錦絵誕生250年ということで、あべのハルカス美術館にコレクションを観に行くというか、展望台とセット販売のチケット。「春信一番、写楽二番」とは意味深げだが出展数の順らしい。
![harunobu](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/09/df6ff857d84c026d90f1f354aad260c2.jpg)
多色刷りという技巧は世界的には稀で、赤や青と言った多彩な絵の具を何回か分けて摺るという技法が庶民に大受けとなった。お金持ちは絵師に肉筆画を書かせるが、庶民は錦絵を買うことにより身近な場所に「美」や「醜」が潜んでいることに気付くことになる。鈴木春信が錦絵を作り始めたのは1765年。
絵師は個性的で、各自が技巧にこだわっていて、鈴木春信のように、描く人物の内面を所作や表情で表現する場合もあるし、写楽のように大首絵という発想もある。富士を描くにしろ様々だ。有名な北斎の富嶽三十六景の「颱風快晴」(赤富士)は1830年頃の作品だが、煙を吹いた富士を描く絵師もいる。何しろ1707年に富士山は爆発している。「おおた家」の初代が生まれたのが、その年だ。
ところで、最近はめったに手の込んだ年賀状をもらうことがないが、以前は多色摺りの賀状も届いていた。ああいうのは1か月かかるのかなとか思いながら諦めていた。
また、毎年1枚ずつ筆をとって直筆(肉筆画?)を送っていただいていた方もいたが、先月、ご家族から訃報をいただくことになった享年98歳とのこと。
最近知ったのだが、正統的浮世絵は明治以降、写真に押され衰退したものの、影の浮世絵とも言うべき春画については、明治大正はともかく戦後昭和の時代でも「昭和春画師」というような方が活躍していたそうだ。表には出ないものの「平成春画師」もどこかにいるのだろう。そういう人からの肉筆年賀状、是非いただきたいと思う。単に「サル」の絵だったりして。
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多色刷りという技巧は世界的には稀で、赤や青と言った多彩な絵の具を何回か分けて摺るという技法が庶民に大受けとなった。お金持ちは絵師に肉筆画を書かせるが、庶民は錦絵を買うことにより身近な場所に「美」や「醜」が潜んでいることに気付くことになる。鈴木春信が錦絵を作り始めたのは1765年。
絵師は個性的で、各自が技巧にこだわっていて、鈴木春信のように、描く人物の内面を所作や表情で表現する場合もあるし、写楽のように大首絵という発想もある。富士を描くにしろ様々だ。有名な北斎の富嶽三十六景の「颱風快晴」(赤富士)は1830年頃の作品だが、煙を吹いた富士を描く絵師もいる。何しろ1707年に富士山は爆発している。「おおた家」の初代が生まれたのが、その年だ。
ところで、最近はめったに手の込んだ年賀状をもらうことがないが、以前は多色摺りの賀状も届いていた。ああいうのは1か月かかるのかなとか思いながら諦めていた。
また、毎年1枚ずつ筆をとって直筆(肉筆画?)を送っていただいていた方もいたが、先月、ご家族から訃報をいただくことになった享年98歳とのこと。
最近知ったのだが、正統的浮世絵は明治以降、写真に押され衰退したものの、影の浮世絵とも言うべき春画については、明治大正はともかく戦後昭和の時代でも「昭和春画師」というような方が活躍していたそうだ。表には出ないものの「平成春画師」もどこかにいるのだろう。そういう人からの肉筆年賀状、是非いただきたいと思う。単に「サル」の絵だったりして。