『愛人』という題名の本は各種ある。有名なのは「愛人・ラマン(マルグリット・デュラス)」だろうか。映画は、小説よりも美しく、ナイーブに仕立てられ、エンディングで突然にショパンのノクターンが流れる。また、渡辺淳一にも同名小説がある。
ところが、中国語では、「愛人」は日本語の「妻」を指す言葉でしかない。「妻」とか「ワイフ」といった題名の小説は原理的に存在しない。小説は、刺激的なストーリーを求めるのであり、読者は、「愛人」という言葉に、主人公の男の演じる、「本人は必死だが、はたからみると滑稽な」不倫関係を、ハラハラしながら読み進みたいのである。
そして、藤沢周の『愛人』も、大かたの予想通り、何種類かのパターンの思考方法、行動様式の女性達が登場し、主人公の中堅風俗作家と、しょっちゅうベッドに潜り込む。
そこに、別れたのかそうでないのか不明な本妻や、野球のグローブを欲しがる長男。さらに、中年でくたびれた中堅の変態同業者や変態編集者などが登場。
要するに、人生は愚かだ、ということを、テンポよく書いたのかもしれない。愚かなものを愚かに書くと、しかしこれが、本人たちの必死の図になる。
しかし、最近、藤沢周の作品をだいぶ読んでいるのだが、あくまでも個人的見解としては、「作品にバラツキがある」ということができるだろう。本作は、ちょっと、はずした方ではないだろうか。
書かれた時代順に読むと、何か彼の作家としての苦闘がわかるかもしれないし、そうではないのかもしれない。初期の名作とされる『ブエノスアイレス午前零時』を探しているのだが、なかなか書店では見つからない。結局、amazonに注文して、個人情報を自ら流出させることになりそうだ。
カバーの裏側に写真があったが、想像とはまったく違う顔だった。文豪風。たぶん写真顔と作風は、永井荷風を強くイメージしているのだろう。名前は藤沢周平(時代小説家)と似ているのだが。
ところが、中国語では、「愛人」は日本語の「妻」を指す言葉でしかない。「妻」とか「ワイフ」といった題名の小説は原理的に存在しない。小説は、刺激的なストーリーを求めるのであり、読者は、「愛人」という言葉に、主人公の男の演じる、「本人は必死だが、はたからみると滑稽な」不倫関係を、ハラハラしながら読み進みたいのである。
そして、藤沢周の『愛人』も、大かたの予想通り、何種類かのパターンの思考方法、行動様式の女性達が登場し、主人公の中堅風俗作家と、しょっちゅうベッドに潜り込む。
そこに、別れたのかそうでないのか不明な本妻や、野球のグローブを欲しがる長男。さらに、中年でくたびれた中堅の変態同業者や変態編集者などが登場。
要するに、人生は愚かだ、ということを、テンポよく書いたのかもしれない。愚かなものを愚かに書くと、しかしこれが、本人たちの必死の図になる。
しかし、最近、藤沢周の作品をだいぶ読んでいるのだが、あくまでも個人的見解としては、「作品にバラツキがある」ということができるだろう。本作は、ちょっと、はずした方ではないだろうか。
書かれた時代順に読むと、何か彼の作家としての苦闘がわかるかもしれないし、そうではないのかもしれない。初期の名作とされる『ブエノスアイレス午前零時』を探しているのだが、なかなか書店では見つからない。結局、amazonに注文して、個人情報を自ら流出させることになりそうだ。
カバーの裏側に写真があったが、想像とはまったく違う顔だった。文豪風。たぶん写真顔と作風は、永井荷風を強くイメージしているのだろう。名前は藤沢周平(時代小説家)と似ているのだが。