鋸山・日本寺

2021-12-31 00:00:00 | たび
鋸山には小学校の遠足で行ったことがあった。数十年ぶりだ。

と、ここで私的注釈だが、こども時代の思い出を辿って人生の終焉を迎えようという旅をしたわけではまったくない。海外のリゾートホテルの利用権を持っているのだが、ご存知の状態で何年分か溜まっていて、いくらためても行けなくなるだろうから国内施設に振り替えようとしても、同じ考えの人が多く、夏の段階で予約可能だったのが、鬼怒川温泉と箱根強羅と御宿だったということ。三カ所とも運よくコロナ下火期間になったのは運が良いからか。

運が良かったといえば五輪チケット。5ヶ所の観戦権利がフイになった時は、悔しさが燃え上がったが、その後、開催直前に突発性の眩暈で寝込んでしまい、権利があっても行けなかったわけで、結果としてチケット代が全額返金になった。さらにもう一つの幸運もあり、その反動で来るべき2022年が大いに不安になっている。

思えば、2021年のラッキーは換言すると「おカネのラッキー」だったわけで、反動が「おカネのアンラッキー」であれば、まあ不幸中の幸いということだろうか。



鋸山の画像でよく紹介されるのは、頂上にある不安定な感じのある岩場だ。そこに立ってみると怖くないのだが、離れてみると危険としか思えない(この岩の上に立つための最終アタックが少し怖いが、足を踏み外しても3m程度滑り落ちるだけだが)。



順路に従って下りてきて、上を眺めると恐怖だ。コース順の妙と言うべきか。



頂上からの眼下には海が広がる。海からいきなり300m超の崖のような岩山があるということ。なお、鋸山とは山頂が横に広がり鋸の刃のようにギザギザだからだ。



そして、この山は一体として日本寺のものだが、山の下の方には山体を削って彫り出した石仏がある。完成したのは天明三年大野甚五郎作である。天明時代は8年間しかないが、大事件が連発した。まず天明時代を通して大飢饉だった。浅間山が大爆発。田沼意次が失脚。蝦夷地開発に着手。千島列島の探索が行われる。志賀島で金印が発見される。天明の打ちこわし。寛政の改革。



ようするに天候不順や火山爆発による飢饉になって日本経済が破綻寸前になる。北海道や北方領土がなんとかできないかとなり、政権は崩壊、緊縮政策に逆戻り。唯一明るい話題が金印発見。

なんとなく令和と・・コロナ拡大で貧困の拡大、地震や火山爆発で食糧危機、円安進行と原油高、好戦的な独裁国家群に囲まれ防衛費が増大、国内では放火魔が多発・・、唯一五輪と万博を開催。

そして江戸末期、明治、大正、昭和前期と大仏は荒れに任せていたが、昭和44年に修復される。大仏の体に筋が見られるのは修復の跡なのだろう。

市原ぞうの国

2021-12-30 00:00:56 | たび
前々から知っていた象の動物園。千葉に旅行中に行ってみた。場所は圏央道の市原鶴舞ICより数分の場所で、ICの南側が「市原ぞうの国」で北側が「サユリワールド」。「サユリ」とは園長の本名(坂本小百合)からの命名だろうか。草食動物を中心とし、できる限り触れ合える動物を飼育している。

荒川河川敷に迷い込んで捕獲され、引き取り手がなかった野生の日本鹿(雄)もケープと名前がついてサユリワールドにいる。ただ、他の鹿は野生ではないため、ケープと距離を置いているそうで、もうすぐ「ケープの森」という専用スペースが与えられて、二頭の雌鹿と一緒に暮らすようだ。1:2というのが気になるが。

そして象の方だが、「市原ぞうの国」の他、「勝浦ぞうの楽園」という場所も経営しているそうで、そちらは人間でいえば老人ホーム。ショータイムなしで、単に余生を過ごす場所のようだ。もっとも人間の場合は、こども→勤労者→年金生活→老人ホーム→?という順序だろうが、象の場合は生まれるとすぐに勤労者になり、体が動けなくなったり、脳が弱くなったりすると、そのまま楽園暮らしとなるようだ。全国の動物園から老象を預かっているようで、一応、老象の動物園ではあったが、現在は休園している。

それで、象のショータイムだが、まずはパレード。



そして音楽演奏のあとは、お絵かき。嫌になるほど上手い。



そしてサッカー。人間と同じように、上手い下手の差は大きいようだ。力強く蹴ったボールがゴールに吸い込まれる。ただ、前足というのは人間なら手だ。サッカーでは反則のような気もする。



そしてグッズ販売。3000円をゾウさんに渡すと、ゾウさんが縫いぐるみを鼻でつかんで渡してくれる。3人のこどもに一体ずつ買っている人もいたが、10万円給付を先食いしているのだろうか。



ちなみにゾウさんライドというのもあるが、タイに行った時に乗ったことがあるが、結構、揺れる。



そして、いつの間に完成していたゾウさんの描いたクリスマスツリーは、すでに予約済になっていた。

大多喜城のハイライト

2021-12-29 00:00:23 | The 城
大多喜城と通称するが、正確には「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」という。「城」とか「城址」とかではない。どうも千葉県ルールは苦手だ。県内の多くがご天領だったこともあって、県立とか国立と言った言葉が大好きのようだ。

さて、久留里城は山の下から運転中に一瞬見上げただけだったが、大多喜城は整備されているので模擬天守にも入れる。もっとも大多喜駅の横を通過するときに、撮り鉄何人かが駅の外側から撮影していたのは、いすみ鉄道の黄色の列車と小湊鉄道の赤い列車が並んでいるところで、帰りにカメラを準備してそこに行くと、撮り鉄もいないし列車も黄色だけしかないし、並んでいたとしても駅の中にカメラを持つ手を伸ばして撮影したに違いないだろう。



そして、運よく大多喜城では『兜とカブト』という企画展が開催されていて、戦国武将たちの特徴的なカブトが紹介されていると同時に通常展示の古文書類なども展示されていて、よく解説されていた。



門から天守閣に行く途中には7体の大型の武者人形が立つが、特別展用なのか常設展示かは不明。もっとも屋外なので、イミテーションでプラスティック感もある。



資料を読んでいると、どうも房総史というのがあって、房総半島内での陣取りの歴史というのは結構面白そうな感じで著書もいくつかあるようだ。

ところで、城に歴史ありというのはよく言われるが、大多喜城の城主は初代が本多忠勝。德川四天王の一人だ。大物だが、城の歴史としては、1609年に御宿に流れ着いたドン・ロドリゴフィリピン臨時総督を城内でもてなして、その後、江戸城に送ったという事件があった。

その一行による記録には城内には籠城用の田畑があったと書かれ、堅牢な造りと金銀の装飾のなされた城郭に驚いたことが記されている。

もう一つの歴史は幕末のこと。本多、阿部、青山、稲垣と城主は変遷し最後の城主は大河内正資。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍の総督を務めている。どうもこの城には「総督」という因縁の文字があるようだ。

安房小湊、誕生寺など

2021-12-28 00:00:40 | たび
鯛の浦の遊覧船と一緒に観光地になっている誕生寺だが、桟橋と道一つ挟んだ向かい側が誕生寺だ。日蓮宗の教祖である日蓮上人が、小湊の漁民の家に生まれたこと、そして日本の仏教各派の経典の勉強し比較検討した後、千葉県南部で活動をしていた時期がありここに寺院を定めた。



後年、身延山久遠寺を活動拠点とし、病没した年に茨城県の暖かい温泉地をめざして移動中に池上(現本門寺)の地で入滅したことにより、その三寺が日蓮宗では有名である。

しかし、誕生寺はもともと近くの別の場所にあったのだが、巨大地震(南海トラフ地震や直下型地震)のため、倒壊、水没したため今の場所に再興されている。生まれた場所は現在は海の中だそうだ。南房総各地には元禄地震の時の津波の高さを示す目印があるが、最近の情報では、もっと高い津波が到来すると言われている。

そして、小湊のもう一つの売りが、温泉。高温の温泉だそうだ。



ということで、さっそく温泉に浸るが、実は観光センターの中の足湯だ。たまたま持っていたタオルハンカチが役に立った。「旅の必需品はタオルハンカチ」というのが新法則だ。



この観光センター内の温泉だが、きわめて温度が高いのが特徴。熱い湯でも我慢して入るような忍耐強い人はやめた方がいい。長く湯につかると、入浴ではなく入滅になるかも。

『鯛の浦』の鯛

2021-12-27 00:00:22 | たび
「鯛の浦の鯛」と題名を書いて、左右対称語になっていることに気が付く。回文もどきだ。回文字列ということか。

安房小湊は日蓮上人のふるさとであるが、ここの海の鯛は日蓮上人の化身とも言われるそうで、食べてはいけないそうだ。地名も古事より鯛の浦という。高野山の藪蚊は僧空海の化身の可能性があるので叩いてはいけないというのと同じだろうか。たぶん叩いてしまった人もいるだろう。



観光地になっていて、「船べりをたたくと海から鯛が現れる」はず。船着き場に到着したのが出航1分前。あわてて乗船券を買うが、「海が荒れていて遠くまではいかないので割引適用」と言われる。JAFの割引も使うつもりだったが、「割引は一種類だけ」と言われ、交渉あきらめ乗船する。



と同時に猛スピードで沖に向かって突き進む。17ノット位かな。そして荒天により、海は荒れ、上下左右に揺れながら乗客のすべては船内の何らかの突起物にしがみつくわけだ。やはり外房の船員は並外れだ。



しばらくすると所定の場所に到着。不思議なことに鯛がたくさん集まってくる。もちろん何かをばらまいているはずだが、詳しく観察する余裕なし。



鯛だけではなく、他の魚も次々に集まってくる。確かに広い海のある場所に人間と魚が集まってくるのだから奇怪な話だ。鯛にも大きな大脳があるのだろうか。あるいは、やはり・・



船酔いのレベルを大きく超えて陸に戻り、資料館を一巡りして駐車場に戻ると、「本日欠航」に変わっていた。生還したから良かったものの、欠航看板の後ろに見えるクルマだけが残されるところだった。

午後の曳航(三島由紀夫著)

2021-12-26 00:00:22 | 書評
1963年の作品。実は高校生時代に三島由紀夫の大部分の作品(「豊饒の海」と「戯曲」類は読んでいなかった)をほぼ古い順に読んでいた。今、考えると内省的な作品から美的感覚を高めていって、さらに技巧的に円熟してきて、そのあと思想的に偏っていき、常人の考え(つまり現実主義)から逸脱していった。

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その技巧的円熟の時代の終わりの頃の作品で、それまでの内省的、小説美的要素が必要十分に発揮されていると感じていた。つまり、私の中では三島の完結作。

人間の弱さが、少年にも、大人の男女にもあり、どうしても人間は純粋性を失っていくとか通俗的なストーリーの中に普遍的な真実がかぶせられる。

多くの三島作品は二項対立的に、「近代と現代」とか「都会と田舎」とか「海外と国内」とか「美か醜か」といった日本文学の伝統的テーマを書いているように思うのだが、本作は何かフィナーレの大悲劇に向かってすべての事柄が進んでいく。

数十年前に読んだ本はほとんど内容を失念していることが多く、本作もあまり記憶になかったが(当時千葉に住んでいて、現在は舞台となる横浜に住んでいることもある)、進行が進むにつれ「そういえば、最後は何らかの大悲劇だった」と思いいたることになる。

なお、本作のタイトルは「午後の曳航」。晴れた午後、横浜市内高台から港を見下ろすと、大型船が港外までタグ・ボートで曳航されている。それを見ながら主人公の少年と友人たちは元船員と紅茶を飲みながら語り合うわけだ。「午後の紅茶」という有名なドリンクがあるが、これからは健康のためにも、ゆっくりと味わいながら飲むことになるだろう。

将棋ペン倶楽部通信届く

2021-12-25 00:00:25 | しょうぎ
少し前だが、将棋ペンクラブの会員誌である将棋ペン倶楽部通信が届く。巻末には全会員の氏名と住所の一覧表がある。最近例を見ない大胆さだ。古い号をヤフオク出品しようという人もいるかもしれないので気がかりは感じている。もっとも個人情報を載せておけば出品する人はいないだろうという読みなのかもしれない。



メモリアルな記事は減ったような気がするが、ちょっと気になったのは将棋をこどもに教える講師をされている方の意見。「躾(しつけ)が第一」という意見。実は私も数カ所で講師をしていて80人位に教えているのだが、「躾はゼロ」方式。そもそも技術指導をしているわけだ。本人も親も「めざせ!第二の藤井聡太」状態のわけだ。躾というのは先人の大人が作った枠の中に子どもをはめ込むことで、結局、日本が二流三流の貧乏国になった大きな原因と考えている。

世界の超大国をみてもまったく礼節に欠けた国々がどんどん日本を追い越し、優秀な人間もどんどん脱出。日本だって躍動していた時期の偉人は若い時は碌でもない人間が多い。江戸時代方式は歌舞伎役者だけで十分だ。

もっとも、理にかなった慣習(対局中は大声を上げないとか、持ち駒を握りしめてはいけない)というのは合理的理由があるのだから教えますけど・・。今の小学生は情報量も多く、かなり大人と同じような合理的な思考をするように感じている。


さて、12月11日の出題作の解答。







一間竜の縦型になる。


今週の問題。年末年始はお忙しいでしょうから、簡単型で。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

迫力あり過ぎの鴨川シーワールド

2021-12-24 00:00:38 | たび
千葉県の鴨川に水族館があって、イルカショーをやっているのは知っていたが、そういうものは品川とか江ノ島でもみたことがあって、それほど大きな期待はしていなかったが、シャチによるナイトショーがあるという情報があり、宿泊地の御宿から見に行った。



まず、水族館部門だが、なかなか良いと思う。基本的には海生哺乳類を中心としている。アザラシは珍しくはないが、かなり目線の高さで泳ぐ状態を見ることができる。



ペンギンは給餌時刻だったが、不思議なことに飼育員に群がるのではなく、一羽ずつ順番に待っている。列を作るのはペンギンの特徴なのだろうか。

そして、フランスではもうすぐ禁止になるらしい海生動物の芸が次々に始まる。カタツムリや羊の脳を食べる習慣はそのままだろうに。



最初はシャチが登場。芸をするというかジャンプとかパフォーマーを背中に乗せて泳ぐとか、わざと水しぶきを上げて、濡れてもいいという席にすわっている人間に塩水をぶちまけたりする。ある意味、昼のショーは予行演習のようなものかもしれない。



さらにアシカ。人間と同じようなサイズの動物なので、ちょっとしたファミリーショーとなる。一家四匹のショーで人間の家族のようなストーリーを演じる。逆立ちまでやってみせるが、少し可哀そうだ。



次は、イルカショー。他の水族館のイルカよりも筋肉が多いように見える。ジャンプが力強い。しかし、見るたびに思うのだが、空中に飛び出す高さは驚異的だ。泳ぎの得意な水泳選手でも空は飛べないだろう。

そして、ナイトショー。海辺であり水槽の先は太平洋。空に飛び出したシャチやイルカはどうしても海を見てしまうのだろうが、どう思っているのだろう。密かにジャンプアウトを狙ったりしているのだろうか。いや、やはり終身雇用制の方がいいと思っているのだろうか。両方いるのだろう。



昼間のショーでも水をまき散らしていたのだが、夜になると更に遠くまで水幕を拡げる。濡れたくない人の席にも容赦なく海水を浴びせる。しばらく観察すると、シャチが背中から着水する時に大きな水幕が飛んでくることがわかったのだが、既に時遅しだ。

2か月前に買い替えた自動運転レベル1の車の席に塩水のついた衣類で座るのは嫌だと思ったのだが、幸運にも読み終えた2日前の新聞紙を見つけ、シートに敷き詰めて宿に帰る。途中のレストランで海鮮料理を試そうかともくろんでいたが、結局、濡れた服で国道沿いのコンビニで焼肉弁当を買うことになった。泳いで上陸したスパイのようだが、現在のところ、太平洋の先の方には敵国はいないはずだ。

御宿でも勝浦タンタン麺

2021-12-23 00:00:37 | あじ
御宿といえば、アワビやイセエビだが、普通の刺身盛には入っていない。刺身はマグロとかキンメダイということだろうか。

マグロは冷凍ではなく生なので、新鮮な味で、東京の高級店のマグロより格段に美味い。こういうところの出身者が大学や仕事で、東京で生活していると、東京ではマグロをはじめとする魚介は食べないような気がする。南房総シリーズの最後にも同じ話が登場するはず。



そして、〆は、ラーメンではなくタンタン麺だが、房総では有名な『勝浦タンタン麺』。ごま油の代わりにラー油を使っているのだから、もともと辛いタンタン麺がさらに辛い。



勝浦タンタン麺は、タンタン麺を作ろうにも材料が揃わず、ラー油を使ったところ評判がよく、地元の漁民や海女から、「体が温まる」と評判になり、繁盛するようになったとされる。

現在は、『勝浦タンタン麺船団』という組織が加盟店に専用の幟(のぼり)を渡していて、ブランドの独り占めを狙っているが、組織外の店も多い。

横浜のサンマーメンのようなものだろうか。

そびえ立つ「日西墨三国交通発祥記念之碑」

2021-12-22 00:00:43 | たび
御宿名物は、イセエビ、アワビだが、忘れてはいけないのが海女の存在。古来より御宿の海女は日本三大海女と言われるようだ。イセエビ、アワビは彼女たちが海底から引き上げるのだろう。さらに、ある生物も大量に引き上げたことがあった。

その生物は、「人間」。

慶長14年(1609年)の9月のことだ。フィリピンのマニラからメキシコのアカプルコに向かう客船サン・フランシスコ号(373名が乗船)が、台風に出会い、操船不能となって漂流を始める。そして運よく流れ着いたのが日本国の御宿沖。ところが御宿一帯の海岸は砂浜もあるが岩場もある。陸地目前にして岩礁に乗り上げ、船底が破れそのまま沈没してしまう。

見るに見かねた地元の漁民と海女が総出で救助活動をはじめる。結果として317人が救出されることになった。

乗船していた乗客の中で最高地位はフィリピン臨時総督のロドリゴ・デ・ビベロ。彼はメキシコに生まれたスペイン人のわけだ。なぜスペイン人がフィリピンからメキシコに向かったのか。

実は調べてみると、スペイン、メキシコ、フィリピンの関係が見えてきた。簡単にいうと、当時のフィリピンは、スペインの直轄植民地ではなく、ヌエバ・エスパーニャが管轄していた。和製英語で言うとニュー・スペイン。スペインはアメリカ大陸の植民地を直轄支配せず、2世紀間ほどはヌエバ・エスパーニャというメキシコを中心とした国に管轄させていた。(後に直轄方式になる)

ということで、乗船していた多くの人は元々メキシコに住んでいた人、あるいはメキシコにいるスペイン人という人たちだったようだ。

三百余名については、その後、大多喜藩が幕府に相談し、幕府(秀忠)はさっそく駿府城のパパ家康に伺いを立て、大歓迎することになる。さらに代替船を作って彼らにプレゼントし、彼らの航海が続けられることになった。

本来は、このあとメキシコとフィリピンの間に割り込んで、今とはまったく異なる日本ができたはずだったが、色々あって鎖国令により、交流は途絶える。

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そして、1928年(昭和3年)にこの記念塔がつくられたそうだが、そのあたりの事情はよくわからない。当時は塔の側面には大理石が貼られている豪華版だった。

そして第二次世界大戦。日本・メキシコ・スペインはそれぞれ枢軸国・連合国・中立とわかれてしまう。記念塔は戦争中に米軍機が射撃し、大理石が剥がれ落ちてしまったが、戦後復興の際には石張りではなく、モルタル塗りと格下げになった。

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その後、海難事故から400年経った2009年9月、記念公園が整備され、メキシコ人彫刻家ラファエル・ゲレロ氏の作品「抱擁」がメキシコ政府より寄贈される。スペインは関係性から脱落してしまったが、抱き合っているのは日本人とメキシコ人ということではないそうだ。

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ということで、長いタイトルの付いた記念塔も、現代では単に「メキシコ記念塔」と呼ばれている。太平洋を見下ろし、きわめて絶景だ。海の向こうはメキシコでもある。


ところで、地元では「山」の上と考えられているが、千葉県以外では「丘」といわれる高さだろうか。千葉県には高い山はなく最高峰でも300m台だから数十メートルでも山と言う。

「月の沙漠」の正体は

2021-12-21 00:00:45 | たび
御宿に3泊したのだが、御宿そのものは観光地ではなく、長期滞在型の保養地のような場所だ。海があり、魚が釣れて、イセエビ、アワビ、キンメダイが名物。繁華街に乏しいのが今一つだが、勝浦は近いし、そもそも東京からの特急電車が停車する。地震の時の津波対策は数あるリゾートホテルに逃げ込み屋上に上がって運命を待つ。

その中でも、観光の目玉と言えば、御宿の北側の海岸にあるオブジェと記念館。



『月の沙漠』だ。

月の沙漠をはるばると・・・という作詞と灯油の引き売りでおなじみのメロディである。
お姫様と王子様がラクダの背に乗り月夜の砂漠を歩いていく。金色の壺と銀色の壺を持っていて、その中身は明らかにされていない。

金、銀の壺の中に何が入っているか問題と言うのがあって、財宝とか貨幣ではないかという説と沙漠を歩くのだから壺の中は飲料水に決まっているという説があるようだが、どちらも決め手はない。そもそもラクダに乗って中東の沙漠を夜間に出歩けば、襲撃されて悲惨な結果になるはずだ。

そして、肝心の「なぜ、御宿なのか」という点がもっと怪しい。もちろん砂漠ではなく沙漠なので、サハラ砂漠のような場所ではなく海岸でも良いわけで、実際に鳥取砂丘にはラクダに乗れるアトラクションもある。

実は、御宿に縁があるのは、作詞家の「加藤まさお(1897-1977)」。画家であり詩人だった。1923(大正12)年に「少女倶楽部」という雑誌に、この詩と挿絵が掲載された。文系の女子学生を念頭においた雑誌だった。竹久夢二(1884-1934)路線だ。

この「少女倶楽部」にも数奇な歴史があり、1946年に「週刊少女フレンド」となり、どちらかというと漫画誌に変化していく。出版社は講談社なので安泰なのだが、1965年に「別冊フレンド」という月刊誌も立ち上がるが、その後、徐々に購読数が減っていき、1996年に廃刊となる。しかし、月間の「別冊フレンド」は現在も継続しているため、本家が途絶えた後の分家のような感じで「別冊」と称する雑誌だけが存在しているそうだ。

そして、加藤の作詞に曲を付けたのが佐々木すぐる(1892-1966)。生涯2000もの楽曲を作曲。もっとも歴史に残るのは『月の沙漠』だろうか。1932年にレコード化されラジオで流れてからポピュラーになっていく。


そして、加藤まさをは「月の沙漠」発表前の何年間か、結核治療のため、夏の間は御宿で療養をしていたそうだ。

そこで、御宿町は、密かに準備を進め、月の沙漠記念館を建設してしまう。一方、加藤の生地である静岡県側は、モデルは大井川周辺の海岸と主張している。加藤まさをは、記念館を建ててもらった御宿町の好意に応える形で、御宿に居住地を定めた上、「モデルは御宿」と言い始めたが、「詩は創作物なのだから具体的モデルはないのではないか」という説も有力だ。



実は、このオブジェに行ったのは朝であって、月の代わりに太陽を撮りこんで撮影してみた。王子と王女はそれなりだが、実はラクダの表現がすばらしい。本物と見分けがつかないほどリアルな彫像である。

ところで、「どこの沙漠」問題に大きな一石をなげたのは2018年8月23日に行われた雑誌「赤い鳥」創刊100年の記念行事の中で、女優の松島トモ子さんの発言。加藤まさを氏の生前にインタビューに行く機会があり、本人に「月の沙漠」のモデルを聞いたそうだ。

そうすると、加藤氏から思いもよらない答えがあったそうだ。

モデルは月面。誰もいない静寂な沙漠を歩くイメージで、人間が月面を歩く時代になってガッカリということだそうだ。

つまり、金と銀の壺の中身は、「酸素」であるはずだ。

遮光(中村文則著)

2021-12-20 00:00:07 | 書評
作家の初期の代表作。気分が明る過ぎる時に、人生には落とし穴が待ち受けていることを教訓的に認識しておくためには良い小説かもしれない。気分が暗い時に読むと、さらにひどい気持ちになるだろう。



恋人の女性が不意にトラックに轢かれて、亡くなる。ばらばらになったご遺体から、主人公の男は、小指を一本持ち出してホルマリンに漬けてしまう。さらに、時々、主人公にとって重要なことがありそうな時には、瓶を鞄に入れて持ち歩いている。

知人には、彼女は海外に留学したかのように装っているが、もともと深層心理に暴力的な部分があり、時々、大暴れしていた主人公は、ついに人間二名を動かなくなるまで殴り続けてしまう。

人間の荒々しい内面を書くのが、作家の流儀で、本来は映画化は困難をきわめる(作るのも難しいし、誰も見に来ない可能性もある)と思えるが、最近になって、映画化が進んできている。

そういえばフランス映画には、そういう暴力性のあるシーンが多いような気がする。

セルフスタンドでの携行缶等への販売規制を強化すべき

2021-12-19 00:00:00 | 市民A
大阪の心療内科および精神科クリニックでガソリン放火事件があり、多数の人が犠牲になった。

ニュースを継ぎ合わせてみると、アルコール依存症の患者が「薬が効かない」と怒っての犯行らしい。さらに前日に犯行予告のような投稿も見つかっている。

以前、石油会社にいたこともあり、またメンタルヘルスマネジメントの一級の資格も持っているので、少し考えてみた。

まず、ガソリンのこと、少し計算してみる。いわゆる爆発限界(空気との混合密度が1.4%以上7.6%以下)と比較してみる。

ただ、面積25平方メートルと報道されたが、正面の幅が5メートル程度に見えるので、別途報道での平面図とは食い違っている。奥行が少なくても3倍はあるので75平方メートル程度だろうか。天井まで3メートルとすると225立方メートル。空気の重さは291㎏。専有面積全体のガソリン(気体)比率が1.4%になるにはガソリン4㎏が必要。量でいえば5.8リットル。ペットボトル6本。

おそらくは、全体としては達しなくても、瞬時のことなのでガソリンの気体濃度は不均一で、爆発した部分と燃焼した部分に分かれたのだろう。いずれにしても最初の燃焼で酸素不足になり、意識が落ちた後、火が回ったのだろう。また、容疑者は、そのまま火が付いたのだろう。

このように、日本ではガソリンは殺人の道具として最強ということになっている。おそらく、セルフスタンドで店員の目を盗んで容器に詰めたのだろう。海外の場合、銃や爆発物の入手が日本より簡易であることから、殺人兵器としてガソリンを使う人は稀だろう。


日本にセルフスタンドが登場したのは1998年。当時は全国に59,000ものスタンドがあった。1店舗当たりの販売量が少なく、販売店も元売りも採算がきびしい状態だった。そして、欧米諸国に普及が進んでいたセルフスタンドを日本に導入しようということになり、その結果、大型店が価格看板を掲示して数量を伸ばし、小規模店はなくなって20年経って、29,000店まで半減して小売価格が安定した、さらに世界の三大メジャーのエクソンモービル、シェル、BPは次々に日本市場から撤退。元売りも集約化され、ついに価格競争がなくなった。

そして時代はEV。スタンド数はこの後、さらに低下するも、後継者不足や施設老朽化等の人為的問題では減るだろうが、経営問題ではなくならないだろう。今は、セルフスタンドでは携行缶などには店員が給油することになっているが、とはいえ、こっそりとクルマのかげでペットボトルに給油していても気が付かない可能性がある。セルフではクルマへの給油だけ、フルサービスならなんでも出来るようにルールを決めた方がいい。

そしてアルコール依存症の薬。数種類が認められている。薬と言っても、酒を飲むと気持ち悪くなるものとか、飲みたいという衝動を抑えるような薬のわけだ。自分でアルコールを飲まなければいい、ということ。ストレス性の胃炎とかうつ病の場合、原因となるストレッサーを取り除かないと、投薬だけではうまくいかないわけだが、アルコール依存症はそれよりも治療は簡単なはずだ。

そういうゲームとは知らなかった

2021-12-18 00:00:40 | しょうぎ
朝日新聞の別冊誌に羽生元名人の将棋エッセイがあった。よく読むと今まで知らなかった極意が書かれていて驚いた。その部分は、

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将棋は「攻める」より「守る」試合運びが多い競技です。かつ、対戦の半分は相手の出番(ママ)ですから、葛藤はありますが、人事を尽くして天命を待つような気持ちで、対戦相手と試合を構築します。

プロ棋士、さらにその中でも長く頂点に立っていた元名人が「受け将棋派」だったとは、まったく気が付かなかった。うなずける点は「羽生定跡」のような攻撃的な定跡が見当たらないことぐらいだが、今頃、そんなこと言われても・・


さて、12月4日出題作の解答。







話は手短に・・といったところか。


今週の出題。



手筋物。

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勝浦朝市を覗く

2021-12-17 00:00:00 | たび
日本三大朝市といわれる場所がある。

輪島 勝浦 飛騨高山(宮川)だ。日本人はよく日本三大〇〇と決め込む。日本三大ガッカリ、というのまである。

ただ、朝市に限れば、おおむねこの3ヶ所が挙げられる。ただ、輪島にはかつていったことがあったが、台風接近中のうえ、前夜に大きな地震があったりでほとんどの店が休業していた。



そして勝浦だが、行った時間が遅かったのか、そういうものなのかは知らないが朝市通り(月の前半と後半では少しだけ場所が異なる)は比較的閑散としていた。歩いた感じではカツオとかブリとかが格安な感じがしたが、旅の途中で、生のカツオ1本を買うわけにもいかない。

思い出したのは、最初に入った会社で、静岡県の焼津を担当していた営業担当者が得意先から生のカツオを一本いただき、それをすっかり忘れて炎天下の青空駐車場の車の中に二日間置きっぱなしにして、営業車を1台廃車にしてしまったこと。そういえば、焼津では漁師の水揚げの中から現物がピンハネされていたニュースがあったが、当時からそういうことがあったわけだ。

ということで、早めの昼食というか遅めの朝食ということで、新鮮広場の食事処に入る。色々迷った結果、二色丼をいただく。マグロの漬けとイカの刺身を半分半分にしてある。これとブリの漬け丼と迷った。三色丼にすればいいかもしれない。



要するに漁港の魚は旨いということだろう。こういう地域で育ち、大きくなって東京で生活すると、東京の魚はまずくて食えないだろうな、と思ってしまう。

ところで、最初に書いた「日本三大朝市」だが、八戸、月島、高知の朝市も有名だ。高知の朝市には行ったことがあるが、かなりの規模である。ただ、三大の中に入らないのは当然なのかもしれない。輪島、勝浦、飛騨高山の朝市は原則は毎日開催なのだ。