チップを間違えて失敗

2015-08-31 00:00:43 | あじ
最近、苫小牧に行った時のこと、地元の料理店のカウンターで、地元の方とメニューを見ながら食べ散らしていたのだが、「チップ焼(2100円)二つ」というオーダーをしたのは覚えていたのだが、その他の注文品が次々と登場して、何が来て、何が来ていないかがわからなくなった頃、チップの話になる。

実は、チップという言葉から連想していたのは、木材チップのような固い板状の物体。まして苫小牧は製紙業の街だ。しかし、板状のものをどうやって食べるのか検討がついていなかった。鮭トバみたいなものを待っていた。

しかし、実がチップの話が突然に始まり、支笏湖とか猟期とか。そしてサケ科にしては薄味で脂がのっていて・・と地元の方が説明してくれる。

「『チップ』って魚だったのですか・・」と私が話すと、非常に奇妙な表情をされるわけだ。

chip2


「今、食べているのが、『チップ』です」とのこと。

そう、既に片側を食べ終わり、本来は背骨をはずして残りの半身を食すべきところ、簡易法で裏返してつついていたところだ。慌てて撮影するが、無残な状態になっていた。

支笏湖のヒメマスのことをアイヌ語で「魚」を意味するチップというそうだ。6月から8月までが食べ頃だそうだ。確かに完全な淡水に育つサケ科の魚なので、味はあっさりしている。味が落ちるのが早い魚だそうで、地元でいただくのが最高だそうだ。次の機会があるのだろうか。

ところで、後日調べたのだが、支笏湖にヒメマスが放たれたのは1894年だそうだ。阿寒湖から移植。現代では中禅寺湖他に移植されているのだが、思わぬ問題が発生しているようだ。

外来種駆除。

この内海湖沼に無暗に別の場所から魚を移動してはいけないようだ。生態圏は変わってしまう。といって、こんなおいしい魚を駆除してしまうのは残念だ。(まだ、そういう話にはなっていない。)

サラ川興隆の末に見える川柳の未来

2015-08-30 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
たまたま第一生命ビルに行ったのだが、マッカーサー執務室は休館中で、第一生命ギャラリーで「サラリーマン川柳」の優秀作が展示されていた。

まいとし年末に発表される優秀作だが、昨年は、

一位:皮下脂肪資源にできればノーベル賞

二位:湧きました 妻よりやさしい風呂の声

三位:妖怪か ヨーデルヨーデル 妻の愚痴

sarasen


ベスト10以外にも毎月の優秀作とか歴代優秀作が公開されている。

要するに、家族(主に妻)の悪口と自虐ネタと会社でのダメネタが中心だ。なんとなく未来に対する明るい希望のようなものは皆無だ。人間は喜劇よりも悲劇を好むのだろう。


しかし、もともとは川柳は、狂歌の短縮形という形で登場した。短歌の形を利用して政治的なプロテストを表現していた。その短縮形として江戸時代に柄井川柳という人が打ち出したわけだ。したがって、妻の悪口や、自分の老齢化を営々と詠むというのは、まったくまと外れということになる。

要するに、サラリーマンというのが非芸術的存在ということだろうか。あるいはたくさんの作品の中から、政治性がなく現政権への批判性がないものだけを優秀作としているんだろう。歴代作品みても主張性があるものは選ばれていない。

本来は川柳という形式形態を利用していたものが、「サラ川」というものが「川柳」を乗っ取ってしまったようなものなのだろうか。

譬えが悪いが、アマゾンアカミミガメ(ミドリ亀)が日本固有の亀を駆逐したとか、縄文時代人を追い出したといわれる弥生時代人のようなことなのだろうか。北方四島に住んでいるロシア人とか。国政選挙のつど国会内にはびこる「○○チルドレン」とか・・

ということで、毒のないフグのような最近の各年度のベスト100の中から自分好みの一句を探してみると、・・

実は見当たらないわけだ。

サラ川の隆盛は政治・社会批判色の強い川柳の没落を招くことになるのだろうから、これも政権維持装置の一つなのだろうか。

混戦のようで、そうでないようで

2015-08-29 00:00:35 | しょうぎ
名人戦リーグ(順位戦)は、始まったばかりで、半年後のことを考えるすべもないが、各棋戦の進行をよく見ると、奨励会三段リーグが大詰になっている。残り1日(2局)を残して、12勝4敗が3人、11勝5敗が3人。4敗の中の二人は直接対局があるので、5敗組の中で四段昇格(2人)を果たすのは難しそうだが、次点ポイントを持つ者もいて、結果は9月5日が終わるまでわからない。

そういう時に限って、台風が来て東西移動ができず、対局できないで不戦敗になったりするのだろうか。

ゴルフでいえば、あと2ホール残した状態なのだが、ゴルフの場合はトリプルボギーとかイーグルとか大波乱があるのだが、将棋の場合は残念ながら勝ちも負けも星は一つだけだ。


さて、8月15日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら



今週の問題

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短編。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

陰謀の古代史(和歌森太郎著)

2015-08-28 00:00:56 | 書評
岡山県にいると、なんとなく古代史の香りが漂う。人間の多くは沿海部に住んでいるのだが、内陸部には神秘的な事象が多く残っている。鬼ノ城とか、犬墓山とか吉備津神社とか・・吉備の森には古代の大戦争の血の匂いが残っている。

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歴史書には描かれていないのだが、出雲と大和の間にあるのだから、何かが起きたのは間違いないはずだ。

ということで、古代史の本も読んでいるのだが、要するに、日本書紀と古事記という二つの書物を分析することで、古代日本を推測しようというのだから、かなりの想像力が必要になる。

本書は、和歌森太郎氏が、想像力をMAXにして、政権抗争を小説風に書き直したものだ。どうも天皇家も葛城家、蘇我家、藤原家、陰鬱な作戦で、だまし討ちにして政権から追い落とし息の根を止める。

歴史が古いのはいいこととして、その虐殺の歴史はあまり誇れないような気がする。というか、戦国時代の下剋上だって、結局古代日本の陰謀史と同じじゃないだろうか、という気がしてきた。

超大企業でも同じような闘争があるのだろう。隣の大陸の国もそうなのだろう。本の帯には、「陰謀と派閥の視点から、激動の古代を描き、そこに現代の縮図を見出した異色の日本古代史」となっている。

夏が終わる前に、プレミアソフトのこと。

2015-08-27 00:00:12 | あじ
夏が終わる前に、プレミアソフトのこと。

台風が行った後は秋、ということになるのだろうか。あわてて書いてない食材を探す。そう、新千歳空港のソフトクリーム。元々は空港内は10ヶ所でソフトを提供している。350円程度だ。

prsoft


が、あらたにプレミアムソフトを見つけた。500円。

しかし、これが買ってすぐに溶けはじめる。

確かに味は濃厚だ。指がべたべたになる。

ゆっくりできないわけだ。ソフト料金(C:COST)を食べ切る秒数(E:EATING TIME)で割ると、きわめて割高(M:MAX)になる。

式で書くと、E=MC2 となるはずだ。


本来は、北海道の別の場所に寄り道したかったにもかかわらず、大雨が降り続いていて、結局、空港ターミナル4階の温泉に行ってしまった。露天風呂から、ベンチの上に立ち上がると、地上の滑走路が見えるが、滑走路からは覗けないようになっている。離発着する瞬間の機内からは覗かれそうだが、興味のある方は窓側の席から確認されたし。

台風の話(大谷東平著)

2015-08-26 00:00:11 | 市民A
taihu今年は、ずいぶん強力な台風がやってくる。台風15号。そういう日に限って飛行機の予約がある。

で、タイムリーに台風の本を読んでいた。どうも戦争中、戦後には台風の大被害があったようだ。

昭和13年9月1日 台風高潮 関東 死者201名
昭和13年10月14日 台風洪水 九州南部 死者289名
昭和17年8月27,28日 台風高潮 西日本 死者891名
昭和18年7月22-26日 台風豪雨 中国四国 死者211名
昭和18年9月20日 台風洪水 西日本 死者998名
昭和20年9月17-18日 枕崎台風 西日本 死者2076名
昭和20年10月10-11日 阿久根台風 西日本 死者730名
昭和22年9月14‐15日 カスリン台風 関東以北 死者1057名
昭和23年9月16-17日 アイオン台風 関東奥羽 死者512名

終戦前は、気象情報は軍事秘密として公開されなかったから、いきなり台風がやってくるわけだ。そして、どうも台風が多い状態だったようだ。そのあたりが神風思想の原因かもしれない。

そして、台風の回転については講義がなされているが、台風のコースについては、いくつかの方向が考えられるが、実際にはかなりはずれるとのこと。

本書は地球観測衛星などなかった時代のものだから、気象情報を理論と計算で行っている。現代の予報と言うのは全部コンピューター任せなのだろうか。それでは理論を学ぶものがいなくなってしまう。


本書は、台風の話の他に、冬の暴風雨についても書かれていて、江戸時代から漂流する漁船が多いとして、米国に白骨船が到着した実話や、多くの船が、漂流した後、無残にも北太平洋から赤道付近までコースが曲がっていき、最後は中国南部に漂着することなどを解説している。

そして漂流文学というジャンルを考えてられる。漂流して、なお生存者が日本に戻った場合のみ文学が成り立つのであって、台風に襲われた場合は、助からないので台風文学は少ないとのこと。紹介されていた中で、須見五郎著「日本人漂流物語」というのがあるようで、読んでみたいと思うのだが、入手は困難の極みだろうか。「東京漂流」というような本は沢山あるのだが。

ということで、探しはじめると、思わぬ事態である。「日本人漂流物語」というのは室賀信夫氏という方が出版していて、須見五郎著は4編「孫太郎ボルネオ物語・無人島漂流物語(鳥島漂着)・光太夫ロシア物語・だったん漂流物語」なのだが、室賀信夫版は、二番目の鳥島の部分をカットした3編だ。そんなことって許されるのだろうか。

しかも、室賀版は、読んだことがあるのです。道理で、鳥島に流れ着いた話を聞いたことがなかったと思ったわけだ。このあたりの事情については、別途調査が必要だ。

夏が終わる前に葛切りのこと

2015-08-25 00:00:49 | あじ
いつもは、金曜に食材関係のことを書くのだが、夏が終わりそうな感じなので、あわてて蔵出しするのが、夏の葛切り。まあ、粉を買ってくれば作るのは簡単だろうが、その製作時間(つまり、水に溶かして、加熱して、冷却して、板状になったものをキシメンのように中太に切る)に対して、食べる時間が限りなくアンバランスになるだろうから、完成品に付属の黒糖蜜をかけた方が早い。買い過ぎて冷凍庫に眠っている桃の破片をトッピング。器が小さ過ぎてあふれる限界だった。

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そして、葛切りを食べる時に必須なのが、割り箸だろうか。実際は柔らかいものを箸でつかむというのは技術がいる。ロボットでもできるのかな。いや、ロボットは麺類を食べることはないはずだ。

これが、丸い箸では器に落下し、中の糖蜜が飛び散って高額ネクタイをしていたら大損害になる。以前、虎ノ門に「ざくろ」という高額和食の店があって、デザートにいつも高額葛切りを食べていたのだが、一枚の幅が3センチほどもあって、落下の衝撃は大きく、何本かの低額ネクタイが犠牲になった。


ところで、一般に葛には体温を温める効果があって、葛根湯については、毎年何回かはお世話になっているのだが、wikipediaによれば、葛は生産量が少ない(つまり高いということ)ことから、ジャガイモデンプンを代用することがあるが、ジャガイモには体温を低下させる効果がある、と記されていた。

食べた葛切りが本物かどうかは、食前と食後に体温を測定すれば判るということだ。

日本語の年輪(大野晋著)

2015-08-24 00:00:15 | 書評
nenrin日本語の起源から成立過程、そして時代に伴って進化する日本語について、名詞ではなく形容詞や副詞、助詞などを含めて論考を進める。

結構、古文は読んでいて、時代を代表する源氏物語や、大鏡、風姿花伝、江戸文学など読んでいるので「すさまじき」とか「ゆゆし」とか大きく変わったコトバもとりあげられていて、そうだそうだと納得してみた。

ちなみに、「ゆゆし」だが、教育委員長が、「教師の中にフ-ゾク狂いがいるなどゆゆしき問題だ」とか岡山のテレビではよく聞く話だが、もともと「ゆゆし」には神聖で近寄りがたい状態を表現することばだった。そのうち「大きな」という意味になり、現在は「大変けしからない状態」になってしまった。タブーとしての意味がなくなったことについて、大野先生は「日本にタブーの考え方が薄れてからだ」とあっさり断定するが、色々な意味で私は納得できないけど。

それと、こういうブログでも「ですます」を使う人も多いが、この「ます」だが江戸時代後期から登場したのだが、歴史的に見て400年から500年程度の寿命だそうだ。すでに誕生から200年経っているので、「ます」がなくなるのはあと200年後になる。その時の日本人が読んでもわかるように、次世代の表現に変えたい人もいるだろうが、大野先生は「ます」がほろんだ後、何が使われるのかは、まったくわからないそうだ。

竹中大工道具館(新館)へ

2015-08-23 00:00:05 | 美術館・博物館・工芸品
昨年の6月8日に「竹中大工道具館(転居前)」という記事を書いて紹介したのだが、竹中工務店ゆかりの神戸の県庁近くにあった旧館を建てなおして、新神戸駅のそばに新館でオープンするということだったのだが、ついつい時間が過ぎてしまい、つい最近、足を踏み入れることになった。

まず、新神戸の駅前だが、道が複雑ですぐ目の前に行くのが難しい。自動車専用みたいな道や、駐車場の中が歩けなかったりしそうで、安全第一で大回りした結果、大汗をかいてしまった。が、建物の中は冷房が効いていて大変涼しい。というのも、展示階は地下になっている。

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この辺で、なんとなく感じたのだが、竹中工務店といえば、例の2500億円事件で、とりあえずボツになった新国立の受注会社だった。そして審査委員長は安藤忠雄氏。一方、この建物は地下博物館だが、そういえばベネッセ直島にある地中美術館は安藤氏の作品だ。しかし、まさか社内に無数に設計士を抱える大建設会社の建物を外に外注するわけはないだろうと思うし、安藤氏の名前はどこにも出ていない(といっても別の竹中の施設の設計は行っているようだ)。

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しかし、建物の底の部分から上を見ると、天井空間の一部に空が見えるというのは地中美術館と同じではないだろうかと感じてしまう。

こういう、なんとなく不思議な感じは、実際には不思議ではなく、合理的な理由が隠されていることが多いのだが、深く考えてはいけないような感じも漂うところである。

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展示については、旧館は狭かったことで様々な展示品がランダムだったように感じるが、今回は見やすかった。とくに欄間のようなこった形状については、秘伝の教科書があって大工はそれをみて研究するということは初めて知った。だから、同じようなものができるのだろうと、今頃わかった。

なんとなく思うのだが、旧館は大部分を大工の手で作ったのだろうが、新館では大工の出番がなかったのだろう。

そしてここには、外国人観光客はいなかった。ガイドブック未掲載か。

大橋分家のこと

2015-08-22 00:00:59 | しょうぎ
muso詰将棋パラダイスに「夢想の研究2」として若島正先生の連載が始まったこともあり、「開かずの本」だった 『秘伝 将棋無双(湯川博士著)』を読んで見た。20局が解説されている。この本の特徴は同時代の棋士や江戸市民を登場させた歴史小説仕立てになっていること。

無双自体は、数十年前に盤上で解説書をみながら並べたことがあるので本書について触れることもあまりないのだが、将棋家元三家の中で大橋本家と伊藤家の関係図が書かれていて、両家とも大橋分家とは交流がなかったとされている。

ただ、麻布十番の伊藤家は大橋分家と隣接していたそうで、三百坪の敷地だったそうで、交流がなかったことはなんとなく不思議だ。

で、ほんの少しだけ調べてみると、大橋分家というのは、大変ユニークな存在で、かなり激しいエピソードを持っているようだ。

まず、初代と二代目は将棋指しじゃなかったらしい。ちょっと信じられないが。
三代目が大橋宗与。六世名人になるが、たなぼたで76歳である。たぶん羽生名人もかなわないだろう。献上図式が間に合いそうもなく、盗作風改作や不完全作が多い。新東京五輪風だ。

四代、五代はひたすら家を守り伊藤家全盛時代を生き抜き、六代大橋宗英の教育に専念する。

六代宗英。江戸時代の最高棋士といってもいい。古典将棋と縁台将棋、賭け将棋といった将棋の状況を「近代将棋へ」向かわせることになる。定跡は伝えるものではなく、研究して発展させるものになった。ただし、詰将棋は作らないこととした。ある意味、指将棋と詰将棋は別のものということを宣言したようなもの。
そして病をおし御城将棋に出陣し、その当日、人生に終止符を打つ。

七代は宗英の嫡子だが、棋力今一。大橋柳雪という天才を養子に迎えたが、柳雪は病に侵され、家元を離れる

八代。在野の天野宗歩を破るために心身ともに疲れ切り、妻は発狂し自らは短命となる。

九代。明治になり、何らかの罪を犯し、刑務所行きになる。結局、大橋分家はここで途絶えた。

というようなことらしいが、それぞれの時代に、それぞれのストーリーがあるのだろうと、十年先までに研究したいなとちょっと思う。

さて、8月8日出題作の解答。

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まで17手詰。

動く将棋盤は、こちら

今週の問題。

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やや平凡。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ正誤判断。

甕開き?

2015-08-21 00:00:33 | あじ
少し前に地方都市で中華料理を食べた時のこと。紹興酒を注文すると、ちょうどお店の在庫の甕が切れて、新しい甕に変わるということで、突然の余興として、甕開きをすることになった。

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要するに、甕のふたを開けるだけなのだが、この店の紹興酒は蓋を開けるのが大変な事業らしく、宴会場で見せてくれるということになった。

中国の某所から宅配便で送られてきた段ボールを開けると、中から甕がでてくる。おそらくは輸送途中で荷抜きや入替などの不正行為が起きないようにというためだろうか、蓋を石膏で固めてある。封印である。

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それで、その石膏の封印を木槌で粉砕しようというわけだ。これが力いっぱい叩くと、甕が割れてしまう。甕が割れず、石膏が割れる程度の力が重要だが、力加減が重要だ。

中華料理の店主は日本人だが、慣れているのだろう5年物の紹興酒の蓋をとることができた。日本酒の場合は鏡開きというか鏡割りでもいい。紹興酒の場合、あくまででも甕割といってはいけない。

で、甕開きは成功し。その後直ちに喉を潤すことになるのだが、

やはり5年物より8年物に限るような気がした。

徳川慶喜(堀和久著)

2015-08-20 00:00:55 | 書評
yoshinobu歴史文学の書き方として、史実で明らかになったことのみを書く方法がある。さらに史実を補う形で、登場人物の心象や歴史背景を書き込んでよりリアルに描く方法がある。時に書き過ぎて新たな史実ができてしまったり、著者の思い込みを書いたりしてしまうことがある。実際に大部分の歴史小説はこういう書き方だ。さらに、まったく偽歴史を書く場合もあるが、その場合は歴史小説は言わず、時代小説ということになっている。

堀和久氏は1番目と2番目の間かな。取材を多くし、推測を自重したような書き方だ。

ところで、慶喜についての最大の謎は、「大政奉還」。なぜ、戦争する前に大政を天皇に奉還し、その後の徳川家自壊を早めたのだろうか。

大坂城から江戸に逃げ帰った話ばかりが有名だが、その前の戦いのときは、京都で長州藩を追っ払っている。急に弱気になったのはなぜなのだろうか。

本著では、聡明なはずの慶喜の歴史の読み間違いがあったとされている。

つまり、一旦、幕府と朝廷の関係が悪化したとしても、それでも徳川家は圧倒的に大きな勢力をもっていたため、一旦幕府をリセットしても、再組閣の時は、自分を中心として薩摩藩と仲良くやってくれと言われると思っていたということらしい。

実際には真逆になり朝敵ということになった。

この人、将軍の後継者と期待されていて、自分でも期待していたのに、二回もお預けになっている。なんとなく、中国にいる北朝鮮のビッグブラザーに似ているような気もする。

玄奘三蔵―史実西遊記(前嶋信次著)

2015-08-19 00:00:17 | 書評
sanzo1ちょっと仏教関係のことを調べていて、玄奘三蔵(いわゆる三蔵法師)のことが知りたくなった。

昭和27年の発行書で、著者はアラビア文化研究者の方であり、いわゆる宗教家ではない。ある意味、西遊記を紀行文学としてとらえているような書で、素人にはそれの方が助かる。

玄奘は西暦602年(600年説あり)に出生し、総明ではあっても、大天才というわけではなく、しかし、新興の唐に生きる僧として、当時の社会のゴタゴタ感を仏教者の堕落と考え、それなら釈迦の活躍したインドに行って修業かつ各種経典の原典に当たろうと思い立ったわけだ。

その後の記録から言って、玄奘の考え方は、純粋過ぎたというか、当時のアジアの情勢からいって大甘だったのだが、だからこそ彼が苦難の道中をなんとか達成できたということなのだろう。アジアは中国もインドも西方もどこもかしこも群雄が戦いを続けていた。唐もできたばかりで、まだ反対勢力は多く、優秀な僧である玄奘を国外に出すよりも国内で利用しようと権力は思っていたため、彼はついに密出国することになった。

ということで、彼の僧としての実力を発揮してインドに行くわけにはいかず、国外に出るまで西方へ向かう旅からして困難を極める。道を間違えたらすぐにドライアップになる場所が続くわけだし、賊は多い。今に残る絵からするとかなり体格が良く足も太いが、それは結果としてそうなったのかもしれない。

そして辿りついたインドは、仏教のパラダイスではなく、仏教とヒンズー教とバラモン教やその他の宗教が混在していて、それぞれ各地の豪族の権力と癒着状態。どうも唐の方がましだったようだ。といいながら、仏教は仏教でそれなりに活動を続けていたようで、各地を行脚し、得意の弁舌をふるって、「中国(チーナ)の高僧」という肩書で各地の王と懇になっていく。

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そして、ついに帰国を決意するが、引き止められる。「帰ってもあちらにはあなたの席はないから」というようなことだろう。第一、密出国者だ。

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どうも、まず途中まで帰って、様子を窺う作戦だったようだ。南回りで帰る方法もあったらしいが、途中はインドも唐も支配力がない場所があったらしく、北回りを選ぶも、タリム川の北ではなく南を選ぶロブノールの方から帰り、唐の情勢を確認後、長安に向かった。

17年間の旅だった。そして本物の「西遊記」を書くのだが、それは明らかに仏教の書ではなく紀行文学と言ってよい内容だろう。原典翻訳は、チームを組んで行ったようだ。

となると空海や最澄と同じような話であるが、玄奘は独自の一派を立てたわけではなく、仏教界の重鎮という席を温めることになった。中国仏教協会の会長みたいなものだろうか。


そして、中国の長い歴史の中で、玄奘の遺骨は数奇な運命を辿るわけだ。本書が書かれた時以降に色々なことがわかってきている。

まず、664年に亡くなった当初は長安(西安)の近くに埋葬され、後に近くに移されている。しかし約300年後、唐の消滅とともに寺は荒らされ、すべてが謎に包まれる。そして行方不明になった遺骨は約100年後に発見されるが、それは南京の僧が探し出したもので、ただし見つけたのは頭蓋骨だけだった。そして安全のため、僧は南京に持ち帰りそこに移葬した。

ところが1000年近い月日が経ち清朝末期に太平天国の乱に巻き込まれ、1854年に再び遺骨は行方不明となる。そして大問題となるのが日中戦争。有名な事件がおきてから5年経った1942年に、南京の占領地に軍用施設を建設中に地下から石室が発見され、そこには玄奘の頭蓋骨が入っていた。さすがに日本もそれを日本に持っていくのをためらい、日中の仏教界で協議した結果、南京と北京と日本に三分するということになった。

このうち、日本に来た中で、戦後、再度分割され台湾に分骨されている。中国に残ったものは11に分かれ、内1つはインドにある。詳しくは各自で調べること。

見る人は見ている

2015-08-18 00:00:24 | 市民A
少し前に、東京駅八重洲口のビル看板は、手もみマッサージとか腰痛ベルト、サロンパスとかの腰痛関連が多いことを書いて、新幹線に坐ってくるので腰も痛くなるのだろう、と安易な一言で片付けたのだが、同じ事象でも色々な考え方があるのだろうと思うことがあった。

総資産3200億円の「さわかみファンド」の総帥である澤上篤氏が、雑誌「THE21 2015年9月号」で、こういうことを書かれいる。

数年前までは、駅前には必ずサウナが何軒もありましたが、今ではあまり見かけないと思いませんか。代わって増えているのが手もみマッサージの店。でも、これだって何年か先には別の施設やサービスになっているかもしれません。(中略)大事なのは、現在の状態を基準に考えないで、「十年後、観柔軟後はこんな世の中になっているのではないか」という想像力を働かせることなのです。


つまり、私は、腰痛持ち→マッサージまたはサロンパスと短絡思考で片付けてしまったのだが、そこに歴史の転換を感じなければならなかったわけだ。

そういえば、地方から早朝に東京駅へ寝台電車で着いたことがあるが、何しろ7時半とは早すぎるということで、「風呂でも浴びるか」と探したものの、あれほど八重洲口にあったはずのサウナが全滅していたわけだ。そのあたりで気付かなければならなかったのだろう。

といっても、十年後に手もみマーサージがどうなっているかを想像しなければならないのだが、なんとなく新橋駅前ビルの立て直しに伴い、無数のマーサージ業者が都内各駅前に移住することになっているのではないかと思わないでもない。手もみマッサージ関連株でも買えばいいのだろうか(どうしても短期投資の考え方になってしまう。タイプA人間)。

ロボットスーツ使用のマッサージ店とかできるのではないだろうか。もみの強さは5段階で選べますとか。

天津港がマヒした影響は甚大

2015-08-17 00:00:02 | 市民A
10年ほど前に中国株をやっていた時に、天津港の拡大計画があって、投資しようかと思っているうちに中国株が下がり始めて、端株以外売れるものは全部売ってしまったので、たいして興味がなかったのだが、北京方面への海の玄関として世界有数の流通基地になっていたはず。

北京の某社駐在員に聞いたところ、「死ぬほど忙しくなるのか、まったく暇になるのかどちらか、まだよくわからない」とのこと。たぶん前者だろうが、「死ぬほど忙しいのではなく忙し過ぎて死んでしまう」ことがないように祈りたい。

ところで倉庫にシアン化ナトリウム700トンって半端じゃない数量だが、いったい誰がその物流網の胴元なのだろうか。身に覚えのある人間はすでに国外に逃走しているのだろうか。ちなみにグリコ森永事件では、「どくいりきけん」の正体がこの薬品だった。


爆発の時の映像を見た時に思ったのだが、火炎は三段階になっていた。

最初は、建物がメラメラと燃え始め、しばらくして横に爆発状に火が飛びだした。その数秒後に燃えている炎の上空の方で大爆発した。3回目の爆発は気体に着火したような形状だったので、1、2回目の化学反応で発生した水素ガスが大爆発したのだろうと感じた。

だから、禁水物質に水をかけたのが主因と言われるが、掛けなくても水素爆発したような気がする。

また、一説には二度目の爆発は、ニトログリセリンじゃないかという声もある。

元々、不法保管が常態なのだから、何が倉庫に入っていたのか自体、明らかになるのだろうか。都合の悪い話を言いだす人間がいるわけないだろう。