3.11 時のイコン(六田知弘写真展)

2013-03-31 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
3.11から2年が経ち、もちろん被災地に住んでいた人たちは、すべてなにがしか人生の方針が変更となり、被災地に住んでいなかった人たちも、それぞれ心の落ち着きが戻っているのだろうが、その二つのグループの間を、いまも行き来している人たちも多い。

相田みつを美術館で開催していた『3.11 時のイコン-六田知弘写真展(東日本大震災の記録)』。

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まず、驚いたのは、写真家が現地を訪れたのは震災後3週間だったということ。そして、本来はカメラを通して気持ちを伝えるべきプロが、「写真を撮れなかった」と回想していること。写真を事実報道として伝えるべき報道カメラマンすら何を写すべきか何を写さざるべきかを迷ったような事態の中で、被写体と作品の間にアートの心を入れるべき立場として、心の整理がつかないままカメラの乱れ打ちみたいなことはできなかったのだろう。

その後、数ヶ月おきに現地を訪れ、風景と言うよりもむしろ、既に誰のものとも言えなくなった置き忘れられた日常品たちの画像を収集することにより、地震の記憶とすることに写真家の方針は決まっていく。

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それらの遺された物品は、その瞬間までは、所有者の明確な衣類であったり愛用品であったり、記念品であったのだ。そして、その瞬間から後は、所有者の手を離れ、それぞれ別々の運命を辿ることになったわけだ。
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将棋戦国史(斎藤哲男著)

2013-03-30 00:00:49 | しょうぎ
sengoku『将棋戦国史』。副題を「天才棋士たちの系譜」として斎藤哲男氏の著書である。何しろ文章が冴える。だいたい将棋の解説というのは月並みなコトバを並べることが多いのだが、斎藤氏はそういうところに拘りがあるのか、読んでいて表現の下手さに胸を詰まらせるようなことはない。高尚にして、安易に崩れない。

それで、将棋史を「江戸」、「明治」、「関根対阪田」、「木村登場直前の嵐」、「木村義雄」、「大山対升田」、「大山時代の名匠」というように分類している。

そして、江戸の時代では「三家間の争い」、「家元対民間棋士」、「関根、木村、大山という勝組に対する多くのビッグチャレンジャーの苦闘」というような対立軸でみていく。

そして、争いは盤上にとどまらず、いつの時代もマスコミや政治家などを含めてややこしくなっていくもののようだ。

現在の棋界も、米長×中井という闘争の延長の中にあるのだろうが、この100年の歴史を振り返れば男子プロだって分裂してもおかしくないわけだ(現に囲碁界は分裂している)。たとえば、将来、名人と竜王の二冠を持った男が、「私、本日をもって独立します」とか言い始めて新団体を興して、名人位と竜王位を持って行ってしまうことだってあるかもしれない。かといって、名人を追放して名人戦の敗者に新名人を名乗らせるわけにはいかないだろう。

名人就位前に、「1年間、脱退しません」とかサインが必要になるかもしれない。


さて、3月16日出題作の解答。

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▲3一金 △2二玉 ▲3三歩成 △同玉 ▲4四銀 △2二玉 ▲3二金 △同玉 ▲1二竜 △2二銀 ▲3一金 △4二玉 ▲2二竜 △5一玉 ▲4一金 △同玉 ▲5二銀まで17手詰。

動く将棋盤は、こちら



今週の出題。

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手数のヒントはなしなので、ゆっくり考えてください。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。





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マヒマヒバーガー

2013-03-29 00:00:28 | あじ
横浜都筑区センター北駅の近くの小型モール“yotsubako”にあるハワイアン料理店に行く。

実は、店名が長いというか、長過ぎる。途中で息継ぎが必要になる。
ムウムウダイナーファインハワイアンキュイジーヌ Yotsubako店

別に女性店員がムウムウを着ているわけじゃない。ただし、声の大きな男性店員が、「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」とか言う代わりに、「アロハ!」と大声で怒鳴っている。頼むからやめてほしい。ハワイじゃないのだから。

で、注文するにあたり、色々と考えた結果、マヒマヒバーガーセットを注文。

ハワイに行ったことはあるが、マヒマヒという白身魚を食べた記憶がない。だいたい、どんな魚か見当がつかない。

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なんとなく、単にフィレオフィッシュバーガーを1000円で注文したようなものかもしれない、と後悔を始めた頃に、ディッシュが登場。見かけは大型フィレオフィッシュだ。まとめて食べようとすると、顎が破損するのは明確なので、指でちぎりはじめると、べとべとになってしまう。結果、フォークがあるのにバーガーもオニオンもポテトも全部指で食べることになってしまった。

味は、カレイの縁側みたいに、脂が乗った味である。なんとなく味が濃厚なところからグロテスクな魚体を想像するが、それ以上思いつく思考根拠を持っていないし、スマホで検索しようにも、指がギトギトべとべとである。


後で、調べると、悪い予感が当たった。シイラのハワイ語だった。どうもハワイでは高級魚らしい。

siira


以前、堀江健一氏の『太平洋ひとりぼっち』を読んだ時、「航海中に釣れた魚はシイラばかりで、まずいので全部捨てた」というような話が書かれていたような記憶がある。

冬の鍋に入れるといいかもしれない。ハワイに冬はないけど。

アロハ!
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明治百話(下)篠田鉱造著

2013-03-28 00:00:27 | 書評
meiji100ge『明治百話』の後半。前半の冒頭は、首切り役人の話だったが、後半スタートは、同じ斬るでも、髪の毛のこと。断髪令によって神風が吹いたのが、髪切屋である。

何しろ、ちょんまげやら、なにまげやら、日本人は、一番偉い人から底辺の人まで、みんな髪を結っていた。だいたい床屋というのは、「髪結い」だったわけだ。それが髪切りに名称変更になる。首は斬るものから縛るものに変わり、髪は縛ることから斬ることになった。

といっても、西洋風の鋏があったわけではなく、長い髪を切り落とすにはずいぶん器用が必要だっただろう。最初はいさぎよくなく解いた髪を下の方だけ切りそろえて帽子のようにする人が多かったようだ。

それと、現代の床屋は、客が店を訪れるのだが、明治の初めは、床屋が、客の家に行って切ることもあったようだ。

それとサムライ。旧殿様が元家来に髪を切れといっても、なかなか言うことを聞かなかったそうだ。特に官軍側の藩が抵抗したらしい。(その気持ちは、よくわかる。負けた方は、さっさと過去を捨て去って新生活にむかいたいものだ)

そして、旧大名屋敷に招かれると、集団断髪式みたいなことをやっていたそうだ。まるで忠臣蔵の集団切腹みたいなものだ。チョキチョキチョキチョキ。


三越の話も面白く、「小僧心得」といって、店員教育の小冊子があるそうだ。要は客の見極め方。感心するのは、「買いそうもないお客を大切にする」という精神。今でも同じなのだろうか。「釣った魚にえさは要らない」と心得る。


ところで、岩波文庫で上下巻で600ページにわたるのだが、特に明治の文章が読みにくいということではないのだが、どうしてなのだろう。あまりコトバは変っていないのか、古いものばかり読んでいるうちに明治語も苦もなく読めるようになったのか、あるいは、加齢によって頭が硬化してきて、明治的思想になってしまったのか。それでも昭和主義者よりはましだろうか。真相はつきつめないことにする。
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明治百話(上)篠田鉱造著

2013-03-27 00:00:12 | 書評
『幕末百話』をまとめた篠田鉱造氏の『明治百話』。岩波文庫で上下二巻である。江戸から明治にうつった明治元年から明治15年頃までの話を、直接庶民から聴き取りまとめたもので、非常に貴重な資料である。前作の『幕末百話』は時代小説を書くときの参考書のようになっているのだが、本著も同様なのだろう。

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百話のうち、第一話が凄い。

首切り一族、山田朝右衛門のインタビューである。ご承知のとおり、朝右衛門は、幕府公認の処刑執行人だったのだが、幕末を過ぎても新政府の捕まえてきた罪人や政治犯の首をバサッバサッと落としていたわけだ。

有名人では米沢藩の雲井竜雄、大久保利通暗殺犯の島田一郎。その他にも女、子供を含め、大人しい者から抵抗する者まで首の切り方を各種紹介しているわけだ。

無実の罪を訴え、暴れる男を斬ろうとして、誤って押さえつけている官吏を斬りそうになって、あわてて縛り紐をほどき、逃げ出しかけたところを斬りまくって全身が血の雨で染まった話などだ。

そして、ついに明治14年7月24日をもって、刑法上の斬首刑が廃止になり、お役御免になったそうだ。その後の山田家の動静は、書かれていない。

もっとも、そういう荒っぽい話ばかりではなく、艶っぽい話も混ざっているのだが、艶っぽい話も荒っぽいことが多いようだ。まあ、明治の初めは、そう住みやすい時代ではなかったような感じだ。
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眠りをひもとく

2013-03-26 00:00:33 | 市民A
kurasi無印良品の小冊子「くらし中心」に「眠り」をテーマとした小論文が掲載されている。

どうせ、最後はベッドか枕の販促につながるのだろうと思っていたら、そういうことではなかった。ということで、大変面白い話が多いのだが、ます「夢」について書かれている部分があった。

夢にも睡眠のタイミングによって性質が異なるようで、レム睡眠直後の夢というのは体に力が全く入らない状態で見る夢で、生存のためのシミュレーションを行っているそうである。例えば猫であれば夢の中で餌を獲る練習をしていたり、人間でいえば危機管理のために失敗対応の夢を見ることが多いそうである。落下する夢が多いのも、このタイミングの夢の特徴のようだ。

この状況の検証のために、被験者がレム睡眠に入ると、揺り起して、「今見た夢は?」というような実験をするそうだ。そして、この状態と言うのは脳が起きても、体は眠っているという状態、つまり「金縛り」状態になるそうである。


もうひとつ、眠りの話の中で、おもしろいのが、目覚めと寝入りの件。

目覚めるためにしている工夫というので、一番は、意外にも「外の光が入るようにしておく」で、66%。

一方、眠るための工夫の一番は、「入浴」で61%。これも意外だ。自分的には入浴してから眠るまでには数時間ある場合か、入浴する気にもなれないほど眠い場合かどちらかで、基本的に睡眠と入浴の因果関係は感じていない。

そして、居眠りの話。

いつも、午後眠いという人は36%。週に2、3回眠い人は35%もいるそうだ。眠気は感じないという人は、わずか9%ということだそうだ。

さらに、会議で居眠りが多いのは日本の特徴で、海外の会議で日本人が居眠りをして顰蹙を買うことが多いそうだ。

その原因として、「その場にいること」「参加していること」が大切とする日本人独特の気質が影響しているのではないか、とのことである。つまり眠ければ、カフェにいってお昼寝でもして会議を欠席しなさい、ということなのだろう。
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TPPでコメが安くなってもいいのでは

2013-03-25 00:00:09 | 市民A
今や釈然としないのが、TPP。前の選挙では、TPP推進といっていたのは野田前首相であって、自民党は消極的だったし、さらに遡れば、消費税反対だった民主党が政権について、消費税率をアップした。早い話が、経済なんてなるようにしかならないわけで、TPP以外に貿易国家を続ける方法はないだろうし、消費税を上げないわけにはいかないだろうし、アベノミクスといっても、どこかで「一か八か政策」にでなければならなかったのだろうから、こうなるのも必然的だったのだろう。

それで、問題は農産物というか「コメ」と「乳製品」ということなのだろうが、参加国の中で、「乳製品」については、元々の交渉国間でも利害関係が複雑なので、そう簡単に決まるわけでもないのだろうけど、コメについては、日本だけが騒いでいるわけだ。

しかし、結局のところ、日本の農業世帯というのは国民の3%しかいないわけだし、そうなったのも保護政策の結果であるわけだ。結局、国内の競争だけでもコメの値段は下がってきたわけだし、最も問題なのは、「コメが高い」ということなのではないだろうか。

コメ作を守るという、費用対効果の小さな政策を追う結果、本当におカネのない人まで高い米を買わなければならないわけだ。コメやパンが安く買えるなら、おカネがなくたって、なんとかなるのだから、安い価格の外国産米が流通していてもいいのではないだろうか。

日本のコメが高い最大の理由は、生産者一人当たりの収量が少ないことなのだから、農民が減って大規模化した方がむしろ競争力が増すわけだし、国際経済学的にいえば、TPPの結果、日本が農業から工業へ人口シフトするはずで、特に失業者が増えることにはならないはず。

コメの問題にしても、もっとも競争力の安い(というか人件費の安い)中国やインドはTPPでは仲間はずれなのだからたいしたことが起こるわけはないはずだ。
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東京オリンピック1964デザインプロジェクト

2013-03-24 00:00:58 | 美術館・博物館・工芸品
近代美術館で開催中の『東京オリンピック1964デザインプロジェクト』へ。



2020年の夏季オリンピック候補地は3か所に絞られている。イスタンブール、マドリード、そして東京。

決定は9月7日のIOC総会(ブエノスアイレス)ということ。

若い人に聞くと、東京オリンピック(1964年)の時には生まれていない、ということが多い。そういう私も、ほとんど覚えていない。なんとなく、白黒テレビのイメージもあるが、記憶の中にはっきりとした映像は残っていない。

ということで、展示会へ行ってみると、色々と思いだしてきた。統一デザインが各担当デザイナーに割り振られていたそうだ。

外国人選手がスタートを競う短距離走のポスターのモデルは、在日外国人選手だそうで、少ない予算で作ったようだ。


もちろん、2020年の東京開催を念頭に入れての企画なのだろうが、実際のところ、どうだろう。

マドリードについては、バルセロナで1992年に開催していて、国としては28年後の再チャレンジである。東京は1964年以来ということで、56年ぶりということになる。しかし、日本は1972年の札幌、1998年の長野と2回も冬季五輪を経験しているのだが、プラスなのかマイナス。

で、調べていて新たに発見したのは、1940年のこと。世界大戦争開戦前夜である。日本が東京オリンピックを返上したことは知っていたが、実は冬季オリンピックを札幌で開くことになっていたようだ。同年開催である。今よりも国力が大きかったのだろう。
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将棋コーチ制度の破綻

2013-03-23 00:00:51 | しょうぎ
今、将棋普及指導員という資格を将棋連盟から拝命している。一応、将棋を指導するための能力を認められているわけだ。ただ、それでは将棋連盟から給料が出るかというと、まったく逆で、払っているわけだ。このあたりの制度はまったく不思議だが、理由づけの前に、「払うおカネがない」ということなのだろう。その結果、免許皆伝権みたいになっていて、アマ三段までの免状を認可することができる。

といっても、認可に伴う「謝礼」を受け取ることができるわけでもない。連盟のホームページには定価が書かれているわけだし、たとえうまくやっても大金を得られるわけでもないのだから、さらに不思議だ。

そして、もっと奇妙な制度があったのが、「将棋コーチ」。簡単にいうと、普及指導員のアシスタントなので、学校などで指導する時に、不審者ではない証明として、連盟が認めていた。つまり将棋を指せなくてもよかったわけだ。大盤の手伝いとか、小学生が教室内でウロウロしたら注意するとか雑用係である。

ところが、先月、届いたレターによると、将棋コーチ制度の弊害が生じたため、コーチ制度を改革(廃止)するということだそうだ。

レターは、いつもながらの失礼な書きだし(いきなり儀礼的な挨拶ぬきで)本文が始まる。

日本将棋連盟では、将棋普及員の皆さまの補助者としてお手伝いいただく方を対象として「将棋コーチ」の資格を付与してきましたが、制度の運用から5年が経過し、さまざまな問題が浮き彫りになってきました。

特に「将棋コーチ=将棋の指導者」という誤った認識が広がり、その肩書を利用した営業活動が行われていたり、地域の支部や指導員と対立するなど、将棋普及の根幹を揺るがしかねない残念な報告も受けております。・・・・


文章は、その後、意味がよくわからない展開になり、「将棋普及員補佐」という名称にして、資格要件をギチギチに厳しくして、年間5000円の会費を徴収することにしたようだ。

まあ、どんな事件が起きていたのか知りたいような興味もあるが、元々不愉快に思っていた「将棋コーチ制」なので、もっと厳しく完全撲滅してもいいのではないかと思ったりしている。


さて、3月9日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の出題。

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終わりそうなところから、おまけがある。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ正誤判断。
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どちらが、ましか

2013-03-22 00:00:21 | 市民A
南海トラフで断層がズレ、M9.1の地震が発生すれば200兆円強の損害という試算も、ずいぶん妙な時期に発表されたものだが、アメリカがイラク戦争につぎ込んだ費用が200兆円強ということらしく、まあ、地震の被害と戦争費用のどちらがましかというと、地震の方なのかもしれない。

イラク戦争は、ビン・ラディンに対する報復だったのだろうが、ビン・ラディンはイラクにはいなかった。(アフガンにもいなかった)

なんとなく、人為的失敗感が残ってしまう。戦争とはそういうものだ、というべきかもしれない。


そして、地震のリスクを抱えたまま近隣の大国と大戦争を続けることは、財政的に困難ということになり、結果として、速戦即決的な最終兵器による防衛力に頼るようになる、ということなのだろう。プルトニウムも大量に余っているし・・(風下なのが困りものだが)
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海賊の話(2/2)

2013-03-21 00:00:16 | 市民A
そのため、ソマリア人だけで保安隊を決定し、テロ対策訓練は英国の専門家に頼んでいたのだが、そのうちに自分たちで違反船の取締りをしているうちに、違反船に限らずどんな船舶でも、武器を使って制圧すれば身代金を稼げることがわかり、そちらの方ばかりになってしまう。海賊に出資してリターンを得る実業家まで登場する。さらに、本来は世界の正義のために登場すべき米国には、まったくやる気が見えない。失うものが大きく得るものは、ほぼ何もない。

つまり、海賊が現れるすべての条件が整っているわけだ。

さらに、あろうことか、海賊を捕まえても、むしろ彼らは捕まえてもらいたいと考えている節があるそうで、せっかく捕まえた海賊が日本や欧米の刑務所に入ると、あまりの待遇のよさに感激して歓喜の涙を流すそうだ。そして刑期が終了すると、さっさと日本国籍を取得し、生まれ変わった第二の人生を歩むことになる。このため、海賊を捕まえても処分に困るわけで、結果として、キャッチ&リリース方式となり、現場で釈放してしまうそうだ。

そして、各国から海軍の部隊がアデン湾を巡回しているのだが、たいした協力もしないため、嫌われている国が二つありとのことです。一つは中国。インド洋をわがもの顔で公開していて、インドはかなりの不快感を示している。

そして、二つ目の嫌われ国家は、日本。頼みもしないのにアデン湾を行ったり来たりしている一方、ジブチに戦後初めての「海外基地」を持つことになる。そういう観点で国内では見られていないのだが、世界の目は、日本の国内問題を冷静に見ているということなのだろう。

(おわり)
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海賊の話(1/2)

2013-03-20 00:00:29 | 市民A
主にアデン湾を中心とするソマリア海賊に関するセミナーに出席。

さすが日本は大国だと思うのは、どう考えても万人向けじゃないテーマの講演に大勢がやってきて、さらに日本人講師の方は、海賊被害者の味方をするコンサルタント。平たく言うとネゴシエーターということ。だから、そういう人がいるから、ほとんどの人質が無事に帰還するという意味では月光仮面なのだが、言い方を変えれば、そういう人がいるから身代金ビジネスが成り立つとも言えるわけで、結局どくろ仮面ではないか、と言えないわけでもない。

それで、この方、英国の危機管理会社に勤めていて、「非暴力的手段による誘拐事件対応手法」を担当していたそうだ。その後、日本に個人企業を立ち上げる。つまり、海運会社で人質を取られた場合、この方に相談するといいらしい(高額らしい)。

それで、秘密だらけの話の中で、ごく最近になって海賊事件が減少しているとのこと。

理由1:船の中に「安全室」を作って乗組員が立て籠もるようになったこと。そのため、各国の軍が共同で展開している海賊掃海作戦が有効で、乗組員が安全な場所に避難した後、総攻撃をかけるらしい。

理由2:身代金を払わない船主(船舶オーナー)が増えてきたこと。そもそも船体にも乗組員にも保険がかかっているのだから沈んでも死んでもかまわないではないか、というアニマル的発想である。

理由3:武装員を3名1組で乗船させ、海賊が近付いたら攻撃するということらしい。日本でも法制化を考えているのだが、各省庁のなわばり争いで一向に進まない。


そして、ソマリア海賊の生い立ちについての解説があり、大部分は知っていたのだが、元々の原因はイタリア植民地だったこと。それにより公務員の腐敗が拡がっていて、国家が崩壊してしまった。その過程で、世界各国がソマリアの海にやってきて、密漁漁数量を増やしたり、核のゴミを海底に沈めたりやり放題。

(つづく)
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サラリーマン憧れのビル、1分

2013-03-19 00:00:22 | 市民A
tokio建築家前川國男のことは、弊ブログ2006年2月19日「前川國男生誕100年記念建築展」で書いたのだが、彼が命懸けで設計したのが東京駅前の東京海上ビル(今は東京海上日動)。130メートル32階建ての幻の計画に対し、時の首相、佐藤栄作が嘴を入れる。皇居の前だから、低くしろ、ということ。これに中曽根康弘氏が同調。許可を与えた東京都との間で設計士は板挟みとなる。

それで、何年もそのままになっていた計画がついに動き出し、100メートル、25階建てになる。

妥協せざるを得なかった。

ところで、建築家の無念の話ではない。この東京海上だが、多くの学生が、「東京海上に入りたい・・」と本気で思っている。

で、それは誤解なのだろうが、一応、この赤レンガ風タイル張ビルに入ることって、何か長くリーマンやってきて、ついに記念すべきことのような気がしてならない。

で、その機会が突然やってきた。

講演会である。

アデン湾の海賊の話と、英国法による新しい判例の研究である。

ということで、定刻通り赤レンガビルに入り受付に行くと、セミナーの方は、→に従って下さいと書かれている。→にしたがって歩くと、ただちに本館を突きぬけて、隣のビルに入ってしまった。

それで、隣のビルからでも眼下には皇居の眺望が広がるわけだ。

ところが夕方5時前に突然、皇居側の窓に一斉にシェードが下がってきた。
皇居対策なのだろう。しかし、覗くと言っても、遠過ぎてよく見えないわけだ。

それに、問題となったのは、「名字のない家系」の方々であり、どこにでもあるような普通の都内のビル間住宅の方々は、覗かれようが日陰になろうが電波が届かなくても、一切おかまいなし、ということになっているようだ。
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痴日(牧野信一)

2013-03-18 00:00:40 | 書評
今年のセンター試験で小林秀雄と並んで出題されたのが、牧野信一の『地球儀』だったのだが、90年前の作家のことをよく知っていたわけではないので、青空文庫からもう一作ランダムに選んで読んでみたのが『痴日』。

これも、なんでもないような日常の奥に潜んだ「見えないストーリー」がテーマなのだろう。それを私小説という形に仕上げている。

『地球儀』では、祖父の命日に集まった親戚の中にあって、主人公の父、つまり祖父の息子が突然に海外に逃げるように去った事件と、祖父、孫、そのこどもという四代の家系の宿命みたいなものがテーマだったのだろう。

『痴日』では、主人公の小説家と、画家の妻、妻が描くモデルの女性という妙なトライアングルが微妙に(というか、かなり大胆に)揺れ動く。妻の目を盗んでモデルに近づこうとする主人公は、果たして巧くいかない。

最後は平和的な時が流れ、一見、無事に小説は終わるのだが、そうは終わらないだろうと、読者の誰もが思うところが、この作家の特徴なのだろうか。

ところで、牧野信一は小田原に在住していて、小説の舞台も小田原のケースが多いようだが、その小田原から横浜へ映画を観にいくというシチュエーションあるのだが、その映画館はオデヲン座である。別途、横浜の歴史的実業家の歴史を調べていたのだが、洋画を湯集して、全国に先立ち上映していたのがオデヲン座であり、その主宰者が、横浜本牧生まれの平尾榮太郎。

牧野信一の作品で初めて世に出たのが『地球儀』であり、1923年(大正12年)の発表である。そして、その年、関東大震災が起こり、平尾榮太郎は燃え上がるスクリーンと運命を共にしてしまう。『痴日』は1935年の作であり、その翌年1936年、39歳の牧野は神経衰弱で自ら縊死を選んだとされるが、本作には、その兆候は、まったく感じられない。
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日本の民家 一九五五年

2013-03-17 00:00:36 | 美術館・博物館・工芸品
汐留ミュージアムで開催中(~3/24)の『日本の民家 一九五五年』を覗いてみる。

1955年頃に写真家二川幸夫が撮影した、日本各地の民家の写真が公開されている。



実際に民家というのは、この60年間に、すさまじい勢いで日本から消えていっている。もはや各地に残る○○民家園というようなエリアでしか見ることが少なくなっている。

一方で、民家はその土地での自然や風土、あるいは町割りの中にきちんと収まるような妥協の末、地域的にそのスタイルが独立的である。



それらの様々なタイプの民家を一堂に集めるということは、コスト的な面でも無理がある。しかし、写真なら、タダではないものの現物を集めるよりも容易なのだろう。そこで写真家が登場するわけだ。

ただ、1955年という年は、明治維新からは90年経っていて、現在からは60年前である。だから民家といっても多くは明治期に建てられたものが多いのではないだろうか。つまり反現代でもあり、反封建社会でもあるわけだ。そういう意味だと、日本が開国の扉を開けてから現代まで辿りつくまでの紆余曲折の中の一つの証拠ということも言えるのではないだろうか。

私事ではあるが、私の何代か上までは江戸時代に建てられた庄屋造りの旧家に住んでいて、こども心にも、江戸の豪農の家って住みにくい限りだ、と思っていたわけだ。

なんだかモノクロの画像を見続けていると、明治・大正・昭和の人々の生活が見えてきて、ちょっと胸が詰まる。
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