ご神木が損傷

2018-10-02 00:00:26 | おさんぽ
台風24号の来襲により風速40メートル以上の風が午前1時頃から吹き荒れたのだが、おかげで朝から野良仕事をしなければならなかったのだが、聞こえてきた話では、「ご神木が折れた」ということだった。ご近所にある大地主の敷地内にカヤの老木があって、ごく一部の人は『ご神木』と読んでいる。

すぐに行きたかったが、自宅の方の片づけが先であるわけで、やっと終わってから行くと、すでに折れた部分は片付けられていた。二本のカヤのうち一本の樹頂部分が避雷針のように突き出している。そこが折れたのだろう。根元から折れたわけではない。

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二本とも幹は1メートル弱ということで、以前、地主さんと話していたのだが、樹齢は不明と言うことだった。カヤといえば碁盤、将棋盤にすれば桁外れの大金になると、その時に教えてあげたのだが、80センチでは厚い盤はできないかもしれないが、当の地主さんは、神木なんて思ってもなく、切り倒した時のソロバンを計算していて、やはり、切り倒すのはやめたようだった

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ところで木が倒れたわけではなく、てっぺんの一部が折れた位で、天罰が落ちるのかということだが、そうなると、変な記事を書くと、このブログ(いやブログ作者)に天罰が下る可能性すら感じる。

しかし、周りを歩いてみると、地主さんの所有地の一角(一応、果樹園)が、住宅開発会社の手で住宅地として売られる準備が進んでいるわけだ。4軒程度と思われる、おそらく、その天罰なのだろう。その宅地に家を建てる方が、まとめて天罰の面倒を見てくれるべきだろう
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目の錯覚風の病院

2018-07-11 00:00:49 | おさんぽ
みなとみらい地区を散歩していると、本来は職住近接型の空間を意図していたことがわかる。しかし、開発から20年以上経っても、まだ空間が多い。実際には、日産や富士ゼロックスのような企業もあり、高層マンションも建っているが、マンションの住民は都内の会社に通勤し、企業のオフィスに通勤する人は都内や川崎あたりから通勤する。勤務先や住居というのは、急には変えられないものだ。

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そして、地区内を歩いてみると、奇妙な建物が目についた。なんとなく建物の一角が倒れかけているように見える。地震発生確率が高い場所で、かつ関東大震災では都内以上に破壊された場所なのだが、大丈夫だろうか。

建物は、『けいゆう病院』となっている。昔の警察病院だ。20世紀の前半は、国内にも暴力が蔓延していて、警察官の負傷が多かった。警察に逮捕される時や逮捕された後に負傷する人間も多かった。そういうことに備えるために横浜山下町(中華街の近く)に1933年に病院が建った。

その後、1995年にみなとみらい地区に移転し、名称もひらがなになり、警察関係者ご用達に留まらず、地域中核病院になった。

20年以上経過し、現在有名なのが、無痛分娩らしい。そして精神科が充実しているそうだ。

で、例の倒れかけて見えるデザインだが、設計は「伊藤喜三郎建築研究所」だそうだ。主に病院の設計を手掛けていて、100ヶ所以上設計しているようだ。アメフト監督が急病によって逃げ込んだ日大病院もその一つである。実績の画像群を調べたが、傾いたような外見の建築物は一つもなかった。ここは実験作だったのだろう。

そして、『けいゆう病院』のコンセプトは、ホスピタルリゾートということらしい。ベイサイドリゾートホテルのような環境を提供し、病院を気分転換装置と位置付けているとのこと。

心労で入院したアメフト監督もこちらの病院の方がよかったかもしれないが、「警察」というコトバを恐れたのかもしれない。

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ところで、この散歩の5日後に浅草で将棋大会があったのだが、『台東館』という変わったデザインの建物で、柱のない広い空間が開催場所だったのだが、その建物が同じく「伊藤喜三郎建築研究所」の設計だったことがわかった。大スパントラス無柱構造ということらしい。新設にしては床材がボロイと思ったのだが、1969年に竣工した建物を2015年にリニューアルしたそうだ。
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浅草寺で祈る

2018-07-08 00:00:02 | おさんぽ
先日、浅草の浅草寺(せんそうじ)から徒歩3分の場所で、大規模な将棋大会があったのだが、会場に少し早く着いたので酷暑の中ではあるが祈願に行くことにした。思えば、愛用の帆布製の鞄店である「犬印鞄店」の製造所兼直売所に行くために、浅草寺の門前を歩いたものの仲見世の途中で空腹になって食事に行ったり、つい不義理をしていた。

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境内に足を踏み入れたのは何十年振りだろうか。外国人ばかりだ。カメラは日本製ばかりだが。

五重塔も本堂も美しい赤色で、思わずお賽銭もはずんでしまった。

将棋大会の前の祈りと言えば、『必勝祈願』が相場だろうが、違うのだ。『本日一日、酷暑の中、倒れずに、団体戦の一員として最後まで(四局)席に座っていられるように』といたって軟弱なのだ。

そもそも、武士の必勝祈願とは、戦いの前には神社に行って悪霊を祓ってもらい、戦いの後、運良く生き延びた場合は、寺院に行って殺害した敵の魂を、さっそく慰霊して封じ込めることとなっている。それなら、将棋大会が終わってから敗者への慰霊のために浅草寺に行けばいいのだが、一勝もできなければ、弔うべき対象が自分自身になってしまうわけだ。

しかし、あまりの暑さと五重塔の見学などしているうちに方向を失い、目的地と逆方向(つまりいつもの鞄店方向)に歩いてしまったわけだ。

ところで、浅草寺は歴史を遡ると推古天皇の時代に開山されたそうで、江戸(東京)では最古の寺院だそうだ。実は、上に書いたことと矛盾するが、源頼朝や徳川家康は浅草寺で必勝祈願をしたそうだ。ただし、その直後の戦いで勝ったかどうか定かではない。

江戸時代では徳川綱吉が上野の寛永寺を本寺とし、浅草寺を格下の支寺としてしまった。犬に関係があるらしいが詳細不明。幕末の動乱で彰義隊が寛永寺に立て籠ったこともあり明治になりやっと寛永寺の支配から逃れることができたようだ。
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長寿の裏側のヘビイチゴ

2018-05-29 00:00:34 | おさんぽ
男性長寿の市区町村のベスト10に、川崎市宮前区、横浜市青葉区、横浜市都筑区と田園都市線上の3区が並んだ(都筑区は田園都市線から乗り換え)。様々な根拠の乏しい意味付けがなされているが、そもそも昭和40年代まで人口希薄地域でTIBETと呼ばれていたぐらいで、現在亡くなっている人は、別のところから来た人なので、もっと後天的な理由なわけだ。

簡単に言うと、丘陵地を開発したため、「坂が多い」こと。もっというと「坂しかない」と言ってもいい。坂道で足腰が鍛えられているから、病気になった時の耐久力があるということではないだろうか。また、横浜市は腰痛の少ない市と言われている。もっとも既に腰痛の人が治療目的で横浜に引越ししたら悲惨なことになるだろう。治ることはない。腕のいい医者が少ない上、とんでもないヤブもいる。

そしてT高原の中に街を造ったため、表通りを一歩踏み間違え裏道に迷い込むと、そこは昭和初期だったりする。江戸川乱歩の世界だ。

ということで元T高原の自宅近くで、気になる小路があり、歩き始めると小さいながら生えっぱなしの森があり、曲がりくねった道を登ると新しくはない洋館や時代めいた国産車が車庫に眠っていたり、そしてちょっとした草むらの中に、おいしそうな野生のイチゴが群生していた。

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もちろん、周りに人気がないとはいえ、誰かの所有地であることは間違いないし、イチゴを口にする窃盗罪の前に不法侵入罪が追加されるだろう。といっても食べてみたいなと思ったりする。邪心と理性の戦い。アメフトみたいだ。

しかし、この時、「ヘビイチゴ」という単語の啓示があった。つまり、ヘビの食べ物であるということか。つまり蛇がいるということ。ということで、イチゴはなかったことにして通り過ぎる。

後日、調べてみると、ヘビイチゴを食べにくる動物を狙って蛇が待ち伏せしていることからの命名らしい。私ももう一歩イチゴに近づいていたら全身に絡みつかれて餌食になったかもしれない。理性の勝利だ。
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近代街路樹発祥之地で考えたこと

2018-05-10 00:00:14 | おさんぽ
横浜を散策した。桜木町から、ほとんどの観光客は人の波に流され、海の方に向かう。左の方がランドマーク方面。右の方が赤レンガ倉庫方面だ。

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通は全然違う大江橋を渡る。橋の上はランドマークの絶好の撮影場所である。歩く人はほとんどいない。そのまままっすぐ歩くと地下鉄の関内に行き着く。関内から海岸に向かっては馬車道と呼ばれ、明治時代には馬車が往来する大通りだった。

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そこに1本の碑が立っている。実は、横浜には「一本の碑」が数多くある。「○○発祥の地」である。本当は碑が立っていない、つまり発見されていなかった「発祥の地」を探り出すことが最高の楽しみなのだが、この「街路樹」というのは、ちょっと大丈夫だろうか。日光杉並木とか箱根杉並木とか有名だが、ここでは「近代街路樹」と差別化している。

1867年となっているのだが、それは明治元年ということになるのか、慶応3年なのか。既に開港していた横浜には商店街があり、この馬車道に柳と松の街路樹を植えたということだそうだ。

となると話が終わるのだが、そうはいかない。

馬車道で有名なのはガス燈である。1872年にガス燈が建てられ石炭ガスが夜の街並みに明りをもたらした。企業化したのは高島嘉右衛門という実業家。彼のことは弊ブログ2005年4月22日『維新のホリエモンか平成のカエモンか』に詳しく書いたので詳細は省くが幕末から維新への大企業家の一人であった。

ところが、実はガス燈発祥之地の栄誉を受けているのは、大阪にある桜で有名な造幣局なのである。1871年、つまり横浜の1年前に造幣局の中にガス工場とガス燈があったそうだ。実は理由はよくわかっていない。造幣局が東京ではなく大阪にあることの理由もわかっていない(有力なのは、薩長は当初は首都を大阪にするつもりで、準備を進めていたという説らしい)。

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造幣局に行った時には気が付かず、当時の画像を調べると、ガス燈の部分写真が見つかった。そして、銀座のガス燈は1873年完成。つまり、大阪→横浜→銀座と毎年完成していったわけだ。もちろん電灯が普及するとすべて夢のようになくなってしまった。


つまり、馬車道では街路樹が植えられてから5年後にガス燈が点灯したことになる。思うに、樹木が伸びて道が暗くなったからなのだろう。

その解決策は、大きく3パターン。

1.樹木を切り倒す
2.警戒を強化する
3.街路に明りを灯す

もっとも、先進的な方策を選んだわけだ。明治6年。若い国『日本』。
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銀座ガラス建築ツアー

2018-04-11 00:00:21 | おさんぽ
世界最大級のガラス会社が知名度アップも兼ね、特にガラス建築が多い銀座通りを中心として見学ツアーを企画している。といってあくまでも建築物の見学であって、その建物の中でブランド品や宝石やその他、何の取引が行われているかは見学対象ではないし、早い話がビルの中には入らないわけだ。

そして、銀座通りを京橋から銀座四丁目交差点に向かって進む。歩行者天国なので道の中央を歩く20人位の奇妙な行進が始まる。レシーバーをヘッドフォンで聞きながら右や左をキョロキョロ見ながら歩く。途中で高校の同級生とすれ違うが、立ち話をするわけにはいかない。電波が届かなくなると大人の迷子となる。

ところで、ガラスにとって最も大敵が地震だ。巨大地震が襲った場合、ビルの窓ガラスは尖った凶器のように地面あるいは地面にいる人間に突き刺さるのだろうか。

実は3種類あるそうだ。1つ目は割れない構造を持つビル。本体構造とは切り離し、ガラスだけが釣られていたり、緩衝材で支えているようなケース。2つ目は、自動車のフロントガラスのように衝撃で粉子状に砕けるケース。そして3つ目は、旧来型のビル。数十メートルの高さから槍衾(やりぶすま)が大谷選手の打球のような速さで地上に落下。プロがよく見ると、違いがわかるらしい。

当日、見学するのは、無論のこと、落ちなく割れないガラスである(ただし、ビルそのものの設計強度を超える強度は考えていない。ビルが倒れたらガラスは壊れることになる。)。

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ツアーの最初は、「KIRARITO GINZA」。ガラスのカーテンウォール方式。ビル本体の外側にガラスの壁が吊り下げられる。最近は多くがこの方式になっているようだ。ガラス面にアルミを霞状に吹き付けてある。

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次は、「POLA」。三階にはMUSEUMもある。入り口に和風の暖簾がかかっている。本題とは関係ないが、会社の大株主の遺産相続で不明朗な事件が表面化しているようだ。ビルをガラス張りにしても、帳簿がガラス張りになるわけではないようだ。

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「銀座YOMIKO」。点支持構法、ガラスカーテンウォール、ガラス床とふんだんにガラスが使われている。一階がブランド店で上階はオフィスビルだそうだ。なんとなく床がガラスのビルというのも怖そうな感じがある。

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「ティファニー・伊東屋・ブルガリ」。ガラスビルが三本並んでいる。ティファニーは一枚一枚のガラスの傾きが異なっていて、特に夜間の景観がドラマティック。設計者は後に国立競技場を手掛けることになる。伊東屋ビルは3本の中ではもっとも幅の細いビルで、ダブルスキン方式といって、壁とガラスの間に空間があり、熱効率に優れている。細長いため倒壊防止の為に五重塔と同様の心柱方式が使われている。ブルガリは世界各国の店舗の中で銀座タワーが最大面積だそうだ。モダンエレガントというコンセプトだそうだが、個人的にはブルガリがエレガントなのだろうかと考えてしまう。なお、伊東屋とブルガリの高度は56mと中央通りの制限高度いっぱいである。

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「MIKIMOTO」。MIKIMOTOは銀座に二つのビルを持つ。ガラス張りの方の第一ビルの細かなデザインは、三重県英虞湾のさざ波をイメージしたのだろう。第二ビルの方はマロニエ通りに面し、壁にランダムな開口部が散りばめられた大胆な前衛的なデザインである。空爆を受けた後のガザ地区の病院のようにも見える。

昨年、メラニア大統領夫人を昭恵首相夫人が連れて行ったのは第一ビルの方だが、真珠を買わせることで真珠湾攻撃を帳消しにしようとした日本政府の策略を見破り、買い物はしなかったそうだ。断る勇気を首相夫人に教えようとしたのかもしれない。単にホテルに財布を忘れてきたのかもしれないが。

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「東急プラザ」。銀座の入口ににぎやかなデザインのビルがある。この形は「江戸切子」がモチーフだそうだ。光の器がコンセプトで、多様な文化、人、コト、情報を器に入れ、創造的な発信をしようと意図している。この建物の裏にあるのがアルマーニ小学校。

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「東京国際フォーラム」。銀座から少しははみだすが、旧都庁の跡地にあるコンベンションセンター。半分がガラス張りの建物である。設計段階で問題になっていたのは、構造上、温室そのもののため、冷房をどうするかという問題。ガラス棟の方は空間が大きく、ビルの収益上の付加価値が低いということもあり、地上の人間がいるところだけに冷気を吹き出すことにしているそうだ。一階には太田道灌像があり、最上階には中華料理店がある。

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ツアー終了だが、ガラスとは関係なく番外で気になるビルがあった。銀座一丁目の田中貴金属店。「金取引の代表業者」だ。ビルの上階部を金網で囲っているように見えた。思うに防犯上の理由なのだろうか。
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タンポポにも国籍問題?

2018-04-10 00:00:49 | おさんぽ
有名女性テニスプレーヤーが日米二重国籍ということで、数年後にどちらかを選択するらしい。今のところ、日本がいいと思っているようだが、根拠は「日本食の方が好き」ということらしい。ただ、日本語を話すのが得意ではないということらしく、最終的には微妙だ。

ところで、タンポポの話のマクラに妙なことを書いたのだが、日本で普通見るタンポポだが、ほとんどが黄色の花を咲かせる。そして、綿のような種を作り、風が吹くと一斉に天高く飛んでいき、自己増殖を図る。

ところが、白いタンポポというのも僅かに存在する。黄色と白の比率は99対1位ではないだろうか。

よく、白いタンポポは日本の在来種で、黄色の花のタンポポは西洋伝来と思われているが、そうではないわけだ。

白いタンポポは日本種であることは正しいが、黄色のタンポポは日本種もあれば西洋種もあるそうだ。つまり白タンポポは孤軍奮闘しているということで、いつか、この世界から消えてしまうのかもしれないのだ。

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ところが、自宅近くの丘陵公園には、かなり白タンポポが咲いているわけだ。といっても、黄色の方が多いが。しかし、白タンポポが多いというような話は聞いたことがなかったので、私が最初の発見者だ。「シロポポ公園」と勝手に名付けておこう。

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そして、世界を白タンポポで埋め尽くすために、この白タンポポの種を集めて、自宅のプランターで栽培してみようかと思案中である。かなりの量の苗が手に入るだろう。タンポポの根は結構太くて長い。栽培した苗をあちこちの公園に植えておいて、少しずつ白タンポポの増殖を行うことにより目標として20年後に世界中に白タンポポを普及させようと考えてみよう。

とはいえ、この計画には大きな問題があるわけだ。

タンポポは、雑草なのだ。
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桃畑に異変

2018-03-28 00:00:15 | おさんぽ
近所の立派な桃畑が一斉に開花した。

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桜と比べて桃は、花の咲いている期間は長いし、うまくやれば桃の果実を食べることもできる。1年に二回の恩恵を与えてくれるのだが、逆にパッと咲いてパッと散るのが桜の良さという意見も根強い。

しかし、毎年ながら美しい桃畑だが、なんとなく例年より花のボリューム感が少ないような気がして、周囲を歩いてみると、4分の一つ程度の部分について、樹木ではなく切株に変わっていた。

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思い起こせば、手入れに余念のなかった老年の男性と連れの老犬をいつの頃か見なくなっていたように思える。ということは、・・

何の根拠もない想像だが、その老男性と老犬の身に何らかのFACTが起こり、例えば遺産相続というような事態が発生し、その土地の1/4を相続した人物が、売りに出すために切株にしたとか、買った人物または法人が切株にしてしまったのではないだろうか。

実は、相続で手に入れた土地をすぐに売却しても税率39%の短期譲渡所得にはならず、20%の長期(被相続人と通算)譲渡所得になる。売価から取得価額(不明の場合は売価の5%)と売却費用を引いて20%ということなら少なくても1000万円以上は納税したのだろうか(バブルの時に購入して、大損が確定したのかもしれないが)。

自分の土地ではないので、何の権利もないのだけど、せめて花の季節が終わってから切株を見たかった。

枝に手が伸びそうになったが、自重する。相撲取りなら速攻だろうが。
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皇居乾通り一般公開でお花見

2018-03-27 00:00:53 | おさんぽ
3月24日から4月1日の9日間にわたり皇居乾通りが公開される。皇居を東京駅の方から見ると右手の三分の一は皇居東御苑といって、通常公開されている。江戸城があったのはそちら側だ。一方、御所や宮内庁のある左側は深い森に包まれている。で二つのエリアは堀によって隔てられているのだが、その御所側の東御苑との間の濠に沿って乾通りと呼ばれる道がある東京駅側が坂下門で北の丸公園側が乾門である。乾門といっても門番に犬がいたのではなく、乾の方角、すなわち西北ということだ。

平成26年、28年、そして今年と1年おきに公開されている。ある意味、身分の低い人民に「天皇の庭のほんの一部をみせてあげよう」とも考えられる。

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ところが、急に春めいたため公開初日がソメイヨシノの満開日ということになったため、あわてて大勢が集まったという感じで、千代田線の二重橋前(丸の内)駅から坂下門まではゾロゾロと牛歩戦術になる。停まったり進んだり。30分以上並ぶ。ところが、宮内庁のHPには現在の混雑情報が公開されているのだが、坂下門での待ち時間は10分と書かれていた。フェイク・ニュース。

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そして、ソメイヨシノは桜の一部で他の品種の桜がそろっているため、既に散った桜もあれば満開もあるし、まだツボミ状態の桜もある。

実際、桜は御所側だけでなく東御苑側にも多く生えていて、東御苑はお弁当やドリンクの持ち込みも可能である。注意事項にはビールの事は書かれていないが常識なのだろうか。入場に際しては手荷物検査があるが、缶ビールが見つかった場合は、「御苑内では飲みません」というか「アル中なので、飲まないと体が震えるのです」と説明すればよいらしい。
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富士登山(ただし川和富士)

2018-03-07 00:00:18 | おさんぽ
自宅から30分ほど歩くと(つまりクルマで5分強)、田畑の中に富士山がある。通称川和富士。この富士山は江戸時代中後期に流行した富士信仰に基づくものとされているのだが、あまり確かな情報ではないらしい。山を登るのに2分程度で、天気が良いと本物の富士山が眺められるはずだが、春霞に丹沢山系すら見えない。

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頂上から眺めた景色だが東側、北側、南側の三方は住宅街で、この富士山より高いマンションが東京方面や横浜港方面の視界の邪魔になる。残るは西方で、こちらはまだ日本のTibetと呼ばれていた頃の面影が感じられる。


ところが、こんもりと浮き上がった島のような丘を無残に切り裂いた緑色の施設がある。どうみてもゴルフ練習場だ。(無残と書いたが、自分も行ったことがある。確か150ヤード程度の長さだ)

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そして、なにげなく30秒ほど眺めているうちに不意に思ったのだが、丘の形や、その存在の突然性が何か不安な気持ちをかきたてたのである。

どうみても、古墳のように見える。もっともゴルフ場も古墳も地面に穴をあけて「玉」という字で表す「ゴルフボール」または「玉体」を沈めるのだから、同系列の場所ともいえるのかも知れない。


見ているだけでは、それ以上真実に近づけないので、帰宅後にまず、ネット周りで調べると、まず近隣には三つの富士山があり、この川和富士と山田(やまた)富士、そして池辺(いこのべ)富士の三つがあり、池辺富士は別名「富士塚古墳」ともいわれるらしいが、古墳である証拠はないとのことらしい。つまり登った川和富士自体が古墳の転用で富士山に見立てられた可能性すらあるわけだ。


後日、博物館で調べると、古墳はこの近くでかなり見つかっているのだが、多くは開発に伴って邪魔になり、発掘調査を行った後に宅地になるようだ。3世紀頃の歴史は実際にはよくわかってないし、関東の古墳は大人物ではなく中人物クラス(地元のボス)の墓なので、現代では、詳しく調べる動機もなくおカネもなく調査員もいないということだろうか。

ゴルフ練習場の森も豪族か中央政府の小役人の墳墓だった可能性が高いような推察をしておこう。近くには税務署もあるし。
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早渕川(または早淵川)の生物

2018-02-28 00:00:42 | おさんぽ
早渕川は不思議な川なのである。源流は東急田園都市線の多摩ぷらーざ駅近くの湧き水という小さな一筋なのだが、わずか数キロで大きな川になる。さらに温泉で有名な綱島付近で鶴見川と合流して一級河川となるが、この鶴見川も山からの川ではなく湧き水が源流だそうだ。そして合流部が狭いので、大雨の時に合流部で何度も堤防を水が越え家屋浸水を繰り返している。

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ところで、この早渕川に黒い鳥が現れたという話があった。黒い鳥と言ってもカラスではなく、川鵜ではないだろうか。長良川の鵜飼いが有名で、小魚を飲み込んでくれるのを人間が横取りする猟法だ。岐阜に行けば木曽川で体験することができる。なお、乗り場の隣は高橋尚子マラソンロード。

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ということで、川鵜を撮影する(あるいは捕まえて喉を締める)ためにカメラを持って行ったが、不発だった。別の鳥を撮影。椋鳥とか鴨。いかにも地元の人に聞くと、鵜は鶴見川の合流点に住んでいて、時々飛んでくるとのこと。二つの川の水が集まるところに巣を作るというのが狡猾だ。水系が異なれば魚種も変わるだろう。グルメ志向だ。

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ところで、鵜が食べるには大きすぎる40センチ超の鯉がうようよと泳いでいるわけだ。

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代わりにカメが甲羅干しをしているが、アマゾンアカミミガメだ。簡単にいうと、ミドリガメ。

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そして真打はネコ。何を狙っているのだろうか。近づいていったのだがシカトされた。
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子育て地蔵

2018-01-30 00:00:48 | おさんぽ
自宅から散歩圏にある早淵川の堰のそばにお地蔵様を発見。通常、地蔵尊といえば路傍にたたずむことが多いが、木造の建物に入っている。入り口には木製の柵があるのは、「地蔵泥棒」がいるからだろうか。返してくれない国もあるし。

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通称、「堰の地蔵さま」と呼ばれていて、子育て地蔵と呼ばれていたようだ。七五三とかお宮参りの後、合わせて参詣したそうだ。神道の後に仏教。日本古来の宗教スタイルだ。このあたりに住んでいたのは百姓だけだったのだが、明日を信じて自分の子孫の繁栄を祈っていたのだろう。今より健全な思想と思う。

お地蔵様の身長は2m47cm。1723年生まれで、もうすぐ300歳。同年、世界最初の経済学者アダム・スミスが生まれる。時代は吉宗の享保の改革中で、情死禁止令が出て歌舞伎では人情物が禁止になる。
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都筑中央公園の紅葉

2017-11-29 00:00:23 | おさんぽ
自宅から徒歩25分ほどのところにある都筑中央公園で散策する。何か千年の歴史がありそうだが、基本的には港北ニュータウンの中央にある公園というか天然の丘陵を利用して公園化している。それまでは世間から封印された未開地だった。あえていうと古墳時代やその前の時代(弥生時代、縄文時代、石器時代)には集落があったらしいが痕跡は僅かだ。

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首都圏には、多摩ニュータウン、千葉ニュータウン、港北ニュータウンというほぼ同じ位のニュータウンがあって、港北ニュータウンが一番新しいのだが、高齢化が進む多摩ニュータウンに、かなり急ピッチで近づいているそうだ。

ただ、急激に年齢が上がっているといっても、若年者が減るというよりも高齢者が流入しているという奇妙な構造が起きているということらしい。

11月には、主に多摩ニュータウン各地にスーパーを展開する三和スーパーが港北ニュータウンに初進出した。多摩ニュータウンは京王相模原線沿いに横長の長方形型に展開(横15キロ、タテ5キロ)するのに対し、港北ニュータウンはタテヨコが同じような正方形型であるため、多摩ニュータウンでは、中小サイズのスーパーを何軒も横並びに配置しなければならないが、港北ニュータウンでは中心部に大型店を設置すればいいので、コスト的には有利なのだろう。

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紅葉を背景に犬の撮影を行う人が多く、例に倣ってみた。
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銀杏の数より多い人間

2017-11-22 00:00:50 | おさんぽ
先週末、都心のホテルでランチのための待ち合わせをして、新橋から虎ノ門・霞ヶ関方面に店を探したが、ほぼ全店休業状態だった。しかたなく待ち合わせたホテルに戻り、約2倍の料金を払うことになった。通行人も少ないし、人間たちはどこに行ったのだろうと思い、帰りに所用で外苑前駅で降りると、歩道からはみ出すぐらい人間が歩いていた。

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外苑通りの銀杏並木だ。確か四谷の方から歩いてくるとここに出るのだったような気がする。

本当のことを言うと、何が面白いのかさっぱりわからない。実は、自宅の狭い庭に桂の木がそびえていて、大量に黄色の葉を撒き散らしている。それがご近所迷惑にならないように、落ち葉拾いを毎日やっている。数ある庭仕事の中で、もっとも付加価値が低いのがこの落ち葉拾いだろうか。

ということで30mほど歩いて、Uターン。
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固く閉ざされた湯島聖堂の扉

2017-11-21 00:00:53 | おさんぽ
御茶ノ水散策ついでに、湯島聖堂に。名前からいって湯島天満宮の親戚のようだが、まったく基礎となるところが異なる。どちらも学問の関係では入試前にお世話になる方が多いらしいが、最寄り駅も場所もかなり異なる。メトロ湯島駅に近いのは天神様の方で、御茶ノ水に近い聖堂の方は孔子の教え(論語)を研究する場所だ。

受験生はどちらか好きな方を選べばいい。「両参り」と言って聖堂と天神の両方を、道を間違えずに訪れることができると、ご利益として試験会場に道を迷わず到着できる効能があるようだ。

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で、湯島聖堂は江戸幕府が封建制度維持のために孔子の教えがもっとも適当と考えて篤く保護していた。もっとも徳川家は名門とはいえ幕府開府までには、さんざん不道徳なことをしていたのだから、そんなことでいいのかと思うが政治とはそういう面がある。

江戸幕府は、さらに昌平坂学問所をここに開設し、それが後に東京帝国大学につながっていくようだ。教える内容はずいぶん変わった。

湯島聖堂と言うのは、孔子廟がある大成殿のことを指すらしく、入徳門から入り、大成殿の厚い扉を開かなければならないが、残念ながら辿り着いたのは、その扉の前までだった。

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なを、「入徳門」の「徳」の字だが、「徳」と言う字と「德」という字がある。右側の中央に「一」の字が入るか入らないかの差である。湯島聖堂で使われるのは「德」という権威の高い方の字である。徳川家では宗家(将軍家)のみが、この「德」の字を使うことが認められていたのだから、この門を一般人が通るなど、「手討ち」ものだろうか。

なお、敷地内には孔子像が立ち、どこかでもっと大きな像を見たような気がして画像を残さなかったのだが、世界最大とのことだ。どこかでマーライオンと混同したようだ。
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