相撲も強いが、野球関係のギャンブルも大好きだった時期のある豪栄道が大関になり、大関受諾時の口上として、『大和魂』を持ち出したので大いに驚いた。
どちらかというと、戦時中の耐乏生活を正当化するために、当時の日本政府が歴史の中から探し出して利用したコトバでもあるからだ。戦艦の名前にもつけたため、ああいうものが大和魂の象徴なのかと、戦後、大いに株を下げたコトバの一つだからだ。
ただ、元々、大和魂というのは、「日本流の思考パターン」というようにとらえると、例の「ますらおぶり」とか「たおやめぶり」といった日本と海外(中国だったり、欧米だったり)との思想的独立性のところに行きつくわけだ。一体、どういう大和魂を念頭にしゃべったのだろうか。うっかりすると、国際問題に発展するかもしれない。
で、その口上の翌日に、大関本人からいくつかの解説が行われている。
まず、大和魂については、
「日本人の我慢強さ、潔さがこの言葉にはこもっているので選んだ。」とのことだそうだ。
どうも戦艦大和主義ではないようだ。
それでは、日本人力士にとって、目下の最大の敵はモンゴル力士なのだが、果たして日本人とモンゴル人とはどちらががまん強いのだろうか。また潔いのは。実際、モンゴル人の知り合いがいないのでよくわからないのだが、モンゴル人が日本攻撃を行った時には、一回失敗したのに、もう一回攻めてきたわけだ。秀吉の挑戦攻撃も、二回行ったわけだ。同じぐらいじゃないだろうか。
それよりも気になるのが、大関になって、次の目標を聞かれたとき。当然、横綱というコトバが期待されたのだろうが、実際は「優勝」と答えている。当然だろう。優勝しなければ横綱になれるわけない。ただ、横綱になった時のために、さらに立派な口上は用意しておかなければならないだろう。野球賭博事件の謝罪は、その時に聞けるかもしれないわけだ。その時に発覚しなければ、さらに八百長に追い込まれて追放されたかもしれないのであるから、一旦リセットされたことがプラスになっているのだろう。
ところで、八百長問題の時に、石原知事は、相撲=国技なんて、ちゃんちゃらおかしい、と発言したのだが、元知事が力士の言う大和魂という言葉について、どう思うのか、ちょっと気になる。
どちらかというと、戦時中の耐乏生活を正当化するために、当時の日本政府が歴史の中から探し出して利用したコトバでもあるからだ。戦艦の名前にもつけたため、ああいうものが大和魂の象徴なのかと、戦後、大いに株を下げたコトバの一つだからだ。
ただ、元々、大和魂というのは、「日本流の思考パターン」というようにとらえると、例の「ますらおぶり」とか「たおやめぶり」といった日本と海外(中国だったり、欧米だったり)との思想的独立性のところに行きつくわけだ。一体、どういう大和魂を念頭にしゃべったのだろうか。うっかりすると、国際問題に発展するかもしれない。
で、その口上の翌日に、大関本人からいくつかの解説が行われている。
まず、大和魂については、
「日本人の我慢強さ、潔さがこの言葉にはこもっているので選んだ。」とのことだそうだ。
どうも戦艦大和主義ではないようだ。
それでは、日本人力士にとって、目下の最大の敵はモンゴル力士なのだが、果たして日本人とモンゴル人とはどちらががまん強いのだろうか。また潔いのは。実際、モンゴル人の知り合いがいないのでよくわからないのだが、モンゴル人が日本攻撃を行った時には、一回失敗したのに、もう一回攻めてきたわけだ。秀吉の挑戦攻撃も、二回行ったわけだ。同じぐらいじゃないだろうか。
それよりも気になるのが、大関になって、次の目標を聞かれたとき。当然、横綱というコトバが期待されたのだろうが、実際は「優勝」と答えている。当然だろう。優勝しなければ横綱になれるわけない。ただ、横綱になった時のために、さらに立派な口上は用意しておかなければならないだろう。野球賭博事件の謝罪は、その時に聞けるかもしれないわけだ。その時に発覚しなければ、さらに八百長に追い込まれて追放されたかもしれないのであるから、一旦リセットされたことがプラスになっているのだろう。
ところで、八百長問題の時に、石原知事は、相撲=国技なんて、ちゃんちゃらおかしい、と発言したのだが、元知事が力士の言う大和魂という言葉について、どう思うのか、ちょっと気になる。