軟化はノーベル賞のせいか?

2010-09-30 00:00:45 | 市民A
尖閣問題を冷静に考えると、どうも中国側が勝ったとは思えないところもある。いい勝負だったのかもしれない。あるいは、中期的には中国の方が損をしているのかもしれない。

中国に有利な点は、「尖閣問題」を国際的にアピールしたことだが、別にアピールしたいなら他にも方法があったはずで、漁船体当たりの証拠ビデオを残す必要もなかったはず。

一方、中国にマイナスな点は、「カードを見せすぎたこと」。邦人逮捕やレアアースの禁輸、観光客の訪日延期、SMAP公演延期、実行しなかったが日本国債の買い入れによる円高誘導の検討とか。

外交的に言うと、「手の内の見せ過ぎ」ということになる。たとえば、レアアース問題だって、中国依存からの脱却を各企業は始めるだろうし、観光客だって、中国人以外をターゲットにするだろうし、もっといえば企業の中国シフトの方針だって少しずつ変わっていく。投資にかかわる中国のカントリーリスクの見方が変わるはずだ。


それで、突然に態度軟化したというよりも、もっと困った揺さぶりがあるのだろうと思う。


毎年10月の大騒ぎであるノーベル賞。

日中抗争の第二ラウンドになるかもしれない。

まず、各賞ごとの発表日。(現地時間なので、各1日を足すと日本時間)

 10月4日  生理学・医学賞
 10月5日  物理学賞
 10月6日  化学賞
 10月8日  平和賞
 10月11日  経済学賞
  未定   文学賞

このうち、大問題が平和賞。中国人が候補者になっているようだ。劉暁波氏。服役中の民主活動家である。何とか、自国民の授賞を阻止しようと必死の構図らしい。何しろ、ダライラマみたいに海外にいるのではなく、自国の刑務所にいるわけだから、『内政干渉』とか言い張るしかないが、言えば言うだけ孤立する。

一方、日本にも枠が回ってくるかどうかだが、事前予想では、生理学・医学賞にips細胞の山中仲弥氏、化学賞には北川進、藤田誠氏、経済学賞には清滝信宏氏などが挙がっているようだ。

山中教授は、業績からいえば、いつでもノーベル賞を授賞できるレベルにあるそうで、こういう人がパワーバランスの調整に使われるのだろうと、推測する。

またノーベル賞は一つの賞について最高3人までの授賞と決められているので、化学賞や物理学賞については、4人以上の共同研究の成果については、いつも泣く人と笑う人が出る。こうなると、確率みたいなもので、これも国家間のパワーバランスの調整弁ということだろうか。

つまり、先行して10月4~6日の間に日本人が授賞して、そのあと、11日に中国人が授賞するということになると、再び、超強硬論に突っ走る危険があるのではないだろうか。


もっとも、ノーベル賞の財源は、ダイナマイトという大量破壊システムの発明に起源するわけで、ノーベル賞が発端となって世界大戦争がはじまったとしても、それこそ賞にふさわしい結末と言えないわけでもない。

タイタニック ワンスモア?

2010-09-29 00:00:07 | マーケティング
「他国の人の考え方はよくわからない」と思うことは多いのだが、中国人の考え方は、かなりわかりやすい。というのも、その背後に宗教とか道徳とか、普通の国にはある国民的価値観というものが存在しないからだ。思えば英国人が売りつけた阿片の中毒が蔓延したあと、文化は崩壊し、さらに文化大革命があって、思想的なもの哲学的なもの道徳的なもの、すべて無価値となった。あるのは拝金主義と共産主義だけだ。だから、いたってわかりやすい。さらに、責任転嫁方式。尖閣問題は日本が悪いとかいっているが、今後不動産バブルが崩壊したら、また誰かのせいにするのだろう。

ところで、本当はわかっているはずの英米両国だが、やはり日本人にはわからないこともある。

奇妙なツアー旅行の話がある。1年半ほど先になるが、ある船旅が計画されている。



タイタニック沈没100年記念クルーズ、悲劇便乗と批判も

(CNN) 豪華客船「タイタニック」の沈没から100年目となる2012年に、少なくとも2社が記念クルーズを企画している。何度も小説や映画の題材になったタイタニックの記念航海は高い関心を呼ぶ一方で、悲劇に便乗した無神経な企画だと反発する声も出ている。

「タイタニック・メモリアルクルーズ」はタイタニックと同じ航路をたどる計画で、イングランドのサザンプトンを出港してフランスのシェルブールを通過し、アイルランドのコーブ港に寄稿した後、大西洋の沈没地点に向かう。この地点で沈没時刻の4月15日午前2時20分に追悼式を営むという。

乗客はタイタニックと同じ1309人を乗せる予定で、チケットはほぼ完売。主催者によれば、タイタニックの生存者と犠牲者の親族30人以上も乗船するという。

一方、「ボヤージュ・タイタニック2012」のクルーズ船は同年4月9日に乗客680人を乗せて米マサチューセッツ州ボストンを出港し、タイタニックの犠牲者多数を受け入れたカナダのハリファックスに寄港。その後沈没地点へ向かい、やはり4月15日に追悼式を営む。遠隔操作式の探査船も同行し、天候が許せば船体の残骸の映像を生中継するという。

両クルーズともタイタニックと同じメニューを用意し、中には当時の装いで参加する乗客もいると予想。しかしこうした企画は悲劇に便乗して楽しむものだと批判する声もある。

クルーズ情報交換サイトには、妻の曽祖父がタイタニックの犠牲になったという投稿者が「(映画「タイタニック」に登場する)ジャックとローズの衣装でマティーニを飲もうと思っている人は、遺族にとってこれがまだ生々しい記憶だということを忘れないで」と書き込んだ。


別に100年経ったら、事故は時効だ、なんてルールは聞いたことないし、原因は天災、人災、偶然性など諸説あるといっても、しょせんは大事故である。乗員と乗客で1500人以上の犠牲者が出ている。

事故現場に行ってパーティをするというわけだ。もちろん、事故現場に到着する前も毎日パーティなのだろう。最近の中国では、船のカジノで大敗して身投げをしたという記事もあったが、そんなクルーズが完売するとはなかなか思いもつかない。

沈んだ場所は海上のある一点であるし、その時刻も特定されているのだから、今回、二隻のクルーズ船がある地点を目指して突っ走っていくと、二隻が体当たりして再び海底に沈んだりしないものだろう。

さつま 島美人

2010-09-28 00:00:14 | あじ
西郷隆盛像を表敬訪問したせいかどうかわからないが、焼酎一升瓶をいただいた。



さつま 島美人。

実は、芋焼酎の匂いプンプンだが、かなり甘口だ。これだけ甘い焼酎は初めてである。もっとも黒糖焼酎も甘いが、ちょっと質が違う。島美人は、焼き芋の甘さだ。

で、薩摩で「島」というと、どこの島だろうと、ちょっと考えて、勝手に奄美大島ではないかと決めつけていたのだが、違った。長島という島である。あまり有名じゃない。場所も、鹿児島の南ではなく、西北方面。つまり東シナ海である。

通販サイトを調べると、一升(1.8L)で1800円程度だ。ごく普通の酒だが、鹿児島県ではかなりポピュラーみたいで、県民は甘い酒が好きだそうだ。鉄のやかんに水と焼酎とまぜてから火にかけるのだったかな。

だから、甘みが減るのだろうか。オンザロックで飲むべきじゃなかったかもしれない。

長島研醸という蔵元からの出荷だが、島内にある五つの蔵元が運び込む5種類の焼酎をブレンドして作っているそうだ。ちょっとよくわからない話だ。原料はさつま芋と米麹。さつま芋は桜島の火山灰地が土壌的に適質ということで、鹿児島県はどこでも作られている。たぶん、江戸幕府の決めた薩摩藩の石高の外数だったので、藩は藩民にはさつま芋を食わせて、浮かせた米を全国で換金して蓄財をはかったのだろう。ためたおカネを幕末に一気に使ったわけだ。

現在、五つの蔵元で一つのブランドを作ることは、人口過疎現象と関係があるのだろうか。

ところで、この長島の近くには沖ノ島という島がある。かつて芋の栽培をしていたが、現在は無人島になっているそうだ。

尖閣諸島だって、一時、日本人が居住していたのに、海産物や農産物を政府が買い上げる(所得補償)ような政策をとらないから、いつか無人島と化し、暴力団から因縁をつけられたわけだ。

沖ノ島も危ないかな・・

ダブルボギークラブへようこそ

2010-09-27 00:00:10 | 書評
スポーツやアウトドアをテーマにしたエッセイや小説を書かせたら、名人芸という山際淳司氏が45歳の時のゴルフエッセイである。実は、このエッセイを出版して1年後の1995年、彼は胃がんで46歳の人生を閉じるのだが。このエッセイの中には、どこを探しても冥界の匂いはしない。人生の歩みの中で世界中のゴルフコースで楽しみ、集めたネタの本の一部を紹介している。



彼の紹介する、ゴルフネタの数々は、ほとんどがひねりの利いた冗談みたいなのが多いが、気になる話が二つ。

一つが、20世紀初頭に活躍したとされる幻の日系ゴルファー「スキ・スキユキ氏」のこと。1910年頃に香港・上海方面で活躍し、その後、アメリカに渡る。左右両打ちゴルファーで、クラブのスイングが早く、何度か二度打ちの反則をしているそうだ。

彼の師匠は、「タマ・シャンティー」という日本人だそうだ。そして1919年と1920年のブリティッシュオープンに連続優勝。1回目が右打ちで2回目が左打ち。しかし、どちらの年も、スウィングが早過ぎて2度打ちで失格。

実は、二度打ちが原因で、公式優勝者に名前が載っていないわけじゃなく、話全体がフィクションだからだそうだ。



そして、もう一つのネタは、ホールインワン。

実は、山際氏はかつて2度ホールインワンを目撃したそうだ。

一度目は前の組で、右の土手にぶつかったボールが跳ね返り偶然にもグリーンの上を転がり、そのままカップイン。うれしいより恥ずかしいそうだ。

二度目の目撃は、後ろの組。先にショートホールを終え、後続組のプレーを見ていると、強烈な逆光と西陽のせいで、カップインしたのに、ティーからは見えないらしく、何の興奮も伝わってこない。

これからは、逆光ゴルフでは、自分のホールインワンを見逃さないように、サングラスをかけることにしよう。

ウフィツィ美術館自画像コレクション

2010-09-26 00:00:46 | 美術館・博物館・工芸品
新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「ウフィツィ美術館自画像コレクション」へ行く。

フィレンチェにある世界最古クラスの美術館である。自画像コレクションがある回廊は事前予約制なので、なかなか見ることが難しいのだが、知る人ぞ知る自画像の大コレクションだそうだ。1700点もあるので、展示スペースの関係で全部が公開されているわけではないし。

その中からのピックアップが今回の展示会である。

もともと、トスカーナ大公の弟レオポルド・デ・メディチが、自画像コレクターになって、1664年からコレクションが始まったそうだ。思えば、自画像の良いところは、画家そのものが自分を描くわけだから、下手な絵になることはないわけだ。これが政治家や小説家や作曲家が自画像を描いたら、ただの祖大ゴミになるのだから、自画像は、名画であると同時に画家の肖像でもあるわけだから、一枚で二倍楽しめるわけだ。

そして、画家が自画像を描くというのも、そこには何らかの想いがある場合がほとんどであるが、たいして意味がない場合もあるようだ。モデル代節約とか。

さらに、この有名な自画像コレクション群も、20世紀の後半に、やや輝きを失っていたそうだが、そこに救世主があらわれる。



マルク・シャガール。

9年をかけて描いた自画像を、美術館に寄贈する。そして館長も急にやる気になって、あれこれとオークションでまとめ買いをしたり、有名な物故画家の親族を探して、自画像集めをしたりしている。

その中興の祖とも言えるシャガールの自画像だが80歳の顔には見えない。若い自分にパリのアパートに訪れた恋人ベラの思い出が描かれているわけだ。だから自身の30歳台を描いたのだろうか。

また、世界各国から自画像を集めるというのも館の方針だそうで、今回はレオナルド・フジタが登場。

ところで、この館が自画像を集めた方法が、それぞれいくつかのパターンがあるそうだ。サザビーのオークションで大枚つかう場合もあれば、画家のこどもから寄付されることもある。また、シャガールのように大家が寄付することもるのだが、エリザベート・シャプランの『緑の傘を手にした自画像』のように、無理やり画家が置いていったものもあるようだ。



また大家レンブラントは100枚もの自画像を描いたそうだが、そうなると何らかの芸術的意味というだけでは説明が付かなくなる。彼は別の事業もやっていて、その事業が破綻して破産してしまうのだが、そうなると、モデル代を節約しながら、絵画の大量生産で現金を得ようとしていたというのが、本当のところかもしれない。

案外、考えさせられる展覧会なのかもしれない。11月14日まで。

佐藤大五郎九段

2010-09-25 00:00:47 | しょうぎ
マキ割り流と言われた佐藤大五郎九段が亡くなった。

確か、ラーメンが食べたくなって羽田から北海道に飛んだ、という逸話があったように思う。

札幌には何回も行ったことがあるが、そんなに美味しいラーメン店には出会ったことがないのだが、経歴を見ると函館出身となっている。行った先は札幌ではなく函館だったのではないだろうか。個人的には函館ラーメンの方が好きだ。

ラーメンの話の続きで恐縮だが、当時は航空運賃が今よりずっと高かったから、こういう話が逸話として成り立ったのだろう。何かが食べたくて、つい旅に出るなんて、今では普通の話になった。規制緩和で旅が気軽になり、一方、日本航空が破綻した。

書棚を探すと、大五郎先生の詰め将棋書が4冊と必死書が1冊、見つかった。



縛り手必勝法   日東書院 昭和41年



 新選詰将棋110題 永岡書店 昭和49年
 図解 新作詰将棋 日東書院 昭和50年
 新しい実戦詰将棋 永岡書店 昭和51年
 棋力アップ 詰将棋入門 日本文芸社 昭和58年

高額ラーメン食べるために、コツコツと仕事をされていたわけだ。


さて、9月11日出題作の解答。



▲2九馬 △同玉 ▲4七桂 △2八玉 ▲3七銀 △同玉 ▲3八銀打 △2八玉 ▲2九飛 △1七玉 ▲1八銀 △同玉 ▲1九歩 △1七玉 ▲2七飛まで15手詰。

初手が意外か。最後の方で打ち歩回避の手順あり。利きを弱くするというか、邪魔駒消去というか。

だんだん、駄作に見えてきていたので、これくらいで。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。



少し、駒を少なくしてみた。いかにも簡単そうで、本当は簡単なのだが、あっさりとザルそば風に噛まずに飲み込もうとすると、のどに詰まるかもしれない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

海上保安庁と漁業監視船

2010-09-24 00:00:22 | 市民A
尖閣諸島での中国側の海域侵犯の背景を考えてみる。

まず、中国経済のバブル崩壊危機。たぶん、住宅バブルの崩壊が始まっているのだろう。大都市の空室率は50%に近いというし、その空室を作っただけでも建設会社や建材会社の売り上げにはなるのだから、GDP伸率の8%の内数になっている。実際には、空室が誰かに買われることによって、この住宅建設の経済サイクルが完結するのだから、売れ残ることがはっきりすれば、途中段階の企業には、不渡り手形が残されるわけだ。そして、銀行融資が滞り、破綻。

バブルといえば、こんな記事があった。

豪華客船のカジノで6315万円負けた中国人男性が自殺=香港

香港「文匯報」によると、香港の豪華客船内のカジノで100万元(約1263万円)を携えて賭博を行い、一晩で約500万元(約6315万円)負けたある中国人男性が、19日午前に豪華客船が帰航する途中で海に飛び込み行方不明になった。その後の捜索でこの男性は見つかったが、すでに死亡しており、調査の結果、自殺と判断された。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。

 賭博に負けて自殺したこの男性は51歳で太っていたという。情報によると、この男性は娯楽場がオープンするとすぐに賭博を始めたが、立て続けに負けていた様子で、朝8時に娯楽場が閉まった時には、「負け金」が500万元余りに上っていたという。


この10年間の躍進で、中国では、「カネ、カネ、カネ」の価値観に堕ちてしまったわけだ。カネのことしか頭にない人たちがカネを失った時、国民総再起不能になるわけだ。

フォーブス誌によれば、2010年に中国はGDPが日本を追い抜いたものの、今後バブルが破裂して大不況に見舞われ、2013年には再び日本がGDP世界二位になると予想している。

多くの人が、中国が日本を追い抜いたと思っているが、そういう比較はドル換算で行われるもので、このドル安円高の結果、またドルベースでは日本が二位に再浮上しているのではないかと、思っている。

経済崩壊すると、次に向うのが政府への抗議。まあ、清帝国の崩壊の時のような内戦がつきものだ。

で、小泉政権の時のように反日キャンペーンで目をそらせようというのだろう。特に民主党の分裂選挙のスキを突こうと思ったのかもしれないが、しょせん日本の国内政治のことなど、基本的には何も分かっていないようだ。

それで、歴史的にみても、海洋国家というのは、米国、英国、日本の三カ国。古くは、海軍軍縮条約もこの3カ国を中心に展開していた。大国と言えば、ドイツ、フランス、ロシア、そして中国なのだろうが、それらは結局、海軍よりも陸軍である。ドイツが破れたのもシーレーンが崩壊したことによって、前線への補給が困難になったことがあげられる。

第一、シーレーンというような概念を持つのは、海洋国家ならではの発想で、他の国は、考えもしないだろうし、考えても何もできない。事実、ソマリア沖の海賊退治では、すでに海上自衛隊が哨戒活動の中心を担っている。たぶん、前の大戦で大敗した反省から、無暗に出ていかないで、情報収集分析による、高等戦術に傾いているからなのだろう。

で、ここで、日本の海上保安庁と比べられるのが中国の漁業監視船。実は、軍艦のお下がりを塗り直して使っている。だから海上保安庁の装備とはレベルが違うわけだ。

それで、漁業監視船が大挙して集まってくれば、海上保安庁では対応が無理なので、海上自衛隊の登場となると、これはもう戦争モードである。

そして、日本の弱点は、またも役人支配国家ということ。海上保安庁(国土交通省)と自衛隊(防衛省)。監督省庁が異なっていて、うまく機能するのだろうか。

例えば、米国の場合も、沿岸警備隊と軍は別組織だが、いざ戦争となれば。沿岸警備隊は国防総省の傘下に組み入れられることになっている。もっとも、アメリカの本土向けに正規軍を送りこんで、海軍を打ち破ろうなどと考える国は、70年近い前に一ヶ国あっただけだろう。

尖閣方面の場合は、もう自衛隊の出番になったのではないだろうか。

この夏、最後の日に耐熱ゴルフ

2010-09-23 00:00:07 | スポーツ
数日間30度を切れていたのだが、再び33度。真夏日が71日目らしい。そして、次の日から秋雨前線で、気温急降下となるらしい。その問題の灼熱日に千葉県南部でゴルフ。

なんといっても暑い。カートの中には、我々のパーティとキャディさんの飲みほしたペットボトルの空きボトルが山積みになる。もちろん足元ふらふらでミスショットも山積みになる。一方、ボールは池や崖下やブッシュの中にどんどん吸い込まれて消えてゆく。

ピート・ダイという設計者の手になる難コースだが、江戸時代の難解詰将棋作家のように、あれこれと夢の中でもプレーヤーを痛めつけるための熟慮を重ね、コースの至るところ無数に罠を仕掛けて待つわけだ。平らな場所はゼロ。グリーンの形状はポテトチップ型で、うっかりパットミスをすると、タコつぼバンカーに転がりこんだりする。

結果、今年、最高(最大)の数値がスコアカードの一日の合計欄に記入される(といっても自分で書くのだが)。

プレーを上がって、入墨禁止の浴場でぼんやりと湯に沈んで、他のパーティに会話に耳を澄ますと、面白い話が聞こえた。

「俺は嫌いな外国人が3人いるんだ。一、胡錦濤。二、ジョンイル。三、ピート・ダイ。」

時節柄の人選だ。


ところで、このコース、レストランに命を賭けているように思う。食べ物にまで罠を張ったら誰も来なくなる。


まず、朝のアイスコーヒー。普通、コップに氷が入っていて、コーヒーが注がれる。だから氷をたくさん入れるとコーヒーの量が少なくなる。

ところが、このゴルフ場のアイスコーヒーは氷もコーヒーを凍らせたものになる。だから、あわてて先にコーヒーを飲んでしまっても、コーヒー色の氷が残っているわけだ。二回楽しめる。



そして、お昼のメニューの一つである天重を頼むと、すばらしいものが出てきた。

巨大なエビが二本。一本は頭に卵が入っている。そしてハゼ。ハゼ天を食べられるとは思っていなかったが、大好物だ。野菜が3種。うっすらとゴマ油の香りもある。新橋の有名天ぷら店のランチ天重よりずっと美味い。料理を食べるためにゴルフに行くような感じだ。


ただ、美味しい料理を落ち着いて食べられなかったのは、隣のテーブルで女性が青い顔で首を冷やしていたのだが、はっきり熱中症とわかるわけだ。これで午後のコースに出たら、救急車だなあ・・とか。

1か月前にここに来た時も、熱中症のことを聞いたし、きのう訪問した会社の役員の方も、ゴルフで熱中症になったばかりで、自律神経に異常が生じて、汗をかき始めると止まらなくなるため、医師から汗かき禁止を命じられたそうだ。いくつかの楽しみがなくなったわけだ。

どうも、行く先々で熱中症の話ばかりだ。あまり気にしてないが。

ケルヒャーで水煙

2010-09-22 00:00:00 | マーケティング
円高ユーロ安の結果と言えばそれまでだが、先日、ボッシュの芝刈り機を購入したのに続き、ケルヒャーの高圧洗浄機を買ってしまった。実は、届いたのは二カ月以上前なのだが、猛暑の中で作業する気にもなれず、ついに今頃になって機械を動かしてみる。



その前に、購入方法だが、まず、自宅近くのホームセンターで同種の機種を調査すると、ドイツ製のケルヒャーと中国製のアイリスオーヤマの二種があることがわかる。当然ながらドイツ製は中国製の二倍の単価だし、中国製と言っても設計は日本なので、どうみてもアイリスオーヤマの方が立派に見える。とはいっても、世界で通用するブランド力で言えば、100対ゼロである。

しかし、アイリスオーヤマは店頭に商品モデルを設置し、誰でも手にして動かせるようになっている。当然、ガンノズルを手にして、実演してみると、・・

水が出ないわけだ。

それで、メーカーはケルヒャーとしても、ホームセンターで買うと高いので、「たかたさん」に発注することになったのだが、届くまでに3週間かかった。まさか注文生産なのだろうか。あるいは、ドイツから船便で輸送中に海賊に没収されたのではないだろうか。

(実は、ケルヒャーのガンノズルには、うっかり暴発させないように、トリガー部分にストッパーが付いていたのだが、もしかして、アイリスオーヤマの店頭モデルにもストッパーが付いていたのかもしれない。でも買わなかっただろうけど。)

そして、組み立てるのだが、ドイツ製品って、芝刈り機もそうだったが、ちょっとしたところを自分で組み立てなければならないのだが、実に不安になる。ドイツ語説明書は読めないし、日本語訳もいたって雑だ。

そして、若干設計コンセプトが日本と異なるので、たとえばネジ式だって、日本の感覚だと回すに連れて重くなって、どこかあいまいに適当なところで締めるのをやめるのだが、ドイツ製って、例えば軽く5回転すると、突然にカチっと音がしてガッチリ閉まってしまい、二度と開かなかったりする。

この、カチっと言うのが何につけてもドイツ式らしい。クルマのドアだって、ドイツ車ってカチっとしまるじゃない。



そして、コンクリにこびり付いているタール状の汚れや黄色の染みになってきた、カビの一種にジェット水流を浴びせると、・・・

ほんの一秒ですべてすっ飛ばすわけだ。そして跳ね返った水流はゴミや泥やタールやコケを含んで、すべて自分の頭から顔、体、足と飛び散ってしまうわけだ。そして、地上数メートル(10m?)の水煙となって、ご近所中に甲高い騒音と黒いシャワーを撒き散らすわけだ。

これじゃ、ご近所迷惑ナンバー1に昇格だ。(最近までナンバー1は、ある中年夫人で、家の前を通る人たちに水を浴びせたり、隣人とはトラブル気味だったのだが、なぜか急死した)

まあ、ドイツ製芝刈り機の時も思ったけど、ドイツ人って、やはり隣人や友人に無神経なのだろう。二度も戦争仕掛けたしね。



ちょっと思ったのだが、これだけの効果を上げるものを考えるのだから、おなかの贅肉が数秒でどこかに吹っ飛んでいくような機械を作ったらいいのに、とか。


さて、話の方向を変えると、今回、どうしても入手したのは、コンクリ壁に黄色の斑点を作るカビが生えてきたからだ。デッキブラシでは、歯が立たなかった。さすがにケルヒャーは一発消去という感じだ。

実は、この1年、あちこちで観察していたのだが、日本のあちこちで、この石やコンクリに生えるカビが増殖しているような気がしている。おそらくは地球温暖化の影響を最も受けやすい温帯地方だった日本の太平洋沿岸に共通しているのではないだろうか。

親戚の家などでもどこでも、このカビが繁殖しているのだが、ちょっと聞いてみると、「無理だから」とあきらめているようだ。

たぶん、正月までに、あちこちの親戚宅へ出張して、カビ落としのアルバイトでケルヒャーの元手を回収することになるような気がする。


ところで、ケルヒャー社だが、ドイツ語では、「KÄRCHER」と書く。Aの上にウムラウト(¨)が付く。AとEの中間音である。まあ、海外展開するなら邪魔なだけな社名をそのままにしていることが、まったくドイツらしい。

読んではいけないと思いながら読んでしまった『放浪記』

2010-09-21 00:00:06 | 書評
二年前に尾道に行った時に、この町はかなり林芙美子との関係を強調しているなあと思った。2008年5月13日『文学者の町、尾道』。

では、彼女の出世作である『放浪記』でも読んでみようかと思ったのだが、何か心の中にブレーキがかかった。

実際、中学生の頃に読んだことはあり、そのディテイルはよくわからなかっただろうが、触発され、いくつか小説や戯曲を書いた記憶がある。

今となったら何も覚えていないのだが、読んだ者の心を不安にし、何か次の行動(つまり放浪)を起こさせるような衝撃があるのだろうか。

とりあえず、突然に放浪を始めるわけにもいかないので、突然に放浪を始める可能性のある『放浪記』を読むことはやめていた。

が、最近、関川夏央氏の『女流』を読んでしまった。『女流(関川夏央著)

その中で、川端康成先生が、生前の悪評も、彼女が亡くなったのだから水に流してほしいという主旨の、文壇史に残る名弔辞を語ったことを知る。

それでは、読まないわけにはいかないじゃないの、ということになり、八重洲ブックセンターで探してみたが、この本を探すのに大いなる時間をつぶしてしまった。あまり読む人はいないのだろう。



それで、感想だが、林芙美子、全然放浪していないわけだ。もちろん彼女の住まいやパートナーは転々を変わっていくのだが、彼女本人のパーソナリティは全然変わらないわけだ。文学を愛し作品を出版社に持って行きは断られ、知人をみつけては借金を重ね、次々に現れる男性を食い散らかし、ダメ父を見捨てない母に愚痴を書き、ホステスの時代には同僚の平林たい子の結婚を愚弄し、そして、早い話が自分の身の上話を暴露して作家になったわけだ。ミーイズム。

だから、読んですぐに放浪に走ることには絶対にならないのだからもっと早く読み直した方がよかったのかもしれない。

でも、彼女が漂泊の作家であったというのは、ある意味当たっていて、それは彼女が町を変わる時に、「その町の思い出」というのを、全部記憶の中に入れてずっと忘れないということなのだろう。数多くの思い出を作って、忘れない。さらにその一部で文学を作る。

気になったのは、彼女が生活に苦しんでいるときに出会った人の多くが、石川啄木の詩集を持っていること。底辺の人たちのバイブル。現代では、そういうものは何だろう。あるようでないようで。「あさのあつこ」とか「ZARD」とかそういう感じだったが、なんとなく、この10年でそういうバイブル的な作家やミュージシャン(および作品)がなくなったような気がする。

本著は、現在は新潮文庫で読めるのだが、新潮社のことを短く書いた部分があり、ホステス時代の彼女が詩を書いて、文芸社を持ち回っていた頃、新潮社は彼女の詩に破格の6円(現在では6万円)を払ってくれたそうだ。該社は、今も金持ちのままだが、80年以上後に放浪記の文庫版で元金を回収しているのだろうか。

西郷隆盛像

2010-09-20 00:00:39 | 歴史
こどもの頃に、一度か二度、上野の西郷隆盛像を見たことがある。そのイメージを持ったまま、数十年を経て、再会。



う~ん。

イメージの中の西郷像の方が大きかった。引き連れている犬も、獰猛なシェパードだったような気もしていたが、もっと小型のおとなしそうな犬種だった。

まあ、こどもの頃は自分の体も小さいから、銅像が大きく見えたのだろうか。

作者は高村光雲という大御所である。

ところで、少し思ったのだが、西郷の歴史的評価のこと。

歴史上の人物の評判は、歴史の中で、高まったり失墜したり変化するのは歴史を見れば明らかだ。

となれば、西郷の評価は、最後の一暴れともいえる西南の役で、地に墜ち、その後、西郷を評価する時代にはなっていないような気がする。

たまたま、ごく最近になって、彼が明治の超初頭に行った廃藩置県とか義務教育制とか徴兵制といった政策に関して再評価の動きがあるようだが、かなり限定的だろう。

しかし、この銅像だが、完成したのは明治31年ということで、西南の役から21年後である。かなり早期に名誉回復がなされたということだ。

もっとも、もともと皇宮内に立てようとしていたものが、上野になり、さらに浴衣姿というカジュアルウェアになった。

その辺については、何らかの政治的な判断があったのだろうが、調べてみても歴史の裏側に埋もれていて、よくわからない。歴史学者の怠慢だろうか。


ところで、本来、上野という地名の語源は、ここに徳川家康のブレーンだった伊賀上野を本領とした藤堂高虎が居住していたことによるわけで、高虎の像もなければ寂しいような気もする。高虎は190センチ近い大男だったそうで、180センチ弱の西郷とは横に並べにくいのかもしれない。何となく、西郷も高虎も実権を持ちながら妬まれるという役どころにいたわけで、小沢一郎みたいなものかもしれない。


そして最後に余談だが、「除幕式」というコトバは、西郷像が完成し、一般に公開されるにあたって明治31年12月18日に開かれた儀式の時に、初めて使われたそうだ。

当時の新聞で探せば、正統的除幕式なるもののシステムがわかるかもしれないが、そこまで調べる熱意はない。

新構造展(上野)

2010-09-19 00:00:58 | 美術館・博物館・工芸品
上野の森美術館で開催中の『新構造展』をのぞく。特に、知人が入選したわけでもなく、単に、「いつか、上野の森美術館も踏破したいなあ」と思っていたのが潜在意識にあったことと、「そういえば、西郷隆盛像もこどもの頃に見ただけだから、もう一回見ておこうかな」と潜在意識にあったことと、仕事で成田方面に行っていて、帰りにウトウトしてしまい、スカイライナーを日暮里駅で降りそびれて、京成上野駅についてしまったことの結果である。



展示は、ほとんどが絵画で、一部、写真や彫刻もある。普段、メジャーな美術館で観る名画と絶対的に違うのが、油の匂い。締め切りに間に合わせるために、各自が必死にアトリエで格闘したのだろう。

ただ、すごい数だ。

これだけのアマチュア画家がいて、それぞれ別のグループに所属して絵画に没頭しているわけだ。それも小さな絵ではないのだから、おそらく一部屋を専用に使うのだろう。

それに、かなりの腕前ではないだろうか。



それで、膨大な量の入選作の中を歩いていると、やはり、名画と凡画の差とか考えてしまうわけだ。あるいは、『名画の条件』。

つらつら考えると、『テクニック』。そして『画家の主張』。『個性』。そういうものが混ざって、結局は千差万別の絵画が誕生するのだろう。

実際には、絵を描き始めると、ついついテクニックの世界にはまり、どこかで見たような画風になってしまったり、画家の身勝手な挑戦的手法が空振りに終わったり、まあそういうバランスが考える前に手が動くというようになるのが達人なのだろう、と思ったりするわけ。

でも、達人の中の達人というのは、たぶん他の要素もあるのだろうと、思いながら、もやもやと会場を退出。

予言か失言か

2010-09-18 00:00:07 | しょうぎ
2010年8月7日号「将棋フリーペーパー『駒 doc.』」で、広瀬章人六段のことを取り上げて、体格以上に手が大きいのが特徴で、持駒を隠したりするのに最適、と冗談で書いたら、本当に王位を獲得した。持駒の二枚打ちなんて技もやったことがあるかもしれない。5一の裸玉に対して、掌に隠した二枚の金将を5三と5二に二枚同時に打ってしまえば、すぐにトン死である。そろそろ秋号の時期だが、次は誰を特集するのだろう。

そして、2010年8月28号「消えた将棋盤」で紹介した徳川家由来とされる謎の盤の真贋争いも日テレや朝日で紹介される。個人的には、現物を見たことはないが、やや本物とするには矛盾が多いような気がする。


また、2010年8月21日、新人王戦お騒がせ男が、またも驀進で紹介した加來博洋さんの出場する新人王戦3番勝負第一局は、10月7日、第二局が10月12日ということになった。第二局目の1日前には清水女流×ソフトの対戦があるのだが、どちらが大きな話題になるのか、何となくわかる。新人王×名人という特別対局があるはずだが、むしろ、女流名人、アマ新人王、ソフト、羽生名人の四者のリーグ戦を見てみたい気もする。


さて、9月4日出題作の解答。



▲4五銀打 △同桂 ▲5三銀成 △5五玉 ▲6三成銀 △4六玉 ▲6六飛まで7手詰め。

この作だが、原図を明らかにしておく。基本的に原図が3手詰なので、前後に2手づつを追加して、位置を調整してみた。「そっぽ成銀」とでもいうべきだろうか。



動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



双玉である。おおた流の双玉は、味方の玉が動くことがあることかな。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

西新橋カレータウン

2010-09-17 00:00:12 | あじ
カレーと言えばインド料理であるが、本場のカレーと日本にあるインド料理店のカレーでは、かなり異なる味のようだ。一番違うのが辛さ。日本のインド料理店のほとんどは、カレーを食べても口がしびれたりしない。かつてはインド大使館の脇には、本物のカレーがあり、一口食べるだけで失神しそうだったが、その店すら、店舗の場所も変わり、味も日本的になってきている。インドでも幼児向きのタマゴカレーとかあるが、日本のインド料理店の辛さは、このタマゴカレーと同等かもしれない。

実は、ここ数ヶ月、カレーにはまっている。イチロー選手は毎朝カレーを食べているそうだが、私は、週に1回だけにしている。毎日食べるほど胃袋はタフじゃないし、咽頭、食道、大腸が悪性の病気になりそうな気がしないでもない。さらに、カレー以外にも美味いものもあるし。

そういえば、かつて池田隼人という総理大臣がいて、「所得倍増計画」という非常に分かりやすい政策で日本をGDP大国に導いてくれたのだが、彼の好物のカレーライスと死因の咽頭の病気が直結的に報道され、カレー粉業界に大打撃を与えたことがあった。今日まで生きていれば、111歳。一人当たりの所得は米国の十倍くらいになっていたかもしれない。



さて、最近は、葛西にインド人街が自然発生し、多くのインド料理店があるそうだが、実は、東京でもインド料理店が数多くある場所がある。新橋烏森口の近くのエリアと、そのエリアから日比谷通りを渡ったところにある西新橋地区である。まず、西新橋の方から。



まず、新橋駅に近い方からいうと、『サモサ』。実は、きょう紹介の5店の中で、価格的にはもっとも安い。500~700円程度。いつも店頭にインド国民が立って、呼び込みをしている。カウンター中心の店で、店内は狭い。味は、非常にあっさりしている。このあっさりさが、本当のインドの家庭料理で、他の店より香辛料の種類が少ないと感じさせられるのだが、他店の方が美味しいと感じる人が多いと思う。ただ、他店のカレーの方が、各種の油類が多いように思うので、ダイエットにはこの店の方がいい。なんというかザルソバと天ぷらソバを比べるようなもので、なんとも言えない。野菜カレーでいい味をだす。




次に、『スパイスキッチン2』。変な名前だが『スパイスキッチン1』は日比谷国際ビルに入っている。店員、厨房もオールインド2名である。700円前後だが、味は本格的である。ここの店でまずいという人はいないだろう。チキンとキーマは、実力がでるカレーだが、一流の味。店舗はここも狭く、カウンター中心である。欠点とは言えないが、ナンが巨大で、隣の席にはみ出すことがある。ナンは、あっさり系の味。一人で入る場合はライスの方が無難かもしれない。




次が、『エリック・カレー』。変な名前である。エリックの意味はよくわからない。こちらも奥長の店舗でカウンター方式。オール日本人である。日本人の考えそうなことだが、メニューが複雑。カレーの二種盛りが可能。サラダとラッシー等の飲み物とセットにして1000円くらいだが、単品を食べれば600円から700円。最初に行った時は、メニューが解読できずに、二種のカレーのうち一つは、カレースープだと思って、そのままスプーンで食べていたのだが、それではライスが余ることに気付く。ナンではなくチャパティがこの店の特徴。インドの庶民の家では、ナンよりもチャパティの方が主流のようだ。




次に虎ノ門に近い方にあるのが、『グランドダージリン』。地下である。ちょっと高い。1000円程度である。何しろ、インド国民が数多く働いている。人件費の割り増し分が単価を押し上げているのだろう。そして、12時になると、列ができている。それほどでもないように思うが、カウンター席などなく、すべてテーブル席である。ただ、客筋はあまり変わっていないように思える。




きょうの最後は『MANDAP』。店舗の意味は不明だ。かなりわかりにくい場所にある。しかも店舗の入り口が狭いのに、奥行きが非常に長い。どうして、カレー店ってこういう奥長の店が多いのだろう。味は、かなりの本格風である。一口では語れないが、様々な香辛料が使われている。900円といったところ。普通のカレーだけではなく、野菜やエビなどの種類も多い。そして、最大の特徴はナンの味。少し、甘い。しかも歯ごたえがある。さらに、ライスまたはナンは、おかわり自由だ。あえて欠点は、メニューのあいまいさかな。


ところで、この地区にインド料理店が多いのも、いささか理解できない。葛西にはインド国民が住んでいるからインド料理店が多いという「原因と結果」が明白だが、西新橋には、インド人街もなければ、インド企業もないのだから、インド料理店が多い理由がよくわからない。

先日、インド風の方が、二人で歩いていたのだが、もしかして、「そういう組織のアジト」が見つかるのではないかと後をツケて見たのだが、結局、追跡してみた二人組は、今日紹介した5店の中の一つに吸い込まれていっただけなのである。

「そこに日本人がいた!」(熊田忠雄著)

2010-09-16 00:00:09 | 書評
「そこに日本人がいた!」(熊田忠雄著)。副題が、「海を渡ったご先祖様たち」。ニッポン放送報道部出身の著者が57歳で退社してから、記者時代に興味を持った世界各地で活躍した「初めての日本人」を調査。22話として発表。




本の内容の前に、著者の苦労は、はかりしれないほど大きかったと思う。主に江戸時代末期から明治初期に日本を飛び出した人間像を資料から調べることは、かなり難しい。外務省の文書、日本郵船他の乗船記録、現地調査など一つ一つが確率の低い発掘作業だろうが、なんとか各種資料から日本人を探しだしている。


まず第一話の南アフリカケープタウン。明治半ばに若い夫婦が渡ってくる。茨城県出身の古谷駒平と喜代子夫妻。明治三年に茨城の豪農一家の三男として生まれた駒平は、20歳になると山っ気満々でサンフランシスコに向かったわけだ。その後、ハワイに渡り、日系人相手の雑貨商を営み、特に日本酒を販売していた。そして、現地で熊本出身の喜代子と結婚し、そこそこの資金をためたものの日本人排斥運動のため、日本に帰国。

とはいえ、やはり日本には飽き足らす、英語圏であるケープタウン行きを思いつく。そして、雑貨商として現地で成功するわけだ。

が、結局、第二次大戦の直前、17年の南ア生活を清算。逃げるように日本に戻ることになる。


そして、大部分が「かなしい結末」なのだが、全450ページで全22話。ニューカレドニア、スエズ、マダガスカル、パナマ、サウジアラビア、・・・。そして最終第22話が、セーシェル諸島。ここだけではないが、日本人の中でも評価両論となるのだろうが、いわゆる「からゆきさん」。

要するに売春の輸出である。明治初期の世界売春事情からいうと、新大陸(アメリカ)を除き、フランス人と日本人がこの海外マーケットを二分していたそうだ。

境目がウラル山脈以東からアフリカ東海岸が日本人のシマで、西アフリカはフランスのシマだったようだ。日本を離れて中国に向かうも、様々な事情で、さらに遠隔地へと転進している。それでも、帰ることのできない日本への送金は続けていた女性たちが多いということのようだ。


本著は単行本を文庫化したものだが、単行本には、「続・そこに日本人がいた!」と続編が登場しているので、それも文庫化されるのだろう、と安心しているわけだ。