小磯良平展で知った二人のモデルのこと

2015-04-26 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
牛窓にある瀬戸内市立美術館で開催中の小磯良平展(~4/26)へ。小磯良平(1903~1988)は、まったくオーソドックスな洋画家であり、芸大の先生でもあった。きちんとしたデッサンのもとに、近代絵画の多くの思想と技術を理解し、どちらかといえば風景よりも人物を描き、特に多くの女性を描き、また群像画を残している。

若い時の渡欧経験によりドガの絵画の影響を受け、舞台裏の踊子なども描いている。そして、若干の戦争協力画を描いたことを悔やんでもいる。

本展は、姫路市立美術館とふくやま美術館の協力の元に開催されている。姫路市立美術館といえば、姫路城オープン記念としてシャガール展開催中だし、ふくやま美術館も先日行った時には特別展だった。休眠絵画の有効利用ということだろう。絵画のモデルも休みなしに出場しなければならない。

と、思いながら、展示の内容などをキャプションで読んだりしていると、女性画について二つのことがあることがわかった。

一点目は、和装の女性と洋装の女性の描き方。和装の女性は、上品かつ日本的古典美を意識して描いていて、洋装の女性は、もう少し自我を強く出すように描かれているということだそうだ。(本人に確認すればよかったのに、と思うが)

koiso


二点目だが、モデルのこと。ある画廊の女性を長く描きつづけていたそうだ。確かに1960年代の婦人画は、すべて同一モデルのように見える。衣裳やポーズは変わっていてもだ。そして洋装。本展覧会のパンフレットに使われている婦人像(1969年・ふくやま美術館蔵)は、その代表的作品。

ということで、気になり、そのモデルのことを調べてみると、さらに意外な話があった。

この婦人像のモデルは、中出幸子さんという方で、昨年あたりから小磯良平にゆかりの人物ということで多くの会場で、小磯先生の思い出を語っている。現在は71歳と思われるが、写真で見ると、かなりしっかりとした方らしい。

モデルだったのは、1964年から10年間ほどということ。大阪の「梅田画廊」の受付をされていて、小磯先生からモデルを頼まれたそうだ。

そして、もう一人のモデルの方がいた。すべてを過去形で書かなければならないのが残念なのだが、中村悠紀子さんという女性。もう一人の方と名前が似ている。1971年からモデルをされていて、和装の方が多かったようだ。二人の期間を重ねてみると、3年ほど重なっている。実際に重なっているのか、少しずつ関係者の記憶がずれているのかはわからないが、この方も当時は同じ「梅田画廊」の社長秘書兼受付だったそうだ。

そして彼女は、数年後に渡米。さらに10年ほど経ち、米国企業の秘書としてニューヨークで働くことになり、新しい人生の準備のため日本に戻る。そして、1985年8月12日18時、羽田発伊丹行き日航123便に搭乗することとなる。

身寄りが少ない彼女についての情報を当局に連絡したのは、小磯画伯であったということだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿