルを吸収できる企業や個人が手に入れることができるわけだ。

つまり、原油確保のために取らなければならなかった最大の政策はGDP成長政策であったのだが、アジア各国に振り切られてしまったようだ。

しかし、もとより日本は先進国の中では温暖で土地は肥沃である(米国は別格)。高い石油を買わないことは、豊かになるための一つの道であるわけだから、遊休農地の有効活用や、省エネ型衣料品の開発などを政策的支援する必要があるだろう。一家1万円の燃料補助なんかばらまけば、小売価格への転嫁が進み、最終的には産油国が高価格に自信を持つだけだ。

そして、2007年は原油の高騰というところが噴出したのだが、2008年は穀物が吹くだろう。米、麦、コーン、大豆、・・一つはエタノール原料であり、さらに中国、インドといった米、麦主食地域の発展。すでに、肥料となる硫安は爆騰を始めている。農地開発は大変だが、肥料をつぎ込んで収穫量を増やすなら、単に経済性の問題である。

次に2009年になれば、牛肉問題になるのだろう。今は米国から、「買え!買え!」と圧力があるが、2年後には逆に、米国からの「輸出禁止」となっていてもおかしくない。もともと穀物を作って牛に食べさせるという飼育法は、単に麦を食するのに比べると7倍もエネルギーが必要なわけだ。

しかし、人類が肉食をやめれば、世界人口300億人だって食べていける、という計算があるようだが、そうなれば、もっと他の問題が爆発するのは間違いない。


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謹賀新年(将棋版)

2007-12-29 00:00:14 | しょうぎ
0ef3996e.jpgおっと、まだ新年ではないではないか、ということなのだが、ここのところ毎週土曜は将棋関連ということにしている。次の土曜は1月5日。まあ、遅れるより早いほうがずっといい。年賀状だって、何も忙しい元旦に来なくたってまったく構わないと思っているのは少数派なのだろうか。あるいは多数派なのだろうか。ビジネスの基本は「フライングに尽きる」とは私見であるが、不得意の年賀詰将棋である。

まあ、あちこちの詰将棋サイトで年賀詰めコレクションができるのだが、1年をこの年賀詰めにかけている人もいるだろうから、私のなんかほぼ無価値と割り切り、速攻で考えることにしたのだが、アイディアが浮かばない。「あぶりだし」問題だと、解けないとなんのことやらわからないままになってしまうので、初型曲詰めにしてみた。本当は一問で表現すべきなのだが、能力なく二問仕立てと反則気味である。

コメント欄に最終手と手数、酷評などを記していただければ、正誤判定。


さて、2008年の将棋界の一つのポイントは、新将棋会館の建設計画ということかもしれないが、谷川九段が中心となって企画するようだ。次期連盟会長への布石(いや、将棋だから『駒組みの一手』というべきか)なのだろう。関西会館を閉鎖するのかと思っていたら、道場の改修が行われたようなので、その線はなさそうだが、耳に挟んだ話では、一部の将棋ファンに対し、七段、八段免状の案内が届いているらしい。自分のところには届いていないので、詳細はわからないが、申請料は七段が100万円くらいで八段は250万円ぐらいらしい。

前回の会館建設の時も、免状キャンペーンがあったようだが、実力で段位を取得した人たちにとっては、迷惑な話である。新規顧客確保のために既存客を軽視した某カード会社のような感じもある。さらに30年前には個人企業の社長などは、免状代を会社の経費で落とせたかもしれないが、昨今は公認会計士や税務署の目も厳しい。さらに、会館建設を目的としていながら一般会計に資金の流用でもあれば信用問題になるだろう。もちろん、会館の寄付と見間違うような詐欺的行為が行われなければいいのだが、一般的には、そういう時こそ起こるものだ。


個人的には、三畳一間でいいから「詰将棋の間」ができれば嬉しいな、と思うが、うっかり下手なことを書いておくと、奉納詰将棋一題10万円とかに追い込まれそうだ。


0ef3996e.jpg前々週12月15日出題問題の解答は、

▲1三桂成 △同玉 ▲2ニ角 △1ニ玉 ▲2一角 △同玉 ▲3一角成 △同銀 ▲2三龍 △2ニ銀 ▲3三桂 △3一玉 ▲3ニ銀 △4ニ玉 ▲4一桂成まで15手詰

色々と上に逃げる変化がやっかいだが、とりあえず割り切れているはずだ。

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元祖ふぐどんぶり(てっさ丼)

2007-12-28 00:00:47 | あじ
71621f90.jpg千葉市に行ったついでに、「ネット上でブームになり始めた、ある新料理を食べに行きませんか」と同行者に誘われた。あくまでも、同行者が私を誘った(ということにしておく)。場所は、美浜区の磯辺高校の道路をはさんだ向かい側にある「新駿河」という和食処。昼間なので、ビールなし。座敷に上がりこみ、さっそく注文する。

「ふぐどんぶり、二つ!」

そして待つこと、しばし・・

登場したふぐどんぶりは、ごはんとフグが別盛になっている。ごはんは茶飯で錦糸卵と海苔がのっている。フグの方は、てっさというにはやや厚切りの刺身にタレがかけられている。別途、わさび。タレを箸先でテイストするとゴマダレである。どうも、一枚ずつごはんにのせて食べるのが作法らしいが、おおた流は、3/4ほどを一気に乗せてみた。そして中央にわさびをおいてできあがり。

71621f90.jpg食べるときは、はじの方から崩していく。韓国流に、全部混ぜ合わせてから食べたりはしない。スプーンがついてないからだ。ふぐはおそらくしょうさいふぐではないかという歯ごたえがあり、茶飯とごまダレとフグのうまみがWell-Balanceだ。おそらく、マネをする場合は、この三種類の味の組み合わせ方が難しいだろう。そして、価格は、驚きの1050円。明らかに消費税率が上昇した場合の値上げに備えた価格設定になっている。


ところで、関東でも最近はフグの大衆化が進んでいて、気軽にトラフグ料理を楽しめる店が増えてきた。一方、ミシュランにもふぐ料理店がいくつも紹介されている。値段の差ほど満足度の差はないようだから、安くてもそれなりに十分ともいえる。

しかし、このつかの間の幸福も、おそらく数年後に中国大陸のプチ貴族たちが、ふぐの味を覚えたら、それまでかもしれない、と危惧している。何しろ、フグ調理が文化になるには、それなりの期間が必要である。一つは調理師の養成であり、もう一つは、その裏側にある無資格調理師によるフグ中毒。それらを社会がこなしたアカツキには、日本人の口に回る漁獲量は激減しているのではないだろうか。なにしろ、トラフグの二大産地は瀬戸内海と南シナ海といわれている。しょうさいフグのふぐどんぶりがせいぜいの贅沢ということになっているのだろうか。

71621f90.jpgさて、この日本人とフグの関係というのは、実は中国・半島と若干の関係があるという説がある。まず、フグ食を全国的に禁止したのは豊臣秀吉と言われる。半島攻略の国内前線基地だった名護屋は玄海灘に面するふぐの名所。出兵前の兵士が毒にあたってバタバタと斃れたそうだ。そして、その時以来の禁令を解いたのは伊藤博文といわれる。日清戦争の講和条約である下関条約交渉中に禁制のフグを食し、その旨さに、思わず解禁したとされる。

たぶん、秀吉の話も伊藤博文の話も俗説とは思っているが、大人気ないので反証は書かないことにする。



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地下鉄80年

2007-12-27 06:44:02 | マーケティング
銀座線のある駅で、見慣れぬ車両を見る。通常の車両はアルミボディに黄色の横線入りだが、「全身イエロー・ボディ」である。車両の横腹に書かれた「80th aniversary」という文字が、「地下鉄開通80周年記念」を表すということがわかる。そう、記念車両だ。

もちろん、よく見ると、現代の車両に間違いことは、そのデザインでわかる。銀座線の代表的カラーは黄色の時代が長かったようだが、その後、現在の横縞のシールに進化したということになる(横縞もオレンジ色になった)。たしか、ペンキの重さの分だけ燃費(電気消費量)が悪くなるので、無塗装になったはずだ。



そして、開業80年というのだが、昭和2年(1927年)12月30日に、上野~浅草間の2.2キロが開通。これが極東最初の地下鉄だった。12月30日というのは、考えただけでも新事業開始日にはふさわしくないような気がするが、何か理由があったのだろう。その後、上野から徐々に南下し、新橋まで延伸。一方、渋谷方面から新橋方向には、別経営の地下鉄が開通し、この二つの地下鉄が合体し、現在の銀座線が完成。二つあった新橋駅の一つは、時折、イベントとして公開されている幻のホームとして有名である。

この銀座線の延伸を見ると、浅草から上野方向に進んでいったわけだが、逆に浅草から先には進まなかった、ということは、その後の東京の発展が、西へ西へと進んだことを示している。

もう一つ、銀座線のルートは、いわゆる都心南回りである。三越前、日本橋から銀座、新橋、虎ノ門と外堀通りの南側を通って赤坂見附で青山通りで渋谷まで直線コースになる。これに対して、半蔵門線は、三越前から北回りになり、大手町、神保町、九段を経て永田町(赤坂見附)に到達し、銀座線と同一ルートで渋谷に至る。要するに、まっすぐに赤坂見附から日本橋方面に直線を引くと、間に大きな邸宅があるわけだ。だからと言って、その邸宅の下に地下鉄を通して駅を作っても、乗降客は1日100人に満たないだろう。

同じように、江戸時代、日本橋が五街道の起点であった時も、甲州街道に行くには、やはり南回りルートを通って、赤坂見附、四谷見附というように歩いていたそうだ。

ところで、銀座線にかかわる話だが、以前は、駅に近づくと、一瞬、社内が暗くなる現象があった。電源の関係で、駅に着くたびに切り替えがあったようだ。そして、今は、瞬間停電は起きない。当時、この銀座線の瞬間停電に遭遇して、思わずびっくりする表情を見せると、「田舎者」の烙印を押されるので、注意が必要だった。(1993年にこの現象は終了したそうだ)

そして、かつて東京で生活をしていたにもかかわらず、何らかの原因で、東京を離れなければならなかった人間にとって、再び、東京に登場した時に、「銀座線に瞬間停電がなくなっていること」に、何よりの「感無量」を考えることが多いらしい。もちろん、あまり感動し過ぎると、これまた「田舎者」の烙印を押されることになる。



実際、矢作俊彦著「ららら科学の子」という長編小説に、元全共闘のメンバーで、ふとしたことで機動隊員に重傷を負わせ、そのまま中国大陸に逃走した男が、日本に再潜入した後、銀座線に乗り、この「停電のない銀座線」に大感動するシーンが描かれる。「過去から来た男」の試金石ということだ。



そして、こうして徐々に代替わりしていった地下鉄の車両だが、銀座線とならぶクラシック路線である丸の内線の車両が、現在、アルゼンチンのブエノスアイレスで稼働中だそうだ。目撃談によれば、車両には日本語表示がそのまま残っているそうだ。ついこの前、国債がディフォルトしたはずなのに、現在は「VISTA」諸国とかもてはやされているのだから、変な話だが、まあ、ケチれるところはケチるべきということだろう。日本もこのまま、国家的貧乏路線を突っ走るつもりなら、アルゼンチンから赤い地下鉄を再輸入しなければならないだろう。



ところで、本当の銀座線ファンならば、現代の地下鉄を黄色に塗っただけで喜ぶはずもない。地下鉄博物館のホームページを繰っていると、銀座線の代表的なデザインのペーパークラフトがあった。PDFファイルをプリントしたあと、次の4つの道具があれば車両を再現できる。

 1.はさみ

 2.のり

 3.器用な指

 4.忍耐

しかし、このうち、もっとも重要な1のはさみを忘れた場合だが、プリントしたままで切り抜けない用紙を床に置いてみて、「過去のノスタルジア踏み絵」として使ってみたらどうなのだろう。銀座線を踏めないあなたは・・・団塊世代ということなのだろう。
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SuicaまたはPASMOの残高

2007-12-26 00:00:35 | マーケティング
首都圏のJR、私鉄ともSuicaまたはPASMOで改札機の通過が簡単になった。

カードを財布の中に入れて、改札機でピッ、またはピピッとタッチすればいい。細かな話だが、「ピッ」と「ピピッ」には違いがあって、「ピッ」は定期券区間の音で、「ピピッ」は定期券区間外で、要するにデポジットマネーが引き落とされる時の音だそうだ。経営学的に言えば、「ピッ」は固定費で「ピピッ」は変動費。例えば。正社員とパート社員の差のようなもの。

ところで、朝夕のラッシュの時には、改札機の中に、常に二人くらいが並んでいて、つい、前の人や後の人のカードの中にいくらぐらい残高があるか、見れてしまう。いつも思うのだが、大金をチャージしている人と、ごく小額をチャージしている人がいて、中間は少ない。

私は、小額派もいいところで、チャージは普通は1,000円ずつ。現在の残高は30円なので何の役にも立たない。この前、自宅の机を掃除したら、使いかけの端数の余ったパスネットが大量に出てきたので、シコシコ使っているからだ。それも1枚1,000円しか買わないので数百円単位なのが悲しい。

一方、10,000円以上のデポジットを持っている人も結構いて、改札を通るたびに「30円」を見られて恥ずかしくなる。

さて、このカードを直接あるいは定期入れや財布をタッチする方法だが、日本の改札機はタッチしやすいように改札機に平面ではなく傾斜をつけたタッチ面を採用している。角度は30度位かな。

実は、台北に行ったおりに気付いたのだが、台北では、これが地面と完全にフラット(つまり天井向き)にとりつけられていた。それでは定期券をタッチしにくいのではないか、と思われるだろうが、そういうことはないのである。

日本人はカードを定期券入れや財布のようなサイズのものに入れるのだが、台北では手持ちのバッグの底に仕込んでいるわけだ。そして、改札を通るときに、バッグの底を、タッチ面に、「ボコッ」、「バコッ」、「ドソッ」と置くというか落とすというかして通過していくわけだ。後で思うに、財布を取り出すという時に、何らかの犯罪者の誘惑を招かないようにという配慮なのかもしれない。

この前マネをして、カバンの底に仕込んで東京メトロに乗ろうとしたら、失敗した。「ピピピピピッ」。駅員がきてしまった。


ところで、このICカード方式だが、過渡的なものなのかもしれない。現金をチャージしなければならない(もちろん残高が3,000円以下になると、クレジットで預金口座から引き落とされるというサービス?もあるが)。そのうち、網膜認識とか指紋認識といった本人確認法と組み合わされた方法が導入される可能性があるのだろう。

指をタッチすると、本人口座を確認して残高が表示されたりして・・。億万長者は10億円とか、無産階級は30円と表示されたりだ。もちろんローンがあればマイナス表示だったりして・・



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ある「うどん屋」の復活

2007-12-25 18:32:55 | あじ
b44fd6a3.jpg東京の「讃岐うどん」の話の前に、少し前に起きた、香川県坂出市の殺人事件を思い出してみたい。祖母と孫二人を刺殺した容疑者は祖母の義理の弟。つまり殺された女性の妹の夫。被害女性の借金の連帯保証人に妹がなっていたことから、借金の肩代わりが事件の発端、と報道されている。事業失敗のつけが、事業者の妹に回り、さらにその妹の病死後は、血縁のない夫に回ってきたわけだ。

そして、その失敗した事業というのが「うどん屋」だった。うどんといっても、こと生死に絡んだ話と考えれば重い。


ところで、坂出は本四架橋が完成後は四国の陸路での入口になったのだが、それ以前の四国の玄関は高松とされていた。歴史があるのは、無論、高松市であり、さらに城下町としての丸亀、金毘羅宮で有名な琴平などが香川の主要都市で、坂出は塩田が有名であったが、発展を始めたのは工業コンビナートとしてだろう。だから歴史は浅い。そして、うどんの話に戻ると、私は、高松、丸亀、坂出で各何度かうどんを食べてことがあるのだが、地元に失礼かもしれないが、坂出のうどんは、あまり美味ではない。高松、丸亀のうどんは「はずれがない」と思うが、坂出は「あたりがない」。

しかも、この3市は近いのである。道路が横に恕リがっているので、数十分で隣の市である。だから、味の競争は激しいのだろう。そして、うどんは、四国では安い。きつねうどんが300円くらいの感じだ。典型的に後発業者に不利である。おそらく、殺された女性も、坂出で「旨いうどん屋」を開業して、一儲け、と思ったのかもしれないが、そうはいかなかったのだろう。だいたい、こういううどん、そば、ラーメンというのは、ダシがイノチだが、旨いと客数が増えて、回転が速くなり、ダシがとれなくなったりする。不味くなると一巻の終わりだ。そして、香川では価格を高くするわけにはいかない。

おそらく、味に自信があれば、香川を出て、新規開店しなければならないのだろう。特に、東京は穴場だと思う。うまいうどん屋は数少ない。しかも讃岐うどんは少ない。だいたい、埼玉の郊外、16号線などいくと「YMDうどん」なるカカシマークのチェーンがあるが、あれなんか、香川県人が目隠しして食べれば「うどん風の麺類の醤油味の煮付け」と思うだろう。


で、前置きが長すぎたので、本題はここから。西新橋にある、行きつけのうどん屋「おぴっぴ」が、一ヶ月前に閉鎖されたときは、少し焦った。近くに讃岐うどんは二軒あったのだが、一軒は1年ほど前、閉店。この「おぴっぴ」という変な名前のうどん屋も、活気はあるものの、店内は古く、「もう駄目」感が漂っていた。プライスはうどんとしては高く、私のいつもの定番である「かやくうどん」は670円。というか、それはかなり安い方のメニュウだ。

さらに、ここでは、店頭で麺を打っている。うどんショー実演付だ。さらに、特製の「黒うどん」があった。ようするに小麦の皮を一部残したまま粉にしたものを使い、やや香りの高く、うっすら黒いうどんを出していた。冷やしうどんでその香りは特徴的になる。

どうも、店頭でのセールストークを聞くと、白いうどんは輸入粉を使っていて、黒いうどんは国産の地粉を使っているようなのだ。しかし、舌が慣れているのは白いうどんの方なので、まあ、週一で白と黒を交互に食べていた。

そして、大方の予想に反して、この「おぴっぴ」、完全に復活した。なんというか、ほとんど店内のレイアウトもそのまま。古いものが新しくなっただけ、ということ。テーブルも椅子もカウンターも。さらに、茹で鍋や、うどんの打ち台も。さらに丼も新品。そして店員は、まったくそのまま。

で、少し考えてみると、ある疑いが頭をよぎったわけだ。

「値上げ」の理由ではないか。

昨今、中国はじめ新興国の人たちが、食のグレードアップを図りはじめたため、GDP2%にも届かない日本国民は、食材の値上げ攻勢におびえているわけだ。うまい米や牛肉は輸出に回され、帰りの輸入船には素性のあやしい食品が積まれる。そして、単に値上げすれば需要が落ちるのだから、何らかの値上げ根拠が必要になるわけだ。そのきっかけが、新装開店では・・


そして、財布の中の現金を確かめてから、新「おぴっぴ」に突入。「かやく」を注文してからメニュウの金額を確認すると・・

670円。以前と同じだ。味も、同じだ。ホッ。

しかし、白い麺をすすりながら、ふと考えると、「黒うどん」の表示が、どこにもない。なんらかの理由で白に統一されたのだろうか。まあ、色々考えてもしょうがないので、次回、頼めばいいや。と割り切り、勘定を済ませてから店を出る。そして10メートル歩いて気付いたのだが、丼がすべて新品になったことについて、「丼は陶器なのだから、古くてもいいのではないか」と思った自分の考えが、甘かったことに気付く。

丼のカーブが、少し浅くなっていたように思うのだ。

数量調整法かもしれない。

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教育委員長に愛人?

2007-12-24 00:00:42 | 歴史
0d252e55.jpg幕末の江戸というのも、ずいぶんと面白い。私見だが、日本史のハイライトを3つ挙げれば、戦国時代のトーナメント戦で家康が優勝したこと、そして、幕末のペリーの黒船(1853年)から明治政府誕生まで。そして、大正デモクラシーだったのに、いつの間にか方向転換して第二次大戦に連座したこと。いずれも、当時の人々の誰も想像していなかった方向に社会が変わってしまった。

渋谷の「たばこと塩の博物館」で「幕末ニッポン、ハリスと黄昏の大君の都」を観る。この博物館はJTが運営している。たばこという、合法的な統制価格商品は値崩れしないということを最大の理由として、大儲けの図だ。入場料は100円と安い。たばこ7本分だ。

実は、今回の展示の一つの中心は、米国の初代日本公使、タウンゼント・ハリスの特集ということになっている。歴史の教科書では、ペリーとハリスと並べてあり、同じぐらいの身分のように書かれているが、方やペリーは大統領の椅子も狙っていたように大物である。しかし、ハリスは一介の商人だった。

0d252e55.jpg今回、はじめて、ハリスの略歴を見て、色々と思うことがあったのは、1804年、ニューヨーク州の貧しい家に生まれたハリスは、商人としての才を伸ばし、突如、42歳の時、ニューヨーク州の教育委員会委員長を務める。そのあたりの事情はよくわからないが、別途、彼は現在のニューヨーク市立大学の前身である授業料不要の「フリー・アカデミー」の設立に尽力している。つまり、商売で稼いだお金を無料大学につぎこんで、その結果、教育委員会の委員長になったのだろうか。

その後、たまたま東アジア地区への海外旅行をしているうちに、外交官になりたくなって、民主党員だったこともあり、ペリーによって開国が決まった日本での初代総領事となる。そして1856年から3年を伊豆下田の総領事館で過ごし、その後、江戸に出府し、麻布の善福寺を公使館とする。

実は、何年か前、下田に行き、総領事館であった玉泉寺に行ったことがある。ハリスは相当量の遺物を残している。その中でも、日本側があてがった現地妻である「お吉」について、多く展示を行っていた。さすがご当地だ。実際には、お吉は、1週間ほどで解雇されているようだ。なにしろ、ハリスは70年以上の一生の間、独身だったそうだ。元教育委員長が「愛人とか現地妻」ではまずいと思ったのだろうか。一方、日本側は地元の女性をあてがうことによって、江戸進出をあきらめさせようという魂胆があったのだろう。ハリスについては作戦失敗だった。女嫌いだったのだろうか。

これにひきかえ、通訳のヒュースケンは、複数の愛人をかかえ、特に「お鶴」という女性には、こども(男)まで生ませている。お鶴が20歳の時、29歳のヒュースケンは暗殺されるのだが、そのとき20歳だった鶴とその子については歴史には登場しない。ちょっと調べてみたいが手がかりがわからない。

0d252e55.jpgハリスはオランダにいたヒュースケンの母親には十分の償いをするように米国政府に要請し、それは適えられている。おそらく、お鶴とその男児にも何らかの配慮をしたのではないかと思う。一方、ヒュースケンは、英、仏など他国の公使や幕吏からも慕われていて、ハリスの手に負えない部分もあったと思う。治外法権をいいことに、目黒や品川の方で猟銃をやたらに撃ち、流れ弾で農民を殺したりしている。(この段落のすべての記述は博物館に行っても、書かれていない)

そして、民主党員だったハリスは、その後、大統領が共和党のリンカーンになった後、米国へ帰国。おりしも南北戦争である。日本外交の中心だった米国の力が弱まり、欧州大陸型のフランス・プロイセンといった国が日本外交で力を発揮するようになったことが、その後の日本の針路に影響しているとも思える。1878年、ニューヨークで亡くなる。


ところで、これも博物館には関係なく、当時の米国人の日本人観についてだが、豆州下田郷土資料館が編集した「ペリー日本遠征記図譜」の中に、ぺリーの日記が紹介されていて、「日本人は、寝るときに、浴衣を身に着けるが、それはすぐに下半身がはだけてしまう。日本人が子沢山なのは、この浴衣のせいだ。」というような内容の、いかにも米国人らしい勝手な暴論を展開している。しかし、案外、それは真実かもしれない。

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年賀状を作る

2007-12-23 00:00:10 | 市民A
いつも、きちんと年賀状を作ろうと思いながら、間に合わなくなって、いい加減になってしまう。しかし、毎年すばらしく芸術的な年賀状をくれる人もいて、頭が下がる思いだ。いつものように年末の忙しい時になってから作り始める。



まず、宛名を整理することから。古いソフトをだましながら使っている。いつも新ソフトを買わねばと、思いながら年末になってしまい、今更ということで、そのままだ。そろそろ二度目のネズミ年かもしれない。

住所録をプリントし、昨年の年賀状&転居通知&喪中はがきなどを使って訂正していくが、ことしの最大の失敗は、誤って一昨年の年賀状と昨年の年賀状をまざってしまったのに気付かず、そのうち同じ名前がでてきて間違いが発覚。作業やり直しだ。その前に2006年と書かれた年賀状を2005年分と合わせてシュレッダーに入れたら、シュレッダーがゴミで詰まり、さらに余計な時間がかかる。

なるべく、枚数を減らしたいので、縁の薄くなってきた人には送らないことにしているが、まあ、50枚以上100枚以下くらい。宛名面は一気にパソコンでプリントする。今年買ったプリンターは昨年までの機種の3倍くらい早いような気がする。一番下のグレードと下から二番目のグレードでは大違いだ。


そして、文面なのだが、察していただけると思うが、私の場合、知人というのが、方面別のカテゴリーになっている。だから、何種類もの年賀状を作っているわけだ。その辺が疲れる原因。大雑把に言えば、親戚関係、一般友人用、会社関係、将棋関係。将棋関係では詰将棋を作ってプリントしていたが、最近は、さらに高段者用と初心者用に分かれる。それらのグループ別に書体やらロゴとかネズミの絵とか詰将棋の画像とか切ったり貼ったりして、枚数や上下を間違えないように印刷(宛名面ではないので、上下を間違えても差し支えはないのだが)。

さらに、年季の入った万年筆で、特に文句をつけたい人には、いくつか書くが、基本的は小泉純一郎式のワンワード。

「昨年中の貴殿の仕事、アッパレ!」

「今年こそ、宅建受かるといいですね・・」

「今年、課長になれなくても、私のせいじゃないですから・・」

「借りたおカネは早く返しましょう(分割でもOKです)」

「今年は、定年だそうですね。年金もらうまでどうするのですか」

「今年も不正経理がバレませんように。合わせて期日偽装の方も」

「直下型地震が来ませんように・・」

など

そして、できあがった束を近くのポストに持って行くと、「年賀」と書かれた口と、「一般」と書かれた口があり、「年賀」の方の口は、ポストに入らないくらいハガキが詰まっているわけだ。前の人のはがきが口からはみ出しているので、一旦それを引っ張り出してから、自分のはがきを奥の方に押し込む。そうしたら、前の人の分は、中に入らなくなったので、隣の「一般」の口の方へ押し込んでしまう。そちらももうすぐ一杯になりそうだ。

民営化の影響で、ポストにメーターでもつけて、満タン信号になるまで取りにこなくなったのだろうか。
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とらばいゆ、B級女流棋士の運命は・・

2007-12-22 00:00:09 | しょうぎ
ec9b0d49.jpg自宅にビデオとDVDと二方式が混在しても使い勝手が悪いので、とりあえず、以前、ケーブルテレビで配信された映画をビデオに録画していた在庫を少しずつ観て、片付けている。

『とらばいゆ』というのは、トラバーユみたいなもので、女性OLの転職物語かな・・と思って再生を始めると、いきなり将棋連盟の対局室のシーンが現れる。銀沙の間とか高雄の間とかあって、一部屋一日1万数千円で借りて将棋大会を開いたことがある。ロケ隊もきっちりと代金を払ったのだろうか。そして、対局しているのは全員女性棋士。女流名人戦B級リーグ戦。同時対局の中には、姉妹棋士である本城麻美と本城里奈がいる。今期不調の姉の麻美は、また負けてしまい、徐々にC級リーグへの降級が近づいてきた。一方、妹の里奈はA級への昇級が近づいている。

ところで、なぜ、こんなビデオがあるかというと、主演が瀬戸朝香さん(現在31)であること。2001年の作なので、公開当時は24才。僅かにファン。ところが、この映画では、負けの込んだ、後のない女流棋士という役柄上、常に表情は険しい。そして大手商社マンの夫と、夫婦喧嘩が絶えない。結婚して、家事を押し付けられたから負けが込んできたという、本当のような、八つ当たりのような理由で、特に対局の前後には、家事を放棄。結婚後、勝率が下がった、という数字的根拠まで登場する。喧嘩の中で、「女流プロは稼ぎが少なく、トップ棋士以外はアルバイトでしのいでいる」というようなセリフが飛び出し、昨今の女流棋士分裂騒動の遠因が感じられる。

そして、高給商社マンと結婚したために、将棋に対する情熱が落ちた、というような、正しいような正しくないような分析のもとに、C級へ陥落したら離婚する、と言い出すわけだ。そして、陥落のかかった最終局は妹との対局という設定である。

一方、妹の方は、シーズン毎に彼氏を取り替える多情さで、現在、売れないミュージシャンと同棲中。こちらは、最初から「家事はまったくできない」とウソをついて、彼氏にすべての家事を押し付け、将棋は好調でA級が近い。ところが、元カレとの二股交際がばれそうになり破局寸前。こちらは市川実日子さん(29)が演じる。

どちらのカップルも崩壊に向かい、そして姉妹対局の日が近づく。

ところが、新たな外部ファクターが発生する。大手商社マンが左遷となり、ジャカルタ事務所長として赴任することになる。部下ゼロ人(ちょっと極端だ)。そして、成田発の飛行機は姉妹対決の日の夕方発である。対局が遅くなると見送りにはいけない。

そして、ここで、商社マンは奇策に出る。妹に会って、片八百長を頼むわけだ。負けてくれないと、離婚されるので、なんとか・・対価は払えないけど(とは言わないが)。こんな裏取引ばかりしてきたからインドネシアに飛ばされたのだろう。もちろん断られる。ばれたらクビだもんね。

そして、最終局は長手数になり、秒読みが続き、結末がつくのは午後6時に近づいた頃。もちろん成田のことなど頭にないわけだ。

ところが、対局で疲れきった麻美が帰宅すると、まもなく成田から舞い戻ってきた商社マンが現れる。対局の結果が心配で・・ということ。そして、夜、商社マンは実はアマチュア初段であることを隠していたことがバレ、女流B級棋士と対局することになる。そして平手では無理だったか、と言われてしまうわけだ。


そして、全体としてはハッピーエンドで終わるのだが、そのきっかけが、夫の左遷と降級を免れた最後の1勝というのが、冷静に考えれば、やや寒いところである。


ところで、これを書くのにキャストを調べていると、実在の女流棋士姉妹、中倉姉妹が出演していたようだ。ちょっと見逃してしまった。さらに出演者リストの中に瀬川昌司(追記参照:昌司は誤記載。正しくは出演は瀬川晶司さん。つまり現棋士ということ)という名前があった。現在、プロ棋士に滑り込んだ瀬川四段と同姓同名だ。というか、本人が出演していたのだろうか。思い出すと、妹の元カレの奨励会員に、メガネをかけるとよく似ているようにも思えるが、どうだったのだろうか。別途、映画界で瀬川昌司という人名を探すと、映画監督に同姓同名がいることがわかったが、映画監督が、役者として他の監督の作に出演することなんかあるだろうか?ちょっと考えにくい。やはり棋士の方が出演したのだろう。

さらに、この映画の主演の瀬戸朝香さんだが、左利きだ。実際、棋士には左利きが多いのだが、駒を指す手つきは様になっている。が、彼女に限らず、どの出演者とも対局シーンで気になったのは、指した後、駒をトントンと直すこと。加藤一二三先生と同じだ。

そして、瀬戸朝香さんだが、実生活では、新婚3ヶ月だ。しかし、『とらばいゆ』で夫婦喧嘩のセリフは大量にインプットされているわけだ。「結婚してから出演作が激減してしまった」と本当のような、八つ当たりのような理由を並べ、早めに別れてしまえばいいのだろう。


ec9b0d49.jpgさて。12月8日出題分の解答。

▲7八銀 △5八玉 ▲4七角 △4八玉 ▲3九角 △3七玉 ▲2九角 △3六玉 ▲3七飛 △同玉 ▲9七飛 △3六玉 ▲3七香まで13手詰

初手▲7八銀に対し、△同玉は▲6九角 △8八玉 ▲5五角と長距離砲が飛び出す。三手目▲4九角と下から打って、△4八玉 ▲3七角 △3九玉に▲2七角で詰んだと思った瞬間に△9九香成と飛車を取られる。正解は▲4七角と上から押えて、一旦△3六玉と逃走寸前状態に追ってから飛車を捨て目障りな香を取り、下から串刺しにする。

最後のダイナミックスさが主眼である。


今週の問題だが、年末で皆様超多忙のことと推定し、実戦型&30秒将棋でも詰むように易しい問題。

わざわざ盤や駒や、あるいはパソコンとか持ち出さなくても解けるはず。

いつものように、最終手と手数と酷評いただけば、正誤判断。

初出後、受方変化2手長手余り発見、微修正(今度は微非限定発生)

追記:本文中、出演者、瀬川昌二と記してしまったのですが、瀬川晶司の誤りです。つまり、現四段が出演していたわけです。映画の中で登場する元カレの役だったわけですね。

ec9b0d49.jpg


















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痛い!醜い!

2007-12-21 00:00:38 | 市民A
12月の最初の頃、鼻の下のに小さな突起ができた。おりしも、仕事上でやっかいな案件があって、ほっといたらイボ状になり、月末近くになり、やっと皮膚科に行った。病気で医者に行くのは1年ぶりだ。困ったことに1年前もこの皮膚科だった。

待合室から診療室に入ると、既に液体窒素の準備が始まっていた。まだ診察も始まってないのにだ。お得意様ということか。

ドクター:ずいぶん飛び火してますね。
おおた :・・・
ドクター:カミソリでウイルスを引っ張りましたね、鼻の下が真っ赤になるけど液体窒素で焼きましょうね。
おおた :uuuuuuuu

痛いわけだ。そして、数日後にはかさぶたになるので、今度は醜いわけだ。

おおた :ところで別件なのですが、足の裏に、以前、魚の目をスピール膏で取ったあとが醜くなっていて・・
ドクター:どれどれ、おーっ、イボですね。

と、イボ宣言した1秒後には、カミソリで足の皮をはがしてしまい。看護士さんに、

「5秒5回」と宣言をしたわけだ。液体窒素を5秒間×5回という略語だ。

足の裏は痛い痛いだ・・

顔は醜い醜いだ。

しかし、1秒後にすぐに患部を削ってしまうとは早すぎるのではないだろうか。私の得意な将棋の世界だって、「この一手」と思っても、15秒くらいは考えてから指す、


たぶん、この足の裏のイボは、今夜あたり痛くて痛くて、眠りをさまたげるのだろう、と嫌な予感がある。来週は、本ブログ愛読者の方の一人と一杯やるのに、かさぶただらけの顔で対面しなければならない。


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『赤い靴』定説に異論が・・

2007-12-20 00:00:26 | 赤い靴を追いかけて
知人で、弊ブログ愛読者のジャーナリストの方から、「今週号の週刊朝日に、『赤い靴』関係の記事が書かれている」という緊急速報をいただいた。「赤い靴」に関しては、弊ブログの中に「赤い靴を追いかけて」というコーナーを設けていて、それなりに念入りに調べたこともある。現在の『童謡・赤い靴』のモデルについての定説は、1978年11月に北海道テレビ(テレ朝系)が特集番組として、"岩崎きみちゃん"という実在モデルを探し出したことによるとされている。



調査にあたった菊地寛氏は、このドキュメント番組の1年後、現代評論社から「赤い靴はいてた女の子」という一冊の本を出版する。その本の内容は、どちらかというと、幻の女の子である岩崎きみちゃんを探し出すための菊地氏の汗と涙の追跡物語になっていて、実際には、きみちゃん自身には深く触れることができず、むしろ彼女を取り巻く明治末期の社会像や人間像を描き出すことに重点がおかれていた。

そして、追跡物語の最初の1ページは、「赤い靴モデルの異父妹」と、自ら地元北海道新聞社に名乗り出た、一人の実在の老女の話から始まる。菊地青年は、北海道新聞に勤めていたのだが、ちょうど創立まもない北海道テレビに転職するにあたり、この秘蔵のネタを全国ネットに流すまでまとめ上げる。彼は、その後、出世街道を突き進み、ついに常務取締役まで勤めた上、現在は北星大学教授の職に就いている。


ところが、週刊朝日によれば、「赤い靴の女の子=きみちゃん説」に異論を唱える人が出てきたそうだ。作家の阿井渉介さん(62)で、このほど「捏造 はいてなかった赤い靴」(徳間書店)という本を出版したそうだ。

要するに、この方は、菊地本はデタラメだ!と言いたいわけだ。商業主義に利用するための捏造である、ということらしい。私はまだ、本を読んでいないので、あくまでも週刊朝日の記事を読んだだけの範囲だが。


まず、菊地説の骨子を書いてみる。

1.岩崎きみちゃんは明治35年静岡に生まれる。戸籍上の父親は不明。実際は地元のやくざものである佐野某の子。

2.母親のかよさんは生活苦の末、自由の地、北海道に渡る。そして、そこで鈴木某なる男性と知り合い、結婚、そして開墾地に入る。

3.その時、きみちゃんを佐野某の勧めで、当時函館にいたヒュエット牧師夫妻に預ける。

4.しかし、開墾事業は大失敗に終わり、その後、鈴木夫婦は札幌に流れ着き、地元新聞社に勤めることになる。

5.その後、母かよさんは、ヒュエット夫妻の行方を捜したが、すでに米国に帰国していたということだった。そして、新聞社の同僚だった野口雨情に自分のこどもを外人宣教師に預けたことを話す。さらに何年かして野口雨情は、名曲「赤い靴はいてた女の子」の作詞を行った。

6.一方、ヒュエット夫妻は米国へ帰郷の際、きみちゃんを横浜から船に乗せようとしたのだが、すでに6歳のきみちゃんは結核を病んでいて、体力なく、しかたなく東京麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられる。そして3年後、きみちゃんは結核で亡くなり、現在、佐野きみと言う名前を青山霊園の墓碑に刻んでいる。

それに対して、阿井さんはいくつもの疑問点を上げ、きみちゃんとヒュエット師には接点はない、と書いているそうだ。また、週刊朝日の調査では、雨情は特定のモデルを想定して詩を書いたりしない、という説も紹介している。

しかし、それだけでは、なぜ、北海道にいたはずのきみちゃんが麻布で亡くなったのかも説明がつかない。

で、おおた説だが、

1.まず、きみちゃんの異父妹が現れて、「赤い靴のモデルの妹」と言ったことは事実なのだから、彼女たちの母親かよさんは、雨情に対して身の上話をし、そのまま詩になり、童謡になったと聞かされていたのだろう。だから、きみちゃんがヒュエット師夫妻の養子になったということ自体は正しいのではないだろうか。

2.しかし、ヒュエット姓ではなく佐野姓であったことだが、注意が必要なのは、米国には戸籍制度がない、ということ。つまり、日本で佐野姓であっても当座の問題はなく、米国に帰ってから名前を変えるつもりだったのではないだろうか。

3.他方、私が感じている菊地説の最大の謎は、きみちゃんが6歳の時に船に乗れないほどひどい結核症状だったとすれば、その後3年生き延びることはできないだろうし、さらに孤児院にいたらみんなにうつしてしまう。日本に残るとしたら、結核ではなく別の理由だったのだろう。

4.ほぼ、この話と裏返しなのが米国生まれの日米混血児のイサム・ノグチ少年。父が日本人詩人の野口米次郎で米国で地元女性にこどもを生ませ、勝手におきざり帰国。ほぼ同じ時代だ。イサム少年の場合、母親が、当時吹き荒れていた排日運動の中で日米混血児を育てることは不可能、と日本に子育てにわたってきたわけだ。つまり、ヒュエット夫妻も、米国に日本人のこどもを連れて行けば、いじめられるのがわかっているため、日本に残したのではないだろうかと思うのである。

5.さらに年譜を追うと、ヒュエット師は米国に戻る前に、一時日本から欧州へ、オルガンを買いに出張に行っている。当時、ヤマハがオルガンを作り始めたところだがまだまだ輸入品には追いつかない。ヒュエット師は欧州の後、米国に渡り、日本に戻ってくるのだが、オルガンを買うのだから、オルガンの弾き手として、奥様を連れて行ったのではないだろうか。そうなれば、その長い旅にきみちゃんも随行したのだろうと思うのが自然だ。その時、ヒュエット氏やきみちゃん自身も米国内の反日的ムードを感じていて、しかたなく孤児院を選択したのではないだろうか。

というような筋である。

ところで、現代に、この「赤い靴=きみちゃん」論争が、再燃するのは、それでいいのかもしれないが、おそらく議論がかみ合わないだろうと思うのは、それぞれの視点の違いがあるからだろう。

視点をきみちゃんにフォーカスすれば、

1.生まれる前に、父親はいなくなってしまった。(静岡)
2.母親は、結婚するときに自分を外国人に預けてしまった。(北海道)
3.外国人は帰国するときに、何らかの理由で自分をおきざりにした。(横浜)
4.そして9歳で結核で亡くなる。(東京)

ということだけで、別に童謡のことなんか関係ないよ、ということになる

また、童謡の起源について言えば、もともと創作というのは、まったく空想で作る場合もあるだろうし、事実をもとに作る場合もある。実の母親のかよさんだって、娘を手放した後のことについて、詳しく知っているわけはないのだから、さらにそれを聞いた野口雨情が正確なドキュメンタリーソングを作れるわけもない。換骨奪胎になるのはしかたがないと思えるわけだ。この歌詞の最大のポイントは、「赤い」靴であるのだから、なぜ雨情は女の子の靴を赤にしたのか、というようなことを考えた方が有用だと思うわけだ。

そして、赤い靴が商業主義に冒されているというのは、事実ではあって、あちこちに像が建っているのだが、血縁関係もなく育てたこともない鈴木さんの実家の青森県の鯵ヶ沢やきみちゃんが住んでなかった入植地にある銅像は、その権利はないと断言できる。終焉の地に近い麻布にあるきみちゃん像は確かに正統な場所に建っていると言えるが、横浜の山下公園については三角マークだろう。さらに山下公園に近い場所には、ホテル「赤い靴」まであるのだが、ものには限度があるのではないかと思っている。


史実が数少なく断片的である場合、歴史を解釈するには、補完すべき時代認識や類例などを考察することが重要である。私の知る限り、菊地寛教授(67)は、大学で、明治の日本人像を主たる研究対象にしているようである。30年ぶりに再度、ドキュメンタリー番組を創り直されたらどうなのだろうか。当時はパスポートというものが地球上に存在していなかった時代で、人の出入国の調査は大変な作業になり、米系船会社の乗船者名簿なども手がかりになる、と、やっかいな話をここに記しておく。
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ここにも、お受験の波が

2007-12-19 00:00:46 | 市民A
881281b2.jpg弊ブログ2007年11月12日「激安誘致で地元騒然」で紹介した、慶応小中一貫校新設予定地。東急田園都市線の江田駅徒歩5分。高台、陽当たり良好、整地済み、電気ガス上下水道完備の最高級の土地物件を見に行く。5ヘクタールで坪単価130万円とすると200億円相当を53億円で売却の謎がわかるのではないかと・・(本当は、すぐそばに用があったのでついでに行っただけ)

実際には、この土地は二つのブロックに分かれている。もともと二つの学校用地だったらしくどちらも横浜市教育委員会が管理しているように看板には書かれている。おそらく小学校と中学校の予定地だったのだろう。

そして、この二つの土地は、それぞれ、少年野球場と少年サッカー場に使われている。サッカーは二面もある。見に行った日も休日らしく、どちらも使われていて、周りには違法駐車の車が並ぶ。結構な賑わいだ。すぐそばにある、関東進出一号店のコメダ珈琲店の駐車場が満員なのもそのせいだろう。本場愛知の万博会場の隣のコメダの駐車場が満車だったのと同じ理屈だ。

それで、地価の謎はまったく解けないが、ここが慶応の小中一貫校になれば、横浜のサッカーの実力が落ちるのだろうか。近くの中高一貫校を卒業した中村俊輔もここでプレーしたのかも知れない。

それで、なぜ、この場所が空地になってしまったのかだが、私の推測では、公立と私立との進学数を読み間違えたのだろうと思う。私立化が、どんどん進み、特に公立中学の必要数が減少した。それならば、もう学校用に整地しているのだから、不要資産はそのまま売却してしまえ、えいっ!

881281b2.jpg江田駅からは徒歩五分コースを目指せば、やや細い歩道のない道を歩かなければならない。サレジオ学園ではクルマが生徒に突っ込む事件もあっただけに、もしかすると、駅前からスクールバスになるかもしれない。となると、寄り道を期待していた、コメダ珈琲とユニクロはガッカリということになる。

そして、江田駅の横の方には、ミシュラン横浜本ができたら、「星三つ」が予測されるイタリア料理「アンティカ」があるのだが、慶応お受験を目指す有名人の方々と学校関係者との密談の場所にはなり得ないのである。すでにいつも満員だからだ。さらに奇妙なことに、江田にはなぜかイタリア料理店が多いのだが、それは欧州の田舎だったイタリアと同じように江田が横浜の田舎だったからかもしれない(イタリアはいまや狂ったようにバブルみたいだが)。

ところで、この「江田」という駅名だが、東急田園都市線の駅名を注意深く眺めてみると、およそ二分割されることがわかる。多摩川を神奈川に渡ってからしばらくすると、・・・宮崎台、宮前平、鷺沼、たまプラーザ、あざみ野、江田、市ヶ尾、藤が丘、青葉台、田名・・・と続く。この中で、鷺沼、江田、市ヶ尾、田名というのが古来よりの地名で、残りは東急が社内の宅地造成計画に基づき、それらしいネーミングを勝手に決めたようなものだ。市ヶ尾には古墳まである。

ということで、「江田」というのが古臭くてカッコ悪いから、駅名を「慶応幼稚舎前」とか変えてしまえ、とかは思わない方がいい。古く中世には江田氏が所領にしていたし、さらに江田城址というのもある。山の上にあったのだが、そこに東名高速が乗っている。発掘困難。この江田城を築いたのではないか、と言われているのが、江田源三という武士。いまでも国会議員なんかでは通用しそうな名前である。そして、この江田源三は義経記によれば源義経の家来で、弓を遠くまで飛ばす名人だったそうだ。城址から1キロ以上先に、源三の矢が飛んできたという伝説の地がある。(遠くに飛ばせばいいというもんじゃないと思うけど。ゴルフと同じで弾道が曲がったりすると危険だ。)

そして、義経は後に東北平泉で憤死するのだが、江田さんは義経について行かなかったに決まっている。だからここに地名が残っているわけだ。

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鍋は囲むものとは限らずか

2007-12-18 00:00:07 | あじ
881281b2.jpgちょっとした都合で、たまたま、自宅で一人で食事をすることになる。が、スーパーに買い物に行ったら、突然、「鍋物」が食べたくなってしまった。

しかし、通常、鍋というのは一人ではしないものだ。ときどき、旅館の宴会飯で解凍しきれてない刺身や、衣倒しの海老天とかと一緒に、ごく小さな鉄鍋を固形燃料で熱して、馬肉風の硬い牛肉のスキヤキを食べたりすることはあるが、あれは料理じゃない。給食だ。

さらに、各材料を用意すると、一人分には多すぎる。白菜だって、豆腐だって、葱だって、鱈のパックだって、なんでも一人分じゃない。それらの材料を4人分買うと、一人で4日連続鍋になる。飽きたからってチャーハンには転用できない素材ばかりだ。

ところが、一人鍋。

鍋、囲めず。

一人分だけを使い捨てのアルミ風の鍋に作り分けていて398円。うどん付きだ。「もつ鍋」と「ちゃんこ鍋」が、それぞれ、みそ味としょうゆ味。そして「もつ鍋」は一週間内に食べたばかりなので、「ちゃんこ」の方にする。そして、ちゃんこと言えばみそ味でしょってことで、みそちゃんこになる。

そして、そのままアルミ鍋を火にかけてもいいのだが、一人用の鍋に入れ替えてみる。この一人用の鍋は、名古屋へ出張の際、帰りに山本屋の味噌煮込みうどんを買ってきて、自宅で食べる時に使うためのみしか稼働しないのだったが、新規事業だ。

881281b2.jpgそして、ちゃんこは、「最初から全部の材料を煮込む」という技術度の低い料理なのが特徴であるので、ある程度、誰がやっても同じようになる。具が半分なくなったところで添付のうどんを投入。

そして、一通り鍋の具がなくなったところで、ご飯を投入して、雑炊ができあがる。葱を刻んでというのでは、味噌ちゃんことの味の連携が悪いように思えて、細かく切ったオクラを浮かべることにする。最後に溶き卵を加え、火を消して、蓋をして待つこと3分。オクラの粘っこさとちゃんこの味が合体して、なかなかいい。

そして、この後の話を、「やがて悲しい男性料理教室」の話にするか「ちゃんこはどこから来たか?」にするか、色々考えた結果、きょうは、「相撲取りの話」にする。それも、高砂親方。元朝潮。現役の頃は若い衆を連れて夜の銀座を流していた。大名行列ではないが、ご一行様が、こちらの店からあちらの店へと移動するのに、怖いからみんなが避けて歩く。

まあ、そんなことやっているから、こんなことになったのだろう。まだ朝青龍の方が強いだけ救われる。よく考えれば、高砂と言えば五大一門の一つ。相撲協会広報部長というのは要職風でいて、実際、多くの会社でも広報部長は閑職みたいなもので、仕事はイマイチだが、家柄が良くて交際費をバンバン使うような中二階族が就いている。彼の次のポストが見ものだ。

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自由主義社会での個の権利の制限

2007-12-17 00:00:44 | 市民A
佐世保の乱射事件のあと、銃規制について、多くの識者が主張しているのを見ると、「全面的な銃規制(禁止)」、までは行わなくても「銃の集中保管制度」とか「銃の所有権ではなく使用権」に限定すべきだ、という意見が多く見られる。つまり、集中保管制では、自宅には置かず猟友会とか警察に預けておいて、使用の時だけ持ち出すことができる。使用権というのは、例は悪いがゴルフの貸しクラブみたいなもので、都度、レンタルするようなものだ。

もちろん、マイ銃でなければ役に立たないとか、銃を磨くのが趣味とか言う人は猛反対するだろう。

そして、この話は、おおげさに言うと、銃を所有するという個人の権利と社会の利益(不利益)といったものの関係になるのだろう。おそらく自宅に何丁もの銃と数千発の銃弾を置いておくということは、どう考えても社会的に危険であるし、そういう人に対応しようとすること自体が社会的に無駄になる。益はほとんどない。

これが、都内に赤と白のヨコシマの家を建てるという幼児性の漫画家の場合は社会的不利益はあっても小さいし、なにしろ、そのうち飽きて本人が塗り替えるかもしれないわけだから、なかなか強制的には排除できない。


ところで、話は少し変わるが、同じ凶器といっても走る凶器のこと。

昨日、首都高速を運転していたらとんでもない図を見てしまった。「落ち葉マーク」である。別名「もみじマーク」と言われるようだが、もみじの形ではなく、枯葉の色と形である。70歳以上のドライバー用である。


私の走っている百数十メートル前を、落ち葉のマークのついた、軽のワンボックスが走っていた。だいたい都内を軽のワンボックスで走ることは難しいし、さらに細く曲がりくねった首都高速の上である。その車の進路がまったくでたらめなのである。概ね、片側二車線を仕切る白線の上を走っている。そして、カーブでは大きく外側の壁に向かって、激突寸前になると戻ってくる。そして今度は逆だ。二車線をフルに使ってカーブでは外側車線から攻めて、内側の車線のインコースぎりぎりを狙う。

さらに後続車は怖くて近づけないのだが、落ち葉車は激しく前の車を煽っている。


知人たちの間の話でも、いつ、親の免許証を取り上げるか」というような話が盛り上がる。ところが本人は「大丈夫!」といって取り合わないことが多いらしい。

まあ、そういうのも個人の権利の問題であるわけだ。そういうのが高速道路で逆走するのだろうが、被害者はたまらない。

1.高齢者の高速道路の走行禁止。
2.速度リミッターをつけて80キロで制限する。
3.ICカードでドライバーの本人確認をすること。

などが必要なのではないだろうか。

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