『刺青・秘密』(谷崎潤一郎著 小説)

2021-03-31 00:00:30 | 書評
谷崎潤一郎の初期作品集。『刺青』『少年』『幇間』『秘密』『異端者の悲しみ』『二人の稚児』『母を恋うる記』の短編7作。明治43年から大正8年まで、発表順に読んでいくことになる。


まず、耽美的、性的倒錯、被虐的、王朝的・・そういった要素が次々に書き込まれていく。中でも『刺青』は老いた彫師が、街で見つけた美女に麻酔薬をかがせて意識が亡くなった状態で、背中に蜘蛛の図を入れてしまうという背徳的犯罪小説。『少年』は友人の住む洋館にいった少年が、いつの間に友人の姉の背徳的なSM趣味の餌食にされてしまう。『秘密』は主人公の男が、未亡人との秘密の密会に励むのだが、いつも車の中で目隠しをされて密会場所に運ばれるわけで、まさに江戸川乱歩の世界。

『異端者の悲しみ』は谷崎の若いころの自伝的作品と言われ、品性のない最低男が登場する。没落した休暇に育ち、親戚に学費を出してもらって大学にいくが、やる気もなく友人から金を借りまくって返さない。借りた相手が病死すると、ほっと胸をなでおろすという悪辣ぶりで、肺病で余命僅かな妹に罵声を浴びせたり、親とけんかをしたり。最後はさらに借金を重ね女郎屋通いを続け、数年後に小説家として大当たりする。

もっとも品性のない大学生を主人公としたのは谷崎だけではなく川端康成も同類だが、同じようなテーマでも川端康成が書くとノーベル賞とは・・

内容はともかく、谷崎潤一郎は小説がうまい。芥川龍之介のような知性的な巧みさではなく、芳醇であり熟成と腐敗が交じり合った香りが漂うのだ。果たして、谷崎文学をついばんでいるうちに大著『細雪』にたどり着けるかどうか。自信なし。

パーク・ライフ(吉田修一著 2002年 小説)

2021-03-30 00:00:12 | 書評
第127回芥川賞を受賞した『パ―ク・ライフ』と『flowrers』の二作を含んだ文庫本を読む。吉田修一氏のその後の小説のようなドラマ性はほとんどない作品なので、少し退屈で、自分の読みが浅いのではないかと思ったが他の方の感想も同じようなことが多い。



少し思ったのは、『内向の世代』の作家に似ているかなということ。というか当時の芥川賞の選考委員の中にも少なからずその世代の作家が含まれている。小説を個人の内面でとらえるのか、とりまく時代や社会からとらえるのかという古くて新しい問題だ。

この二作について、少なくとも作家は読者を喜ばせようというような意図は皆無に思える。といっても後には事件性のある小説を手掛けることになるわけだ。

なお、パーク・ライフというのは日比谷公園のこと。公園の近くの会社にいたこともあるのだが、西新橋と日比谷の間を移動するときにはタクシーではおおげさだし地下鉄は不便ということもあり、よく公園内を通り抜けしていたのだが、この小説にあるように公園のベンチに30分も座っているような人、いたのかなと思うが、いたのだろうね。松本楼でカレーを食べる話になって、思わず懐かしくなる。

少し前に亡くなった米国の作家、アップダイクのようなスタイルを目指していたのかもしれない。

スエズ運河を独り占め

2021-03-29 00:00:30 | 災害
3月23日にスエズ運河で座礁した『エバーギブン』はいまだ離礁できず、船長400メートルの船体が運河の両岸に船首と船尾を乗せたままになっている。

現場の写真から想像するに岩礁ではなく、砂とか土という感じなので、とりあえず浸水にはなっていない。座礁と言わず座洲ということが多い。が、本来、船の重さは水の浮力で受け止めるものなので、現在の状況は20万トンを船首と船尾の船底で支えているわけで、徐々に船底がゆがんだり、船の中間部分から折れたりしかねない。

また小型のブルで砂を掘っているようだが、うまくやらないと船がこけて横倒しの大惨事になるかもしれない。まずいことに荷物を降ろすにしても、そもそもコンテナヤードには特殊な積み下ろしの設備があるが、砂漠には何もないし、地面が平らでないと重ねておくのは危険だ。水深数千メートルの太平洋の中央だったら、荷物は海に投棄することを考えるだろうが運河に沈めたらそれをまた引き揚げなければならない。

船の渋滞だが、そもそもスエズ運河は鉄道の単線と同じように、往復すれ違いではなく、主に中間にある湖を待機場所に使い上りと下りを交互に運航している。このため、約300隻が、運河の南(紅海)と中間の湖と北(地中海)に分かれて存在している。運河の中にいた船は自力またはタグボートで、その三か所に移動しているようなのだが、南側は海賊がたくさんいる場所で、これも困るだろう。

それで、原因とか被害額とか責任とかの話だが、今までにニュースに登場していない人たちもいるので整理する。

積み荷の所有者・・要するに荷主。コンテナ船の場合、コンテナの中身の所有者はたくさんいるはず。中国の港に荷物を持っていき、まずオランダの港まで行き、それぞれのコンテナはまた別の場所に運ばれる。無数の荷主をたばねるのが、カーゴブローカーで、荷主と運航会社の間にいるが、所有権には関係ない。

運航会社・・台湾の長栄海運。通称はエバーグリーン。世界屈指の運航会社だ。輸送に関する一時的な責任はこの会社にあるといえる(というか、当面の被害は荷物の所有者で、その運送契約は基本的にはエバーグリーンと結んでいるはず)。

船体所有会社・・いわゆる船主。今回の場合は正栄汽船。四国の地方銀行などから巨額な借金をして船体を建造し、船員の配乗や船の設備管理の全部または一部を船舶管理会社に委託する。船員を乗せた船を、定額(一か月あたり何億何千万円といった額)で運航会社に貸し出す。モーリシャスで座礁した船は、船主が多くの所有船の中で1隻だけ自社運航していたと言われる。基本的に船員は外国人で、労働条件の管理とか無理なので、船舶管理会社に丸投げすることが多い。今回の船舶管理会社は、Bernhard Shoulte Shipmanagement社というらしい。なお、通常、船ごとにパナマ法人の会社をつくり便宜置籍船とする。基本的には、営業利益を出すと法人税を払う必要があるため、次々に船を作って、償却費で利益を消す手法が使われる。

船舶管理会社・・船舶管理会社といっても、「独立系」「運航会社系」「船主系」とさまざまだが、大手の運航会社がイエスと言わないような会社は排除されるはず。今回の管理会社については情報がない。

水先案内人・・スエズ運河や日本の瀬戸内海、東京湾などは、現地の水先案内人が乗船する。スエズの場合は大勢で乗り込むようだ。問題は、技能が劣る水先案内人もいて、下手な操船をして事故があっても、船長の責任になる。大問題のルールだが何ともならない。


不可抗力宣言・・間違いなく船長は、事態のどこかで悪天候による不可抗力宣言をしているはず。わたしたちの責任ではないということ。


砂嵐による大風で流されたと説明されているが、確かにコンテナ船は横風に弱そうだが、船には前後に進む船尾のスクリュー(プロペラ)と舵(かじ)の他にバウスラスターといって胴体の左右を貫通するパイプ状のトンネルがあり、左右に小さいプロペラがついていて、これを使うことによって船の向きを左右に調整できる。想像なのだが、現地の水先案内人が、これをつかわず舵だけで方向を変えようとして手に負えなくなったのではないだろうか。

ポイントは、予期できない不可抗力として、免責という可能性。一義的には船主責任となって、それは船舶管理会社の責任として争わる可能性。また、損害の算定方法は国によって大きく異なる。実害方式か遺失利益方式かによって大きく異なる。

また、この船の事故による間接的影響で、足止めされた300隻も明らかに被害があるが、この被害額算定方法も諸説あるだろう。世界の多くの海事専門弁護士が、仕事が増えて大喜びしているだろうと推定できる。

『レンズ越しの被災地、横浜展』で発見した奇跡

2021-03-28 00:00:33 | 美術館・博物館・工芸品
今回の写真店だが、きっかけは2018年に鎌倉で発見された28枚のガラス乾板からだ。発見したのは1952年に83歳で亡くなった西野芳之助の孫である。西野氏が経営していた西野写真館の跡地から発見されたものだ。場所は鶴ヶ岡八幡宮の前だ。西野氏は鎌倉に移る前(大正年間)は生家のある横浜市日の出町で写真館を開いていたそうだ。



この乾板から現像した写真は関東大震災によって壊滅した横浜の街を写したものだった。それらが、今回の展覧会(~4月18日)の作品である。



横浜開港資料館による分析によれば、撮影時期は地震発生後8日目から3週間にわたったものということ。尾上町の建物は、地震にして崩壊したあと、さらにその後に火災に包まれたということ。すでに3階建て4階建てのビルが並んでいたそうで、逃げられなかった人も多いだろう。



横浜市役所は当時、新築間もなかったようだが半壊状態になり、陸軍が爆破解体した。

もっとも知りたかったのは横浜公園のことだが、実は全く意外だった。過去に何人かの伝記を読んで、横浜で九死に一生を得て自分的にリアレンジして書き直した人物が二人いた。一人は坂田武雄氏。「サカタのタネ」の創始者だ。「坂田農園」を経て、被災したのは「坂田商会」の頃。海外向けのビジネスがはじまった頃だ。一瞬にして会社は、文字通り崩れ去ったのだが、瓦礫の中から立ち直った。

もう一人は、カール・ユーハイム氏。バウムクーヘンを日本で初めて焼いたドイツ人。第一次大戦の時に、ドイツ領だった青島にいて、捕虜となり(ドイツは民間人も予備兵としていた)、日本に捕囚されている間に戦争終結したが、帰る場所もなく日本に住み、銀座の洋食レストランで修業し、横浜でドイツ料理店をオープンしてすぐに被災。たまたま、外出から戻る途中で被災。大混乱の中、横浜公園で幼い長男とはぐれてしまい。半ばあきらめた状態で神戸に救援船で脱出。その後、長男は別のドイツ人が神戸に連れていく。

それらの原本の中では、横浜公園は多くの人が集まり大混乱という記述になっていて、さらにこの公園は第二次大戦中の横浜大空襲でも多くの人が逃げ込み、池に潜って火災から身を守ったという証言があり、関東大地震の時も同じだったとも言われていた。つまり池に潜ったということだが、どうもよくわからないわけだ。



しかし、今回の写真を見ると、百聞は一見に如かずということで、横浜公園が水であふれている様子が写されていた。説明として、周囲の火災が公園を取り巻いたが、地震によって水道管が破砕して公園中が水につかり奇跡的に人命が救われたとなっている。池に飛び込んだのでもなければ、火の手に追われなかったわけでもないわけだ。偶然に救われたわけだ。

現在、横浜公園内には、東京五輪の野球・ソフトの会場となる横浜球場がある。何かが起きても、現在の池は、浅く、小さい。絶対に飛び込めない。

「神の手」の周辺

2021-03-27 00:00:05 | しょうぎ
竜王戦2組、藤井×松尾戦で「神の手」が出たということについて。

最初のポイントは本当に「神の手」なのかということ。実は、「神の手」の直後からAbemaを見たので、放送の中で4一銀のことを知ったのだが、その場面に戻してくれないので、よくわからなかった。翌日、「神の手」報道があって、図面にたどり着く。

ということで、読みの流れの中で鑑賞したのでなく、「次の一手」みたいな見方になっていた。そうすると、問題場面は、タダの飛車を取らずに銀捨を選んだのは、当然のようにも見える。なぜならタダの飛車を取ると、ほぼ自動的に3手進んで形勢は悪化するからだ。それにタダの飛車を取らないのではなく、取る前に一技かける(銀と1手を交換)だけであり、飛車は取れるわけだ。何しろ最終盤で、駒の損得は二の次の局面だ。

もう一つ、気になったのは、翌日の報道では「神の手」と○○棋士や△△棋士が言っている、という報道ばかりで、どの局面で銀を打ったのか明らかにされないわけで、これではまったくおかしいわけだ。この問題の裏側には、棋譜の権利、棋譜解説の著作権という裏腹の問題が関係しているわけで、早い段階で裁判所に持ち込んでおかないと、例えば損害賠償の問題とか権利を主張する両サイドの人たちの間で賠償金額がどんどん膨れ上がるはずだ。

話が簡単なのは著作権の方。棋譜というのは「絶対的な事実」である。棋士が指した将棋を復元できるわけだが、これは観戦記者の腕前にはまったく関係なく過去の事実そのもので解釈の余地はない。非公開ならともかくAbemaの無料放送で公開されるのだから秘密性もない。一方で、「○○棋士が『これは神の手だ』と解説した」という部分には知的財産権が発生している。だから棋譜あるいは図面を載せずに、解説や感想を引用するのは、逆に危ないということだろう。

新聞社なら、何週間も寝かせずに、ただちに棋譜と重要ポイントの解説を書けばいい。詳細は後日掲載としておけばいい。そもそも棋士の棋譜は、そのほとんどが公開の場もなく埋もれているわけで、解説部分には権利を認めて棋譜部分は大公開すべきと思う。(ところで本局は予選だし、解説記事が書かれるのだろうか?)


さて、3月27日出題作の解答。








今週の問題。



少し構造が複雑。(もし、再掲だったらゴメン)

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

江川せせらぎ緑道で花見をするのは

2021-03-26 00:00:47 | おさんぽ
江川せせらぎ緑道は、元々は農業用水路だった。一方、人口急増により人口60万人分の下水を処理しようとして作られたのが、都筑水再生センター。名前を下水処理場から張り替えたわけだ。その高度再生水を鶴見川に放流するためにこの農業用水路にせせらぎ緑道と名前がついて1977年に放流が始まった。44年前ということになる。小川の両岸にはソメイヨシノが植えられ、お花見の名所ではあるが、目黒川のような立派な川ではない。幅は2メートル強程度なのでジャンプして軽く渡れそうで、たぶん失敗する距離だ。



本年は人もまばらなのだが、思はぬ珍客も花見に来ている。



シロサギだ。



もちろん花なんか見てなく、川の中の小魚を狙っているのだが、どうも旨そうなのはいないようだ。人間が近づくとさすがに危険を感じるのか羽を広げて飛び立ったと思ったら頭上の桜の枝の高いところに移動した。

サギはよく水田でみかけるので、周囲に樹木がないので知らなかったのだが枝に掴まることも難なくできるのだった。後ろにヒヨドリもいるが、ヒヨドリも川魚を狙っているのかな。

もちろん近くに鶴見川の本流もあるので、なぜエサの乏しいこの場所にいるのかもよくわからない。最近、横浜の異臭とか妙なことが多いのだが天変地異に関係あるのだろうか。



ソメイヨシノの話に戻るが、元々日本で桜が市民権を得たのは、貞観16年のこと。そう貞観(じょうがん)の時代には、日本は大災害に襲われている。富士山はじめ鳥海山、阿蘇山爆発、鳥海、開聞岳の爆発に加え、三陸沖の巨大地震や南海トラフが動いた仁和地震など。

それらに比べれば、小さな事件だが貞観16年に京都を台風が襲う。そして公式の樹木が倒れてしまう。それが左近の梅。実は奈良から京都に都が移った時に桓武天皇は宮中から見て右側に橘(みかん)を植え、左側に梅を植えたのだ。なぜ桜でなく梅だったかというと理由は不明だが、私見では、桜は吉野の山桜が有名だったのだが、そもそも平安遷都の最大の理由は、仏教者が政治に口を出すことに対する警戒感だったと言われ、その仏教者たちが住まいとしていたのは吉野だった。

それで、貞観時代には、もうそういう事情もなかったということで日本古来の山桜に植え替えたと言われる。

そして、江戸時代最末期に登場したのがソメイヨシノ。エドヒガンとオオシマサクラの掛け合わせで作られ、全国のソメイヨシノのDNA情報はすべて1本の木に集約するそうだ。つまりクローンということ。さらに寿命が良く判っていない。親の一人のエドヒガンは超長寿(2000年とか)にもかかわらず、60~100年ということだろうか。クローンの寿命は短いとは言われるが。

日本で桜が街路樹をはじめ多くの場所に植えられているが、そのブームから60年が経っている。最近は違う種類の桜を植えているそうだ。つまり、桜が一斉に咲くという当たり前のことも、実は当たり前ではなくなるということだ。

さびしんぼう(1985年 映画)

2021-03-25 00:00:44 | 映画・演劇・Video
昨年の4月に亡くなった故大林宣彦の『さびしんぼう』。尾道で育った監督の尾道三部作の一つで、なにか謎めいたエンディングが今も解釈が分かれる。

主人公の16歳の少年は大寺院の跡取り息子。カメラが趣味で、いつしか望遠レンで眼下の女子高を見ることになり、毎日放課後に音楽室でピアノを弾く少女に好意を持つようになる。

母親は教育ママだが住職の息子なのになぜかピアノの練習をさせ、ショパンを弾かせるわけだ。そこに現れたのは母親の16歳の時のクローン人間。幽霊なら誰か一人にしか見えないが、クローンなので、誰にも見えてしまう。そのため騒動が多発。

そんな日々に突然の幸運が起きて、寺の息子と学校ピアニストが運命的なリアルな出会いをする。そして、型通りのプレゼント交換があり、女性側からの意味のよくわからない別れを告げられ、二人の短い恋は終わりとなった、かと思うと延長戦があって何年かが経った未来の寺院のシーンとなり、エンディングのシーンは元少年と思しき住職と、少女の面影の残る妻と、離れた場所でピアノを弾く娘が映され、ハッピーエンドで終わったと、おおくの人が胸をなでおろすのだが、どうもこの妻は少女とは別人ではないかという説もあり、困ったことに監督も後にそういうことを言い出す。

富田靖子が一人何役もやるから、さらに混乱する原因なのだが、監督が無理筋を言い出したのは本作よりかなり後のことなので、別の映画(はるか、ノスタルジイ)との関連からではないだろうか。

故大林監督は、尾道三部作の他に新尾道三部作というのも撮っていて、こだわるならまだまだ見続けなければならないが、実は、仕事で何度も尾道に行っている。海運会社にいたころに国内で使って古くなった船舶を主にアジア諸国の会社で中古で使うために、売却地として尾道の岸壁が使われる。理由はあるのだがマズいので書かない。海外からのバイヤーは往々にして時間があいまいで、来るまでに何日も待つことがあり、そういう時に尾道の坂道を上ると、この映画のシーンと同じような光景が見られる。もっとも、運命的な出会いなどまったくおこらない。

杉山神社はなぜ集中しているのか

2021-03-24 00:00:12 | おさんぽ
自宅近隣に杉山神社という神社があるのだが、知人の家のそばにも別の知人の近くにも杉山神社があるという話がある。歳のせいで知人たちがボケたのだろうと勝手に思っていた。知人たちの方も同じように思っていたのかもしれない。

ところが、どうも全部正解で、杉山神社はたくさんあることがわかった。それも全国ではなく、この近くにだ。具体的には、現存する杉山神社は全国で44社であり、そのうち横浜市に35、川崎市に3、あとは町田市と稲城市。つまり、武蔵国の西側で多摩川より西側。横浜市の西部から先は相模国なので、かなり狭い範囲に集中している。

古史上は前の大地震のあった貞観時代には大きな勢力があったと推測されるが、その詳細はわかっていない。さらに、これでも多くの支社が合祀を続けて、今の数になったというのだから、あまり例がないだろうか。

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ということで、近隣の一つ茅ヶ崎中央の杉山神社に参拝する。実は、この「茅ヶ崎」という地名も湘南海岸の「茅ヶ崎」という地名との関係もあるようで不明だ。この横浜の茅ヶ崎と湘南の茅ヶ崎は、実は古代からの道である「中原街道」でつながっている。



杉山神社の入口には『村社 杉山神社』と石碑がある。村に一つではなくいくつかの杉山神社もあるし、近くには同様に歴史のある「剣神社」というのもある。

境内の桜は、すでに「色は匂へど散りぬるを」の状態。由緒についてはこれ以上は手掛かりなし。

恋の都(三島由紀夫著 小説)

2021-03-23 00:00:09 | 書評
1953年、日本が独立国に戻った直後の東京が舞台だ。主人公の朝比奈まゆみは8年前の終戦のすぐ前に丸山五郎という青年と愛し合っていた。五郎は右翼の塾生として活動していて、終戦とともに自決して戸籍からも除籍されていた。まゆみは亡くなった五郎の国粋主義的な思想を心の中で引き継ぐ一方で、表向きの仕事は得意の英語を活用してジャズバンドのマネージャーとして活躍していた。



そして、本小説は、このジャズバンドのマネージャーとして、東京を自由に闊歩する米国人と渡り合って生きていく力強い彼女の日々が、延々と書き綴られるわけだ。

そして文庫本で全306ページの240ページ目、つまり80%が終わった時に、大転回する。

つまり死んだと思っていた丸山五郎は終戦の少し前に上海に渡っていて、現地の特務機関で働いていた。捕虜になり、その後、あれこれあって国粋主義が馬鹿らしくなり、「フランク・近藤」という米国人になり、米国の諜報機関員として香港で働いていたわけだ。

そして香港からニューヨークへ勤務地が変わり、途中、日本で、まゆみを探し出し、一緒にアメリカで生活したいと、無理な提案を言い出したわけだ。

実際、三島文学は新潮文庫で多くを読んでいたため、耽美的でありギリシア彫刻のような構造的な作品が多く、このような都市の裏側の風俗小説はそれほど読んでいなかった。個人的意見だが、本書では後に著者の中核的心象となっていく国粋主義や自決といったテーマが否定的に語られている(まゆみも最後は心の中の大東亜戦争に終戦宣言し、大きなスーツケースを購入することになる(おおた比喩))。

少しわからないのは、上に書いた小説の長さのこと。バランスがおかしい。本当に書きたいのは、前半(80%)のだらしない東京の姿だったのか、後半(20%)の終戦を機にした日本人の心の変化だったのか。後半部分の比率を増やすべきだったのではないだろうか。

「女性蔑視」より大問題な「ブタ発言」

2021-03-22 00:00:20 | スポーツ
東京五輪の開会式を、女性を豚に見立て、OLYM‐PIGとしゃれたショータイムにしようという企てが阻まれた。

日本国内では、「女性蔑視」という観点のみで大騒ぎになったが、実は、もっともっと大変な事態を招くことに至ることが忘れられていることだ。

オリンピックの開会式のイベントというのは、通常は「極秘」で計画され、世界に生中継され、これから始まる感動と興奮の祭典を盛り上げるわけだ。

その冒頭で、世界に向け、東京オリンピッグ(OLYM‐PIG)と、豚の競技会が始まることを宣言する予定だったわけだ。

おそらく競技開始まで1週間、もめ続けて、この呪われた大会の新たな1ページが追加されたはずだ。あるいは最終ページ。

もっとも豚の立場でいうと、ある宗教からは「不浄な(きたない)動物だから食べてはいけない」と名誉を傷つけられているので、名誉挽回ということだが、一方、世界中のアスリートからの抗議の波が地球を何周も回り続けていたかもしれない。ようするにスポーツに敬意を持たない人が開会式を企画したことが露見するわけだ。


それと、五輪開会式の重要さというのは、すべての参加国に基本的には平等に参加権が与えられること。特定の五ヵ国に優先権がある国連よりもずっと民主的だ。国家の名前さえ世界に知られていない国にとっては、きわめて重要な場なのだ。


しかし、五輪公式映画を託された河瀨直美監督。通常は、脚本あるいは何らかの方針を持って撮影を進めるわけだが、こんなにブレーキをかける事態や人々が次々に登場して、もうリアルなハプニング映画になってしまうだろう。第一部、第二部、第三部と計10時間サイズか・・

第一部はブエノスアイレスの歓喜からかな。歓喜の後に失望と悲劇の連続。さいごに小さな喜劇(のはず)。シェイクスピア的ではあるのだが。

澤井玲衣子展

2021-03-21 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
4月25日まで横浜市民ギャラリーあざみ野にある「フェローアートギャラリー」で開催中の『澤井玲衣子』展へ行く。



コンテと墨で線と面を作っていく画風は、一風変わっている。自分自身の入った写真を見ながら、そのイメージを気持ちに乗せて、リズムを刻みながら描いていくそうだ。鍵盤が見えるのはピアノを弾く自分自身を描いた『ピアニスト』。ピアノには直線的な部分と曲線的な部分があるが、彼女はすべて曲線を使う。



こどものころからピアノを弾いていて、20歳頃から画作を始めたそうだ。音楽のリズムを絵画にすることが多いそうだ。

展示右側はピアノだが、左側は自転車。『自転車に乗って』も自転車の楽しさが伝わってくる。



一般的な絵画の枠にとらわれず、自分の気持ちを画材を使って表現するという原点回帰型というのだろうか。澤井さんは、奈良県にある「たんぽぽの家アートセンターHANA」に所属されている。

将棋ペン俱楽部最新号

2021-03-20 00:00:50 | しょうぎ
将棋ペンクラブの21年春号が届いた。内容の詳細は、同人誌なので同人外秘らしいので具体的には書かないが、ある棋士のインタビュー記事が、読む人が読むと「こういうことを言っていいのかな」という感じがある。江戸時代の棋士は弱いとか棋士は新聞を読まないししたがって観戦記者とは疎遠になりつつある、というような新聞不要論につながる意見とか。会長が読んだらお小言をいわれそうな気もする。

藤井二冠の方が大人のような気がする。


さて、3月6日出題作の解答。







5手目の▲1七金が心細い手になっている。


今週の問題。



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平家物語(石母田正著 評論)

2021-03-19 00:00:01 | 書評
『平家物語』の評論だが、著者の石母田正氏は古代から中世にかけての偉大な歴史学者である。唯物史観と言われる立場で、古代日本がどのように鎌倉幕府の時代にたどり着いたか、圧倒的な学説を打ち立てた。一方で、唯物史観には否定派も多い。科学的な否定派もあるし、唯物史観がマルクス・レーニン主義を産んだのも確かで、毛嫌いする人たちもいる。唯物史観の基本は、社会が行き詰まると、それをなんとかしようという動きがはじまって、次の段階の社会に移るというだけのことで、必ずしも共産主義とは限らないはずで、事実、共産主義は行き詰って崩壊した。


もちろん、古代から近世にかけては通用する歴史観なのかもしれないが、本書は氏の代表的な著書ということで、随所に彼の「こだわりの決めつけ」があるのだが、今となっては、「それはそれとして」読んだ方がいい。例えば、彼は、武士階級を描いた「平家物語」は貴族階級を描いた「源氏物語」よりはましだが、名もない人たちの説話集「今昔物語」よりは劣る。という意味のことを書くが、そもそも社会には各層があり、記録文書や文学はその各層間の断絶を避ける効用もあるということは、触れない。文学者ではなく歴史学者だからだ。

ともあれ、文学論的ではない歴史的分析を展開するのだから、面白いところは多い。著者は平家を読むにあたって、常に平家作者(不詳ではあるが公家の一人と思われる)の視点や思想を忘れることはないわけだ。しかし、著者が書くように、もともと3刊が6刊に増え、12刊になった段階で大きく変化しているわけで、物語を貫く思想や意図は微妙に変わっていったのだろう。

代表的な記述だが、冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き(たけき)者もついに滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。・・・」

の中の「猛き(たけき)者もついに滅びぬ」というくだりの解釈にこだわる。

猛き=平清盛を中心とした平家一門と読めるわけで、「ついに滅びぬ」の「ぬ」の解釈が問題で、単なる過去形と解釈すれば、「とうとう滅びてしまった」ということになるが、過去完了形で法則のような定めのことばと考えると、「いつか滅んでしまうものだ」というように逃れられない歴史法則的な意味になる。著者は、当初は前者のように考えていたが、『平家物語』全体の流れ、平重盛が父とは異なり諦観していたように描かれること、また、1000人規模の登場人物が、川の流れに落ちた一枚の葉のように脈絡もなく消えていくこと(清盛でさえも)を考えれば、運命論ではないか、と解読する。

その他にも歴史学者が『平家物語』を読むと、こういうように考えるのか・・ということが多い新鮮な一冊である。

米国手みやげは、郷土名物だろうか?

2021-03-18 00:00:29 | 市民A
最近、国家公務員の接待疑惑が報道され、内訳をみると、数万円の食事代の他に数千円(3000円とか)の手みやげがあることがわかっている。思うに、料理の料金に比べ格安感がある。おそらくホテルのクッキー詰め合わせとかだろうか。ホテルオークラのクッキーは手頃感がある。手土産代3000円という単価は税前だろうから料理の7万円も税前ということだろう。

国内の公務員には、手みやげの上限額とかケチケチした話になるが、これが海外の役人に渡すと場合によっては重罪になるのだが、にもかかわらず誰も咎めない場合もある。4年前、世界最高の国家公務員である米国大統領にご就任ご挨拶に行った日本国首相は50万円の金色のゴルフドライバーを持って行った。(高額ではあるが、日本では金色ドライバーは高齢者専用の風がある)

みやげ効果の測定はできないが、まあ、まずまずではなかっただろうか。

実は、世界の首脳の中で最初にバイデン大統領と会見する菅首相だが、注目は「手みやげ」だろうか。

一部では西陣織のマスクという説もあるが、それはないだろう。いつもマスクをしているが、愛用しているわけじゃない。

乏しい理由ではあるが、私は、総理大臣の郷土である「秋田県」に関連しているのだと思っている。

具体的には、「秋田犬」ではないだろうか。

思えば2012年には、大震災の時の復興支援のお礼としてロシアのプーチン大統領に秋田犬「ゆめ」が贈られている。プーチン氏は10頭程度の犬を飼っているそうだ。

しかし、バイデン氏は78歳。日本では、高齢者は犬より先に死ぬので飼うことは強く抑制されている。この点、どうなのだろう。

いや、そもそも大統領が飼った犬が飼い主が他界したからといってロッキー山脈の山中に置き去りにされ野犬化したりするわけはないだろう。

少し前に、ホワイトハウスの内部のある記事に違和感があった。家庭内の話を報道するのだろうか、と思ったわけだ。

ワシントン(CNN) 米国のバイデン大統領夫妻の愛犬が、ホワイトハウスで問題行動を起こして先週、デラウェア州にあるバイデン一家の自宅に戻された。関係者2人がCNNに明らかにした。

関係者によると、バイデン夫妻の愛犬2頭のうち、ジャーマンシェパード犬の「メイジャー」が、ホワイトハウスの警備員を相手に人をかむ騒ぎを起こした。メイジャーはバイデン氏が2018年にデラウェア州の施設から引き取った保護犬だった。

具体的な状況は不明だが、事態は重大事とみなされて、メイジャーはもう1頭のジャーマンシェパード犬「チャンプ」ともに、デラウェア州に戻ることになった。CNNはホワイトハウスにコメントを求めたが、今のところ返答はない。

メイジャーは3歳とまだ若く、飛びついたり吠えたりスタッフや警備員に飛びかかったりする騒ぎを何度か起こしていたという。

一方、チャンプの方は約13歳で、高齢のために動きが鈍くなっている。
2頭は今年1月、バイデン大統領が就任した約1週間後にホワイトハウスに入居していた。


この記事だが、
*大統領は、すでに犬を飼っていて一頭はまだ若い。
*ホワイトハウスには犬がいなくなった。
ということを明らかにしているわけだ。

つまり、日米間で、すでに水面下で犬の贈与話が進んでいて、そのための事前工作をしているのではないだろうか。


しかし、犬の名前だが、「メイジャー」と「チャンプ」って「偉大」とか「チャンピオン」という意味なのだから、本質的には前の大統領と大して変わらない大脳レベルなのではないだろうか、と心配。

キッド(1921年 映画)

2021-03-17 00:00:29 | 映画・演劇・Video
サイレント映画を見るのは久しぶりというか、初めてなのかもしれない。弁士が映画館でしゃべるのが活動映画というのだったかな。チャップリンの『キッド(The Kid)』では、たまにスクリーンに文字というか単語のようなものが、現れるだけで、演技だけでストーリーが理解できる。今の俳優でそこまでできる人は稀なのではないだろうか。

1921年の映画ということは、ちょうど100年前だ。

ストーリーは、「子捨て」。今なら重罪だが、当時はよくあったのだろうか。母親がボーイフレンドと別れて、育児に困ってしまい、ポイしてしまった。その後、トランプのババ抜きみたいに子供の譲り合いの結果、チャップリン扮する貧しいオジサンが一人で育てることになる。

それが、とあることから当局の知るところとなり、児童保護施設が強制収容しようとするが、なんとか逃げ出して簡易宿泊所にもぐりこんだのだが、同じころに有名女優になっていたポイ捨て女が、こども探しを始める。そして、懸賞金1000ドルが新聞に発表される。

ここで、当時の1000ドルが現在の何ドルかという換算できるサイトがあって計算(というか、入力と出力)を頼むと、14732ドル。約15倍だ。どうも1920年代前半のドルは価値が下がっていたらしい。その後、1929年に大恐慌である。

つまり懸賞金は現代換算で14,732ドル=160万円ということ。宿泊所の経営者としては、子供狩りをするのに躊躇はなかった。

ところが、悲嘆にくれるチャップリンに朗報が舞い込む。女優になっている子供ポイ捨て女が、豪華な大邸宅に招待してくれたわけで、育ての父はこどもと再会できたのだ。

現代であれば、二人とも監獄行なのに、なぜかうれしそうである。その後、実生活で二人は結婚し、三年で離婚した。

なお、2000年にブルース・ウィリス主演で『キッド』という映画があった。原題は『THE KID』。文字がすべて大文字であることが違いの一つだが。これも良い映画のようだが、あまり幸せ度の高い映画は、嘘っぽくて好きじゃない。