東急田園都市線の市ヶ尾周辺の観光地を調べていたら、「市ヶ尾おさかな広場」という場所があるらしい。どうも、それ以上のことはネット上で調べても納得できないようなことが多い。一足伸ばして探しに行く。
市ヶ尾駅から国道246号線の上に架かる大歩道橋を渡り北方向に進むと、なぜかボクシングジムがあり、その裏に有名な「ふくろうカフェ」がある。さらに進むと「市ヶ尾おさかな広場」という交差点がある。
事前調査では青葉区の区役所が整備されるときに、同時に設置されたということなので、区役所の駐車場あたりに彫刻があるのではと思って向きを変えて歩き始めると、けっこう距離がある。なにかおかしいと、スマホのナビで確認すると、さきほどの「おさかな広場」交差点のそばのようだ。つまり前を通り過ぎていることがわかる。半信半疑で戻ると交差点のそばに小さな区画があって、広場風になっている。といって、公園的ではない。地面はコンクリートだし、敷地は傾いているし。後で調べると、156㎡(47坪)。あまり広くない家が一軒建つスペースといった感じだ。
よく見ると、広場の中央ではなく端の方に中空の魚の彫刻がある。かなり妙な彫刻だ。頭と尻尾があって、途中がない。頭部は鯉に似ているが、ひげがない。さらに、その彫刻の数メートルの場所にある壁に小さくくり抜いた四角い穴があり、約10センチほどの小動物のブロンズ像がある。ほとんど見過ごしそうなサイズだ。この動物が奇怪で、一角獣。色はともかく実在の動物なのか架空の動物なのか、どちらとも言い切れない。ネズミサイズだ。おさかなだけの広場ではないわけだ。魚とは造形がまるで違う。同一人の手とは思えない。
ということで、後日じっくりと調べると、この奇妙な広場を調べた先人が何人かいることがわかってきた。しかし、真実にたどり着いた方はいないようだ。なにしろ役所仕事で担当者は、今はかなり退職しているようだし、そもそも奇妙すぎて謎が多すぎる。
まず、東急線の駅から5分ほどの土地だから、坪130万円としても6000万円を超える。さらに公園としては狭すぎるし、コンクリ床は暑いし転べばケガをする。彫刻は移動すればいいのだから、ここに広場がなぜあるのだろう。元々、市有地になったのは、何か特別の事情があるのだろうか(事件地とか?)。
先人たちの調べた内容に*印として若干情報を追加してまとめると、
1. 彫刻家は、フランス人のフランソワ=クザヴィエ・ラランヌ氏(*男性)で2008年に亡くなられている。
2. 彫刻のタイトルは、“Poisson-Paysage”「魚風景」。(一角獣は不明)
3. 元々(1991年以前)は、別の場所(*市ヶ尾駅から西にある鶴見川に近い場所で県税事務所と税務署の間と思われる)にあった緑区北支所(当時は青葉区はなく緑区の一部だった)の駐車場内にあった。
4. 1991年に、『市ヶ尾彫刻のプロムナード』として、青葉区の新区役所の近くに7つの彫刻を配置することで街づくりの一つの目玉にした。(*その後、彫刻は11体に増えている)
先人は区役所に問い合わせたものの、当時の人もいないし、資料もない(区がなかったので当然)とのこと。彫刻家もいまはいない。
ということで、そこから先を少し調べてみることにした。といっても土地を調べるとたぶん数百円かかりそうだし、それでわかった試しもないので、彫刻家について。特にフランス人ということで、少し閃くものがあった。
まず、ラランヌ氏はある程度有名な彫刻家だった。日本ではアサヒビールの大山崎山荘美術館の庭に二匹の羊の像がある。生年は1927年、没年は2008年81歳ということだろうか。奥様(クロード・ラランヌ)も芸術家で、夫妻で制作した作品とラランヌ氏だけが制作した作品がある(相続税対策かもしれないが)。「魚」のそばの「小動物」は女性的な作品と言えなくもないので本当は共作かもしれないが、調べようもない。奥様は大きな彫刻だけではなく、ディオールのジュエリーデザインも手掛けている。
このラランヌ氏に大きな影響を与えた彫刻界の大御所が、コンスタンティン・ブランクーシ。ルーマニア生まれで、パリで活躍し、多くの芸術家に影響を与えた。フランス領のアフリカで人間の原始的な芸術を吸収し、西洋芸術と融合させた。絵画の世界で印象派の後に登場した様々な流れの中のいくつかにはアフリカの影響があるのだがルーツはブランクーシでもある。また、日米の対立の中で揺れ動く青春を過ごしたイサム・ノグチが彫刻の世界で活躍できたのも、ブランクーシの下で働いて学んだからだ。
といって、ブランクーシは1876年生まれ、イサム・ノグチは1904年生まれ、ラランヌ氏は1927年生まれ。上下51歳の差である。方や世界最高峰、方や新人。
実は、ラランヌ氏はブランクーシの隣地に住んだそうで、ブランクーシ邸にやってくる人脈とわたりをつけたようだ。あるいはブランクーシ氏が面倒な仕事を回したのかもしれない。
そして、思うのだが、あの魚の顔だが鯉に似ていると感じたのだが、アフリカの大河を泳ぐ魚をイメージしているような気がする。しかも、元々設置されたのが鶴見川のそばということだが、鶴見川には大型の鯉がたくさん泳いでいるわけだ。ラランヌ氏は来日して現場を確認したのかもしれない。鯉のモデルとしてアフリカの川魚を使ったのではないだろうか。もちろん、鶴見川の鯉にあるヒゲは、見てみないふりをしたのだろう。作りにくいと思う。
ところで、
個人的には、おさかなよりも一角獣の方が好きだ。