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2016-11-30 00:00:08 | 書評
人気作家山田詠美氏が20年前に書いた短編集。9編からなる。力作というべきが、第一編の「唇から蝶」。唇が青虫の女性と結婚した男性の視線からみた男女関係、というべきか、あまりにも唇が本物の青虫という設定からくる妖気小説なのか。その他の多くは、風変わりなカップルを描く作が多いのだが、「ガリレオの餌」という作では、初老の男性作家が主人公になっている。

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ハードボイルド作家を演じていながら実生活は別で、締め切りに追われるという設定で、男女の差はあるが、実の作家が締め切りに追われながら、短編を書きまくった結果がこの短編集なのだろうか、と素直に思ってしまう。

たぶん、話はうまいのだが、長編でないとパワフルな作風とあわないのではないかと思わないでもない。

帰化人(上田正昭著)

2016-11-29 00:00:18 | 歴史
現代の帰化人の話ではない。古代の話である。半島や大陸から日本に何らかの理由で渡来し、そのまま日本に住むことになった人たちのことだが、といって日本人のルーツまで遡ることはない。大和国家が成立した後のことなのだが、正直言って、この本は難しい。

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実際には、帰化人のほとんどは朝鮮半島との関係の中で来日した人で、半島が3~4の国に別れて抗争をしていた中で、それぞれの国が中国と日本とのバランスの中で合従連衡を繰り返しているうちに、渡来されたままになったわけで、いずれの政権からの人たちがいる。さらに日本の政権も、それらの渡来人を取り込んでいたわけで、帰化人同士も政権闘争をしていた。

そのうえ、仏教伝来により、天皇家も純粋に神道だけを信じる人たちと、仏教に傾いていく人たちの抗争が起こる。長い目で見れば、この神か仏かという争いは続いているともいえる(どちらも地に堕ちたという人もいるかもしれないが)。

さらに、日本が必要として来日を乞うた人たちもいれば、半島にいる場所を失った人たちがやってきて、地方に住んでもらったという場所も多い。

というようなことが克明に書かれていて、本質的には日本の歴史と朝鮮半島の歴史を研究すべきテーマではあるのだろう。が、韓国(と北朝鮮)は、李氏朝鮮より古い時代の歴史にはあまり興味がないようで、まったく不思議な国になっているのが今の状況なのだろう。

ところで、読んだのは昭和40年代に出版された中公新書なのだが、ネットで調べると現在価格は13,000円位になっている。こういうのは、復刻されると、即1円になることが多いのだが。

手紙(2006年 映画)

2016-11-28 00:00:44 | 映画・演劇・Video
東野圭吾原作の小説を映画化。殺人犯の兄を持つ弟が差別を受け続け、それは妻や娘にも及ぶことになる。弟と兄を結ぶのは「手紙」であり、また加害者と被害者の家族を結ぶのも「手紙」である。

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殺人といっても、ミステリーとかアクションとかの方向ではなくあくまでも社会派的に一編を通し、シリアスな霞が漂い続ける。「加害者の家族までもが差別を受けるという苦悩こそが受刑中の加害者への罰なのか」という命題が観客にも与えられる。

ところで、兄が入れられたのは千葉刑務所。明治以来の千葉監獄の建物がそのまま改造され使われているのだから居住環境は知れるだろう。遠い過去に、その近く(中ではない)に住んでいたことがあるのだが、記憶の中には脱獄事件があったことが残っている。住宅地の中にあることの問題点は脱獄のこと。脱獄者は逃げ回るためには衣類や金銭が必要なため、近くの家に押し入る可能性が高いわけだ。しかも命がけで行動するわけだ。

一方、その明治式の刑務所が街中にあって多くの人が目にすることで、「あそこに入れられたらこわいなあ」と思わせることで犯罪抑制効果を狙っているのだろうか。

主演は山田孝之。この映画から10年経ち、堅実な演技で堅実な俳優になっている。その妻を演じるのが沢尻エリカ。この映画の時は人気絶頂だったが、翌2007年に「別に・・事件」を起こし、さらに「エリカ様」となり、世間を甘く見て、役にありつけなくなったが、2012年から復活し、「新宿スワン」で再び大女優コースに戻るのだが、この時の共演が本作の主演である山田孝之。偶然ではあるのだろうが、人のリンクってよくあることのように思える。


映画の中で、刑務所への慰問のシーンがあった。こんな妙なところに書くのもなんだが、以前、私に将棋を教えてくれた平野さん(故人)というプロの六段の先生は、よく刑務所や長期療養病院の慰問に行って対局されていた。先生の師匠は業界内で事件を起こしたことがあり追放されたのだが、弟子として償いをしていたのかもしれないと、ふと、きょう思った。

南蛮文化館はたいしたものである

2016-11-27 00:00:30 | 美術館・博物館・工芸品
大阪にある南蛮文化館を訪れる。なにしろ年間で5月と11月の2ヶ月間だけ開館している。さらに10時から4時までが開館時間なので、実質的に3時過ぎまでに入館しないといけない。

場所は、阪急中津駅のすぐそば。中津駅は梅田駅の次の駅なのだから大都会大阪駅から歩いてもいけそうだが、やめた方がいい。地元の人しか歩けないだろう。魔界である。

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そして、中津駅自体も魔界駅だ。ホームがみたこともないほど狭い。つまり危険だ。黄色い線の内側よりも外側の方が広いのだ。それなのに、宝塚線と神戸線の二つのホームがある。そして、この駅は地面よりも高いところにあるようにも見えるし、そうでもないようにも思える。そして駅から出る方向を間違えると、二度と家に帰れなくなる。こっちの方であるわけはない、と思う方向が正解だ。

駅の近くのビルの上階に看板があって、やっとそこが目的地だ、と一安心だが、まだなのだ。そのビルに入ってエレベーターに乗ると別の地面である1階に降りるようになっていて、そこには何もないのだ。そして→の方向に進むと、道路の反対側に目的の南蛮文化館がある。

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そして、秋なのに大汗をかいて館内に入ると、2階建てである。1階は信じられないことにキリスト教の秘宝である。さらに言うと、日本でキリスト教が禁止された250年間の間に、いわゆる隠れキリシタンと言われた方々が守り抜いた大小の秘宝である。当然、親子間で何代もかけて引き継がれていたのだろう。全国各所で発見された物が、ここに収集されている。

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展示品についてはパンフレットに多く記載されているが、その画像を公開する気にはならないので、観たい人がUSJのついでにでものぞいてほしい。

2階は、非宗教的な南蛮文化の屏風や記念品など。オランダ貿易によるものも多い。こちらは欧州の文化が日本にどのような影響を与えたのかというテーマで観るといいだろうか。

設立者の北村さんの情熱に感謝したい。こういう人も大阪にはいるわけだ。

大阪駅に戻るには、逆コースで、例の中継ぎビルに戻るのだが、何階まで上がると別の地面に戻れるのか覚えていないので、ビルのエレベーターの中で行き詰ることになる。不審者に認定されるわけだ。

南禅寺の決戦の地

2016-11-26 00:00:01 | しょうぎ
将棋界で南禅寺の決戦といえば昭和12年2月5日から7日間行われた阪田三吉と木村義雄戦を指す。指し盛りで名人位を目指す木村義雄が、古豪阪田三吉の夢を打ち砕いた一戦である。続けて第二戦が一か月後に天龍寺で行われた。阪田の相手は花田長太郎に変わるが、激闘の末、阪田は破れ、この二番を機に成績は衰えていった。

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天龍寺に行くなら南禅寺にも行こうと、京都の西側である嵐山から東山に行く。天候も少し異なっていた。こちらも名寺であるが、より禅宗に近いのだろうか。観光に特化しているようには見えない。

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特に山門からはオーラが感じられる。

実は、天龍寺で精進料理を食べていた時に疑問を感じていたのだが、7日間の対局期間中、ずっと精進料理を食べていたのだろうか。それこそ修行僧ではないか。頭脳を使うとカロリーを使うので糖分を中心に補給が必要なのだが・・と疑問を持ったままになった。

帰宅後、日本将棋体系の中の木村義雄の記譜解説を読む。南禅寺の決戦譜は大山康晴氏が書いていて、食事については、三食すべてが、有名な瓢亭からの取り寄せで、関係者は高級料理に飽きてしまったとなっている。ああよかった。


そして、その一局の棋譜を読んでいて、大いに驚いたのが木村義雄の指した19手目。▲5八金左である。大山名人も絶賛の一手である

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しかし、ネット上で調べると、▲5八金右となっていることが多い。各種動画棋譜もこうなっている。その先、5八の金は4七に上がり、▲5九金という手があるので、そこで、図面は19手目が5八金左でも右でも同一になる。一体、どちらが正しいのかというのは当時の新聞を読めばわかるし、この両対局の観戦記が出版されているので読めばいいのだが、とりあえず簡単にはわからないわけだ。自宅の弱いソフトで調べると、Aソフトは5八金右や7八玉といった王の守り重視で、Bソフトは5九金左と2筋防衛を主眼にした手を推奨している。


さて、11月12日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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入玉だが難易度は低い。お正月向きかな。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

天龍寺で精進料理

2016-11-25 00:00:22 | あじ
天龍寺に行った目的の一つが、精進料理をいただくことだった。

実は、一ヶ月ほど前に、天龍寺で将棋竜王戦七番勝負の第一局が行われた。最近は寺院での対局がブームで、高野山でも開かれている。天龍寺、高野山に南禅寺を含めると、昭和初期の大勝負が行われた場所として有名で、1937年3月には天龍寺で、阪田三吉と花田長太郎戦の大激戦が行われた。当時は持ち時間30時間、対局は7日間という凄まじいシチュエーションだった。

今回は、思いもかけない挑戦者のスマホカンニング疑惑が持ち上がり、対局数日前に挑戦者変更という混乱状態の中で一局目が始まった(カンニングの方は、やはり疑惑が証明されない方向にも見え、この七番勝負自体の正統性が???状態になりそうではあるが)。

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で、対局者たちの食べ物であるが、特に昼食については、外出するわけにもいかず、天龍寺の中にある精進料理店「篩月」で供している精進料理を食べるように設定されていたようだ。ということで、中継ブログで見る限り、最低価格3000円の「雪」ではないかと思われるわけだ(画像は対局者ではなく、対局関係者のもので、対局者は極上定食「花」かもしれないが)。予約なしで行くと、この最低コース「雪」になるようだ。

ただ、ちょっと気がかりだったのは、一人で入店すると、4人掛けテーブルを独り占めするとか、相席とか、あるいは断られるとか、そういうことだったのだが。

まったくの勘違いだった。一人でも五人でも、サッカーチームの11人が来ても対応可能なのだ。なにしろ通されたのは畳敷きの座敷で、壁際に敷かれた緋毛氈(レッドカーペット)に端から順番に座って行く方式だからだ。そういう座敷がいくつかあるようだ。そして、目の前の畳の上に料理が置かれるわけだ。

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実際、食べにくいわけだ。外国人女性は胡坐をかいて食べているし、正座だと床と口の距離がなおさら遠くなる。結局、器を持って食べることになるのだが、引っ越し直後にまだ家具を並べていない状態で、床に置いたカップ麺を食べるようなことになる。

しかし、本来は健康食のはずなのだが、これだけ充実するととりあえず満腹になる。

ところで、突然、竜王戦挑戦者に突然格上げされた丸山九段だが、今までのタイトル戦の時には、「カツカレー二人分」とか食べていたそうだ。精進料理では力が入らなかったのか、第一局を失った。

日本の美を集成した天龍寺庭園

2016-11-24 00:00:52 | たび
よく日本庭園の特徴は「空間」と言われる。石庭の様式がまさに究極だ。しかし、有名な天龍寺の庭園に足を踏み入れると、ある意味、そこには空間はない。美を詰め込んだ庭園なのだ。



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あえて、空間の広がりを求めれば、池ということだが、池の中は鯉をはじめ、多くの生物が住処にしている。

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林の中の苔の群生も圧巻だ。苔寺とは異なり、地面に凹凸がある場所を苔が覆っている。

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まだ早いにしても緑、黄色、赤の3種類の葉が織りなす木々の下で木漏れ陽を浴びるとは最高ではないか。

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この贅沢な時間を500円定額で味わえると言いたいところだが、何しろ多くの人たちが押しかけていて、ゆっくり前に進むしかない。

渡月橋付近で道を聞かれても

2016-11-23 00:00:00 | たび
京都に行くことがあり、秋なので「紅葉」と安易な発想で嵐山に行く。

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しかし、まだ紅葉には早かった。赤い山と渡月橋という景色が美しいのだが、山は緑だし、渡月橋を歩いても渡月橋の写真は撮れない。しかも右も左も前も後ろも人ばかりだ。速度は遅いし、追い抜きも困難。立ち止まりも困難。これでは写すこともできないので橋桁や柵から身を乗り出し、カメラを突き出して撮影するが、カメラまたは自分の体が落下する危険が伴う。

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その後、天龍寺方面に向かうと、二回も外国人女性から道を聞かれた。最寄駅に行くにはどうすればいいかというのが一人目で、知らないので答えられない。二人目は「バンブー・フォレスト」にはどういくか、というもので、知らないので答えられない。だらだら歩いていると、竹林の中に入ってしまったのだが、さっきの女性を姿を見ることはできなかった。

外国人差別をされたとか、世界中にSNSで拡散されませんように・・

大統領制を止めたらと思うポピュリズムの国

2016-11-22 00:00:18 | 市民A
少し前にギリシアでは財政緊縮案をめぐって直接選挙を行ったものの、選挙の結果は何の効力も持たない惨めな結果に終わった。スコットランド独立運動や、英国のEU離脱、米国大統領選挙の醜さなどみて、最後のコミックが韓国の大統領おろしである。

特に、冷静さに欠ける国民が、もっと絶対的大問題を抱えながら、目先の問題で興奮しているのをみると、つくづく大統領制はやめた方がいい、と思ってしまう。

もっとも、以前は間接選挙で選ばれた議員が大統領を選んでいた時もあったが、国民が怒って、結局直接選挙になったのだが、そんなパーフェクトを望んでも、社会構造上、大人物が突然現れたりできないのだから、当分の間は、大統領を廃止してしまい、日本と同じように国会が首相を選ぶようにすれば、少しはましなのではないだろうか。

大統領の末路を調べると、亡命、刑務所、暗殺、自殺という事例が多発していて、やりたい人が枯渇するのではないだろうか。大統領になりうる地位に至るまでに、様々なコネや裏切りなどを続けることがマスト条件のようだし、それが問題というなら、やれなくなる。

だいたい、大統領を引きずり下ろして刑務所に入れるか外国に追い出したって、次を選ばばなければならないと思うのだが、いるのだろうか。

万能鑑定士Q モナリザの瞳(映画 2014年)

2016-11-21 00:00:02 | 映画・演劇・Video
小説を原作として、軽いミステリー作品になっている。事件の目的物は、名画モナリザ。これを日本で行われる展覧会場で贋作とすり替えようというのだから荒唐無稽だ。会場は国立東京美術館。奇妙なことに、そういう名前の美術館は存在しない。

そして、警察が出し抜かれ横浜港から本物のモナリザを貨物船に積み込み作業中に間に合った。東京港から出港していれば成功しただろう。それを推理して奪還するのは、万能鑑定士Qを名乗る綾瀬はるかにそっくりな女性鑑定士と松坂桃李そっくりな記者。

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女性鑑定士は高校生の頃はまったくの落ちこぼれだったのだが、離島から東京へ出て、物を覚えるときに、人間の五感や感情とものごとを重ね合わせて覚えるという方法で、真贋判断の達人になる。本来は鑑定団の番組に出演すべきところ、自営で眼を鍛えている。

一方の記者はまったくのウスノロで、新型うつ病になる寸前だったのだが、あるパーティの場で起きた犯罪を瞬時に見抜いた彼女の能力を見て、追っかけ取材する。そして、舞台はパリに。

で、窃盗団は1911年にイタリア人がルーブル美術館からモナリザを盗み出して故郷のイタリアに持って行った事件と関連させ、実行犯を洗脳し、ルーブルの展示物自体が偽物だと思い込ませる。

そして、本映画には、美女がもう一人登場するのだが、こちらは実行犯側。どうも綾瀬はるかは、悪役が似合わないタイプだ。いずれ悪役もやるのだろうか。

ところで、本映画はモナリザの真贋鑑定が大きな意味を持つのだが、500年前の作だし、途中に盗まれたり、物をぶつけられて修復したり、キャンバスではなく板に書かれているのだが台板がゆがんできたり、鑑定困難な事情が多い。

私だったら、絵画の一部を削って舐めてみれば、イタリア製かどうかはわかると思う。

青葉区民芸術祭(アートフォーラム)

2016-11-20 00:00:02 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市の青葉区と都筑区の入り組んだ境界のあたりに住んでいて、都筑区側である。これが世田谷区田園調布と大田区田園調布との差という話なら高尚なのだが、青葉区は高級選民の街で都筑区は庶民系で大違いだ。

ということで、高級選民の多い青葉区民の芸術祭に顔を出す。横浜市も青葉区には大きな美術館(所蔵はなく展示用美術館)を建てている。もっとも、区民祭には有名ピアニストや有名小説家が友情出演ということはないので、格差を感じることは特にない。

絵画展については、ここに紹介するすべもないので、文芸展ということで、特に散文が展示されている。

短歌は、出展が少なく、重い作品については個人的に評価が苦手であるが。

遥かにも育児の日々は過ぎゆきてけふ我のむねみどりこのあり(R)


川柳で紹介したいのが

 さよならをするたび女磨かれる(W)

 ふり向けば孫が押してる車椅子(N)

 鍵掛けた箪笥怪しいゼロ金利(T)


実は、俳句の出展がゼロなのに、英語俳句の出展9点とはどういうことなのだろう。

 in the winter night sky
I’m glad to see you again
Cassiopea!

冬夜空 また会えたわね カシオペア(M)


そして詩や書道の部門で見つけたのが、次の二つ。それぞれ五行と一行。

すれ違った電車の中や
行ったことのない街に
あの日 別の選択をした
私が
幾人も暮らしている(M)

 宇宙の悪魔が笑っている(E)


そういえば、2016流行語大賞候補がノミネートされたけど、シュールさで目立つのは「保育園落ちた」だよね。健闘を祈ろう。

駒型クッキーは盛上駒だった

2016-11-19 00:00:51 | しょうぎ
天童からの土産物第二弾は、駒形のクッキー。味は置いておいて、形状の話だが、駒の大きさが大駒と小駒と異なるように手が込んでいる。

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さらに文字であるが、クッキーに焼印を押したように凹んでいるわけではなく、逆に文字の部分が突起している。どうやって作るのか知りたいところだが、この文字が浮き出すというのは、将棋駒の中で最高とされる盛上駒と同じだ。

これを対局に使うと、長い時間考えていると空腹になり、時々、駒が減ってしまう。駒の裏には何も書かれていないので、何か定跡でも書いてカンニングに使ってもいいかもしれない。というか5枚目の金とか活用すればいい。


さて、11月5日出題作の解答。

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なお10手目に△4四同香ではなく△3三歩等でも同手順で詰むので、キズがあったと言わざるを得ない。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数とご意見を記していただければ、正誤判断。

二刀流、岩国寿司に敗れる

2016-11-18 00:00:43 | あじ
二刀流といえば、今や大谷翔平のことを指し、投手と打者との二種類の達人を指すのだが、元の意味は二本の刀を両手に持って振り回す剣術のことで、代表的な剣士は宮本武蔵だ。

その宮本武蔵と下関の近くにある巌流島で戦い、船の櫂で頭を叩き割られたと言われるのが剣豪佐々木小次郎なのだが、ある場所でついに敵を討つことができた。


岩国で錦帯橋を渡り、吉香公園を通って岩国城を上ろうという時、正午を少し回っていた。「余は昼飯を所望するのじゃが・・」と小声でつぶやくと、「岩国寿司」と書かれたのぼりが目に入った。さっそく入店し、岩国寿司定食を注文。

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しばらくして登場した定食には、錦糸卵がのった押寿司である『岩国寿司』と、野菜の煮物である『大平』と魚介類のミンチをトンカツ状にフライにした『がんす』がセットになってでてきた。

太平は、見た感じの予想と同じ味だが、がんすは、食べたことがなかったこともあるが、超美味だった。早く首都圏デビューしてほしい料理だ。まちがってもB級グルメ路線に進んでは駄目だ。

そして気が付いたのは店名。『佐々木屋小次郎商店』。いかにも佐々木小次郎にあやかっている。その場知識だが、小次郎の秘伝の技である「燕返し」は、錦帯橋で練習して編み出したとされているそうだ。

そして、岩国寿司は押寿司であり、飯が圧縮されていて硬いわけだ。それを割り箸で食べようというのだから割り箸がしなるわけだ。「二本の割り箸は二刀流ということなのだから、これは武蔵と小次郎の戦いなのか」と思った瞬間に、箸が折れた。それも二本同時に箸が折れた音が店内に響き、気が付いた複数のお客様方からの失笑の気配を感じる。

二刀流敗れたり!


帰宅後、小次郎や燕返しのことを調べてみると、佐々木小次郎は1612年に武蔵に殺されたのだが、錦帯橋が完成したのは数十年後であり、全くの時代錯誤だ。それに橋の上で剣を振り回して練習できるはずがないだろう。吉川英治が書いた「宮本武蔵」が原因のようだ。時代小説家は事実に大きな想像を書き加えることが許されているのだが、時代の順番まで並べ変えるのはどうかと思う。なお吉川英治は「よしかわ」で、岩国藩主吉川は「きっかわ」と読む。

岩国城の上下バラバラはなぜか?

2016-11-17 00:00:40 | The 城
錦帯橋を渡ると、吉香公園がある。岩国城はその公園の北側の横山の山上に築かれている。オリジナルの城は関ケ原の戦いの時に、毛利一門でありながら徳川に寝返った吉川広家が、戦後に毛利藩の存続に走り回った結果、皮肉なことに小大名になり下がった毛利家のさらに支藩というところに落ち着いたことに起因し、1608年に竣工。本丸と4重6階建ての天守閣が立った。

しかし、奇妙なところもあるのだが、徳川幕府による一国一城令によりわずか7年で城は破却され廃城となる。こんな山の上に築城する苦労からいえば、壮大な無駄だ。MOTTAINAI!ARIENAI!だ。さらに、周防の国にはこの城しかないのだから、壊す必要はなかったのではないだろうか。

(ただし、徳川幕府の威光は絶対的なものであり、少しでも謀反の嫌疑をかけられないために過剰サービスをしたのかもしれない。あの仙台伊達藩にしても、江戸城が建て直しになる際に、古い江戸城の材木一式を引き取り、仙台城の一部に再利用させていただきますとゴマすりし、廃材を仙台まで運んだうえ、ひそかに捨てたりしている。)

そして、現代人は、山の上まで歩ける人はほとんどいないため、ロープウェーに頼ることになる。ほとんどが外国人の中、山頂で降りると、そこから山道を10分歩く。もっと城に近いところに駅がほしい。山道の両側には大小さまざまな石垣崩れの岩が転がっていて、かなり大きな城が築かれていたことが想像される。

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そして、山頂の平地に到達すると、驚きの光景がある。

天守台が登場するのだが、下界から眺めたときは、石垣の上に天守閣が見えたのに、石垣だけだ。さらに目を凝らすと、その先に天守閣が見えた。つまり、上下別にあるわけだ。

天守台を観察すると、かなり古風な石の組み方で、芸術性も何もない、1570年頃の素朴な組み方であり、吉川広家が実用本位の人間だったということがわかる。そして、本物の天守があった場所と現代の復興天守の中間地点が、本丸があった場所だが、なんとトイレが建っている。

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そして、天守閣をみると、上層階が南蛮造りになっている。安土城とそっくりである。昭和37年に、昭和の名築城家である藤岡通夫氏の設計で再建されたのだが、藤岡氏の設計は熊本城や和歌山城といった、元の写真や証言が残ったものが多く、350年も前の城の設計には、多くの推論が含まれるものと思われる。吉川広家は安土城をみたことはないはずだし、残っていた絵図に信憑性があるのか、石垣の素朴さとか、幕府との関係からいって南蛮造りには違和感が残る。

そして、天守閣が立った後で、天守台の石垣の発掘作業が始まったそうだ。順序について、あまり納得できないが、これが上下バラバラになった理由らしい。

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とはいえ、天守閣を見晴らしのいい場所に移転したため、眼下には錦川や錦帯橋、遠く岩国の市街地がのぞめ、さらにその先にあるのは、米軍の岩国基地であって、そういえば冷戦時代には核兵器搭載の原潜が、核兵器を搭載しているかどうかを明らかにしないで寄港していたということを思い出すわけだ。

錦帯橋を往復する

2016-11-16 00:00:35 | たび
岩国市が錦帯橋をもって世界遺産に意欲を持っている。個人的には宮島のような古来からの霊的シンボルではないので、どうかなと思っているのだが、物体としての錦帯橋は人工物としてはすばらしい名勝である。

もちろん1673年に完成したのは観光用ではなく実用品としてだったのだが、紐を解くと関ケ原の戦いになるので、それは別稿として、橋に関係する部分だけにすると、江戸時代の最初に岩国の城主となったのが吉川家である。色々なごたごたの結果なので、吉川家では再び国内大戦争が始まるかもしれないという予感に基づき難攻不落の山城をこの橋の先にある山頂近くに建てる。橋の写真の上の方に、再建天守閣が見える。

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そこは山の上なので、武士の住む屋敷町は山の下になる。しかし、面積がとれないので、全面を流れる錦川の右岸と左岸に分かれて武家屋敷と町人の住む城下町がわかれ、さらに外側に農民が住むことになる。

必然的に、川を渡るたびに大不便状態になる。川幅は200メートル程度で流れも遅くない。そこで、橋を作ろうということになったのだが、技術的な困難があった。橋桁の数を減らすと強度に問題が出るからだ。そこで参考にしたのが中国の西湖にある五連のアーチ橋だ。

そして完成。長く補修を続けていたわけだが、城下の人々に対し、武家、町民、農民と問わず橋修理税を調達していたそうだ。しかし通行が許されたのは武士と出入り商人だけだった。(都民税でできたスポーツ設備に入れるのはアスリートだけ、という構造に近い)

そして、明治、大正、昭和と時は流れ、敗戦で無一文になった国家にダメ押しの台風が来た。1950年の台風で橋の大部分が流出してしまう。一説では、米軍基地となった岩国基地の舗装工事のため、橋のそばの砂を掘り出したからともいわれる。そして、復旧されたのが1953年。次の危機は人災だ。1998年に3人乗りの軽自動車が橋を渡ろうと突入。故意かうっかりかは不明だが破損した。2001年から3年で補修が行われたが、2005年の大雨で、橋桁が破損してしまう。

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ということで、補修計画を賄うためか、橋を渡るのは有料である。この橋を渡ると多くの人はロープウェーに乗り、岩国城まで行き、帰ってくる。この橋の往復とロープウェーの往復と、岩国城入場の5枚のチケットがセットで販売されている。うっかり行きの橋の上でチケットを風で吹き飛ばされると戻るときは、川の中を歩かなければならない。山の上の城でチケットを吹き飛ばされると、歩いて山を下りてこなければいけないうえ、さらに川の中を歩かなければならない。

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橋の表面構造だが、傾斜の急なところは階段になっている。つまり最初は階段を上り、次つぎに階段を下りる。これを5回繰り返すのだから、5回建てのビルの階段を歩くようなものだ。

橋の上から河原まではかなり高さがある。河原では釣りをしている老人と、絵を描いている老人が多いが、釣れてもいないし、絵も下手だ。