毎年、100冊以上の読書をしているが、今年の100冊目はついに、年の瀬に突入。
『島抜け』。
歴史小説家である著者が発掘したのが、幕末の入口である天保時代に大坂で活躍した講釈師である「瑞龍」。
1844年と言えば、天保の大飢饉による百姓一揆の勃発(1833年頃から)から大塩平八郎の乱(1837年)を経て、大坂には殺伐とした空気が漂っていたのではないだろうか。
一方、江戸では水野忠邦の改革が行き詰まり、中国大陸では阿片戦争で清王朝が崩壊への道を歩み始める。
そんな時代背景で、うっかり気が緩んだ人気講釈師が、徳川家を嘲笑する内容の演目をぶってしまう。
そこから始まる一介の講釈師の文字通りの波瀾の生涯を描いた小説である。
誰もが、軽微な罪と思っていたのに反し、種子島への島流し。
島の暮らしに飽き飽きし、再び大坂の活気を夢見る頃に現れた、脱島のチャンス。丸木船で4人の力を合わせ漕ぎ出したものの、嵐に見舞われ漂流記が始まる。
そして、何の因果か中国大陸に流れ着き、清国の保護下におかれる。
そこで、安住の生活に落ち着く道もあったものの、再び祖国日本を目指し、とうとう長崎出島に到着するも、偽っている自分の生国へ身分照会が行われることになり、身分発覚を恐れ、再び脱走。九州から四国へ渡り、さらに本州へ上陸し、潜んでいたが、ついに捕縛される。そして、この世にも可哀そうな講釈師に対し、長々と時間をかけた末に幕府が決定した最終判決は、死罪。即実施。
その時、既にペリーの軍艦外交に屈した幕府は、和親条約を締結していた。
何だか、大坂というのは、現代大阪人が歴史に無頓着なせいかもしれないが、未発見の幕末歴史素材がごろごろと転がっているような感じがしているのだが、実際、発掘は難しいのかもしれない、と思いながら、年末のジルベスターコンサートで指揮者小林研一郎がマーラーを振るということだそうで、慌ただしく本を閉じる。
『島抜け』。
歴史小説家である著者が発掘したのが、幕末の入口である天保時代に大坂で活躍した講釈師である「瑞龍」。
1844年と言えば、天保の大飢饉による百姓一揆の勃発(1833年頃から)から大塩平八郎の乱(1837年)を経て、大坂には殺伐とした空気が漂っていたのではないだろうか。
一方、江戸では水野忠邦の改革が行き詰まり、中国大陸では阿片戦争で清王朝が崩壊への道を歩み始める。
そんな時代背景で、うっかり気が緩んだ人気講釈師が、徳川家を嘲笑する内容の演目をぶってしまう。
そこから始まる一介の講釈師の文字通りの波瀾の生涯を描いた小説である。
誰もが、軽微な罪と思っていたのに反し、種子島への島流し。
島の暮らしに飽き飽きし、再び大坂の活気を夢見る頃に現れた、脱島のチャンス。丸木船で4人の力を合わせ漕ぎ出したものの、嵐に見舞われ漂流記が始まる。
そして、何の因果か中国大陸に流れ着き、清国の保護下におかれる。
そこで、安住の生活に落ち着く道もあったものの、再び祖国日本を目指し、とうとう長崎出島に到着するも、偽っている自分の生国へ身分照会が行われることになり、身分発覚を恐れ、再び脱走。九州から四国へ渡り、さらに本州へ上陸し、潜んでいたが、ついに捕縛される。そして、この世にも可哀そうな講釈師に対し、長々と時間をかけた末に幕府が決定した最終判決は、死罪。即実施。
その時、既にペリーの軍艦外交に屈した幕府は、和親条約を締結していた。
何だか、大坂というのは、現代大阪人が歴史に無頓着なせいかもしれないが、未発見の幕末歴史素材がごろごろと転がっているような感じがしているのだが、実際、発掘は難しいのかもしれない、と思いながら、年末のジルベスターコンサートで指揮者小林研一郎がマーラーを振るということだそうで、慌ただしく本を閉じる。