中央構造線!

2023-05-31 00:00:04 | たび
富山・長野の観光バス旅は高遠城址、光前寺(駒ケ根市)をもって終了し、中央本線の茅野駅から特急あずさ号に乗り都心方面に向かうのだが、高遠市から駒ケ根市に向かう途中に天竜川沿いを南下する時間があった。



不思議な風景なので車窓から撮影し、後で調べると「中央構造線」の一部だった。

日本の代表的な構造線は、九州中部から四国北部、紀伊半島を横切り関東まで続く「中央構造線」と新潟県と静岡を結ぶフォッサマグナの二つがあると思っていた。

今回調べてみると、フォッサマグナを糸魚川・静岡線と思い込んでいたのは間違いで、その線は日本海と太平洋の間に、ある時期に存在した大きな溝(これがフォッサマグナ)の西端の線に過ぎないということらしい。東端はおおむね柏崎と千葉市と結んだ線で甲府を通る。

この横に走る中央構造線とフォッサマグナ西端が縦横に交わるのが諏訪湖だそうだ。

では、どういう順番だったかというと、日本列島の母体は、残念ながら大陸の一部だった。しかしその頃、中央構造線は大陸の沿海部の横ずれによって発生。

その後、大陸から日本列島が分離する段階で東北日本と西日本の方向がずれてきて、本州の原型が二つ(東北日本と西日本)に割れてしまう。それによってできたのがフォッサマグナ(大地溝帯)。

その後、堆積物が増加したことと、海底からマグマが噴き出したりで、再び東北日本と西日本が一体化し、海底だった溝の底から隆起したり噴火したりしてアルプスが出現し、あたかも東西日本が別の島だったことが見えなくなっているそうだ。

天竜川は東西に走る中央構造線が、例外的に諏訪湖に向かって北上する場所らしく、諏訪湖で糸魚川静岡線(おおむね富士川)と交差するようだ。

フォッサマグナの東端が柏崎というのも気になる。世界最大能力の発電所がある。

これにて、立山黒部アルペンルート+信州の旅紀行は「終わり」。

宝積山 光前寺

2023-05-30 00:00:34 | たび
高遠城公園を短時間で済ませ、観光バスは次の臨時目的地に進む。



宝積山(ほうしゃくさん)光前寺(こうぜんじ)。



枝垂桜(しだれざくら)の名所で駒ケ根市の山がちの立地がゆえ、ちょうど満開時期だった。

宝積寺(「宝」も「積」も旧字体)とは、宝を積むという豪勢な名前だ。桃太郎伝説の感じだが、内陸なので鬼が島はない。むしろ桃太郎ではなく『早太郎』という伝説があるようだ。

この寺に住み込むことになり「早太郎」と名付けられた、運動能力が抜群の聖犬で、鬼や妖怪と戦い続け、人々を守ったといわれている。JR某駅の焼鳥屋の串に釣られて毎日通い続けた忠犬よりも立派かもしれない。

そして、もう一つの注目点は、この寺には『ひかりごけ』が自生しているということ。



石垣の間に生えていて、うっすらと光ると言われていて、観光バスの同行者たちが石垣探索を続けるが、「あれがそうかな」とか「光ってない」とか「これにしとこう」とか、怪しい話になってしまう。とりあえず、撮影をしておいて、自宅で画像を拡大して確かめようと、「そこにあるはず」の石垣のすき間を撮影したのだが、さらにわからないわけだ。

そういえば『ひかりごけ(武田泰淳著)』という小説がある。早い話が極限時のカニバリズム(人肉食い)がテーマだが、数十年前に読もうとして文庫本を片手に雨の日に地下鉄のホームに向かっているときに駅構内で落としてしまい、数秒後に泥水を含んでしまって、そのまま放置ゴミにしてしまった。読むな!という天啓だったと思っている。

高遠城、スピードラン

2023-05-29 00:00:27 | The 城
松本城の後の行き先は、高遠城。桜の名所で、高遠小彼岸桜という赤色の強い特別な品種の桜が1500本一気に咲き開くという豪華な話だったのだが、3月末からの異常な高温によって、既にすっかり咲き終わっているということはわかっていた。



この桜というのは、明治の初めに高遠城が廃城令に従って取り壊された後、旧藩士たちが城を惜しんで桜を植えたということで樹齢が150歳ということだそうだ。



もっとも、楽しみはもう一つあって、江戸幕府の中の小事件である絵島生島事件の中心人物というべき絵島が高遠藩に送られて格子戸のある屋敷に押し込められたという事件があった。それを再建した絵島囲い屋敷があるということだった。

ところが、ツアー側が色々と気を利かして、枝垂れ桜の名所が近くにあるということを言い出し、高遠城は30分だけにして、新たに桜を見に行こうということになった。



屋島囲い屋敷は公園の奥の方なので往復する時間もないので、本丸跡と空堀の散策を大急ぎで済ませ、次に進む。

松本城再訪で気付いたこと

2023-05-28 00:00:33 | The 城
長野方面に旅行に行ったのが先月のこと、自分で行ったところで事件が起きるような気がすることが多いのだが、長野県で発生した連続殺人事件の現場である中野市だが、長野から小布施を経て、斑尾高原のホテルに向かう途中のバスで通過しているはずだ。もっともバスから降りなかったから。

さて、長野、アルペンルートの旅の3日目は、松本城へ。現存12城の一つ。実際は12城ではなく12天守閣。お城好きとしては、一応全制覇している。二回以上行ったのは、姫路、備中松山、松山、高知、一回は弘前、高岡、犬山、彦根、宇和島、松江、そして今回二度目になった松本城だった。

多くの城が解体されてなくなった理由としては
1. 徳川幕府が一国一城政策をとったため、二城目は取り壊しになった。(江戸初期)
2. 火事などで天守閣が焼失しても、本丸御殿だけあれば天守閣は要らない、と考えることが多くなる。(江戸中期)
3. 明治になり、そもそも城は不要になった。明治10年頃から、天守閣のたたき売りが始まり、多くの城は風呂屋の薪に使われたようだ。
4. そして空襲。上空からの都市攻撃の時に一緒に焼けた。天守閣を目視して爆撃機が飛来していた。

2023年


2005年



松本城に前に行ったのは2005年の春なので18年前だ。ところが、今回の再訪でまず感じたのは、前回と違う感じがあること。

2023年


その感じの違いは何のかは、よくわからなかったので、当時の画像と現在の画像を比べてみるとなんとなく感じたのは、前回より白い壁面が汚れているように見える。その結果、この城の売りである「美」を損ねているように思える。全体としては黒い天守なのだが、そこに白色が入ることで引き締まった感じだが、白が汚れてしまうとぼんやりしてしまうのだろうか。

藤井荘で、

2023-05-27 00:00:32 | しょうぎ
名人戦七番勝負は四局進んで渡辺名人が1勝3敗と追い込まれ、第五局は長野県の山間の温泉地、山田温泉の緑霞山宿、藤井荘という宿に進む。決着は6月1日。追い込まれてから行くのは気が重い場所だろう。宿の名前はなんと新名人候補者と同じだ。

というか、藤井竜王の8割を超える勝率からいって第五戦というのは多くの人が予想していた通りで、最年少名人の記録更新には長く忘れられない名前になるのだろうか。

そして、今までの記録を持っている谷川浩司17世名人だが、記録を打ち立てたのは1983年6月14日。4勝2敗で加藤一二三名人を破っている。場所は箱根にある花月園ホテル。



実は、後年(2007年)、その部屋に通してもらったことがある。同ホテルで将棋関係者の宴席があって、部屋番号を秘密にするという条件で見せていただいた。あまり広くはない普通の一室。

83年当時の写真を見るとカメラマンが新名人の顔を写すためにがっかりしている旧名人の後ろに回って頭越しに写しているわけで、敗者はますます辛くなったのだろう。今回の藤井荘の対局室は広いのだろうか。あらかじめ名人の後ろにスペースを作っておいた方がいいだろうか。

ところで、記録を破られそうな谷川17世名人だが、前々回の順位戦で両者B2で対戦している。4回戦で当たり、藤井竜王が勝っている。もし、その時に谷川17世が勝っていれば藤井竜王が昇級を逃すということであれば、自己の記録は破られなかったはずで、現在に気持ちを引きずっているかもしれないが、仮に勝敗が逆であっても10勝0敗が9勝1敗になるだけで、順位も含めて昇級に影響なかったし、谷川17世の方も、今期まで通してみるとその時の1敗の影響はなくなっている。


さて、5月13日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

松本市内へ

2023-05-26 00:00:02 | あじ
アルペンルートのバス旅行は、ハイライトの前日が長野市の観光で、翌日が松本市の観光がセットになっているが、アルペンルートが個人の初回では難解そうだったのでバスを選んだのだが、どうも関東から行くとうまくいかないのだろう。富山と松本のラインになるので、往復新幹線にはならないし・・となると3日のコースになり、何か付属を付けることになる。



ということで、松本城に登城する前に、善光寺の時と同じで、蕎麦店を探す。中町通りにある「草庵」という蕎麦店に入る。近隣にかなり蕎麦店は多いように思う。入口にメニーより大きな文字でパート・アルバイト募集中と書かれている。時給は書かれていないが、蕎麦より高いのだろうか。



一軒だけで松本の蕎麦を語れるはずはないが、長野で食べたものとは異質な感じがある。蕎麦が細麺で角が立っている。笊は角ではなく丸。逆に付け合わせの天ぷらの食感は柔らかい。もしかしたら店名「草庵」がカントリー風なので素朴感を演出しているのかもしれない。

観光地でいえば、長野は善光寺、松本は松本城。寺社と城郭であるが、寺社に行く人は何らかの困った事情があるのでお参りに行くことが多いとすれば、門前街に財布は緩むが、城郭が好きな人は、単なる自分の趣味にお金をつかっているので、食事や土産には渋いのかもしれない。

そういえば、長野県内では「長野×松本」という教育県に似つかわしくない陰険な対決があるらしく何人かの県出身の知人も両派に分かれ、偏見的思想を持っているように思える。

一つの可能性は、繋がっている大都市が長野=東京、松本=名古屋ということかもしれない。東京から車で行く人も長野は関越、松本は中央道だし・・


数か月前にあった善光寺の『びんずる尊者像盗難事件』は、当日のうちに松本市内で容疑者とびんずる像と乗っていた自動車が3点セットで発見されたが、第一印象は県内の対立が原因ではないかと思ったのだが、実際には熊本県の男が、不吉なことが起きそうなので土に埋めようとしたと供述し、なぜか不起訴になり放免されている。

山を下りる

2023-05-25 00:00:04 | 市民A
立山黒部アルペンツアーのバス旅行は、1日目は新幹線上田駅からバスに乗って北向観音から善光寺、そして小布施と回り、斑尾のタングラムというリゾートホテルに泊まって、2日目は立山(海抜475m)までバスで、その後、室堂(2450m)、黒部ダム(1470m)を無数の交通手段で縦断し、最後は扇沢(1433m)からバスに乗って二日目の宿泊地の白馬にあるホテルに到着。見るからにメルヘン柄だが、メルヘンに7階建て鉄筋は合わないかな。



1日目のホテルもそうだが、どちらもスキー場に併設されている。一日目のホテルには小さなゴルフ場も付属していた。いずれもシーズンオフということで、冬でも夏でもない時期の空室対策でツアー会社に売り出したのだろう。

2日目のホテルは特にC国人団体旅行客が多く、ホテルからバスへの連絡により、夕食のビュッフェは彼らの食事が終わってから来てほしいとのこと。なにしろ7割がC国人。

そういうことで何とか、遅い夕食をすましたが、BARコーナーでは、多くの種類が品切れになっていた。料理の方も、そういう感じは漂うが、存在しない料理がなんであるのかは証明できない。

白馬なので、当然温泉なのだけど、温泉をプールと思っている人たちと遭遇してしまう。それはC国に限らず、関西空港近くのホテルで某国の航空会社の社員がお湯を掛け合って遊ぶ場面に遭遇したこともあったが。

白馬のあたりの標高は700m程度。下界に下りてきたようなものだ。

黒部ダム、高さ186m

2023-05-24 00:00:47 | 市民A
黒部ケーブルカーの終点の黒部湖駅から地上に出ると、そこがダム湖だ。アーチ型と言われる設計で上流の黒部湖に対して凸型で、下流に対して凹型にカーブしている。思っていたサイズの5倍位大きい。



これで電気を作るわけで、巨大さに言葉を失う。もっとも人間は空を飛べないので景色の中にいくばくかの恐怖が入る。凹型のサイドから下を見ると水面が見えるのだが、携帯電話を落とさないようにという看板は出ていない。落ちても回収できないだろう。



1963年の完成なので、既に60年が経過。現在ダムの堆積物は15%ということ。このまま堆積が続いても350年は有用だそうだ。



ここにダムを作るアイディアは1928年にはあったそうだ。とはいえ、莫大な費用が予想され、実際に計画が生き返ったのは1949年。14年かかって1963年に完成した。



吹雪の室堂からは1000m下がっていて、雪は降っていないが曇天でダムの上は風は強い。

室堂から大観峰、黒部平そして黒部湖へ

2023-05-23 22:00:08 | たび
雪の室堂を後にし、黒部湖に向かうが、そこまでに3種類の方法が必要になる。

室堂から大観峰へは立山トンネルトロリーバスに乗る。距離3.7Km、標高差134m。バスは道路の頭上に貼られた送電線からパンタグラフのような設備で受電してモーターで走る。全国の市街地でこういう光景があったようだが、今は全国でここだけ。

さらに特徴は市街地の広い道路を走るのではなく、全線が傾斜のあるトンネルの中なのだ。

そのトンネルの中を満員のバスが走るのだが、3.7Kmを10分なら平均時速は20キロで、最高速度でも30キロぐらいなのだろうが、トンネルの中の下り坂なので、以上に怖い。TDLのスペースマウンテンは最高速度50キロで暗闇の中なので結構怖いが、トンネルトロリーの怖い理由は人間が運転していること。レールではないとするとハンドル操作を誤るとトンネルの壁面に衝突し、大惨事だろう。

kurobe0


寒い上に冷や汗をかいて大観峰へ。そこは絶壁の上からせり出したような建物で、屋外に出ると自動的に崖下に落ちるので、外には出られない。窓からは無機的な山肌が見える。

kurobe1


次は恐怖の立山ロープウェイ。途中に支柱がないので支柱間の距離が日本一番長いロープウェイだそうだ。発着点の両側に救護用の自走型の箱があるそうで、なんらかの理由で宙吊りになった時は両方から救助用の箱がやってくるそうだ。乗り移るときの恐怖は、おそらく宇宙遊泳より怖いような気がする。1.7Km、標高差480m、7分で黒部平へ。



黒部平から黒部湖までは黒部ケーブルカー。ここもトンネルの中を最大勾配31度もある傾斜の移動。800mを5分。標高差は370m位。ケーブルカーは線路があるのでやや安心感がある。



そして眼前に黒部湖ということになる。ダム湖は千葉県とか新神戸の裏の方とかいくつか見たことがあるが、この景色は百倍ぐらい驚きだ。

美女平から室堂へ

2023-05-22 00:00:00 | たび
ツアーの予定では美女平からは立山高原バスで約1500mの標高差を登っていく予定だった。途中の弥陀ヶ原はさわやかな春風の中、小散策の予定だったが、寒風で粉雪が舞っている。予想外の天候で、無人の雪原だ。前に進むしかない。登山じゃないので、前に進めば無事に家に帰れるはず。ただ、バスの中には暗雲が漂っている。

本来、ツアーの目玉の一つは室堂の近くの道路の両側に聳え立つ雪の壁を見に行くことだった。いわゆる「雪の大谷」。さらに雷鳥を探しに行くとか、自然を満喫するなどだが、それらはすべて雪の季節が終わっていることが前提だった。

しかも、突然の荒天なのだが、観光客は大勢いるので、外に出られない人たちがターミナル内に溜まっているはず。それぐらいはお手軽ツアー客だって想像できる。

そしてついに満員のターミナルに到着。ターミナル内で食べるべく用意されたお弁当を広げる場所もない。ようやくターミナルの最上階に上がる階段の途中にあるガラス窓の手すりに50センチほどの場所を確保し、立食弁当。立って弁当を食べるのは、生涯初かもしれない。初体験に感謝だ。



ところで『雪の大谷』だがターミナル到着直前のバスの車窓から見ることができた。通常なら、この道路の端を一列で歩くのだが、この状態では危険そのもの。人間あるいはバスが滑れば衝突だし、雪の壁が崩れ、埋もれてしまったら冷凍人間になる。今年の雪壁の高さは13mで平年より低目だそうだ。



ずっと、ターミナルに籠るわけにもいかないので、バスツアー同行者も、ちょっとだけ外に出る。寒風の中、除雪車が展示されているが、そこまで行く気にはなれない。



雷鳥の模型の前が撮影スポットになっている。寒すぎる。関東はポカポカだったので油断した。マフラー、手袋、カイロがほしい。

これから黒部ダムに向かう。いわゆる黒四。黒部第三ダムは建設中に大惨事が起きているが第四ダムでも100名以上の方が亡くなられている。ダムを作るだけではなく、水を流し落とす急角度のトンネルの工事も危険だし。

立山駅から美女平へ

2023-05-21 00:00:58 | たび
立山黒部アルペンルートの入口あるいは出口(『出発点』あるいは『到着点』と言った方が旅行的かな)の立山駅。ツアーバスから降りる。この後、バスがどこをどの位のスピードで走るのか不明だが、数時間後にアルペンルートの反対側の扇沢で待っていてくれる。自力だと、立山まで、あるいは扇沢からも時間を確認しておく必要がある。行く先々で気儘に時を過ごすと大いに危険だ。



立山駅の外観は首都圏の私鉄の駅のような風情だが、駅に入ると、人間があふれている。国連ビルのように国籍不明の人たちで、日本人比率は30%ぐらいかな。標高475m。

まず、駅構内のインフォメーションボードに、おそろしい表示がある。ルート最高点の「室堂」の気温は「0度C」となっている。今、そこへ向かっている。そもそも4月中旬で首都圏は20度をうかがう日もあり、念のためにウインドブレーカーとフリースは持ってきていたのだが、すべてを着込むしかない。追加できる防寒具はマスクだけ。

もっとも駅構内は大混雑なので、使わないつもりだったマスクを着用。これで対策は早くも土俵際だ。

ここから美女平までケーブルカーだがケーブルカーを押したり引いたりする牽引車は大掛かりだ。そして階段状のホームには人があふれ、本当にこぼれそうだ。アルペンルートは最初からデンジャラス。



ホームが人でいっぱいということで、車両内も満員。満員のケーブルカーに立ち乗りだとどういうことになるかというと、階段に立ち止まったまま震度1か2程度の地震にあった感じだ。所要時間7分。手すりを握ったまま。502m上って977mの美女平に。

下車すると、いきなり寒い。そして雪交じりの寒風が吹いている。



駅の外は観光バスの駐車場だが、だいたいの観光客は立山からケーブルカーを使うようだ。

駅舎を外から見ると「美女平」と大きな文字の看板が壁面に取り付けられているが、そこに大勢が集まっている。全部、中国本土からの方々。「美女」という漢字が魅力的なのだろうか、自分を美女と思っている女性たちが順番に並んで、駅の看板を背景に私的な撮影会が開かれている。

大勢待っているのだから、何枚かで交代しているようだが、傍目でもモデルクラスの美女と思われる女性は10枚位ポーズを変えながら写しても文句が出ていないが、そうは見えない女性は1枚か2枚かで交代の雰囲気になる。合理的なのかもしれないが、日本だと逆になるだろう。美人一枚、逆は十とか。

次の目的地は、一気に室堂。標高2450m。1473mの登り。

そろそろ振飛車転向でも

2023-05-20 00:00:01 | しょうぎ
渡辺名人が名人戦第三局を取り、1勝2敗とした、残り4局を3勝1敗は、まだきついが、3局、4局、5局は間隔が短いので、連勝になりやすい展開なので、3勝2敗まで行くかもしれない。名人自身は1勝ぐらいしたいと思っていただろうから、ノルマ達成と、以後無抵抗という可能性もある。

しかし、今後も一流棋士であるためには、もう少し勝率を上げなければならないが、ここで思い出すのが大山康晴名人。20代、30代前半は矢倉戦法だったのが、突如振飛車党に転向。その時34歳だった。現在の渡辺名人は39歳だ。

この大山氏の転向について調べているうちに、単に「勝率を上げるため」ではない理由があることがわかった。

昭和32年に大山氏は升田幸三氏に名人戦で敗れて無冠に陥落していた。その時、兄弟子の大野八段に「名人を失って、対局が増えてしまい困っている」とボヤいたところ、振飛車党の大野八段は「振飛車なら、美濃囲いが完成するまで、顔を上げなくていいと言ったそうだ。意味は、相手の陣形などを気にしないで勝手に指せばいいということらしい。

藤井六冠も振飛車相手に必勝パターンはもっていないように思えるし、若い時には「リトル大山」と言われていたのだから、批判する人もいないだろう。

もっとも渡辺名人には助言できるような棋士はいない。兄弟子はいない。師匠のことは尊敬していない。敵が多い。漫画界では将棋が最も強いはずの奥様が宣告するのがいいだろう。


さて、5月6日出題の解答。









今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

立山黒部アルペンルートへ

2023-05-19 00:00:40 | たび
立山黒部アルペンルートは北アルプスの中を縦貫する主に観光用のコースで、自然環境保護のため、公共交通機関を優先利用するために1971年に開通。8年前に完成した黒部ダム側の黒部=扇沢間のトンネルを走る電気バスに加え、ロープウェイ、ケーブルカー、トンネル内ケーブルカーにバスと一部徒歩区間が加わる。

立山黒部アルペンルート ホームページより

alp2


基本的には富山側は立山、長野側は扇沢が起点だが、富山=立山間の路面走行型の市電や長野側の扇沢=信濃大町、長野間のバスを含める場合もある。

今回参加したツアーでは、バスで長野側から一旦日本海側まで北上して、その後、立山駅(標高475m)から立山からケーブルカー、バスで上っていき、室堂(2450m)から黒部湖の方に下りていくコースだ。その間にケーブルカー、バス、トロリーバス(トンネル内)、ロープウェイ、ケーブルカー、徒歩、電気バス(トンネル内)と乗り継いでいく。全部切符を買っていくと、10,940円だが、そもそも始発と最終の時間もタイトだし、それぞれの乗物には定員があるので、観光客が多い時は、定員で切られて、その後の乗り継ぎにも次々に影響が出ることがあるそうで、ツアー添乗員からは、ツアーからはぐれても待っている場所もないので、自力(自腹)で宿泊地まで来てください、と鬼通告される。

そして、富山空港が台湾、中国、韓国、タイからの直行便を待ち受ける国際空港であることから、上記4か国と日本と米国人の6ヵ国+αがほぼ同一比率で集結してくるわけで、乗物関係は超満員で、予想通り、卒業したはずのマスクをまた使うことになった。

信州で蕎麦を

2023-05-18 00:00:14 | あじ
長野と言えば、蕎麦が名産。思い出すと数十年前、大学生の頃、野尻湖の方にあったゼミ担当教授の山荘に大勢で合宿に行く際、途中の長野駅から徒歩で善光寺に向かった時に店頭で蕎麦を打つ蕎麦店が並んでいたような記憶があるが、善光寺の周りには蕎麦店が並んでいるわけでもなく、そもそも善光寺に行った記憶がないことから、蕎麦をいただいた後、罰当たりにも善光寺に行かずに次を急いだに違いない。

山荘では翌日からの討論会の前夜祭のあと、カードゲームで広く薄く独り勝ちし、帰京後、大学近くの玉打ちでさらに膨張させ、枯渇寸前だった自動車教習場の授業料を賄ったというさらに罰当たりな記憶もよみがえってきた。

今回はアルペンルートのツアーの前付けとして善光寺が組み込まれ、限られたフリータイムを有効に使う必要があるので多くの店から選ぶわけではなく、善光寺から遠くなく、格式がありそうで、列が少しだけできている店ということで、善光寺から数番目の「藤木庵」ということ。地味な店構えで表参道に面していても通り過ぎそうだった。



店内は、外観とは異なり現代的な構造で、運よく3番目に着席できた。そばを食べない手はないので蕎麦と天ぷらを注文。二八蕎麦である。蕎麦はつゆで食べ、天ぷらは塩で食べる。



都会の蕎麦と比べようにも、都会にはチェーン店は多数あるものの蕎麦単独店は激レアになってしまい。年に1回だけ行くぐらいなので記述困難だ。

藤木庵は文政十年創業となっている。1827年。いわゆる文化文政の最終盤である。江戸の町人を母体とした爛熟文化で、北斎、広重、国芳、馬琴、一九、大田南畝や柄井川柳、伊藤若冲などが登場。また、同時代に西郷、大久保、勝らが生まれ、シーボルト事件も起きている。種馬将軍徳川家斉の時代で、10年後には維新の第一弾である「大塩平八郎の乱」に繋がる。そして明治維新から日清、日露戦争を経て原爆が落とされるまで大わらわだった。

この藤木庵創業の文政十年だが、晩年を故郷の信州柏原で過ごした小林一茶が亡くなっている。65歳で亡くなったのだが、三人目の妻が妊娠していて一茶没後に女児を出産。色々あってその子が小林家を継ぐことになり、末裔の方が今でも家を守っている。実は冒頭の段落で書いた教授だが、小林一茶の研究家でもあり、山荘の近くに小林家の末裔の方がいて、一緒にあいさつにいった。噂通り、一茶の肖像画とそっくりだった。おそらく、小林家は次の代ではないだろうか。

高齢でも蕎麦を食べれば子作りの原因行為ができるという例に一茶はよく使われるが、その後、すぐに亡くなったことは語られない。

小布施散策

2023-05-17 00:00:17 | たび
バスツアーは、北向観音→善光寺と進み、次は小布施の町に入る。街道筋の宿場町から発展した小粋な市街地だ。観光資源と言えば、栗菓子、酒造、そして北斎。

それらをまとめて、1時間で堪能してほしいというのが、ツアー側のスケジュール。そもそもアルペンルートのおまけの場所なので意のままにならないのはしかたない。

最初に酒造所に行ってみたが、事前情報で試飲できるというのが事情変更で、日本酒BARで座って飲まないといけないということで、小布施のすべてがBARで終わってしまいそうで、すぐに退出。



『栗の小径』
小径というのは、狭くて少し長い道をイメージするが、『栗の小径』は事実上の小径で、長くもない。建築基準法で建物間の距離をとった関係でできたすき間のような場所だ。歩いていくと、和菓子店に到着する。



小布施では小布施堂と竹風堂が覇を競っているようにみえる。『栗の小径』・『北斎館』の近くは『小布施堂』が優勢で、国道(旧街道)沿いは『竹風堂』優勢に見える(真実は知らない)。流れから小布施堂のモンブラン購入(数時間後に缶ビールのつまみになる)。



『北斎館』
北斎館は人生97回の引越しをしたという葛飾北斎が95回目か96回目に居住した小布施を記念して建てられた。人生のほとんどは現在の墨田区で居住していた彼がなぜ2年間だけ信州に行ったのかは本人のみぞ知る、だろうが、実際に小布施でいくつかの天井画を描いている。地元の豪商の家に呼ばれたのは事実だが、当時江戸でも仕事はいくらでもあったはずだから、「天井画」にチャレンジしたかったということかもしれない。



現在は、天井から離れて壁画のように飾られている。

北斎を招聘した豪商はいわゆる「旦那」ということで商才なく資本が疲弊していき、維新後没落する。言い換えれば「世界の北斎」の栄養源になったということ。偉大と言った方がいいだろう。小布施と芸術家の関係と言えば、竹風堂は世界の池田満寿夫氏の早逝後、残された作品群が散逸しないように松代店に併設して「池田満寿夫美術館」を設置していたが、2017年に閉鎖している。



観光バスへの集合時間に5分あったので、露店で地元産ドライフルーツを購入。アンズとリンゴ。リンゴの方ばかり食べたので撮影時にはアンズばかりになってしまった。

集合時間に遅刻し、息を切らして赤い顔でバスに到着した数人組は最初の酒造店で分かれたはずで、小布施のすべてがBARということだったのだろうか。