浅田次郎の環

2005-05-12 14:46:48 | 書評
7d1ada3a.jpgブログ仲間の間に、ごくごくごく小さな「浅田次郎の環」がある。”ある活字中毒者の日記”管理人さまと”中原透”さまが本家であるのだが、二人だけだと環にならず線になってしまうので、下段の間の端っこに潜り込むことにした。しかし、困ったことに浅田本を一冊も読んでいなかった。そして、二人のブログ上のコメント交換を読み、エッセイ「勇気凛々ルリの色」を読むべきということに当たりをつけ、読み始める。

「勇気凛々・・」はタイトなエッセイだ。ことばの口当たりがきつい割りに、文節が長い。一文節読むごとに、息継ぎをしながら読むのが(あるいは書くのが)私のリズムだが、息継ぎできずに窒息しそうになる。”ジョイスのユリシーズ”や”金井美恵子の小説”の場合は、アクアラングをつけて読むので構わないのだが、浅田次郎は肺活量を頼りに読み進むことになる。「窒息リズム」だ。

そして突然、一篇が終わった。ショートエッセイ集だ!。なんとなく、浅田次郎というと、長編イメージだったのだが、このエッセイ、リズムがきついはずだ。文字を確認してみると、一篇は、3,500字位だ。
浅田次郎さまと比較するのは何だけども、私の「しょーと・しょーと・えっせい」は2,000字位だ。たぶん、これもタイトで苦しいかもしれない。息を詰めてキーボードを叩いているからだ。3,500字仕立てにすると、書く方はのんびりして楽だろうが、blogの領域を突破しているような気もする。

さて、「勇気凛々」、割と、基本に忠実な構成で、起承転結型で、一回ごとにちょっと捻った着地をさせている。結構、こういう技術は難しいだろう。そして、このエッセイ集は書き始めてから書き終わるまで2年間(1994年-1996年)をかけている。ちょうどバブル崩壊後の不安な世相の中を突き進んでいくわけだ。崩壊感覚の過去の歴史の中に作者自身をピエロ化させて、そのピエロを作者が読者と一緒に箸でつついてみるという書き方だ。”中原透”さまが指摘する「太宰治と共通項だがネガポジ関係」というのはこういうところかもしれない。浅田は自己の過去を箸でつまんでおどけるが、太宰は過去を許さず焼けた鉄串で刺してしまう。

しかし、「瑠璃色」だけでは、まだ浅田次郎の姿は見えない。次に「鉄道員」に進む。

これまた、長編と勘違いしていた。映画の影響だ。全八篇の短編小説集だった。そしてこの短編集に共通していたのは、シックスセンス(映画)だったのだ。ただし、作家が優しいのか、幽霊はそおっと出てくる。ごく自然にあるべき場所にやってくる。シックスセンス(映画)に登場する亡霊は、亡霊側の都合(在世中に言い忘れたことを伝えにくる)で、こっちが頼まないのに出現するのだが、この短編集に登場する幽霊は、むしろ生者の側からの、「会いたい気持ち」が連れてくるものだ。幽霊の描き方もさまざまだ。

しかし、幽霊を登場させると、小説は少し甘くなるのではないだろうか。会いたいものに会えない悲劇が人生の不条理命題の一つだとすると、小説の表面には登場しないで登場人物たちの心の中の”死者の魂”を引きずる村上春樹の「ノルウェーの森」や「海辺のカフカ」などの方が構造的に深い。と思う。もちろん官民総出でノーベル賞を狙う先生とは違うので小刻みに正確なパンチで、8ラウンドまで戦えばいい。文部科学省から外務省に出向した、英語に堪能な職員に、ストックホルムの大使館で工作活動をしてもらうのは、順番に一人ずつだ。そして、三冊目、「プリズンホテル」。

これは、代表作ではない感じだ。一応長編仕立てではあるものの、映画化とかドラマを意識して作ったのかもしれない。まあ、小説家にも遊びがある。古くは「我輩は猫である」もそうだし、村上龍なんか遊びの方がずっといい。「テニスボーイの憂鬱」「走れ!タカハシ」「368Y Par4 第2打」この3作は楽しい。「プリズンホテル」は楽しくない。作家が力自慢をしているのがちょっと気になる。短編が上手な作家が長編小説を読ませられるかは別問題だ。

さて、次に進まなければならないのだが。何を読むべきなのだろう?”浅田次郎の環”上段の間からの適格な指示を待つことにする。

ただし、「全部読め!」は勘弁してほしい。寡作の大作家で、ほぼ全部読んでいるのは結構いるのだが、現代作家は読みきれない。赤川次郎をモーレツに読み始めたことがあったが、私が読む速度より、彼が書く速度の方が上だったので、振り切られた。永倉万治には、やっとの思いで追いついたが、途端に本人が筆を置いてしまった。

ところで、「鉄道員」を読んでいる頃に、浅田氏の顔写真を見ることになったのだが、ヘルメットだった。作家にしては異例だ。若い頃の、自衛隊での修行の結果、ヘルメットをはずせなくなったようだ。日本最高のヘルメット作家となるのだろうか。いや、瀬戸内先生もいるから、日本男性最高のと言い直すべきだろう・・