春の椿事

2009-03-31 06:31:30 | 市民A
最近、ちょっとした小事があって、まさに「春の椿事」という言葉がぴったりと思っていたのだが、その小事の前に、『春の椿事』という言葉で引っ掛かってしまった。

『椿事』というのは、珍しいことを意味して、「珍事」という言葉とほぼ同意語なのだろうが、自分的には「珍事」より「椿事」の方がやや高級なできごとのような語感を持っていた。

無意識下では、「春にツバキが咲くような珍しいことを指す」のかと深く考えていなかったのだが、実際、ツバキは春に咲くわけだ。さらに漢字だって、木偏に春ではないか。これでは「春に椿事」では、正しい時期に正しいことが行われる喩えになってしまう。さらに「夏の椿事」とかは言わない。椿事は春にこそ起きるわけだ。

あれこれ、辞書やネットで調べたり1週間もしてしまったのだが、結局、わからずじまい。あまり、それっぽい説も見当たらない。多いのは次の二つの説。

A.「珍」の当て字という説

B.「想像上の椿の木は樹齢数万年の長寿で、めったに咲かないため、花が咲くこと自体が椿事である」という説

どこにも書かれていないが、私の仮説

C.元々は「春の椿事」ではなく、「春でもないのに椿事」だったのではないだろうか。春でもないのに、椿が一輪ぽっと咲くこと。そのうち、意味が変わっていった。

そして、話をすっかり元に戻す。

時々、電車の中でメークをする女性がいる。だいたい20代である。10代ではそういう根性はないだろうし、30代になると、メークも念入りにする必要があるからだろうか(余計なお世話か)。

その電車内のメークというのも、遠くから観察すると、だいたい最後の段階ということが多い。太いメークブラシでパウダーを撒き散らすのは、「ぼかし」のテクニックだろうか。隣の席に座ると、粉が飛び散って嫌だろうなあ、と思っていた。

そして、ある確率で電車の隣の席の女性が粉を撒き散らす可能性があるのはわかっていたが、今までそういう機会はなかったのだが、先日、椿事が起きる。


朝の通勤の時、社用があって、別方向の車両に乗る。東京方面ではないので、ちょうど乗客数と座席数が同じ数くらいである。たまたま、終点が5駅先の電車がきて、空いている席に座る。そして一駅。隣の乗客が降りて、代わりに女性が乗り込んできて座る。

そして、ブラシを取り出して、・・・

粉っぽいわけだ。花粉症なので鼻に刺激があるのは嫌なのに。そして、次の駅につくと、あっという間に小道具を片付けて、降りていってしまった。一件落着。

だが、・・

隣の席に代わりに乗ってきたのは、別の女性である。そして、・・

そして、ブラシを取り出して、・・・

粉っぽいわけ。匂いも違うわけだ。みなさん、忙しいわけだ。ほんの数分の作業なのだから、早く起きたらいいのに。と思っても言ってもしょうがないし、・・

そして、その女性も、あっという間に次の駅で降りていった。

だが、次の駅で乗ってきた女性が、またも隣の席にすわって、またも小道具を取り出したわけだ。

向かいの席の乗客たち、密かに失笑の図である。


しかし、まったく発展性のない話である。

爪は重層構造だった。

2009-03-30 00:00:26 | 市民A
yubiたいした話じゃないが、爪がはがれそうである。

元々の原因は、6ヶ月ほど前に、左手の人差し指の先を挟んだのである。出血も伴い、かなり強烈に痛かったのだが、まあ、一ヶ月ほどで腫れが引いた。

と思っていたら、爪の根元に、内出血があった。

そういうことは、何回かあって、赤黒い塊は、爪の成長とともに徐々に指先に移動していって、やがて、爪切りで「パッチン」でゴールに到着。

ということで、みっともないが、単に時を待っているだけだった。赤黒い塊はミリ単位で前進を続け、あと1/4(2ヶ月ほど?)というところまで進んだところで、急に異変が発生。

前に進むのが嫌になったのかどうかわからないが、爪そのものが白くなってきて、表面が割れ始めてきたわけだ。上部脱出を図ろうということのようだ。

ところが、言うまでもなく、爪の表面が割れ始めると、要するに、爪が剥がれるということになる。つまり、激痛が予想されるわけだ。

よく、スパイの拷問に「爪はがし」というのがある。一方、SM愛好家のプレーの中には、「爪はがし」というのは聞かない。痛すぎて、お話しにならないのだろう。

何かコーティングでもしようかと思っているうちに、小さなひび割れは大きな亀裂へと変っていく。人差し指というのも良く使う指なので、割れた亀裂がどこかに引っ掛かり、一気に、ドアが開くように爪全部が剥がれたら、悶絶絶叫になってしまう。

yubiそのため、最近はいつも爪切りを持ち歩いて、ひび割れを微調整している。少しずつ削っているのだが、どうも爪の伸びるスピードよりも削るスピードの方が早いので、嫌な未来が予測されるのである。

そして、爪の上側が剥がれていくので、それを削っているうちに気付いたのだが、爪は重層構造になっているようだ。この上側の爪の下に血の塊が挟まれていて、前に進まずに上に飛び出したようなのである。だから、結局は爪の上側を全部剥がすというような悲惨な状況が頭に浮かぶのである。

(実は、ネットで調べると、爪は三層構造になっているとのこと。剥がれてきたのが、一層目だけなのか一層目と二層目の両方なのか、ちょっとわからない。)

結構、シャンプーが危ない。爪が濡れてやわらかくなった上、髪の毛が爪の微細なひび割れに引っ掛かってしまうのだ。

沈黙博物館(小川洋子著)、実は怖い小説だ

2009-03-29 00:00:27 | 書評
f46a4dca.jpg主人公の「僕」は、新しい博物館を立ち上げるスペシャリストである。作者の小川洋子は「僕」を郊外の小さな町の駅に置き去りにするところから筆を始める。

迎えにきたのは依頼主の超老婆の「若過ぎる娘(少女)」。

ここから、「僕」と「少女」と「老婆」と「家政婦」、そして「庭師」との奇妙な共同生活が始まる。

スポンサーである老婆が個人的に作ろうとしているのは、町の人たちが亡くなる時に、この世に残していく「形見」である。過去に集めたものだけでなく、博物館が完成に向かう間にも、次々に人々は亡くなっていくのだが、「僕」はその葬式に出るふりをして、故人の形見を失敬してくるわけだ。きたるべき博物館の完成の日には、それらの形見も博物館のショーケースに収められるはずだった。

ところが、町の中央広場を「僕」と「少女」が歩いている時に、爆発事件が起こる。二人は吹き飛ばされ、「僕」は無傷だったが「少女」は大けがを負い長く入院することになる。

そして、その後、連続猟奇殺人事件が始まる。殺された若い女性たちは、ことごとく乳首を切り落されてしまう。そして「僕」は殺された女性の形見を探して、事件現場を歩きまわっているうちに、二人組の刑事に疑われ始める。

さらに、町のはずれの山間にある「沈黙修道院」の見習修道士が登場する。

このあたりから、物語は、いたって不気味な基調に変わっていく。生と死、現実と夢想。そして、ついに「僕」は、連続殺人の犯人は、仲間である「庭師」であることを知ることになる。「僕」が集めた被害者の形見が、いつのまに切り取られた乳首の肉片におきかえられていたわけだ。

そして「僕」は、明け方の一番電車で町を脱走しようとするが、誰もいない駅には、なんらかの事情で、もう電車はこないわけだ。兄に出した手紙は、転居先不明で戻ってくるだけである。

季節は変わり、冬になり、老婆は亡くなるも、博物館は完成するのだが、この矛盾に満ちた物語を合理的に受け入れるためには、「爆発事件」の時に「僕」は死んでいて、その後は死霊による夢想なのか(映画シックスセンスの結末を思い出させる)、あるいは覚めることのない長い長い眠りの中の夢の物語なのか、ちょっと怖いのである。

棋士怪々な棋士会の奇々怪々

2009-03-28 00:00:41 | しょうぎ
4月1日から、棋士会ができるそうだ。最初に「?」と思ったのが、中原誠16世名人の引退の時の報道で、「4月1日から70歳まで名誉棋士会長に就任」ということだった。

では、棋士会って何?ということになる。

残念ながら、連盟のHPには何も書かれていないし、「週刊将棋」にも書かれていない。中原引退報に書かれた情報では、棋士会長は谷川氏。副会長は清水さんのようである。珍しく、女性を立てている。引退した中原氏が会員であるところからして、現役棋士だけでなく引退棋士も含まれているようである。任意参加なのか強制参加なのかは不明である。

ところが、日本将棋連盟という組織は、公益法人である。さらに社団法人なので、構成員(社員)は棋士全員である。棋士というのは女流棋士を含まず、引退棋士を含んでいる。そして、この公益法人は平成25年11月30日までに、組織をなんとかしないと、解散ということになるのだが、当面は、男性棋士全員が参加する社団法人日本将棋連盟という組織があり、男女の棋士(含む引退棋士)が参加する棋士会という二つの組織ができることになる。

普通、こういう話は、「理由(原因)」と「結果」という形で、合理的なニュースとして報道される。日本は資本主義の国なので、たいていは、「時代の変化に対応して収益を確保するために、新しい組織になる」ということが多いが、何しろ、公益法人というのは、行動の動機がよくわからない。漢字検定と同じように、営利事業を行うために公益事業を食い物にしたりするからだ(漢検も営利事業と公益事業をきちんと分離して、払うべき税金を払っていればよかったはずだ)。

それで、棋士会だが、何のために創立されるのかよくわからない。その背景について、いくつかの可能性を、単に個人的に推測してみた。

1.単に中原氏への引退慰労金(推論1)
  15期も名人を取った名棋士が、フリークラス定年(65歳)まで、負け星を重ねながら対局料を受け取ることの将棋界としてのかっこ悪さを晒さないように別ポストを設定した。普通、名誉教授とか「名誉」がつく場合、永久的な称号なのだが、定年が設定されているということは、有給なのだろう(源資は?)。
  ただ、それにしては、おおげさすぎる。

2.一般社団法人、あるいは普通の株式会社方式になった場合の棋士の受け皿(推論2)
  新組織が、普通の会社のように、取締役と社員というような形になるか、単に、棋士以外が作る組織(例えば、今の連盟職員だけとか)だけのスリムな形になり、棋士はまったくのフリーの個人事業者という形になった場合、「連盟」の組織と対立的に「棋士」の組織が必要になる。いわば労働組合的な団体が必要となる。ただし、そういう性格の組織だと、役員は選挙で選ぶことになる。

3.谷川会長立候補阻止の代償(推論3)
  昨年、一昨年の棋士総会のときに、あたかも棋士代表のような演説を行って、若い棋士の支持層を固めたと思われていたのだが、そうなると、当然、今の会長の椅子がなくなる。あるいは、現会長やN上皇がコントロールできる新会長を考えているのかもしれない(ガス抜き)。とりあえず、関西の大物が東京に転居すると、関西会館の重要性も低下するだろう(時機は悪いが)。

4.女流棋士分離論破綻の修復工作(推論4)
  つい、最近まで女流棋士を新組織に移そうとしていたようだが、棋士会の副会長が女性ということは、分離工作不調となり、その後のバトルをおさめようとしているのかもしれない。といっても、社団法人の方に加えると、今までの面子もあるので、別の非公式組織を作って、そこで平等感を醸し出すという策。ただし、正式な組織ではないと、健保とかの問題は解決しない。それに「女流棋士会」というのはどうなるのだろうか。そちらも谷川会長だし。

5.棋士総会の権限を空虚化するため(推論5)
  重要問題が、棋士総会での棋士の多数決で決まるため、強豪棋士も弱い棋士も同じ一票である(社団法人だから)。理事会の選んだ一部のスター棋士だけで、問題解決を行おうという作戦。ただし、社団法人でありながら、それは無理だろうと思う。


ざっと、思いつくだけで、いくつかの可能性を羅列しただけなのだが、やはり、「棋士のための組織論」ということなのだろうか。近く、表面的に発表される理由はともかく、いずれ、組織の本質は明白になっていくと思われる。

さて、3月14日出題作の解答。



▲4二金 △同金 ▲5一飛 △同玉 ▲5二金までの5手詰。

普通は、▲5一飛から読むのだろうけど、手数が5手というのがわかると、すぐにわかってしまう。

短手数でも豪快にという、コンセプトである。

短い手数の問題は、どうしても盤の端を使いがちになり、さらに同一作と類似作ということになりがちなので、新味に苦労してしまう。

動く将棋盤は、こちら




今週の問題だが、最近、軽量級問題を続けたので、中量級問題。大きなヒントを一つ書くと、「16手目注意」である。これだけで、嫌になるかもしれないが、なかなかナイスな手なので、是非、発見していただきたい。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。


格差に挑戦したのは陣内の向こう側の女?

2009-03-27 00:00:14 | 市民A
藤原紀香の離婚自体は、さして驚きではなく、ほとんどの国民は、「やはり・・」といったところだろう。披露宴に6桁以上を包んだ人たちは、さぞ、がっかりしているだろうが、まあそんなものだ。

よく「格差婚」と言われるが、格差も二段階以上になると、まったく無理なのだろうか、などと考えていたのだが、二人だけの問題として考えると、格差が原因ではないような気がしている。価値観というか世界観というか、例えば一番大切なものが、かたや「アフリカのこどもたちの未来」であり、かたや「毎晩、遊び歩くイージーな生活」といった具合だ。いったい、交際期間とかなかったのだろうか?と思う。

そして、「格差」ということでいうと、むしろ、陣内の向こうにいた浮気相手の女性群の方が感じていたのではないだろうか。国内の報道には、まだ出ていないようだが、外国のニュースには、遠慮なく登場している女優の「N.O.」さん。この「N.O.」さんは、AV女優だったそうだ。そして、何とか足を洗って、普通の女性タレントとして、やっとレギュラー番組1本に席を得ているようだ。

外国のニュースのことばを借りれば、「残酷な表現ながら、紀香を芸能界の『お姫様』とするならば、「N.O.」は『宮女』に過ぎない。しかし、愛情の世界においては”階級制度”は意味をなさない。愛する男がほかの女性とのバージンロードを歩く姿をかつて涙をのんで見送った「N.O.」は、この女の戦いの中でついに逆転勝利を勝ち取ったのだ」ということになる。どこかの国(日本ではない)の皇太子みたいな話だ。

つまり、格差に対して反発心を燃やしたのは。なんと陣内氏ではなく「N.O.」さんの方だった、ということになるのかもしれない。そして、勝利が確定したあと、まだ彼女がゲームを続ける気があるのかどうかは、よくわからないのである。

ところで、彼女はブログを書いていて、結構、ほあっとした感じで、今回の騒動のことなど、まるで他人事の風情だ。まったく気付いていないようだけど、忘れたころにやってくるかもしれないのが、「高額慰謝料の請求」。

AV女優に逆戻りの可能性ありだ。

うなぎの長旅

2009-03-26 00:00:29 | あじ
idumoya先日、老舗のウナギ店に行った。昭和21年(1946年)の創業以来の旧館は、大座敷の周りにいくつかの小部屋が配置される最近では見ない造りである。もしかすると、63年前というと、いわゆる「カゲの間」と言われるような、宴会のあと、客が芸者と夜を明かす営業形態だったのかもしれない。場所も日銀や経済関係の新聞社の近くである。そういえばウナギは江戸時代には強精剤と言われていた。欧州でいうチョコレートみたいだ(バレンタインデーのプレゼントに最適な理由だ)。もっとも、残念なことに、日本では50年ほど前から「カゲ営業」は禁止されたままだ。

ウナギは注文してから焼き上がるまで、長い長い時間がかかるため、その間に割烹料理を食すことになり、結局、高いウナギ代のさらに何倍もコストがかかることになる。そして、こういう店では、かならず「うな丼」ではなく「うな重」が出る。

idumoya実は、同じようでも「うな重」と「うな丼」とは少し違う。もともと江戸時代に、こういう料理屋で食べる時には、うな重方式なのだが、これは本物の重箱である。3人分、4人分と重ねて出てくる。現代のうな重は一人分ずつ蓋がついているがこれは変である。

逆に、うな丼を頼むと、最初から蓋がなかったりするから笑止千万である。もともとうな丼の方は携帯食。歌舞伎を見ながらとか吉原への渡し船とか、要するにお弁当である。だから丼に蓋をつけたところ、飯からの湯気でウナギの身がしとって、まことにいい塩梅になる。

現代と全く逆である。とはいえ、重を買えば蓋がついてくるし、蓋つきの丼など、ほぼ日本から消滅してしまい、買うことができないのだから、もうしかたない事態かもしれない。


ところで、まるっきり違う話だが、このウナギだが、もちろん養殖だろうが、もとは日本にいる天然ウナギが、ある時、川を下り、海に入り、遠くのどこかで産卵し、そして稚魚が日本に戻ってきたところを捕獲して養殖する。網をくぐった稚魚が天然ウナギで、また、成魚になったある時に、産卵に向かう。

だから、天然ウナギを獲ってしまうと、ウナギの生態サイクルに致命的なダメージを与えるので、全面禁止にすべきだ、という意見は非常に多いのだが、そうなってない。「天然ウナギ」というコトバが高級ウナギと同義語に思っている人が多いからだ。

idumoya一方、ではウナギがどこで産卵するのかを、20年間にわたり調査して、ついに発見した学者がいる。塚本勝巳さんという東大の海洋研究所の教授である。最近、購読を始めた「ナショナル・ジオグラフィック3月号」にその苦労が書かれていた。

まず、「脱出理論」だそうだ。

多くの回遊魚はこの理論に基づいて行動するらしい。たとえば、川で生まれて海へ下ったアユは成長すると、海の塩分や水温が嫌になり、川から海に流れてくる淡水をかぎつけて、遡上するそうだ。営業マンがついパチンコ店に行くようなものだろうか。これを、きわめて巨大な規模で実行するのがウナギで、長距離を泳ぎやすいように、普通の魚よりも細長く水の抵抗がないようになっているようだ。

そして、川から海に下ったウナギを追いかけるのは困難なので、太平洋のあちこちでウナギの仔魚(レプトセファルス)を探して、より小さいものに近付いていき、最後は産卵場所を特定する、というような方法で探し回っていたそうだ。

この仔魚探しは、1967年に台湾とフィリピンの間で体長50ミリが発見される。さらに70年代に台湾沖で40~50ミリ。さらに黒潮を遡りフィリピン沖で30ミリを21匹見つけたそうだ。耳の中に耳石という魚の年齢を測定する骨があり、測定すると孵化後3か月。さらにグアム島沖で20ミリ。さらに、塚本教授は西マリアナ海域に焦点を絞り、産卵時期を夏と断定。

ところが、これが学会で発表され、まったく相手にされなかったそうである。「ウナギの産卵は冬」というのが定説だったからだ。

(学会で相手にされないというのは、学会の時の夜の宴会タイムで、変人がられて誰も飲み屋に誘ってくれないことを意味する)

idumoyaそして、塚本教授は産卵時期を7月と推定し、ウナギにとって何らかの目印である「変わった地形」「磁気の異常」「重力の異常」といった場所をさがし、100キロくらいの間に三つの海山がある場所を見つける。そこの仔魚は7ミリだったそうだ。これが10年前。さらに、その付近をくまなく調査しているうちにある場所に塩分の低い海水と高い海水の潮目があることを発見。ついに2005年6月7日、孵化後2日の5ミリ以下の仔魚を400匹も採取することができたそうだ。つまり。この潮目を超えた時に産卵するそうだ。

そして、これからが、本当の研究だそうだ。なぜ日本から2000キロも離れた海底火山の中腹まで行って、そしてその稚魚が戻ってこられるのだろうか。(本当にわかるのだろうか?)

ワンセグ観戦の陥穽

2009-03-25 00:01:08 | スポーツ
WBC決勝を昼休みのカフェで携帯ワンセグ観戦したあと、事務所の机の上で、続きを観る。

やはり、携帯の画面では、小さくて細かなプレーはよく見えないが、結果はわかるし、雰囲気もわかる。(席も窓際だし)

ところが、テレビのある会議室にこもって、観戦を続ける一団もいるわけだ。

机の上で小さな画面で観ていても、結局、仕事ははかどらないのだから、会議室へ行けばいいのだが、そこは途中入社の身なので、小さな画面で観ていた。

ところが、途中で気付いたのだが、会議室の一団からは、時折、歓声が聞こえてきたり溜息が聞こえる。

あれ、野球をみているのではないのかなあ?

そして、そのうち気付いたのだが、会議室で歓声が上がってから数秒後に、携帯の画面ではタイムリーヒットが出たりする。溜息が聞こえてからしばらくするとダブルプレーを喫したりするわけだ。

つまり、デジタル放送はアナログ放送よりも数秒、遅れるのである。

つまり、会議室の人たちが先に結果を知ってから数秒後にデジタル画面で投手が球を投げるのだが、その結果は、だいたい予想がついているわけである。

ところで、2連覇してしまうと、次回はまた、監督選びが騒然とするのだろうか。それこそ「負けられない」ということになれば、引き受ける人もいるのかなあ。

マーリー

2009-03-25 00:00:55 | 映画・演劇・Video
61b0ab27.jpg一般に、犬を飼う時の最大の不安は、「バカ犬だと困る」。ということだ。人間の子供であるなら、両親のレベルは、あらかじめ知れているのだから、両親の平均プラスマイナス10%と考えていれば、間違いない。ところが犬の場合は、血統書があっても親犬の知能指数が書かれている訳ではないので、ペットショップで購入した「知能指数不明の犬」と10年から20年の間、共同生活を送ることになるわけだ。

さて、試写会。「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」。実は、lvedoorブログに3月26日までに1本記事を書くことを条件に試写会の入場券を手に入れる(ミラーブログのgoo側で読んでいただいている方には、何のことやらわからないかもしれないが)。ということで義務的に書いているので巧く書けるかな。昼休みにワンセグ携帯でWBC決勝を見ながら、スタバでこの原稿書いているし。


で、この邦題の「おバカな犬」ということだが、犬のバカというのは二通りの意味がある。一つは知能が少ないバカである。つまり犬側からみたバカ。もう一つは、人間の言うことを聞かないバカ。つまり犬の側から見ると、バカではないわけだ。

     ↓
(注意!ここからネタバレ開始)

このラブラドール・レトリバーのマーリーは、後者の方。つまり人間の言うことをまったく聞かない勝手犬(the worst dog)なのである。本来は、勝手犬の原因は飼い主の方にあるのだが、飼い主の夫妻はどちらもジャーナリストである。旦那は地方紙の三流記者。友人は、危険地帯で麻薬問題の取材を重ねニューヨークタイムズに引き抜かれたのだが、本人は記者からコラムニストへの小さな昇格に満足。

このマーリーとの格闘記をネタに人気コラムニストの地位を確かなものにする。

一方、妻は、マーリーとの生活に疲れながらも3人の子供の母となる。しかし、ついに育児ノイローゼがついに爆発。旦那とマーリーを家から追い出してしまう。

が、結局、マーリーのいない生活には、もう戻れない自分を知るだけだったわけ。

夫は、40歳になり、三流新聞のコラムニストより、二流新聞の記者の方がサラリーがいい、とついに転職&転居を決意する。そして、マーリーにもついに老いが訪れ、思い切り走りぬけた生涯が終わる。

(ネタバレは一応、ここまで)
     ↑

61b0ab27.jpgところで、まあ漠然と犬の大暴れを見るだけならいいのだが、いくつか気になることを書けば、まず、米国と日本の生活様式の違い。家や庭の広さが違うし、ペットフードを好きなだけ食べさせて超肥満犬を作ることも考えにくい。旅行に行くときにはペットホテルに預けるのが一般的で、留守番を頼むことは少ない。さらに、犬が好きなときに泳げるプールは家にはない。隣人が自分の庭で不審者にナイフで刺されたりはめったにしない。


そして、マーリーの葬儀をもって、この映画は終わるのだが、では、麻薬問題の取材でニューヨークタイムズの記者になった友人は、この映画の中でどういう必然性があったのだろうか、とか、一流紙をめざしながら、一歩ずつキャリアを積み上げる夫は、この先どうなるのだろうか、とか、犬のいない生活には耐えられないだろう夫妻と3人の子供たちが、次の犬を飼うのはほぼ確実だろうし、つまり、次の続編が登場するのは、間違いないだろうと思うのである。

となると、映画の邦題が問題である。

「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」は、原題の「MARLEY & ME」と大きくかけ離れてた意訳である。「マーリーと私」という時の「私」というのは、実は家族全員それぞれのことなのであるが、次作が「MARLEY & ME 2」となり、仮に世界一お利口な犬の話だった場合、邦訳につまってしまうのではないだろうか(世界一おバカな翻訳者になってしまう)。

千葉県知事選挙の裏のウラ

2009-03-24 00:00:55 | 市民A
千葉県知事選挙は3月29日に投票であり、5人の候補者が争っている。どうも、元俳優が有利な展開のようだが、いずれの候補にしても千葉県民の総数から考えれば、かなり低い比率の得票数で当選するはずだ。「成田=羽田」を15分で結ぶリニアモーター新幹線を公約の目玉にしている候補者もいるが(公示直前に取り下げたという情報もある)、特定の目的の為に超大金をつぎ込むというような政策はリスクが大きすぎて、あまり賛成できない。

そして、千葉県民ではないのに、なぜ気がかりかというと、この選挙の裏のウラの事情があるからだ。といっても知事選挙の裏金の話ではない。

知事選と同日に、千葉県で行われるもう一つの選挙がある。

銚子市長リコール投票。

このリコール投票も、外から見ると複雑な構造である。唯一最大とも言える争点は、銚子市立病院の閉鎖問題。

そもそも2006年の市長選挙では、現職のA市長は、病院存続を公約として当選。この時、病院経営の最大の問題は「赤字」だと思われていた。経営を再建して、黒字化して医師の待遇を改善して、医師数を確保し、正常化しようという考え方であった。

そして、当選。・・・しかし、まもなく、様々な問題が起こる。まず、経営は一向に改善できず、外部コンサルタントに診断させると、計画の甘さが数々明らかになる。さらに医師不足。これも複合要因で、もともと国の研修医制度の見直しで、研修医の”ただ働きみたいな”制度を維持するために、研修医本人が働く病院を決める制度となり、医師数の多い病院を志向することになる。そのため、研修医数が減った病院では、地方に派遣していた医者を引き上げさせて補充する。つまり、巡り巡って地方都市の病院から医師がいなくなる、ということになる。

まあ、そういう矛盾がまとめて銚子を襲ったわけなのだが、そういう事情を詳しく説明なしに、A市長はいきなり病院閉鎖を市議会にかける。議会で大論争の末、13対12で一票差で閉鎖が承認されたのだが、その後、市議会での投票の前日に、市長が豚肉1キロを手土産に反対派議員の家を訪問していたことが判明。市議会での投票が直前に「無記名投票」に変っていたこともあり、疑惑が高まっていたわけだ(市長の弁明では、「豚肉1キロは、前にもらったシジミのお返し」とのこと)。

そして、この市長に対して、リコール請求が盛り上がっていったのだが、人口7万2千人の町で、2万3千を超えるリコール請求の署名を集めるのに、旗を振ったのは、中央のある大政党。参議院の第一党の幹事長が銚子で大演説をぶったそうだ。要するに、銚子で二大政党が争っているわけだ。

そして、ついに裏のウラの話。

この銚子で争う二大政党は近く、衆議院選挙で激突するわけだが、このあたりはかなり広域選挙区になっている。その広域選挙区の中にある某有名会社と、私の勤務先が取引があるのだが、困ったことに、ある党の予定候補者から、会社ぐるみで後援会に入るようにささやかれていたわけだ。もちろん、会社は東京にあるのだから、その選挙区に住んでいる社員はいない。したがって、後援会に入会を勧める理由は、「一票そのもの」ではないことは明白である。社員数掛ける何万円とかいう話になると面倒である。あれこれと理由を探しながら逃げ回っているうちに神風が吹いた。

「西松」。そして、入会圧力は風力ゼロとなる。

ということで、なんとなくのんびりと他県の選挙をながめられるわけである。

ピロリ菌、ついに撃破

2009-03-23 00:00:11 | 市民A
長いような短いようなピロリ菌除去作戦が終結した。

思えば第一次除菌作戦で失敗。第二次除菌作戦でやっとピロリ菌を壊滅することに成功。第一次世界大戦に負けて、「今度こそ」と第二次大戦に挑んで勝利したようなものだが、実際に、そういう国はトルコだけである。第一次大戦の敗戦国は、ドイツ・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・オスマン帝国(トルコ)。このうち、ドイツ(オーストリア)、ハンガリー、ブルガリアは第二次大戦では枢軸国側につくが、トルコは中立を保っていた。が、連合国側の勝利が決定的になった1945年2月になり、慌てて連合国側で参戦した。もっとも、いずれの大戦でもドイツ側の方が死者・負傷者が少ないため、「いずれの陣営も負けである」という少数意見もある。

ウクライナについては、第一次大戦末期にあっちについたりこっちについたりとした結果、聞くも悲惨な結果になったのだが、関心のある方は、各自研究のこと。

p2話をピロリ菌に戻すと、2008年12月22日「ピロリ菌退治」で紹介したように、昨年末から第一次除菌作戦を開始。二種の抗生物質と胃酸を抑える薬の三薬投与(というと大げさだが、1週間、朝と夜に各一粒ずつ飲むだけ)を続ける。そして四週間経ってから、ピロリ菌検査。

試薬の尿素を飲むと、仮にピロリ菌が生きていると、その尿素を原料にしてアンモニアが発生する。アンモニアを撒き散らして酸性度を低くして菌が繁殖するわけだ。そして呼吸検査の結果、「クロ」と出る。セーフラインが2.5パーミルに対して、17.2。アンモニアガス大量発生である。もともと、第一次除菌の成功率は、最近2/3(67%)程度まで下がっているようである。

実は、第一次除菌作戦で、投薬を終えて検査にいたる4週間の間に、かなり胃が膨張してガスが発生しているなあ、という感じがあった。一部残ったピロリ菌が、大繁殖して各種ガスを放出しているような嫌な感じだった。

さらに、検査で使った尿素から発生したと思われるアンモニアのせいと思うが、検査の後、半日は、前例のない異様な睡魔に襲われたわけだ。

そして、二度目のチャレンジは、同じく三薬投与であるが、抗生物質の種類が変る。後は同じパターンで、朝夕3粒の薬を1週間。そして4週間後に再検査。詳しくは、2009年2月5日付け「ピロリ菌第一次滅菌作戦失敗!」参照。二度目の除菌も成功率は2/3(67%)とも言われている。2連敗しても、あと一度だけチャンスがあるが、保険は効かない、と言われていたのだが、いずれにしても、ここまできたら、行くしかないだろう。

p2今回は、特にガスが張ったりとかの感じはまったくないので、検査を前に、やや自信があったのだが。前回と同じように尿素を飲み呼気を採取し、1週間後の結果発表を待つ。

結果は、セーフライン2.5パーミルに対して、「0.4」。セーフである(なぜゼロにならないのか?)。

無罪放免であるのだが、一応、念のため、かかりつけの女医さんに尋ねる。

葉一郎:「第一次除菌で失敗すると第二次除菌コースに入るという方法よりも、最初から第二次除菌コースの方がいいのではないでしょうか」

女医:「一応、第一次除菌のあと、第二次除菌をすることになっているのですが、最近、第一次除菌の成功率が低いので、いきなり第二次除菌という考え方もありますよね」

ということだった。「あなたの意見が間違っているのではないが、一応規則通りやっただけで、私はヤブ医者ではないので、花粉症の治療もウチでやってほしいなあ」ということらしい。

これは、私の憶測なのだが、第一次除菌に使う3種類の薬は、大阪のTKD薬品がセット商品にして、1週間分のパッケージにしているわけだ。一方、第二次除菌の3種類の薬は、バラバラであり、それぞれ別の製薬会社の製造である。とりあえず、パック商品を使うということになれば、必ず誰かが儲かるわけなのだ。


ところで、先週のいつか、朝日新聞にピロリ菌の記事が特集されていた。実際には、治療の各段階で、さまざまな微妙なニュアンスのことが起きるのだが、いたって現実感のない杓子定規な記事だった。ネット情報と医師側の情報だけを切ったり貼ったりして作ったような感じがして、あまり約に立たないなあ、と感じた。

19階日本横丁(堀田善衛著)

2009-03-22 00:00:09 | 書評
yokocho先日、池袋の西武で古本市を覗いて買った本。105円でずいぶん楽しむ。

文庫本の裏表紙には、「エコノミック・アニマルたちの姿を通し、世界各地で日本がしてきたこと、世界での日本観を、ユーモアと警句を交えて描く」となっているが、そうではないと思う。まったく違うと思う。

作者は、1970年ごろのモスクワ(であることは、しばらく読み進んだ時に明らかにされる)のあるホテルの19階に、日本商社が集中していて、さらにホテルの別の階に多くの商社マンの住居を設定する。そこにできあがったミニ・ニッポン・コミューンの中で苦闘する日本人像を描いている。

別に、商社マンをケダモノのように書いているわけじゃないし、むしろ、新興国日本が経済大国に膨張していく、大きなうねりの中で、ロンドンやシンガポールではなく、モスクワという辺境で、なにごともうまくいかずに苦闘する商社マンを描いている。

だいたい、商社マンが何をやっていたか、というのは、日本人大衆は何も知らなかったわけじゃなく、国内にいても、だいたいはわかっていたはずだ。1本のバラの花からミサイルまで、単なるモノの売買にとどまらず、需要掘り起こしのために展示会を行ったり、政府高官の息子を大学に裏口入学させたり、まあそんな程度である。

多くは現在まで問題を引きずっている、農業製品や漁業の濫獲問題。そして、最後に作者は、あと書きの中で、世界経済が石油や森林資源を無尽蔵に使って、浪費社会になっていくことへの漠とした不安までを書いている。まだオイルショックは始まっていない時期にだ。

いまさらながら、この小説を原作にして映画を仕立てれば、きっと面白いだろう。「幕末太陽伝」みたいな感じかな。と思った。

さらに、読後感は横光利一の「上海」に似ていて、海外での日本人をパワフルに、そしてアクチュアルに描けているなあ、ということで、最初、このホテルが世界のどこにあるのか作者が書いてくれないため、あれこれと想像するのだが、なんとなく上海かな?と思ったのである。調べてみると、横光利一も堀田善衛も短い期間だが、上海に在住していた。

以前、芥川賞受賞作品である「広場の孤独」を読んでいたのだが、生涯を通じて、少しずつ作風が変わっていった作家だと思う。力作揃いなのが、むしろ作品に近寄りづらくしている理由かもしれない。

将棋駒の世界(増山雅人著)

2009-03-21 00:00:05 | しょうぎ
komanosekai将棋の駒について書かれた本である。一応、駒の歴史のような章もあるが、大部分は「木工芸術としての駒」という主旨で書かれている。材質や、製法の差(彫駒、彫埋駒、盛上駒)、書体、名工列伝とか。

長く、将棋を指していて、それなりに理解していたのだが、新鮮な部分もあった。元々、数十年前に、ある専門家に選んでもらって購入した自分の駒の一組について知りたいことがあったのが、この本を読んだ理由だが、その謎も解けた。

まず、ごく一般論として、材質は「ツゲ(黄楊)」である。これには産地によって、上中下がある。木目は一般には柾目だが板目も使われるし、木地の紋様を楽しむという主義でいけば、地表を這う根や枝分かれした枝の節などに珍品がある場合がある。

彫り方については、文字を彫り、黒漆で文字を塗る「彫駒」が一般的だが、さらに表面が平らになるまで埋めてしまう「彫埋駒」、平らになった表面からさらに文字を黒漆で盛り上げていく「盛上駒」がある。日本将棋連盟では、プロの対局には「盛上駒」を用い、奨励会の対局には「彫駒」を使っているそうだ。身分格差をなんとか人工的に作っている。

次に書体だが、重要な点は、「書道家が駒字体を作ったわけじゃない」こと。もともとの書の名人の文字を、五角形の枠の中に収める都合で、文字によって横棒をつめたり、文字の大きさを変えたり、彫師群像が工夫を続けた歴史であるそうだ。さらに、書体の華は「銀将」だそうだ。「金将」の場合は、金と将の文字が異なり過ぎるので、美しくならないそうで、書体の美は「銀将」の二文字がもっとも発揮できるそうだ。その結果、多くの駒は金将の「将」と銀将の「将」の書体は異なっているそうだ。

また、名工列伝では5名が紹介されているが、その中で、「木村」という号が紹介されている。14代永世名人木村義雄の弟である。どうも、若いときは、派手な生活をしていて、金がなくなると名人に自作の駒を買ってもらっていたそうだ。名人は、その威光で、また別の人に買い取ってもらっていたのだろう。一族経営の手法だ。しかし、いずれ名人失冠。「木村」はその後、枯れた名作を次々に彫り上げたそうだ。ありがちな話である。



以前の名工は東京の近くに多く住んでいたそうだが、最近は天童市でも高級駒に力を入れているそうだ(本には書かれていないが、最近、天童に行った人の話では、天童市が名工育成に力を入れていて、職人が作った駒が売れ残っても、市が買い取って、倉庫で眠らせているそうだ。なにか「かんぽの宿」みたいな話だが、市の財政が厳しくなって、一気に売り払おうとすると価格が暴落して「かんぽの宿の入札」みたいになってしまうだろう)。


そして、この本にある書体をもとに手持ちの駒を調べてみると、まず他人様よりもらった白っぽい駒は、書体が「錦旗」。「仙山」作とあるので、機械彫ではないだろう。金将と銀将の「将」の書体が異なっている。

次に、もう少し高級な駒の方は、駒師が「香月」となっている。この「香月」は東京かと思っていたが、天童だそうだ。天童が名工を育て始めたはしりにあたる方だそうだ。この駒を私が入手してから数年後に他界されている。そして、書体が「山華石」。この「石」という字の崩し書体が、長く読めなかったわけだ。文字の彫りが細いのが特徴である。比べてみても、金将と銀将の「将」の字は同じである。やや飴色に変色している。


駒の手入れの章で飴色の駒の話題が紹介されているが、日本将棋連盟には「名人駒」と呼ばれる古くから伝わる飴色の名品が二組あるそうで、東西の将棋会館に一組ずつ所蔵しているそうだ。ところが現在は、主に二つの理由で使われていないそうだ。

一つ目は、長く使われていた間に漆が傷んできているからだそうだ。最近の棋士は駒を丁寧に扱うが、少し以前には、バシッ、バシッと駒を叩き潰すような重量棋士がタイトル戦に登場していたので、彼のせいなのだろうか。そして二つ目の理由は、対局のテレビ中継。対局室に強い照明が入れられない関係で、飴色の駒だと、テレビ的によく見えないので、白っぽい木地の駒が使われるようになったからだそうだ。

そして、古く黒ずんだ駒の再生法が書かれている。まず、水ではなく牛乳で駒を磨くそうだ。脂肪分が含まれるため、汚れがよく落ちるそうだ。そして、汚れが落ちたら、椿油を多めにつけて磨けばいいそうだ。美しい飴色が復活するそうだ。

新品の飴色の駒を買う資力(100万円)はまったくないので、専門店、古道具屋などに茶色に変色した駒が、安く委託販売で出ているものを入手して、牛乳と椿油で再生してみようかな、とか思わないでもない(やはり思わないかな)。


さて、3月7日出題作の解答。



▲2二角成 △同銀 ▲1三香 △2一玉 ▲1二香成 △同玉 ▲1三歩成 △同銀 ▲2三飛成 △1一玉 ▲1三竜 △2一玉 ▲2二銀 △3二玉 ▲4三金 △4一玉 ▲1一竜まで17手詰。

本筋と変化筋がかぶってしまうのが難点。

最後にスッと竜が入るのが「おおた流」なのだが、どこか力強さが欠ける。

作っている人でないとわからないと思うが、初手の▲2二角成のところで▲2二角不成という手で入って敵玉を泳がせて、まったく別筋での詰みがあると『余詰作』という烙印を押されるのだが、かろうじて▲2二角不成では詰まないようになっている。

動く将棋盤はこちら




今週の問題は、「中段の攻防」。合い駒選択あり。つまり嫌われがちな問題である。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。

予測、的中

2009-03-20 00:00:08 | 市民A
fatherもう、名前を忘れられてしまったのかもしれないが、昨年(2008年)末に行われた米国大統領選挙の敗者である共和党の副大統領候補サラ・ペイリンさんのこと。


当時の弊ブログ「2008年11月6日付、オバマ氏について(ほぼ与太話)」から引用。



一方、私が個人的に気になるのは、共和党副大統領候補であったサラ・ペイリン。最後にカナダ人コメディアンによるニセ・サルコジのフランス訛の英語にだまされ、次期大統領を狙っていたことが判明。サルコジ氏が英語を話せないことを知らなかったことがばれてしまった。もちろん、はじめてパスポートを取得したのが2006年で、欧州にも行っていないらしい、との噂もある。(もっとも、それが平均的なアメリカ人らしいが)

落選してしまった彼女の最大の心配は、12月に出産予定の長女B子(17歳)さんの高校生のボーイフレンドが、選挙が終わってしまってもなお、結婚する気が残っているかどうかだろう。4年後、8年後のためにも・・


長女B子さん(ブリストルさん)は、1月に男児を出産したのだが、CNNは最新報でこう伝える。

出産したペイリン知事の10代娘、婚約破棄 将来「復縁」か

「破局」を発表したペイリン・アラスカ州知事の娘と出産した子供の父親(CNN) 昨年の米大統領選で共和党副大統領候補だったサラ・ペイリン・アラスカ州知事の長女で出産した高校生のブリストルさん(18)が17日までに、生まれた子供の父親で高校を中退したレビ・ションストンさんとの婚約を破棄したことが分かった。

ただ、ジョンストンさん(19)はABCテレビとの会見で、「将来的に一緒になる可能性はある」とも述べた。2人は、将来をみすえ、冷却期間を置く考えとみられる。2人は今年の夏、挙式予定だった。

ジョンストンさんは破局の原因について「けんか」が原因だったと明かし、一緒に夫婦として生活出来ているのか不安になった末、婚約を破棄したと述べた。自らの未熟さを認めながらも、子供のことを考え、2人で別れることを決めたという。ただ、育児の役割は今後も担うとしている。


ペイリン知事は妊娠中絶反対の保守派とされただけに、高校生の娘の妊娠は政界のみならず、全米の大きな話題となっていた。ブリストルさんは1月に男児を出産していた。

ブリストルさんは先に、米FOXテレビの会見に応じ、育児は「決して華やかなことではない」とし、自身の体験談を通して若者たちに慎重な判断を呼び掛けたいと述べていた。「赤ちゃんを産むのは10年後にすればよかった」と、反省の色ものぞかせていた。

知事は娘の破局について、ピープル誌に最近、ブリストルさんの選択を支持する考えを示している。


個人的には、父親がなぜ、高校を中退したのか。そのあたりに婚約破棄の原因があるように思えるのだが、どうだろう。

しかし、考えれば、バラック・オバマ大統領も父親がどこかに行ってしまってから、しっかり者の祖母に育てられ、末は大統領になったのだから、高校中退の父親に逃げられたこの男の子だって、祖母の手で偉大な人物に教育されるのかもしれない。

もっとも一方は常夏のハワイ育ちだが、一方はアラスカである。「日焼けはしないだろう」とイタリアの首相なら言うだろう。

夜の日銀

2009-03-19 00:00:06 | 歴史
nichigin先日、本石町方面の料理屋に討ち入りした際に、近くにライトアップされた石造りの建物があった。手持ちの一万円札の図柄で確認すると、日本銀行本店であった(というのは嘘で、1万円札に日銀本店の図柄はない。)。

ライトアップしているのは、アートの目的なのか、あるいは金庫破りを防ぐ防犯上の理由からなのかはよくわからない。ただし、日々の市中銀行との現金往復輸送業務は、首都高速のあまりの混雑のため、今は埼玉県の戸田にある日銀戸田分館(発券センター)で行われているので、討ち入るならそちらの方がいいだろうか。

日銀本店の方の金庫には、今、何が入っているかよくわからないが、案外、たいしたものは入っていないのではないかと、思う。実際に日銀券というのは、不兌換券であるのだが、仮に、「何か価値のあるもの」と交換できるとすると、既に日本中に大量に行き渡っている日本銀行券(お札)の総量と等価のものを、日銀が金庫の中に持っているのだろうか、と思うわけだ。

では、日銀券の発行残高(というのも奇妙な言い方だが)は?これが、約70兆円。意外に少ない。国債・地方債などの発行残高が1000兆円に近いとか、個人金融資産が1400兆円とかいうのだから、ゴミみたいな金額である。日銀自体も国債を保有しているのだから、70兆円分の担保能力は十分なのだろう。

ところが、日本国政府=日本銀行ということではない、ということになった場合、日銀券の裏打ちというのは、かなり覚束なくなってしまう。この一等地の歴史的建造物も、日銀資産の一つ、つまり、お札の価値を保証するものの一つと、いうことになるのだろうか。

しかし、この歴史的建物、簡単には換金できない。実は重要文化財に指定されている。明治29年(1896年)の竣工である。石造りに見えるが、中身はレンガだそうである。銀行のイメージに合わせて、御影石を貼り、重厚感を醸し出しているそうだ。現代では、マンションなどにレンガ風のタイルを貼って、見かけ上の資産価値を上げる場合があるが、レンガの価値が上がったのだろう。

設計者は、金庫にちなんで辰野金吾(きんご)である。赤レンガの東京駅舎の設計者でもある。「権威」「中央政府」「国家の威厳」というようなものを表現するのが得意分野である。

nichigin一方、東京駅の向かいにあるのが、最近話題の中央郵便局。こちらは昭和14年(1939年)の竣工。設計は吉田鉄郎氏。モダニズムの傑作とされる。

保存か解体かの、大きな論点は、「モダニズム」の解釈ということになるのだろう。モダニズムは、精神的には、封建主義や中央集権主義、宮廷様式などからの脱却、つまり市民主義の勃興と期を同一にしている。つまり、日銀や東京駅のもつイメージとは180度違っている。さらに仕様としては、機能主義を中心においている。

つまり、極論すると、ほとんどの現代のビルはモダニズムである、ともいえるわけだ。(『ポスト・モダン』というのもあり、東京駅前の赤いビル、東京海上がそれだ)。だから、モダニズムを厳密に考えると、ビルができた時には機能的、合理的、平等的であっても、長い年月を経て、使い勝手が悪くなれば、それは「単に、消えていくべき」である、という考え方もあるわけだ。モダンボーイは老醜をさらさないという原理だ。


nichiginところで、自分的には、最もモダニズムを具現したビルとして、表彰状をあげたいのは、名古屋駅前で存在感を示している『大名古屋ビルヂング」。外観だけではなく、各フロアは、北側に立派な通路を配置し、南側(駅前広場側)に広い事務所スペースを確保している。

今のところ、保存運動は起きていないようだ。

幻の復刻酒米

2009-03-18 00:00:45 | あじ
bizensokai酒造好適米という言葉がある。日本酒の原料米として、圧倒的なシェアを持つのが『山田錦』である。兵庫県を原産とするが、登場したのは1936年。兵庫県農事試験場である。今でも全国の8割は兵庫県産である。普通の米より大きくて粒の中心が白く、タンパク脂肪の含有が少ない。

全国の有名ブランドの多くが、兵庫県の契約農家から買い上げ、単体あるいはブレンドとして高級酒を醸造している。

しかし、人間の舌というのも妙なもので、特に最近になって、新たな酒米の潮流がある。一つは、新たな品種改良である。そして、ここに特記すべきは、もう一つの潮流である。

復刻米。

要するに、『山田錦』から前に進むのではなく、以前に遡っていくこと。

全国で米粒探しが行われた(今も)ようである。農家の古い古い納屋の使われていない脱穀機の中に残っていた一粒の米粒をバイオテクノロジーで復元したりしているようだ。(一般に酒造好適米というのは、食用すると不味い米が多いそうで、戦後の政府の米価維持政策政策の中では、経済性を持たなかったため、多くは絶滅してしまったと思われているからだ。)

山田錦の親は、『山田穂』と『短稈渡船』。そして、さらにそれぞれの親は、・・・

そして、日本の酒米品種の2/3は、岡山県のある品種にたどり着くそうだ。

『雄町』。

発見されたのは、実に1859年(安政6年)。日本史上、黒船来航以降の大騒擾が開始された頃である。地方はのんびりしていたのだろうか。1866年についに酒米として流通が始まる。まさに徳川幕府ラストランの年だ。

山田錦もこの『雄町』を起源に持つそうだが、雄町が徐々に姿を消していった理由の最大は、稲の背丈が180センチにもなること。その為、台風被害を大いに受けてしまう点にあったらしい。倒れると、米の品質が激落するようである。地球温暖化による気象変動で、瀬戸内地方を襲う台風が減ったことと、最近の『雄町』の復活は関係があるのかもしれない。

そして、味は・・


JR岡山駅新幹線改札内の売店で、日本酒を探したところ、棚の一番はじに四合瓶があった。

「備前蒼海」。(本当は、棚の中で最も安いのだけど)

底の白いお猪口に入れると、透明感はあるものの、わずかに色が残っていることに気付く。「あぶない地酒の色」である。過去に何度も全国各地で失敗している。しかし、今度は大丈夫である。1本買って、自宅で飲むだけだからだ。お代わりなし。

そして、蒼海(そうかい)という名前がイメージする爽快感とは対極的なフルーティの中に濃厚な芯が感じられる。ただし、その芯は決して「酒っぽい」のではなく、何か舌から脳に伝わる種類の味覚ではなく、大脳の中で、この酒にふさわしい微妙な「なにか懐かしい香り」を脳の記憶の引き出しの中から探し出すような、類のない快感なのである。


この『雄町』種だが、岡山県が全国の9割を生産しているそうである。ネーミングの『蒼海』は、もしかすると、酒造元が、誰にも真似のできない美酒を造った自信から、マーケティング理論でいう「ブルー・オーシャン戦略の王者」を宣言したものかもしれない。

(もっと高い酒も売られているのだから、そんなことないかな)