時間よ、進め!『Memory/Memorial』

2010-10-31 00:00:36 | 美術館・博物館・工芸品
広島市現代美術館は、広島市街地から僅かに外れた比治山丘陵に建つ。現代的という単語が21世紀の初頭には吹き抜けのコンクリート造りを指すのだろう。東京都現代美術館は、ただの箱だが、もう少し設計にはデザインが入っている。



ちょうど、「Memory/Memorial 65年目の夏に」という展覧会が開かれていた。65年前の被爆がテーマである。

ひろしま美術館でも感じたのだが、広島市は被爆を背負っている。いい意味でも悪い意味でもだ。どうしても、世界の非核化への責任を一人でしょういこんでいる感がある。

もちろん、それが広島のアイデンティティであるのだが、どちらかというと、『被害者であること』にこだわらざるを得ないところに、その限界もある。

たぶん、もう一歩踏み込むことが必要なのだろうが、それが政治的にも難しいということあるのだろう。




小林正人の二つの作品。『この星に』と『星のモデル#5-2』。二つのペア作品である。

今回、二つの展覧会に分かれて展示されている。一つは、この広島。もう一点は、ポーランドで開かれている「メディエーションズ・ビエンナーレ」。ポーランドはアウシュビッツの記憶を人類に刻んだ。二つの負の遺産。

まあ、堅いことを言わないで美術作品と考えれば、この作品は筆やパレットナイフではなく、素手で絵具をキャンバスに塗りこんだそうだ。

インド人のように、カレーを右手で食べた後、ナプキンでふき取ったようにも見えるが、案外、その乗りかもしれない。そういえばインドは核保有国だ。



庭園には、いくつかの造形物が並ぶ。遠景に広島市街地が眺められ、何か人類のむなしさが押し寄せてくる。

『脳トレ9手詰』は、なぜ『脳トレ7手詰』より易しいか

2010-10-30 00:00:55 | しょうぎ
前作『脳トレ7手詰』に散々悩まされた苦い経験があるのにかかわらず、北浜健介プロの新作『脳トレ9手詰』を購入。



普通、7手詰より9手詰の方が3倍くらい複雑になると考えられるのだから、難解9手詰を100番並べられても、数あるギブアップ本の山に追加されるだけだが、書店の店頭で一問だけ解いて、「易しい問題も、少しはあるようだ」との検討をつける。

でも、しばらく積んでおいたのだが、ついに解き始めると、最初の10問はすぐに解ける。というか、ノータイムみたいなもの。もちろん、最初の10問だから客寄せに易しくしたのだろうと思って、解き始める。易しいので脳が高速回転になって、そのうち疲れてくる。

つまり、易しい問題で脳を高速回転させるという主旨なのだろうか。

結局、難易度が上がることなく100問終了。

作者は、7手詰のスペシャリストで9手詰は専門外なのだろうか。いや、難解7手詰の頭に二手追加したっていいのだから、その推測は当たらない。

たぶん、7手詰が難しすぎた、という出版社の営業政策上、易しい9手詰集を出してから、脳トレ11手詰、13手詰・・・・99手詰とか脳トレ大全集全100巻とか売りまくろうということなのだろうか。

なぜ7手詰より9手詰が易しいのか、あれこれ悩むことが脳トレになるような気がした。


さて、10月16日出題作の解答は、こちら

今週の問題も軽作。LPSA2010日めくりカレンダーに登場作。1年前に買ったままにしている方も、そろそろ解き始めないと、作者がブログに正解を書き始めるころだ。



わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

新橋駅烏森口周辺インド料理店

2010-10-29 00:00:56 | あじ
前回9月17日『西新橋カレータウン』に引き続き、インド料理店の探索。



西新橋地区とは日比谷通りをはさんで新橋側。新橋駅の烏森口周辺である。なお、念のため「烏森」だが、「からすもり」である。「とりもり」では焼鳥丼大盛りになる。




まず、ヤマダ電機の路地を入ったところにあるのが、「ルミナ」。実は、きょう紹介の中では、もっとも気取った高級感を演出している。王様のカレーだ。ランチ約1000円。2階の店だが、客引きのインドの兄さんの体格は立派だ。かなり混んでいる。相席で食べることになるが、ナンが大きいので、つい周りのお客のナンと接触する。味は高級風でスパイス大量に混じり合うという感じだ。個性がないかもしれない。




次に、日比谷通り横浜ゴムの裏手にあるのが、「エベレスト」。エベレストと名乗るだけあってインド、ネパール料理ということになっているが、よくわからない。急な階段を上って二階にあるところからエベレストなのかもしれない。インド北部は小麦文化のはずだが、ここのサフランライスは実に美しく光っている。一階ではテークアウトのカレーを売っているが、列が長い。少し変わっているのがナン。体験した中ではもっとも薄い(チャパティよりは厚い)。したがって、きわめて面積が広い。インドというよりシベリアの面積風だ。

カレーの味は硬質感があって、質素素朴。チキンもいい堅さだ。店員はオールインドのようだが、メニュー作りだけは日本人に任せた方がよかったかもしれない。意味がよく伝わらない。




そのエベレストから、わずかに大門方面に進むと、今度は地下店舗で「タージマハール」がある。地上からは、見つけにくく、なんとなく入りにくいのだが、たいてい、地下に進む階段に列ができている。それも直線階段ではなく、途中で踊り場で向きが変わる階段なので、店内の雰囲気がわからない。メニューは階段に貼られているのだが、いくら読んでもよくわからない。そして、入店すると、

実際には、普通のレストラン風。もっとも地下なので、匂いがきつい。そして注文するのだが、この店の最大の特徴を忘れてはいけない。

辛さがインドそのものなのである。だから、極めて辛い。大辛、中辛、普通となっていて、中辛でも半日ほど口が痺れてしゃべれない。一日の仕事を全部パソコンで処理する人には何の問題もない。だから、この店は激辛カレーのリピーター専門といってもいいわけだ。1000円でお釣り少々か。




そして、少し山手線の方に戻ると、「マンダラ2ND」がある。1号店は、神田方面らしい。ここは、オシャレなインド料理店を目指しているのがよくわかる。細かなインテリアから店内あちこちがインド装飾で飾られていて、店舗は一階でガラス張り。難を言えば、8メートル道路の向かいに、テークアウトのカレー店があることか。味も洗練されて癖がない。癖がないのが欠陥なのかもしれない。みんなでワイワイ言うのが好きな人が行けばよさそうだ。

前回、西新橋編は5店紹介したのだが、ここまで4店。実は一軒(店名、タパ)がクローズ。どこかに移転するようだ。




それなので、おまけに、「マンダラ2ND」の近くにある「ガネー舎」。スープカレーの店。実は、マンダラを探していたら、知人にあって、「近くに有名なカレー店があるはずなのだけど」と聞いたら教えてもらったのがここ。テレビに映ったということでお客が多いそうだ。

札幌発祥のスープカレーということだが、決してインド料理ではないし、この先どう進化しても、決してインド料理方向に近づくことはありえないだろう。辛さは十分なのだが、日本のカレーって、実はどこで食べても画一的というか画二的というか、要するにカレー粉メーカーのご指定の味そのものなのである。多様性がないわけ。それと、ネクタイにスープが飛び跳ねて黄色い水玉にならないように紙エプロンが用意されているので、使った方がいいかもしれない。


ということで、もう一つおまけだが、新橋駅前ビルの一階にトンカツチェーンの「かつや」があるのだが、そこで、「エビチーズカレー丼」を出していた。エビフライを溶けるチーズで巻いて、うっすらとカレールーをかけたものだが、一言でいって、「美味くない」。



発案者は大苦心だったかもしれないが、エビフライとチーズとカレーという組み合わせは、まったく三者の味が妥協もしないし、融和もしないわけだ。美食国家日本に、あってはならない食べ物だろう。

「山ねこ」自宅で

2010-10-28 00:00:43 | あじ
yamaneko9月28日号「さつま 島美人」で触れたように、先月末に、芋焼酎の一升瓶をいただいた話を書いたが、・・

あまり口に合わないわけだ。といっても一升瓶はじゃまだ。週に数回だがこつこつと飲んでいる。あまり飲みたくないから、なかなか減らない。お湯割りにしているが、確か薩摩では、水と焼酎を混ぜてからやかんで煮沸するため、全体が熱くてちょうどいいアルコールになるのだが、焼酎とお水またはお湯で割ると、焼酎が冷たいままなので、完全なお湯割りにはならない。

そして、先日、博多でイカの活き姿作りを食べながら、焼酎選びをしたのだが、安い方から二番目に「島美人」が紹介されていた。一番安いのは「黒霧島」で、以前はよく飲んでいたが、霧島酒造が企業メセナなのか社長の旦那趣味なのかよくわからないようなことも多く、焼酎が嫌いになっていた。

そして、博多の焼酎メニューでは高い方から数番目にあったのが「山猫」。680円だったような。

さっそく帰ってから、4合瓶を買ってみる。

小説『女神』(明野照葉著)

2010-10-27 00:00:11 | 書評
この作家、実は初めて読んだ。初めて読んだ作家は今までにたくさんいるのだが、もう一冊読みたいと思う作家は少ないが、もう二冊ぐらい読んでもいいかな、と思うほどだった。



なんとなく、会社で、「できる女」と「ねたむ女たち」の葛藤を描いたような出だしから、一転して、できる女の私生活が少しずつ明るみに出てくるわけだ。過去の転居癖とか仕事には自分のパソコンしか使わないとか、整形手術で別人顔になったこと。そして、忌まわしい事件で亡くなった実姉の名前になりすまし、妹の自分の方の名前で死亡届を出していたこと。さらに、次々と取り換える男友達とか。

そして、実際には、完全殺人を起した女だったことがわかってくる。しかし、事件から数年経って状況目撃者が現れる。

そして第二の殺人。

ラブロマンスではなく、ミステリーだったことがわかってくるわけだ。

そして、結末が、いかにもシャレっぽい。逃げ切ったか・・

一つ残念な点を挙げれば、文庫本350ページの中に登場する死体数が2体だけということだろうか。100ページにつき最低1体は必要な気がするのだが。

サヨナラと平和

2010-10-26 00:00:51 | 市民A
先日、広島に行っていたのだが、広島といえば『平和都市』であり、『平和公園』ということになる。一般的には、原爆を落とされた上、怒りを封じ込め、辛抱の上に忍の一文字を書いて平和という文字を使ったということになっているが、もともと「軍都」と言われていた軍事都市から普通の町に変った証として、「平和」ということにしたと考えればいいのだろうか。

戦争被災地と言えば、ニューヨークのWTC跡地。跡地にイスラム教会ができるということで、かなりもめていた。

果たして、被災地が平和である必要があるのかどうかもわからないし、またイスラム教が平和のための宗教かどうかもよくわからない。

話は、急に変るが、アラビア語のあいさつ。

「アッサラーム・アライクン」。アッは接頭語のようなもので、サラームは平和を意味する。アライは上で、クン(クム)はあなた、である。「あなたの上に平和が」という意味で、よく使うコトバで万能である。だからイスラム教が平和主義かといえば早計で、イスラム教が完成する前にアラビア語があったわけだ。

そして、別れのあいさつというのが、「マア・サラーマ」。これも同じように、平和であれ、という意味。日本的にいえば、「ご無事に・・」といったところだろうか。

ここで、各国語だが、英語の「グッバイ」は、味も素っ気もない。「シー・ユー(アゲイン)」というと何か美しい幻想が残る。

中国語の「サイチェン」は「再見」で、「シー・ユー」と同じだ。スペイン語で「アディオス」は二度と会えないような本格的な別れの時に使用し、普段は「チャオ」ぐらいだ。


では、日本語では、一応、「サヨナラ」が別れの言葉だが、よく考えると滅多に使わない。会社から帰る時は、「お先に」とか、「失礼します」。毎朝、家を出るときに「さよなら」では家出になる。「いってきます」ということだろう。

友達と会って、別れる時など、二度と会いたくなくても、「では、また」とか、略して「じゃあ・・」ということになる。

では、サヨナラというコトバの冷たさはどこから来るのだろうと語源を調べると、「サヨナラ」の前は「さようなら」である。問題は、その前。

「左様ならば、・・」ということだそうだ。

「左様ならば、帰るしかあるまい」ということだろう。では左様とは、どういうことになるのだろう。

訪問先の主人:「貴殿、拙宅に上がりこんで、既に数時間。誠に歓迎できない客である。」

訪問客:「左様にまで言われるならば、もはやこれまでじゃ」

ということなのだろう。まったく平和的じゃない。

きょうは、これで、サヨナラ。

オバマは来るか

2010-10-25 00:00:21 | 市民A
「核なき世界」論でノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領だが、果たして彼が任期中に広島を訪れるのか、かなり怪しい。



もともとノーベル賞は化学賞や物理学賞の場合、「論をぶち上げた」人の場合、「論が正しいこと」が証明されてから受賞することが一般的だ。

核なき世界は、単なる「論」であり、まったく証明もなされていないのだから、これで受賞するなら、非核三原則で受賞した日本の過去の首相の方がましだ。




中間選挙では、ティー・パーティを利用している共和党に、してやられそうだし、そもそもオバマが高尚な理念で核廃絶を願っているのか、そうでもないような気もする。

兵器としての核というのは、その強烈すぎる破壊力からして核保有国への抑止力は十分あるのだが、それは相手が「ならず者」であっても国家であるならの話で、領土も持っていないテロリストが相手だと、お返し爆弾をどこに落としたらいいのかわからないわけだ。




ところで、広島の市民だが、原爆に関しては、やや重荷を背負っているのだろうと感じた。たまたま生まれた場所が広島であるがために、反核教育を受け、原爆反対論者としての一生が始まるわけだ。

やる気を感じる「ひろしま美術館」

2010-10-24 00:00:25 | 美術館・博物館・工芸品
広島に寄ったのだが、隙間時間に「ひろしま美術館」に行ってみた。前から、少し気になる美術館だった。県立でもなく市立でもない。なかなか難しい状況なのではないだろうか。しかも、ある事情で戦前からのコレクションは存在しないはず。

ちょうど特別展として『本を彩る美の歴史』という特別展が開催中。

美術館は、円形の建物が2棟縦に並び、手前側が常設展で奥側が特別展。

まず、常設展がすばらしい。ロマン派、印象派、フォービズムの大家の作品をずらりと並べる。ドラクロワ、ミレー、コロー、ブーダン、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルドン、ムンク、シニャック、ロートレック、シャガール、モディリアーニ、ローランサン、ユトリロ、フジタ。

また、彫刻家マイヨールによる彫刻の下絵となる連作の裸婦画も多数展示される。

画家のバランスがいいのと、各画家の代表作ではないが、ほぼ同等クラスを購入している。何時間いても飽きないだろう。どうも広島銀行がスポンサーのようだ。



そして、特別展には、実際、あまり期待していなかった。同種の展示は二度目である。だいたい予想が付くが、今回は、1164年に完成した国宝である平家納経が厳島神社から展示される。



さらに活版印刷になって、世界三大美書が登場。さらに驚いたのがシャガール。版画集「ダフニスとクロエ」を制作。何と、うらわ美術館には大量に存在しているとのことで、今度はうらわ美術館(埼玉)にいかねばならないだろうか。


革命? そして、小説「少年棋士」

2010-10-23 00:00:21 | しょうぎ
ここ数日の将棋界最大の話題は、「新人王戦」。年齢制限で奨励会を追われた加來博洋アマと阿部健治郎四段の決勝3番勝負は1勝1敗で最終局を迎える。もちろんプロ棋戦で初めてアマが優勝するのかというのが注目の1点。ゴルフでは石川遼が達成し、プロ入りした。年齢は大きく異なるが。

そして2点目。勝者は、羽生名人との平手対局が約束されている。既得権に安住している既製プロ棋士には、かなりまずいことが起きる予感もある。棋界にとっては革命的な事件になるかもしれない。

なにしろ、主催は、しんぶん赤旗。日本共産党の機関紙である。日本に共産革命を起こす夢はすでに消え失せたのだろうが、せめて将棋界に革命でも起こそうと言うのだろうか。

大注目の一戦は、昨日(10月23日)、将棋会館で行われた。


そして、結果は、・・・

革命失敗である。


もちろん、今回の勝敗で、すぐに加來アマが狙っていたプロ入りが実現できるわけではないのだろうが、たまたま、数日前に読んだ森田誠吾著「銀座八邦亭」という短編集(文春文庫)の中に「少年棋士」という掌編小説が含まれていた。



あらすじは、中小企業の役員を務める「私」という主人公が、銀座の料亭のママの自宅に通っていて、たまたまの留守にかまけて、新橋にある天野八段という売れないプロ棋士が経営する将棋教室に教えを請うわけだ。

そこで相手をしてくれたのが、八段ではなく、奨励会1級の林慈郎少年。地方出身で将棋の神童も東京に来れば、もまれるわけだ。そして初段、二段、三段と上っていくも、定年退職の25歳まであと1年になる。ジロウ君と私の付き合いも長くなり、なかなか四段になれない青年に、飲み屋のカウンターで、「プロになるまでは会わない」約束をして、二人は別れる。

そして一年経ち、青年は行方がわからなくなる。

が、二年経って、突然、ジロウ青年が私の前に姿を現す。聞けば、将棋連盟の特例で退職年限が27歳に延長になり、さらに新設の棋戦の特別枠で13連勝して優勝。特例措置で二階級特進の五段になったということ。

それはめでたい、ということで、ジロウ君の行きつけの銀座の高級クラブに行って大宴会が始まるのだが、私が「ジロウ」と軽い気持ちで呼び捨てにしたことに林五段は腹を立てたわけだ。

「林先生と呼びなさい!」。

この一言で二人は大げんかとなり、ジロウは去り、私の手元に残ったのは大金の請求書だったわけだ。

後日、調べれば、ジロウの話は、すべて真っ赤な嘘。立派な詐欺師として将棋ファンからさまざまな手口で金品を巻き上げていたそうだ。


まあ、あくまでも小説の話ではある。


さて、10月9日出題作の解答。



▲1五飛 △同玉 ▲1七香 △1六香 ▲同香 △2五玉 ▲4三馬 △3五香 ▲2六銀打 △1六玉 ▲3四馬 △同桂 ▲1七香 △2七玉 ▲2八香まで15手詰。

合駒2連発の予定だったが、二度目の香合では銀合でも非限定だったので、参考図で修正。手順は同じなので。

動く将棋盤は、こちらとか、こちら



今週の問題。



どこかで見たことがあるような図かもしれない。初代の大橋宗桂作に中段に3枚追加。

宗桂作と同様に「香の遠打」は場所非限定となる。宗桂作を知っていると解きやすいかもしれないが、このヒントにこだわりすぎないこと。

弦楽四重奏曲×3(CD)

2010-10-22 00:00:08 | 音楽(クラシック音楽他)
いつの間に、秋である。とはいっても、暑い日が多いが、涼しい日もある。どうも秋というのが、夏と冬の間の気候ではなく、夏のようの日と冬のような日が入り混じった季節ということになりそうだ。

となると、「読書の秋」とか「芸術の秋」という言い方もちょっと当てはまらなくなっているのかもしれない。

とはいえ、「音楽の秋」。いつもの年は、新宿のオペラシティで、「アジア・オーケストラ・ウィーク」に行って秋の始まりを確かめるのだが、今年は大変に残念なことになった。10月2日に予定されていた「厦門(アモイ)フィルハーモニー管弦楽団」が突然、来日を中止した。


【報道発表】 厦門フィルハーモニー管弦楽団来日中止

2010年9月28日
(社)日本オーケストラ連盟

厦門フィルハーモニー管弦楽団来日中止

平成22年度(第65回)文化庁芸術祭主催公演「アジア オーケストラ ウィーク 2010」で10月2日(土)18時から東京オペラシティコンサートホールで予定していました厦門フィルハーモニー管弦楽団は、芸術総監督・首席指揮者の鄭小瑛さんが急性肺炎のため入院、来日できなくなったため公演が中止となりました。


本当に、急性肺炎なのかどうかは、不明。たぶん、日本に来て秋葉原あたりを歩くと産業スパイで捕まるとでも思ったのだろうか。


頼まなくてもやってくるのは、迷惑な漁船船長だけだ。



まあ、そんなことで、代用したのは、弦楽四重奏曲×3のCD。アルバンベルグ四重奏団。

1曲目がドビュッシー。2曲目がラヴェル。3曲目がストラヴィンスキー。現代音楽の黎明期の3人(ラヴェルは現代音楽ではないとも言える)。

もともと弦楽四重奏曲なんて、交響曲に比べれば書くのは易しいだろうと思いきや、両方とも達人というのは、ベートーベンとモーツアルトくらいかもしれない。ラヴェルなど大量生産したのかというと、実は、1曲だけ。ドビュッシーも1曲だけ。フランス人は一般的には、おおまかでアバウトなのかと思うが、この二人の作曲家は演奏家にシビアである。あまり勝手に解釈されないように、精緻でかつ玄妙な構造の曲を突き付けるわけだ。

しかし、実際にはオーディエンスに対し、ラヴェルは精密な楽曲を優雅に奏でることを要求し、本当は玄妙なドビュッシーを宇宙音楽のように原始ミュージックのように感じさせることを要求する。

そして、何度か聴いてみると、ラヴェルの世界って、まったく未知の広大な和音で構造ができていて、おそろしく深くはまってしまいそうなのである。

言葉で説明することは非常に難しい感じだ。

博多めし

2010-10-21 00:00:51 | あじ
博多と言えば、モツ鍋とか明太子とかいろいろあるが、まず、長浜ラーメン。

本当は夜に行かなければならないが、夜にラーメンというのは、結構プアな感じだ。昼間に行く。



途中、妙な道路案内板があった。大正通りと昭和通りの交差点だ。縦に大正通り、横に昭和通り。直進すると長浜だ。距離感から言うと、交差点から長浜と北九州と唐津が等距離みたいだが、実は長浜までは数十メートルしかない。

事前に、旨いラーメン店を調べる時間がなかったので、ある店舗に無作為に突入。400円のラーメンを注文。



そして、実は、「美味くない!!」

どうも価格戦争をしているようだ。300円の店もある。そして、400円、替玉100円の店でも生ビールは500円である。ビールよりラーメンが安いというのも、何か変な感じである。



そして、夜の部。巨大なモールであるキャナルシティを散策。

hakata1

イカの活け造りである。

いつ食べても美味しい。

福岡城天守台の謎

2010-10-20 00:00:44 | The 城
最近、すっかり書いていなかった「ザ・城シリーズ」だが、福岡城に行ってきた。本質的には、平城である。平地に濠を作り、その中に石塁、土塁で要塞を作り、丘を築いて天守閣をのせる。江戸城もそういう構造である。大濠公園という地名も残るほど城としては巨大である。



そして、その一角に天守台がある。石垣の組み方は1600年頃の作としては、古風である。城主黒田如水(孝高)は密かに天下を狙っていたとされ、関ヶ原の時に、やや態度不鮮明ながら生き残る。関ヶ原の前か後かというのは重大な差なのだが、実はなんだか論理的によくわからないことが福岡城の歴史には多いわけだ。

その一つが、天守閣の有無。通常言われているのが、天守台を作ったものの、天守閣をつくることを黒田如水が禁止したため、天守閣はなかった、という説。家康の天下統一によって、黒田家の目標を「天下取り」から「福岡藩主の座にしがみつくこと」に切り替えたということ。「社長になれないことがわかったから、ヒラ部長のまま給料泥棒に徹する」というようなものだ。



ただ、案の定、現地では、「天守閣があったという説もある」ことになっていた。地上5層の大天守閣である。石垣の中には礎石が並んでいる。タクシーの運転手さんも、「元々あった天守閣がなぜなくなったかが判っていない」という説だ。

ただ、礎石をよくみると、そこに垂直に木材が立てられていたという形跡がまったくないことがわかる。石の上に若干の凹みを作って、そこに垂直に材木を立てるはずなのである。個人的には、石垣の構造にも少し不審を感じていて、1600年頃にしては、かなり古典的な組み方で、もしかしたら明治以降の造作ではないかとも思えなくもない。

つまり、一つ一つの事実が、あれこれ矛盾していることが多いように感じるわけだ。



天守台付近は、見晴らしも良く、ちょうどプロ野球パリーグのクライマックスシリーズと重なっていて、遠目には、良く名前の変わるドーム型スタジアムが見渡せる。タクシー運転手もホットドッグ売りのお姉さんも、オレンジ色の応援団のユニフォームを着ているのだが、問題は日本シリーズがホークス×タイガースになった場合だそうだ。

以前、そういう組み合わせになった時、大阪方面からマナーの悪い応援団が大挙してやってきて、負けた腹いせで中洲あたりで川に次々に飛び込んだそうだ。それも男性オールヌード。喜んだのは中洲ママだけで、タクシーもボコボコになるので近づかないそうだ。

どうせ飛び込むなら、中洲に行かないでスタジアムの前の海に飛び込んでくれれば、玄界灘の荒波が沖合に運んでくれて、イカの餌にでもなってくれるということだそうだ。


ところが、10月19日をもって、阪神、ソフトバンク、いずれのチームも途中敗退ということになってしまう。中洲のママも喜ぶことがなくなったし、玄界灘のイカさんのごちそうもなくなってしまったわけだ。

ギリシア神話への誘い(1)

2010-10-19 00:00:10 | 歴史
先週から、毎月1回、『ギリシア神話への誘い』という講座に通っている。半年で計6回の予定。約40名の教室である。ギリシア神話への『誘い』というのは、「さそい」ではなく「いざない」と読むそうだ。少し意味が違うような感じだ。ここ数カ月で、2冊、ギリシア神話の本を読んでいて、もう少し専門的に教えてもらおうかな、と思ったからだ。

が、講師はN先生という大学教授であるが、話を聞くと、若干本職じゃないそうだ。「ギリシア神話愛好家」ということだそうだ。なんだか少し不安。ギリシア神話入門家がギリシア神話愛好家に教わるということ。だから、いざない、ってことかな。

N先生はある女子大学に所属していて、付属の高校でも社会科関係を教えていて、数年前から、「倫理」の授業を担当していて、そこでギリシア神話を教えているそうだ。(つまりテキスト使いまわしかな。別にかまわないけど・・)

ただ、どちらかというと、ギリシア神話の神様たちの、やや不道徳なエロスの世界を期待していたのだが、少し方向違いだったかもしれない。国家とか人間存在とかそういうことだろうか。

果たして、講座の目的が宣告されるわけだ。

 「神」とは何か
 「人間」とは
 「愛」とは
 「死」とは
 「自然」とは

ただし、「国家」と「現代」を問うということは、今回の講義では行わないそうだ。領土問題とか小沢問題とかの質問が出ると困るからだろう。

そして、神話の初めだが、やはりお楽しみの原始神々の系図(相姦図ともいう)が登場。まあ、お堅い女子高生向けの講義でもオリジナルの神話を書きかえるわけにはいかない。混沌状態の宇宙の中で、大地の神ガイアが息子ウラノスと交わって1ダース以上のこどもを産み、そのこどもの中の女神レアと男神クロノスが次々に神様を量産していき、その中の一人が万能の神ゼウスということ。そしてこのゼウスが絶倫なわけだ。

というか、そういうことは既に知っていたので、第一回は、ゼウスの愛した女たち、というのがテーマだったのかな(違うかも知れないけど)。

美術史に残る傑作がおの絶倫ゼウスを題材にしている。



まず、画家アングル作の「ユピテルとテティス」。テティスの弟が戦っている戦争で、何とかゼウスに弟の味方に加わってもらいたく、色仕掛けを始めたところだそうだ。結局、作戦成功。




次は、メルツィ作。地上で花畑で遊ぶレダを見つけたゼウスが、白鳥に変身して近づいて一発やることに成功。やったらすぐにこどもが4人も生まれたのだが、白鳥の姿のままイタしてしまったため、卵で産まれてしまう。二つの卵に二人ずつの赤ちゃん。計4人。二卵性の四つ子である。




そして、かなりの問題表現が、世紀末のオーストリアで活躍したクリムト。

うっとりとした表情で足を折り曲げて横たわるダナエの腰のまわりに金色に光る粉状に見える物質は、金色の雨である。ゼウスは建物の中に幽閉された美女ダナエと交わるために黄金の雨に変身。雨漏りに見せかけダナエの下半身に降りかかり、体内に侵入することに成功。


今後の講座の行方は、杳として予測できないわけだ。

熱(高樹のぶ子著)

2010-10-18 00:00:21 | 書評
netsu一応、恋愛小説。

書棚の整理のため、駄本の類をポイポイしているのだが、恋愛小説関係は、もう一度読んでから捨てることにしている。

実際、二度目に読んでも碌に覚えていないのだから、うれしいような呆れるようなというところもある(これは恋愛小説には限らず、他のジャンルも同様)。もの忘れというのだろうか、あるいは、根本的に本の読み方がおかしいのだろうか。

さて、恋愛小説というのは、読んで面白くないと小説の役目を果たさないのだから、いずれアブノーマルな筋に走ることになる。BLなんかみんなそうだ。しかし、走り過ぎると、現実から大きく遊離するので、やや非現実になっていく。

そういう、現実には存在しない恋愛物というのもジャンルのひとつで、古くは源氏物語やロメオとジュリエット、失楽園(渡辺淳一)などがある。

一方、ちまちまと男女の心のひだを書き綴る手法もあるが、現実的な恋愛環境の不条理さからいって、現実より陳腐な小説なんか、読まれるはずない。

まあ、そんなことで成立の難しいシチュエーション設定を、『男=新聞記者』、『女=生物の教師』という収入安定カップルで行っている。

そして、結婚したものの、取材時間と称した浮気の結果、愛人に子どもを産ませて離婚した夫と、毎年、授業でカエルの解剖を続けているうちに、再度出会って、今度は妻ではなく愛人の座に座った女教師の奇妙で、かつドロドロぐちゃぐちゃな関係が進んでいくわけだ。

そして、四十歳に近づいても二重生活を続ける絶倫記者にも、ついに運命の悪戯が待ち受けていたわけだ。

悪性腫瘍の可能性が70%ということになる。(医者がそういう場合は実際は95%くらいかもしれないが)


小説は、そのあたりで、無責任に終わってしまうのだが、まあ、それ以上書き進むと、小説家が必死に築き上げた『美の世界』が、どんどん『醜』の方に流れていくからではないだろうか。

日光道中(江戸の旅、近代の旅)

2010-10-17 00:00:19 | 美術館・博物館・工芸品
旧新橋停車場にある鉄道歴史展示室で開催中(~11月21日)の『日光道中/江戸の旅・近代の旅』を覗いてきた。

ちょっと地味な感じだが、歴史ってそんなものだ。



まず、江戸時代。日光は徳川家の御聖地の一つだった。東照宮は権現様つまり徳川家康を祭っていた。そして、代々の将軍は、日光詣を行うことになっていたのだ。

どうも、避暑だったようだ。現代では超金持ちが軽井沢に別荘を持つようだが、徳川将軍も、日光に避暑に行っていたらしい。

もちろん、将軍の旅行は大散財となるため、そのうち日光詣でにはめったに行かなくなるのだが、もしかしたら、江戸の人口が増えていって都会になると、「日光なんかに行きたくないぜ」ということになったのかもしれない。あるいは、多くの将軍は大奥に「オキニ」がいたようだから、大将軍の慰霊なんかに行きたくもなかったのかもしれない。

そして、明治。実は、箱根や軽井沢のように長期滞在の外国人の旅行先になったそうだ。正統派避暑地である。

しかし、実際のところ明治23年に日光まで鉄道が敷設されるまでは、江戸時代と変わらない大旅行であった。そして、明治39年鉄道国有化により、国鉄日光線となる。駅舎前には人力車が集まっていた。



そして、昭和4年。国鉄独占路線に、東武鉄道が新規参入する。上野発である。ここから猛烈な「国鉄×東武」の乗客獲得戦争が始まる。

競争の初めの頃は、国鉄が優勢だった。急行料金不要の「準急」を導入。さらに食堂車を連結。大戦後も国鉄はディーゼル準急を導入し、さらに電化すると、特急並の準急(つまり普通運賃)を導入。

しかし、国鉄には最大の弱点があったわけだ。東京方面からだと宇都宮を経由するため、東武よりも距離が長いこと。

東武は、デラックスロマンスカーという、まったくいけてないネーミングの列車を導入。サロンルームにジュークボックス付きでスチュワーデスも登場した。

そして、東武が絶対的に有利になったあと、国鉄側には東北新幹線が登場。しかし、東北新幹線は宇都宮を通るため、東京から直通電車を日光に走らせるわけにもいかないし、料金体系も格安準急ということもできなくなる。その結果、直通を廃止し、宇都宮発のまったく普通の電車となる。試合終了気味だ。



ところが、東武の弱点は東京側の出発駅。「浅草」では、やはり東京西部の乗客には不便だ。その結果、JRと相互乗り入れによって、JR新宿発という東武・JRの痛み分け方式が完成したわけだ。