ドーナツをめぐるetc

2022-05-27 00:00:04 | あじ
先日、みなとみらいのランドマークに行く用があって、その後、足を延ばしてハンマーヘッドまで行った。横浜のハンマーヘッドは観光地だが、長崎にあるハンマーヘッドは三菱重工の敷地内にあって、世界遺産であるも一般人は近づけない。



横浜のハンマーヘッドはそれ自体より隣接する商業施設が有名で、神奈川県内の食のパークになっている。その中で、2階の一角にミサキドーナツのショップがある。先日、三浦半島先端の三崎港にある本店に行った流れで、もう少し食べてみたいと思ってみたものの本店はいかにも横浜から遠い。ということで営業6店のうちの一つハンマーヘッド店に行ったわけだ。



この店でドーナツを作っているわけではないので、本店(あるいは別の場所)から運んでくるのだろうか。余計な話だが、バイク便とか利用するのかな。一番早いのはどちらも徒歩2分で海なのでモーターボートを使えばいいのだが、あり得ないだろう。電車で運ぶのが時間的には最も早いだろうが、人間最低一人が往復することになる。



今回は、「リモーネカスタード」というのを購入する。ハンマーヘッド店限定らしい。食べる時にわかったが油で揚げてないので生地がパンのような感じで、ちょっと自分の趣味から外したかもしれない。

ところで、ドーナツに関して二つの疑問を最近感じていた。

一つ目の疑問は、ドーナツの食べ方。
多くの人は、手でつまんで食べるだろうが、手で食べるというのは、上品ではないのではなかろうか。調べていると、スターバックスではドーナツをオーダーすると、プラ製ではあるがナイフとフォークが添えられる。ネット民の声を調べると、一定数の人は、自宅ではドーナツをナイフとフォークで食べているようなのだ。スターバックスの場合はマニュアルに従っているだけだそうだ。家庭でドーナツをナイフとフォークで食べるのは、「上流階級」だそうだ。

二つ目の疑問は、1934年のアカデミー賞(作品賞)を受賞した米国映画『ある夜の出来事』の中でクラーク・ゲーブルとクローデッド・コルベールが朝食でドーナツを食べるシーンがあり、二人ともドーナツをコーヒーに浸けて食べていたこと。日本では記憶がないのだが米国ではよくあるのだろうか。

この点について、長年アメリカに在住されている「ysjournal」さまから情報をいただいたところ、相当年数の過去にはドーナツを浸ける文化があって、日本では撤退したものの米国ではミスドを吸収したダンキンドーナツのダンキンというのはダンクシュートのように浸けるという意味で、コーヒーにドーナツを浸けていた時代の命名だ、ということらしい。

そこで遠い過去に親が自宅でドーナツを揚げてくれた頃のことを思いだす。生地を延ばしてドーナツ型に型抜きしてから油で揚げる。そうすると同じドーナツがたくさんできるわけだ。ドーナツはうまいけど、同じものを食べ続けるのは飽きる。というようなことで、家庭でドーナツを揚げる。あるいはメニューの少ないドーナツ店で2個以上のドーナツを食べる場合、味に変化をつけるためにコーヒーにダンクしたのではないだろうか。ミスドでドーナツ二つ食べる場合、同じものを2個食べる人は少ないだろう。ドーナツの種類を選べるようになって、コーヒーダンクが激減したのではないだろうか。

映画「ある夜の出来事」の中でも、二人でドーナツを二個ずつ食べていた。

絹と明察(三島由紀夫著)

2022-05-26 00:00:08 | 書評
三島由紀夫の主要作品は高校生の時に読んだが、いくつか読んでいないものもあり没後50年を機に補完している。著者の作品は読者を強く突き放す作が多いのだが、なんとなくだが、主張性の弱い作品もある。分類的には「沈める滝」「絹と明察」、名作「午後の曳航」などがそうなのだろう。



「絹と明察」はある意味で企業小説のようだが、著者の小説によく登場する「未亡人」とか病弱だが病院のベッドの上から画策する人物(社長夫人)とか、政商(大物、中物、小物たち)が登場。

労働争議とか、労働災害、ブラック職場など戦後復興期の日本の闇が描かれる。

しかし、あえて言うなら社会派作家の描く「信念」とか、企業内幕小説家の描く「深い闇」というような読者への押し付けとか共感というものは感じられない。

作家三島がゼウスの神のように、人間界で起こっている醜い低レベルの争いを淡々と鑑賞して紙の上に記録するという書き方である。

そういう意味で、仮に著者が、その後に妙な思想を入手して自爆せず、ゼウススタイルで、人間の普遍的な愚かさを淡々と書き連ねていったらどうなっただろうと推測してみるのだが、おそらくそういう書物が市井の庶民にも、様々な色に染まった評論家群に評価されることはなく、逆にノーベル賞に到達したかもしれない。




ところで、本小説の中に何度となく登場する場所が、彦根城。現存12天守閣の一つで、国宝である。十数年前に登城した時の画像から二枚を参考に。



小説では現在のしゃちほこの一代前のしゃちほこが天守閣内に飾られているようになっているのだが、ネット上で所在を捜索したところ、現在は別の場所に展示されているようだ。どうして冷遇されているのか、何かわけがあるのかもしれない。

あり得ない再沈没で・・

2022-05-25 00:00:29 | 災害
KAZU1号の水深120mからの引き揚げ作業が失敗した。水深20mまで引き揚げたあと、波の穏やかな日に台船に乗せるのかと思っていたら、横方向に長距離を引っ張っていく途中に落下。今度は180mになった。港まで横移動しても、最後は台船に乗せなければ陸に上がらないように思うので、最初に台船に乗せるべきだったと思われる。

ともかく、これで良かったと思う人がいて、一人は遊覧船会社の社長。もともと業務上過失致死の刑事責任を問うのが難しいのに、さらに有罪が難しい状況になる。

流れを整理すると、海の上の事故(または事件)なので、捜査は海上保安官になる。そして容疑を固めて、検察に書類を送る。対象は個人であって法人ではないので、亡くなった船長と運航管理をしていた社長のどちらか、あるいは両者。検察は証拠や過去の沈没事例に基づき起訴か不起訴かを判断する。そして裁判になり地裁、高裁、最高裁と続く。

一方、海上保安庁は海難審判所で海難審判を行い、船長の責任を追及する。この場合、不服がある場合は高裁に進むことになる。海上保安官も海難審判所も国交省の傘下で行政組織ということで最終的には司法組織に委ねられる。

民事訴訟の対象は個人及び法人なので、ここで遊覧船会社も対象になり、船客保険とP&I保険が適用になる。もっと深く考えれば、国家の不作為ということも遠因になる。


それで、最初に戻って沈没の直接原因は何かということ。事故の要因は沢山あっても、最後にこれがあれば事故にならなかった、という事案が直接原因となる。

そうなると、強風で転覆したのなら強風でも出航したことに問題があるのだが、そうでないことはわかっている。船底に穴があるなら座礁ということになる。その場合は操船ミスを冒した船長の責任だ。

さらに船体検査の時に、船尾側に1.5トン分の砂袋をバラストとして積載していたにも関わらず、船長は砂袋を陸揚げ(除去)している。砂袋の大きさはわからないが、何回にも分けて運び出している。本来ならパーマネントバラストといって1.5トン分のコンクリの塊を乗せるので、重くて運びだせない。砂袋を降ろしたために船尾が軽くなり舵が聞かなかったり、プロペラが水中から出てしまい、操船不能になったのかもしれない。もっとも地元では「潜水艦」と呼ばれていたとも言われ、1.5トン重くした場合、逆に危険だったのかもしれない。つまり浮かんでいるだけなら合法でも航行は難しかったのかもしれない。

ところで、国交省の責任という声はチラホラしか聞こえてこない、あえて遊覧船会社がさまざまな違反をしたと発表しているが、報道の通り、検査制度や認可制度はひどいものだ。真相が明らかにならなければ責任の所在も見えてこないわけで、うやむやになることも考えられる。

盗まれた道標

2022-05-24 00:00:04 | おさんぽ
港北ニュータウンの開発は30年ほど前から逐次進んでいるのだが、周囲にはそれ以前から存在した文化遺産や歴史遺産が残っている。ニュータウンの土地の中にもそれらの遺産があったのだろうが、土地の謄本を見ても何もわからない。地図から消された歴史だ。

ということで、周辺を歩くといくつかの見物がある。さらに地元愛のある有志が歴史をコツコツと調べている。

今回見つけたのは、盗まれた後に再建された道標とそれに並ぶ馬頭観音。



場所は江戸時代に荏田宿(えだじゅく)として栄えた場所の近く。荏田宿は江戸時代のミニ旅行先だった伊勢原の大山神社に向かう大山街道の宿場町。大山街道は現在の国道246号線、あるいは東名高速。いまでも三宅坂から渋谷を抜け、大三叉路の三軒茶屋で南側の道を進み、多摩川の渡しの先、西へ西へと進む。

もう一つの主要道路が中原街道。東海道の茅ヶ崎から北上し、右往左往して荏田宿付近まできてから急に向きを変え現在の東京の五反田のあたりに繋がる。中原とは川崎市のJR武蔵中原駅のあたりである。こちらは平安時代からの主要道だった(とはいえ、目的地の江戸は平安時代はたいした集落ではなかった)。

そして道標だが、文政九年四月吉日に鮫島喜左衛門が設置したのだが、平成二十四年三月に盗難にあい、結局みつけることができなかった。道標盗んでどうするつもりだったのだろう。再建にあたってはほぼ原形を再現したということだ。全国各地で古い道標を見たことがあるのだが、ほぼ四つ角にある。(誤解ないように書くと、盗んだのは私ではないから)四方向の代表的行き先が刻まれていることが普通だ。三軒茶屋のように茶屋があることも多い。

復刻された道標だが、四面に行き先が刻まれている。

正面(西) 坂へのぼれバゆのき/左志ぶさわかながわ

右面(南) ちがさき/川さき

左面(北) ゑだじゅく/くわんおん

東面(東) 大だな/江戸

どうみても四方向だが、現在の場所は四つ角ではなく南北の直進道路沿いで、東西方向の道から300mずれている。洪水多発地区なので、道筋が変わったのではないだろうか。

ゆのき=近隣の柚木交差点付近か。坂はないが。志ぶさわ=渋沢、ちがさき=茅ヶ崎(この近くに横浜市の茅ヶ崎という場所がある。奇妙なことにこの横浜の茅ヶ崎と湘南の茅ヶ崎市は中原街道で結ばれている。(横浜駅からタクシーに乗る場合、「茅ヶ崎まで」と迂闊に言ってはいけない。ついでに横浜駅の近くに軽井沢という場所もあるが、横浜駅からタクシーで長野県の軽井沢に行く人はいないだろうから危険は少ない。)ゑだじゅく=荏田宿、くわんおん=観音だろう、場所を調べた結果、荏田宿に近い真福寺の千手観音像(立像160センチ高)が収蔵される観音堂のことだと思われる。江戸時代には、真福寺ではなく観音堂と呼ばれていた。おおだな=大棚。近くにそういう地名がある。

この隣には文字が消えかかった角柱が二柱ある。中央の石はもう文字が見えない。右側の石柱は馬頭観音といわれる。馬の文字がなんとか読める。猿田彦と馬頭観音は旅の守りで、重要な場所にはよく存在する石碑だ。明治三年に設置されたままだ。文字もほとんど消えそうだ。盗人も見逃している。道標泥棒についでに盗まれていたら新品に建て直されただろうか。

川端康成書簡(11通)

2022-05-23 00:00:43 | 書評
新潮社の先代社長の佐藤亮一氏あてに川端康成・谷崎潤一郎が送った書簡が書評誌『潮22年5月号』で公開された。一応、没後50年。

kawabata


書簡というのは、AからBに送ったものにBからAに返事を書くものが対で公開されると意味がはっきりするが、片方が捨てたり、返事を書かなかった場合もあるだろうから解読作業が必要な時もあるだろう。

川端発の書簡は11通。手紙と言っても、まず紙については4種類。便箋と絵葉書、原稿用紙、巻紙。筆記具はペンと毛筆の2種類。原稿用紙の場合は必ずペンで巻紙の場合は毛筆。

少し目をうたがったのは、昭和32年12月23日の書簡。鎌倉の長谷の借家から速達で送られている。便箋に毛筆である。

拝啓 例によりましてこの年末もまた四拾ほどお願ひ出来ましたら助かります。週刊の稿料いただいたばかりですが・・・・

四拾ほどというのは40万円ということだろうか。その後に原稿料をもらったばかりで・・と続くのでおカネのことだろう。40というのが40円ということはないだろうし、40億円ということでもないだろうから40万円ということになる。

「雪国」はじめ多くの名作を世に出していた川端康成が毎年の暮れになると新潮社に40万円の借金をしていたということだろうか。

そして、もう一つ謎の手紙が昭和37年9月1日のもの。便箋に毛筆。

拝啓 いつも勝手な時に救ひをもとめ御無理をお聞きとどめいただき厚くお礼申し上げます。お陰様で売買契約をあの翌々日かにすませ山小舎へ参る事が出来ました。・・・


鎌倉市長谷に借りていた土地や住居を買い取ったことになる。25,000,000円。5年前に40万円借りて人が、ずいぶん出世したものだ。

横浜市歌と森鷗外

2022-05-22 00:00:41 | 音楽(クラシック音楽他)
横浜市民になってかなり経つが、生まれは他の場所。そういう人は多いはずだ。自分の記憶の中では横浜市の人口は3倍ぐらいになったはずだが、東京都の人口は1.2倍くらいではないかな。

東京には「江戸っ子」という言葉があって、下町に三代住んだら江戸っ子の資格があるともいわれる。ただ、下町の定義が今一つ明確ではなく、上野は下町だが京橋のあたりは下町ではないような気もする。広義に考えれば下町条件をはずして西端が新宿位までだろうか。

横浜にも「浜っこ」という単語があるが定義がはっきりしない。横浜生まれと言い切ればいいが、こういう話を聞いたことがある。

「横浜市歌を歌えるかどうか」を「浜っこ」の踏み絵にすべきだ。

いまどき、小学校から市歌を覚えさせようとは、(国家主義のような)市民主義のような気がするが、どういうわけか人気がある。明治42年(1909年)に完成した市歌も、それほど盛り上がったわけでもないのだが、この市歌を大々的に盛り上げたのは、なぜか革新市長だった飛鳥田市長。昭和41年(1966年)専門委員会を立ち上げ様々なキャンペーンを張って市民の耳に押し込んだわけだ。そのあたりの理由はよくわからない。

当初は無理やりだったのかもしれないが、君が代のように「短くても歌いにくい」の逆で「少し長いが歌いやすい」ことと、歌詞が、横浜の自画自賛という心地よさが支持を受けたのだろう。(元々はト長調だったものを1966年に高音部を歌いやすいように変ホ長調版とヘ長調版の二種類に移調している)



歌詞の意味を短縮すると、
1. 日本は島国なので、世界中から船がやってくる。
2. 日本にはたくさんの港があるが、横浜港が最高だ。
3. 昔(開港以前)はボロ家しかなかったが、今は10万隻(百千隻)の大貿易港だ。
といったところで、横浜市民以外の国民からすれば、「たわけたことを言うな」と言いたいところだろう。

古くて恐縮だが2008年(平成20年)横浜市民の好きなご当地ソングというアンケートでは第4位だった(1位はブルーライトヨコハマ、2位は赤い靴、3位はヨコハマたそがれ、5位は港のヨーコヨコハマヨコスカ)。また、横浜ベイスターズの応援歌でもある。

ところで、ここからは森鷗外の登場である。

市歌の作詞作曲だが、作詞は森鷗外。作曲は南能衛(東京音楽大学助教授)。明治42年の段階で鷗外は47歳、南は27歳と年が離れていた。鷗外全集によれば、横浜市長の代理として三宅成城が鷗外に頼みに行ったのだが、突然の話ではなく東京音楽大学から事前に鷗外に依頼が行っていたようだ。

3月に打診があり5月に三宅が相談に行っている。そして6月6日に鷗外が音楽大学に行き、初めて曲を聴き、直ちに詞を付けたそうだ。即興詩人ということだ。

そして、手順は超速で進んでいく。なにしろ、市歌創作には理由があったのだ。市制50周年だった。式典は7月1日と押していた。


ところで、この明治42年は鷗外にとって、人生の転換点の年だった。元々、作家であり陸軍の軍医という二股人生をあゆんでいたのだが、この年に文芸誌「スバル」が創刊になると活発に創作を再開する。市歌を発表した7月には東京帝大の文学博士号を授与される。さらに7月号の「スバル」に掲載された「ヰタ・セクスアリス」が発禁処分を受け、勤務先の陸軍省からも処分を受ける。

明治43年には慶応大学に職を得、「三田文学」でも発禁処分を受ける等、抵抗する文学者に変貌していき、明治44年には陸軍省を退職する。

つまり明治42年の6~7月は鷗外にとって人生にとっての大転換点にあたるわけで、鷗外流の何回も推敲を重ねて完成させるという時間の余裕はなかったわけだ。即興詩人ではなく速攻詩人だったわけだ。

作詞報酬があったかどうかははっきりしない。市の記録には費用が記録されていて現在金額で100万円程度だろうか。ただし本人が受け取ったかどうかは不明。お礼に銀製の煙草盆が送られている。鷗外の気持ちの中に、既に近々陸軍を退職し作家一本でいく気持ちが固まっていたなら生活費の不安もあっただろうから受け取ったような気もする。さらに勘ぐれば、退職のために仕事を受けたとも思えないでもないが、そうなるとその後の鷗外の名作の数々は横浜市歌の仕事がなければ存在しなかったということになる。

時間攻めさせる技

2022-05-21 00:00:32 | しょうぎ
名人戦第三局で渡辺名人が局面でも持時間でも圧倒的有利だったものを途中から緩手が続いて挑戦者に逆転されたことにつき、「もしかしたら、時間攻めしようと指し急いだのでは」と個人的推測を持っているのだが、実は以前所属していた会社の職団戦チーム内に「不利になると時間をギリギリまで使って、相手の時間攻めに伴う悪手を誘発させる」ことを得意にしていた同僚がいた。

当時の職団戦はAクラスとBクラスは30分切れ負けルールだった。2000名もの参加者がいるので、切れ負けルールにしてトーナメントを進めなければ大混乱になるだろうからしかたなかっただろうが、秒読みがないので、各自の持ち時間管理はきわめて重要。相手の残り時間が15分なのに自分の持ち時間が2分とかなると手を読むというか相手の手に即座に対応しても勝ち目がなさそうだが、同僚はそこから強かった。ようするに相手を時計の叩き合いに引き込むのが上手かったわけだ。

その後、その同僚は慢性の疾患で入退院を繰り返しはじめ徐々に病に追い詰められていた。一方、私は会社からサヨナラし、その後の状況は知る由もないが、将棋同様に切迫した最終盤で逆転しているのだろうと予感している。

もっとも、彼が時間切れ寸前まで自分を追い込んでいたのが作戦としての故意だったのか、単に追い詰められていただけなのか、よくわからないのだが。


さて、5月7日出題作の解答。








今週の問題。出題記録のない過去作をさらに改造したので同一作はないとおもう。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

最近のニュース雑感

2022-05-20 00:00:44 | 市民A
「雑感」など書きたくないのだが、大事件でもまともな報道がないので推測のようなことを書いてみる。

1.4630万円
 容疑者の口座に振り込まれなければ、逮捕されることもなかったわけで、まったく罪な話だ。もっとも役所のお金の管理は結構いい加減で、私も市の仕事を少しだけやっていて、きわめてわずかな振り込みを受けているが、よくわからないお金も振り込まれてくる。確認すると、精算分とか言われたり、調べてもわからないとか言われることもある。誰が支払いを入力したかもわからないとか。数千万円もあれば色々と考えるかもしれないが1000円位の話なので放置している。

ネットカジノで蒸発したと供述しているそうだが、ネットカジノの構造を知らないので邪推かもしれないが、方法はネット上かもしれないが、彼から全額を巻き上げたのは、特定の人間ではないかと思いたい。それも、彼の友人とか。あるいは彼そのものの別口座を持つ本人ではないだろうか。そもそも当初、「全額動かした」と言っていた。「使った」ではなかった。

2.トルコの思惑
フィンランドとスウェーデンのNATO加盟に横やりを入れているのがトルコ。スウェーデンがクルド人独立運動を支援していると言っている。ただ、クルド人の国などができるはずはなく、さらにトルコとロシアはクリミア戦争を戦った宿敵だったはず。クルド人よりロシア人の方が痛いのは自明だろう。

ということは、何らかの条件闘争をしたいということだろうか。

一番はトルコのEU加盟だろうか。棚上げされている。本音は人口大国だし主たる宗教も違う。そもそもトルコは欧州ではないとEU側と思っているだろう。

3.知床観光船
まず、26人の犠牲者ということだが、忘れてはいけないのは乗客の定員は65人だったこと。満員だったらどうなっていたのだろうか。

それと、乗客には一人1億円までの船客損害賠償保険が掛けられているが、2000万円のご遺族には2000万円ということで一人一人の金額が決まるのである。つい最近までは一人3000万円しか掛けていなかったそうだ。余った枠で引き揚げ費用にしたりは絶対にできない。

というのも引揚げ費用の保険はPI保険と言われていて、別の保険である。引き揚げ費用は航路上の邪魔になる場合で公的機関からの指示に基づいた場合に限られる。一方で、救助やご遺体の捜索にかかわる費用は保険の対象内になる。現在、潜水士の方が捜索中で、発見されれば船体引揚げの名目が事故調査から捜索費に変わるので保険対象になることも考えられる。

ギフトカード詐欺

2022-05-19 00:00:25 | 市民A
博報堂といえば、広告業界では1位とは大きく離れているがシェア2位の老舗であるが、グループ企業の社員に不正(詐欺)があった。

ギフトカード10億円分を詐取容疑 博報堂子会社の元社員を逮捕(Yahoo NEWS)

印刷会社にうその発注をして10億円分のギフトカードをだまし取ったとして、警視庁捜査2課は11日、広告大手博報堂グループの「博報堂プロダクツ」(東京都江東区)元社員、K容疑者を詐欺容疑で逮捕した。容疑を認めている。

逮捕容疑は2020年11月、当時勤務していた博報堂プロダクツからの発注を装い、都内の印刷会社から5000円のギフトカード20万枚(10億円相当)をだまし取ったとしている。捜査2課によると、K容疑者は「取引先の大手自動車メーカーでリコールが発生し、おわびのために配る」などの名目でギフトカードを発注していたという。

捜査2課はK容疑者が16年から同様の手口などで偽の発注を繰り返し、計約250億円分のギフトカードを詐取したとみている。同課によると、そのうち約4億円を個人的に使い、残りの多くはうその発注をした会社への支払いに充てていたという。K容疑者は「趣味のモデルガンや車のローン返済に充てた」と供述している。

発注先からの問い合わせで不正が発覚し、博報堂プロダクツは21年1月にK容疑者を懲戒解雇した。同社は11日、ホームページに「厳粛に受け止めている。社員への教育と業務フローの改善の徹底を図る」とのコメントを出した。


当初、事件の概要を把握できなかった。250億円の詐欺のようにも読めるし、10億円のようにも読めるし4億円のようにも読める。ギフトカード250億円を発注し、金券ショップで全部換金して何かに使ったのかと思ったが、車のローンとモデルガンとしたら250億円は多すぎる(いや4億円でも多すぎるし、車をローンで買ったりしないだろう)。

いくつかのニュースをつなぎ合わせるとやっと見えてきた。主に以下のようなことだろう。

ギフトカードの会社がどこかよくわからないので、仮にJカードとする。主に10億円を発注したようなので、1回の注文額を10億円。つまり25回行っていたと仮定してみる。

まず10億円のギフトカードを発注する。代金支払いは1か月ほどあるのだろうか、犯行は5年にわたって行われていたので年5回発注していたことになる。その現物を手に入れると金券ショップに走り換金する。おそらくカード会社は額面を請求する。カード会社の利益は、金券を使った最終小売店等からのマージンから発生するのだろう。ゴルフの会の幹事の時にギフトカード買った時は額面額だった。

それで、金券ショップで2%程度割引されて得た現金をカード会社に払う間、1か月ほど手元に10億円近くが残っている。ところが一回だけ行った場合、2%程度の手数料の損が出るわけで、容疑者は更に10億円のギフトカードを購入する。

つまり、よく言う『自転車操業』だ。前輪が収入で後輪が返済。収入>返済なら利益が出るが、本件の場合、必ず収入<返済となる。数%の差があるはず。結局、5年間頑張ったものの後輪が前輪より大きくなって返済に穴が開いたということだろう。

つまり損害はカード会社に出ているはずだが、詐欺ともいえるが、いわゆる「売掛金が焦げただけ」とも言える。


構造がわかったものの、実際には発注とかギフトカードの郵送先とかカード会社への振り込み名義とか各所に容疑者のノウハウがあるのだろうと推測される。

自分でギフトカードを偽造するなら、返済先はなくなるので、丸もうけできるのだが、それでは罰がかなり重くなるだろう。偽札に近いわけだ。


当初、偽札そのもののように思えて、偽札の歴史を調べていたのだが、中には印刷所に本物の札を発注するという荒業を使ったポルトガル人もいたわけだ。大蔵省の役人を装って、印刷された新札の札束を印刷代だけ払って手に入れたわけだ。あまりにも大きな金額だったので本物の大蔵省の役人と勘違いしてしまったそうだ。その後、ポルトガルにはインフレが襲い掛かったわけだ。

それと、使途がモデルガンか・・

世間には「拳銃の分解掃除」が趣味という人もいるらしい。モデルガンより高尚な趣味に思える。

凍てる指(江宮隆之著)

2022-05-18 00:00:58 | 書評
伝記作家である江宮隆之氏が伝説の女性俳人である鈴木しづ子の波乱の前半生の謎を一つずつ明らかにしていく書である。実際に源データの乏しい人物の伝記を書くのは難しい。それも人の記憶も薄れていき、また次々と他界していくわけで、さらにしづ子は様々な理由で居住地を変え、あえて身分を明かさないようにしていたこともある。



鈴木しづ子のことを知ったのは文芸雑誌で紹介された「夏みかん酢っぱし いまさら純潔など(鈴木しづ子句集 川村蘭太評伝)」を読んでからで、その本の中に江宮隆之氏による伝記の存在が記されていた。

彼女の第一句集『春雷』(1946年)は体の中に湧き上がる情念を自分の世界から外に吹き上がるような激しさがみなぎっていて、第二次大戦後の文学としては最初のベストセラーになったと言われる。しかし、彼女の恋愛の対象になる男性は、次々に不幸に見舞われて亡くなっていく。

そして、第二句集『指輪』(1952年)が発表された後、彼女は消息を絶ってしまった。その後、同一人物をうかがわせる北海道の女性のことが話題になったが、別人とのこと。

本書の中では、戸籍上は彼女は生きていることになっているとのこと。103歳になるはずだ。

本書は、鈴木しづ子だけではなく、「大正の啄木」といわれる富田木歩の伝記も並べられている。1919年生まれだが、生後一年で罹った病気により生涯歩行困難となった俳人の短い一生が書かれる。彼もまた周囲のほとんどの人物が様々な理由で亡くなっていた。そして俳人として世間に名を知られるようになったとたんに関東大震災に遭遇し、墨田川の川辺で焼死してしまった。

俳句の多様性というか、激しい心模様を表出する鈴木しず子と、生活苦を淡々と描写する富田木歩と人さまざまであるが、俳人は生きるのが大変なのだろう。