高い所から、失礼

2013-10-31 00:00:00 | 市民A
横浜名所を高い所から見ることになる。

遠景に、ベイブリッジ。1989年生まれの24歳。

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近くに見えるのが、コスモクロック21の大観覧車。1989年生まれの24歳。1989年開催の横浜博覧会のシンボルだった。一旦、解体され現在の場所に移動。

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間近にあるのが、インターコンチネンタルホテル(横浜)。帆船の帆をイメージした斬新なデザイン。1991年生まれ。22歳。

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まあ、色々と喋りはじめると、横浜市認定ガイドになってしまうので、知らんプリする。

朝鮮(金達寿著・岩波新書)

2013-10-30 00:00:47 | 書評
今や、朝鮮半島の歴史のことについて、正常な精神で研究する人などいるのかどうかわからないし、20世紀から始まった国でもないのだが、19世紀より以前の歴史について書かれたものを少しずつ読もうかと思い、昭和33年のこの本を開いてみた。おそらくは、著者は当時、やや北寄り思想だったのかもしれないが日本にいる以上、北の指導者が何を画策していたのかは知らなかったのだろうし、もちろん、それから50年経って、こんなことになるとは、思わなかったのだろう。

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ただ、本書は、現代史について割かれたページは、そう多くなく、大部分は朝鮮半島に古来から流れる朝鮮史についてである。

で、内容については読む人によって色々と感じることが違うのだろうから、あえて触れないが、思うに、「中国に対する態度」「半島内の統一抗争」「時々起る日本など他国からの攻撃」という基本パターンがあるのだろう。さらに、中国や日本よりも政権交代の期間が長いため「政権内部の腐敗や社会の封建性」が加わり、それらの重力バランスによって歴史が進んでいるわけだ。

統一国家としては、新羅、高麗、李氏朝鮮の3つしかない。(日本はその間、政治権力は、色々と変っているが、統一国家は続いていると見るべきか、少し言い難いところはある)

もっとも、よく考えると、上記三つの政権はいずれも日本と一戦(あるいは二戦)を交えている。中国の脅迫外交にはいつも屈している。政権を長持ちさせるために、思想教育をしたり、差別的階層身分制度をつかったり、早い話が「美しい国」ではなく「悲しい国」なのだろう。

もっとも、中国に近いために、紀元前の頃からの歴史が資料(文字)として多く残っているわけで、資料不足のため(あるいは何らかの理由で古墳を未公開にしているため)日本の古代史(つまり大和朝廷成立史)は霞がかかったように不明瞭なのだが、こちらにも「悲しい歴史」があったには違いないだろうと思うわけだ。

GO(2001年・映画)

2013-10-29 00:00:15 | 映画・演劇・Video
2001年、小説『GO(金城一紀著)』を原作とし、宮藤官九郎が脚本を書き、行定勲が監督。主演の在日の青年を窪塚洋介、恋人の日本女性(父親は元左翼の実業家)を柴咲コウが演じている。と書けば豪華キャストだが、実は窪塚、柴咲もまだ新人。クドカンも直木賞作品のストーリーを勝手に捻じ曲げるわけにはいかなかっただろうし、本人もまだ大きな顔もできなかった頃だし、監督と原作の板挟みの中で、少しでも自分らしさを書き加えようと苦心したのだろうと推測。
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そういう意味では、青年の両親を山崎努と大竹しのぶという万能役者が演じているので、まあ、暴力と差別と友情が交錯する微妙な作品が、なんとかバランスを保ちながら、とりあえずの結末をつけることができたのだろう。

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ストーリーはザクッといえば、民族学校へ行っていた青年のことを密かに思った両親が、ハワイ旅行に行くことを言い訳として第一段階として国籍を北から南へ移動する。さらに本人をそそのかして、日本の高校に入学させる。ただ、そこでは差別があったり・・逆切れしたり・・一方で、ボクサーだった親譲りのケンカと日本人になりたいための落語鑑賞と・・

で、揺れ動く感情の中で出会った日本人女性との交際が、途中でカミングアウトしたときに、崩れ始め・・

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あとは、だいたい想像の通りとなってサプライズはないのだが、登場人物の、90%位のキャストが、心が捻じ曲がった役なので、監督の指導も大変だったのではないだろうか。原作を読み違えていて勘違い演技をしたりとか。特に新人。

本映画『GO』は、東映の配給で当時、大量の映画賞を持って行ったのだが、最後に解けない疑問がある。本作公開の2週間前に日活配給の『GO!』が上映開始されている。紛らわしいタイトルの上に、さらにこちらにも山崎努氏が出演している。なんでそんなことになったのか?ということと、山崎氏は手帳にスケジュールを書くときに、どうやって区別したのだろうか。「G」と「!」とか書いたのかな・・

ショッピングモール拡散は新たな格差を

2013-10-28 00:00:59 | マーケティング
半年少し前から、横浜の都筑区に合わせ、岡山県の倉敷に仮寓を借りているのだが、事前の予測と異なって横浜にいるときとあまり変わらない生活を送っている。というのも、倉敷には二つのショッピングモールがあり、さらにイオン系の中型スーパーや元デパートがスーパーに宗旨替えをしてあちこちで店舗展開していたり、コンビニも各種無数にある。

決定的に不便なのは、シネコンがないのと、クリーニングが超高額なことぐらい。

ショッピングモールは、イオンモールとALIO(三井アウトレット付き)。どちらにも全国でおなじみのチェーン店が1セットというか2セット揃っている。ユニクロと無印、スタバにチョコクロ、カルディ、ABCマートや、スポーツオーソリティとかタワーレコードまで2店ある。

こうして、全国の地場商店や中規模チェーンが崩壊していくのだろうと、よくわかるのだが、横浜の都筑区といえば無数に乱立するショッピングモール群で有名だが、決定的に違うのが、アイテム数だろうか。多くの店舗の面積は倉敷の方が1/3ぐらいだろう。それがアイテム数の差につながっていて、なかなか理想のショッピングができない。礼服用のワイシャツを買いに行っても綿ポリばかりで綿百は見つからない(クリーニングが高いからだろうが)。ズッキーニとアンチョビでパスタを作ろうと思っても素材を集めるために、別々の店を歩き回らないといけないし、アンチョビを手に入れてもズッキーニが手に入らないこともある。

つまり、ショッピングモール革命の裏に新たな国内格差が発生していると言えるのだろうか。

一方、逆に進んでいると思われるのが、電子マネーやポイントカード。倉敷に来る前には、PASMO(交通系)とnanaco(作っただけ)とポイントカードはPONTAだけだったけれど、nanaco、WAON、Edyの電子マネーはフル活用となる。ポイントカードはPONTAに加え、T Cardを作成。その他、ハウスカードは上新電機にゴルフ5にニトリ、タワーレコードを追加。クレジットカードも各種取り揃えていて、リッチマンが使うという長形の財布には領収書や紙幣などの紙屑を入れ、プアマンが使うという二つ折れ財布に各種カード類ということになる。一応、カードは逃げていかない様に上下逆にして財布に入れておく。ローソンの店頭で、セブンやファミマなどのカードの中からポーカーのカードのようにポンタを切るのは恥ずかしいので、店内に入る前に取り出しておく。さらにコインは別財布で計3つ、持つことになる。家や車と同じだ。

イオンやセヴンが本気で銀行業をやっている理由がよくわかるのだが、みんなが始めれば同じような気がする。

ところで、イオンモール(およびイオンタウン)の出店は、かなり異様な速さに感じる。おりからY電機の赤字が伝えられているが、いざ経営危機になれば、ポイントカードに貯まったポイント数が全国一斉に浴びせかけられ、しばらくは、現金の入金がなくなってしまうかもしれない。その規模の資金不足を助けられる銀行はないように思える。(Iのことではなく、とりあえずYのことだが)

備前長船刀剣博物館

2013-10-27 00:00:18 | 美術館・博物館・工芸品
岡山の東側の大河といえば吉井川ということになる。この下流に近い長船(おさふね)の地が鋼の原料となる砂鉄の豊かな産地であるところから、平安時代より刀剣の製造が脈々と続いていた。日本有数の銘刀の里である。

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そこに、大きな刀剣博物館がある。刀剣の展示と言えば、新宿の初台にも同様の場所があるが、そこが、やや隠微な雰囲気が漂うのは、生産地ではなく、コレクターのための美術館だからだろう。

さらに、刀というと危ない世界になるのだが、「軍刀」という世界があって、「軍刀絶賛主義者」がいて、それらの人は、おおむね「軍国主義者」であるという事実がある。

つまり、もっぱら戦闘用だった刀が、美術品に変質し、戦闘の時には役に立たないということで、軍刀という軍人精神の象徴みたいなものが登場したわけだ。

そのため、「美術刀派」と「軍刀派」とは、まったく相容れない状況らしい。そんな怖い世界に首を突っ込む気はサラサラないので美術品としての日本刀の話に特定したい。

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刀の製法については、本館にビデオが揃っていて、何十段階にもわたる刀造りの職人芸が紹介されている。半端じゃない手間がかかる。しかし、実は、この博物館の裏手は刀剣工房となっていて、まさに現代にマイ日本刀を作る会が活動しているわけだ。日本画サークルとか自家製味噌造りみたいなノリなのだろうか。

話を長船の刀剣に絞ると、実は歴史上、ある数年の間に二つの巨大災難に見舞われている。最初が1588年夏に豊臣秀吉が全国に発令した「刀狩令」。秀吉がどこまで意識していたかは定かではないが、これによって、武士とその他というように人間の種類を二分化することになる。つまり戦闘員と非戦闘員と分けたわけだ。その結果、その後に起きた関ケ原とか大坂の陣とか大戦争は武士同士の戦いとなり、民間人の犠牲者が限定的になった(もちろんゼロになったわけじゃない)。

そして、刀剣の新規需要が急減したところに襲ったのが1590年の吉井川大氾濫。そして山津波。一説には7000人が亡くなったとされ、刀工も3人を残すだけで残るは全員濁流にのまれる。

3人の刀工がどうして、長船を再興できたかというと、おそらく逆説的に刀狩があったからかもしれない。需要激減に対応するために工場閉鎖を行うということは現代でも行われるが、悲しい結果だが、そういうことがあったのだろう。

そして、刀剣についての二度目のピンチは1876年に施行された「廃刀令」。刀狩で特権階級を得た武士階級に対しては、刀を持ち歩かないように通告されたわけだ。つまり、武士社会の崩壊である。実に刀狩から300年近くが必要だった。

岡山県に「金光」という苗字が多いのは、刀剣の産地だからと勝手に推測してみる。

付属する土産店にはさすがに一振り数百万円の真剣は置かれていなかったが、よく切れそうな包丁がならんでいる。そのあとすぐに飛行機に乗るので、誤解されないように手ぶらで立ち去ることにした。

1100敗で2回の啓示。3度目は?

2013-10-26 00:00:37 | しょうぎ
加藤一二三九段が今年3月に前人未到の通算1100敗を喫したことについて、出身校の校友広報誌の誌面に登場していたことがわかった。

もちろん1100敗は大記録だが、それ以上に1300勝を超える勝数は現役1位。本人は、「勝数は羽生さんか誰かに抜かれるでしょうが、負数は抜かれることはない」とおっしゃっていられる。また、1999年には21連敗をしながらも、「負け星は気にしない」というには理由があって、負けた直後に神の啓示を受けたことがあるからだ。

初回は、1968年の第7期十段戦。2連敗の直後に十段になれると予感。見事に大山名人を逆転してタイトル奪取。次の啓示は1973年の名人戦。この時は「今回は負けたが、いつか名人になれる」と啓示があったそうだ。実現は9年後だった。

そして、現在、一つの願望があるそうだ。それは唯一獲得していないタイトルの棋聖位を奪うことだそうだ。ただ・・、今のところ、それについての啓示は受けていないようだし、現棋聖は羽生さんだし、昨年の棋聖位トーナメントは二次予選初戦敗退であった。誰か加藤九段に救いの手を・・。

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広報誌には学生服姿の加藤一二三九段の写真が掲載されている。18歳で八段になったわけだから、この写真はプロとしての公式戦のものだろうか。隣に座るのは、同大学出身の加藤治郎八段(当時)のように見受けられる。助言しそうにも見える。


さて、10月12日出題作の解答。

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▲2六香 △1五玉 ▲2三香成 △2六香 ▲同角 △2五玉 ▲2四成香 △同玉 ▲1三飛成 △2五玉 ▲2三龍 △2四金 ▲同龍 △同玉 ▲2五香 △同玉 ▲1五金まで17手詰。

4手目の中合の発見が重要。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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手数の割に簡単である。片づける順番が問題になる。最後に汚染物質が残らないように。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数と酷評を記していただければ正誤判断。

黄ニラmiso

2013-10-25 00:00:06 | あじ
倉敷の名産の一つで、最近ブームになっている商品がある。『黄ニラしょうゆ
』といって、倉敷市にある「とら醤油」という醤油会社が人気の黄ニラの味を醤油に加えた商品を発売している。

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黄ニラ醤油の場合、その用途は、「卵かけご飯」だそうなのだが、実は、私は卵かけご飯を食べないので、いまだに口にしていない。なぜ、卵かけご飯を食べないかと言われて合理的な答えはもっていないのだが、生卵を食べるって、ヘビみたいだから。

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それで、代用食品として目を付けたのが、「黄ニラmiso」。

しかし、極めて辛い。

ほんの小さじ一杯でご飯一膳いけてしまう。どうも豆板醤が使われていて、さらに豚肉が入っている。

やはり醤油とmisoは異なる食べ物なのだろう。

ところで、
ニラ、黄、misoそして、しょうゆ。日本で使用可能な文字が総出演だ。漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字である。

「藤原の効果」という言葉から

2013-10-24 00:00:40 | 市民A
強力台風27号と超強力台風28号が日本列島に向かっている。このように二つの台風が近くに寄ってくると相関関係が発生し、通常と異なる進路をとることが知られている。この説を唱えた人物の姓をとり「藤原の効果」と呼ばれるそうだ。

では、なぜ「藤原効果」ではなく「藤原の効果」と「の」を入れて読むのだろうか。なんとなく、「ふじわらのかまたり」とか「ふじわらのみちなが」というように平安貴族であり、日本政治を思うがままに操った藤原氏の人物のような言い方ではないだろうか。

それで、まったく台風や台風被害や、被害の責任がどこにあるのか、あるいは、まだ日本に上陸していないので、数日後に自分が被害者になるのかもしれないというのに、どうでもいいような話が気になってしまい、調べ始めると、その疑問とは関係なしに色々なことが見えてきた。(A案件を調べていると、B案件が気になり、さらに調べるとC案件に興味を持ってしまうというようなこと)

まず、「藤原の効果」の提唱者だが、藤原咲平氏(1884-1950)。長野県の出身で物理学者。1920年ごろから天気予報の研究を始め、1941年に第五代中央気象台長となっている。「効果」は1921年に発表したそうだが、天気予報の勉強をして、すぐに大成果を得たことになる。しかし、戦争中に風船爆弾の作成に加わっていたことから、戦後、公職追放される。戦前と戦後とまったく異なる運命の星の元にいたわけだ。

そして、咲平氏の甥が新田次郎氏(本名藤原寛人1912-1980)。有名作家である。最初の勤務先は中央気象台富士山観測所。つまり叔父さんの会社(?)。コネだったのだろうか。その後、着実に勤務を続け、てい(1918- )女史と結婚。終戦時満州気象台に勤務していたため1年間抑留生活を送る。しかし復職した中央気象台は、おじさんの風船爆弾の件もあったのか、建物はすきま風だし、給料も薄給で、生活苦を極める。こどもの養育に困っていたのだが妻てい(藤原てい)が小説を書くと、これが売れるわけだ。

妻にできることが、私にできないはずはないと思ったかどうかは知らないが、自分も筆を取ると、案外うまくいく。結局、気象庁を退官し、文筆活動に専念。ところが、専念すると働き過ぎることになり、平均年齢をまっとうすることはできなかった。

そして、この夫婦のこどもが藤原正彦氏(1943- )。数学者で、エッセイストで「国家の品格」を著す。「お・も・て・な・し」思想なんて大嫌いなのだろうか。

そして、一転して咲平氏の兄弟姉妹の中の一人に「さわ」女史がいて、彼女の子供(つまり新田次郎氏のいとこ)に牛山清人氏がいる。清人氏は若い頃にハリウッドで映画俳優を目指していた。弟子入りしていたのが、早川雪舟(1886-1973)という日本人俳優で、無声映画時代の大スターだった。早川は海軍軍人をめざしていたが挫折し、一転渡米し、米国でダーティージャパニーズ役をステップとしスターになる。英語が堪能でなくてもよかった時代だ。早川氏の元には、牛山清人氏だけではなく、ルドルフ・バレンティノもいたそうだ(早川氏の妻も川上音二郎の姪である)。そのような華やかなハリウッド生活で牛山氏が知り合ったのがマックス・ファクター氏。そして妻となり共同経営者となるメイ牛山(1911-2007)女史もその一人だ。

しかし、華麗なハリウッド生活も、やがて日本人排斥運動に巻き込まれていくことになり、早川雪舟は欧州に避難し、大戦後はひっそりと水彩画を描く人生を送っていたのだが、ハンフリー・ボガードに見つけ出されて、またも映画に出演することになり、アカデミー賞受賞作「戦場にかける橋」で助演している。

一方、牛山一家は日本に戻り、化粧品会社を営業したが東京の工場を失い(空爆の結果?)、戦後、故郷長野で再起を図るが経営に失敗。再度、東京でハリウッドグループを再建したようだ。

舞妓haaaan!!!(2007年・映画)

2013-10-23 00:00:11 | 市民A
2007年公開された、宮藤官九郎脚本(シナリオ)の映画。

修学旅行の京都で迷子になり、舞妓はんから道を聞いたことから、想像上の舞妓像を作り上げた少年が、そのまま大人になり、なんとか祇園の舞妓とお座敷で野球拳をしたいと、願望をはじめる。

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クドカンの脚本で大当たりをとったNHKはあまちゃんの続編シナリオを期待しているようだが、野球拳を夢見る青年映画など作っている人物だとわかっているのだろうか。

そして、この映画が喜劇なのか、悲劇なのか、断定できない。もともとの破天荒なストーリーは、どうみても喜劇だが、途中から登場人物のそれぞれの人生に抱える大問題が明らかになっていく。つまり、悲劇性が強まる。そしてまた喜劇になり、悲劇になり、また、・・・・。

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要は、オセロゲーム型である。映画の最後が喜劇になれば、全体が喜劇に思えるし、悲劇で終わるなら悲劇ということになる。

そして、最後はどちらとも言えなくなる。おそらく、悲劇のシナリオの中に喜劇を演じる役者が次々と登場するからだろう。

なお、植木等が友情出演。一口ギャグを飛ばし祇園の町を悠然と歩いて立ち去る。彼の遺作となり、映画公開の前に没する。

細く長い糸

2013-10-22 00:00:17 | 歴史
先日、元皇族竹田家の竹田恒泰氏の著書を読む。父上は、日本オリンピック委員会の竹田恒和氏。先だっての五輪招致で特に著名となったが、元々戦前は皇族の家系である。そして、仮に、現在休眠中の皇位継承順位問題の検討がはじまれば、「もしかしたらもしか」ということになるかもしれないと言われていたわけだ。

それで、そのあたりの理由について調べているうちに、なんとなく知ってはいけない感じの話など見えてきたわけだ(竹田家の話ではない)。

まず、この話題が最も国民の関心を高めた時期は2001年に愛子内親王が誕生してから2006年に悠仁親王の誕生までの間だった。つまり現天皇の長男の次は、誰か。長女か、弟か、そしてその次は?

つまり、皇室典範に従えば、候補者が途絶える可能性すらあったわけだ。(もちろん、次の次の次まで決まっても、その次があるという保証はない。大昔の様に、子作りが最大のご公務ということにはならないから、いずれにしても細い糸のような状態が百年続くのかもしれないし、まったく杞憂になるのかもしれない。実際、皇室には女子ばかり生まれていたわけで、これから男子ばかり生まれる可能性もある。

そこで、でてきたのが女帝論。これには、一般的な女性が天皇になるということを意味する①女性天皇論と男女平等主義の②女系天皇論がある。あくまでも男系の補完としての女性天皇なのか、男系にこだわらない女系天皇容認にするかで分かれる。

そして、女性を除外するというグループでも、あくまでも③男系長子継承(つまり天皇からの血の濃さが近い人を優先)という考え方と、血は少し遠くても天皇家と皇族関係で親しくしてきたという④旧皇族グループから選ぶ、という考え方に分かれる。

まず、④案の旧皇族というのは南北朝時代に遡り、崇光天皇のひ孫にあたる第102代後花園天皇の弟、貞常親王から分かれた伏見宮家にたどりつく。その後この家はいくつかに分かれていき、戦前の旧皇族を形作っていた。もっとも、この皇族の中で、どういう順位を付けるのか、あるいはそれを誰が妥当と判断するのか、不明。

そして、③の、あくまでも血のつながりが濃い順を調べていたのだが、一般人のプライバシーにかかわることが多く、調べた結果にはまったく自信がないのだが、

④の御花園天皇より後代で天皇家より離れた家、あるいは徳大寺家のように元々平安時代からの家筋に新しく天皇(113代東山天皇)の男系子孫が婿入りし、さらにその徳大寺家から住友家に婿養子に入り、その住友家の中で、長男なのに芸術方面に走り家督を弟に譲るも男系子孫を何人か残した人物がいて、要するにY遺伝子かつ長子優先をあくまでも貫くとすると、生まれた時からまったくの民間人を辿っていくということになる。

また、その少し前第107代後陽成天皇の男系子孫は、戦争末期の首相として有名な近衛文麿氏だが、長男文隆氏は、結婚後、陸軍中尉として大陸に渡り、シベリア抑留中に亡くなるのだが、結婚前に、ある芸者との間に男児をなしている。この男児は、その後しばらくは、母親との同居もままならず、実の父親を悟ったのは母親が父親の死亡記事を新聞で読み泣き崩れた時だったと述介している。ただし、皇太子兄弟よりもずっと年上なので本件で表に出ることはないと思われる。

かくして、側室制度を設けることなく天皇の男系長子相続制を続けるということは、今後とも妙な話が続いていくのだろうと想像するわけだ。

個人的には、憲法上は、国民の象徴として天皇制があるのだから、該当者がなくなれば、リアルワールドにいなくてもいいのでないかとも感じるのだが、君が代の歌詞に矛盾するし、不敬罪で捕まりたくないので以上、凍結とする。

日本人はいつ日本が好きになったのか(竹田恒泰著)

2013-10-21 00:00:56 | 書評
竹田恒泰氏は旧皇族竹田宮の方である。父上は、先日の五輪誘致の中心人物だった。

そして、現在はK大で「憲法と天皇の関係」を講義されている。超保守の人物である。もっとも本人は、超保守ではなく普通の保守と思ってられるようである。

実は2006年以降、活字の形で自らの意見を述べられているのだが、おそらくその2006年というのは意味があって、悠仁親王が誕生したことにより、旧皇族の方々の緘口令みたいなのが解けたのだろう。それらについては稿を改めて(というほどには知らないのだが)、本書のこと。



まず、日本人が日本を好きになってきたそうである。以前からの各種統計によると、自分の国を愛さない比率が先進国の中では低位だったそうだ。内戦を行っている国と同じぐらいだったそうだ(約40%)。

それが最近の調査では、約60%の日本人が日本を好きになったということだそうだ。

問題は、その理由。竹田氏は三つの点に絞っている。

領土問題に象徴される中韓の態度
民主党政権の無定見
東日本大震災

1と2は、そうだろう。あるいは1と2は関係していて、中韓を絶賛する人たちがいて、その多くが民主党員だったこと。結果、はしごをはずされた元首相がいた。

ただ、2.民主党の問題は、無定見にあるのではなく、党をまとめる気がない人が上の方にいたことにあるのではないだろうか。多くは団塊世代。好きなことだけ言って、うまくいかないと寝転ぶ。

東日本大震災が世相に何らかの影響を与えているのは確かだが、私は、「だから日本が好き」ではなく、「だから日本人が好き」というべきだと思っている。

それは、竹田氏が、領土があって天皇がいて、民がいるというような順序で考える方であるからなのだろうか。



貞観大地震の時にはその後、「ますらお」ぶりから、「たをやめ」へとと日本人の心情は変化していく。それはまさに国を愛したのではなく、日本人を愛したからそういうことになったのだろう。

うさぎスマッシュ展

2013-10-20 00:00:19 | 美術館・博物館・工芸品
東京都現代美術館で開催中の『うさぎスマッシュ展』に行く。現代美術に特化した美術館があるのは、東京が大都会であるからだが、いたって大都会ではない深川にあるというのが、まさにアンバランス。まあ、美術の世界に常識は不要なので、チマチマした街の中に巨大美術館があっても構わないのだが、最近の現代美術は、いたって荘厳な仕掛けが必要なことが多く、ついに展示を屋外に求めることも多い。すべてを室内に収めようという考え方が正しかったのだろうか。

つまり一つずつの展示室が大講堂的なサイズとなり、深川の一般的な住宅が一部屋当たり10軒は建つのではないかと心配してしまう。(まあ、江戸っ子らしい決断なのだろう)

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で、本展の「うさぎ」という言葉は、単なる動物の種目をあらわすのではなく、「不思議の国のアリス物語」が地球上に出現していらい、「現実と非現実をつなぐワープゾーンの合い鍵」を意味することになっていて、本展も現実と非現実の隙間をかなり物理的に垣間見ることができるわけだ。

ただ、あまりにも視力がよかったり、他人に騙されることが嫌いな人は、いくつかの仕掛けを見破ったりするかもしれないが、そういう人は来ない方がいい。あくまでも手品ではなくアートなのだから。


思索するウサギ。

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アリスの中でもそうだが、あくまでもウサギも森の木々だって、人間の遺伝子が50%含まれているわけだ。

芸術の本質を考える一瞬を与えてもらえる時空間がある。


会場内で過ごした時間の分だけ、いくつかの創作アイディアが生まれたので、いずれ・・


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本展は、ノーフラッシュで撮影可能となっていて、とある中庭を撮影しようとしたところ、逆に、不審者から、こちらを撮影されてしまった。画像を取り返そうと、追いかけると、そのスピードの倍の速さで消えてしまった。

おどかし?

2013-10-19 00:00:22 | しょうぎ
初夏の頃、知人から、「将棋ペン倶楽部に入会しました」という連絡があった。実は、名前だけは知っていたが、正体不知なりということ。そしてHPを確認すると、年会費3000円で、会報が年4回(雑誌2回・通信2回)届くようだ。その他、会員でなくても参加できる交流会(関東・関西)という将棋大会に出場できることなどが特典だそうだ。

そして、年度の途中で参加する人には、参加料を日割り計算するのではなく、1年分の会費は徴収の上、当該年度の発行済の会報をまとめて送ることになっているとのこと。

ただし、会費を振込だけでは、前からの会員なのか新規会員なのかわからないので、必ず「新規会員」であることを明示することになっている。新規か既存かわからないということは俄かに信じられないが、振り込み用紙に「新規」と書けばいいだけなので、指示通りにする。

しかし、・・・

想像していた通り、9月になって到着したのは「会報の雑誌1冊。2013年秋号」。

実際、その前の春号とか、どうでもいいと思ってはいたのだが、記事の中に連載物が多いわけだ。そうなると、1冊でも前から読んでみたくなるわけだ。

しかし、簡単にいえば、「先方のミスを指摘」→「記載事項に違反していることを確認させる」→「それに対する回答あるいは善意の提案を待ちうける」→「一件落着とするかどうか判断する」。というような問題解決プロセスをたどる(つまりインネンをつける)ということになりかねないわけだ。

先頃、2013年秋号(第60号)を送付いただきました。
入会の規約によりますと、年度途中の入会の場合、年頭にさかのぼり各種雑誌、会報等送付いただけることとなっているようなので、よろしくご確認ください。


色々と思案の末、考え付いたメール本文である。これなら、クレーマー風には見えないのではないかと思いながらも、本物のクレーマーとか“や”方向の人たちは、最初はいたって紳士風であることが多いらしく、誤解の初手みたいなことになるかもしれないが、避けがたいわけだ。なにしろ、ミスの責任はこちらではなく・・(危ないなあ)

そして、休日にもかかわらず、7時間半後に返信メールを受信。

ご不快な思いを押させして申し訳ありません。
会誌は本日発送いたしました、どうかご寛容の程お願い申し上げます。
今後とも宜しくご協力の程お願い申し上げます。
では、よろしくお願いいたします。


これは、ただならぬ文面。警戒し過ぎだ。後半は、「お願い3連発」である。もっとも前半の、「押させして」、という表現は、事務局のある神田の下町の江戸方言なのか判別つかない。そういえばスカイツリーも押上駅の近くにある。

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そして本当に数日後に会報が届いたのだが、予想していた結果よりも1冊多く、昨年の秋号から同封されていた。機関誌の残部だそうだ。「残り物、ありがとうよ」と返信しようかと思ったが、思いとどまる。1冊のはずが2冊。倍返し思想だ。

年末には大阪で忘年会があるらしい。


さて、10月5日号の解答。

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1019k


露払いが邪魔者ということ。

動く将棋盤は、こちら

今週の問題。

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駒の遊びのような軽作。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

最後の日、延期

2013-10-18 00:00:54 | 市民A
米国債務上限問題にギリギリで妥協案(というか延長戦)がまとまる。もともと今回のチキンレースでは、すでに一部公務員の自宅待機(というか給与カット)が始まっていたので(つまり野球で言えば9回裏の1アウトぐらいか。17日になると2アウトになるという意味)、破綻スケジュールが始まるということのようだ(分野別デフォルトスケジュールも作成されていたようで、国債償還不能よりも軍人給与未払いの方が先に行われるようだった)。

それで、たぶん人類の文明崩壊って、こういうことから突然始まるのだろうなあとなんとなく思っていたのだが、大恐慌の後、結局第二次大戦になっていったと考えれば、世界中の政府がヒックリ返ったり失業率が50%になったり、まあそんなところだろう。

それで、破綻回避になったとしても共和党というものが、これからどうなるのかよくわからない。もっとも子ブッシュ政権の頃から、ネオコンとかティー・パーティとか特定の傾向の強い集団が、共和党とか女性副大統領候補とかを仮主としてシロアリ的あるいはトロイの木馬的乗っ取り作戦を展開していて、結局うまくいかない。元々、品のない国ではないが、「ネオコン」はもともと政権政党に寄生すべき集団だし、ティー・パーティーは「今の米国を壊して古い米国に戻りたい」人たちの集団だし、共和党支持者のことなど眼中にないわけだ。

で、お茶が冷めた時に、共和党に何が残るのだろうか。

もっとも民主党にしても、日本で言えば「自民党+民主党」みたいな広範囲な政策集団なので、共和党がなくなるか弱体化した場合、民主党が二分割されるかもしれないと思うが、時間はかかるだろう。

共和党に似た政権は日本には存在しないが、主義と無関係に、グループをまとめ切れない点からいうと(日本の)民主党に似ているのだろう。

150年前の民主党と共和党の関係は今の逆だったのだが、その後、大恐慌やヴェトナム戦争の時代を経て右左が反転したようだ。(日本でもTPP問題では、民主党がJAの権益保護を目標にするのだろうか。茶番。)

プロ野球珍記録

2013-10-17 00:00:19 | スポーツ
2013年のプロ野球は、二つの大記録を生み、まもなく終了に向かっている。

一つ目の記録は、シーズンホームラン記録。飛ぶボールの効果によって、王のもつ55本がバレンティンの60本に書き換えられた。70本に到達しそうなペースだったが、記録を更新した後、急に慎み深くブレーキがかかる。

もう一つの記録は、田中投手による開幕24連勝。マークンと呼ばれ続けているため、米国移籍後は、マーク・タナカと名乗るのだろうか。

そして、プロ野球の珍記録をさがしていると、過去にまったく妙な成績を残した選手がいることがわかった。

その男、マイク・キンケード。2004年に阪神に所属。

何を調べていたかというと、死球のこと。投手の方から見ると、与死球の通算最多数は東尾修の165。ただ、与四球率(9イニングあたりの死球数)は0.363となるが、球界平均は0.3程度なので、少し多い程度だ。

一方、打者からみると清原が通算196個と最多だ。しかし、こちらも平均値よりわずかに多いに過ぎないようだ。その清原の約2倍の比率で死球を食らっていたのが、グレック・ラロッカ選手で、22打席で1回の死球を受けている。

しかし、実はもっと上がいた。それがキンケード選手。

日本でプレーしたのは1年間だけで、2004年には102打席で12死球を得ている。約9打席に1回の割で痛い思いをしている。

どうも、彼は日本に来る前年にもドジャースで16死球を受けている。

軍人には向かない。