警察博物館をのぞく

2008-11-30 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
東京の京橋にある「警察博物館」をのぞいてみる。特にここをめざして行ったわけじゃなく、近くに用があって、目の前にこの建物があった。前にも一度入ったことがあるが、実は、少し前に見たあるテレビ番組の中で気になったところがあって、この建物の前で、「あっ、もしかしたら」とひらめいたわけだ。



ところで、この建物は見るからに元警察署だ。昔、引っ張り込まれたことがある人もいるだろう。さすがに現代の巨大警察署から言えば狭すぎる。1階は、オートバイやヘリなどの展示が中心。そして、2階が日本の警察の歴史をかいつまんで紹介するコーナー。

しかし、前回立ち寄った時には気が付かなかったのだが、この「警察博物館」は、「大日本帝国警察権力史展示場」というものではなく、あくまでも「警視庁博物館」なのである。つまり、東京都の警察。何が言いたいか、というと、ここには「特高」関係の資料はない、ということ。裏を読むと、警察博物館の中から特高の記述をはずすために、「警視庁」にしぼったのかもしれない。

ただし、全国の警察の中でも警視庁は別格だ。ポリス・オブ・ポリス。酒飲みの片隅にも置けないアナーキーな交通課長が、他県の県警に捕まっても、すぐに釈放だ。隣の県の殺人犯が投降(いや自首)してきても、なかなか県警には引き渡さない。


さて、警察のない国はたぶんないだろう。政治学の範疇だが、夜警国家論というのもあって、国家のはじまりは警察だ、という論まであるくらいだ。明治になって、薩長政府は警察制度の研究(といっても海外視察)を始める。そして、日本の警察の父と言われるのが、川路利良(1834-1879)。薩摩出身で、明治6年欧州視察の翌年、明治7年1月15日、初代の大警視となる。

現代の警察に残るシステムとの関係から見ると、この明治7年の警察開署の直後、7ヵ月後に「警察手帳」の制度ができた。ニセ警官詐欺とかあったのだろうか。ところが、川路が見てきた理想の警察論もいきなり大崩れになるできごとが始まる。明治10年に勃発した「西南の役」。同郷の大先輩、西郷隆盛の起こした日本史最後の内戦(あくまでも列島大四島に限れば、最後の市街戦でもある)に警察も狩り出される。

「そんなハズじゃないよ、軍の仕事だろ」って川路は言いたかっただろう。

そして、内戦は終結し、明治12年、45歳で亡くなる。

警察犬が導入されたのが大正元年。大正7年に「赤バイ」が登場。昭和11年に「赤バイ」は「白バイ」に変わる。「赤」に対する取締りが激化する頃だ。

戦後、昭和21年には、拳銃の使用が許可され、昭和25年には拳銃所持が始まる。


さて、博物館の3階が、建物の前で感じた目的の場所。ここには、殉職者のうち数十人の情報が公開されている。大事件の犠牲者、犯人逮捕の格闘中に殉職された方や、爆破物捜索中に犠牲になったり、暴走車に突っ込まれたりと、・・。

先日、某局で、昭和34年4月10日の皇太子(現平成天皇)ご成婚のパレードが特集されていた。騎馬隊の最後部を締めていたある警察官に焦点があてられていた。乗馬していた馬が暴れ始めた時、わざと馬を転倒させ、大混乱による惨事を防いだと紹介されていた。最後部の馬が暴走すると、パニックが全馬列に及ぶことが予想されていたそうだ。

そして、その警官は、後に殉職された、と特集では深く紹介されなかったのだが、少し気になったのである。何も隠すような話には思えないからだ。

しかし、残念ながら、まったくの準備不足で、氏名を覚えていないのだから、無理というもの。まあ、今回は、いろいろと「警官の殉職」ということに一般的な思いをめぐらすこととした。殉職者の警察手帳などぼんやりとながめていたら、フロアの係の婦警さんに殉職者の家族かと誤解されてしまい、直立不動にさせてしまった。

館内の表示では、警視庁の歴史では、殉職者の人数は1,688名。うち、918名が前述の「西南の役」。関東大震災、95名。東京大空襲、195名。その他、480名。


最上階の4階は、特殊犯罪のコーナー。薬物のことなど詳しいのだが。いいのだろうか。「植えていいケシの花」と「植えてはいけないケシの花」なんて、一般人は知らない方がいいのではないだろうか。目に入ってしまったわけだ。時節柄、詳しく書かないけど。

王座就位パーティ

2008-11-29 00:00:54 | しょうぎ
先週18日の火曜日に王座就位式に出席。帝国ホテルである。



もちろん、パーティの費用は、主催者の日本経済新聞社が負担しているはずだが、包み金とか必要なのだろうか、と考え、羽生王座はたんまりと賞金を貰うのだから、まったく不要だろう、と勝手に決め打ちする。

そして、定刻の15分前に受付に到着すると、ほんの一部の来賓が紅白の袋を出している。定刻より15分も前に行ったのは、訳があったのだが、受付の列の一つ前の人が筆ペンで自分の名前を完成させるのに3分もかかったので、若干計画が狂う。自分の名前しか書けないというのは坂田三吉だが、自分の名前も書けないのは、現代では不法入国者位のはずだが。

なぜ、早めに行ったかというと、パーティ料理攻略法である。

以前、竜王就位パーテーのことで書いたが、パーティ料理攻略法の一つは、「逆周り」「時間差攻撃」である。最初に長蛇のロースト・ビーフやにぎり鮨などの列に並ぶと、時間だけが浪費され、全種類を食べることができない。要するに、並みのことをしていると団塊世代みたいにいつも競争率の高い世界にいることになる。したがって、デザートから初めて、オードブルに向かうという「逆周り法」や、デザートのあとオードブルに向かうという「時間差攻撃」が有利になる。



ところが、それらの奇襲作戦は、あくまでも、料理が潤沢にある、ということが前提となる。もちろん、竜王戦は読売という底抜け財布の新聞社がスポンサーであるが、王座戦は日本経済新聞である。渋いに決まっている。

となると、全部の食事を制覇することができないことが予想される。デザートから攻めると、コーヒーとサラダとカレーライスしか食べられなくなったりする。

つまり、正攻法をベースに攻略速度を速める必要がある。それが「マルチ・テーブル法」である。

要するに、普通は、入り口で飲み物を受け取り、ホームテーブルみたいな場所をキープし、そこにドリンクをおいてあちこちの料理テーブルにいって、皿に盛り付け、ホームテーブルに戻り、そこで食べ終わってから、次の料理に向かう。そのため、テーブル間の移動時間が無駄になるわけだ。



マルチテーブル法の極意とは、あちこちのテーブルに飲みかけのグラスを置いておくことである。いかにも自分のホームテーブルのように見せかけることによって移動時間を短縮する。

しかし、そのためには、パーティのスピーチが始まる前に小細工することが必要になる。できればよく目立つ赤ワインがいいが、2004年産のシャトー・グロ・カリヨンという上出来のワインだからといって、テーブルキープ用のワインは飲みかけを6割以上にしておかなければ意味がない。片付けられてしまうからだ。ということで、開会宣言の前の時間が有効だ。さらに、会場内に会いたい人と会いたくない人がどのように配置されているかをさりげなく観察する時間でもある。


で、食事の話は貧乏くさいのでやめ、就位式の方だが、米長会長も羽生王座も、まあいつもの話で、特記事項はなし。気になったのが来賓挨拶で、まずモッチーこと梅田望夫氏だが、話としては、やや場違いな感があった。もともと羽生さんが一般向けに話した内容を、梅田式に解釈するパターンで受けている部分もあるのだが、会場に集まっている人の95%くらいはモッチーより将棋が強いはず。将棋のたとえ話なんか面白くないのである。

そして、数年前に別の場所でみた梅田氏の記憶と比べると、何か健康上の問題を抱えているのではないかと、僅かな予感を感じる。肌の色、特に顔色が土色に近い。まさかゴルフ焼けかと念のため手を見ても左右とも黒い。胃病患者独特の猫背気味である。またスピーチの途中で何度も舌を出して唇をなめていた。ちょっと心配である。もちろん、知らない方が幸せなこともあるので微妙である。

また、入院中の中原誠氏の代理としてやなせたかし氏がスピーチに立つが、中原氏の状態について、まだ入院中だが回復に向かっていて、王座戦の棋譜も自分で並べている、との報告があった。最近は携帯から競馬投票しているそうだが、将棋を休場中に、競馬では、「朝青龍方式ではないだろうか」という声がかすかに聞こえた。

そして、パーティの主役である羽生王座だが、いたって血色がよく、赤みがかった肌はつやつやである。強さの秘密は、単に「健康」にあるのではないだろうか、いつも酸素たっぷりのさらさら血液が大脳内を流れているのだろう、と思える。



今までにくさるほどタイトルを獲得しているからか、ステージ下のテーブルには、花束のほか、「ガラスのトロフィー」「王座允許状」「優勝賞金目録」の三点セットが放置されていた。ただし、「優勝賞金」は目録だけだが、一緒に並べられた「功労金」のし袋の方には、目録とは書かれていないことに気がつく。中にいくら入っているか、単に、調べてみたくなったのだが、手を伸ばしたところを見つかると、誤解され、永久追放処分になりそうなので、断念する。

c26def11.jpgさて、11月15日出題分の解答。

▲4七金 △5八玉 ▲4八金 △同玉 ▲3九角 △3八玉 ▲2七銀 △2九玉 ▲4七角 △1九玉 ▲2八角 △同玉 ▲2九飛まで13手詰。

打った金をすぐに捨てる軽さと最終手の飛車回りの軽さで、中盤の野暮ったさを隠している。飛車にと金が当たって開き王手が効かないことが、解く方のコツだが、そうなると、手は限られてくる。

飛車が九段目ではなく、四段目か五段目で動くような図の方がいいのだろうが、使用駒が増えそうである。

動く将棋盤は、こちら

今週の問題は。短編なので、新鮮さを出すのに苦労した作。これでも、よくある手法と言われればそれまでだが、あくまでも「爽快感」を求めている。




わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。

「ユーモレスク・長野まゆみ」

2008-11-28 00:00:49 | 書評


ちくま文庫に入っている「ユーモレスク・長野まゆみ」。

長野まゆみ、というのはSF作家であり、ファンタジー(童話)作家でもある、と認識していて、今まで読んでなかったのだが、「食わず嫌い」では、いけないかな、と思い始めて、「とりあえず一冊」。と、「とりあえずビール」みたいなノリで、薄い作品を手にする。

どうも、SFでもなければファンタジーでもない。普通のシリアスな小説だ。実は、何ページか読んだところで、家族の一人の行方不明と隣家の一人が亡くなったことが語られる。

ちょうど、知人男性が亡くなった直後だったので、読み進むことに耐え切れずに栞を挟んで本を閉じる。一週間はゴルフの本とかペットの本とかお城の本とか読んでいた。とはいえ、分野は問わず、たいていの本には、人や動物が死ぬ話が含まれている。お城の本なんかは、ここで1000人餓死したとか10000人が焼死したなんて話ばかりだ。

で、改めて「ユーモレスク」を読み始めると、あらたな犠牲者はいなかった。そして、なかなか筋立てがうまい。

あらすじを書くのは苦手なので、アマゾンから誰かが書いたあらすじを借用すると、

真哉は、隣家から聞こえてくるユーモレスクが好きだった。6年前に行方不明になった弟。それ以来、隣家は「近くて遠い」場所だった。しかし、物語は、再びゆっくりと動き始める。隣家のすみれさんの死。その弟・文彦との再会。彼の教え子で高校生の和の煩悶。弟はなぜ?…姉・周子の目を通して語られる、切なさいっぱいの物語。

ということになる。このアマゾン版のあらすじより、もう少しミステリー的な「謎」が、この複雑な構造の小説を読み進ませる動機になっている。「元次官殺人事件」のような、割り切れない不可解さが深い霧のように漂い始める。その多くは、行方不明の弟が、最後に登場するのだろうという、常識的な「明るい結末」を期待させるのだが、・・

薄い本で、2時間で読み終わったのだが、結構疲れる。「緊迫感」と「ミステリー的深い霧」と「読者(つまり、私)の心の中にある原初的な不安感」が格闘を続けることになる。

例年恒例の年間100冊読書まで、あと20冊もあるので、こういう重いのは今は読みたくないが、来年は何冊か取り組んでみたいと思うわけだ。

もっとも、試しに読んだ作が、作家の最高傑作で、他の作品を何冊読んでも満足できず、結局、離れていくというのはよくあるパターンなのではある。

こぼれ話3題

2008-11-27 00:00:11 | 市民A
CNNjapanから見つけた、「ちょっと、ちょっと、・・」な話を3題

忘れた携帯に妻のヌード写真、ネット流出でマクドナルド訴え

アーカンソー州フェイエットビル(AP) 米アーカンソー州の男性が21日、マクドナルドに置き忘れた携帯電話に保存していた妻のヌード写真がインターネット上に流れたとして、忘れ物の管理を怠ったと店側を訴えた。

訴えによるとフィリップ・シャーマンさんは今年7月に、フェイエットビルのマクドナルドに携帯電話を置き忘れていた。店側はこの忘れ物を、シャーマンさんが引き取るまで適切に管理する必要があったと主張している。

シャーマンさんと妻のティナさんは、写真がネットに流出したことで非常な苦痛を受け、引っ越しを余儀なくされたとして、300万ドル(約2億9000万円)の損害賠償を求めている。

悪いのは、誰だ。

A.男性(シャーマン氏)
B.妻(ティナさん)
C.マクドナルド店長
D.ネットに流出させた人物
E.シャーマン氏の弁護士

2億9000万円だそうだ。あまり見たくないなあ。


男女受刑者、監房の天井裏通って「獄中セックス」十数回以上

米インディアナ州ブルームフィールド――インディアナ州南部にあるグリーン郡の刑務所で男女の受刑者6人が監房の天井裏をつたわって会い、セックスしていたことが20日までに分かった。今年9月から10月まで十数回以上に及ぶという。

17歳から44歳までの男3人と21歳から27歳までの女3人。夜中に、監視カメラの盲点となる場所で金属製の天井パネルを外してはいながら「通路」を進み、女性受刑者の監房などに入っていたらしい。

男の受刑者の監房で自家製の酒を飲むこともあったという。

何か、のどかな感じがするが、期間と回数からすると、二日に一回ずつやっていたのだろうか。男女3人ずつ同数ということは、いつも同じ相手だったのだろうか。その場合は年齢順とか?あるいは、シャッフル?

単に、刑務所側がマヌケということだろうか。

むしろ、「自家製の酒」の方が問題みたいな気もする。脱獄とか密造酒とか、特殊技能的な犯罪者のような感じだ。

17歳で服役中とは、ずいぶんいい人生だ。


マイケル・ジャクソン、中東の王子と和解か

中東バーレーンの王子が米人気ポップ歌手マイケル・ジャクソンさんを訴えていた裁判で、ロンドンの高等法院は24日、双方の間で和解が成立したと発表した。

和解内容の詳細は不明。ジャクソンさんは同日、高等法院で開かれる裁判のため、米国からロンドンに向かう予定だったが、飛行機に乗り込む直前に和解と渡英延期が知らされた。

ジャクソンさんを訴えていたのは、バーレーンのシェイク・アブドラ・ビン・ハマド・アル・カリファ王子(33)。王子と共同でレコーディングして作るとしていたアルバムと、自伝について事前に支払いを済ませたが、いずれも制作されなかったとして、支払代金700万ドルの返却を求めていた。

一方、ジャクソンさんは、王子からの支援については「贈り物」だと認識していたと反論。当初は体調不良を理由に、出廷せずにビデオ回線で裁判で証言する予定だったが、医師の許可を得たとして渡英の準備を進めていた。

日本にも同じような作曲家がいた。方や豪邸”ネバーランド”を売却して返済。方や保釈金まで借金。

持つべきものは「友達」ということわざがあるが、実際に持つべきは「資産」ということだろうか。

いや、本当に持つべきは、「資産を持った友達」ということだろうか。あるいは、「二ツ星ふぐ料理店の若女将」?

監獄ロッカー」というコトバが何となく思いだされる。

ノヴェッロ迷走?

2008-11-26 00:00:57 | あじ
先日、山梨ワインまつり(at 日比谷公園)で試飲も即売も売り切れていたのが、フジッコワイナリーの「クラノオト・ナイヤガラ白」だった。



ようやく入手。これで日本産の新酒は飲み納めにする。

ナイヤガラという品種はよくわからないが、名前の語感から、滝のように豪快に房がつくのだろうか。そして、売り切れるのも無理はなく、かなりの極上の味である。日本酒的にいえば、「濁り酒」である。白濁している。製法的なものだろうが、白濁の原因はよくわからない。数日、瓶を横に寝かせておいたら、白濁は横腹に沈殿していた。

いわゆる危険な香りである。飲み過ぎ要注意。白の新酒といえば、ドイツの蔵出し新酒ワインが有名で、それとひけを取らないできである。一口このナイヤガラワインを口に含むと、もう働く気力がなくなる。それほどの香りと味。


ところで、新酒と言えば、普通は、フランスのボジョレ・ヌーボーのこと。11月20日が世界統一解禁日。しかし、対抗して、「ノヴェッロ」というのがある。イタリアの新酒ワインである。ことしは11月6日が解禁だったそうだ。そして、ボジョレを買わずにノヴェッロの方を予約。それも6本入りである。約1万円。

一般に、ノヴェッロの方がボジョレよりも日持ちがする、というので、イタリア発の船便で運んでいる途中だ。ボジョレは飛行機で日本で解禁日を向かえるが、ノヴェッロは解禁になってからイタリアから船積みされる。「冷蔵コンテナ」という一定温度範囲内にコントロールする冷蔵庫みたいなものだ。時々温度設定を間違えて、ワインを凍らせたりしてしまい、保険会社から全損保険金をもらう一方、凍ったワインを廃棄しないで、バーゲンに流したりする。



そして、すでに購入代金を払ってあるイタリア・ワインだが、予定日になっても日本に到着していないことが判明。理由は明らかにされていないがイタリアからの貨物船が「減便」されたようである。世界景気減退だからだろう。イタリア発日本行きの他のコンテナ船と二隻分を合わせて一隻に仕立てているようだ。たぶん1週間遅れで来週早々だろう。

あるいは、ソマリア沖を通りのは確実であるのだから、海賊に捕まったのかもしれない。そうなると、人質解放交渉が終わるまで、いつまでたってもノヴェッロは日本に到着しない。せめてもの救いは、ワインは長く寝かせておけば付加価値が上昇する。

5年物以上が高級品の証だ。

本当に、「犬」なのか

2008-11-25 00:00:30 | 市民A
元次官殺人事件は、容疑者が警視庁に出頭するという、誰も予期しない展開になった。別の事件では、高知県で手榴弾が二発も炸裂しているのだが、警視庁そのものの警備も心配になる。

そして、容疑者は供述を始めているのだが、どうにもこうにも不審な話ばかりだ。

テレビキャスターのように冷静に分析する父親の言動も不思議だ。

毅という名前は、暗殺された「犬養毅」からとった、というのも話ができすぎていないだろうか。

10年以上、何をやっているのかわからない、と父親は言っているが、住所は知っていたらしい。生活費はどこから捻出していたのだろうか。

容疑者が言っている飼い犬が保健所に殺された、という話も、逆算すると、当時12歳か13歳。こどもと言っても幼児の年じゃないのだから、事の顛末ぐらい解るはずで、保健所を恨むのは不自然じゃないだろうか。

「犬」の話は、犯行のあと、親子で口を合わしているのではないだろうか。

つまり、逃げ切れなくなる重要な証拠を残してしまった、とか、警察の捜査が身辺に近づいてきたのがわかるようになり、作戦変更を余儀なくされ(というか想定の範囲内かもしれないが、)、極刑を免れるために、自首した上、さらに不合理な理由を主張することにより、精神的な不安定さを強調するためではないだろうか。政治テロで二人を殺したとなれば、ロープは免れないだろうから、あえて派手に警視庁の方へ出頭し、異常性を強調したのではないかと思える。


大学生の時に、高級官僚が悪いと確信したらしいが、それもよくわからない話だ。私は、多くの高級・中級官僚を知っているが、官僚たちの習性は「官僚制度」の構造が生んでいると思っていて、一人一人の官僚について考えれば、「みっともない生き方だな」と思うだけである。

案外、年金の滞納を続けていて、最近、また督促されたので切れたのかもしれない、と思っている。


そして、容疑者が実家あての手紙を郵送したのが22日の午後とすると、25日の9時過ぎには自宅に届くはずだ。信書になるのだろうか、あるいは証拠として没収されるのだろうか。


アキバの事件もそうだが、9.11事件が日本人の精神状況を過激化させたのだろうか。特に、被害妄想的人間が粗暴化する事態が多いような気がする。


後記:犬の話に戻るが、彼は「綱吉時代」みたいな犬の過保護社会を求めていたのだろうか。飼い犬を死なせたら死刑だったのだから、うかつに犬は飼えない、として犬を飼っていた家は、犬を放してしまい、江戸中が野良犬だらけになり、中野の収容所は肥大化してしまったそうだ。

日吉ロール

2008-11-24 00:00:23 | あじ
日吉といえば、神奈川県では、横浜山手、北鎌倉、新百合ヶ丘と並ぶ「住みたい街ベスト5」に入る。(4つしかないじゃないか。あと一ヶ所は?、と言えば、あなたの住んでいる街だ。あるいは、神奈川に住んでいない人のために、あと一ヶ所を推薦するなら、自然愛好派なら多摩川河川敷。サーファーなら茅ヶ崎の烏帽子岩。焼肉好きなら川崎桜本町などかな。)

そして、「日吉で有名といえば」・・。


歴史ファンなら知っている「海軍軍令部」。昭和19年2月にここに移転してきた。

そして、軍令部があったのは、慶応大学日吉校である。主に、大学1年、2年が日吉で、3年、4年が三田ということになっている。最近、東急目黒線と都営地下鉄が直結したので、乗り換えなしで両校がダイレクトでつながった。

そして、次に有名になったのが、この「大麻大学」。

大麻汚染が発覚したのは日吉校の方。1、2年生は大麻を使い、3、4年生になって三田に校舎が変ると、大麻を止めるのだろうか。?????

そして、もう一つ、ごくごくごくごくローカルに有名なのがロールケーキである。

「日吉ロール」。大麻製の葉巻にも、軍艦巻きにも関係ない。

「通称、日吉ロール」ではなく、「本名、日吉ロール」である。慶応大学とは駅の反対側にパピヨンというケーキ屋さんがある。




店内に入ると、セピア色になった男性の写真がかけられ、イタリアのお菓子コンテストで2位になった記念と書かれている。なんとなく、日露戦争の頃から、ここにあるように錯覚するが、昭和後半の店である。

さっそく持ち帰り、輪切りにすると、普通のロールケーキとは異なっている点が多い。

まず、ロールしていない。ただの一重で、太巻き寿司みたいなもの。そして中身は一見生クリームだが、よくみると生クリームの中に棒状の角材方の白っぽいものが巻かれている。食べてみると、固めのババロアのような口触りで、わずかにキャラメル味がする。

確かに、独特。ちょっと評価しにくい。

好き好みが分かれそうな気がするが、地元で有名になっているのだから、何回か食べると、その味がわかるのだろうか。


で、ここまでではまったくオチのない話なので、無理やり探そうと、この「ケーキ店パピヨン」のホームページを見ていると、あることを発見した。

ブログジャーナリストの第一人者である藤代裕之氏の主戦場が「ガ島通信」。その、姉妹版があった。

ガトー通信。

どちらが先だったのかよくわからないが、まだ命名権トラブルにはなっていないようだ。

元厚労省次官宅連続襲撃事件

2008-11-23 00:00:03 | 市民A
一億総刑事になってもしょうがないが、犯人の糸口に近づいているのだろうか。点ではなく、線であるのは確かなように思えるが、古典的推理小説では、単に殺人事件の犯人が、捜査の矛先をかわすために、別方向へ誘導線を引いたりする。

1件目の事件も2件目の事件も午後6時半頃の犯行で、同一パターンであるのだが、1件目の事件のあと、2件目が警戒される可能性が高いので、一件目の犯行の方が重要だったのだろう。

犯行声明が届かないのは、「目的が政治的テロではなく、私怨だったため」か、「ネット上の声明はアシがつくため、現在郵送中」なのか、あるいは「すでに警察あるいは新聞社等へは声明が届いているものの捜査上開示していない」か、「もう一件準備中」なのか。

個人的には、「血盟団もどき」のミニ組織があるのではないか、と思う。

やや、危険な社会の匂いがするのは、

「被害者にあまり同情できない」という短絡的な人が何人かいたことで、小中学校で、昭和前期史をきちんと教えないツケが回っているのだろう。あるいは、みのもんた信奉者。

官僚天下になったのは、日本の官僚制度のどこかに問題があるからで、どうしても耐えられないなら次回選挙で民主党に投票すればいいだけの話である。それでもダメなら、また考えればいい。まあ、大多数の国民は健全だろうが、一部、変なのもいると思う。




ところで、今回の事件では、宅配便の扮装で、被害者宅のドアが開けられてしまったのだが、ある知人が、「証拠死体/パトリシア・コーンウェル」と同じじゃないか、と指摘していた。

パトリシア・コーンウェルが講談社文庫から「検屍官ケイ・スカーペッタ」という人気シリーズを出している、第二冊目である。一作目の「検屍官」に続き、女性検屍官が死体解剖をして犯人を突き止めるという、新しいミステリの分野を確立し、翻訳者相原真理子さんの生活も安定した(関係ないか)。

この「証拠死体」では、有名女流作家が自宅で殺害されるところから書き始められる。

以前から脅迫を受けていて厳重警戒していた彼女が、なぜ犯人に自宅へ侵入されたか。というのが、一つの大問題で、こちらも航空機のハイジャックとの関係とか色々紛らわしい筋がでてくる。

ここまで書かれて、今更購入して読む人はいないだろうから、結論を書くと、「犯人が宅配便に変装したため」。アメリカには受取印鑑を押す制度はないから、玄関にシャチハタが落ちていたりはしないので、捜査難航。

最後は、捜査の網を絞られた犯人が、一人暮らしのケイ・スカーペッタの自宅を急襲し、宅配便配達員に扮装してドアから侵入し、ナイフを持って室内で襲いかかるわけだ。


一方、日本の宅配便業界は、業者乱立時代の大競争時代がとりあえず終了し、大手三社になっている。世界的には、米国勢やドイツ勢も強いのだが、規格外の何でも、すぐに運ぶという日本式ビジネスに怖れをなして、深入りしていない。今回の事件のあと、配達した荷物をドアを開けて受け取ってくれないという事態が多数発生しているそうだ。

自分が事務次官である人は数少ないだろうが、模倣犯を警戒しているのだろう。実際、オートロックマンションなどでは、配達車がいるのかどうかも見えないし、カメラが設置されていない場合は、配達員(セールスドライバーとかいうらしい)の顔も確認できない。

今回の事件で、犯人は、ヤマトのユニフォームなのに「ヤマトです」とか「宅急便です」とは言わず、「宅配便です」と普通名詞で言ったらしいが、そのホコロビに気付く人は少ないだろう。

では、どうすればニセ宅配業者から身を守ることができるだろうか。ずっと考えていたのだが名案は浮かばない。まあ、担当の人の顔を覚えるのは有効だが、いつか担当換えだってあるだろう。


ところで、参考のため、ミステリの中でニセ宅配便配達員に襲われ、ナイフで追いかけられたケイ・スカーペッタはどうやって身を守ったのか。

まず、台所に逃げていって消火器を賊の顔にめがけて噴射したわけだ。一瞬ひるんだものの、まだ襲い掛かろうとする男の頭に、鉄製のフライパンを打ち落とし、鼻を砕く。

そして、寝室に逃げ込み、執念深く追いすがる犯人に、最終手段を実行する。

「ルガーの一発」である。(ルガーにはドイツ製と米国製があるが、たぶん米国製と思う。ドイツ製はナチスドイツが使っていた)

この方式を日本の家庭で応用した場合、最大の問題は、事件解決後の後始末だろうか。いろいろと・・

負けそこなった一局

2008-11-22 00:00:51 | しょうぎ
無気力相撲というのは、専門家が見れば、すぐわかるそうだ。問題化しにくいのは、対戦する両者が合意しているか、片八百長と感じても、勝った方が黙っているからだろうか。

アマチュア将棋でも、わざと負けたことは何回かあるが、結構難しい。相手に悟られないように演出する必要がある。そして、ごく最近、わざと負けようと思っていても、うまくいかなかったことがあった。


昨日のエントリで触れたように、一週間ほど前、棋友だったM氏が亡くなった。1年半前、難病が発症し、3度目の入院でついに息絶える。年金受給までは、まだかなり遠い位置だった。本人は自分の状態をきちんと認識はしていなかったし、元より健康や病気のことなどの知識に乏しかったのが幸だったのか不幸だったのか微妙だ。

健康関連企業に勤めながら、まったくの不健康生活で、酒を飲む、ゴルフボールを打つ、馬券を買うの三拍子である。不健康生活を送るのは、健康な人にとっては、大変楽しいのだが、体が不健康な人が不健康な生活を楽しむと、ダメージが徐々に体を蝕む。

ギリシアの格言に「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というのがあるが、一般的にはウソだ。不健康な人は健全な生活を送り、健康な人は不健康な生活を好む。

M氏は、不健康×不健康=大破滅というパターンにはまっていたと思う。

そんな彼も、将棋を指すときは「賭けよう」とは言わなかったのは、他方面への出費がかさんでいたからだろうとは推測していた。

いい年して里見女流のファンで、いつも対局のつど、長距離バスで上京する彼女のバスの到着スケジュールなどを調べていたので、「Mさん、ダメですよ」って、やんわりと言ったこともあるが大丈夫だったのだろうか。

最期は里見さんが倉敷藤花戦に出場しているのにかかわらず、女流王位戦に出場していると勘違いしたままだったが、何が何だかわからなくなっていたようだ。

さて、実際のところ、M氏は、あまり例を見ないタイプの棋風で、力を発揮するのは、終盤で8割方劣勢に追い込まれたところから。

奇抜な受けや持ち駒のすべてを自陣に打ったり、敵陣にいた龍や馬を引き戻す。攻めるほうが頭に血が上って敗着を指す。それでも三段以上はあったと思う。


72af3753.jpgそして、最後の彼との対局は、亡くなった2週間ほど前。本人はわかってなかったようだが、傍目にも、もうダメというほどやせ細って、月例会に現れる。心を鬼にして、「これは、負けるしかないな」と思ったのだが、M氏気力が出せないのか、四間飛車美濃に構えたと思ったら、自ら角道を開けて、決戦方向に向かってしまう。どうみてもまっすぐ終わりそうなので、こちらの玉の横をあけ、飛車打ち王手をかけさせ、自陣に成りかえって受けるような余地を作ったのだが、大量の持駒を打って守ることなくあっさりと投了されてしまった。

次回は頑張ろう!ということになる。


そして、告別式の当日、ほぼ1年前に彼に贈った初段免状を再度見ることになる。これも、「実力は三段以上と思いますが、まずは初段ということで」ということにしたもの。本人が他界してしまえば、所詮は紙切れと言えばそれまでである。おそらくは、彼の持参品の一つとして柩に納められるものと想定していたのだが、予想に反し、葬場ロビーの陳列品になっていたわけだ。

もっとも柩を生花で埋め尽くす時に気付いたのだが、既に競馬新聞各種が納められていたわけだ。

遺族の方々にとって、競馬新聞よりも初段免状の方が、いくぶんは格上と考えられたわけだろうか。


72af3753.jpgさて11月8日出題作の解答。

▲2一銀不成 △同玉 ▲9一龍 △3一桂(途中図1)

▲同龍 △同玉 ▲2三桂 △2一玉 ▲3一桂成 △3一玉 ▲2一成桂 △同玉 ▲2三香 △1二玉 ▲2二香成 △1三玉 ▲2三歩成 △1四玉 ▲2四と △1五玉 ▲3六王(途中図2)

△1六玉 ▲1五飛 △同玉 ▲1七香 △同馬 ▲2五と△1六玉 ▲1五とまで29手詰

72af3753.jpg初手に▲1一銀成は、いずれ行き詰まるので、▲2一銀不成、△同玉から▲9一龍と香を入手。同馬なら▲2三香、玉が1二に逃げれば2一龍と捨てればいいのだが、3一に桂合いがある。これに対して▲2三香なら、本譜のように進み、▲2三歩成に△同桂が逆王手になり崩壊する。いったん▲3一同龍のあと、6手かけてやっと基本形にたどり着く。

次の関門は▲3六玉と香を取って開き王手をかけた場面。△4五香と飛車を取りたいが、2手早く詰む。いったん△1六玉と逃げ、2手を稼がなければならない。

どちらかというと、攻め方より受け方の手を問う問題である。

動く将棋盤は、こちら



72af3753.jpg今週の問題だが、棋友が亡くなった時に詰将棋はどうしようかと、以前から悩んでいて、有名な羽生一手頓死の図でも紹介しようかと準備していたが、あまり気が乗らなかった。

地方都市での葬儀が終わり、彼が物質的な姿を失ってから10時間ほど経ち、盤もパソコンもない仮の宿のベッドで、眠れぬ頭の中に一枚の墓銘碑が浮かんできた。2時間ほど熟考し、完成させる。

ということで、難易度は高くない。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただけば正誤判断。

知人Mの葬儀

2008-11-21 00:00:09 | 市民A
知人のM氏が都内の病院で亡くなってから、ようやく一週間。

がんである。年金受給はまだまだ先だった。

彼は、実在の私と、このブログのわたしをつないで知っている少ない一人であって、何度か「コードネームは0723」という記号でコメント欄にも登場している。

もともと、ある将棋関係のサークルのメンバーだった。わたしが主催している月例会に顔出したり休んだり。

その彼が、出席すると事前に連絡のあった月例会に突然欠席したのが、昨年の6月の末のことだった。そして、もちろん、そういうことは、よくあることだし、何も考えていなかった。

が、最初のSOSメールがくる。

(実は、メール類はほぼ残してあるが、純私的な部分もあるし、本ブログ読者にも、健康問題を抱えられている方もおられるだろうし、すべて、「意」だけを書く)

M氏:おおたさん、驚かないでください。今、貴兄のお勤めの会社のそばのA病院に入院しています。勤務中に、血圧急降下と心拍数急増で緊急入院です。循環器科にいます。・・・

書かれていた数字は大きな数字と小さな数字で、最初は大きな数字が血圧だと思っていたが、何度も読み返して、逆であることを確認。何となく別の病気による体内への出血ではないかな?と一瞬よぎる。

そして、当時、A病院から5分くらいの会社にいたので、一週間ほどして、見舞いに行く。しかし、受付で病室検索をしてもらうと、循環器ではなく消化器科にいるということ。もしか・・、

実はその頃、胃がんの権威の方の講演を聞く機会があり、その前に、かなり予習をしていた。各種胃がんの種類、進行度の段階、5年生存率。そして、それまでにさまざまな紆余曲変があった「治療法」「手術法」などの病院ごとの差に対する患者や遺族からの不満の結果、学会で統一的なマニュアルが書かれ、その進行度によりどの病院でも同様の対処が行われることになってきた、ということ。

その中で、ある種の胃がんは、発見しにくく、手遅れになりやすいことを知っていた。

遡ること15年以上だろうか。以前、小泉今日子が主演した「病院へ行こう2」という映画があった。学生の飲み会で急に倒れた彼女は病院に運び込まれるのだが、急性アル中ではなく、本格入院になる。彼女は、自分の点滴の液体の色が、他の患者と異なることから、病院の図書館の医学辞典を調べ、自分の余命が1年もないことを突き止める。(その後、新薬が開発され、ラストランの期間は半年ほど伸びたようだ。)

それが、この種の胃がんであり、カタカナの名称で呼ばれることが多いが、医師はあまり、その言葉を使いたくない。まったく告知しないこともあるだろうし、遠まわしに「性質が悪い」とか、「英語」にしたり、「未分化型」とか「○型」とか数字にしたりするらしい。

また、偶然読んでいた「キャンティ物語(野路秩嘉著)」の主人公、川添博史氏はこの病院で、がんを告知されないままだった、と書かれていた。伝記「星新一(最相葉月著)」では、星新一はこの病院で「星さんは作家だから、知っていた方がいいと思って・・」と告知されている。二人とも、もっと回復率の高い普通のがんだった。


ところが、見舞いに出向いた時、彼はベッドにいなかったわけだ。ちょっと、逃走して会社に行っていたらしい。しかたなく、枕元にお見舞いを置こうとして、思わず薬袋の山に圧倒される。袋の中を覗こうかと思ったが、怖くてやめた。当時、ZARDの坂井泉水さんが亡くなったりして、気分も最低だった。病室を出ようとしたところ、主治医らしい医師が彼を探していた。何か、重要な話があるのに、いないのは困る、と言う切迫感があった。

数日後、「消化器に移ったのですね」と携帯に打診メールを入れると、しばらくして、

M氏:おおたさんの推測通り、胃がんだそうです。しばらく入院します。・・

別に、私は何も推測をメールに書いたことはないのだが、彼からのメールには、医師に対する不信感が並べられていて、医師の氏名と言われたこと、飲んでいる薬の種類が記され、どういう経歴の医師で、どういう種類の薬か調べてほしい、というような内容だった。ごく普通のステージⅠとかⅡとかいう程度の心の余裕が感じられた。

こういう言い方も何なのだが、彼とわたしの接点である将棋では、わたしは上品な棋風ではなく、いわば、町の賭将棋屋のような筋悪である(筋悪の裏には筋も知っているのだが)。さらに、彼は名の通った健康関連企業の重役だった(生活はまさに不健康だったが)。自分の方がやや身分が上だと思っていたのではないだろうか。亡くなる直前も将棋関係の週刊誌が読みたいから、毎週発売日に届けてほしい、と大役を言われていたが、最後の入院後、届けたのは、僅か1回という急だったのである。

そして、彼からのメール質問を調べると、わたしの想像した、かなり運の悪いケースではないかと思えるのである。一本取られたのかな、という感じだ。嘘をつくのは嫌だから、「素人に聞いてもしかたないでしょう」と書いたり、あれこれと本人にとって無毒のことばに消毒してからメールで返す。

実際、彼がそのケースだったのか断定はできないが、共通の知人である医師も、聞き集めた話を総合すると「たぶん、そうだろう。私なら手術しないかもしれない」との見解である。結局、最後まで事の重大性は本人にははっきり言われなかったのは確かだ。観念して親族に泣きを入れたのは、人生終焉の直前だったそうだ。

その後、抗がん剤で病状が抑制されたある瞬間に、胃全摘手術が執刀されるのだが、本人は胃袋一つ無くなるだけで、友人たちに大騒ぎをする弱虫ぶりを発揮する。結局、彼の友人である医師の一人が背中を押して手術室に押し込む。担当医もこれじゃ、あまり言えないだろうなあ。

最後の入院の時にも、入院直後には、

M氏:転移もないのに入院です。

その5日後には、

M氏:転移と言われました。これから放射線です。


まったく、告知というのは難しい問題だ。私が肉親の一人を、広義のがんの一種である難病で失くした時は、それに先立つ数年前に、ある大学病院の若い担当医から、こういわれた。

「残念ですが、現代の医学では、これ以上のことはわかりません。医学の道にいるものとして、大変申し訳ないと思っています。」

仕方がないなあ、と諦めの気分になったのは、若い医師の苦しいレトリックだったのだろうか。よくわからない。


ところで、わたしは、多くの患者さんが、告知を受けたあと、自分の生きがいをブログに書きつづっている世界があることを知ることになる。そして、それらの多くには、同病の方が集まってきて、相互にリアルの付き合いが始まったりする。僅かな時間に、やり残したことに挑戦したり、残る余命を延ばすために、自分でプランを立てられている。いくつかの薬も長く使うと効果が薄れ、副作用も現れ、次の薬を使うことになり、運がよければ切除したり放射線を使ったり、最後は緩和ケアで合計何年とか思い描く。

そして、ブログは宙に浮かんだまま中断し、また別の方々が必死に自分を書き綴るのである。読んでいると、悲しさもあるのだが、人間って力強く尊厳だということを改めて感じる。たぶん、わたしだって、もしその時が来れば、ブログを書いているかどうかはわからないが、「弱気」にはならないと思う。人間にとって「生きながらえる」というのは、非常に重要な(二番目に?)ミッションと思っているからだ。


・・・

彼の実家のある地方都市の葬儀場へ、高速道路で急いでいると、「そういえば、数年前、彼を乗せたとき、運転席の後ろに座っていた」と思い出す。背後霊。怖くなり、スピードをぐっと押さえると、とたんに滝のような雨が降ってきた。


今でも、携帯でメールを送ろうと書き始めると、「マ行」になると、彼の名前が自動学習機能のある辞書の一番上に現れたり、往復メールに何度も登場した「放射線」という単語が出没したりする。大量の受信メールも、どうしたものだろうか。

World Energy Outlook 2008

2008-11-20 00:00:48 | 市民A
先週、IEA(国際エネルギー機関)の発行するレポート、”WORLD ENERGY OUTLOOK 2008”の発表記念シンポジウム(東京)に参加する。日英同時通訳付で入場料は高いが、その気になれば、誰でもシンポジウムに参加して講演を聴くことは可能。

このIEAだが、第一次オイルショックの頃、1973年にキッシンジャー国務長官の旗振りにより、OPECに対抗する石油消費国連合という意味合いでOECD諸国を中心にパリに設立された。現在、中国はメンバーに入っていて、ロシアは入っていない。このIEAのトップの役職が事務局長で、事務局長の一声で、各国は国内の原油備蓄を取り崩して原油価格の安定を図ることになっていて、最近は、カリブ海で被害を出したハリケーン・カトリーナの時に、世界規模の備蓄取り崩しが行われた。

そして、そのIEAの事務局長の椅子には、現在、日本人が座っている。田中伸男氏。2007年9月から。したがって、高額会費を払って、高級ホテルの同時通訳イヤフォンを使ってみようと思っている人には、田中氏が行った基調講演は、ちょっと残念ということになる(外国人の方はここで、英語ダイヤルに切り替えると英語通訳が聴ける。やってみたが、英語訳の方が日本語スピーチより先に進んでいて、ちょっと驚き)。



もう一つ残念なのは、この1年をかけて綿密に各種試算を積み上げて構築した「OUTLOOK」だが、ここのところのクレジット・クランチに続く世界経済の大崩壊が、あまり前提になっていないことだ。原油価格は100ドルを前提にしている。要するに、ほとんどの経済指標を現在から2030年まで延ばしているのだから、「これって本当は、どうなるのだろうか」ということばかりだ。

だいたい右肩上がりの折れ線グラフを積み重ねれば予測は完成する。エネルギーの需要が増加し、それに合わせて、各種供給源(石油、石炭、ガス、原子力、水素、風力・・・)を温暖化問題とリンクさせ積み上げていく。グラフを描く前のイメージ通りグラフが描ければ仕事は終わりだ。

一応、「今後、経済再建のことばかりに目がいき、環境問題がおろそかになることが心配」と、まったく定量的でない一言が添えられた。



そして、OUTLOOKの各論は、各自、超高額書籍費を払って購読していただくしかない(ロンドン・シンポジウムでは400部が売れたそうだ。今後、日本と米国で何冊売れるのだろうか)のだが、その概略を発表したのは、IEAのチーフエコノミストのファティ・ビロル氏。やっと日本語ダイヤルに合わせてイヤフォンが使える。

しかし、実際には、ビロル氏のスピーチは、あらかじめ日本語訳がテーブルの上におかれている。さらに、ビロル氏は英語圏のネーティブでないのは明らかで、かなり日本人の英語みたいだ。若干、訛りもあるが面倒なのでイヤフォンは使わなかった。実は、少し鼓膜が弱いのでイヤフォンが苦手なのである。そして、もっとも困っていたのが、わざわざこのシンポジウムを聴くために来日した東南アジア系の方々かな。フランス語訛の英語は聞き取れないし、机の上の資料は象形文字のような日本語である。お手上げだ。早く、天麩羅とかすき焼き鍋とか食べに行くしかないなあってところだ。あいにくの円高で、悪所通いは高そうだし。

そして、実は今回のOUTLOOKの中には、一部、重要な想定も含まれている。一応の方向感は持っている業界なので、情報の玉石分離くらいはできる。現在の原油生産量と2030年の原油生産量を比べた場合、その内容には大きな変化が起こっているはずである。

つまりマクロ的には、最初に、需要=生産という図式を描く。さらに現在のようにOPECが国別の生産枠を設定した状態では、生産コストが安い国でも高い国でも経済原則は効かないため、まったく外には見えないが、専門家的に予測されるのは、「世界の大油田の減退・枯渇」という問題なのである。世界には凡そ50程度の大油田があるが、そのほとんどが、この先2030年までには減退するだろうと予想されている。無論、世界の原油を掘りつくすということではまったくないが、特に非OPEC油田である北海やメキシコあたりの産出は極度に減少するだろう。

さらに、中東地区でも、かなり以前から既存油田からの回収率をあげる努力を続けていたため、ついに別の砂漠や海底に新たな巨大油田を開発しなければならないだろう。今回のシンポジウムでは、予想されるエネルギー需要から、まず石油以外のエネルギー量を差し引いて石油供給量を計算し、さらにその石油供給量から今後減少する既存油田の量を差し引くと、新規油田の量が算出されるという逆算法のグラフが描かれていた。かなりの量の新規油田が必要となる。

一方、中東地区への投資を外国企業が行っても、懲罰的な税率(90%とか)を掛けられることが多く(例外あり)、世界中の民間企業にとっては、中東への投資は採算に乗らない。基調演説の中でも軽く触れられたが、「(消費国の)国営原油開発会社」への期待は大きい、ということだが、日本では「国営」はだめだ。うまくいくはずはない。


講演の最後にQ&Aの時間があって、最初の質問は日本国営放送の記者。冒頭の「経済危機による環境問題への関心の低下」というところについて、「何か具体的な証拠や根拠があるのか」というKY発言で場内失笑。1時間半のあいだ、それについてまったくテーマにならなかったのに、先に質問を決めて、ずっとQ&Aタイムまで我慢していたわけだ。だいたい、どこまで経済危機が続いて、どういう結末になるのか記者自身が予測しているのだろうか。それによって答えは違うだろうに。

二人目のQは、某邦系石油会社社員から。「今後の石油消費量の減り方が、世界平均より日本の方が早いのはなぜ?」というような質問。Aは「日本の省エネ技術が進んでいるため」と、いともそっけない発言で、失笑がちにシンポジウムは終了。

高級ホテルのロビーでサービス・コーヒーを飲み、”そういえば、このホテルも経営変わったなあ。前は航空会社だったか”と思いながらトボトボと最寄り駅に歩く。

『丸山みゆき』さんのこと(2)

2008-11-19 00:00:22 | 音楽(クラシック音楽他)
丸山みゆきさんが残した6枚のCDは、現在はすべて廃盤になっている。さらに、そのうち5枚をリリースしたTDKコア社は、最近、M&Aにより、コロムビアミュージックエンタテインメントの子会社になり、2008年2月には社名もクリエイティヴ・コア(株)と変更になっている。ホームページを見ると、CD事業はクラシックとか落語といった商品回転の遅い分野に絞られている。つまり、正面玄関は既に閉じられている。



また、念のためダウンロード関係をあたってみたものの、こちらも手がかりなし。ということで、6枚のうち、すでに3枚を入手した方法。つまり中古CD市場を検索する。

ここで、6枚をリストアップすると、

1.『あの頃の君に・・・ありがとう』1988年

2.『夢を見てますか』1990年6月

3.『SUGAR TIME』1990年11月

4.『MOON LIGHT』1991年

5.『青すぎる空』1992年

6.『La saisondes amour』1994年

このうち、3と4と5は入手したので、残るは、1、2、6。

しかし、現在は2008年。Amazonだけでは対応できず(ありそうでないとか、そんな感じ)、だいぶ時間をかけて調べた結果、2と6は市場に実在していた。いずれも数百円。本当は、アルバムの中には、自作(作詞)も含まれているのだから、著作権として支払えればいいのだが(僅かでも、本人には嬉しいのではないだろうか)、廃盤となって中古市場を動いているCDではいかんともしがたい。

ということで、2と6をそれぞれ別の業者に発注。数日で到着と思っていたら、しばらくして、2の業者の方からメールが届いていた。「発送しましたメール」と思って開かなかったのだが、いつまでも届かないので開けてみると、「当方のミスで当該CDは、『サンプル盤』でした。キャンセルされるか、半額対応にさせていただきたいのですが、指示を待ちます」というような内容だった。

もともと、400円くらいなのだから、もう全額でも半額でもいいのだが、いったい『サンプル盤』って?

サンプル盤でいいですか?と言われても、困るのだが、そのまま送ってもらうことにする。こうして、ようやく2と6を手に入れることができた。

まず、2の『夢を見てますか』の方だが、CDの中央部に『SAMPLE』と印刷されている。見たことなかったが、正式発売前にあちこちに配ったのだろうか。ある意味、大変レアだ。

しかし、

プレーヤーにかけると、奇妙な音がでてきた。1曲目は右側のスピーカーだけから、聴こえる。「サンプルって、こういうことか」と勘違い。さらに二曲目は、途中で、傷のついたレコードのように、同じところを繰り返したり、ゆっくりになったり。「だめだな~。あるいはプレーヤーが壊れたかな~。」と、CDを点検してみると、なぜか白い粉が表面に付着していた。白い粉にはまったく興味がないので、表面をティッシュペーパーで拭き取り、再チャレンジすると、今度は正常に聴こえる。

彼女の曲は、全体に「結構難しい」ので、3回くらい聴いて、やっと良さが伝わってくるようなところがある。有名な「TOKYO」も含まれている。TOKYOウォーカーのCM曲で、「最終電車で、君にさよなら」で始まり、「東京には、もう何度もいきましたね」というサビのフレーズが入る。たぶん現在まで、3人か4人が歌っているが、女性ヴォーカルの声を思い出すなら、それは彼女だ。こういう有名曲を一曲いただいて、アルバム全体、そして歌手本人を売っていくのだろう。

この2枚目から3枚目のところで、歌手として進化、そして自信を持ったのだろうと感じた。

そして、既に聴いていた3枚のCDを経て、移籍後の1994年にリリースしたのが、最後のアルバム『La saisondes amour』。

昨日のエントリでも触れたが、ヒットした「FIRE」以外のほぼすべてはスローバラード。同時代に活躍した今井美樹が中低音系とすれば、丸山みゆきは中高音系。たぶん、かぶったのだろう。この6枚目のアルバムは、一曲ずつが、かなり思い入れが詰め込まれたようなドラマスティックな迫力を感じる。1994年と言えば、最近逮捕された小室哲哉がブレークしはじめた時期である。ノリのいいダンスミュージックとは対極にあるこのCDは、彼女自身が『最後の一枚』と内心は思っていたのだろう。最後の曲である『epilogue』の歌詞は、自ら書いたものだが、

 いつか本当のあなたと
 永遠に寄り添い生きる

と終わっている。


しかし、そうなると、1988年のアルバム1枚、それからアルバム未収録のシングルが数枚。こうなると、探したくなるのだが、とりあえずの手がかりとして、ある中古CDの会社に登録しておくと、そのCDが入ってきたときに、メールで情報配信してくれるサービスがあることがわかった。メンバー登録し、情報配信先に登録しようとすると、既に3人が登録していた。幸か不幸か4番手というのではなく、4人に同時に情報を配信するそうだ。その後が早いもの勝ちになる仕組み。しかし、20年前のCD。あまり期待はしていないのだけど。


ところで、丸山みゆきさんの現在の実像は、と思うのだが、ストーカーではないので、長野まで行って探し回ったりはしないのだが(どこにいるのかも含めて、何も知らない)、普通の人生に戻れたのだろうか。普通の人生といっても中学卒の学歴で、普通の仕事が見つかったのだろうか。6枚のアルバムを順に聴いていけば、一応、「歌手として、やるだけやって、6枚のアルバムを残し、もうここまでにしよう」ということなのだろうが、少し心配。

実は芸名も普通だが、本名もかなり普通。どちらの名前でも軽くネット検索してみると、普通の名前なので、さまざまなジャンルで活躍されている同名の女性がいることがわかる。ピアニストやオートレーサーやプリザーブド・フラワーの講師、陸上競技、大学の先生、DJ、松本市の普通の人・・。面白いのは、一芸ある人は、高校時代から、ずっと、こつこつと努力している、ということが見えてくるのである。(プリザーブド・フラワーというのは、花のミイラで、ブームらしいが、世界レベルの講師である丸山さんは、地方の農業高校在校の時の実習テーマがプリザーブド・フラワー。他の生徒は梨の受粉だったり、牛乳パックから和紙を作ったりしているのにだ。)


とはいえ、これからピアニストの丸山さんとかオートレーサーの丸山さんのことを取り上げたりは、決してしないのである。
(未完)

『丸山みゆき』さんのこと(1)

2008-11-18 00:00:13 | 音楽(クラシック音楽他)
半年ほど前だったか、自宅のカセットを中心としたアナログ音源のデジタル化の件を書いたのだが、その後、ぼちぼちと案件は進行中だった。と言っても、アナログをシステム的にデジタル化するというのは、決して、元の音源より改質しないという、当たり前ながら核心的な問題に突き当たってしまうわけだ。

そのために、



1.問題の縮小化
  つまり、要らないものを捨ててしまう。そして、音質が重要なのか、単に記録として必要なのかなどに分類。

2.オリジナルの劣化チェック
  湿気で固まったカセットなんか、そのまま動かすことが可能なのかどうかチェック。

3.とりあえず、同じアナログでもMDにしておいて、あとでデジタル的に加工できないか(英語のスピーチ集など)とか。

4.現在、CDで入手可能か。(新品、中古、図書館、場合によってはダウンロード)

まあ、そういうことをやってみると、多くは「要らない」というカテゴリーになり、問題は大きく縮小されたわけだ。


そして、問題を絞りこんだ上、困難度の高い「現在、廃盤。かつ、それほど有名にならなかったミュージシャン」というカテゴリーに着手することにした。そして、私の机上の大問題となった女性シンガーが、

『丸山みゆき』さん。

ああ、そういえばと覚えている人も少ないだろうけど、「スクールウォーズ2」の主題歌だった『FIRE』という曲とか、その他数曲がCMなどに使われていたはず。そんな彼女のアルバムのカセットが3本見つかった。以前、住んでいたマンションのそばにレンタル屋があって、当時乗っていた車のオーディオがカセットだったこともあり、自宅、レンタル屋、クルマの三角関係ができあがっていたのだ。

発見したアルバムは、

「Sugar Time」(1990年)
「Moon Light](1991年) 
「青すぎる空」(1992年)

よく聴いていたことを思い出し、カセットを回してみるが、あちこちで劣化と癒着の構造になっていて復元困難であることが判明。

大雑把に思い出すと、ヒットした「FIRE」は、意外にも彼女の曲の中でも例外的なアップテンポで強烈なビートに乗った曲(絶叫型とまではいかないけど)。後は、ほぼ全部がスローバラードで、高音の伸びが効いて、かなりドラマスティックな大構造である。そして、おそろしく巧い。こんなに巧い歌手が、なぜビッグになれなかったのか。運だったのだろうか。


そして、そもそも、彼女は、今、どこで何をしているのだろう、何歳?というようなことを考え始めたのは、それからしばらくのことだった。確かそれらのアルバムは1990年頃で、まだwindows95は発表されてなく、インターネットなんてなかった(本当はあったのだが)。現代ではgoogleの検索や、wikipediaという強い小道具がある。

軽く調べてみると、同時代の女性歌手でも、今井美樹とか小比類巻かほる(実は、この二人は丸山みゆきと音楽的に関係があるようだ)とかは、正々堂々と当時と同じような仕事をしている。情報は、ほぼ無限大。

しかし、「丸山みゆき」はいつか、見えなくなった。

バラバラになっている彼女の情報を丹念に集め、つなぎ合わせてみると、前述したヒット作「FIRE」に行くつくまで、長く困難な曲がり道があったことがわかってきた。

1969年長野県生まれ。歌手になるため、高校を中退し上京。1985年頃、TDKに所属し、何曲か発表するも、1988年に、何らかの権利関係の問題が発生し、今までのシングルが、すべて廃盤になる。19歳で何と不幸な話。

しかし、その後2枚のアルバムを出している。私が聴いていたのは、その後の3枚。つまり3枚目から5枚目までだった。そして、毎年、1枚ずつ秋に発表していたアルバムが、何らかの事情で、1993年に途絶える。24歳。

所属をトーラスへ移し、1994年、6枚目のアルバム完成。そしてその後2枚のシングルを出したあと、1995年から1996年9月まで、地元の信越放送でラジオ番組を持つが、番組終了。その後、引退したようだ。

1998年の段階で、普通の仕事をしているとのことらしい。

ドラマティックな歌唱力であるのも、人生の軌跡を見れば当然だったのだろう。


そして、既に入手するのが困難な、これらのアルバムについて、あちこちの中古ショップのネットショップを調べ、とりあえず自宅にあった3枚分を注文する。おそろしいことに18年も前の音の記憶が、僅か三日でメール便で到着する。

聴覚は人間の五感の中で、もっとも原初的であると言われるが、そんな昔の記憶が最初の1フレーズですぐに戻ってきた。1990年代の初めは、自分の人生の中では困難な時期の一つだったのだが、その頃、よくこれを聴きながら接待ゴルフ場に向かったことなど思い出す。


しかし、

こうなると、この3枚の他、まだ聴いたことのない残り3枚のアルバムと、さらに前の廃盤となったシングルや引退直前の2枚のシングルなども、手に入れたくなってくるわけだ。

つまり、アナログ音源のディジタル化というテーマから、さらに別の段階に進んでしまったわけだ。
(つづく)

バリケン登場

2008-11-17 00:00:49 | The room of Sora
兵庫県知事に脅かされたので、もうすぐ地震がおきそうな気がしてくる。石原都知事は、地震は30年後にくる、と言っていたが、どちらが正しいのだろうか。自分が平均寿命を超えた頃に地震がきたり、世界大恐慌がきたりすると、嫌だなあと思うが、平均寿命を超えることのほうが重要課題だろうか。



そんなこんなで、杜撰(ずさん)な地震対策を少しずつ構築しているのだが、今回は、「バリケン」を購入。地震の時に、飼い犬が逃げ込むスペースである。

じゃあ、人間はどこに逃げ込むかというと、シェルターを購入しなければならないのだろうか。シェルターは核兵器対策だろうか。そのうち、デュアルパーパス・シェルターとか発売されるのだろうか。いや、設置場所が地上か地下かよくわからない。

このバリケン。どうも”VARI・KENNEL”と言うことらしい。VARIはバリケードで、KENNELは犬小屋。しかし、原産地中国で、一旦、米国に送られたあと、再度太平洋を渡って日本にきたこの塊だが、予想よりはかなり「ゴツ」かった。というか、「予想よりもゴツいだろう」と思っていたよりもゴツかった。だいたい重い。5キロ以上10キロ以下。8キロ位かな。

犬の体重と合わせて10キロ以下だと簡単に飛行機に乗って、米国内のどこでも飛んでいけるような説明が書かれているが、何か勘違いもいいところだ。重くてとても持てない。組み立て用のビスは、米国向け中国製品らしく、使用個数よりだいぶ多く入っていたが、案の定、2本が不良品だ。問題なし。




ためしに上に乗ってみたが、頑丈だ。人間用も買いたくなった。

そして、目下のところ、最大の問題は、犬そのものが、バリケンに自主的に入るかどうかなのだが、今のところ、その兆しは、感じられないのが困った問題である。



ところで、バリケンと親戚?のバリカンだが、この犬種のカットにバリカンを使うと、犬齢とともに、体毛が白くなる。それは単に自然現象。品評会に出す犬の場合は、一本ずつ体毛を、「えいっ、えいっ、えいっ」と抜いていくそうだ。そうすると体毛は太く硬く帝王のような貫禄になっていくそうである。さらに、目付きも厳しくなるだろう。

また、人間の数倍もかかるカット代も要らなくなるかもしれない。いや、それならむしろ、自分の頭でやってみようかとも思うが、生えてこなくなると、後で高くつきそうなので、やめておく。

アジア、その多様性と混沌

2008-11-16 00:00:34 | 美術館・博物館・工芸品
旧新橋駅(といっても明治のこと)の跡地に復元された「新橋停車場」付属の博物館「鉄道歴史資料室」で、アジア各地の多様な民俗的産物が展示中である。「モノ」からみたカルチャーである。



その前に、言うまでもなく、アジアは多様である。面積も人口も世界の40%くらいで、地理的にも広い。

数十年前は、ヨーロッパからアジアを眺め、中東とか極東とか距離で表現していたが、どうもそれではダメらしい。(ダメと言っても、そんなの分類は便宜的なものだから、どうでもいいとも思えるのだが、学者が言い出すと「論争」になる)

最近、西アジア、南アジア、東南アジア、北東アジアと4分類するらしい。といっても、日本と朝鮮×2、中国×2、モンゴル、シベリアが同一文化エリアと言われても、困ってしまう。おそらく、西アジアでもそうだろう。

出品された物品は、多いわけでもないし、高額というものでもなく、まあ、なんとなく、4つのエリアの代表的なフィーリングがわかる程度だろうか。なんとなく、展示されたものと同じようなものは、量的にも質的にも自宅の物入れの奥の方に眠るダンボール箱のさらに隅の方に眠っているような気もする。



西アジア代表は、鳥の図柄の皿。南アジア代表は、面である。面の役目はそれぞれの国で少しずつ違うはず。

東南アジア代表は金の壺である。こればかりは自宅の物入れには入っていない(はず)。

さらに、北東アジア代表の珍品は、韓国で発見された「日本地図」。残念ながら竹島は見当たらない。まるめた紙くずみたいなのが本州。右端が「薩摩島」、つまり九州。つまり、自分の方から日本を見た図である。なぜか、上の方に硫黄島がある。四国は「土佐」となっているし、東日本は、でたらめだ。今は、もう少しましな日本観を持っているのかな。

まあ、竹島防衛戦術と対馬侵略戦略のことしか、考えられなくなっているのだろうか。