しょーと・しょーと・しょーとに

2011-09-30 00:00:54 | 市民A
ふだん使っていたパソコン(DELL)が故障気味になった。電源が入らない。電源が入らないと何も始まらないのだが、格闘していると30分後に偶然起動したりする。

問題がハードなのかソフトなのかわからず、一旦工場出荷状態に戻してみるとか考えたが、少し前から、DVD、CD等いかなるディスクも挿入できなくなっている(入れる、すぐに出てくる)という別問題があり、ディスクが必要な場合は、先代のNECのノート(高熱を発して起動後10分以内でダウンする)を瞬間的に立ち上げて、ディスクをメモリーにコピーし、そのメモリーをDELLに差してディスク的に使っている。つまりリカバリーもままならないというか、簡単にいうと、もはや部分的に壊れ始めているという状態。

そのため、急遽デスクトップ型のパソコンをhp社に注文したのだが、部品の一部が工場にないので、いつ組み立てられるかわからない、ということだ。東京昭島市の工場で組み立てということで、「メイドイン東京」が売りらしいが、こういう状況ということ。

ということで、事態改善までしばらくかかるし、パソコンなしでブログを書くのは、難儀なことであるので、しばくの間、「短め」で推移することになるので、よろしく。


*DELLが、あと一度でも立ち上がってくれないと、マカフィーの自動引き落としが解約できないのではないかと、ちょっと不安。

犬肉祭りの話

2011-09-29 00:00:49 | 市民A
その一、中国。

来月予定されていた犬肉祭りが中止されたこと。

中国政府「犬肉祭り」禁止 公衆面前“解体ショー”も 2011.9.26

中国政府は、同国東部の浙江省金華市で毎年10月に行われる伝統行事「犬肉祭り」の開催を禁止した。犬を殺して食肉にする同行事は約600年続いていたが、残酷だとの批判を受けて中止になった。新華社が21日報じた。

新華社によると、「祭りは1980年代に近代的なものに変わったが、犬肉を食べるのは伝統として残っていた」。また数年前からは、犬の肉が新鮮かつ安全であることを示すため、公衆の面前で犬を解体することも行われていたという。

新華社は、祭りの画像が人気短文投稿サイトに出回ったことが、政府による中止命令につながったと指摘。インターネット上に掲載された「政府の素早い対応は奨励されるべきだ。現地でも犬を食べる習慣はもうない。あれは祭りではなく、虐殺だ」とのコメントを取り上げている。(ロイター)


日本でも、「マグロ解体ショー」というのがあるが、あれは死んだマグロを解体するもので、生きた犬の解体を見せるのとは、ちょっと違う。あえていうと、ヒラメの活き造りといったものと同程度の残酷さなのだろうか。ローマ人はコロシウムでライオンに人間を食わせるショーを楽しんでいたのだからずいぶんと人類も大人になったものだ。

そういえば、こども(小中学校)の頃に近くの大学医学部は学園祭の時に、「公開人体解剖」を売りにしていた。その部屋にはホルマリン漬けの大脳とか並んでいたそうで、残念ながら、部屋に入る勇気は持ち合わせていなかった。クラスの中に一人、ショーを見に行った猛者がいたのだが、案の定、今は藪医者になった。


その二、韓国。

「犬肉祭り」が、動物愛護団体の批判で中止へ=韓国

韓国京幾道城南市にある牡丹市場の牛家畜商人会が計画していた「2011年犬肉祭り」が世論の反対で結局中止となったたことが分かった。同国メディアが24日相次いで報道、大手ポータルサイトの人気急上昇ワードの1位に「犬肉の祭り 論争」が登場するなど、話題を呼んだ。

大韓肉犬協会営農組合法人と市場で犬肉を販売している商人らは24日、京畿道城南市牡丹市場内の民俗公演場で7月1日に「2011年犬肉祭り」を開くと発表し、関連のチラシを配布した。

祭りでは犬肉の焼き肉をはじめ、犬肉のスープなど多くの料理を提供する予定だった。主催者側は「犬肉のスープと食用犬の飼育に対する誤った認識を払しょくさせたかった」、「猛暑で、体が弱くなっている一人暮らしの老人たちにポシンタン(補身湯)をもてなしたかった」と、祭りの趣旨を語った。

しかし、「動物自由連帯」や「動物愛護実践協会」などの団体は犬肉を販売すること自体が議論になっていると指摘、祭りの開催は「国の恥さらし」と非難した。動物愛護実践協会が祭りの中止を求めてポータルサイトで行った署名活動では、半日で2600人分の署名が集まった。

結局、「犬肉祭り」は開催発表からわずか半日で取りやめになった。動物自由連帯の関係者によると、主催側の商人会会長から祭りを中止するとの連絡があったという。

犬肉の食用について、韓国では「食文化なので尊重すべき。問題ない」という意見が多いが、最近では動物愛護家を中心に食用に反対する見解も増えてきており、賛否の論争が続いている。


こちらは、民族のアイデンティティとしての犬食にこだわる国。もともと、DNA調査によって、犬は北朝鮮でオオカミから改良された種であるということになっている。だから特に思い入れが強い。

最近では、「アメリカ人が韓国人の犬食に口をはさむのは、牛肉を売りたいがための方便である」という説が現れたそうだ。

あいかわらずの負け犬根性のような気がする。

シェイクスピアの魔力(野口卓著)

2011-09-28 00:00:57 | 書評
シェイクスピアの入門書である。作者の野口卓氏は脚本家で、また古典落語に詳しいということになっている。

shakそのライン上で考えると、シェイクスピアの紡ぎ出すストーリーはテレビドラマや新作落語にそのままつながるということもいえなくもない。

シェイクスピアで有名なのは、「ひとごろし、いろいろ」と言われているように1564年生まれで1616年没。私の好きな武将である藤堂高虎は1556年生まれで1630年没なので、ちょうど彼の人生の内側にある。1600年が関ヶ原の戦いである。

その時代に、史上最高の劇作家が存在したことが奇跡であり、たぶん、彼の書いた戯曲がグローブ座で演じられたことの延長線上に英国の革命があり、民主主義の復権があったのだろう。

劇作の世界では、ギリシア神話の後にシェイクスピアがあり、そのあとが現代劇となる。ブレヒトとかミラーとか。日本では、近松であり歌舞伎が自然発生しているから、それはそれとしてスゴイ。

で、本書では四大悲劇(ハムレット、リア王、オセロ、マクベス)とその次に続く有名作について、そのあらすじと関連作品が紹介される。


ところが、読者の私は、実はシェイクスピア作品はすべて日本語で読んでいる。大学入試が終わって、入学式までの2ヶ月の間に、シェイクスピア全集と源氏物語を読み切っている。(まあ、単に若かったのとおカネを持ってなかったからだろう。今なら絶対にそんなことはしないで、耽美的享楽に身を任せるだろう)

だから、本書を読んでも特に感情的なゆらぎを覚えるようなことはないのだが、実は、本書は明治書院の「学ぶやっくシリーズ第38巻」に当たるのだが、このシリーズの一覧をみて気付いたのだが、本シリーズの第1巻は「知的な人の馬券術」という書名で筆者は。本著と同じ野口卓氏。つまり、私は、馬券のプロの書いたシェイクスピア本を読んだ、ということになる。どうもこのシリーズは当初は、「東京ご利益スポット散策」とか「お金に愛される生き方」とか「つくる!日本の野菜」とか、そういう方面が中心だったようだ。

個人的には、このシリーズの中にある、「戦国軍師物」とか「大江戸吉原物」とかそういうのを追求してみたいなあ、と思っている。

ドジョーは泥臭いのではなく

2011-09-27 00:00:28 | 市民A
2年前の総選挙の時、野田佳彦が総理大臣になるなんて予想していた人は、いただろうか。あるいは、本人だけは、色々な政界シチュエーションを思い描く中で、数パーセントの確率で総理大臣コースを考えていたかもしれない。とはいえ、それには、数々の偶然が必要なのだが、さらに、「鳩山、菅、小沢、岡田」の四巨頭がなんらかの関係で首相候補にならない場合に、前原らと椅子を争うということを基本戦略にしていたのだろう。(野田の首相も想定外だが対抗馬が海江田というのも、もっと想定外だ)

そう思えば、四巨頭が崩れたのが偶然だとしても、前原叩きという潜在的長期作戦は、2006年に起きていた。

偽メール事件。

民主党の若手議員、永田寿康がつかまされた偽メールを、当時民主党国対委員長だった野田は国会本会議に持ちだして自民党を攻撃しようと画策していた。当時の民主党党首は前原だった。

その偽メールを信じて疑わない野田のところに政経塾の後輩である自民党の伊藤達也から電話が入る。伊藤はIT分野に詳しく、永田議員が掴んでいるのが偽メールの可能性が高いことを知っていた。要するに党の枠を超えた政経塾仲間の連絡網だった。

しかし、それを無視。要するに、仲間を信じたりしない男なのだ。

結果として、前原党首は辞任することに至り、経歴にキズをつけることになる。また、永田議員は後日、自殺してしまう。もっとも罪の重いはずの国対委員長は後に首相になる。


もう一つ、1996年頃の話。1993年の日本新党ブームで国会議員になった野田だが、次回選挙では落選。浪人中に画策していたのが新党設立。名古屋の河村たかし氏や愛媛県知事の中村時彦氏らとともに、10数人で新党立ち上げを計画していた。

が、その流れをさぐっていた民主党が、グループの中から何名かを一本釣り。その結果、民主党に入り、現在に至る。

どうも、泥臭いというのではなく別のコトバを思いついてしまう。

『泥沼流』。

ただ、世界の政治をみれば、クリーンとかフェアというようなことを重んじる政治って、すでに過去完了で語るべきものなのだろう。

現代的に考えれば『松下政経塾』が理想とする政治は、「もう終わっている」、ということなのだろう。

蟹が来た不思議

2011-09-26 00:00:22 | あじ
山本文緒『アカペラ』は、家庭崩壊の中で浮遊する中学三年女子と、彼女をとりまく複雑で暗く重い家族関係がメインテーマの小説で、そのテーマを発展させていくと、人間という複雑な生物の話になっていくのだが、家族以外の登場人物の中で最も重要な役回りを与えられるのが、担任の男性教諭である「蟹江」である。

なんとなくダメ教師でありながら、結婚の予定もない恋人と甘い夜を過ごしている途中でも、女子生徒の悩みごとを聞くために夜中にベッドから出て行ったりするわけだ。

で、説明は大きく省くが、生徒たちにつけられているあだ名は苗字に因んで、「カニータ」である。


で、・・・

前振りが長くなったが、本を読んだ次の日に、突然のクール宅急便。

知人から、「毛ガニ」が届いた。

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さっそく、食べてしまう。

実は、蟹を解体するのは、かなり得意だ。本当は、分解方法を順に撮影したいところだが、そうはいかないわけだ。もちろん手が汚れているからだ。ハサミと蟹フォークとつま楊枝とかそんなものだ。

もちろん集中心にかけると、怪我をしたりする。

30分後には、元の蟹の倍ぐらいの甲羅の山ができる。

ところで、毛ガニと似た蟹に、栗ガニとかトゲ栗蟹がある。栗ガニと毛ガニの見極めは容易だ。毛ガニは表面を「毛」で覆っているのに対し、栗ガニの甲羅を覆っているのは、「トゲ」だからだ(正確にいうと、毛ガニは、毛のようなトゲに覆われている)。


ロブスターという海老に似たザリガニがいる。イセエビとの最大の差はロブスターにはハサミがある、ということだが、ハサミを取り去るとかなり似ているのだが、食べ方については大違いである。ロブスターの解体法は、蟹と同じ原理だ。

よく、女性にモテルための一つの条件として、「上手に蟹を分解するできる能力」ということが言われるが、毛ガニで分解トレーニングするのは、費用対効果からいっても得策ではないだろう。レストラン「レッドロブスター」に行ってみたらいいかもしれない。

ウナギ博覧会

2011-09-25 00:00:06 | 美術館・博物館・工芸品
東京大学総合研究博物館で開催中(~10/16)の『鰻博覧会』へ行く。

まあ、今のところ日本では一流とされる数少ない大学の一つだ。最近の日本人ノーベラーは、この大学の出身者比率が減少していることに気付いている人は多いが、学術関係者はおそろしくて口に出せない。

まず、赤門。来歴を一応知っている人は多い。50人以上の子沢山の徳川家斉が娘の嫁入り先に送る持参金に困窮し、大藩加賀藩に嫁いだ娘には、「赤門」という現物支給になったわけだ。工事費を誰が負担したのだろう。官営大学にふさわしい。

そして門をくぐるのは、実に久しぶり。だいぶ前に二浪した知人の代わりに替え玉受験をしてあげて以来だ。もちろんウソで、めぼしい展示会があれば気兼ねなく足を運ぶ。構内を歩く教職員や学生の顔を見ても私より知性を感じる人物は少ない(これもウソ)。

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さて、鰻だが、有史以来、世界の多くの人間に愛され続けてきたのだが、とうとう資源枯渇の気配が漂ってきたわけだ。原因は、人間の増加と所得の向上。一方、漁獲高は養殖物中心であるもののシラスウナギの乱獲により危機にさらされている。

だいたい、生態がわかっていなかった。

欧州でも、鰻の産卵は地中海で行われていると誤解されていて、サルガッソー海の産卵ポイントが解明されたばかりだった。一方、日本をはじめ東アジアの鰻はどこで産卵しているのか、なかなか不明だったのだが、東大の研究によってほぼ特定にいたったわけだ。

写真を見ると、大型船をチャーターし、何年がかりで海洋を走りまわり、要するに力任せに探していたようで、ずいぶんおカネを使ったに違いないのだが、やはりそれだけの費用をつぎ込む根源的な衝動は、「うな丼」の味なのだろうか。「うな丼」と「うな重」の来歴の差は東大生より私の方が詳しいと思うが、きょうは省略。

では、鰻の一生は、いつどこで始まるか。

かなり特定されているようだ。東経142度、北緯12度。太平洋のグァム島の近くである。ここの海底付近に海流が発生していて、6月7月の新月の2日前にオスとメスが大集合して産卵と受精を行う。一回ではなく、2回産卵するそうだ。


そして、孵化した幼魚だが、魚の形ではなく、透明で木の葉のような形になる。レプトケファルスという。なぜ、そういう形状かと言えば、透明なのは敵に食われないため。木の葉の形は、それで潮に乗って北上するためだそうだ。そして、中国大陸に近づいた頃にはシラスの形になっている。ちょうど河川を登り始める頃には黒い鰻の体になっているわけだ。

そして、成魚は淡水の河川を上り、池や沼といった栄養価の高い場所に居座るわけだ。

実は、この後、個人的にはよくわからないのだが、鰻は徐々に巨大化していくわけだ。

そして、ある日。大鰻は、突然のように長い旅に出るわけだ。太平洋のはるか遠くにある産卵場を目指すわけだ。つまりサケとは逆コースである。

そして、長い長い旅を泳ぎ通して鰻は痩せていくわけだ。産卵場に到着した頃には、メスは卵巣がオスは精巣が体のほとんどと言うほどエネルギーを使い果たしているそうだ。

そして、新月をはさんで2回の産卵を行い、鰻の一生は終わる。

まあ、強い遺伝子だけが残るという生物界の合理的システムは、情緒的にとらえるなら、過酷であり、かつ惨いものだ。


最近は婚活パーティが盛んだそうだが、芝浦埠頭に集合してから海を泳いでもらって、パーティ会場は「沖縄のホテル」で、ということにすれば日本人の遺伝子も少しは強力化するのかもしれないが、単にオリンピックで水泳のメダルが増えるだけかもしれない。

「ジュース男」対「茶坊主」

2011-09-24 00:00:00 | しょうぎ
王座戦は二局目まで終わる。その前の王位戦と合わせ羽生王座はタイトル戦連続登場(珍しくない)。一方、対する渡辺竜王は、王座戦のあと竜王戦が控えている。

それで、タイトル戦での興味は、勝敗や棋譜以外にもあり、その食事。王座戦第一局、第二局の食事をみると、

王座戦第一局昼食
 羽生王座:五目焼きビーフンとグレープフルーツジュース
 渡辺竜王:五目チャーハン

王座戦第一局夕食
 羽生王座:採りちらしずしとお茶
 渡辺竜王:五目焼きそばとお茶

王座戦第二局昼食
 羽生王座:スパゲティボロネーズとアップルジュース
 渡辺竜王:うな重

王座戦第二局夕食
 羽生王座:アメリカンクラブハウスサンドとオレンジジュース
 渡辺竜王:本日のうどんとお茶
 
どうも、ジュース対お茶という感じだ。まあ、原因は洋食派と和食派の差なのかもしれないので、王位戦(6局、7局)での羽生王座の食事を調べてみる。基本的には二日制で夕食休憩なしなので、昼食とおやつのデータである。

王位戦第6局1日目昼食・・天重
   同     おやつ・・チーズケーキとレモンティ
王位戦第6局2日目昼食・・カレー
   同    おやつ・・フルーツ盛り合わせとオレンジジュース

王位戦第7局1日目昼食・・親子重
   同     おやつ・・和菓子とお茶
王位戦第7局2日目昼食・・カレー
   同    おやつ・・フルーツ盛り合わせとレモンティとオレンジジュース

フルーツの盛り合わせの他にジュースを頼むとは、何かビタミン不足なのだろうか。単にこだわり過ぎなのだろうか。

しかし、よく見ると第六局と第七局の食事は似ている。原因は、どちらも同じ対局場「陣屋旅館」で行われたからだ。どうも最初から七局目まで進むとは思われていなかったようだ。ゴルフトーナメントのプレーオフをもう一回18番ホールで行うみたいなものだ(いや、正確には18番ホールがなくて、17番を二回回るようなものだろうか)。

ジュースよりもアミノ酸入りドリンクを飲んだ方が、脳の働きはよくなるはずなのだが、余計なお世話なのだろう。


さて、9月10日出題の奇妙な図の解答。

a12


▲1六と △同玉 ▲1五と △1七玉 ▲3五馬 △2六歩まで6手詰。

最終手で、後手は自分の王を詰ませてしまうわけだ。そして、一応連続王手である。もしかして、最後の△2六歩が「打歩詰」ということになるなら、初型図の盤上の2五に後手の歩を配置すれば、最終手が△2六歩(突く)になる。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。ごく普通の問題。テーマの発見が重要。

0924


わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

アカペラ(山本文緒著)

2011-09-23 00:00:41 | 書評
山本文緒は、「お気に入りのライター」である。もっと詳しく言うと、現役作家の中であるが。

そして、小説について言えば、作品数は少ない。寡作家である。

akapera


この短編集である『アカペラ』の最初の短編は、2001年に直木賞を受賞したあとの受賞1作目である。

が、ここで著者は人生の大問題に直面する。一つは再婚したこと。もう一つは、うつ病になったこと。実際、「直木賞」「再婚」「うつ病」が、どういう順番で、どういう因果関係になるのか、私にはわからないのだが、そこからしばしの休筆期間に入った。本著二編目の短編『ソリチュード』が復帰作である。そして三作目が2008年の『ネロリ』。

実際、彼女の小説は、ストーリーの展開が早いのだが、いかにも日常的な筋立てであっても、実はすごく重いところがある。どうにもならない人間の性(さが)なんてものを取り扱ったりする。

第一小説『アカペラ』は、家庭崩壊の中で揺れ動く少女を描くのだが、ちょっと禁断の世界にはまる。実は、長編家族小説的に展開するのかと思うと、まさに突然に小説が終わる。まあ、ちょうどいい。

第二小説『ソリチュード』。ダメ男君が主人公。ジゴロである。あちこちの女性との関係を清算しないで次に走るため、人生が複雑になる。ジゴロを魅力的に書くものだから、ジゴロ生活に魅力を感じてしまうが、あくまでも小説の中だけだ。

第三小説『ネロリ』。あくまでも人間関係が、「ネロリ」の話である。ドロドロとしていて解決不能。

ところで、現在『野生時代』で長編小説『なぎさ』を連載中である。

そして、最近、ちょっと栄養取り過ぎのような感じだ。

マラソンで集団で走る理由がわかった日

2011-09-22 00:00:11 | 市民A
台風15号が夕方の首都圏を襲う。ちょうど宴会のキャンセルが4時前に決まったので、電車で横浜方面に帰り始める。

が、10分ほどの出遅れのせいで、「多摩川」という駅で、東急がストップ。多摩川の鉄橋で風速25メートル以上になったから、ということ。

marukobasi1


たまたま、座っていたこともあり、そのまま1時間経つも進展なし。

それで、次の乗り換え駅まで歩くことにする。

で、駅を出て、多摩川に架かる橋を渡り始めて気付くが、3.11の時に30キロ歩いた時にもこの橋を渡ったことを思い出す。

ところが、いくつか大きな違いがある。

あの時は、歩くこと自体が不安で、途中で捻挫したりしないように注意が必要だった。別に歩くことには危険はなかった。

一方、今回は、放射能問題はないとしても、台風である。強風で物が飛んでくる。街路樹から枝は落ちてくるは、看板はバタバタと音を立ててはためいている。巨大な水たまりはあちこちにあるし、工事現場の近くは危険だ。

marukobasi2


丸子橋の上は多摩川の吹き通しの強風であり水量は見たこともないほど多いし、風に飛ばされ、欄干から落ちそうになる。カメラを落としそうになる。

そして、あいにく風は向かい風で時々左から突風に襲われる。その都度、立ち止まって飛ばされないようにするのだが、そのうちに一人で歩くのではなく10人ぐらいが固まっていた方が風圧を受けにくいことがわかる。おそらくみんな実感するのだろう。

縁もゆかりもない人たちが10人ほど固まって歩く。

先頭は、ミニスカートをビラビラさせて歩く有名女子中(高)生。結構足が速い。二番手には私が割り込む。女子中生はずっと携帯でしゃべり続けながらタメ口だ。次々に通話の相手を変え、言いようのない社会への不満を吐き続ける。

そのうち気付いたのだが、3.11の時に歩き続けた時の靴と同じものを履いていた。

明日は、会社に顔だけ出して、マーサージ直行だろう。多摩川が氾濫したら、会社に行くことはできない。

+30ヤードというコトバの魅力

2011-09-21 00:00:32 | スポーツ
アマチュアゴルファーにとって「+30ヤード」というのは魅力的なコトバだ。ドライバー200ヤードが230ヤードに。230ヤードの人は260ヤードになる。260ヤードの人なら軽く打っても290ヤードということになるではないか。プロ並みだ。

ということで、うっかり525円の本をネットで購入する。

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最初の方に、遠くへ飛ばすには2種類の球筋があると書かれている。

一つは、ハイドロー(高い球で、心持ち右から左へ曲がっていく)。もう一つがローフェード(低い球で心持と左から右に曲がっていく)。右に曲がるといってもスライスではない。

この二つを比べると、ハイドローの方が距離は出るが、大失敗の率も高い。で、この本ではハイドローのことばかりが書かれていて、ローフェードのことは書かれていないわけだ。二分類に分けたのに、ちょっと無責任だ。

そして、私は、ローフェードを持ち球にしているのだが、それには理由がある。もともとハイドローだったのだが、左に曲がった場合、はるか遠くまで飛んで行ってしまうから苦心を重ねてフェードに変えたわけだ。三塁側ファウルみたいなのを連発していたのがなくなった。

この二つの玉筋は正反対に近いので、実は打ち方も正反対になる。レイトコック、アドレス時のボールの位置、バックスイングの高さ、体の開き、・・・

だからこの本を実行に移すには、ほとんど全面的なスイング修正が必要になる。

たとえばグリップでも、この本では。ベースボールグリップを勧めている。さらに普通は右手の力を弱めるために右小指はグリップからはずすが、本著ではベースボールに握って、左手の小指をグリップの外にはずせなんて書いてある。手首を使えということだろう。

したがって、本著のようにするには、練習場に行ってスウィング大改造をしなければならないのだが、幸か不幸か、その時間が取れない。

ところで、うすうす気づいているのだが、本書を購読したあとサービスで無料動画配信が行われていて、それを見るともっと理解できるそうだ。

さらに、もっと詳しい動画がDVDで1万円ほどで入手できるそうだ。思うに、そのうち合宿会の案内とか理論を実戦に変える特別なクラブとかがお安く買えるということになるのだろう。

本当の問題はパターにあるように思うのだが、同一著者はパターに関する本も書いているのである。

「そっくりさん」と「替え玉」

2011-09-20 00:00:31 | 市民A
先日、某所で夕食をしていたら、突如、場違いな感じの音楽が始まり、どこからともなく「浜崎あゆみ?」が登場し、口パクで歌いだした。本人と会ったことも面識もないので、本物かどうかの確認は困難なのだが、幸い、隣の席に座って自己紹介があった。

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「“姫にゃん”です。」

『姫にゃん』は自称で、正確には「白咲姫香」さんというそうで、浜崎あゆみの『そっくりさん』ということだそうだ。フジテレビにも出演したそうである。現在は、モデルと物まねタレントの兼業ということで、さっそくブログを紹介され、記念撮影して、大急ぎで次のテーブルへ。

営業ご苦労さまです。

それで、後で調べると、もともとキャバ嬢で「そっくりさん」出演したことから、モデルになり、芸名も「AYUMI」を使っていたこともあるそうだ。テーブルを回るのは得意だったのだろう。ブログを軽く読んでみると、最近、仕事上の不満が鬱積しているようにも精神分析できそうだ。(解決方法はわからないが)


ところで、ここで本論は大きく方向が変わる。

『そっくりさん』と『替え玉』の話である。なんとなく似ている。元々の有名人である「X」という個人がいて、その人と非常に似ている人物がそれらのカテゴリーに入るので、いずれも「X」がいなくなる(あるいは無名人に没落する)と、存在価値を失う。若干違う点は、『そっくりさん』の場合は、「X」と並列的に存在しても構わないのだが、『替え玉』の場合は、「X」になりかわるのだから、両者が同時に現れてはまずいわけだ。

「そっくりさん」を英語にすると「Double」。中国語にすると「的相似者」だ。まあ、雰囲気がわかる。

「替え玉」を英語にすると「Substitute」。中国語にすると「替身」となる。かなり怪しくなってくる。

仮に「姫にゃん」も、本家がコンサートの直前になんらかの原因で出演できなくなって、本家からの依頼を受け、口パク交代出演をしたとしたら、これは「替え玉行為」となり、大問題(というか犯罪?詐欺?)となるのは間違いない。

しかし、「替え玉」がもっとも重要な意味を持つのは、世界の独裁者である。

といっても独裁者の数は、Facebookのおかげで、徐々に減少しているのだが、日本の近くにもいるわけだ。

独裁者の常として、一番大事が自分で、二番大事が愛妾、三番大事が息子ということになり、結果として後継者が決まった。まだ有名でもない息子の替え玉が必要かどうかわからないが、替え玉候補を探しているのは確かだろうが、近くの国まで来て探すのは、ごめんである。

「替え玉」にしろ「そっくりさん」にしても、本家が去った時には、その存在価値はなくなるのだが、半島の替え玉の悲しい処遇に比べれば、営業回りで汗を流す日本の「そっくりさん」には、元の職場に戻るという自由が日本国憲法第二十二条(何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。)により保証されているわけだ。(キャバ嬢が公共の福祉に反する、ということになれば、別なのだが)

椎名誠が書き始めたものは

2011-09-19 00:00:39 | 書評
siina新潮社の月刊PR誌『波』には、いくつもの連載があり、いくつかは読み続け、いくつかは読まない。そして、2011年9月号から新連載が始まったのが、椎名誠の『ぼくがいま、死について思うこと』という重いテーマの作品。

「作品」という妙な単語を使ったのは、連載第一回を読む限り、この作品が、エッセイになるのか、私小説になるのか、自伝的小説となるのか、あるいはまったく異なる方向、例えば医学書とか・・先が読めないからだ。

自伝的小説と本人が言ったのが、大著である『銀座のカラス』。確かに力の入った彼の代表作だったが、案外評判は低かった。それ以降、小説らしいものは書いていなかったような気がするが、今回の連載は、もっと彼の根源的な家族、祖先について書かれることになりそうだ。

亡くなった父、そして籍に入っていなかった母。その後、徐々にわかってきた自分の知らなかった兄弟姉妹たち。さらに、父の元の姓が「宮崎」であり、自身が明らかにしているのだが20代の頃に椎名という家から別の戸籍に移動したことなど。

67歳の彼が、兄たちが一人ずつ亡くなっていくなかで、この重い問題をどこに引きずっていくのだろうか。

たぶん、この雑誌の連載は、10~20回程度続くのが多いので、連載が終わって単行本に仕立て直されるのは2年ほど先になるのかもしれない。

案外、連載第一回目に書かれていることは、まったくのフィクションで、次回には、スタンガンを持った「私立探偵」が登場して、死体がゴロゴロ、プカプカという展開になるのかもしれない。

「明代陶磁の魅力」

2011-09-18 00:00:25 | 美術館・博物館・工芸品
白金台の畠山記念館で開催中(~9月19日)の『明代陶磁の魅力』展へ行く。なにしろこの美術館は人目に付かない。白金台の住宅地の中に静かにたたずむ大きな庭園付きの記念館である。

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畠山記念館の「畠山」は畠山一清氏を指す。荏原製作所の創始者である。ただ、その後先祖は七尾城を本拠とする大名だったそうだ。室町時代の大名である畠山家である。もともと大名家というのは明治以降没落の一途をたどった場合が多いが、こちらは、大会社を創設した。

とはいえ、この土地が江戸時代の下屋敷ということではなく、もともと島津家が幕府より頂戴した土地を、明治になってから五代友厚が払い下げてもらった。そのうち畠山家の土地となるわけだ。敷地内に入ると樹齢百年を超えた鬱蒼とした木立が並び、蜂のように肥満した藪蚊が襲来する。やっとの思いで記念館の入り口に到達。

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それで、展示作品は、コレクションの景徳鎮である。主に明代初期の景徳鎮で製作された作品群である。もちろん、日本の唐津は、この景徳鎮の延長上にある。日本でも、100年遅れで同種の陶磁が完成されていくのだが、造型のちょっとした差や、文様の差など、違いを考えるのもなかなか楽しい時間になる。

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今でもそうなのだが、大陸人と島国人の差だろうか、景徳鎮はいたっておおまかなところもある。元より壺や皿といっても各種作品は実用に使うためではなく観賞に用いられるものであるから、本来の壺や皿の用途としては不向きな造型であるかもしれない。実際、景徳鎮作では壺の肉厚にムラが見られるが、日本製の場合、設計図通りで肉厚も均一であってそのまま実用に用いられることも考えられている。

私自身、完璧病に侵されているのだろうが、作品の細かなあら探しにすぐ目がいってしまう。ただ、全47点の出品というのが、なかなかのボリュームであり、600年前の名もなき中国人陶芸士のことを思い浮かべて、ちょっと心が動いてしまう。その後の中国は、文化的素養がイマイチの北方民族系の大清国となり、さらには国共戦争が勃発し、赤絵どころではなかったわけだ。

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「染付龍濤文天球瓶」「古赤絵人物文壺」「万歴赤絵輪花共蓋水指」。いずれも、美しく、また風格があり、その形や図案は、それぞれの作品が一つずつの芸術空間を創り出していると言えそうである。


ところで、この記念館の創立者である畠山一清氏だが、今年が生誕130周年であると同時に没後40周年だそうである。意味することは「長寿」ということだろうか。

記念館を出ると、さきほど襲撃から逃げ切った巨大藪蚊が再び群がってきて、今度こそは逃げられなかった。体中掻きむしりながら表通りに出ると、どこかで見かけた風景と思い、ふと、3.11に自宅まで30キロ歩いた途中の交差点であることに気付く。

過去完了形で書かれた棋士

2011-09-17 00:00:36 | 市民A
先週の朝日新聞土曜版「BE」で、竜王渡辺明の特集が組まれた。

しかし、表題が「羽生を震わせた男の将棋勘」。

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8年前の王座戦で羽生王座を苦しめ、最後にとどめの頭金を打つ時の羽生王座の手が震えていたことを指すようだ。

ただ、プロゴルファーが、優勝プレッシャーでパターを打つ手が震えるのとは異なり、その時の羽生王座の震えは「怒りの震え」だったはず。ちょっと記事のニュアンスと異なるのかもしれない。

つまり、過去の終わったことを今更書かれているのも、ちょっと残念。


そして、記事そのものは、将棋ファンなら既に知っていることが多いので省略だが、自宅の写真を見てちょっと感じたことは、書棚。

撮影されるとなると、多少は整理をするのだろうが、気付いたのが棋士全集。どういう棋士の棋譜を並べているのかがわかるのだが、二人の棋士の著書が多いわけだ。

中原 誠

谷川浩司

いずれも永世名人資格者なので、参考に並べるのに何の不思議もないのだが、よく考えれば、もう二人の巨人が抜けているような気がする。「大山康晴」と「羽生善治」。

自分的に想像すると、こうだろう。

大山康晴・・デビューした時に「リトル大山」とか差別的な愛称を付けられそうになったため、意地でも大山物には近づかないようにしている。

羽生善治・・まだ、全集を発売していない。退役が近付き、これ以上素晴らしい棋譜が残せないと思った段階で全集を発売するのだろうから、もう少し買うのを見合わせている。あるいは奥さまに言われている。

となると、全集を買った棋士については、「引退したも同然」と心の中では思っているのだろう。


さて、9月3日出題作の解答。

c12


▲4三香 △同香 ▲4二飛 △3一玉 ▲4三飛成 △2一玉 ▲3一角成 △同角 ▲2三竜 △2二角 ▲3三桂 △3一玉 ▲3二銀 △4二玉 ▲4一桂成まで15手詰。

動く将棋盤は、こちら

2二に配置するのは角にするか銀にするか、ちょっと悩む。全体に守備力を増加させると、詰めにくい感じを醸し出すことになり、逆に守備力を低下させると、詰みやすくなり読みの範囲が広がる。


今週の問題。

0917


とある素材を基に組み立てていて、今一歩感を脱するために、あれこれと工夫するも、たいして変わり映えせず手数が伸びてしまい、大江戸将軍の旦那芸みたいになってしまった。

手数は長めだが難しくもなし。コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。




ゴーヤの終わり、そして2億円

2011-09-16 00:00:20 | 市民A
今年のゴーヤは、今一つだった。8月後半に一気に蔓を伸ばして、なんとなく帳尻を合わせた感じだが、去年の豊作に比べると、ちょっとがっかりだ。放置していた形の曲がったゴーヤが、真っ黄色に変色し、中から真っ赤なゴーヤの種が顔を出していた。

goyaseeds


今時になってあきらめていたオクラが実を付け始めた。ただ、オクラはスーパーでも格安だ。もちろん実用のためじゃないのであまり気にならない。オクラの花の美しさとせつなさがわかっただけでも収穫だ。

ところが、・・

2億円のゴーヤの話がある。

被災地の仮設住宅で、室内の暑さ対策という目的で、岩手県と福島県が「ゴーヤカーテン計画」を立案し、実行に移していたらしい。そして不評。

もちろん仮設住宅にはエアコンがついているとはいえ、構造的に暑い。それを回避するために、建物の前面に「ゴーヤカーテン」を作ろうということで、岩手県は8000戸に対し、一戸21,000円。福島県は5000戸に対して、1戸8000円を積算し、予算を執行したそうだ。

まず、単価が21,000円とか8,000円とか言うのがスゴイ。苗なんて200円程度だ。ネットだって数百円。プランターが最大1000円。どうなっているのだろう。総額は2億円を超える。

さらに、二年間ゴーヤを育ててみたが、「ゴーヤカーテン」というのは、ファンタジーの世界だ。ゴーヤが一気に伸びるのは、8月の終わりだ。冷気対策には遅すぎる。それにいっきに伸びるので、葉がスカスカになる。

ゴーヤを止めて、窓ガラスにUVカットシールでも張れば良かった。


復興計画は一向にその姿を見せないが、早く実行しないと税金ドロボーに財源を使われてしまうだろう。