100冊目は、吉村昭に

2010-12-31 00:00:20 | あじ
毎年、100冊以上の読書をしているが、今年の100冊目はついに、年の瀬に突入。

shimanuke『島抜け』。

歴史小説家である著者が発掘したのが、幕末の入口である天保時代に大坂で活躍した講釈師である「瑞龍」。

1844年と言えば、天保の大飢饉による百姓一揆の勃発(1833年頃から)から大塩平八郎の乱(1837年)を経て、大坂には殺伐とした空気が漂っていたのではないだろうか。

一方、江戸では水野忠邦の改革が行き詰まり、中国大陸では阿片戦争で清王朝が崩壊への道を歩み始める。

そんな時代背景で、うっかり気が緩んだ人気講釈師が、徳川家を嘲笑する内容の演目をぶってしまう。

そこから始まる一介の講釈師の文字通りの波瀾の生涯を描いた小説である。

誰もが、軽微な罪と思っていたのに反し、種子島への島流し。

島の暮らしに飽き飽きし、再び大坂の活気を夢見る頃に現れた、脱島のチャンス。丸木船で4人の力を合わせ漕ぎ出したものの、嵐に見舞われ漂流記が始まる。

そして、何の因果か中国大陸に流れ着き、清国の保護下におかれる。

そこで、安住の生活に落ち着く道もあったものの、再び祖国日本を目指し、とうとう長崎出島に到着するも、偽っている自分の生国へ身分照会が行われることになり、身分発覚を恐れ、再び脱走。九州から四国へ渡り、さらに本州へ上陸し、潜んでいたが、ついに捕縛される。そして、この世にも可哀そうな講釈師に対し、長々と時間をかけた末に幕府が決定した最終判決は、死罪。即実施。

その時、既にペリーの軍艦外交に屈した幕府は、和親条約を締結していた。


何だか、大坂というのは、現代大阪人が歴史に無頓着なせいかもしれないが、未発見の幕末歴史素材がごろごろと転がっているような感じがしているのだが、実際、発掘は難しいのかもしれない、と思いながら、年末のジルベスターコンサートで指揮者小林研一郎がマーラーを振るということだそうで、慌ただしく本を閉じる。

海の幸、山の幸か

2010-12-30 00:00:49 | あじ
鹿児島に行ったと言うと、年輩の方は、「薩摩揚げばかり食べさせられた」と過去の経験を思い出して、辟易のコトバが出てくることがある。確かに、薩摩揚げは薩摩の食材で、そういうこともあったかもしれない。ただ、薩摩揚げは、私の好物の一つなので、実際に、薩摩揚げばかり食べたとしても文句を言うことはないのだが、実際に自分で料理屋で食べるとなると、わざわざ薩摩揚げを注文したりはしない。胃袋の大きさにも巾着袋の大きさにも限りがあるわけで、優先度は下になる。

それで、お昼に黒豚かつと野菜フライを食べたにも関わらず、肉類から攻めることになる。

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薩摩地鶏の串焼きと、黒豚の串焼き。撮影するまでに、早くも本数が減ってしまう。

この焼鳥や焼き豚が絶妙なのだ。堅さが妥当で、一口噛めばすぐに肉汁がうっすらと口の中に拡がり、二口噛めば堅いながら肉の繊維がサクッと噛み切れる堅さで、自然と噛みしめはじめる動意となるが、これが旨いわけだ。そして、10回ほど噛めば口の中で肉はバラバラになる。

実際に、自分の飲み屋専用名刺入れの半分は、焼鳥屋かステーキ屋というほど、東京方面では焼鳥屋ファンなのだが、掛け値なしに、薩摩地鶏を鹿児島で焼くと、もう無敵になる。東京方面の焼鳥屋には、もう行けない感じだ。焼き豚しかりだ。

そして、きびなごを串刺しにして、焼き物に仕立てたものを口にしたが、これも一級品。どうも鹿児島にはB級グルメって存在しないようだ。

ただ、確か焼酎のお湯割りの飲み方は、鉄製の薬缶に焼酎と水を入れてから火にかけ、熱湯のようにしてから飲むと覚えていたが、東京方式だった。焼酎常温とポットのお湯が別々に登場。この鉄製の薬缶をどこかで入手しようと思っていたのだが、帰りの飛行機までの余裕時間が10分しかなく、捜索不能だった。

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そして次に、さつまおでん。これが、こってり味だ。東京でも大阪でもおでんをここまで濃厚に作るだろうか。すべての具材は煮詰められ、ゆでたまごの白身の中まで、汁が煮込まれている。この中に薩摩揚げが入っているが、薩摩揚げの具となる魚の肉は、最初に蒸され、次に揚げられ、最後に煮込まれたわけだ。同じ食われるにしても、3度も熱い目にあう。

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そして、刺身の盛り合わせは、何の魚かうろ覚えなので割愛し、「あらかぶ」の煮物をつつく。「あらかぶ」は福岡で食べたことがあったので2度目。考えれば、鹿児島は、農業と畜産業では全国のトップクラスだが、日本の端にあるという地理的関係で三方を海に囲まれている。西にも東にも南にも海は大きく広がっている。漁獲量の多さより、魚の種類の多様性が売りなのかもしれない。

こうして、一か月の間に、青森に行ったり鹿児島に行ったりして、好き勝手に財布をはたきながら、つくづくスウェーデンやモンゴルに生まれずに、日本で生まれたことを、海の神様や山の神様に感謝するのである。

ついに、「禁じ手」に手が伸びたタイガー

2010-12-29 00:00:54 | スポーツ
乗っていたゴルフカートが、下り斜面で後ろ向きに暴走するという、絶叫マシーン風の経験を、夢の世界でもなく、現実に味わった経験がある身としては、現在のタイガー・ウッズの凋落ぶりを見るにつけ、これが抽象的意味での破滅への道であり、かつ、爆走ゴルフカートから決死にダイブで逃げ出すこともできない以上、行く末は、ワニの待つ泥沼なのか、深い森林の奥の巨木に激突なのか、少しワクワクしてしまう。たぶん、英雄の末路という古典劇のパターンに収まるのだろうか。

2010年、未勝利に終わったタイガーが最近選んだ二つの選択。

一つ目は、スイング改造。

コーチをシーン・フォリーに変えた上、どうも二軸スイングから一軸スイングに変更したらしい。

しかし、普通のプロゴルファーにとっては、グリップの親指の位置を数ミリ変えるだけでも大騒ぎというのに、スイング中の体重移動そのものを変えてしまうのだから、洋風住宅を和風住宅に建て替えるほどの大手術である。

二軸理論と一軸理論では教科書そのものが最初から違うのだろうから、普通は失敗に終わる。素人的には二軸の方がボールを遠くに飛ばせそうな気がするので、タイガーほどの怪力があるからこその改造なのだろうが、改造に失敗したら元に戻せばいい、ということもないような気がする。もしかしたら、距離の出ないスイングに変えることによって、距離の出ない理由を説明するということのような気もする。


そして、大問題が、「クスリ」の使用である。

こんな好意的な記事があった。

タイガー、完全復活へ足首に注射!

ISM 12月22日(水)12時1分配信

完全復活が待たれるタイガー・ウッズ(米)が、右足首にコルチゾン注射を受けていたことが明らかになった。

右足首に長い間痛みを覚えていたタイガーは、リウマチの特効薬としても知られるコルチゾンの投与を決意。タイガーの代理人であるマーク・スタインバーグ氏によれば、タイガーは自らがホストを務めるチャリティイベント、シェブロン・ワールド・チャレンジ(12月2日~5日)終了後に注射を受けていたという。

2010年は不倫スキャンダルや離婚などプライベートな問題を抱え、プロデビュー以降初めてシーズンを未勝利で終えたタイガー。復活を期す2011年シーズンは、現地時間1月27日から開催される米男子ツアー、ファーマーズ・インシュランス・オープン(カリフォルニア州、トリーパインズGC)から参戦する予定。(STATS-AP)


元々、タイガーとステロイドの関係は、諸説が漂っていたはず。

思うに、毎週日曜日になると、突然チャージを始め、さらにその余韻で週末には15本目のクラブを振り回していたわけだ。「マンハッタン・オープン」とか。

コチコチ風に見える筋肉とか、頭髪の禿げ方とか、・・

スキャンダルの後の突然のリハビリ入院も、疑わしいとも思える。つまりグレーは、あくまでも白、ということで白黒つけられないままのような気もする。


しかし、そういう目が周りに増えている以上、手を伸ばすわけにもいかないわけだし、新打法に
変えて、距離が出ない言い訳を一つ作ったとしても、勝てなければ本末転倒となる。

そして、コルチゾン。

本物のステロイドである。ロッカールームで注射器を取りだしても、誰も文句を付けられないだろう。

足首だけに効くわけではないだろう。

それに、普通は、足首が痛ければ、足首に負担のないスイングに改造するのではないだろうか。あるいはゴルフシューズのルール内での改造とか。

たたりの真実は

2010-12-28 00:00:19 | 市民A
勤め先の近く、西新橋の一角に、雑草の生えた空地が広がる。僅か1年5ヶ月前は、住居、飲食店、各種商店、中小企業がびっしりと立ち並ぶ、いかにも新橋風な雑居地だった。

そこで、起きた惨劇が、いわゆる耳かき店員殺人事件。耳かき嬢に対してのストーカー行為の末、中年男がこのエリアの中の3階建て住宅に住む被害者宅に刃物を持って押し入り、被害者とその祖母を殺害した。2009年8月4日のこと。ちょうど、事件現場に通りかかった時は、ちょうど惨劇が終わったところで、警官が駆け付け始めた頃だった。



そして、その5ヶ月後、2010年1月17日には、その事件宅が空家になっていたところから不審火が発生。10件以上が全焼する。焼け残ったのは、ほとんどが鉄筋コンクリートあるいは鉄骨造りの建物だけだ。

そして11月1日になり、東京地裁で、裁判員らにより、死刑ではなく無期懲役が言い渡される。

その10日後、本年11月11日。報道されなかったのだが、その通りにあり木造ではあるが焼けのこっていた中華料理店が災難に見舞われる。



ちょうど昼の営業時間中に、店内から出火。またも消防自動車の到着である。さいわい、燃えたのは1店舗だけだった。

11月15日。検察側の控訴なしが決まり、一審判決が確定した。


では、このような不吉な場所には、いかなる祟りがあるのだろうか。

手始めに、江戸時代末期の地図と現代の地図を重ねてみると、この場所は一柳家の屋敷だったようだ。領国は播磨小野藩。兵庫県の内陸部である。



この小野家に何かあったのだろうかと調べると、唯一、「加古川筋一揆」という百姓一揆が1833年に起きている。ただし、その顛末を書いたものがないわけだ。これ以上踏み込めない。

さらに、地図をよく見ると、この燃えた敷地の位置は、ちょうど、武家屋敷と町人屋敷との境目であるようだ。道の北側は一流家の武家屋敷で、南側には、「備前町」なる町名がある。つまり町民と武家との接点である。軽く調べると、刀鍛冶などがあったようだ。

しかし、備前町がどういう町だったのか、なかなかわからない場所であるのだが、・・・・・

この場所をウロウロしていると、ふと目に付いたのが、近くのビルの地下室にあるフィットネスクラブ。妙なノボリがはためいていた。町人エリアの方だ。

温泉でました 入れます。1200円。

そう、ここにビルを建てた時に、地下に打ち込んだ基礎から湯水が噴出したのだろう。そして、封印を解かれた地下の妖怪たちが、地表に噴き上げてきたわけだろう。



そういえば、六本木の麻布湯のそばには六本木ヒルズがあり、入口回転ドアが男の子の頭部をはさむ事故を起こしている。

渋谷のスパは天然ガスが室内に充満したところ、大爆発を起こし、従業員や店外通行人に犠牲者を出した。

東京は、深く掘れば、どこでも温泉が出るとまで言われるわけだが、それなら後楽園にある後楽園ラクーアは、今後どういう悲劇が待っているのだろうかと思うのだが、

最近の海外ニュースで、東京ドームが設計を真似たとも言われるミネアポリスにあるメトロドームが大雪で屋根が破れるという惨事を起こしているようで、ちょっと気になる。

幻の「月光仮面 第一話」元日に放送だが・・

2010-12-27 00:00:40 | 市民A
以前、何回かここに書いたように「月光仮面」のリマスター版が、ケーブルテレビの「ファミリー劇場」という放送局で配信中である。

そこで、問題になっているのが、月光仮面の第一話である。



もっとも重要と思われる第一話のマスターテープが欠落しているわけだ。さらに、そのビデオ版もない。いかなるコピーも発見されていないし、シナリオもない。さらに、昭和33年(1958年)から53年近くが過ぎ去り、出演者の記憶にも、その時の筋書きは残っていないということだそうだ。

ただし、第二話では、すでに主要人物である赤星博士は「どくろ仮面一味」に誘拐されていて、一方、月光仮面は既に第一話の劇中に登場していたらしいものの、警察からは、まだどちらの味方なのかも判定されていないという状況だったことが窺われる。また、後に祝探偵=月光仮面らしいという展開になっていくのだが、祝探偵はインドに別件捜査にいくことになっている(が、行っていないはずだ)。

それと、個人的には、この最高視聴率が67%で、放送中は町から子供がいなくなったと言われる国民的ドラマに対して、一つの大きな疑問を持っているのだが、最後に書くことにする。


そして、ファミリー劇場側は、「失われた第一話」を求めて、大捜査を開始したわけだ。

まず、制作会社の宣弘社。当時の社長は代替わりし、現在の社長(息子)の記憶によれば、第一話のフィルムが存在しないことは、親から言い伝えられていた、という。

そして、当時の社員の記憶を辿っていくと、実は重大な事実を隠していた人物が現れる。T氏である。かなりの高齢と見受けられるが、彼は別の会社から宣弘社に移ってきて、しばらく撮影の仕事をしているうちに、会社が番組制作をやめることになる。



その際、過去の制作作品のフィルムが散逸しないように整理をしているうちに、この第一話のフィルムがかなり傷んでいて、別のフィルムに貼りついてしまい、当時の技術では再現不可能と判断される。そして、Tさんは、そのフィルムを破棄してしまった、ということである。「私が破棄しました」との証言である。ここで、捜索の目的が変わることになる。

オリジナルフィルムが存在しないことになり、次に向ったのがTBS。前身のKRテレビの時に、月光仮面が放送される。新聞のテレビ欄によれば、昭和33年2月24日午後6時から30分間の放送である。フィルムのコピーやビデオがあればということ。

(ここでも一つの謎がある。第二話以降、一回の放送時間は5分以上10分以内。30分番組だったのはなぜか。)

ともかくTBS本社での資料調査では、データベースには月光仮面関連はないとのこと。

そして、最後の希望として捜査隊が向かったのがTBS緑山スタジオ。ここに、未整理の雑多なフィルムが保管されているという。



しかし、幸運か不運かわからないが、こちらの担当の方は、つい最近、未整理フィルムの整理を行ったばかりということだった。新しく発見したのは、「ザ・ガードマン」「兼高かおるの世界紀行」「エイトマン」などだそうだ。そして残念ながら、「月光仮面」は見当たらなかった、ということだ。こうして、とりあえずの捜査は終わるしかなくなる。



が、この調査の中で、1967年に「調査情報」という業界紙の中に、月光仮面のストーリーについての記載があることが発見されていた。

さらに、原作者の川内康範氏が書いた小説が残っていた。

この二つのネタを基に、「ファミリー劇場」は、第一話の推定版を再現することになる。素材は、第二話以降の画像である。ストーリーに合ったシーンを切り取り、それにアフレコを付けることになる。

そして、ただ一人、この企画に参加した、当時の出演者がいた。アフレコにも自分の役で登場する。



大瀬康一。またの名を祝探偵。あるいは、別の名は月光仮面である。53年経った現在でも全く元気である。やはり月光仮面は不死身だったのだろうか。

そして、私が元旦の特別番組に期待するのは、実はかなりシリアスなことである。

なぜ、科学者が襲われたのかと言うと、原爆をしのぐ超強力な爆弾であるジョー発爆弾の開発者だった。当時の世界は、超大国が原爆を独占していた。日本が原爆を超える強烈な爆弾を入手した時には、それで世界平和が実現する、というものでもないだろう。そこのあたりの国民的幻想について、少し知りたい。

エトワール来日

2010-12-26 00:00:17 | 美術館・博物館・工芸品
横浜美術館で開催中のドガ展。会期終了間近にやっと行けた。どうしても行かなければ、と思えば思うほど行けなくなったりするものだ。

doga1

まず、エドガー・ドガの名前から。本名は、エドガー・ド・ガスというそうだ。何となく、江戸川ガスみたいな名前が嫌いだったのかもしれない。ドガというのは、ド・ガスのことだった。

そして、かなりの量の今回の展覧会には、ドガの習作類が大量に展示されている。その中に、初期の習作として、人間ではなく女性の衣装を描いた作品が数多くあった。洋服の襞とか、実に書くのが難しいのだが衣装フェチみたいだったのだろうか。それが、後にバレエ劇場に泊まり込みで、エトアールを初めダンサーを描き続けた始まりだろう。

そして、エトアール。星と言う意味だ(フランス語)。

doga2

この絵画はドガ作の中でも最も美しい一枚とされ、印象派を代表するのだが、よく見ると顔は描かれていないが左側に舞台裏の男性の黒い足が見える。

この顔が不明な男性は、このバレリーナのパトロンということらしい。当時、貧しい家に生まれた女性は都会でスターになるための修業代が払えず、手頃なパトロンがついていることが多かったそうで、つまり愛人契約みたいなものだろうか。

美しきものの背景にある醜い側面を描いた作品ということだそうだ。

その他、バレエ教室にあこがれていくつもの作品を描いている。


ところで、ドガ展を離れてだが、イサム・ノグチのコレクションのそばに、世界の巨匠の彫刻があった。

空間の鳥。ブランクーシ作。

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この作品は、ブランクーシがアフリカに行き、傾倒している中で、アフリカ的な文化を全面的に取り入れたものとしている。

イサム・ノグチは横浜に縁があり、その作風はブランクーシの弟子だったこともあり、(アフリカ+日本)÷2というような傾向である。

そして、今まで何回も美術館に通っているが、『空間の鳥』を見た記憶がないので、普段は横浜美術館の倉庫に眠っているのだろうか。横浜美術館から何か1品を持って逃げるなら、この作品なのだろう。やはり迫力が凄い。

遊ぶのが宿題

2010-12-25 00:00:20 | しょうぎ
元々は頼まれ仕事から始まって、もう何年にもなるのだが、地元でほぼボランティアの将棋教室を開いている。昨年の冬は新型インフルエンザ騒ぎで、参加者が激減したが、春先から徐々に増加に転じ、ついに児童50人を超えることになった。上海の小学校みたいになっている。



ともかく、会場の椅子がなくなり、将棋を指すのに机の順番待ちなんてことになった。

どうして、そんな人気講座になったのかよくわからないが、かなりの広範囲から集まっている。無料ということもあるのだろうが、それよりも参加児童が熱心で、フィンランドの教室みたいに、強い子が弱い子に教えたりしている。

本当は初段以上になっている子もいるのだが、免状ウン万円ということになると、たぶん困ったことになるので3級位にしている。ということで、全体にやや辛い級位になっているため、他の道場から回ってきた子は、いきなり降級になったりする。

でも学校の友達とは違って、ほとんどが違う学校、違う学年のこども同志の社交の場所になっていて、将棋よりも他人のとのいい付き合い方というような間の取り方がうまくなるような気がする。

実は、もう一つ「低学年数名」のインナーのサークルからも頼まれて、有料講座ももっているのだが、かなり性格の違う方向になっていて、ちょっと苦戦である。簡単な宿題とかも、やってもらえないわけだ。聞くところによれば、ゆとり教育だと、公立の小学校では、2年までは学科の宿題はないそうで、「よく遊ぶことが宿題」ということだそうだ。むしろ、こどもの母親たちの方が将棋にはまっているように思えるわけだ。上達も早いし。

遊びで個性が伸びるのではなく、遊びで個性を見つけることが出来ても、個性を伸ばすには修業が重要なのだと思うわけである。


さて、12月11日出題作の解答。



▲1四飛 △2三玉 ▲4一馬 △3二桂 ▲2四飛 △3三玉 ▲4四金 △同桂 ▲2三飛成まで9手詰。

打った飛が一つ動き、合い駒に打った桂も動く。

動く将棋盤は、こちら


本日の問題。



なんとなく実戦風の問題。(といっても私の実戦にのみ登場しそうな図かもしれない)。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。




黒豚と野菜のフライ

2010-12-24 00:00:51 | たび
鹿児島にちょっとの間、行っていた。

鹿児島県は現在、農業と畜産が盛んであるが、鹿児島市に限れば、大きな産業は、「観光」だそうだ。

そして、観光の中心は、幕末の薩摩藩関連。さらにフォーカスすれば、西郷隆盛ということになるようだ。その絶対的な観光の柱に、たとえば「篤姫」とか、「竜馬の新婚旅行」とか、その頃の時代の副主人公たちのエピソードが加わり、ネタは尽きない。

だが、本当にそれでいいのか、というのは鹿児島部外者から見て、ちょっと言いたくなることもある。つまり、今は21世紀であるということ。もちろん、近代日本の出発点の多くの疎石が、薩摩であり長州であるのは確かだが、もっとクールに考えてみたいなと思ったのだ。

そんなことで、「歴史」と「観光」を切り離して考えてみようかと考えたわけだ。

そして、「歴史」と並ぶ大きな観光要素が「あじ」。日本最南端の新幹線停車駅である鹿児島中央駅のそばで、さっそく昼食を取るのだが、まずは肉食。

とんかつ屋で黒豚を食べようと思っていたら、珍しいものが。



野菜フライ。

野菜とフライを結びつけたのがコペルニクス的転回。

黒豚のロースかつも、東京付近では、決して食べられない豚固有の甘みを保ち、かつ、均一な肉質が口を楽しませてくれるわけだが、野菜をフライにすると、今度は野菜のうまみと肉よりもやや柔らかい食感が残るわけだ。

ブロッコリーや、ズッキーニが油に合うようである。さらに薩摩汁。独特な生姜味なのだろうか、自信はないが。



そして、外を歩き始めると、外には桜島の眺望である。ナポリ通りから維新ふるさと館に渡る橋の上から見ると、桜島の容姿が雄大なのだが、その後、もっと雄大な姿を見るわけで、ここで早くも驚いてはいけなかったのだ。

それで、このあたりの加治屋町とか高麗町というのが薩摩藩の下級武士の住宅だったそうで、西郷や大久保はじめ維新有名人の多くが、この狭いエリアの出身である。両者とも下から二番目の御小姓与という身分だったそうで、江戸の勝海舟も下級武士だったことを考えても、江戸時代の構造は国の外部からも内部からも変革の時を迎えていたということなのだろうか。

維新ふるさと館は、案の定、井伊直弼を邪悪な鬼のように表現していた。映画「桜田門外ノ変」と同じだ。一方的に過ぎると思うが、全国どこでもご当地物はそんなものだ。

(鹿児島シリーズ、ときどき続く)

元素周期表を眺めて

2010-12-23 00:00:29 | 市民A
元素の話でもしてみようかと。



まず、今年12月3日にNASAが「宇宙生物学上の発見」とした、GFAJ-1(もっといい名前がつくのだろうか。ドイツ、フランス、アメリカ、日本の頭文字だが)。

てっきり、ついにUFOに乗った新生物を捕まえたのか、と大騒ぎだったのだが、中騒ぎの「細菌発見」。もっとも、その後、懐疑的な話が出回っている。

いままで地球上で発見された、数百万もの生物が、すべてDNA方式の生命構造であり、さらにそれが、僅か6種類の元素の規則的な配列によるという「DNA神話」に基づいていたのだが、そうじゃない生物を見つけた、ということ。

つまり、既存6種類の元素がなくても生命がいないとは言い切れない、ということで宇宙生命のパターンは様々ある、ということを言いたいらしい。(昔読んだSFで、星自体が生命体で、星が知性を持っているというような話があったが、そんなこともあるのだろうか)

基本6元素だが、H(水素)、C(炭素)、N(窒素)、O(酸素)、P(リン)、S(イオウ)。

元素周期表上で見ると、水素以外の5元素は、奇妙なことに固まった場所にある。

で、問題は、カリフォルニアのどこかにあるヒ素だらけの湖であるモノ湖には、リン(P)の代わりにヒ素(As)をDNAに取りこんだ細菌があり、それがGFAJ-1ということだそうだ。

ただ、世界中からの懐疑は、
1. DNAにPの代わりにAsが置き換わったのではなく、単に細菌の中にAsが含まれているだけなのではないだろうか。(たとえば、ひじきには多くのヒ素が含まれている)。

2. 仮にDNA上でPとAsが置き換わったとしても、もともとPを含む6元素で構成された生命が、たまたまPの存在しない環境で、代わりにAsがあったから代用利用しただけで、元々のDNAは、Pが必要なのではないだろうか。

というようなものが多いようだ。


もっともモノ湖に行けば、その細菌がうじゃうじゃといるのかもしれないが、それを持って帰って培養してみれば、研究し放題なのか、やはりモノ湖のようなヒ素環境を作らないと増殖しないのかもしれないし、1.の疑問は数カ月でめどが立つような気がする。やたらと持ち出して増殖したりしたらいけないのかもしれないが。

2の疑問は、簡単には白黒つかないだろうなあ、と思う。


次の話題はレア・アース

周期表のずっと左側の横から3列目(第3族)。一番上がスカンジウム。その下がイットリウム。その下の箱だが、「*」とか「L」とか書いてある表が多い。そして欄外に注書きで、Laで始まる15種類の元素が横書きになっている。これがレアアース(希土類)である。さらに、上の二つのScとYも含めることも多いが、単に助実的な表現のレア・メタルとは異なり、はっきり化学的な分類なのである。基本的に周期表の縦と横の関係でできる枡の中には将棋の駒のように1種類しか入らないのが一般的なのに、この場所には15元素が集中する。団塊世代の小学生時代みたいだ。

そして、今や人気殺到になったレア・アースだが、これらの多種類の元素が、何種類も混ざって存在するわけだ。もともと地球の中心の方にあるマグマの中で混ざって存在しているため、たまたま地表近くにある混合金属を採取しても、多くの金属の混合物になっている。

だから、元々微量で、元素の混合比率が異なるものを効率的に分離抽出するのが、きわめて困難な技術を必要とし、したがって産地の多くは、抽出できないまま、塊で輸出するしかなくなるわけだ。

それが、中国のジレンマということ。

そして、この第3族は鬼っ子金属とでもいうのか、その下のマスには「**」とか「Ac」とか書かれていて、欄外に横並び、元素が並んでいる。何の偶然か、こちらも15元素。

上のマスが団塊世代なら、下のマスは団塊ジュニアといったところだろうか。

こちらは、大問題の元素が並ぶわけだ。ウランとプルトニウム。レア・アースの抽出よりもウランの抽出に血道を上げる国が後を絶たないわけだ。

核兵器と言えば、概ねこのウランやプルトニウムの核分裂時に発生する巨大なエネルギーを熱源にしているわけだが、逆に水素(重水素)の融合によるエネルギーを利用するのが水素爆弾。水素爆弾に用いられる瞬間的な高熱を得る方法が原爆以外に見出さないから、水爆も核兵器の分類に入れられることが多いが、本来はクリーン爆弾ともいえる。

北朝鮮が韓国に併合されれば、韓国は自動的に核保有国となり、その席を降りることは考えられないわけで、場合によっては日本も超強烈な爆弾が必要かもしれない。

その場合、日本は、原爆を使わないクリーンな水素爆弾を炸裂させることを考えればいいのだろうか。実験の場所には頭を痛めそうだが。

設計図でも引いてみようかな。

自宅にカーヴ

2010-12-22 00:00:12 | マーケティング
ワイナリーでワインを熟成させるには、地下にあるカーヴという貯蔵用の部屋を使う。西欧では各家にカーヴという地下蔵が備わっているようだが、日本にはあまり例がない。というのも、日本の地下室は湿気の面でも温度の面でも、とても西欧にはなれないからだ。

ところが、1982年にスイスのヘルマン・フォルスター社が開発した冷蔵庫の技術が日本のワイン事情を変えたわけだ。野菜を新鮮に保つ技術である。庫内に発生したエチレンガスを戸外に排出させ、いつも食物を新鮮に保つ技術である。

この冷蔵庫の技術を応用し、いつも冷蔵庫内を14度・湿度70%にキープするのが、ワインセラーの役割である。



そして、事前情報では、秋葉原のオノデンに行けば大量にあると言われて、行ってみると20台弱が展示中。ついでに秋葉原のヨドバシに行くと、ここも約20台が置かれている。さらに有楽町のビックにも20台弱が。

で、結局は横浜のヨドバシで買うことになった。10%にあたるポイント約15,000点の差かもしれない。




それで、数日後に現物が到着。部屋の一部が地下室になったわけだ。しかし、ここで眠るべきワインは36本までを寝かせることができるのだが、実際には10本以下しか、入れるものもないわけだ。イタリアから箱で届いたばかりの新酒6本まで並べてみた。今後、大出費の予感ありだ。

しかも、ワインセラーを設置した場所には、元々本棚があったのだから今度は本が溢れるようになってしまったわけだ。

ほこりまみれになって、古書店風の整理を行っているわけだ。早く片づけてワインを飲みたいな。(いや、飲むと在庫が減る)

ところで、各種ワインセラーだが、多くが外国のブランドである。また数百本を保存できるようなものもある。海外の日本大使館には、こういうものがあるのだろう(あるいは、本物の地下カーヴ?)。

説明書をよく読んでいると、このブランドだが故障などの時のサービスセンターだが、サンヨーが行うことになっている。日本製だったわけだ。

なんでも鑑定団、ついに世界レベルのお宝発見!

2010-12-21 00:00:38 | 美術館・博物館・工芸品
kantei12010年12月14日は、満17年になるテレビ東京の長寿番組「なんでも鑑定団」にとって、記念すべき日になった。驚愕の骨董。驚愕の鑑定額。

鑑定依頼人は囲碁棋士の尾崎宏氏。8年前に退役したということで、別途日本棋院のHPで調べると、二段の先生だった。お兄さんも棋士で、こちらは七段。だから、棋士として大活躍した、というでもないのだろう。

そして、この話は1964年に飛ぶ。当時、知人の紹介で尾崎氏はニューヨークへ渡り、国連などで教えていたらしい。そこで親しかったある女性から、尾崎氏の新品のカメラ(キャノン)を所望され、代わりに金属製の壺を渡されたそうだ。カメラは今の感覚だと80万円ほどのもので、かなり思い切ったわけだ。


kantei4そして、月日が流れ、尾崎先生が独自で研究すると、壺はかなりのものではないかと思うようになり、テレビ出品ということになった。

本人評価額は200万円ということだが、誰も信じないわけ。そこで、からくさ鑑定士とも呼ばれる中島誠之助氏が、慎重に鑑定を始めたわけだ。

実は、この日、高額物件が登場という噂は知っていて、さらに、番組の最後に、この青銅の壺が登場したのだから、これが高額物件なのはわかっていたのだが、そうなれば、この形は3000年以上前の殷の初期の時代のデザインと同じではないだろうか。しかし、そんな世界の宝みたいなものがニューヨークでカメラと交換されるなんて、考えにくい。



そして、緊張のオープンプライスは?

kantei2200,000,000である。2億円。

あまりの興奮にレギュラー出演者も声が上ずり、何か意味不明なことをしゃべる。やっと中島氏が講評することになり、「殷初期の作」と私の見立てと同じことをしゃべる。「この番組が始まって、満17年。はじめて世界的なお宝とめぐりあえました」ということがそうだ。


kantei3興奮した、尾崎さんは、「寄付する」といったのだが、たちまち出演者にいさめられ、「売って得た代金で、小さな囲碁会館を建てて、普及に使う」ということになったようだ。

だが思うに、サザビーとかのオークションに持ち込めば、鑑定額のさらに10倍の値が付く可能性すら考えてしまう。

ところで、1964年の頃の中国だが、なぜお宝がアメリカにあったのか。

これは私の推測だが、当時の中国の社会的混乱ぶりからして、心ある中国のコレクターがあえて、海外(アメリカ)に世界的文化遺産を逃避させた、ということではないのだろうか。

官費削減の名案

2010-12-20 00:00:21 | 市民A
先日、憲政記念館を訪れた際に開かれていた特別展「政党政治への道」の資料を読んでいたら、今も昔もという話が書かれていた。

明治24年7月の頃である。と言えば、第一回の衆議院議員総選挙が明治23年(1890年)7月だから、初の総選挙の一年後である。民主党政権1年目というのと重ねてみてもいい。



この第一回選挙は直接国税15円以上を支払う25歳以上の男子に選挙権があった。ある意味で国会の決議事項の最大は、予算であり、その予算を支えるのが納税者なのだから、合理的とも考えられる。現代的に言うと、年金受給者には選挙権を与えないということになるのだから、現代でも、かなり合理的なのかもしれない。

投票箱に鍵がついているのが現代と同じ。立候補者の身になれば、多少の不正ぐらい大目に見てほしいと思っているのだろうから、投票箱に鍵は必須だろう。

明治24年に総理大臣の椅子に座っていたのは伊藤博文。当時の世論は、「減税」。これに伴って軍事予算の削減、公務員の削減といったところ。要するに「小さな政府」。

ところが、一方で藩閥派の伊藤は、軍事費の大幅な値上げを目論んでいた。現代的問題では子供手当の財源確保のような問題。そのため、議会で衝突する。そしてかなり行き詰まることになる。

必要財源を増税で行うともっと問題が発生する、そこで天才政治家伊藤博文の奥の手が出てくる。

公務員の給与のそれぞれから10%を軍事費に納付させることになる。

そして、やっと政治危機を乗りることができた。現代的にいうと「こども手当」の財源として、公務員の給与1割を納付していただくわけである。

百の階梯、千の来歴(鈴木清写真展)

2010-12-19 00:00:04 | 美術館・博物館・工芸品
suzuki写真家鈴木清は1943年に炭鉱の町で生まれ、2000年、病気で亡くなる。57年間の人生で完成させた8冊の写真集からの写真展である。近代美術館(竹橋)にて。

芸術としての写真といっても、写真家の主義はさまざまで、鈴木清は、もっぱら『写真集』という形を表現の中心においていた。

1971年、28歳の時の「流れの歌」から「ブラーマンの光」30~32歳。この頃は、主に街を撮り、物を撮り、人を撮っていた。

「天幕の街」37歳、「夢の走り」40歳では、彼の被写体は人物の心の内面に変化していく。写された者たちの心の中が写されていく。

そして、「愚者の船」45歳、「天地戯場」47歳では、自らの心象が思わず溢れ出るような作品が増える。さらに、「修羅の園」50歳、「デュラスの領土」54歳では、彼の写しだすものは、ほぼ抽象の世界に移行していくわけである。

題材も、初期の頃は町や旅というのが中心であったものが、年を重ねるに連れ、夢とか時間とかそういうものに移行し、やがて、目の前の現実と夢というように観念的かつ抽象的な世界になっていくようである。


人生に、あと1年でも2年でも猶予があれば、あと数冊の写真集を完成させたかったのではないだろうか。

どちらの味方だったか

2010-12-18 00:00:52 | しょうぎ
竜王戦7番勝負は15日19時13分、第6局を渡辺竜王が勝ち、終了。羽生名人を相手に4勝2敗で竜王位を防衛した。



12月4日付け弊ブログで、仮に渡辺防衛でも、知名度に圧倒的な差がある羽生挑戦者に主語を置いた記事、たとえば、「羽生名人、竜王挑戦に失敗。永世竜王位獲得できず国民栄誉賞はお預け。夫人との別居が原因か」のように竜王の名前を失念したような記事が現れるのではないだろうか、と冗談を書いたが、五大新聞ネット+国営放送は、実際、以下の見出しで記事を流した。

時刻順

読売:渡辺竜王が4勝2敗で防衛、7連覇達成 19:16
日経:渡辺が竜王7連覇 羽生「永世七冠」ならず 19:46
産経:将棋の竜王戦 渡辺竜王が7連覇 19:47
毎日:渡辺竜王が7連覇 羽生「永世7冠」ならず 20:01
朝日:渡辺竜王が7連覇 羽生名人の永世七冠阻む 将棋竜王戦 20:21
NHK:渡辺竜王 羽生3冠破り7連覇 21:50


さすがに、竜王の名前がない見出しはなかったが、各紙の見出しから、渡辺、羽生どちらに加担しているのかを考えてみる。

まず、読売。主催紙だけに、勝負がついてから3分で記事になる。見出しには挑戦者の氏名が書かれていないだけに渡辺寄りと言える。

次に日経。羽生の七冠挑戦失敗が記事の中心である。主語が羽生のようだ。

産経は読売同様に挑戦者の名前を出していない。渡辺寄り。

毎日の見出しは、ほぼ日経と同様。羽生寄りである。

朝日に見出しは、前半部は渡辺寄り、後半部は羽生よりのように感じる。

そしてNHK。なんといっても報道が遅い。他社よりも2時間も遅い。半島方面からミサイルが飛んできても報道されるのは2時間後ということだろうか。



まあ、記事はいずれも無難な線でまとめられていて、プライベートのことはふれられていない。が、局後の羽生名人の疲れた表情は、ちょっと何かが変だな、と思わせる節が漂うのだが。


さて、12月4日出題作の解答はこちら


今週の問題は、少しくどいかもしれない。



広い意味ではエンタメ的手筋登場。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判定。

豚丼の王様

2010-12-17 00:00:27 | あじ
確か2年ほど前にピロリ菌退治をしてから、3キロほど太ってしまった。原因と結果という観点で考えれば、胃の動きが活発になり、食物の消化が良くなってその分、栄養が過剰になり体脂肪が増えたということ。

個人的には、若干の体重オーバーであっても、仮にフェイタルな病気で一カ月以上入院を余儀なくされた場合、一挙に5キロほど痩せるはずだから、その時の備蓄と考えればいいと思っていたのだが、既に備蓄を蓄えた上に、さらに体重増加は少しまずい。

ということで、手頃なところで昼飯のカロリーを抑えるために努力中なのだが、毎日、コンビニサンドとかキツネソバでは味気ない。毎週一回は、豚骨ラーメンとか丼物とかに行くことにしている。といっても、ビジネスランチになったり、不規則な出張で1日4回食事をとったりと、全然減食効果は現れないのだが(というか減食してないから)。





それで、数ヶ月ぶりにダイエットの天敵みたいな店に入る。虎ノ門の某所。

『豚丼』である。650円。

ごはんの上に刻みキャベツをのせ、マヨネーズで味付けする。その上に、目の前で炭火で網焼きで焦がした豚バラ肉を並べ、上に半熟の温泉卵。紅ショウガは各自トッピング。

狂牛病騒ぎの時に、某牛丼チェーンの店頭にみじめっぽく登場したブタ丼とは大違いだ。

もともとは、同様の焼鳥丼が看板だったのだが、実は近くに正統派焼鳥丼の美味な店がある。そのため、焼鳥屋のはずが自然に焼豚屋になったわけだ。遠赤外線でバラ肉を炙るから、備長炭の上にしたたる獣脂が燃え上がり、炎と煙が巧まずしてワイルドなわけだ。(とはいえ、肉の焦げ目はガン細胞の活性化の誘因物質とも言われるので、こっそり箸でよける方がいい)

そして、この店は、結構、女性客が多い。草食系人間は、男女ともに、入店禁止だ。