広重の系譜

2011-05-31 00:00:21 | 美術館・博物館・工芸品
最近届いた手紙に、大きな切手が貼られていた。まあ、記念切手の売れ残りを郵便局が販売したのだろうと思っていたのだが、封筒を捨てる段になって、よく切手のデザインを見ると、「東京開化名所」「四日市郵便役所」「三代広重」とある。



まず、東京名所なのに、なぜ四日市なのか。考えればよくわからない話だ。広重って東海道五拾三次なのに、四日市の郵便局とどんな関係?

で、少し調べると、やはり妙な話にはそれぞれ理由があった。

まず、四日市だが、これは東京の地名だった。日本橋四日市。毎月四の日に市を開いていたのだろうか。そこに、日本最初の郵便役所の一つとして開設された。明治4年。東京中央郵便局である。当時は平屋建てだったらしいが、その後、切手のデザインのような洋風な建造物になったのだろう。

その後、東京駅前に郵便局は移転し、最近は、建て替えにあたって、歴史的建造物として物議をかもしている。

次に広重の話。

広重(1797-1858)ではなく、「三代広重」というのがミソで、有名な歌川広重(通称、安藤広重とも言われる)ではなく、三代目広重(1842‐1894)。では二代目(1826‐1869)はというと、これも初代の門人で広重の養女に婿入りしていたのだが、せっかく広重の号を継いだのに、離婚して横浜方面で外人相手の画家に転進してしまう。金儲け主義だ。それでは困ると言うので、二代目の弟弟子が、急遽、婿養子に入り直して三代目広重を継いだようだ。そして、初代と同じように、東海道五拾三次の絵を残している。あまり話題にならないのは、画才の方がイマイチだったかららしい。

ただ、すでに時代は明治。かなり苦労したのかもしれない。

そして、驚くことに、この広重には四代目(1848‐1925)がいる。広重の名前を残すために、さまざまな動きがあったようで、横浜にいった二代目の門人が選ばれたようだが、どうもこの人、書道では有名で、書道教室は繁盛していたらしいが、絵画は素人だったようだ。

さらに、五代目(1890‐1967)。この方は、四代目の実子。四代目とは異なり、本当の浮世絵師を目指し、戦争をはさんで活動していたようだ。ただ、江戸の時代の浮世絵師とは異なり、いわゆる日本画家というようなジャンルになるのだろうか。

となると、今後は六代目探しということになるのだろうか。なかなか重たい名前だから、無理というものかもしれない。
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「蛍の光」に濡れ衣が、

2011-05-30 00:00:44 | 市民A
『蛍の光』と言えば、貧乏学生が電気代を惜しんで、捕まえた蛍をビニール袋に入れて照明代わりに使うことで、一生懸命に勉強して、科挙試験に合格して中央集権的な国家で国家公務員になることを意味していた。

もちろん、現代人も計画停電とか夜の灯りを奪われることになったが、今さら蛍を捕まえる話にはならない。

が、一般的には、「蛍」は夏の風情というか、平和的なイメージが漂う生物である。

ところが、・・

最近、読んだ小冊子に、おそろしいことが書いてあった。

「放射能」と「放射線」の違い。

その例として、蛍が登場。



放射線物質から出てくるみえない線のことを放射線、放射性物質から放射線を出す能力のことを放射能といいます。放射性物質をホタルに例えると、放射線はホタルの光、放射能はホタルの光る能力のことを指します。


そして、(ホタル=放射線物質)、(光=放射能)、(光る能力=放射能)という図まで登場している。

しかし、ますます、わかりにくくなるような気がする。

さらに、これではホタルの光はゴジラが口から発射する放射線攻撃と同じになってしまう。

図をよく見ていると、読めないほどの小さな文字で、こう書いている。

*あくまでもイメージで、ホタルは放射性物質ではありません。


イメージを使う必要なんてないような気がする。

目の前で起きている現実を書けばいいのに。
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神奈川運上所 改め・・

2011-05-29 00:00:16 | 歴史
最近、所用で足を運んだ場所の近くに発見。



神奈川運上所は、日本が江戸時代末期に五カ国と通商条約を結び、開港した3ヶ所の都市に設置された貿易の取り締まり及び関税の徴収のための役所である。3都市とは、箱館、神奈川、長崎だが、なぜか長崎は当初、湊会所という単語が用いられていたので、運上所としては、箱館と神奈川が先ということになる。その後、戊辰戦争が終わると、箱館という地名は縁起担ぎで函館に代わる。運上所はその後「税関」と名前が代り、「神奈川運上所」は「横浜税関」となる。

歴史に少し詳しい人ならご存知だろうが、「神奈川」ということばは、本来は横浜より東京寄りの「現在の東神奈川駅周辺」を指すのだが、東海道の宿場町に外国人が大勢集まることの危険を感じた政府が、「横浜」も「神奈川の一部」という無理なレトリックを構築。その後、ごちゃごちゃと混用していたわけだ。

明治になって、その必要もなくなったので、神奈川運上所=横浜税関となった。



当時の運上所の場所は、今は碑が立っているだけで、県庁の旧館の敷地になっている。県庁の最近の主人は、元テレビ局のキャスター。出身大学のゼミOB会関係の情報がなぜか送られなくなっているようだとの話も聞く。


そういう由緒正しい横浜税関なので、開所当時の税関長には、大物が多い。

たとえば、上野景範(1845~1888)。薩摩藩出身。幕末から明治初期にかけて特に対英、対米交渉で大活躍する。ハワイ移民問題とか小笠原帰属問題など、重要問題で外交交渉の成果を上げる。なぜ、半年間横浜税関長を務めたのかその方が謎だ。政権内のパワーバランスで、一時冷や飯を食ったのだろうか。

たとえば、中島信行(1846~1899)。土佐藩海援隊出身。1年間だけ横浜税関長に就いている。その後、神奈川県令を経て、中央政界に入り、初代衆議院議長となる。こちらもなぜ税関長になったのか謎だ。

星亨。中島信行の次の衆議院議長だったと思うが、もっと若い時に半年間税関長だった。それも中島の次の代だった。後に、暗殺される。

最近は、この税関の地位が高くなったせいかもしれないが、ここの税関長を公務員としての最後の職場とし、その後、民間の貿易業務が円滑に行われるような努力をされている人が多いというような話を、聞いたことがあるような覚えもあるが、よく覚えていない。
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原発グッズの仲間に入ったもの

2011-05-28 00:00:03 | しょうぎ
19世紀の欧州の絵画で、日本趣味に取り憑かれたような画家が描いたのが「扇子」。ちょうど、日本から浮世絵などとともにオランダに伝わる。竹と紙でできた扇子は、あっという間に上流階級に広まり、いつもと同じような展開で、J国製が高すぎるからといってC国製が現れ、粗雑なために、廃れる。

で、これが今年の夏の冷気の源泉なのである。

『扇風機』『ゴーヤカーテン』、そして『扇子』である。



今年は、15世名人、大山康晴書で、『変化無限』。

なかなかいい言葉だ。原発事故みたいだ。

昨年は16世名人の中原誠書を使っていたら、会社の隣の席の男にオネダリされて、結局あげてしまった。お餞別代りとなる。

なんで、中原誠がいいのかわからないが、若い女性と不倫ができるのではないかと扇子にあやかろうとしたのだろうか。その後、脳梗塞で倒れてしまったことは知らないようだ。

そういえば、名人と女流名人の関係ということで、ずいぶん騒がれていたけど、確かに二人で食事をしているところを目撃されたとしても、職場内の打ち合わせみたいなもので、あまり疑う人はいなかっただろう。

「今夜、一局教えてもらえるかしら・・」とか、夜のプレーが長くなって「今夜はここまでにして、あすの続きのプレーは『封じ手』に書いて・・」とか、まったく馬鹿馬鹿しいことをやっていたんだろうな、と思う。

そういえば、大山名人も、最後は大腸ガンで落命してしまったのだから、扇子の縁起がいいわけでもないのかもしれない。


さて、5月14日出題作の解答。



▲2九銀 △2七玉 ▲3八馬 △同飛成 ▲同銀 △1八玉 ▲2九銀 △2七玉 ▲2八銀打 △1六玉 ▲1七銀 △同玉 ▲1八歩 △2七玉 ▲1七飛まで13手詰。

動く将棋盤はこちら

今週の問題。



ちょっと大げさな手順が続く。途中で手順前後があってB級扱いということになる。修正できそうもない

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。
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足のこと

2011-05-27 00:00:46 | 市民A
昨日のエントリで書いた、八重洲地下街に登場した「幸運の子豚」のこと。

ブロンズ像の鼻を触ると、幸運が訪れるというのだが、どうもあまり清潔そうじゃない。もっとも電車の吊り革と同じと思えばいいのだろうが、まあ、吊り革には吊り革としての効用があるので、効用>清潔さというバランスが成り立つ。幸運の子豚の鼻に効用があるのかどうかが不明というのも、微妙な気持ちになる原因なのではないだろうか。

ところで、触ることによる効用ということで思い出したのが、岡山県にある「足王神社」という神社のこと。



普通、狛犬がある場所に、「黒い足」が置かれている。

この神社は、足を祀っているわけだ。だから足王神社。

ただ、足が黒人選手のように速くなることを祈る場所ではない。日本人の足の速さは、縄文時代に鹿や猪を追い駆けていた先祖のDNAにルーツがあるのに対し、ジャマイカ人の足の速さには別の理由がある。

米国向けに奴隷売買が盛んだったころ、アフリカから米国各地に送るための奴隷集荷市場だった。ここで一旦、陸に揚げられて、それぞれ米国各地に送られていた。

そこで、足の速い奴隷たちが、脱走して、山の中に逃げ込んだわけだ。さいわい気候は暖かでたいして衣類も要らない。そういう脱走者たちのDNAがルーツにあるのだから、日本人は、なかなか勝てない。(一方、欧州向けの奴隷集荷地はリバプールだったそうで、山にこもっても、寒さで一冬持たない)

話が、まったく横に曲がってしまったのだが、この足王神社だが、足の病気を治すための効能があると言われている。黒い足を手で触ってから、後で足の悪い所を触れば、病気が改善すると言われている。


しかし、よく考えれば、足の像は低い場所にあるし、一旦手で触ってから、間接的にまた足を触るというのなら、最初から患部を直接触れさせた方がいいように思えるのだろう。それも、あまり参拝者が多いとも言えないロケーションである。

ということで、子豚の鼻よりも、さらに触りたくないわけだ。別に病気でもないし。

ただ、よく見ると、足の像は足の裏を見せてはいないので、これでは、水虫の人には効果がないということになりそうである。(足の表側まで病域が拡大していたら別なのだが)
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幸運の子豚

2011-05-26 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
東京駅の八重洲地下街の一角に、かなりの存在感の大型彫刻が現れた。

幸運の子豚。イタリア製だ。



確か、この場所には、八重洲の語源である、江戸時代初期の親日派オランダ人ヤン・ヨーステン胸像があったような気がするが、ヤン・ヨーステンはどうなったのだろうか。ワールドカップでオランダが日本に勝った腹いせにどこかに隠したのだろうか。もっともヤン・ヨーステン本人も、人生の最後は日本を脱出し、インドネシア方面に転居。最後は、乗っていた商船とともに海に沈んだ。時節柄、縁起が悪いということなのだろうか。

そして、この幸運の子豚だが、豚と言うよりもイノシシに見える。それもそのはずで、「猪」という原題の彫刻(大理石)を模倣したものだそうだ。

大理石像は、ローマ教会に長く伝わっていたものが、その後、流出。今はフィレンチェのウフィツィ美術館にある。世田谷美術館で昨年展覧会があったので知っているのだが、街の金持ちが所蔵している美術を寄贈してできた美術館らしい。

そして、その大理石バージョンを模造して17世紀にピエトロ・タッカがブロンズ製で作り直したのが「幸運の子豚」。フィレンチェ市内の広場に置かれ、みなが鼻先を触っているのは、幸運のしるしだからだそうだ。

ということは、その広場から連れてきたのだろうか。震災見舞い?

ただ、ブロンズ像のバックにある「広場の子豚像」と、若干、首の角度とか異なるような気がする。複製の複製?

まあ、堅いこと言わなくてもいいが、見ている限り、あまり鼻を触る人はいない。

日本じゃ、直接触るというのは、流行らないのかもしれない。不潔な感じだ。鼻よりも下腹部に鋭く尖った物体が見えるのだが、そちらの方を触った方が幸運に恵まれるような気もするが、婦人警官に逮捕されそうなので、何も触らないことにする。

技術的な問題なのだが、大理石にしてもブロンズにしても、猪の獣毛の感じを出すのが難しそうである。が、毛の感触を出すのが難しいとは言え、ツルっとした豚肌だと、ちょっと気持ち悪い(というかツルっとした方がいい、という女性も多いのだろうか。なぜか、ちょっと気になる)。
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神の子どもたちはみな踊る(村上春樹)

2011-05-25 00:00:34 | 書評
kaminoko村上春樹の少なくとも小説は全部読んでいたつもりだったが、先日、『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(市川真人著)を読んでいたら、一冊だけ落としていた。それが、この『神の子どもたちはみな踊る』。

2000年の刊行ということで、なぜ読み落としたか、今となったらまったくわからないのだが、時節柄というか、6編の短編に共通する大テーマが、「阪神淡路大震災」である。

「UFOが釧路に降りる」では、主人公の小村の妻が、震災後、テレビに見入ってしまい、ふっと実家に帰り、そのまま離婚ということになる。なぜか東京から釧路に向かった彼が会うのは謎の女性であるシマオさん。物語は「まだ始まったばっかりよ」と宣言される。

「アイロンのある風景」では、事情により神戸東灘区より飛び出して茨城県の海岸に住む順子さんの話。海岸に流れ着く流木で焚き火をおこすのが得意の三宅さんという男が登場。地震のあと、家出した実家のことが心配になる順子をなぐさめているのかどうかよくわからない。(今度の地震では、その鹿島灘に津波が押し寄せる。当面、焚き火の原料になる流木には不自由しないだろう)

「神の子どもたちはみな踊る」は、もっとも奇妙な構造である。というか1Q84の原型の一つなのだろうか。耳の一部が欠けた男(医師)と交わったため妊娠したという母親からの記憶に基づき、千代田線の中で耳の一部が欠けた男を発見した善也は、男の追跡を始める。そして辿りついた深夜の公園で見たものは?(二つ目の月ではないから)

「タイランド」。6編の中で、もっとも筋書きがあいまいな小説である。甲状腺の専門医であるさつきが主人公。筋書きが進行する場所はタイなのだが、神戸の地震のあと、そこに何らかの関係があることがわかる。彼女に関係する実在の人間なのか、本人の意識化の架空の人間なのか、あるいは単に夢の中に登場する人間なのか。残る5編のバランスを取るために存在するような1編のようにも感じる。

「かえるくん、東京を救う」は1996年2月17日に発生することになっていた都心の直下型地震を防ぐ話だ。神戸の地震のあと、東京の地下で眠っていた「みみずくん」が大地震を起こそうとしていた。それをかえるくんが登場して、主人公片桐と協力して戦うことになっていた。しかし、片桐は作戦決行直前に、銃撃される。結局、地震は起こらず、かえるくんは、戦死。片桐の頭の中には、「機関車」という言葉が浮かんでくる。

「蜂蜜パイ」は、いかにも「ノルウェーの森」の原型のような小説であるが、実際にはノルウェーの森の方がずっと前に出ている。主人公の淳平と同級生だった高槻と小夜子。奇妙な三角関係が崩れ、結局長い九十九折りの時間の末、淳平は小夜子と生活することを決断(するはず)。一方、淳平は、作家であり、奇妙なことに芥川賞の候補になっても、結局受賞できなかったことが書かれている。自分の投影なのかもしれないが、それなら、彼が神戸に住んでいる両親に対し、安否確認の連絡すらできない関係であることが、彼の小説の原点になっているのかもしれないのだが、同様のことを市川真人も書いていたと、思い出したのである。


個人的には、時々見るシリーズ物の夢というのが何種類かある。新橋駅の横にある雑居ビルの中二階のドアの向こう側とか、国会議事堂に近い建物の地下室とか千葉県の海岸沿いにある横断歩道のない国道から繋がる都内の神社とか森の中の起伏の大きな道をいつまでも走り続けるエンドレスマラソンとか。それぞれの夢にはそれぞれの登場人物がいて、私の頭の中の夢の世界なのに、思いもつかない唐突な話をしてくれ、別の登場人物がさらに饒舌で論理的なことを喋るわけだ。

そういう小説なのだろう。

ちょっと気付いたのだが、1994年から1995年にかけ、「ねじまき鳥クロニクル」という長編小説が刊行されている。1巻と2巻が同時発売で、翌年3巻が登場。「1Q84」と同じパターンである。「ねじまき鳥」と阪神淡路大震災は、同年である。「1Q84」の翌年が東日本大震災である。もう三部作を書くのはやめてもらうしかないかもしれない。総理大臣の要請とか。

東日本大震災についても何か小説を書くのかもしれないが、できれば平安時代初期に遡って、貞観地震とその前後の皇室や藤原家、そして菅原道真の怨念などを底流とした王朝時代小説でも書いてもらえないだろうか。ノーベル賞からは遠ざかってしまうけど。
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古代、中世、近世、近代、現代の交わる場所

2011-05-24 00:00:22 | たび
鞆の浦(とものうら)シリーズの最終回。

このまったく狭いエリアに、多くの観光客が訪れている。福山からの乗り方が難しいバスに米国人の観光客まで乗って、海を見に来るわけだ。



まず、古来、和歌にも詠まれている有名な港であった。日本の海外からの玄関口は九州であり、文化というのは、九州と大和の二つの場所にわかれていて、その間の移動には、もっぱら瀬戸内海の船が用いられていた。船には、港が必要だし、天候が荒れれば、避難する入江が必要で、その二つを満たすのが、鞆の浦だった。

そして、この重要な鞆港を見下ろす高台の小島である大可島に城が立ち、中世には重要な戦が起きている。さらに、織田信長に追われた足利義昭が毛利の援助を得て、復活しようと、鞆城に潜む(どこかのアラビア人みたいだ)。

そして、城は滅びて300年ほど経ち、幕末の最後に事件が起きる。「いろは丸衝突事件」である。和服に短靴を履いていた人気者の坂本龍馬が登場する。(海底の沈没船から、短靴の靴底が発見されている。人目につかないところでは、靴を脱いでいたのだろう。衝突の時は、靴を履く時間がなかったのだろう。さらに水虫だったか。

そして、現代。ここの海岸にそって大きな橋を架けようというプランがあって賛成派と反対派にわかれているらしい。その橋が100年後に役に立っているとは、とても思えないのだが、決定するのは数十年の単位でしか考えることができない現代人なのである。
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大可島城跡には、簡単には行けない

2011-05-23 00:00:00 | The 城
鞆城とセットになっているのが大可島城である。昔(歴史上という意味)のある時点には島だったようだ。砂が堆積したのか地震で隆起したのか不明だが、現在は陸続き。いわゆる海城である。

村上水軍の支配していた時期もあるが、中世から重要な港湾だった鞆を見下ろす高台は戦略上に重要拠点だった。中国を監視する嘉手納基地みたいなものだろうか。そのため、南北朝時代には、南朝側がこの地で全滅したりしている。死体は海に捨てられたのだろうなあと思う。



そして、このあたりは、まったく道が細い。階段や道が混然一体となった街である。路地みたいなところを上がっていくと、私道みたいなところを歩く。石垣もいつできたもの不明で、数百年物も混じっているようだ。



そして、突然現れた大建築物。円福寺という寺院である。全国どこでも寺院は立派だ。どうもこの場所が城址であるようだ。ただ、寺院であるので、やたらに入っていいわけじゃない。コインを用意して、適切な箱に投入した方がいい。(たとえ、眺望のコストがゼロ円だからといってだ)

しかし、この寺に隣接したところにある建物も城址の一部をなすようで、さらに眺望が優れる場所にあるのだが、そこから海を望んで500年前の海賊の気持ちになってみようと思っても、実行は難しい。

なにしろ、個人宅だからだ。

でも、この路地に住んでいる人たちって、足腰が丈夫なのだろうと思うしかない。結構、帰り道で膝が笑い始めるのである。カクッ、カクッ、カックンカックン。最近、海に堕ちたアラビアの反逆児の気持ちを味わうわけにはいかない。
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鞆城がもっとも輝いた時は

2011-05-22 00:00:24 | The 城
鞆の浦へお城マニアが行けば、二つの史跡をはずすわけにはいかない。大可島城跡と鞆城跡である。健脚なら10分程度の距離。まず、鞆の市街地にある鞆城から。

福山からバスに乗って30分。鞆の浦と福山は別のエリアである。この鞆の浦の海岸に大きな橋を渡して渋滞を緩和しようという計画があって、住民が二分され選挙で争っているようだ。部外者が口を出すのはどうかと思うが、意見が二分されるような事業に税金を投入するのはどうかな、と思う。払う税金は反対派も賛成派も同等なのだし、整備すべきは鞆の浦の橋ではなく福山と鞆の浦の間の道路のような気がする。それに観光も重要な産業だからだ。やはり人工物より天然物の方がいい。



その町の中の丘のような場所に向かって、階段を上っていくと、鞆城跡があるのだが、そこには「鞆の浦歴史民俗資料館」がある。かなりの違和感だ。さらに、この歴史民俗資料館の展示物だが、もう少し歴史物に力を入れた方がいいと思う。地元の鯛の「しばり網」(追い込み漁)は詳しいのだが、あまり歴史については触れられていない。

別途、後で調べると、歴史上でこの小さな城が名前を残したいくつかのイベントがあった。

何と言っても、足利幕府の最後の将軍足利義昭が織田信長に京都を追われ、毛利家を頼って西下した際、この鞆城を6年間居城にしていたことだ。

だいたい足利幕府は約240年間続いたとされるのだが、最後がはっきりしない。というより、最初もはっきりしない。幕府というのが、実質的な政権として成立していたという考え方で行くと、足利尊氏が1336年に建武式目を発表した時から始まり、1573年に15代将軍の足利義昭が信長から京都を追い出された時までの237年間になるが、幕府=征夷大将軍ととらえると、1338年に始まり、終わりは1588年に義昭が秀吉の臣下になる(つまり征夷大将軍でないことを示す)までの250年間になる。

このギャップの間に、義昭は鞆城にいたわけだ。各地を転々とした中で、鞆が一番長い逗留になった。その後、京都に戻って秀吉にすり寄ったりしているが、結局1597年に大坂で亡くなる。享年は61歳。つまり、もう少しだけ長生きをしていると、江戸時代に突入していたかもしれないわけだ。あるいは1600年の関ヶ原で大活躍した可能性だってある。

その後、福島正則の隠し城として、家康から大目玉をくらい、城から館へ格下げになる。さらに福島正則は福山城の無許可改築の罪で改易となる。どうもいくさは上手だが、だらしない性格だったのだろう。



城は分類上は平山城ということになっているが、急な階段を登らなければならないので、城跡まで来ると、観光客は、みな屈伸運動をした後、適当に写真撮影などを行う。石垣などに僅かにオリジナル性が残る。
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こうして時代は終わるのだろうか

2011-05-21 00:00:28 | しょうぎ
今回の名人戦を見ていて思うのだが、名人(羽生)、挑戦者(森内)ともに、最強の時期の対戦じゃないなあと思えてしまうのだ。一年間の順位戦リーグの結果、相対的に強いからこういう対戦になるのだろうが、そろそろ時代が終わりつつあるのかなと思ったりする。もちろん、次の時代がどうなるのかわからないが、コンピューター名人なんてなると、将棋というゲームは終了するだろう。

将棋というゲームを終了させるために、ソフトを開発するということになるのは、ちょっと悲しいのかもしれない。ただ、今のところ詰将棋を作る方は、まだソフト開発者の餌食になっていないようなので、詰将棋の相対的価値が高まるのかもしれない。


その前に、来年2月1日に予定されているA級順位戦8回戦、谷川×羽生戦で、負けた方が降級引退なんてことだって確率的にはある。確率だけ言えば、両者降級引退だってあるかもしれないし、それはそれで、喜ぶ棋士はたくさんいるだろうか。

次の会長は谷川氏で堅いのだろうが、さらにその次の会長の座をめぐっては、同世代同士で争うことになるのだろう。そうなると、早めに引退して、組織の運営方法でも勉強していた方がいいのかもしれない。


さて、5月7日出題作。

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▲9三桂成 △同玉 ▲9二桂成 △同玉 ▲9一桂成 △同玉 ▲8二角 △8一玉 ▲7一角成 △同玉 ▲6三桂 △同飛(途中図1)。

桂の三連捨ては、まあ景気付けみたいな手で、盤面の整理を始める。▲6三桂△同飛と逆王手を掛けさせる。途中図1より。

▲6三同玉 △7五角 ▲同香 △7三銀 ▲同香 △8二玉 ▲7一角 △8三玉 ▲7四銀 △9四玉(途中図2)。

銀の中合いから、空中遊泳になる。途中図2より、▲9二飛 △8四玉 ▲9三角成 △9五玉 ▲7五馬 △9四歩 ▲8五馬まで29手詰。

意外に逃げられない。▲9二飛は▲9一飛でもOK。9六のと金は最終手から飛車切りで念を入れて詰める手があるので配置(不要かも)。

動く将棋盤は、こちら


今週の出題。入玉問題。



よく考えてくだされ。

わかった、と思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。
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ゴーヤ苗、品薄に・・

2011-05-20 00:00:05 | 市民A
今、種苗店や園芸店で、ゴーヤの苗が飛ぶように売れているそうだ。原因は、節電対策ということらしい。

誰が言い触らしたのか、家の南側にゴーヤを植えて、ネットに絡ませてゴーヤの緑カーテンを作ると、室内のクールダウンにつながるということらしい。

実際に、昨年、ゴーヤカーテンを作ってみたが、カーテン状にするのは、結構、簡単じゃないことを書いておく。

何しろ、夏になると上に延びる速度が速いので、枝を横に広げずに、どんどん上に延びる。それをなんとかネットに広げるようにしないと、カーテン状にはならない。ジャックと豆の木みたいなことになる。

さらに、結実する位置は、どんどん上の方に上がっていき、手が届かなくなる。はしごを使うか、高枝切りを購入するかということになるわけで、たぶん、最初はゴーヤの収穫のためにはしごから落ちて骨折や脳挫傷という事故が多発するだろう。次にテレビで正しいゴーヤの収穫法ということで高枝切りのことが紹介され、それが園芸店で売り切れたり、使い方を間違えて、手伝っていた家族の喉を槍のように突き刺したりとかそんな予感がする。

goyasiroで、今年は、先月植えた二本のゴーヤのうち、白ゴーヤはぼちぼち伸びてきたが、緑ゴーヤの方は、ついに力尽きたようだ。どうも温室で苗を育てていたのだろう。寒暖の差に耐えられなかった。朝一で園芸店に行くと、温室から直行のゴーヤが並んでいて、体力の個体差が見極められないので、夕方になっても元気な苗を買った方がいいだろう。

goyaaoもう少し暖かくなってから緑ゴーヤは買い直しの予定。在庫がなかったらカボチャカーテンでも作ろうかな。ゴーヤよりも葉の面積が大きいから、放射性物質からの防護に役立ちそうである。
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愛憎、さまざま

2011-05-19 00:00:38 | 市民A
まず、フランス人でIMF専務理事のストロンスカーン氏が、NYの3000ドルのホテルの部屋でホテル従業員の女性に裸で襲いかかるが失敗。直ちに服を着て逃走を図るものの、高跳び寸前に逮捕。3000ドルの翌日は、たぶん宿泊費無料の刑務所に送られる。(失敗したから逮捕されたわけじゃないから。念のため。)

なんとなく思うのだが、ホテルの従業員をいきなり襲えば、逮捕されるだろうということは、いくら女好きでも気が付くだろう。たぶん、コールガールの予約を入れてあったのに、何かの偶然で、先に部屋に入ってきたのが従業員だったということではないだろうか。それで勘違いし、ことに及ぼうとして、失敗。(いや、単なる想像。経験なし。)


次にマラソンランナーのワンジル二階から墜落死。最初のニュースではさっぱりわからなかった。なぜ、マラソン金メダリストが二階から堕ちて死ぬのだろう、と。普通、落ちないし、普通、落ちても死なない。マラソンランナーは、体重が軽い。

続報では、思わぬ展開になる。妻の留守中に別の女性を連れ込んで行為に及んでいたところを突然帰宅した妻が発見。その後、口論になり、一説には、妻が口論の末、二階の部屋のドアを閉め切り、家を出ようとしたところ、ワンジル氏が妻を追いかけようと、二階から飛び降り、失敗して死亡した、ということになっている。

だが、ドアを閉め切るというか、もともとドアは閉め切るものだし、ワンジル氏が妻を追いかけようと二階テラスから飛び降りたというのも不自然。だいたい足に自信はあるのだろうし、飛び降りたりしないだろう。さらに二階から飛び降りてもせいぜい足にひびが入るくらいだろう。

そして、妻による殺人という噂も流れているわけだ。江戸時代の日本のようだ。不義密通は重ねて四つに切るという解体法。もっとも、実際はそういう方法はほとんど行われなかったそうだ。

そうなると、タイガーウッズ事件みたいになるが、ウッズの妻は、興奮してゴルフクラブで殴りかかって、タイガーは車での逃走に失敗して、樹木に激突し失神。失神したところに妻がクラブを振り下ろせば一件落着だっただろうが、トドメは刺さなかった。もちろん、アメリカでは、不倫は合法だが、殺人は違法だ。


次。最近、病院で見かけた雑誌「女性自身」によると、亡くなった田中好子の夫、小達一雄氏に隠し子浮上ということらしい。40歳位の女性と女の子と三人でハワイ旅行を目撃されていたそうだ。女の子は一雄氏をパパと呼んでいたそうだ。(それで隠し子というのも気が早いような気もする。単に子連れの女性との不倫かもしれない。似たようなものだけど)

しかし、記事を読んでみると、田中好子も一雄氏の妻子を追っ払った略奪婚だったようだし、その前の妻も略奪婚だったようで、どうもぐじゃぐじゃみたいである。


で、本日のメーンテーマは、この隠し子発覚で離婚したシュワちゃん夫婦。10年前に生まれた隠し子の母親が、つい最近までシュワ家のメイドだったというのだから、何とスリリングな生活だったのだろう。もちろん、奥様(マリア・シュライバー)が外出中などには逮捕の危険もなく安心してメイドプレイを楽しんでいたに違いないのだろう。

それで、この夫婦のことをネット上で調べていたら、何と、2005年5月21日に自分で書いた『シュワちゃんのこと』を発見。

2005年には、結構調べて書いていたものと、今さらながら僅かに感激。これを読むより、当時のエントリを読み直した方が内容がある。

それで、考えてみると、マリア・シュライバーはれっきとしたケネディ家の主要メンバーである。シュワちゃんが民主党でなく共和党の知事になったのが、問題点の1。そして、シュワちゃんを大統領にするには、米国生まれでないと大統領になれない、というのが問題点の2。そして、知事をやめて俳優に戻るということで、ついに見込みゼロ、と見切ったのではないだろうか。

単なる種馬。

そして、自慢の息子であるパトリック君は17歳。このパトリックという名前こそケネディ家の正統である。ジョン・F・ケネディの祖父。パトリック・ケネディ。そしてロバート・ケネディの長男。エドワードの二男。

そして、JFKの姪であるマリアも、こどもにパトリックの名を選ぶ。

ただし、米国大統領になるには、35歳以上という年齢制限がある。こどもに期待するには、まだ18年が必要になる。こどもが成長するのを待つよりも、・・・

マリア自身が立候補するという方法があるわけだ。どちらの党か知らないが。あと、鳩山ママ方式というのもある。大人になってもお小遣いをあげます、と言う方法

ところで、マリアが家を出た時に、シュワちゃんが追いかけたという話は聞かないし、二階のベランダから飛び降りたという話も聞かない。体重が重そうなので、大けがをしただろうが、それこそ物笑いだからだろう。「骨折したターミネーター」とか書かれそう。
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MってMのことだった。

2011-05-18 00:00:02 | 映画・演劇・Video
m2006年に公開された映画『M』。馳星周原作。

Mって何か、といえば、Mのことだった。

筋書きが複雑なわけだ。

一つの筋書きは、現代の手軽な軽犯罪が、いつの間に重犯罪の泥沼にのめりこんでいくかという筋である。主婦売春がいつの間にヤクザの取り仕切る管理売春に変質する。少年たちの大麻パーティの会場で死者発生。

次の筋書きは、過去と現在の家族、知人のつながりという泥沼家庭劇場。隣家の主婦と関係した男を殺す少年、そしてその少年は成人になり、偶然にも昔のシチュエーションに直面する。実は、この人間関係がよくわからなかったのである。あとで図解しても、今一つ理解できないのだが、頭が悪いのだろうか。

最後の筋が、主婦売春をしながらMにのめり込んでいく28歳の女性の視点である。主演はモデルから映画に転進した美元(ミヲン)。何かを丸出しの演技。ナイス・バーディではなく、ナイス・バディである。

が、ここ数年、彼女は何をやっているのだろう。消えるには早過ぎるように思える。

もっと簡単な構造の映画でよかったのではないだろうか。
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バッテリーアダプター

2011-05-17 00:00:02 | 市民A
dentiどうも、震災後の状況は、電力は「大余り」という状態らしく、4月のさまざまな各種統計が発表されると、「もう、ことしの電力問題は片付いたも同然」ということになりそうな感じが漂っている。(それはそれで大問題なのだが)

そうなると、計画停電というのも昔の話になってしまい、計画停電グッズなんかも、そのうちどこかに消え行っていくのだろうか。

何年か経って、「これは、何のための道具だったかなあ」と思いそうなのが、「バッテリーアダプター」。

どうも、家庭の備蓄電池が単三だった時、単一使用の懐中電灯とかラジオとかを使う時に、このプラスティックのケースに入れれば、電池が太くなって、単一電池がなくても対応できるということらしい。

ただし、525円である。電池よりもかなり高い。本当に買っている人がいるのだろうか。昔の写真用のフィルムケースみたいだ。しょせん製造原価は10円くらいだと思うのだが、何という暴利なのだろう。

というようなことを知人と話していたら、

「そんなの要らないよ。ガムテープでぐるぐる巻いて太くすればいいんだし、一円玉を使う方法もあるから」と一撃された。

ガムテープを巻くのは、いかにもテープの無駄みたいだが、一円玉なら無駄にはならない。通貨として使わないからって、通貨等偽造罪にはならないだろう。別に一円玉を加工するわけじゃない。

で、実験することにした。



まず、懐中電灯に一円玉と単三電池を組み合わせた「完成想像図」を描いてみる。

簡単だ。アルミは軽いので電線にも使われる金属だ。

その結果、

まあ、全然ダメである。たぶん、宇宙船のように無重力状態なら可能かもしれない。

しょうがないので、あれこれ考えると、キユウリとかズッキーニとかの芯をくり抜けばいいのではないだろうか、と思いついたのだが、実験は、しない。
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