ISUZUプラザで車酔い

2019-07-21 00:00:11 | 美術館・博物館・工芸品
少し前に、藤沢市にある、いすゞの工場に隣接したISUZUプラザの見学に行った。湘南台駅に約20名集合して送迎バスに乗る。湘南台駅というのは神奈川の県央に近いが、3線が乗り入れるターミナル駅だ。

そして、工場見学と思っていた人もいたが、今や自動車工場の内部は秘密主義だ。業界のプロが見ると、小さなことからでも大きな秘密を見抜かれることがある。実際、工場ではなくISUZUプラザで展示されているエンジンの組み立て図をTOYOTAの社員にみせたことがあるらしく、「ここまで見せる会社はないのでは」と言われたそうだ。



そして、展示は一階から回るのだが、いすゞの歴史ということで、乗り合いバスやトラックから始まったそうだ。いくつかの会社の自動車部門が分かれて合併を続けていたそうだ。



次に、ここの中心展示のジオラマ。トラックやバスが走り回る架空の街並みを寸法を正確に縮小して動かしている。確かに鉄道のジオラマよりも複雑で多様だ。走っている車は、ディーゼルエンジンで動くものと、過去に乗用車を作っていたころの車種の模型などである。



経営学でいう「選択と集中」ということで、だいぶ前に乗用車の生産を止めて、トラック・バス・エンジンそのものに経営資源を統一したということで、解説をお願いした方は、乗用車の開発をしているときに、「乗用車から撤退」という会社発表を聞いて、茫然としたらしい。ところが、タイの工場でSUVを作っていて、東南アジアで販売しているそうだ。展示されていたが、日本ではあまり売れないだろう。



そして売り上げの柱の一つが、防衛省向け。兵員輸送車が展示されていた。頑丈な車で、輸送機で運んで、所定の場所にパラシュートで落とすそうだ。落としてもこわれないように丈夫な板バネのサスペンションだ。運転席に座っただけで背中が痛くなった。

普通のトラックはドライバーの高齢化で、腰にやさしいエアサスが必須になっているのに自衛隊向けとは大きな差がある。聞いたところ、「自衛隊員は頑強だから」ということだった。背骨や腰骨も頑強なのだろうか。



そして歴代の名車として、117クーペ、ジェミニ、ベレットといった展示がある。社員のノスタルジアだろうか。

ところで、大型車の運転シミュレーターが置かれている。普通車とはまるで動きが異なる。1分運転しただけで車酔いして5分終了後にはまっすぐ歩けなくなっていた。
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一題解けなかった「一手必至100題」

2019-07-20 00:00:04 | しょうぎ
必至問題集を一冊いただいた。一手必至というので、すいすい解いていったのだが、ある問題で立ち往生した。それは第90問。何を間違えたのかというと、出題図が間違えているように見えたのだ。つまり、必至をかけるのではなく、3手詰のように思えたわけだ。何かが間違っているように思い始め、あれこれ考えたが行き詰まってしまい、結局、解答をのぞき見する。



おそらく100題の中で最も難しい問題なのだろうけど、私が詰むと思ったのは、まったくそういうことではなかった。▲1二歩、△2一玉、▲3二角までの3手詰。確かに詰んではいるのだが・・




今週の出題は、その第90問を元にして作ってみたが、それほどの問題にはなっていないような気がする。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。


さて、7月6日出題作の解答。





テーマは飛車をどうするか。9手目を生かすために、前もって飛車を捨てるわけだ。

動く将棋盤は、こちら
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石臼一本挽きとは

2019-07-19 00:00:31 | あじ
そばがまとめて届いた。時節柄お中元かというと、そうではなく、ある電話会社の株主優待で電話会社が経営している通販サイトから一品いただけるというものだった。

信州戸隠そばの太切りと細切り。そして、差別化のひとことが、「石臼一本挽き」。石臼は蕎麦の実を粉にするのに石の臼を使うということと見当がつくが、一本というのがわからない。二本というのもあるのだろうか。



知人に信州(長野県)の有名進学校の卒業生が何人かいるので、一人に聞いたところ、「馬鹿言っちゃだめだよ、いまどき臼なんかで挽いているわけないだろ」と怒られてしまった。ついでに、「こどもの頃は蕎麦畑があったけど、全滅だよ。全部輸入品。君は千葉県人だから知らないだろうけど」と追加で怒られた。千葉でも落花生農家はほぼ全滅しているが、一部、高級品を作っている。たぶん長野でもそうだろうと思うが、いずれにしても一本挽きの謎は解けなかった。二度も三度も挽き直さないということだろうか。粗挽きの粉かな?

実は、包装紙に俳句が書かれていた。


信濃では月と仏とおらがそば


この句は前から知っていて、小林一茶作と思っていたのだが、たいへんな曰くつきの句だった。

まず一茶は晩年は北信に家を構え、若い妻と愛欲生活を究めていて、そのエネルギーは、うまい蕎麦から得ていたとされていて、さらにこれも名句である「そば時や月の信濃の善光寺」を詠んでいる。さらに句集「おらが春」を編んでいるのだから信濃、月、仏、おらがそばと並べば一茶として間違いなさそうである。ところが生涯で数万の句とされる作品の中にないのである。どうも世に現れたのが明治の末期で、中村六郎という一茶愛好家の方の作らしい。

中村家は酒造家であったが、副業として蕎麦を作っていて、中村家の特産品として「氷そば」というものがあったようだ。「氷そば」というのも理解できないが凍豆腐のようなものかな?この蕎麦の宣伝のために作ったのではないかといわれている。

また中村六郎作の一茶好みとしては、この句のほか「親は死ね子は死ね孫は後で死ね」とか「何のその百万石も笹の露」とかある。といっても剽窃というのはあんまりな気もする。なにしろ小林一茶が芭蕉、蕪村と並ぶ存在とされたのは、中村六郎が世に紹介したからなのだ。

一茶作でないと言われて困るのは、全国にある一茶風の名前の蕎麦店かもしれない。一茶庵とか一茶、おらがそばというのが多いようだ。新メニューとして氷そばを登場させなければならないだろうか。

ところで、この蕎麦の詰め合わせだが6本あったが、普通のパッケージでは縦長の箱になるのだが、贈答品シーズンだとデパート等では横長の箱でなければならない。特設コーナーで横幅を強調しなければならない。サッポロビールでも傘下のエビスビールの贈答品用に、特別に季節限定ビールの種類を増やして5種類以上にして横長の箱に入れて売っている。この蕎麦も麺を縦において、両サイドには麺つゆの袋とか小箱に入れて恰好をつけている。

麺を横向きにおいて、麺を包む紙の印刷も横向きにすればいいはず。
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もう一つの放浪記『浮雲(林芙美子著)』

2019-07-18 00:00:19 | 書評
林芙美子と言えば事実上のデビュー作である『放浪記』が、その後の彼女に期待された作風を既定していたのかもしれない。『放浪記』は自己の半生をもとに第一次大戦後の世界に広がっていった社会不安の中で底辺を放浪する主人公(ほぼ自分の分身)が描かれていた。

そして大戦を経て、彼女は女流の第一人者として次々に舞い込む出版社やジャーナリズムからの原稿依頼をこなしていく。ただ、それらは小説の長さや筋立ての中に「期待される林芙美子らしさ」を求められ、自作の自由度を制限されていたようだ。その中で持病の心臓病は徐々に悪化をしていったわけだ。

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そしてマイナー雑誌から引き受けた長編小説の中で、彼女の意図する構造の中で、「ゆき子」と「富岡」という生々しい二人の主人公を書き上げるわけだ。それが『浮雲』である。大戦中にゆき子は農林省のタイピストとしてベトナムの奥地に向かうのだが、赴任する道中で、農林省の官吏である富岡と運命的な出会いをするわけだ。その後、二人は現地で関係を持つことになる。

この小説の特徴として、ゆき子も富岡も多情人間として描かれ、三角関係や四角関係が次々に登場するのだが、それらの記述の中に二人のバックグラウンドが挟み込まれ、二人とも過去の男女関係を引きずっていることがわかってくる。なにしろ林芙美子は小説のストーリーが巧いのだ。

そして敗戦。二人は東京に戻るが、富岡は病気がちの妻のもとに帰ったのだが、何しろ仕事もお金もない。ゆき子も富岡にしがみつき妊娠したり一緒に死のうと温泉にいったりするが、ぐずぐずになる。ある意味、どちらもダメ人間なのだが、すべて戦争のせいなのだ。

さらに、別の男たちや女たちが登場し、脇役は次々に病死したり殺されたりして、ついに二人とも首が回らなくなり、富岡は屋久島の森で働くことになり、ゆき子はバイト感覚で勤めていた新興宗教の金庫から現金を着服して富岡に「自称妻」として付いていくことになる。(以下省略)


すさまじい力作である。そして、林芙美子の筆は冴えわたっているように思える。1948年から3年越しに書かれた本作が単行本となったのは1951年4月。その2か月後6月に彼女は他界した。人生のおまけとして、葬儀委員長の川端康成が文学史上有名になった弔辞を述べている。
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二児の母

2019-07-17 00:00:52 | 市民A
選挙が近づいて、突然あらわれるのが、立候補者である。近くの駅前に、ある女性有力候補者が現れる。6年前の記憶を失った人のため、本人確認のため、「本人」というのぼりが傍に立っている。

のぼりを見ていると、「国際弁護士×二児の母」と書かれているものがあった。「国際弁護士」はプラス要素だろうが、『二児の母』が特別な売り物になるとは、大変な世になったものだ。

単純に「二人もこどもがいて、私は嬉しい」という意味なのか「二人も育てた子育て実績がある」ということなのだろうか。もしかしたら「こどもを二人も育てるためには、『国際弁護士』にならないとおカネが足りないのではないだろうか」と不安になる人がいるかもしれない。よくわからないフレーズだ。

余計な話だが、「国際弁護士」という用語も、不思議である。ワイドショーのコメンテイターのための用語のような気がする。日本の弁護士とかニューヨーク州の弁護士というのなら認定された資格なのだが、「国際弁護士」という資格は存在しないわけだ。もちろん仕事をしない限り「国際弁護士」と名刺の肩書に書いても逮捕されることはないはずだ。

この候補者を非難するつもりではないので、念のため。
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鍵泥棒のメソッド(2012年 映画)

2019-07-16 00:00:16 | 映画・演劇・Video
主役は3人。雑誌編集長の水島香苗(演:広末涼子)、完璧な殺し仕事人のコンドウ(演:香川照之)、三文役者の桜井武史(演:堺雅人)。内田けんじ監督。

それぞれ無関係に三つの出来事が起きる。水島は相手もいないのに日取りを先に決めて結婚宣言する。彼女の父親が重病で間もなく他界することを知っていて、親孝行のつもりだ。コンドウは例のように完全殺人のあと、汚れた体をきれいにするため、銭湯に立ち寄る。三文役者の桜井は所持金が2000円を割った段階で自殺を試みるが失敗。しかたなく疲れた体で銭湯に行く。



ところが、コンドウが石鹸を踏んで転倒し頭を打って病院に運ばれる。ふと魔が差した桜井は裸で病院に運ばれたコンドウの衣服や所持品を自分のものと交換してしまう。その後、コンドウは病院で過去の意識を失ったことを知り、自分が桜井であると思い込み、汚いアパートで演劇の本で勉強を始める。その頃、水島と出会い、交際が始まる。

一方、桜井はコンドウになりすまし、高級車に乗ったり、高級マンションで生活したり、クッキー缶に隠されていた大金を見つけ、使い始める。

しかし、コンドウ(実は桜井)にかかってきた一本の殺しの依頼電話からストーリーは動き出すわけだ。役者は殺人の計画を練るが、被害者がかわいそうで逃がそうと考えるし、桜井(実はコンドウこと山崎)は水島と一緒にベートーベンのアナログレコードを聴いたとたんに、記憶が復活。大慌てで全員が走り始めることになる。

で、この映画は、ここからが面白いのだが、一見して喜劇的に終わる。殺し屋は実際には今までに誰も殺さず、殺したことにしてターゲットの人間に新しいIDを探して逃がしてしまう。つまり両サイドから依頼料をとるわけだ。不動産取引と同じだ。

しかし、よく考えると、本当に逃がしていたのかどうかは、映画の中でコンドウが語っていたに過ぎないわけだ。なんとなく不安を感じる。こども一人が行方不明のままだ。

日本では、様々な映画賞を受賞したものの興行的にはパッとしなかった。この手の登場人物が実際には日本にいないからリアリティが足りなかったのかもしれない。

しかし、その後、隣のK国でリメイク映画が2016年に公開され、こちらは観客の評判が高かったそうだ。やはり、「できないことでも、目標をたてれば必ず実現すると信じる人」や、「利益を得るためには、周り中に嘘をついてもいいと思っている人」や、「苦しいときには死にたいと口走りながらも、他人の成果を横取りする人」の存在にリアリティがあるからかもしれない。
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大阪城失言の分析

2019-07-15 00:00:27 | 市民A
G20終幕間近の記念撮影の席で日本国首相から失言(と認めない人もいるが)が出た。

「大阪のシンボルである大阪城は、最初に16世紀に築城されました。石垣全体や車列が通った大手門は17世紀はじめのものです。150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に、16世紀のものが忠実に復元されました。しかし、一つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」


これは、かなりの問題発言なのだが、要するに安倍首相は、保守派の中でも復古主義者であるということが透けて見えるわけだ。「きょうがきのうと同じならいい。あしたもきょうと同じならさらに良い。」という考え方だ。妻の責任にしてしまったが、やはり愛国小学校の支持者だったのだろう。

大阪の「今」を象徴するなら、「梅田スカイビルの空中庭園」、あるいは外国人に人気の「黒門市場」ではなかっただろうか。



さて、弱者におけるエレベーターの効能の無視意識については、すでに批判が燃え上がったので、その他の話だが、まず首相が城の設計のことを言える立場なのか?現在の大阪城は大阪市民や大阪企業の献金で大部分がまかなわれている。国ではないわけだ。あえていえば大阪市長なら設計批判発言は可能だろうが、市長は首相の友人(と自分で思っている)なので強く責めない。

「90年前に16世紀のものが忠実に復元された」という発言は、間違い。16世紀にできたのは豊臣秀吉の築城であり(実在期間1585-1615)、大坂夏の陣で天守閣は秀頼、淀君、多くの将兵とともに灰燼と消えた。その後、17世紀になり徳川幕府は秀吉の記憶を大坂の地から消し去るため旧大坂城天守閣跡を土盛して、その上に新大坂城天守閣を建てた(1626-1665)。しかし、こちらも火事で焼失し、その後、昭和になるまで再建されなかった。天守閣が存在していたら幕末の戊辰戦争で、15代将軍徳川慶喜が新鋭の軍艦に乗って江戸に逃げ帰らず、籠城したかもしれない。

江戸時代の大坂城が焼失した時より前に江戸城は1657年に焼失し、再建計画はあったものの、諸般の理由で不要ということで江戸に天守閣は建てられなかったので、前例主義として大坂でも建てられなかったのだろう。

そして、現在の鉄筋コンクリートの大阪城天守閣だが、1931年に建てられたときには、まだ旧大坂城の研究が進んでなく、忠実に再現する気力も予定もなかった。要するに、新しい発想の天守閣のわけだ。外観上は、天守閣の上の方は16世紀型で下の方が17世紀型のデザイン。内装は、まったく軍事的ではない。

そもそも、豊臣秀吉は、朝鮮半島を粉砕して中国本土に攻め込んで、凋落傾向だった大明帝国を滅ぼして日本の都を北京にして天皇には大陸に移住してもらおうと思っていたわけだ。国際会議には不適切と思うわけだ。
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外に閉じて中に開く-安藤忠雄初期建築

2019-07-14 00:00:41 | 美術館・博物館・工芸品
東京湯島の国立近現代建築資料館で開催中(~9/23)の『安藤忠雄初期建築原図展』に行く。サブタイトルが「個の自立と対話」という難しいフレーズなのだが、個人的には『外に閉じて中に開く』と名付けてみた。それと、この資料館、行ったことがなかった。順番で言うと、都心にあって行ったことがない博物館を調べていたら、ここで安藤忠雄展が開かれていた。



三菱の施設がたくさんある場所なので、そういう建物だったかもしれないが違うかもしれない。現在は湯島地方合同庁舎の建物とつながっていて、文化庁の管轄のようだ。国立劇場と同じだ。

岩崎庭園方面から入場すると、庭園拝観料400円が必要だが、湯島天神の方から合同庁舎に入ると、無料である。ただし週末は岩崎庭園から入るしかない。

会場内は、そもそも大きなホールのような構造でドーナツ型の円形テーブルと壁面を使って、多くの図面が展示されている。基本的には、平面図、立面図、断面図の原図ともいえるデッサン、そして完成模型があるものもある。もちろん建築費の見積書はない。国立競技場の巨額設計図も、見積り無視だったのは、相手が東京都とか日本国という巨大な財布をもっていたからだろう。



一方、初期の安藤忠雄へ設計を依頼したのは、ほとんどが個人で住宅だった。住吉の長屋-東邸、松本邸、真鍋邸、冨島邸、山口邸、石原邸、上田邸、松谷邸、小篠邸。多くが阪神地区や都内の狭隘あるいは不定形の土地に最大限に居住空間を確保しようということで、コンクリの箱のような外観で、中に空間や光の取り込みをするような構造になっている。

要は、個人住宅なのだから、世間の人に対して開放的で誰でも入ってきていいです、というようなことにはならないわけだ。核シェルターみたいな外観にした反面、内部空間はなるべく広く開放的にしたわけだ。

一方、初期の10年の次に、教会をいくつか手掛けている。六甲の教会、水の教会、光の教会。そもそも教会は、外に開けているのが一般的だ。簡単には入れないのは修道院だ。何人に対してもドアを開きます、というのが普通だ。防空壕型ではいけないのだ。一方、教会の内部は、メリハリをつけないといけない。人民は平等だが神様は偉いわけだ。

本展では1976年から1991年までの図面が展示されているが、その後は公共的な美術館やホール、学校など様々な様態を希求しているようだ。直島の地中美術館は、建物の大部分が地下にあって、その内部は明るく太陽光まで導入しているということで初期の個人住宅の延長のような設計だろうか。神戸の県立美術館は、外にも中にも開かれている一方、公共空間ということで、奇抜さは少ない。

実は、安藤氏本人はどんな家に住んでいるのだろうか、と興味がある。調べてみると、冒頭に書いた個人邸の中の冨島邸(大阪市)というものを買い取って、自宅兼アトリエ兼事務所にしているようで、ネット上に画像がある。それほど情緒があるということではないようだ。
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将棋ペン倶楽部通信53号

2019-07-13 00:00:19 | しょうぎ
将棋ペンクラブの連絡誌が届いていた。ペンクラブには何年か前から入っているが、最近の傾向として、将棋研究家の方の質の高い研究成果を読むことができるようになった。今回は、意欲的な調査報告があった。

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執筆者は小笠原輝氏。将棋世界誌で将棋メシの特集をされている方だ。あまり原稿料をもらっていないのか国会図書館で資料を集めて書かれているようで、過去のタイトル戦の行われた宿泊地に足を伸ばして味を確認というよう方向にはなっていない。東禅寺や南禅寺での対局では、精進料理になったのか、違う場合は、「なぜか」というのを期待したい。

将棋ペン倶楽部誌の方では、大山名人の優勝回数の件での疑問点である。問題を整理すると、最近、通算勝ち数で大山名人の数字(1433勝)を羽生九段が超えたということになったが、その少し前に優勝回数で大山名人の44回を羽生九段が抜いた(45回)のだが、この44回という数字が間違いではないかという疑問だ。(ちなみにタイトル数は大山名人80回に対し、羽生九段は99回)

具体的には、昭和23年度に行われた最強者選抜戦で大山八段が丸田八段、松田七段にそれぞれ2勝1敗で勝ち、塚田名人との記念対局を行っている。当時は棋戦優勝者が名人と記念対局を指すことになっていて棋戦優勝にあたるのではないかということ。

次に、昭和26年に行われた時事勝継戦。規定では五人抜き優勝者は本社(時事新報)賞が賭けられ次で名人と対戦するとなっていて、塚田前名人、原田、南口、丸田八段、小堀七段に勝って木村名人と対局している。六人目の松下七段に負け、松下七段がその後も勝ち続け、5連勝した段階で優勝扱いになっている。このため、大山九段は優勝とするべきとのこと。

三つ目の例が、昭和30年の「東西対抗勝継戦」。二番目の棋戦の変形バージョンで、名人が記念対局に出るのではなく、東西対抗の勝ち抜き戦で東軍西軍のいずれかが全滅した後、負けた方の援軍として、勝ち残った相手と対戦することになっていた。そして時の名人は大山名人その人だった。この年の大会は西軍の熊谷七段の5連勝での優勝もあり、最後に花村、坂口、広津、板谷、大野と5人も勝ち残っていた。ということで、東軍のしんがりで出場した大山名人は、この5人を全部負かしてしまったわけだ。熊谷七段の5連勝が優勝扱いなら大山名人も優勝とすべきということだ。

つまり小笠原氏の調査によれば、大山名人の優勝回数は47回であり、まだ45回の羽生九段には抜かれていないことになる。追い越したと思ったら、まだだったというのは、なんとなく気が重くなりそうなのだが、それを目標とするなら引退時期が先送りになったということになるはず。ちょっと気がかりな記事である。


さて、6月29日出題作の解答。






▲1四角から▲2三銀で下に落とす。△1三玉は▲3一角成。捨て駒で決める。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。



駒が余らないように、攻守協力のこと。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ正誤判定いたします。
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肝付町からお礼品届く

2019-07-12 00:00:21 | あじ
肝付町といってすぐに場所がわかる人は多くはないだろう。平成の大合併で二つの町が合併してできた町である。鹿児島県の東側の大隅半島の中部にある。有名施設は内之浦のロケット発射場(JAXA)である。内之浦町と高山町が合併したのだが、実は他の二つの町も統合する計画だったが、結局、他の市に横取りされ、小合併となった。こういう裏切り事例は全国にたくさんある。二股交際である。

そういう予想外の展開になって、町名を決めるのも難航し、昔、ここに住んでいた武将の肝付氏の苗字を使うことになった。肝付より有名なのが二階堂家で自民党の幹事長をした二階堂進氏がご子孫だ。二階堂町にしてもよかったような気がする。いずれにしても人口は1万5千人ほどに急激に減少中。牧畜が盛んで、人間の数に牛と豚の頭数を足せば市に昇格できたかもしれない。

実際に東京からロケット基地まで公共交通機関で行くとどれくらいかかるか調べてみると、まず東京駅を8時半ごろ出発し、羽田空港から鹿児島までJALで2時間半。鹿児島空港着が12時過ぎ。空港からバスで鹿児島中央駅に着くのが13時頃。JRは30年以上前に廃線になっているので、バスに乗って2時間、15時20分に鹿屋市に着く。まだ昼食をとってないので食事をどうやってとるか悩むのだが、空港か駅かで何か購入すべきだったことに気付くだけかもしれない。そして16時過ぎのバスに乗り換え、1時間半、17:36分に内之浦に到着するが、そこは漁業の町であって、ロケット発射場はまだ先である。そこから歩いていくしかなく、徒歩50分で18時半頃たどり着く。不便な場所にあるのは、将来ミサイル発射基地に改造したときに敵国のスパイが近寄りにくくしてあるのだろう。



今回は牛肉切り落とし1500gを、お礼品として希望した。

牛肉が届いて、さっそく500gいただいたところで、鹿児島は大雨に見舞われ、肝付町も警戒レベル3で避難準備情報が出ていた。幸い人的被害はなかったようだ。

肝付町の観光資源といっても、メインはJAXAの発射施設なのだが、特に観光施設ではないので、通常は楽しいことはない。小さな声で語られるのは「人間魚雷」発射基地跡が町内にあることだが、語るべきことは多くないようだ。考えてみれば沖縄戦で米軍に負けた後、日本列島の南側から米国海軍が軍艦でやってきたときに、隣市の鹿屋からは特攻隊、肝付からは人間魚雷ということだったのだろう。

ところで、内之浦には宇宙人が住んでいるということになっているそうだ。「はやぶさ」をはじめとして各種ロケットが宇宙に打ち上げられるのを見て、小惑星に住む宇宙人が発射基地を調べたところ、魚や肉の値段が安く住みやすそうだから、レーザービームで発射場を壊滅させるより、移住した方がいいと考えて、こっそり地球人の姿に変装してアパートなどに分散して住んでいるらしい。見分け方は、年齢と生まれた年の干支を聞くといいらしい。みずがめ座とかてんびん座とか言い出したら宇宙人だ。東京天文台に相談窓口があるそうだ。

また、Wikipediaによれば肝付町出身の有名人として、二人の女優があげられていた。

一人目は、早乙女愛。映画「愛と誠」で西城秀樹の相手役として4万人の中から選ばれデビュー。翌年、「港のヨーコ・・・・」に主演。横浜か横須賀出身と思っていたが、はるかに予想外。移住先の米国で51歳でなくなっている。

二人目は榮倉奈々。現在進行形の女優で、主演作数々。「アントキノイノチ」といったシリアスな映画が多い。アクションやコメディはやらないようだ。
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