ダイヤルMを廻せ(1954年 映画)

2022-11-30 00:00:15 | 映画・演劇・Video
ヒッチコック監督のミステリー。小品といった感じの作品で、妻の不倫に気付いた夫が、妻の殺人および遺産相続を目当てに殺人を画策する。舞台は英国のたぶんロンドン。

といっても、「殺人事件の第一容疑者は配偶者」という古今東西万国共通のルールがあるので、自分の手を汚さないように、殺人を依頼する男を探し出す。高校生の時の知人で、その後汚れた人生を歩んでいる者を脅したり、使い古した札束で犯行計画に引き込む。

もっとも、頼まれた方も殺人の経歴はなく、殺し屋初仕事ということで、失敗してしまう。かわいそうなことに、首をストッキングで締めようとして失敗する。ナイロン製で伸縮自在だったのかもしれない。逆にハサミで刺殺されてしまう。

それで慌ててしまうのが依頼主の夫。妻からの電話で急遽家に戻り、なんとか取り繕い、警察には、不倫ネタで脅された妻が脅しに来た男を殺したように思いこませることに成功。

妻は、その後、死刑判決を受ける。

ところが執行の前日に登場したのが妻の不倫相手で、アメリカ人の推理小説家の男。執行を免れるように推理を重ねているうちに、真相に近づいていく。同様に警察も夫に疑いを持ち始める。

つまり、観客は「無実の罪を着せられた女性が死刑になるのではないか」という観点で観ることになる。だから謎解きでない。

それと不倫女性が観客の同情を得るためには美女でなければならないわけで、主役は夫ではなく妻の方だろう。演じるのは、グレース・ケリーだ。14歳年上のイングリッド・バーグマンと並ぶクール・ビューティ。奇しくも1982年に乳がんで亡くなったバーグマン(67)の半月後に運転中の脳梗塞で崖から転落して亡くなる。女優としての活動は5年間ほどだった。モナコ公妃にならなければ、多くの大作に出演しただろうと思う。

彼女のための映画といってもいい。

失点は、犯罪か?

2022-11-29 00:00:42 | スポーツ
サッカーの試合で1―0で負けたことで、戦犯探しがはじまっている。

そもそも負けたことは1点取られたことよりも、1点も取れなかったことにもあるわけで、失点がなくても勝ったわけではなく、失点1と得点0の複合原因のわけだ。

そして、問題を失点の方に絞ると、いくつかの原因の積み重ねによって、シュートが放たれ、それをGKが掌に当てたものの弾かれたボールは後ろに飛んでいき、ゴールに吸い込まれたわけだ。

失敗1→失敗2→シュート→GKの手をはじく→GOOOOOAL

これが、本当の事故で死傷者が出て、大損害を被ったような場合、因果関係のどれかがなければ大惨事にはならないのだが、通常は最後の要因がなければ事故にならないわけで、時間軸で最後の原因が一番の重大原因とされることが多い。たとえば、依然として原因の特定が難航している知床遊覧船事故の原因にしても、船長判断で早々と引き返していれば沈まなかった。

ということは、

GKの身長があと10センチ高ければということになる。

ちなみに3人のGKの身長は、185センチ、187センチ、197センチということだ。もっとも、背の高さの責任は、選手にはないわけだ。

短歌ください(穂村弘著)

2022-11-28 00:00:50 | 書評
歌人である穂村弘氏が雑誌『ダ・ヴィンチ』で、読者に短歌投稿を募集している。毎回「お題」が変わる人気シリーズで、2008年から、現在まで継続している。

その2008年から2010年までの分を『短歌ください』として、単行本→文庫→電子書籍として発刊。電子書籍で読んでみた。

選ばれた作品と、その解説を穂村弘が行っている。

案外、歌人一人の歌集だと息苦しくなるが、大勢の歌集(つまり万葉集スタイル)だと、感動が深いような気がする。

おそらく掲載短歌には著作権があるので、紹介しないが、『お題』は

恋愛、色、数、音、眠り、家族、セクシャル、機械、人名、匂い、乗物、時間、地名、音、飲食、暴力、お金、薬、癖、日本、トイレ、動物、記憶、異性、虫、宝物。

と、幅広いように思えるが「ふるさと」とか定番はない。2011年以降、採用されているかもしれない。平和なお題が並ぶが、選ばれた中には「生と死」を匂わせる歌も多い。

解説は俵万智氏で相変わらず、鋭い。

太平洋戦争の記録(三館連携企画展)

2022-11-27 00:00:10 | 美術館・博物館・工芸品
前の世界大戦で大敗北したことが風化しないようにということで、政府がいくつかの記念館を維持している。その三館が合同で企画展を開いている。場所は都心からかなり離れた横浜のあざみ野にある横浜市民ギャラリーあざみ野。会期末ギリギリ。



三館とは、昭和館、しょうけい館、平和記念展示資料館。



昭和館は戦中、戦後(昭和30年)の日本国内で庶民をとりまく暮らしがどう変わっていったのかを中心に展示している。
しょうけい館という名称は戦傷病者の悲劇を後世に継承しようという意味の展示館。
平和祈念展示資料室は、引揚者とソ連の強制収容所での実態を明らかにするための資料館。

あえていうと、なぜ戦争になったのかという資料館は存在しない。言わずとも解っているということだろうが、解らない人も増えているようだ。

見るべきものは、結構多かったというのが実感だった。



よく言われる「赤紙」。正式には、臨時召集令状となっている。徴兵検査の上、丈夫な青年から順に戦場に送られていった。赤紙の現物は、他の紙資料とは異なり、色落ちもなく鮮やかなままであることが、なぜか不気味に感じる。



そして水木しげる先生のこと。大きく取り上げられている。生地の境港の記念館にも行ったのだが、戦後、苦労の末一流になったことが展示の大部分だったと記憶するが、その前に、赤紙で徴兵され、ラバウルで銃弾を受け、片腕を切断し、やっとの思いで日本に生還したところを自身の筆で書いたものが展示されていた。



先生は運良く麻酔をかけて意識のないうちに手術されたのだが、多くの手術は麻酔もなしに衛生兵が体を押さえ込んで行われたそうで、その絵も展示されていた。(今回は一切触れれていないが、敵軍に追われて急遽転進の際、負傷者を置き去りにしておくと敵の捕虜になるため、無理やり青酸カリを口の中に押し込むのも衛生兵の仕事だったということを聞いたことはある)

そして、引揚とソ連のラーゲリのこと。ずいぶんあからさまに表に出している感じだ。ロシアに対する遠慮を捨てたということだろう。一応、ソ連側の言い分として「戦争で多くの労働者が死んでしまったので、代わりが必要だった」ということになっていることは書かれている。

ハダシの記録係

2022-11-26 00:00:56 | 市民A
藤井竜王に広瀬八段が挑戦している竜王戦第五局で記録係が和服を着用していることが報じられている。もっとも、コロナ以前は竜王戦の記録係は和服を着用していたそうで、着付係との間の感染対策で洋服になっていたそうだ。今回の記録係は自分で着付ができる人だったそうだ。もっとも、竜王の3勝1敗で迎えた第五局ということで、これが最終局になり、終局後にカメラが入った時のためのヴィジュアル対応ではないかと挑戦者が思うかもしれない。

ところで同じ組み合わせで今月14日に行われたA級順位戦だが、ABEMAで一部始終が放送されたこともあり、対局の内容ではなく「記録係の態度」で盛り上がっていた。

なにしろ、足は崩しっぱなしで、あぐらを飛び越えアヒル座りになったり、舟をこいで居眠りしそう(あるいは眠ったか)だし、体の動きは激しいし、ネクタイはないし上着もない。ずっと動き続けているので、とにかく目立つ。そもそも対局者よりも画像の正面に映るのは記録係のわけだ。

そして、同時進行で、記録係の態度に関してネット上で不毛な論争が起きていた。

実は、最も気になっていたのは「ハダシ」のこと。朝から裸足だったのだろうか。もしかすると、最大の失敗は「居眠りすること」なのだが、すでに半眼の構えだったようで、本人は絶対に居眠りしないように、ハダシになって眠気を飛ばそうとしていたのかもしれない。

しかし、将棋界で「ハダシ」は絶対にダメなのだ。話を江戸時代まで戻すと、毎年11月17日に囲碁将棋の日が行われ、江戸城黒書院で対局が行われていた。しかし、将棋指しは寺社奉行管轄で江戸城に行くには袴は認められなかった。商人と同じだ。さらに足袋もご法度。

このため寒さに耐えかね、寺社奉行に対して、江戸城内での足袋着用願いを提出し、認められている。江戸時代を通して、棋士の身分改善は、この足袋着用許可だけだったようだ。

つまり400年前に将棋のルールが完成して以来営々と身分改善に努めてきた棋界を、「ハダシ」は一気に崩壊させる愚行のわけだ。

そして、奨励会幹事の渡辺大夢棋士は記録係を務めた奨励会員について「しっかり対応させて頂きます」と自己のツイッターで宣言をしている。マスク着用しなかっただけで「負け」にするほどの組織なので、少し恐ろしい。


さて、11月12日の出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

栽培植物と農耕の起源(中尾佐助著)

2022-11-25 00:00:28 | 書評
1966年に岩波新書から発刊された本書は植物学者である著者の49歳の時の著作。その後、氏はヒマラヤ山麓から中国の中緯度帯から西日本にかけての照葉樹林文化論を提唱する。

本書では、主に主食である穀物やイモ類や豆類について、現在から過去に向かって、どこから来たのかということを明らかにしていく。もちろん、1966年にはわからなかったことは、そのまま出所不明ということを書くが、例えば「イネ」にしても、2022年でもはっきりわかっていない。また大麦にしても小麦にしても同様で、現在、大生産地だからと言って、そこが起源とは、まったく言えないわけだ。



よくわからないのは、それらの人類が食べている植物は、人間が改良したり、人口の移動で別の場所からやってきたり、さらには今では雑草となっていても、もともとは主食であって、別の作物を作り始めたため、放置されたものも多い。野生と雑草は、同義語ではないわけだ。

たとえば、ヒエは米作の前に改良されて食べていたのだが、その中にイネが混じっていてそちらの方がもっと良いとして、顧みられなくなり雑草の類にされたのだが、江戸時代、イネが不作の時は食べていたわけだ。

芋やバナナだって、数多くある品種の、どれが先にあったのかが問題になる。

欧州で作られて、ほとんど雑草扱いになっている穀物にDigitaria Sanguinalisというイネ科の植物がある、本書ではマナ・グラスとなっているがオニメヒシバと和名が与えられている。イネの収量が悪くなるので大敵で、放置すると庭や牧草地でも占拠されるそうだ。現在は欧州の低温地(ドイツやポーランド)で動物の飼料用に栽培されているようだ。しかし、この種子はロシア人にとっては、スープに入れるとその味が忘れられないということらしい。

当然禁輸になっているだろうが、種があれば一年で大収穫できそうだから効果は今一だろう。

ところで、日本は、米食だったものが、いまや小麦とコメの消費量は拮抗している。世界のどこでも小麦からコメにゆっくりと転換が進んでいるようだが、日本は逆行している。

さらに奇妙なのは、世界ではほぼ食べる人がいなくなり、ビールとウイスキーの原料と考えられている大麦を、日本人が一定の量、食べ続けていることだそうだ。

大はずれかもしれないが、拘置所や刑務所では今でも健康のため麦飯(麦入り米食)を続けているそうなので、いつまでも安定的な需要があるのかもしれない。

ドイツ人のこと

2022-11-24 00:00:04 | 市民A
日本チームのワールドカップの初戦は、ドイツ戦で、この原稿を書いているのは開始時刻より前で、タイムアップの少し前に公開する予定なので、結果がどうなるか、また、その後、両国の国民が相手国のことをどう考えるのかは、まったく不明。

そもそも今まで関わったドイツ人は一人だけで、なぜか英語の語学教師というややこしい関係だった。彼の家に行って、英語で会話を楽しむという変なレッスンだったが、普通の英語で、ドイツ語的発音ではなかった。一方、頭は固そうで、こと宗教問題の会話になると、俄然、エンジンが始動し、聖書の話が出てくるとお手上げになる。キリスト教系の幼稚園に行っていただけの知識なので・・

ということで、なるべく宗教や政治の話を避けて、食べ物の話などに方向を曲げるのだが、なかなかドイツ料理の話題は難しい。ビールとジャーマンポテトとバウムクーヘンしか知らないし。

ところで、ドイツ人は日本人が嫌いだ、という説がある。世界大戦の件だ。といっても若い人は第一次大戦と第二次大戦の時の国別チーム分けを知らない人が多いそうで、日本がどこの国と戦ったのかも知らないそうなのだが、ドイツは第一次大戦でも第二次大戦でも大敗している。日本は第一次大戦ではドイツの敵でドイツが中国の一部に持っていた租借地『青島』を攻撃し、多数のドイツ人を捕虜として日本国内に収容。さらに太平洋中部のドイツ領を日本の統治領にして南洋庁という役所で管理した。作家の中島敦もデビュー前には南洋庁の職員として、それらの島で島民に日本語を教えていた。

その時に「領土を横取りされた」と、怨念を感じている人がいるそうだ。

次に第二次大戦の時。ドイツ軍はフランスに侵入し、占領した上、傀儡政府を作っていた。そのまま試合終了のタイムアップを待てばいいはずだったのに日本が米国を相手に真珠湾攻撃を始め、そのためアメリカは日本と交戦状態になり、その結果、イタリアとともに日本と軍事同盟を結んでいたドイツは米国と直接交戦することになり、北のソ連軍と西の米英軍との二方面作戦に追い込まれ、またもすべてを失った。

「日本が戦争を始めなかったら、ドイツは勝っていた」と、怨念を感じている人がいるそうだ。

それは、誤解だ、と言っても耳を貸すことはないだろう。


また、ドイツ人はなんでも不必要に緻密に考えるという日本人女性の話を講演会でうかがったことがある。スーツのポケットの中には男女とも小型のドライバーを入れていて、時間があると、身近にある道具や電気製品や家具のねじがきちんと締まっているか確認をするというものだ。

ただ、日本のネジというのは、ドライバーで締めると何回転かすると固くなってきて、まあこれくらいか、というところで終わりにするのが多いが、ドイツの製品を組み立てると、ネジを回す回数が決まっていて、その回数まで来ると、カチッと動かなくなって、二度と戻すことができなくなるようなものが多いと感じている。

サッカーでもカチッと守られて、どうにもこうにもならなくなる、とか・・

ジャーマンポテトを食べながら観戦しようかと思ったが、ポテトもベーコンもないことに気付く。ソーセージとビールにしようと思うが、どちらも日本製。

大惨事の人類史と日本への影響

2022-11-23 00:00:00 | 市民A
最新刊『大惨事の人類史』の著者、スタンフォード大学シニアフェローのニーアル・ファーガソン氏が月刊経団連誌の寄せた講演録を読んだ。ファーガソン氏はスコットランド生まれで、オックスフォード、ハーバードで教授を歴任し、今はスタンフォードに所属。経歴も気になる。さらに名前のニーアルだが「Niall」と書く。ずいぶん変わった名前だ。猫の鳴き声に似ている。

氏によれば、世界史は災難や災害の連続だそうだ。まず日本の安倍元首相の暗殺事件についてだが、日本は1930年代には暗殺が多発していて、その結果は重要な変化(軍部政権に向かう)をもたらしたが、現代の暗殺は重要な意味を失っている、としている。(実際には今回の暗殺は、まったく氏の予想外の方向に向かっていて、その意味、与党の宗教的政党に何らかの類が及ぶ可能性は否定できない)



次に100年前。第一次大戦とスペイン風邪が同時発生していた。現在ではウクライナ・ロシア戦争と新型コロナウイルスのパンデミックが同時に発生しているが、14世紀の黒死病やスペイン風邪に比べれば人口比の死亡率は低いし、ウクライナでの戦争も、人類がかつて経験した戦争に比べれば小型だそうだ。

ところが、第四次中東戦争のあと原油価格の高騰によりインフレが起こったのと同様にウクライナでの戦闘は経済に影響を与えている。

戦争のタイプでいうと、ウクライナでの戦闘は直ぐには終わりそうもなく、むしろ朝鮮動乱のように硬直化に近いかもしれない。

そして、米中関係は、新冷戦の時代に入りつつあり、米中経済共同体という概念はなくなっていて新たな同盟ができつつあるところである。その時に、米国の最大同盟国といえば欧州ではなく日本であるということのようだ。もちろん、知らないうちに日米で連携していて、ある朝起きたら、日本はアメリカに組み込まれているということになるかもしてない。

山河の子(2018年 映画)

2022-11-22 00:00:09 | 映画・演劇・Video
『山河の子』は、PFFアワードに2018年に応募された映画。これも東京MXテレビで放送されたもの。日本映画大学第四期生の卒業制作だそうだ。監督は胡旭彤(コキョクトウ)。中国人だが10代から日本に住んでいる。

甘粛省慶陽市の農村を舞台に、村で唯一の小学校に通う子どもたちとその家族を追ったドキュメンタリー。

中国の格差社会を底辺の方から撮っている。貧しい小学生ばかりで、親が出稼ぎで家には帰らず、祖父母が育てているとか、母親が亡くなって父親が子供を育てているが、そのため収入がなくなり、毎日を生きるのに精いっぱいの家庭とか、幼児の時に父親に殺されかけた子とか・・・それでいて小学校では英語を教えている。

そして、小学校を卒業すると、村を出て山を越えた町の中学に行き、もう村には戻ってこない。

こういう映画を撮って、監督は中国には帰れないのではないかと心配になるが、上映会には北京電影学院も協力していて、中国の実際の格差は、映画どころではなくもっと大きいのではないかと推測できるかもしれない。

『山河の子』というタイトルだが、『山河』は文字通り、山や川といった自然豊かな場所を指すのだが、意味を転じて『国家』を指す場合もあるようだ。実際、中国大陸を飛行機で移動すると、眼下には広大な農地はあるが山や川はそう多くないような気がする。「表の意味は田舎を指すが、裏の意味は中国全土」ということかもしれないが考え過ぎだろうか。

格差社会だが、映画の中でも中国は徒労かもしれない格差縮小目標を立てているが、日本は格差拡大を放置しているようにしか思えない。

それと、貧しい家庭の生活風景だが、どの家庭でも垂涎物の中華料理を食べていて、横浜中華街を凌駕している。

モラトリウム・カットアップ(2015年 映画)

2022-11-21 22:00:22 | 映画・演劇・Video
東京MXテレビが不定期で(日曜に)放送するPFFアワードの優秀作は一本が1時間弱とスピーディだ。PFFアワードはPIA FILM FESTIVALの略で、新人映画監督の登竜門と言われ、160名ものプロの監督を育てているそうだ。

2015年の作品である『モラトリアム・カットアップ』は、柴野太朗監督23歳の時の作品。主人公のフミヤはデジタル社会を拒否したアナログ人間。テレビでさえ、アナログ放送廃止を受け止めようとしていて、家族が地デジテレビを買ったことで口喧嘩になる。

ところが、高校を卒業した後、デジタル拒否のフミヤには友達がいなくなる。いわゆる「めんどうな奴」という範疇になるわけだ。

撮影技法とか筋回しには技巧を感じるのだが、デジタル対アナログのような問題は、つまらないわけだ。どちらでもおよそ変わらないだろう。柴野監督は、その後も身近なテーマで作品を撮り続けている。

旅籠 綿屋

2022-11-20 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
横浜の北部に住んでいて、近くを国道246号線や東名高速が東西に延びている。また並行して東急田園都市線も伸びている。国道246号線は起点が東京の三宅坂で、赤坂見附、青山、渋谷までは別名は青山通り。そのあと、三軒茶屋が三つ又になっていて南側が246号線で北側が世田谷通り。

三つ又に三つの茶屋があった。南側の道が大山街道と言われ、伊勢原にある大山阿夫利神社に詣でる江戸の旅人が歩いていた。江戸時代は早い朝食を食べ、次が夕食なので、旅人はお昼ごろに茶屋に寄って団子などの菓子を食べてエネルギーチャージをしていた。ちょうど三軒茶屋のあたりだろう。なかには茶屋から出て方角を間違えて江戸市中に戻ってしまった者もいたそうだ。

そして荏田宿から30分ほど進んだところにあるのが、旅籠綿屋。この場所は東西に延びる大山街道と南北に延びる日野往還の交差点だった。日野往還は神奈川宿と日野を結ぶ街道で、新道に代わっているが今でも重要な道だ。来月はゴルフ場に行くために通ることになっている。

この交差点は江戸時代は竹の下下宿と呼ばれていたそうだ。「下宿」というと江戸時代は「単に安い宿泊地」という意味だったそうだ。それが明治になって「まかない付きで共通のトイレ・バスのある安い貸間」ということになった。要するにホテルではなく月決め賃貸に代わった。



そこにあるのが木造の建物で、明治15年に建設されたそうだ。現況は、普通の建物で表札もある。「旅籠 綿屋」ということだが、現在は個人の方がお住まいになっているようだ。

「綿屋」というのは、寝具が木綿ということだろうか。今でもベッドをポイントとするホテルもある。

ということで、ときどきは地元ネタで。

羽生九段復調のなぜ?

2022-11-19 00:00:49 | しょうぎ
あと一期で、タイトル100期に迫ったまま数年間停滞していた羽生九段が最近好調だ。とはいえタイトル戦の挑戦権を得られるのか、あるいはタイトルを勝ち取れるのかははっきりしないが、ここ数年とは別人のようだ。

なぜ?

叡王戦以外の七大タイトル戦で、それぞれの最後に出場した時の結果を見てみた。(平成のことはすっかり忘れた人もいるので西暦で表示)

竜王戦 2018年 失冠   対広瀬(1-4)
名人戦 2018年 挑戦失敗 対佐藤(天)(2-4)
王位戦 2017年 失冠   対豊島(1-4)
王座戦 2017年 失冠   対中村(1-3)
棋王戦 2014年 挑戦失敗 対渡辺(0-3)
王将戦 2015年 挑戦失敗 対郷田(2-4)
棋聖戦 2018年 失冠   対豊島(2-3)

結果を見れば、少しずつ不調になったというより、2017年から18年にかけて、特定の相手が苦手になったわけではなく急に調子が落ち込んだということだろう。

なんらかの原因があって不調になり、そして何らかの原因がなくなりつつある、ということだろうが、残念ながら推測できない。

将棋以外の副業(証券会社の講座にゲスト出演したり)が多かったことはあったようだが。

いまさら、強くなっても困る棋士も多いだろうが。


さて、11月5日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

みかん大福

2022-11-18 00:00:49 | あじ
川崎大師の参道で開業し、川崎市や横浜市に多くの店舗を構える和菓子店の末廣庵の最近の季節商品が、『みかん大福』。地元のJAと協力関係にあって、時々季節商品が登場。原料はみかん農家の調整品だろうか。

みかんはそのまま食べるならMサイズやLサイズがいいのだろうが、大福にするとなるとみかんのサイズより大きくなるのだろうから、やや小さな方がいいだろう。



といってもあくまでも生育途中の青いみかんでは酸っぱ過ぎるだろうから。あくまでも蜜柑として完成したものの、少しだけ小さなものを使うのだろう。



二つに切ってみると、おおむね想像した通り「いちご大福」と同じ方式だが、みかんの外側の皮はそのままなのか。若干削ってあるのかはよくわからない。調べようと思った時には体内に入ってしまっていた。

たぶん、金柑や柚子のサイズでは小さすぎるし、大型の柑橘類では巨大過ぎるから、このサイズしかないのかもしれない。

味は十分おいしいが、皮とみかんの間の体積は少ないが、餡の量は少ない(あくまでも「いちご大福」と比べて)。

隠し剣 鬼の爪(2004年 映画)

2022-11-17 00:00:30 | 映画・演劇・Video
藤沢周平原作である。2002年の『たそがれ清兵衛』、2006年の『武士の一分』と合わせ三部作の二作目だ。もちろん『たそがれ清兵衛』が大好評だったから、二作目、三作目であり、一作目を超えられなかったから、打ち止めになったのだろう。『武士の家計簿』、『武士の献立』は全く方向が違う喜劇だ。

下級武士とそれを支える女優という構造で、なんらかの武士の不合理な因習がからむ。そして藩内の秘め事とか、出世争いの巻き添え。そして美しい風景。

主演は孤高の下級武士を演じる永瀬正敏と家事手伝いの松たか子。身分を越えた恋愛だが、そういう場合の便法(いったん知人の武士の養女としてから婚姻する)もあるのだが、それでは映画にならない。剣の達人であるが人を斬ったことはない。

藩を裏切り、江戸幕府と通じていた盟友を斬る命を受けてしまうわけだ。『たそがれ清兵衛』は真田広之と宮沢りえの主演で、やはり藩命で人斬りに向かうのだが、真田広之は貧乏で、二本の刀の長い方は質屋に出して流れてしまい、竹に銀紙なのだ。二本目の刀は切腹用なので短い。そちらは本物なので、それで斬り合いをしなければならない。

永瀬正敏は仕事の前に師匠に稽古をつけてもらい、必勝戦術を教わる。さらに討ちもらした場合に備えて周りを鉄砲隊が囲んでいる。決闘シーンがもっと技巧的だった方が良かったかもしれない。

『たそがれ清兵衛』では、真田広之は役目をまっとうし武士としての身分を確とさせたものの、幕末の戦乱の中で命を落としたのだが、同じく幕末を生きた『隠し剣』の永瀬正敏は、武士の身分を捨て、江戸に上って商売に生きることになる。もっとも剣にしか生きていなかった男にできるのは「剣道の道場」ぐらいかもしれないが。

国立博物館 国宝展、もはやHPは要らない

2022-11-16 00:00:13 | 美術館・博物館・工芸品
東京国立博物館で開催中の『国宝展』のこと。多くの国宝を広く集め、早くから大々的に宣伝していた。会期は『10月18日から12月11日まで』。

一体、希望者のうち何人が観覧できたのだろうか。

期間をおよそ2週間ずつ4期に分け、オンラインでチケットの予約を受け付けていて、昨日は11月29日から12月11日までの最終の受付開始日。今までの3回は申し込むページまでは進めるが予約できる日はないということ。1日を1時間ずつの枠に区切って一日8回の枠があるのだが(週末は増枠あり)、全日程がいっぱい。そしてついに昨日午前10時の受付開始を迎える。当初のコロナウイルスの予防接種他と同じだ。電子時計を用意して1秒以内に予約ページに辿り着いたが、予定の日は開いていたが空いている時間枠は見えないので、最初でも最後でもない時間帯を選んだところで画面は固まり、しばらくして白くなる。意味不明。

同じようなことを繰り返すと、少し進む場合もあれば、すぐにダウンしてこちらの設定に問題があると指摘する。イープラスの予約サイトでは全貌が把握でき、売切となっていた。そのうち国立博物館のサイトでも繋がることができるが、その時にはすべての日、すべての時間帯が売り切れ。おそらく数秒で終わっていたものと思える。

しかし、枠を作ったということは、入場者=チケット購入者+招待者ということで、最初から入場可能人数はわかっていたわけで、過去の例などから言えば予想倍率が高いことがわかっていただろうから、抽選のようなことにしてほしかった。いまさらご禁制の転買チケットを探す気にもならないが、これで終戦となった人も多いだろう。

あるいは入場者数は部屋面積から割り出した感染リスクによって決まったのかもしれないが、それなら同時開催の他の展示を減らして面積を拡げればよかったのだろう。


せめて、豪華絢爛なHPは目の毒なので、即刻閉鎖して入場者だけでこっそり楽しんでいて欲しい。

開催前は、博物館員が、この展覧会に向けての国宝の借り受け期間の調整とか、展示の工夫とか熱意をもって語っていたのだが、「それがどうしたの」という気持ちになる。