広島市現代美術館は、広島市街地から僅かに外れた比治山丘陵に建つ。現代的という単語が21世紀の初頭には吹き抜けのコンクリート造りを指すのだろう。東京都現代美術館は、ただの箱だが、もう少し設計にはデザインが入っている。
ちょうど、「Memory/Memorial 65年目の夏に」という展覧会が開かれていた。65年前の被爆がテーマである。
ひろしま美術館でも感じたのだが、広島市は被爆を背負っている。いい意味でも悪い意味でもだ。どうしても、世界の非核化への責任を一人でしょういこんでいる感がある。
もちろん、それが広島のアイデンティティであるのだが、どちらかというと、『被害者であること』にこだわらざるを得ないところに、その限界もある。
たぶん、もう一歩踏み込むことが必要なのだろうが、それが政治的にも難しいということあるのだろう。
小林正人の二つの作品。『この星に』と『星のモデル#5-2』。二つのペア作品である。
今回、二つの展覧会に分かれて展示されている。一つは、この広島。もう一点は、ポーランドで開かれている「メディエーションズ・ビエンナーレ」。ポーランドはアウシュビッツの記憶を人類に刻んだ。二つの負の遺産。
まあ、堅いことを言わないで美術作品と考えれば、この作品は筆やパレットナイフではなく、素手で絵具をキャンバスに塗りこんだそうだ。
インド人のように、カレーを右手で食べた後、ナプキンでふき取ったようにも見えるが、案外、その乗りかもしれない。そういえばインドは核保有国だ。
庭園には、いくつかの造形物が並ぶ。遠景に広島市街地が眺められ、何か人類のむなしさが押し寄せてくる。
ちょうど、「Memory/Memorial 65年目の夏に」という展覧会が開かれていた。65年前の被爆がテーマである。
ひろしま美術館でも感じたのだが、広島市は被爆を背負っている。いい意味でも悪い意味でもだ。どうしても、世界の非核化への責任を一人でしょういこんでいる感がある。
もちろん、それが広島のアイデンティティであるのだが、どちらかというと、『被害者であること』にこだわらざるを得ないところに、その限界もある。
たぶん、もう一歩踏み込むことが必要なのだろうが、それが政治的にも難しいということあるのだろう。
小林正人の二つの作品。『この星に』と『星のモデル#5-2』。二つのペア作品である。
今回、二つの展覧会に分かれて展示されている。一つは、この広島。もう一点は、ポーランドで開かれている「メディエーションズ・ビエンナーレ」。ポーランドはアウシュビッツの記憶を人類に刻んだ。二つの負の遺産。
まあ、堅いことを言わないで美術作品と考えれば、この作品は筆やパレットナイフではなく、素手で絵具をキャンバスに塗りこんだそうだ。
インド人のように、カレーを右手で食べた後、ナプキンでふき取ったようにも見えるが、案外、その乗りかもしれない。そういえばインドは核保有国だ。
庭園には、いくつかの造形物が並ぶ。遠景に広島市街地が眺められ、何か人類のむなしさが押し寄せてくる。