菜の花畑、見つけ!

2020-04-22 00:00:24 | おさんぽ
毎日散歩をする人が、なぜか増えている。コロナ疲れだろうか。電車に乗って都心に行くと怒られるし、茨城や静岡まで行ってパチンコに興じられるのも、もうすぐ終わりだろう。

ということで、『散歩』なのだろうが、散歩にふさわしい遊歩道は徐々に人口密度が高くなってきた。しかも犬のように急いで歩く人や亀のような速度の人もいる。向かい側から人が来る時は、すれ違いは一瞬なので、10秒ほど息を止めていればやり過ごせるが、同方向に歩く時は、かなり長い時間、近くの空気を共有することになってしまう。

ということで、河原とか農道とかに押し出されてしまっていて、ついに菜の花畑を発見。休耕地のような場所の一角に菜の花畑がある。立札があって、JA神奈川となっている。たぶん契約農家なのだろう。侵入禁止の場所であるわけだ。食用なのかな。あるいは花の鑑賞用なのか。あるいは、菜の花じゃなかったりして。



ところで、菜の花といえば、「菜の花畠に入日薄れ」という『朧月夜』という唱歌が有名で、多くの方が知っているだろう。

菜の花畑に 入日薄れ見わたす山の端 霞ふかし春風そよ吹く 空を見れば夕月かかりて 匂い淡し

里わの火影も 森の色も田中の小径を たどる人も蛙の鳴くねも 鐘の音もさながら霞める 朧月夜

作詞:高野辰之;作曲:岡野貞一、特に岡野貞一氏は苦難を重ねて一流の音楽家になっている。数々の名作を残している。

実は、台湾では女神のように輝いている歌手の中島美嘉さんだが、アルバム『MUSIC』の中で、この朧月夜の後半に葉加瀬太郎作曲、中島美嘉作詞の『祈り』という曲を合体させている。なかなか素晴らしい曲になっている。基本的に、誰でも知っているスローバラードというのは、よほど歌のうまい人でないと歌えない。ごまかせないから、完璧でないといけないわけだ。

しかし、なんとなく感じるのは、彼女は歌手という仕事があまり好きではないのかもしれない。得意だからと言って好きじゃない、というのはどんな世界にもいる。歌手は勝手に好き勝手にアレンジして歌うわけにはいかないし、技術をキープするためには努力をしなければならない。向いていない人もいるだろう。

とはいえ、逆に能力もないのに仕事が好きな人が首相になったりすると、大惨事が起こる。
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小机駅周辺散策

2020-02-24 00:00:00 | おさんぽ
新型コロナウイルス感染から免れたことになっているダイヤモンド・プリンセス号の陰性乗客が先週19日より順次、自由の身になっている。その方法は、市が用意したバスによって横浜駅などのターミナル駅などで公共交通機関によって好きなところに行ってもらうということ。外国人の方は羽田か成田であろうし、国内遠距離の方は新横浜駅だろうし、近距離の方は横浜駅だろう。たぶん政権に配慮し、東京駅丸の内口というのはないだろう。

横浜で言うと、横浜駅から新横浜駅の間を運行する市営地下鉄が、ホットラインになる。しかも、横浜市が用意したバスを運転するのは、市営バスの運転手さんということだろう。通常は路線バスで広い横浜市内を走行しているはずだ。

ということで、しばらくは横浜、新横浜方面、市営地下鉄、市営バスから遠ざかっておくことにするのだが、そうすると不便なことが多い。そもそも天気が良いのに、マスクをして出歩くのが面倒だし、人混みのないところを探したところ、新横浜の隣の駅のJR小机駅の周辺を散策することにした。ある目的物があるのだが、その前に小机のこと。

実際には、何もない小さな駅だったのだが、新横浜駅と小机駅の間に国際競技場ができたことで、小机駅の価値が出てきた。ワールドカップ日本(+韓国)の決勝戦が行われ、ラグビーのワールドカップが行われ、五輪でもサッカーのメイン会場になる。男子決勝はここで、女子決勝は新国立。

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多くの人は、競技場(日産スタジアム)は新横浜にあると認識しているが、わずかに小机の方が近いそうだ。ところが小机は横浜線の駅で都心部にはつながっていない。東神奈川から八王子まで国道16号線と近いところを通っている。横浜線で東急、小田急、京王などとの接点を利用すれば混雑する新横浜駅よりは早くスタジアムに行けるかもしれない。

で、小机の話の前に横浜線の話だが、この線には日本の近代工業の歴史が隠されている。一つのカギは横浜。輸出港だった。今でも1時間に数本は東神奈川から根岸線に乗り入れていて、横浜の先、桜木町まで乗り換えなしで行ける。一方、横浜線は北に向かっていくと相模原を通り、八王子に到着するが、実はさらにその先に八高線がつながっていて、高崎まで一本の線が通っていることになる。つまりシルクロードになっている。高崎の生糸を横浜へ。そして世界各地に向かっていた。逆にインドの綿花が横浜から北上し、綿工業が北関東に拡大した。国道16号線も同様の陸路だった。


さて、高架の小机駅から地上に降りていくと階段に巨大な看板がかけられている。少しめまいがおきた。

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RUGBY WORLD CUP 2019 JAPAN  2019年9月20日開幕!


チケット情報として、発売日や購入用のチケットサイトのURLが記載されている。今すぐIDを登録しようと書かれている。

なんとなく、いままでの記憶の中では、今が2020年で、妙な疫病が流行していて、半年くらい前に、日本チームにはリーチ・マイケルというラグビーの神様が降臨し、リーグ戦を突破したような記憶がうっすら残っていたのだが、単に長い夢だったのだろうか。疫病にかかって、時間の感覚が狂い、長い長い夢から覚めたところなのだろうか。そういえば駅の回りは田園地帯で畑だらけ。見えている競技場は昭和の東京オリンピックのためだろうか。

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そして、小机には立派な禅寺があった。金剛禅寺という。同様の名称の寺は鎌倉はじめ各地にあって紛らわしいが、由緒のある大寺院である。名物は山門前の駐車場に立つ白い小僧の像。ほうきを持っている。禅寺なので、何か意味があるはず。おそらく山門をくぐる人間たちに、「おまえらは、チリのような存在だ」ということを知らしめるためだろう。「チリ」は小さいが人畜無害。だが「ウイルス」はやっかいだ。見えないほど小さく、ほうきでは退治できない。
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江戸歌舞伎発祥之地

2020-01-12 00:00:15 | おさんぽ
京橋の中央通り沿いに、「京橋大根河岸青物市場跡」の碑と並び「江戸歌舞伎発祥之地」という石碑が並んでいる。見ただけで歌舞伎の碑の方が市場の碑より三倍くらい立派だ。スポンサーの違いだろう。寛永元年(1624年)に猿若(中村)勘三郎がこの地に猿若座を建てたのが江戸歌舞伎の発祥とされる。



場所についてだが、調べていると「日本橋と京橋の間にある中橋に猿若座があったが、碑はこの場所に建てた」と書いてあるものがいくつかあるが、古地図で調べると日本橋と京橋の間には川や掘割はない。そもそも銀座線の駅が混乱を招いているが、日本橋というのは今も立派な橋が架かっているが駅は橋よりも中央通りの南に下った方にある。一方、京橋の駅(交差点)は実際の橋だった京橋より少し北に上がったところにある。ちょうど碑がある場所が京橋だった。そこから中央通りを直角に山手線の方に曲がる道(今は首都高になっている)は江戸時代は外堀から八丁堀に抜ける水路であった。外堀から京橋に流れる水路の途中に中橋が架かっていた。その水路の北側に大根市場があり、南側に猿若座があったことになっている。

*ここで余談1だが、現在の京橋交差点だが、その一角(AGCスタジオ)あたりに畠中恵著のしゃばけシリーズの本拠地の長崎屋があったとされるが、漢方薬と海産物の問屋だったはずだが、上に書いた通り、現在の京橋と実際の水路はずれているので、海産物をどうやって陸に揚げたのか疑問が残る。

余談2。幕末の西郷×勝会談。勝海舟は血気盛んな幕軍の中を通って三田にある薩摩屋敷に行ったというのは不自然と思っていて、会談に使われたのは薩摩藩が持っていた裏口が海に面した蔵屋敷だったこともあり、江戸城から船に乗ってむしろを掛けて隠れて水路を使って海から三田に行ったのではないかと考えている。ちょうど、京橋の下をくぐっていたのだろうと推測。


ところで歌舞伎は阿国(出雲出身)が「かぶき踊り」を創始したことによるとされ、関ケ原の戦い以降、急速に全国に広がり、江戸でも江戸城内で阿国が上演した(1607年)ことになっている。発祥の地である京都には、阿国歌舞伎発祥の地の石碑がある。

一般に阿国由来の歌舞伎は遊女歌舞伎と言われ、遊女多数が出演したり、題材が性愛中心だったこともあった。阿国は女性だが男性の役を演じ、その男役の妻を演じるのが男性だったり、倒錯の世界が売り物だった。

一方で、若衆歌舞伎というのは、すべて男が男役も女役も演じるもので、現代までつながっているのだが、創始期は若手役者は男娼を行うことが必然とされていた。

実際には江戸時代のそうした黒歴史は資料も乏しく、詳細を明らかにするのは困難だそうである。結局、すべて男が演じる歌舞伎とすべて女が演じる宝塚とあまり倒錯的ではない奇妙な分類が生じているわけだ。
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大根河岸市場とは

2020-01-05 00:00:27 | おさんぽ
東京駅から八重洲側に直進すると京橋交差点がある。その近くに大きな石碑がある。こう書かれている。

岸河根大橋京
跡場市物青


アラビア語のように右から左に読む。日本では戦後、いつの頃か横書きは左から右に読むようになった。ただし縦書きは、行が変わると右から左に進み、2ページ目は左から右へページを開く。不思議な国民だ。

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で、この碑文だが、黄色の文字できわめて読みにくい。画像を撮影してから色調転換して読むと、江戸=東京の市場の歴史が書かれている。

まず、寛文(1661年~1673年)の初めの頃、今の数寄屋橋のあたりに数人が寄り集まって、野菜類の市を開いたそうだ。おそらく町人と武家の両方が便利な場所だったのではないだろうか。宝くじ売り場のあたりかな。その場所でかなりの規模に拡大したようだ。

ところが、江戸は火事が多い。幾度かの大火のあと、場所を移転しようということになる。選ばれた場所は、東海道の起点に近く交通量が多く、また水運のある場所として、京橋川北岸の紺屋町と定まり、問屋37、仲買17が集まる。これが人呼んで「大根河岸市場」だ。

そして、経つこと200年、明治10年に近隣の小規模市場も集まることにより政府公認の大市場となった。関東大震災の後にも復興するも、昭和10年に中央市場法の実施にあたり、国家の要請によりやむなく築地市場に移設されることになり、300年の歴史を閉じた、ということだそうだ。

ということは築地にもいずれ、石碑が建つのだろう。数寄屋橋、京橋、築地と移転した江戸=東京の市場は、来るべき大震災にそなえ、有明への移転を英断していて本当に良かった。というような内容だろうか。

なお、石碑の下の僅かな地面には、さえない草花がまばらに植えられているが、大根や白菜、人参、葱などを植えるべきではないだろうか。
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SHIBUYA SKYから見下ろした風景

2019-12-17 00:00:00 | おさんぽ
遅まきながら、渋谷駅そのもののような渋谷スクランブルスクエアの最上階と屋上から地上を展望する。230m、47階だ。特に屋上はオープンエアで転落防止用のアクリルボードで周囲が囲われているが開放感が高い。同様の趣向は大阪の梅田スカイビルの空中庭園にもある。確か40階位だったか。東京的なSHIBUYA SKYと大阪的な空中庭園。それぞれ個性的で比べようがない。



最初に、国立競技場のこと。紆余曲折の結果、やっと完成して公開されたのだが、上から見ても下から見ても屋根が大きい。当初のプランでは開閉式の屋根が付いていて高額ということだったが、すでに大きな屋根が付いてしまった。全部塞ぐのは、あと少しという感じなのだが、なんとなく中途半端な感じがする。そのうち、屋根を付ける話になるような予感がする。



ハチ公前のスクランブル交差点はよく見えるが、なにしろ距離があって詳しくは見えない。横断している人たちの数が多いのか少ないのか、確証がつかめない。交差点に向かって多くの道が下り坂になっている。しかし、本当に乱雑かつ無秩序にビルが立て込んでいる。そういえば青山通りに近いタワーマンションの30階以上の高層階に住んでいる人に、「即位パレード」のことを聞いたのだが、小さすぎて良く見えなかったと言っていた。



東京タワーとスカイツリー。高さは倍くらい違うのだが、遠近法によって、渋谷から見ると同じような大きさに見える。東京タワーもリフレッシュしたそうだ。色々と心配になる。どちらも経営的にも物理的にも倒れないことを期待するしかない。



そして、渋谷川。近くに渋谷ストリームという複合ビルが完成したため、この川のドブの匂いが話題になっている。水も黒っぽい。実は、渋谷川といって、一つの水源は新宿御苑である。そして、もう一つの水源は明治神宮の奥の方から続く。この西側の水流だが河骨川という物騒な名前が付けられているが、戦前はのどかな小川だったそうで、童謡『春の小川』のモデルだそうだ。

ところが、戦後の高度成長時代に、都内の下水整備が必須になり、窮余の一策として小さな川をそのまま下水にしようということになった。とんでもない話だ。その犠牲になったのが、この渋谷川だ。渋谷から上流になる二つの流れは、どちらも蓋をつけられ暗渠となり下水が流れ込む川となった。こうして一見、東京は近代化した町を装うことになる。暗渠化したのは1964年。そう、東京オリンピックの年である。
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湯島天神の絵馬の不思議

2019-10-13 00:00:44 | おさんぽ
湯島天神に行くと、かわいらしい牛の像がある。通称「撫で牛」と言われ、自分の体の悪いところと同じ牛の部位を触ると病気が治ると言われる。左掌の腱鞘炎を治したいが、牛が臥せていて左前脚は折りたたんで体の下にあるので触れない。また角からしてオスの牛だろうが、精力減退を治そうと思っても、重要な部位は体の下にあって、触れない。背中を触って治りそうな病気は、ぎっくり腰だろうか。



なぜ天神様に牛かというと、菅原道真公は牛をこよなく愛していて、自分が亡くなった時には、遺骸を牛にひかせて、牛が立ち止まった場所に埋葬するように言い残したからだそうだ。

ところで、湯島天神と言えば、学問の神様(つまり菅原道真公)といわれるが、実際には受験の神様となっている。試験の前には多くの成績不良者が参拝に行き、「無理なお願いであるのですが、○○学校の入学試験に合格させてください」と無理なお願いを絵馬に書いて願掛けする。また、一部の成績優秀者も「まさかと思いますが、成績不良者を無理やり合格させないでください」と願をかける。

この「入学試験」という部分を「資格試験」とか「入社試験」、「TOEIC何点」とか書き換えれば絵馬が完成する。神社も、絵馬に、「    」に合格しますように。氏名「   」。とあらかじめ印刷しておくと親切かもしれない。さらに親切なら、1.入学試験、2.入社試験、3.資格試験、4.その他試験 と具体的に分類を書いて、該当する番号に〇をつける方式でもいい。



実際に境内の一角に集められている絵馬だが、本来、人の心の中の多様性(本心)を勉強するには良い場所なのだが、湯島天神では病気快癒とか恋愛成就とか将来の夢とかそういう面白いものはまったくないわけだ。すべてが、「合格させてください」なのだ。

ふと気が付くと、「合格御礼」の絵馬は、どこを探しても一枚も見つけることはできないのだ。



境内の一角にはガス灯が立っている。都内で唯一の現在使われているガス灯だそうだ。明治の作家である泉鏡花が代表作『婦系図』の中で、湯島天神のガス灯について書いた一文に由来して昭和56年に設置されている。なお、本物の明治のガス灯は大阪の造幣局内に明治4年のものがあり、横浜の本町小学校内に明治5年のものがある。
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肥後細川庭園の森博志さん。

2019-09-08 00:00:09 | おさんぽ
護国寺や腰掛神社などを案内していただいたのは文京区のボランティアガイドさん(女性)。コースの最後は都立『肥後細川庭園』。2017年に、都立『新江戸川公園』から改名した。旧田中角栄邸の隣で細川家のお宝を管理する永青文庫と敷地がつながっている。都知事は以前、日本新党にいた縁で細川元首相とは懇意なのだろう。次の知事選挙では自民党推薦の元背泳選手が対抗馬のようなうわさが流れている。



つまり、元々、この場所は細川家の藩邸だったわけだ。肥後細川家は大藩なので、江戸市中に上屋敷、中屋敷、下屋敷二か所を構えていた。上屋敷は現在の東京駅の丸の内側の北側、オアゾとセンタービルのところにあった。正妻が住んでいて、江戸城に出向く時はこの屋敷を使っていた。中屋敷は現在の白金高輪駅の近くにある高輪皇族邸(旧高松宮邸)の場所。上皇がいずれ移り住むことになっている。実は細川中屋敷には大石蔵之介他16名の赤穂浪士が預けられ、藩邸内で切腹している。本来、中屋敷は藩主の隠居した父親とか仕事をしない人が住むことになっていた(小藩では中屋敷がないことが多い)。

また下屋敷は二ヶ所で、中央区の浜町公園の場所と、この文京区の神田川北岸である。パンフレットにも江戸時代の地図として肥後藩の土地のように書かれているが、敷地の一部は『抱屋敷』と書かれている。厳密にいうと、上屋敷、下屋敷のような場所は幕府が肥後藩に貸しているものであり、抱(かかえ)屋敷の場合は細川家の個人資産としていた。そのため、明治維新後も多くの場合、抱屋敷だけは大名家に引き継がれたわけだ。



ところが、念のため安政三年(1856年)の江戸の地図で確認すると、細川家の土地となっているうち、南側(つまり神田川に面した方)の土地については、細川家ではなく、但馬豊岡藩京極高厚となっていて、細川越中守へ貸置と書かれている。豊岡藩は、藩主が京極家という名家ではあるが小藩であり、財政立て直しのために、たとえば藩邸を一つだけにして、残りの藩邸を貸し出して地代を稼いでいたのだろうか。

庭園は江戸時代の配置を参考に、整えられてはいるが、狭い江戸のこと、さらに幕府の目もあることから、広さよりも内容を重視しているようだ。いわゆる池泉回遊式庭園である。高松の栗林公園を見た記憶が脳裏に残っていて、それには負けるだろうが、江戸の中では一、二を争うべき大名庭園である。

ところで、ガイドの女性の方は、細川護熙氏と会話をしたことがあるそうだが、その話の始まりのところで、「もり・ひろしさん」と話した内容を教えてくれたのだが、「もり・ひろしさん」というのが、誰のことか全然わからなかったのだが、話の終わりの方で、「護熙氏さん」のことだとやっとわかった。「護熙(もりひろ)氏」あるいは「護熙さん」というべきで、「氏」と「さん」の両方を付けようとするから訳が分からなくなる。
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私鉄沿線ぶらり歩き-北綾瀬編4

2019-04-29 00:00:53 | おさんぽ
北綾瀬駅の新設工事中の改札口から近くにあるのが法立寺。北綾瀬の散策に同行願ったさわやか風太郎さん(以下、さわ風さん)と、お賽銭を納めに行こうということになり、歩き始めるが、千代田線側が寺院の裏側になっていて、一回りすることになる。

といっても川崎大師のように裏に回るまでの間に門前町があって散財するということはない。寺の掲示板があって、アルミの踏み台に乗って行事予定を貼り替えている方がいらした。もしかしたらご住職かなと思ったが、作業中は法衣ではなく作業服なのでよくわからない。さわ風さんと、「住職か、否か」という話をして、「現役にしては高齢かな」という見立てをする。

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そして、いざ境内に入ってもお賽銭箱が見当たらない(本当はあったのかもしれない)。日蓮立像の裏の碑文を読むと、浅野家という家がこの寺院に深く関係していて開山に助力したことがわかる。墓地にも浅野家一族の墓石がならんでいる。

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そして、各家の手水桶が並んでいる場所があって、それぞれ家紋が入っているのだが、浅野家の手水桶について、さわ風さんから、「この家紋は『違い鷹の羽』ではないか、浅野内匠頭と同じだ」という指摘がある。にわかに緊張が走る。といっても確かめる方法がわからず、後日ということになる。

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後日、調べ始めると色んなことがあった。

まず、掲示板の入替をしていた方は、やはりご住職のようで、仏教界のビッグネームの方のようだ(与党の影の支配者ではない)。そもそも立正大学の学長もされていて、退職後、ご住職になられたそうだ。

そして、浅野家のことだが、浅野久右衛門という人物が江戸初期にいて、北綾瀬一帯に新田開発を行ったそうだ。ということで駅のあたりは久右衛門新田とも呼ばれていた。家紋については、浅野一族が『違い鷹の羽』を用いているが本家の方は羽の中にも渦潮が文様のように二重になっているが内匠頭は本家の簡易版を使っていた。しかも討ち入りの成功のあと、この簡易版をマネする家が多かったようだ。なかなか決定打にならない。

これらは東京都にある『浅野家文書』によるものが多いのだが、江戸初期の新田開発のことはよくわからない。しかし、根気良く調べていると、浅野文書には、安曇郡(長野県の長野か松本あたり)のことが記載されていて、1590年頃、小笠原秀政が浅野久右衛門に安曇郡稲尾の土地を与えているという史実があった。ちょうど年代は合うのだが、果たして長野にいた久右衛門と北綾瀬の久右衛門は同一人物か否か。浅野久右衛門が勤めていたのは小笠原家、戦国時代に苦戦して松本藩の藩主になっていたが、その後、家康に追随して、僅かな期間関東の古河城主になっていた。その後、再び松本城主に返り咲いている。部下も同様と思うので、関東に移住したところまでは確かだろう。

さらに浅野家のことだが、古くは清和源氏の流れに土岐氏があって、その一派が岐阜県の浅野というところに住んでいてことから浅野氏を名乗ることになったのだが、あまりはっきりしない。秀吉の外戚にあたる(といっても、ネネの親戚なので秀吉と血縁にはならない)。いずれにしても1200年の頃から1600年ころまではっきりしないので多くの浅野家分家が生じたものと思われる。

つまり、同一の久右衛門なのか否か、はっきりしないのだ。

しかし、副産物として、北綾瀬には金子五兵衛門の開いた五兵衛門新田とか新田が多いことや浅野ゆう子の祖先が浅野家にあること、幕末には北綾瀬に近藤勇が潜伏していたことなど、予想外の知識が増えたのだった。
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私鉄沿線ぶらり旅ー北綾瀬編3

2019-04-28 00:00:35 | おさんぽ
北綾瀬の名所の三は、『ポルナレフの亀池』。

これは、大変な名所だ。なにしろ、その実在を証明するものは、地図上にないし、掲示類もない。しかし、ネット上には存在するわけだ。しかも、バーチャル空間にあるわけでもない。実際にそこに行った人の画像もあるし、近くの居住者からの「ポルナレフの亀池のそばに住んでいる」というようなつぶやきもある。

それらを総合すると、どうも東綾瀬公園の西側の野球用のグラウンドの外側にある池のようだ。

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ということで、ポルナレフの正体を調べるために、同行のさわやか風太郎さん(以下、さわ風さん)と野球場の周りを回る。少年野球の試合中で、どうも補欠選手たちが、代打に指名されるように素振りを繰り返しているが、バットを振り回しても野球がうまくなるはずはない。レギュラーになるには、守備の練習をした方がいい。内野守備がうまくて足が速ければ、左打席でバットに当てれば内野安打が打てるので、それで十分だ。二塁に進めば、視力の悪い子はサイン盗みのため、眼鏡が必要だ。

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そして、細長い池の周りを探索するのだが、そもそも亀がいない。代わりに鴨がいる。「鴨は青首の方が旨いそうですよ」と、さわ風さんに言うと、「他人に聞かれたら捕まるかも」と言われ、急に無口になる。亀もいない、ポルナレフもいない。なんのために歩いているのか。そもそも、駅に着いてからスマホで行き先を決めるのだから、混迷も仕方ない。

ここは引き下がって、後日、調べるしかない。


そして、ポルナレフの正体について、わかってきたのである。

ポルナレフ=ジャン・ピエール・ポルナレフ氏だった。氏は、コミック『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するキャラクターでフランスの高貴な人物。(貴族のようなものだろうか)

そして、このキャラクターとそっくりな顔の実在の人物がいるわけだ。

ジャン・ポール・ポルナレフ氏=綾瀬はるかさん。

そして、亀のいる場所は東綾瀬公園なのだ。

つまり、「なぞ解き」で、「亀池とかけてなんと解く。答えはポルナレフ。どちらも綾瀬。」ということのようだ。とりあえず、命名の謎はわかったのだが、もう一つ解けない謎がある。

「亀はどこに行ったのか。」嫌な予感が漂う。

しかし、もう一度、ネット上の画像を調べていると、亀がいるとはなっているが、亀がたくさんいるということでもないようだ。亀池でなく鴨池でもよかったのかもしれない。


ところで、私も、あちこちに行っているのだが、亀池として最も驚いたのは、明石城のお堀。昨年来、奇妙なことが多発している明石市だが、天文台とともに市のシンボルである明石城だが、そのお堀には成長して大型化したアマゾンアカミミガメが大量に生息している。日光浴をしたり悠然と泳いだり、さらにはどこを登るのかわからないが、城内まできて、餌を探しているようで、15センチほどの亀が、おにぎりを食べているのを激写したことがあった。

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市長に一声吠えてもらわないといけないかも。「火ぃつけて、明石焼きにしてまえ!」
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私鉄沿線ぶらり歩き-北綾瀬編2

2019-04-26 00:00:40 | おさんぽ
北綾瀬名所その2は、しょうぶ沼公園。

その昔、この地は、無数の野生のノハナショウブが咲いていたそうだ。ところが、区画整理事業が行われることになり、公園となることになった。ところが、ショウブがなくなるのは心苦しいということになり、ショウブ沼公園とすることになったそうだ。

ただ、美しい歴史は語り継がれ、醜い歴史が隠されるのは人間界の常で、そのノハナショウブが咲いていた沼が残ったわけではなく、そのノハナショウブから改良された花菖蒲が種類ごとに並べられ、ちょうど5月の終わりから6月にかけて一斉に咲き誇り。見物客が押し寄せるという構図になっているようだ。つまり、過去と現在の間で何かが起きたようだ。

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しょうぶ沼といっても、しょうぶ田という方が正しいようで、一帯に水が張られたり抜かれたりと、美しい花を咲かせるために、現在が最も重要な時期なのだろう。

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このスモールトラベルに同行していただいたさわやか風太郎さんは、花菖蒲の名前を次々に口にして驚かせてくれるのだが、さすがにこの8000本の種類の一部しかご存知ないようだ。中にはカタカナ(外国製)のものもある。

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羅列すると、
遠山の霞、町娘、紅姫、藤娘、舞双、紫鳳殿、水玉星、神代の昔、曙光、センターオブインターレスト、天女の冠、東鑑、夏姿、水の都、紅椿、スティップルドリップルズ、愛知の輝、源氏蛍、千姫、長井小町、五月晴、千姫、会冠、寿仙女、美吉野・・・・

しかし、ここにショウブの名所があるとわかっていれば、時期を変えてくるべきだった。

ところで、菖蒲とか、あやめとか、かきつばたとか、紛らわしいのだが、実はこの3種類だけではないのだ。4種類ある。

まず、菖蒲湯というように食用にするものがある。これはアヤメの仲間ではなくサトイモの仲間。菖蒲という中にはアヤメのものとサトイモのものがあるということ。このしょうぶ沼公園に古来より自生していたノハナショウブを改良したのが、ショウブ。いわゆる花菖蒲である。一般にサッパリとした柄と色彩。いわゆる江戸カラーである。沼地を好むわけだ。一方、アヤメは同じ仲間だが乾燥した陸地に生えている。花の模様が綾のように細かいことからアヤメというという説もある。カキツバタは湿地を好み、高さは一番大きく、花弁も大柄である。もっとも大きいといっても最初は小さいのだから、それを見間違え、専門家のふりをして、「ショウブです」と言って笑いものにならないように。
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私鉄沿線ぶらり歩き-北綾瀬編1

2019-04-25 00:00:28 | おさんぽ
「私鉄沿線ぶらり歩き」と看板を掲げてみる。実は、綾瀬に行く用があって早めに用が済んだので、最近話題になっている北綾瀬駅周辺に行ってみようと思い立つ。同行者は、弊ブログ愛読者のさわやか風太郎さん。なにしろ千代田線の綾瀬駅から支線として一駅だけ北向きにはみ出している。千代田線の車庫があるわけだ。ついでに一駅作ろうということだったようだ。従来は3両編成で、綾瀬駅「0」番線という奇妙なホームが始発であり終着である。

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この「0番線」だが、「0番線愛好家」というカテゴリーの方々がいらっしゃって楽しんでいるようだ。首都圏には北綾瀬と日暮里。日暮里は京成とJRが共用していて、従来は1、2番が京成で3番以降がJRだったのだが、成田空港特急の開通の際、ホームを立体化して1本増やしたのだが1と2しかなかったので0番線で対応。

それで、いつから10両編成で直通になるのか、というと、実はすでに4割の千代田線は北綾瀬始発になっていた。

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駅を降りて感じたのは、駅前商店街がないこと。「直通運転開始記念の福引」が行われていた。正直、しょぼい感じが漂う。

なにしろ、予備知識がないので、スマホで駅周辺の見どころを探し、突入するという有視界飛行系手法である。しかし、観光地ではないので、なかなか表示も少なく、目的地に向かうのに苦労する。


今回、訪ねたのが、

しょうぶ沼、ポルナレフの亀池、そして法立寺である。
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ご神木が損傷

2018-10-02 00:00:26 | おさんぽ
台風24号の来襲により風速40メートル以上の風が午前1時頃から吹き荒れたのだが、おかげで朝から野良仕事をしなければならなかったのだが、聞こえてきた話では、「ご神木が折れた」ということだった。ご近所にある大地主の敷地内にカヤの老木があって、ごく一部の人は『ご神木』と読んでいる。

すぐに行きたかったが、自宅の方の片づけが先であるわけで、やっと終わってから行くと、すでに折れた部分は片付けられていた。二本のカヤのうち一本の樹頂部分が避雷針のように突き出している。そこが折れたのだろう。根元から折れたわけではない。

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二本とも幹は1メートル弱ということで、以前、地主さんと話していたのだが、樹齢は不明と言うことだった。カヤといえば碁盤、将棋盤にすれば桁外れの大金になると、その時に教えてあげたのだが、80センチでは厚い盤はできないかもしれないが、当の地主さんは、神木なんて思ってもなく、切り倒した時のソロバンを計算していて、やはり、切り倒すのはやめたようだった

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ところで木が倒れたわけではなく、てっぺんの一部が折れた位で、天罰が落ちるのかということだが、そうなると、変な記事を書くと、このブログ(いやブログ作者)に天罰が下る可能性すら感じる。

しかし、周りを歩いてみると、地主さんの所有地の一角(一応、果樹園)が、住宅開発会社の手で住宅地として売られる準備が進んでいるわけだ。4軒程度と思われる、おそらく、その天罰なのだろう。その宅地に家を建てる方が、まとめて天罰の面倒を見てくれるべきだろう
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目の錯覚風の病院

2018-07-11 00:00:49 | おさんぽ
みなとみらい地区を散歩していると、本来は職住近接型の空間を意図していたことがわかる。しかし、開発から20年以上経っても、まだ空間が多い。実際には、日産や富士ゼロックスのような企業もあり、高層マンションも建っているが、マンションの住民は都内の会社に通勤し、企業のオフィスに通勤する人は都内や川崎あたりから通勤する。勤務先や住居というのは、急には変えられないものだ。

keiyu


そして、地区内を歩いてみると、奇妙な建物が目についた。なんとなく建物の一角が倒れかけているように見える。地震発生確率が高い場所で、かつ関東大震災では都内以上に破壊された場所なのだが、大丈夫だろうか。

建物は、『けいゆう病院』となっている。昔の警察病院だ。20世紀の前半は、国内にも暴力が蔓延していて、警察官の負傷が多かった。警察に逮捕される時や逮捕された後に負傷する人間も多かった。そういうことに備えるために横浜山下町(中華街の近く)に1933年に病院が建った。

その後、1995年にみなとみらい地区に移転し、名称もひらがなになり、警察関係者ご用達に留まらず、地域中核病院になった。

20年以上経過し、現在有名なのが、無痛分娩らしい。そして精神科が充実しているそうだ。

で、例の倒れかけて見えるデザインだが、設計は「伊藤喜三郎建築研究所」だそうだ。主に病院の設計を手掛けていて、100ヶ所以上設計しているようだ。アメフト監督が急病によって逃げ込んだ日大病院もその一つである。実績の画像群を調べたが、傾いたような外見の建築物は一つもなかった。ここは実験作だったのだろう。

そして、『けいゆう病院』のコンセプトは、ホスピタルリゾートということらしい。ベイサイドリゾートホテルのような環境を提供し、病院を気分転換装置と位置付けているとのこと。

心労で入院したアメフト監督もこちらの病院の方がよかったかもしれないが、「警察」というコトバを恐れたのかもしれない。

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ところで、この散歩の5日後に浅草で将棋大会があったのだが、『台東館』という変わったデザインの建物で、柱のない広い空間が開催場所だったのだが、その建物が同じく「伊藤喜三郎建築研究所」の設計だったことがわかった。大スパントラス無柱構造ということらしい。新設にしては床材がボロイと思ったのだが、1969年に竣工した建物を2015年にリニューアルしたそうだ。
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浅草寺で祈る

2018-07-08 00:00:02 | おさんぽ
先日、浅草の浅草寺(せんそうじ)から徒歩3分の場所で、大規模な将棋大会があったのだが、会場に少し早く着いたので酷暑の中ではあるが祈願に行くことにした。思えば、愛用の帆布製の鞄店である「犬印鞄店」の製造所兼直売所に行くために、浅草寺の門前を歩いたものの仲見世の途中で空腹になって食事に行ったり、つい不義理をしていた。

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境内に足を踏み入れたのは何十年振りだろうか。外国人ばかりだ。カメラは日本製ばかりだが。

五重塔も本堂も美しい赤色で、思わずお賽銭もはずんでしまった。

将棋大会の前の祈りと言えば、『必勝祈願』が相場だろうが、違うのだ。『本日一日、酷暑の中、倒れずに、団体戦の一員として最後まで(四局)席に座っていられるように』といたって軟弱なのだ。

そもそも、武士の必勝祈願とは、戦いの前には神社に行って悪霊を祓ってもらい、戦いの後、運良く生き延びた場合は、寺院に行って殺害した敵の魂を、さっそく慰霊して封じ込めることとなっている。それなら、将棋大会が終わってから敗者への慰霊のために浅草寺に行けばいいのだが、一勝もできなければ、弔うべき対象が自分自身になってしまうわけだ。

しかし、あまりの暑さと五重塔の見学などしているうちに方向を失い、目的地と逆方向(つまりいつもの鞄店方向)に歩いてしまったわけだ。

ところで、浅草寺は歴史を遡ると推古天皇の時代に開山されたそうで、江戸(東京)では最古の寺院だそうだ。実は、上に書いたことと矛盾するが、源頼朝や徳川家康は浅草寺で必勝祈願をしたそうだ。ただし、その直後の戦いで勝ったかどうか定かではない。

江戸時代では徳川綱吉が上野の寛永寺を本寺とし、浅草寺を格下の支寺としてしまった。犬に関係があるらしいが詳細不明。幕末の動乱で彰義隊が寛永寺に立て籠ったこともあり明治になりやっと寛永寺の支配から逃れることができたようだ。
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長寿の裏側のヘビイチゴ

2018-05-29 00:00:34 | おさんぽ
男性長寿の市区町村のベスト10に、川崎市宮前区、横浜市青葉区、横浜市都筑区と田園都市線上の3区が並んだ(都筑区は田園都市線から乗り換え)。様々な根拠の乏しい意味付けがなされているが、そもそも昭和40年代まで人口希薄地域でTIBETと呼ばれていたぐらいで、現在亡くなっている人は、別のところから来た人なので、もっと後天的な理由なわけだ。

簡単に言うと、丘陵地を開発したため、「坂が多い」こと。もっというと「坂しかない」と言ってもいい。坂道で足腰が鍛えられているから、病気になった時の耐久力があるということではないだろうか。また、横浜市は腰痛の少ない市と言われている。もっとも既に腰痛の人が治療目的で横浜に引越ししたら悲惨なことになるだろう。治ることはない。腕のいい医者が少ない上、とんでもないヤブもいる。

そしてT高原の中に街を造ったため、表通りを一歩踏み間違え裏道に迷い込むと、そこは昭和初期だったりする。江戸川乱歩の世界だ。

ということで元T高原の自宅近くで、気になる小路があり、歩き始めると小さいながら生えっぱなしの森があり、曲がりくねった道を登ると新しくはない洋館や時代めいた国産車が車庫に眠っていたり、そしてちょっとした草むらの中に、おいしそうな野生のイチゴが群生していた。

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もちろん、周りに人気がないとはいえ、誰かの所有地であることは間違いないし、イチゴを口にする窃盗罪の前に不法侵入罪が追加されるだろう。といっても食べてみたいなと思ったりする。邪心と理性の戦い。アメフトみたいだ。

しかし、この時、「ヘビイチゴ」という単語の啓示があった。つまり、ヘビの食べ物であるということか。つまり蛇がいるということ。ということで、イチゴはなかったことにして通り過ぎる。

後日、調べてみると、ヘビイチゴを食べにくる動物を狙って蛇が待ち伏せしていることからの命名らしい。私ももう一歩イチゴに近づいていたら全身に絡みつかれて餌食になったかもしれない。理性の勝利だ。
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