ベーリングトンネル!!

2007-04-30 00:00:36 | 市民A
CNN(日本語版)に面白い記事が掲載されていた。

ベーリング海底にトンネル計画、米ロ結び100キロ越
 2007.04.25:20:24 JST- CNN/AP

モスクワ──米国アラスカ州とロシア東部チュトコ半島を隔てるベーリング海峡の海底に、地下トンネルを造る計画が持ち上がっている。これまでにも計画はあったが、冷戦下の米ロが協力することはなく、棚上げ状態だった。しかし、冷戦が終了し、改めてトンネルの利便性に注目が浴びている。各国のトンネル建造推進者ら24日、モスクワで会合を開き、トンネル計画の着手に向け、6月にドイツで開かれる主要国首脳会議(G8)で、各国政府にトンネル建造着手に向け、強く働き掛けていく方針を決めた。

計画が成功すれば、ドーバー海峡を結ぶ英仏海峡トンネル(約50キロ)を抜いて、世界最長109キロの海底トンネルになる。予想総工費は650億ドル(約7兆7000億円)。開通まで、20年がかかる見通し。

計画では、海底トンネルには鉄道のほか、道路、天然ガスや石油のパイプライン、電気ケーブル、光ファイバーケーブルなどを敷設。ユーラシア大陸と北米大陸を陸路で結ぶことで、物資の輸送力が大幅に向上するほか、シベリアに埋蔵する天然資源の活用も見込まれている。

トンネルが開通すれば、ロンドンからモスクワ経由でワシントンへ、鉄道で移動することも可能になるという。

しかし、トンネル計画が実施可能かどうかの事前調査には、約1億2000万ドル(約142億円)をかけ、2年間が必要だとなっており、実際にトンネルが開通するのは、約30年後になるという。

会合で採択した声明では、ロシアと米国のほか、日本、中国、欧州連合(EU)諸国が協力を表明している。今後、各地域で政府に働き掛け、計画実現を目指す。


656303ee.jpg記事の中で20年後か30年後か両記されていて、よくわからないが、リニア新幹線が東京=名古屋を45分で結ぶのと同じくらいの時期なのだろうか(東京というのが東京駅でなく新宿駅だったり、名古屋というのがトヨタ本社の地下室だったりすると、東京駅=名古屋駅間は今と変わらないかもしれない)。


この記事とはまったく関係ないのだが、こどもの頃に読んだ科学関係の未来本に書いてあった「ベーリング海峡の封鎖案」を思い出す(いつ頃のことかと言われれば、ちょっとトシを読まれてしまいそうだが、「団塊世代>おおた葉一郎>団塊ジュニア」というところだから)。

その本によれば、ベーリング海峡を封鎖してしまえば、北極海の冷たい海水が太平洋に流入することを防止できて、日本は冬でも雪が降らないとても住みやすい国になるということだった。もちろん東シベリアやアラスカだってポカポカだろう。その分、冷たい海水は欧州方面に流れ込み、ドイツも英国もフランスもすべてアイスランドになることは、ホッカムリということだ。

私の記憶では、その本には第二パナマ運河計画も記載されていた。その計画はまさに実現に向け驀進中なので、当たったとはいえるのだが、問題は、その工事方法。当時の本には、山を崩す方法として、ダイナマイトではなく核兵器を使うべき、と書かれていた。「核の平和利用か・・」。

もう一つ、記憶に残っているのは、農業改革で、果実の大型化。頭の大きさ位のトマトやぶどうやりんごができることになっていた。りんごは大型化したが、ぶどうはそのまま。トマトは逆に小さくなった。大きくなって、何なんだということもあるしね。

かくして、科学技術が将来、どう使われるのか、ということは、ほとんど予想困難というところだろうか。「馬鹿と鋏は使いよう」とは言うが、馬鹿が科学を使うと、危険なことが起きるのは歴史の教訓だが、不幸なことに科学者には馬鹿が多い。

また、ベーリングトンネルに詰め込むもののリストを眺めると、鉄道、道路、パイプ、ケーブル類といったところだが、いまひとつ陳腐感を感じてしまうのだ。


少し観点を変えて、世界長大トンネルに適した場所を考えてみる。

ジブラルタル海峡、ホルムズ海峡、マラッカ海峡、台湾海峡・・・いずれも無理もいいとこだろう。つまり、海峡をはさんだ国と言うのは、いずれも敵対関係にあった歴史があるわけで、仲が悪いのが相場になっている。朝鮮海峡は、・・もっと離した方がいいかもしれない。

ニュージーランドの北島と南島なんかは最もトンネルで繋ぐに適した場所かもしれないが、それこそニュージーランダーから、「うちの勝手じゃないの」ということになるだろう。

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パリへ―洋画家たち百年の夢

2007-04-29 00:00:41 | 美術館・博物館・工芸品
656303ee.jpg上野の東京藝術大学大学美術館で開催中の展覧会へ。日本人として100年前にフランスにわたり、洋画の世界に首を突っ込んだ若き画家たちの軌跡を追った作品群が集まっている。

美術としての腕前もともかく、当時世界中から英才が集まる地であったパリでの彼らの苦闘ぶりが伝わってくる展覧会である。一流国ぶった現代の日本人は、100年前の彼らのことを忘れてしまったのではないだろうかと、自悔してもいいかもしれない。

まず、最初に日本から飛び出したのは、黒田清輝。パリで見よう見まねに洋画の技術を吸収していくのだが、その時のパリはちょうど印象派がピークアウトした、まさにその時。印象派の画家たちはパリを征服後、郊外(南フランスなど)に光を求めて脱出したところ。いわば、パリは「もぬけの殻」。最も勉強したい旬の画家とすれ違ってしまったのだ。そのため、黒田が師事したのが、ラファエル・コナン。ややおとなしい印象派の画家で、世話好きだった。

この、コナン=黒田ラインというのが、初期の日本人洋画家の基点となって、さらに多くの留学生がパリにわたる。そして、黒田は日本に戻り、藝大設立時の指導的な立場を得ることになる。

もう一つのエポックは1900年のパリ万博で、ここに多くの日本人の手による洋画が出品されることになり、次々と若い洋画家が生まれることになる。そう考えると、現代の日本人が大好きな印象派と、大勢の日本人画家の卵が、タッチの差ですれ違ったことが、20世紀前半の日本人洋画家の多彩な作品群に繋がったとする変化球的な見方もできるのではないだろうか。(いきなり、モネやルノアールに影響されていれば、もっと柔らかいタッチの画家ばかりになったかもしれない)

656303ee.jpg和田英作・浅井忠は特に後進の育成に努力し、藤島武二、梅原龍三郎、安井曾太郎は独自の画風を確立する。佐伯祐三はパリの町に溶け込み、藤田嗣治は溶け込み過ぎて寵児になる。

一方、日本国内では裸体画の展示が禁止されたり、外国人を描くことに対する反感とか、そして洋風そのものに対する官製の差別感情とか、戦争の世紀は動いていくのである。


今回の作品の中で、特に三点を挙げてみる。

藤島武二の「池畔納涼」(1897年)。ほっと赤い頬の若い白人女性が浴衣姿で佇むのは、上野の不忍池ではないかとも思えるが、そうであれば、そこには大家横山大観先生の自宅兼アトリエの前。日本の印象派最高傑作の1枚と大観先生に何か関係が・・。

656303ee.jpg次は、佐伯祐三。なぜ、明治の画家である佐伯祐三が私の肖像画を描いたのだろうと思ったのだが、彼の自画像だった。ゴッホの自画像を思い出させるが、そこは日本人らしい優しさが漂う。1898年生まれの彼は、1923年に、自画像を描くが、その5年後に早世してしまう。彼の描くパリの町には、甘さも渋さもない透明な彼の世界がある。


656303ee.jpg三枚目が藤田嗣治の「姉妹」。いつもの乳白色のフジタであるが、特筆すべきは1950年の作。戦時中、日本に戻った藤田は軍に協力して戦争画を描いたことを戦後糾弾され、結局、日本を捨てることになる。その頃の作品。

そして、現代の日本画壇は、20世紀初頭の彼ら日本人洋画家群像と較べ、どうなっているのだろう。深い閉塞感に陥っているのではないだろうか。



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座る場所を間違えそうになった挑戦者の謎

2007-04-28 00:00:54 | しょうぎ
将棋名人戦7番勝負第二局は4月24、25日、鳥取県の温泉地の旅館で行われ、挑戦者の郷田九段が第一局に続き連勝したのだが、第一局で郷田の持つ扇子のパチパチ音が「ウルセエジャネエノ」と名人からクレームがついたのだが、第二戦では再び妙なことが起きる。今度は対局前のこと。主催の毎日の記事から
・・・定刻の12分前、郷田が対局室へ。上座に腰を下ろしかけたが、すぐに気づいて下座に回る。森内は8分前、上座についた。・・・

将棋盤は通常、片方が床の間を背にした上座、逆に入口に近い方が下座とされる(和室宴会と同じだ)。上位者が上座に座ることになっている。対局場は旅館であるし、必ず床の間があるはずだ。対局室の写真でも確認できた。(旅館で「床の間」がないのは、布団部屋くらいだ。床の間のある布団部屋もあるが、その場合、多くは「わけありの部屋」のことが多い。お客さんを泊めにくい「わけ」があって、布団部屋にするか、添乗員、バスの運転員、バスガイドなどの部屋になったりする。バスの運転員とガイドが職場結婚することが多いのと関係があるかどうかはわからないが、話は大きくそれた)。

以前、谷川=羽生戦で本来、上座に座るべき谷川の席に、羽生が誤って先に座っていて、気の弱い谷川が「席が違う」と言いかねたため、力を出せずに敗れたことがあったが、さまざまなトラブルの経緯の末、一応、ルールができている。もちろん、将棋の内容とは関係ない話なので、いずれにしてもルール通りでなく、上座の奪い合いか譲り合いか錯誤かによって対局が始まってしまえば、そのまま進行するのは言うまでもない。

タイトル戦の場合は、そのタイトル戦で上位のものが上座に座ることになっていて、どう考えても名人戦で名人の森内が上座に座るのは当たり前。仮に郷田が上座に座ったまま森内が入室したら、「オレノ場所ジャネエノ、座布団ヌクイジャネエカ」ともめるに違いない。

それに、たぶん今までに900局近く対局し、タイトル経験もある郷田九段が上座と下座を見間違えることも、まったく考えられないわけだ。だいたい、部屋の入口に近い場所が下座なのだから、部屋に入って、目の前の座布団に座ればいいだけだ。上座に行くには、盤の向こう側まで行くことになる。

それでは、なぜ郷田は上座に座りそうになったのか?正解がわからないだろうから勝手に推理する。

いくつかの可能性が考えられる。普通の説明は、

1.もう名人になったつもりだ。
2.単なるパフォーマンス。
3.上座側からみた対局室の雰囲気を確認したかった。

というところだが、たぶん、全部違うだろう。私見を言えば、

4.郷田九段は、研究熱心のあまり、自分自身と指すのに慣れているのではないだろうか。「こうしたら、ああして、こうして、そしてこうなってああなって・・・・」。「本物の自分」対「研究上の対戦相手の自分」である。だから、いつもの対戦相手は、研究上の架空人物であるのだから、自分が上座に座るのは当然、という推論になる。

しかし、郷田が誤って上座に座ろうとした時に、もっとも驚愕したのは、対局者ではなく立会人の井上八段だったのではないだろうか。うかつに立会人など引き受けて、前代未聞の大失敗をしでかせば、キツイ叱責を受けるのは間違いないところだ。人生にありがちな陥穽である。


6d83c01c.jpg前々回4月14日出題問題の解。

▲3二飛 △1三玉 ▲3三飛成 △2三香(途中図1) ▲2四角 △1四玉 ▲2六桂 △2五玉 ▲3五竜 △1六玉 ▲1七歩 △同玉 ▲1八歩 △2七玉 ▲3八竜 △2六玉 ▲3五竜 △2七玉 ▲1九桂(途中図2) △1六玉 ▲1七歩 △同玉 ▲3七竜 △1六玉 ▲2七竜(終型)まで25手詰

少し前に作った作品なので、自分ながらちょっと違和感がある。実際、難易度が低い割りに、詰めるのに苦労する。






6d83c01c.jpg今週の問題は、最初の方が手が広い。易しいのか難しいのか作者にはよくわからない。

GW中に、少し、詰将棋の完成作の整理と、未完成作の手入れとかしなければ、と思っている。だいたい、どの詰将棋がブログに掲載したのか、あるいは専門誌に投稿したのか、落選決定したのかとかわけがわからなくなっているので。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。


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乃木邸にて

2007-04-27 00:00:35 | 美術館・博物館・工芸品
東京ミッドタウンへは、六本木の駅から行けばいいのだが、天気の良い日は乃木坂駅から歩いてもいい。元々、六本木は日比谷線と大江戸線だが、”千代田線でもいい”ということになると、より便利なのだが、あまり、そういう話は流れていない。特に、サントリー美術館だけに行こうとする人には乃木坂駅の方が便利だ。しかし、乃木坂駅からの出口を間違えると国立新美術館へ迷い込んでしまい、サントリー美術館でも「モネ展」をやっているのか、と同じ展覧会を二度みることになるので注意が必要。

乃木坂駅では乃木神社の方の出口へ向うのが正解だが、そこには乃木神社がある。この神社は屋外結婚式が有名で、小雪の舞う冬の神殿での挙式などドラマティックであるが、だからなんだと言えばそれまでだ。

ff7bc4d1.jpgで、この神社の隣にあるのが旧乃木邸である。乃木希典陸軍大将の居宅である。軍神と言われた乃木大将の名声の一は、日露戦争での旅順攻防戦を制したこと。さらに名声の一は、明治天皇の大葬の後、妻とともに殉死したこと、であろう。

実際には、その軍事的才能と殉死という行為については、その後の歴史上の評価は多く分かれているし、それを判定するほどの知識もないので、ここには触れない。

実感としては、要人なのに、かなり都心から離れた場所に住んでいたということの意味を考えれば、長州藩の生まれということで、自らの生まれた旧長州藩邸(現六本木ヒルズ)に近いことに関係があったのだろうか、と思ったりする(幼児のころの遊び場だったとか・・)が、なんら確証はない。

現在、残っている木造の建物は、実際に、乃木夫妻が居住していた当時のそのままであり、桜の木が枝を伸ばす建物の北側には、夫妻自決の部屋がある。

一方、敷地の南側には厩舎があるのだが、そこでは日露戦争の敵側の将であるステッセル将軍から送られたアラブ牡(オス)馬「壽号」の厩舎になっていた。

この壽号だが、明治38年に贈られたのだが、やはり都内で馬を飼うのは難しかったのか、翌39年末には種馬として鳥取県赤崎町に送られる。さらに大正4年には、隠岐島に渡り、大正8年に馬齢23歳で亡くなる。その子馬は20余頭を数えるとのことである。

ということで、次にこのアラブ馬を贈るということについての話になる。

ff7bc4d1.jpg現代では、馬と言えばサラブレッドみたいなところもあるが、このサラブレッドというのはアラブ馬からの改良品種である。もう少し詳しく言えば、3頭のアラブ馬、1680年トルコ産バイアリー・ターク、1700年シリア産ダーレイ・アラビアン、1724年エジプト産ゴドルフィン・アラビアンと英国固有の数頭により現在の血統に続いている。

このアラブ種というのは、馬の改良史上のスーパーエースのようなところがある。壽号はオス馬であり、欧州的に言えば、「この馬で、貴国の馬の品種改良にお役に立てば」という意味と解釈できるわけだ。そして、乃木将軍は、その主旨を解し、自分で乗って遊んだりしないで、種牡馬として活躍させたわけだ。

ところが、日本では、それまでも何回か、そういう形で海外からアラブをもらっているのだ。まず、豊臣秀吉。ポルトガル領ゴアの総統より2頭。まったく意味を解さず。そして幕末の徳川幕府にフランスから26頭が贈られる。が、またしても乗り回して終わり。もし、秀吉なり幕末の幕臣に、品種改良の意識があれば、在来種と掛け合わせて、サラブレッドを超えた世界最速馬が生まれたのかもしれない。山内一豊の妻、千代も、隠し持っていた実家からの持参金を、秀吉からアラブ馬を買い取る資金にした方がよかったかもしれないわけだ。


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これからなのに、なぜ?

2007-04-26 00:00:07 | MBAの意見
656303ee.jpg2月27日に発生した世界連鎖株安による損害がやっと埋まった。日本株は基本的には回復できず、相当細かく入れ替えて、現在は長期ホールド株と、5月から始まる三角合併で餌食になると思われる間抜けな割安株を仕込んで待ち伏せ作戦に徹することにしている。リカバリーの主因の一つは中国株なのだが、もう一つの柱は「金・プラチナ」である。

「金・プラチナ」の上昇の背景としては、

 1.工業用の実需拡大と生産量にギャップがあり、タイト化。
 2.世界各国で金・プラチナのETF市場開設の噂があり、そのためのストックが必要。
 3.ドル安・円安による資産分散化
 4.原油マネーの流入(中東、東欧、中国などの金持ちは貴金属に強い嗜好性)

などがあげられる。

個人的には、ほんの小額ではあるが、三井物産のオンライントレードで取引していた。といっても、銀行の貸金庫に厚い札束とともに金塊100キロを秘蔵したりしているわけでは、まったくない(貸金庫には数枚の権利書と自作詰将棋図のCD-RWを入れている)。三井物産との取引約款によると、すべてロンドンで三井物産が持っている金庫にあることになっている。

つまりロンドン渡しという条件なのだ。なぜ、ロンドン渡しがいいかと言えば、世界中の金価格はロンドン価格が決まってから、各国までの輸送費などが含まれるわけだ。ロンドンで買えば、日本までの輸送料金がかからないのと、消費税が不要なため、単価が安く、同じ金額で多量の貴金属を購入することができる(もちろん売却単価もその分安いし、現物を自分の金庫に入れようと思えば、その時に送料と税金が必要になる)。

それなのに・・・

三井物産から”妙な手紙”や”妙なメール”が届く。

お客様各位

三井物産株式会社 金融商品部

<三井物産ONLINE GOLD CLUB>取扱い終了についてのお知らせ

謹啓 時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

さて、このたび弊社では事業方針の見直し等により、永らくご愛顧いただいておりました三井物産ONLINE GOLD CLUBのお取引および全てのサービスの取扱いを、2007年9月28日(金)をもちまして終了させていただくこととなりました。それに伴い2007年5月31日(木)をもちまして、すべての貴金属地金の購入注文の受付を終了させていただきます。

お客様には大変お手数をお掛けいたしますが、以下のお手続きとさせていただきますのでご案内いたします。


そして、その後に、現在保管している貴金属の取り扱いについての細々とした説明が続いている。一応、返してもらえるようだ。金塊で返却されるほどの額でもないので、三井物産が紹介している「田中貴金属」の金庫への預け替えというのが普通の選択なのだろうが、これは日本渡しである。さらに分厚い書類を解読して記入しなければならない。せっかくのゴールデンウィークの1日をつぶしそうである。

しかし、これから貴金属高騰の時代だというのに、なぜ、巨大商社三井物産は、事業を終了したのか?

外部には、この「なぜ?」というのがまったくわからないわけだ。レターでも「事業方針の見直し等により」と意味不明なことばが書かれているだけだ。

勝手に想像してみる

まず、この「ONLINE GOLD CLUB」に加入していると、HP上で三井物産が作っている、「プレシャスメタルリポート」とか「週刊マーケットトレンド」とか「金の千両箱」といったレポートが読めるのだが、このレポート類だが、あまり当たっていないのである。むしろ、読むなり首をかしげるものが多い。株価同時連鎖安の後、一時的に金価格も下がったときには、「下がって良かった。これで助かった」というようなよくわからないレポートがあった。

レポートを読むたびに「投資家のツリか・・」という程度に思っていて、「大商社なのにツリ記事で、個人投資家から巻き上げようとは太いやつだな」と思っていたのだが・・


事業終了に関しての理由の一方的な推定

1.逆レポート乱発で、投資家に多大な損害を与え、訴えられた。
2.実際に、ここに書かれているレポートを信じて、三井物産が自己取引を行い、大損害を蒙った。
3.あるいは上記1.2.による大損害の裏側に、レポートを書いている社員がレポートと逆張りをして、個人的に大儲けをしたことが発覚した、とかではないだろうか。

今のところ、合理的な説明はないままだ。

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焼鳥屋「鳥徳」大繁盛

2007-04-25 00:00:02 | あじ
27d79bd1.jpg茅場町の「鳥徳」に行く。本当は、茅場町方面はよく知らないのだが、先日、取引した小企業の方から、「行きませんか?」と電話がある。この電話のお誘いというのも断りにくいもので、メールなら断る理由を探したりできるのだが。「近所に旨い焼鳥があるんですよ。おおたさん、鳥OKですよね」と強引だ。しかも、鳥OKなのだ。

27d79bd1.jpg予約してもらっていたので、日比谷線北千住行き最後部に乗り、茅場町駅の後ろの改札を出ると、地下鉄駅内に地図があるのだが、銀行とか交番とともに「茅場町鳥徳」も地図に記載されている。人気店で、大勢が駅員に道を聞くので、地図に書いてしまったのだろう。すぐそばだ。しかし、木造2階建てだ。焼物の店で、木造の2階というと、いざという時に危ないのだが、二階の窓の位置を頭に入れる。二階から飛び降りた場合は生存率はかなり高い。店頭には多くのお客様が並んでいて、電話一本しておけば席が確保されるのに、鉄砲玉のように人気店に行ってもなかなか入れない。

店頭に並ぶ人たちに「悪いねえ」とか言いながら二階の予約席に行くと、ちょうど、さっき確認した窓際の一卓。火事になっても1秒後には脱出できる。もちろん、そのうち足元が危なくなるところまで飲めばダメだ。


27d79bd1.jpg一緒に行った人が、「塩かタレだけど、塩はかけ過ぎだからやめた方がいい」というので、何でもかんでもタレで焼くことになった。本当は、手羽と正肉の二種類があれば、後は何でもいいのだけど、あれこれと注文してくれた。最初に、「レバーとか砂ギモとか皮とか大丈夫ですか?」と聞かれたのにもかかわらずで、それらが出てこなかったのは、どこかに誤解があったのだろうか。しかし、10分ほど待って登場した完成品はなかなか美しくない。味の要素の中の「みかけ」の部分を取捨してしまったのだろう。

27d79bd1.jpgそして、旨いかまずいかということなのだが、実際、うまい鶏肉というのに最近出会ってないからか、よくわからない。ブロイラーではない。結構、身が引き締まっている。肉の味は薄口だ。以前、赤坂の有名な焼鳥屋のあるじに聞いたのは、茨城県の天皇家御用牧場の隣の牧場から仕入れているという話だったが、鶏でも御用牧場があるわけだ。もちろん水準より上なのは間違いないのだが、「秘境の味」というところまでは行かないような気がする。

今度行く時は、「レバーと砂ギモと皮」を食べてみようと密やかに決意したわけなのだ。さらに、メニューの中の昼の親子丼も頭の中のブックマークに登録したのだ。



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無効票と消えた期日前投票

2007-04-24 00:00:07 | 市民A
27d79bd1.jpg最初に書いておくが、長崎市政のことは、まったく知らないし、伊藤市長暗殺後に登場した二人の候補者についても、まったく知らないので、どちらがいいかとか言える材料もない。単に選挙のシステムの問題について。

まず、4月22日に行われた長崎市長選の結果だが、

 元市役所課長 たうえ氏(50) 78,066票(全体の42.1%)

 前市長の娘婿 よこお氏(40) 77,113票(全体の41.6%)

どちらも過半数には満たない。その差は953票である。どちらも苗字がひらがなだ。「おおた」と同じだ。たぶんひらがなの理由は違うと思う。

そして、私が最大の疑問に思うのは、期日前投票の多くが「伊藤票」だったため、無効票となったこと。期日前投票は4月16日から選挙前日の4月21日までの6日間だが市長が撃たれたのは4月17日の夕方。つまり、2日分が問題なわけだ。

期日前投票数は8,377票でその中の7,592票が伊藤票だったらしい。それ以外の投票は有効だったということだが、今回は、その影響はないが、問題のある制度である。もちろん、その7,592票が、たうえ氏に投票するのかよこお氏に投票するのかわからないのだが、票差からいっても無視できない数字のわけだ。

かといって、期日前投票すべてをノーカウントにして、再投票というのも奇妙だし、期日前投票で、誰が伊藤氏に投票したか知るすべもないのだから、「伊藤氏に投票した人だけはもう1回投票できる」ということにもならない。

しかし、議員選の場合とは異なり、首長選の場合は一人を選ぶのだから、投票日直前に候補者死亡とかあった場合は、すべて出直したほうがいいとは思う。今回の候補者のことなど、有権者はあまり知ることなく選ぶことになった。

が、かといって、山のように泡沫候補が登場する都知事選で、すべての候補者のうちの一人が亡くなったからといって、一々ノーカウントにするというのも困ったことになりそうだ。死亡理由を暗殺とか暗殺未遂の大怪我に限れば泡沫候補は狙われにくいのだから、そういうようにすべきじゃないかと思うのだ。


最初に書いたように、どちらの候補のこともまったく知らないのだが、方や市役所課長を選ぶという考え方は、「世襲制は認めない」という考え方だろうし、娘婿を容認する考え方では「政治的テロは無駄だ!後継者が後を引き継ぐから」という決意を表明することを優先的に考えているのだろう。

あえて、言えば、たうえ氏が当選したのは、市役所を辞めて立候補した彼の瀬戸際感に対し、よこお氏は勤めている新聞社を単に休職して・・というところの思い切りの差を市民が見たのだろうか。


ところで、住民にとっては、どちらも未知数なのだから、絶対的に元課長の方がいいとも言い切れないはずだ。その場合はリコールすればいいのだ。憲法15条に公務員の罷免権は国民にあることが規定されている。地方自治法には首長のリコールの手続きが規定されている。有権者の1/3の賛成で、選挙管理委員会にリコールを申請すると、成立。選挙で過半数の反対を受けるとクビになる。どうしても新市長が無能だった場合は、その手を使えばいい。


一方、新市長のたうえ氏には、すぐにやるべき仕事がある。50歳の統計課長というのが、どれくらい偉いのかよくわからないが、役職的には、自分の元上司が市役所内に1ダースはいるのではないだろうか。

まずは、50歳代部長の大リストラなのだろう(まず、新市長に快く仕えるかどうかの「踏絵」が必要、と書こうと思ったが、長崎で「踏絵」ということばをイージーに使ってはいけないことを思い出した)。


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日銀の碑

2007-04-23 00:00:32 | MBAの意見
c03c4aaa.jpg先日、茅場町付近で道に迷ってしまい、「日本銀行創業の碑」を見つけてしまった。場所は、永代橋を都心側に渡ってきて、すぐに右に曲がると今度は小さな橋がある。「豊海橋」と書いてあるが、「ホウカイバシ」と読むのだろうか。ちょっと橋としてはあり得ない名前だ。その橋を渡ったところにIBMの巨大なビルがあるが、その入口のところだ。

碑にはこう書かれている。

 明治十五年十月十日 日本銀行はこの地で開業した
 明治二十九年四月 日本橋本石町の今の地に移転した
 創業百周年を記念して この碑を建てる
  昭和五十七年 十月 日本銀行総裁 前川春雄

記念というには短い期間だったようだ。13年半。建物は洋館であるが、木造風である。もしかすると、銀行強盗とかにやられたのだろうか。それに、どうみてもこの碑は墓石のような形なのだが、どうしたことなのだろう。何となく、花でも置いてみたくなる。


c03c4aaa.jpg話は、現在の日銀だが、政策委員はタカ派揃いになったようで、金利、金利と騒ぎ始めた。超低金利だと「長期的に経済活動に誤った影響を与えるから」と言って、そのための論理を並べて利上げ方向まっしぐらである。利上げを示唆するたびにアジア株は動揺し、世界中の資金があっちこっちに移動して大騒ぎになる。

よほど、竹中時代のゼロ金利政策で痛い目にあったかのごとく、「日銀の独立性」とか声高に叫んでいるが、冷静さを欠いているように思える。金利と景気とインフレというのは、関連があるようで、きちんとした均衡理論があるわけでもなし。円はドルのような世界通貨でもないのだから、・・。


ところで、日本銀行は、ジャスダック市場に上場している。取引単位で1000万円くらいだから、簡単に買うことができるのだが、妙なことに株式会社ではない。出資証券というもので、55%が日本国で残り45%が流通しているのだが、大部分は個人が所有しているそうだ。実際、値動きはかなり激しい。しかも、ほとんど取引されていない。かなりバクチ的な証券である。

日銀が、あまりに利上げにこだわる本当の理由について、考えてみたのだが、「国債のビッゲストホルダー」ということに関係するのではないだろうか。現在では多くを買い込んでいるわけではないだろうが、期日で償還される分相当額は買いつないでいると思われる。つまり、国債利払いを高くするためには、金利を上げればいい。その結果、日銀の収支がよくなっていき、日銀マンのボーナスが増額されるということなのではないだろうか。と邪推してみる。

c03c4aaa.jpgところで、かつてより、日銀には大蔵省ほどではないが優秀な人材が入行していたはずだ。日銀を辞めた後、有名になる人も多く、最近では、木村剛氏がそうだった。小泉純一郎の知恵袋の竹中平蔵の知恵袋と言われていた。

しかし、彼を上回る有名人が日銀出身であったことは、意外に知られていない。


半井小絵さんだ。彼女はNHKの社員ではないのだ。元日銀レディで、気象予報士の資格取得後独立。どうして、日銀から気象予報に興味を持ったのかはまったく謎なのだが、日銀の経済分析というのは、おそらく天気予報のようなものなのだろう。


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クラシック小噺に強くなる本

2007-04-22 00:00:14 | 音楽(クラシック音楽他)
69b187ee.jpg「のだめカンタービレ著者二ノ宮知子さま絶賛」ということで釣られたわけじゃないが、まあ、マンネリ的にクラシックを楽しんでいても、脳味噌が固くなるばかりだから、裏話集みたいなのを読んでみる。そして、この本「クラシック♪♪BOOK・飯尾洋一著」は三笠書房の王様文庫だが、驚くことに、CDが付録に付いている。色々考えるものだ。全8曲。いずれも2分台に切り詰められている。巻末にCDの入った紙袋がついている。読み終わったあと、廃品回収に出そうという時は注意が必要だ。

本のシステムは、時代順にリュリ、ヴィヴァルディ、バッハ・・・・と始まりケージ、リゲッティと全40作曲家について数ページずつのエピソードを紹介し、さらにクラシックを聞く上の注意点とか・・

だから、あまりに有名なモーツアルトやベートーベンの逸話などは面白くない。それに、あくまでもエピソードというのは現実と異なることが多いので注意が必要と思う。例えば、国民学派と呼ばれるドボルザークは、25倍の給料に眼が眩んで、アメリカにわたって「新世界」を書いたのだが、スポンサーが破産したため、給料未払いのまま、プラハに帰らなければなくなった、と書かれているが、私の知っている範囲では、彼の実家は裕福な肉屋で、わざわざ貧乏な音楽の道を進んだということも読んだことがある。なんとなく、ドボルザークの音楽ではなく、本格的な伝記が読みたくなるのである。日本では「閉店音楽」として有名な「家路」をアメリカで作曲したから、プラハの妻のところに帰りたくなったのかもしれない、とは私の珍説。

69b187ee.jpgガーシュインの話。ラプソディ・イン・ブルーで一躍有名になったあと、自分でオーケストレーションをできるようになるため、渡仏してラヴェルのところに教えを乞いに行くのだが、ラヴェルはガーシュインに対して「一流のガーシュインが二流のラヴェルになる必要はない」と断ってしまう話が紹介されている。本当は、自分が「二流のガーシュイン」になるのを恐れたのかもしれない。少し音楽的には似ているところもあるように感じる。

そして、コンサートを聴く上の極限的な注意点が一つ書かれている。

それは、「誤解を恐れず言えば、」と注書き付きなのだが、・・

「人より先に拍手しない」

ということだそうだ。

要するに、交響曲は第四楽章まで、協奏曲は第三楽章まで、というのは、あくまでも一般論で、それには例外があるわけだ。

去年、川崎ミューザでコバケンの幻想交響曲を聴いたのだが、あれには有名な第五楽章がある。その日はコバケンが先にトークをして幻想交響曲のツボを解説してから、という豪華メニュウだったのだが、「第五楽章までありますからね」と二度ばかり念を入れていたのに、第四楽章が終わったところで拍手したバカが一人いて、さらに数人が釣られた。だから、何回か聴いているが、たいていの指揮者は第四楽章が終わったと思うやいなや1秒で第五楽章に突入する。


そして、最後のおまけに作曲家占いというのがあって、いくつかの設問にYES/NOで答えると、8人の有名作曲家の誰と近似性があるかということになる。要するに有名な作曲家はみな成功者なのだから、性格的に似ている人は、その作曲家のマネをすればいい、ということだ。ここに内容を紹介すると、著作権侵害もいいところなので、具体的設問は書かないが、私の場合はストラヴィンスキーということになった。自分的にはモーツアルトやベートーベンのようなタイプではないとは思っているが、せいぜいラヴェルかブラームスのような「技巧的」といった線を期待していたのだが、ストラヴィンスキーというのは「革命」である。現代音楽の扉を壊した男だ。

この本に書かれているエピソードから紹介すると、30歳の時のバレエ「火の鳥」の初演はパリ・シャンゼリゼ劇場。ディアギレフ主宰のロシアバレエ団にニジンスキーが振り付け。あまりの前衛に観客席が大混乱。あちこちで格闘がおき、サン=サーンス激怒、ドヴュッシー、ラヴェルは帰宅ということだったそうだ。そして、その後ストラヴィンスキーは88歳まで長生きし、著者によれば「カメレオンのように」作風を変え、1971年に亡くなる。

そういうタイプか・・

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扇子事件の前例発見

2007-04-21 01:14:54 | しょうぎ
4月10日、11日の両日に渡って行われた将棋名人戦七番勝負の第一局は、挑戦者の郷田真隆九段が森内俊之名人を破り、まず1勝を上げたが、対局1日目の午後に、挑戦者郷田九段が手にしていた扇子の音が気になるとして森内名人がクレームをつけるという事件が発生。

主催の毎日新聞4月11日朝刊には、こう書かれている。


 森内の24手目考慮中の午後3時20分頃、森内はそれまで盤をはさんで聞こえてくる郷田の扇子の音が気になっていたようで、自分の考慮中には音を立てないように要望。
 約10分後に郷田が、音は無意識のうちに立っているもので、意識的に立ててわけではない旨を立会いに説明したいとして、対局を中断した。
 立会の中村修八段と副立会の木村一基八段が協議し、郷田に相手の考慮中には扇子の音に配慮するよう要望して両者は納得。約30分の中断の後に午後4時対局が再開された。


まず、気付くことの第一は、立会人が役者不足ではないだろうか。今年A級八段に昇格した木村はともかく立会人の中村修八段は、名人戦挑戦者リーグであるA級リーグにも参加したことがないはずだ。名人にならなくとも、名人戦の挑戦者として名人戦七番勝負を戦った経験もない人間に、重要な第一戦の立会人を任せたことも無謀なのではないだろうか。名人戦出場者で、かつ対局者より年上という条件で探すと、丸田・二上・有吉・中原・加藤・米長・森・桐山・谷川・高橋・森下ということになる。高齢の丸田、入院中の森下、連盟理事で多忙な中原・米長をのぞいても、まだ初戦の立会人の候補者はいるだろう。第二戦以降の立会人も、井上、小林、高橋、塚田、有吉、青野。結局、名人戦出場歴があるのは、高橋、有吉の二人だけだ。「タニー」は何してるのだろうか。

現場の対応策も、「相手の考慮中は音に配慮」といっても、正確には「相手の手番中は」という意味だろうか。棋士はいつでも考慮中なのだから、妙な話だ。結局、翌日の二日目に郷田は扇子を対局室に持っていったものの、使わなかったそうだ。


そして二点目が重要なのだが、報道の通りだとすると、森内からのクレームは立会人を通さずに、直接、郷田に向って言われたようになっている。これは極めて異例である。対局者同士が声を掛けることは、普通はおこらない。

私は、この話を聞いて、すぐ思い出したのは、かつて、大山康晴名人対「打倒大山」を標榜していた山田道美の対局で、盤に覆いかぶさるように読みふける山田に対して、大山が「暗くしなさんな」と文句をつけ、山田が大山の頭部の状態を持ち出して差別的発言で言い返した事件である。直接的クレームは大きなしこりと反感をもたらすわけだ。

そして、その「暗くしなさんな」の話で終わってしまい、「その後、山田は36歳6ヶ月で病により不帰の人となり、今回の挑戦者、郷田真隆は現在36歳1ヶ月。何か不吉なものを感じるのだ」とか書いて終わりにすると、ブログを書くのも簡単なのだが、私は、そういうタイプではない。大山はいつ山田に言ったのか、そして、それはどのように報道されたのか。それを調べ始めたのである。


が、今のところ、いくら調べてもよくわからないのである。逆に昭和28年の名人戦で升田幸三が文字通り、盤のこっち側まで首を伸ばして読みふけっていて、大山が邪魔そうにしている写真は見つけたが、この領空侵犯に対するクレームの記録はない。さらに大山-山田戦をフォーカスしていくと、昭和40年の名人戦(大山4勝1敗)、昭和41年の王将戦(大山4勝3敗)、昭和42年の棋聖戦(山田3勝2敗)になっていくのだが、そのあたりで、この話は見つけられない。大山は後年、自伝のようなものを何冊か出しているが、山田を嫌っていたようで、ほとんど、あるいはまったく山田についての記載がない。逆に山田の著作は純粋に将棋の定跡のことばかりで、「暗くしなさんな」の詳細については未発見なのだが、調べている中に、もっと一級品の扇子の話が転がっていた。それは、山田が大山から棋聖を奪った次の期の棋聖戦である山田道美対中原誠の第一局である。

昭和47年中央公論の8月号に中原誠が投稿した「大山名人と雌雄を決した七番勝負」という記事の中に、その逸話が紹介されている。


私(中原)は扇子を持って指していた。まん中に骨のあるもので、読みに夢中になって無意識に開閉していると、ギーッと音がする。それが山田さんの気にさわったらしく、女中さんにいって油をさしてもらったらと言われた。扇子に油なんて聞いたことがないが、先輩の言われることなのでしょうがないと思い、そのとおりにした。なるほど返されたものを使ったら全然音がしなくなった。


前例があったわけだが、まったく違う展開になった。ちなみにこの山田-中原戦は山田が防衛している。

ところで、話に登場する中原誠だが、今回の名人戦にはカゲで大いに関係がある。

以前にも触れたが、挑戦者を決定するA級リーグ戦は10人総当りで9局指すのだが、挑戦者郷田の第6局の久保八段戦の終盤に「時間切れ騒動」があった。最後の1分の秒読み中、郷田が駒を置こうとした時に指から離れ、横向きになってしまった。あいにく、成っても成らなくてもいい場所だったので、着手が未了のまま時間切れになったかどうかということが、形勢逆転後、終了直前に久保側からクレームが出された。深夜、連盟副会長の中原にこの裁定が電話で持ち込まれる。中原は「後で言うのは無効」と超法規的判断を下し、郷田の勝ちとなる。その1勝差で、リーグ7勝2敗となり、6勝3敗の羽生・谷川を振り切り、挑戦権を獲得。もし中原裁定で負けになっていれば、3者同率となり、郷田は羽生・谷川と連勝しなければ挑戦できなかったのだから、多分に運もある。

第二戦では、扇子に注目だ。

扇子は使わずに「うちわ」にしたらどうだろう。

あるいは、ボールペン・スピンでも。


6f3e77d4.jpg前々週、4月7日出題詰将棋の答え
▲1八竜 △同玉 ▲3九玉 △1九玉 ▲1八飛 △同玉 ▲2九角 △2七玉 ▲1八角打 △1六玉 ▲3八角まで11手詰。

ちょっと元気が出るように大ゴマをバシバシ動かして詰ませる。飛車の押し売りが入っている。





6f3e77d4.jpgさて、今週の問題。逆王手形。難易度中。あまり難しい問題でゴールデンウィーク中、考え込まれて折角の休日をフイにしたら申し訳ないのでほどほどに。前半が面倒だ。

王と玉の他、飛角桂香という飛び道具総出演である。

わかったと思われた方は、最終手と手数と酷評をコメントいただければ、正誤判断。




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こんな店名ってあるのかい?

2007-04-20 00:00:27 | あじ
a77348b5.jpg以前、bunさんから推薦された定食屋チェーンに行ってみた。場所は、渋谷の道玄坂をかなり上ったところ。歩いて坂を上るのが嫌な場合は、井の頭線がビルドインされているマークシティに入って、レストランやショップ街を抜け、エスカレーターで順に4階まで上がって、道玄坂口に出たところだ。別の言い方をすると、道玄坂から右に曲がると円山町のラブホテル街へ入っていく小路のあたりだ。(つまり、マークシティを通り抜けると、ホテル街の入口というか裏口というかになっているともいえるが、その件はこれで終わり)

しかし、店名の「○○むなし」というのは、店名で言えば、「ありえない名前」ではないだろうか。食事して「むなしい」とは・・一説にはこのチェーンの社長が子どもの頃、「宮本武蔵」の「武蔵」を「むなし」と発音していたということからくる、といわれているのだが、こどもが宮本武蔵のことなど知っているのだろうか。だからといって、なんで、定食屋が”むなし”なのか?この話も終わりにしておく。

しかし、ホームページを見ると、既に全国79店。本社のある大阪と愛知が圧倒的に多く、東京は、この渋谷道玄坂と池袋の2店だ。あまり、せこいところに出てこないで、新丸ビルとかで勝負すればいいのに、と思ったりする。東京で言うと、”大戸屋”とか”さくら水産”とかがチェーンで有名だが、まずは、食べてみることにする。

入口に食券自販機がある。財布に貯まっていた小銭をあるだけ取り出し、投入すると、思いのほか10円玉ばかりで600円にしかならなかった。今更、千円札を追加するのも変なので、600円で食べられるものを探したら「揚げ出し豆腐定食590円」というのがあった。ところが今度は、出てきた食券をどうしたらいいか、よくわからない。だいたい店員がいない。勝手に空いてる席に座っても注文が通るとは思えないので、2階席に上がると「研修生」と名札をつけた店員がいた。彼女の指示にしたがって席に着く。そして10分ほどで定食は席に届くのだが、やはり、店内のあちこちで、店員が呼ばれたり、怒られたりして収拾不能寸前になってきた。人件費の切り詰めすぎだ。

a77348b5.jpgそして、メニューは、揚げ出し豆腐定食だが、鮭の切身の塩焼きがついている。小品おかずが3種類つく。そして味噌汁とご飯。どうも、少しずつ別のおかずがついてくる、というのがこの店の定食のポイントらしい。鮭はうまいが、メインディッシュの揚げ出し豆腐は、見かけはいいのだが、豆腐がフニャフニャという気がする。充填豆腐の食感だ。皮を割り箸で割ると、中がぐちゃぐちゃになる。一口で食べるのは、火傷しそうでこわい。味噌汁は、具にワカメと油揚げの刻み込まれた小片が使われている。まあまあだ。

ところが、この定食店の最大の問題は、ご飯だ。

はっきり言って、まずい。チェーンの中の、この店だけの問題なのかどうかは、較べようもないのでわからないが、メシが黄色っぽい。バサバサである。どうも「セルフサービスのお代わり自由」だからジャーに入れっぱなしで乾燥してしまうのかもしれないが、いただけない。論外という感じ。二階席でお替りした人は見た感じ一人だけだった。お替り用がまずくてもしかたないが、一杯目は白く水気のある米が食べたいものだ。少なくても渋谷は日本国内だ。(もっとも、bunさんの名誉のために、大阪でも愛知でもこのメシじゃ・・と思うから、例外なのだろうけど)

さらに、茶碗が陶器ではなく、薄いプラスティックの容器。軽くていいが、そういうものではない。吉野家だって丼は陶器だ。だいたい容器が重い方が美味く感じるのではないだろうか。このプラスティック製の茶碗と言えば、大学生協の食堂というのを思い出してしまう。ちょっと、東京では苦戦するのではないだろうか。

ところで、ホームページの社長の談を読んでいたら、さらに頭が混乱してきた。社長の宇都宮さんが言うには、「むなし」は「日常食の世界」をめざしていて「エンターテインメント・レストラン」の対極にあるということらしい。そして、エンタメレストランとして名前があがっているのは、「くいもんや12.6」「キリストンカフェ」「ブッツトリックバー」「エレファントカフェ」「あほぼん寺」「だいぶつころころ」「恋のしずく」ということなのだが、これらすべての中の一つとして私は行っていないわけだ。どうも、同じ経営者のようだ。しかも、いくつかは、東京方面に来ているようだ。”むなし”もいいが、エンタメレストランにも行ってみたいなあ・・(と、思うということは、そのうち行くということなのだが・・)


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犬のおもちゃ

2007-04-19 00:00:21 | The room of Sora
昨日、新東亜交易の話の最後に、最近はペット関連商品を経営上の重要戦略にしている、と書いたので、ついでに犬用のおもちゃの話。

自宅で飼っている室内犬のSoraだが、おもちゃは大好きである。ペット本とか読むと、おもちゃにも序列をつけて、一番好きなおもちゃと、二番目、三番目というようにして、何でも価値観を作った方がいいとされる。実際には、人間側が、これが一番と指示するわけにはいかないので、たくさんの種類の中で、犬が一番楽しそうに遊ぶのが一番、次が二番、と後決めになる。ところが、犬の気持ちだってTPOで変わる。食事の後や、散歩の後は、ちょっとした休息時間がほしいから、骨のような形のものをしゃぶったり、また、昼寝から起きた時は元気一杯だから運動系を好む。全然、理論通りいかない。

d01062b1.jpgしかし、生まれてから直ぐに使っていた何の変哲もないラグビーボール状のゴムのおもちゃだけは定番化していて、いつでも反応していた。犬が咥えると、ピッ、ピッ、ピッと音が出る。しかし、なにぶんゴム製なので、壊れそうになってきた。

犬のおもちゃというのも、多種多様で、郊外のペットショップへ行くと輸入物を中心に多数売られているのだが、犬は「好奇心の動物」といわれるだけ、色々と犬の気をひくための仕掛けや形状や色にこだわったものが多い(もちろん買うのは人間だ。犬は色盲らしい)。しかし、そういうところに、「普通のラグビーボール」のような形状の陳腐なオモチャは見当たらないのである。「本当に必要なものは、本当に必要な時には存在しない」というマーフィーの法則である。かれこれ、数ヶ月探しているわけだ。

そして、捜索範囲は郊外店だけでなく、会社の近くを中心に、都区内にも拡げているのだが・・

都心というのは、買い物には非常に不便な場所のわけだ。港区の人たちはどこに買い物に行っているのだろう、と考えてしまう。大型スーパーはなさそうだし、クルマで移動するにはコストパフォーマンス悪いだろう。だいたい、ペットショップとかあまり見ない。とりあえず、新橋駅周辺のごちゃごちゃした町を探してみたが、「犬のおもちゃ」を扱っている店など、とうてい見つからない。ただし、「大人のおもちゃ」を扱っている店はたくさんある。

結局、銀座の入り口のドンキホーテをのぞいてみると、これがまた妙な店だ。バラエティ商品の隣がペットのおもちゃ用売り場。全裸スーツの隣で売っていた妙なボールに目がいく。「ワンダーボール」。プラステックのサッカーボールの中にモーターと電池と偏った重心が仕込まれていて、床に置くと、不規則な動きで這い回る。1200円くらい。こうして、ラグビーボールを買いに行くつど、別のおもちゃを買ってしまう。

d01062b1.jpgそして、ワンダーボールを犬の前に置くと・・犬はやはり、人間とは運動神経がまったく違うことがわかるわけだ。最初は、前後左右に動くボールからきっちり1メートルの距離をおいて様子を観察。30分後には手を出すようになる。二日目には、自分でボールを部屋のコーナーに追い詰めるようになる。三日目には、人間の目には複雑で予測不能なボールの動きを読み切って、追いかけずに待ち伏せするようになる。犬種がネズミ捕り用だからかもしれない。自分の犬の自慢をするようになると、犬バ○と呼ばれるので、やめる。

そして、依然としてラグビーボールを入手していないので、むなしくネット上で探しても、そういう付加価値の低い商品は見つけ出せないわけだ。さらに、探していると、「犬用のDutch-wife」という種類の商品があることに気付く(ウチのは♀だから無関係)。さすが日本はウタマロ・お犬様・男尊女卑の国だ。メス犬のぬいぐるみなのだが、オス犬のストレス解消用にマウントさせて使うようなのだ。たぶん、開発者は、人間用を買ってきて、実験してから設計したのに違いないと思うわけだ。何しろ、犬の背中にミゾが作ってあるようなのだが、ちょっと犬とは場所が違うのでは・・。あるいは、その商品そのものが人間用だったりして・・。いや、それでは「大人の犬のおもちゃ」になってしまうか・・

そして、ついにラグビーボールは裂けてしまって、ただの「燃やすゴミ」になってしまったのだ。オロオロ・・

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またも循環取引かな?

2007-04-18 00:00:51 | 投資
a77348b5.jpg先日、加ト吉の循環取引が発覚したばかりなのに、「お次」が登場。しかも、今度は焦げ付きまで起きている。監査法人はまたも中央青山。総合商社である兼松の子会社の新東亜交易が、取引先であるシンコーサービス(株)(大阪市)が破産したため、石油製品の販売代金のうち売掛金等17億4千5百万円が債権取立不能になった、ということが兼松側から発表される(3月29日)。この段階では、単に怪しい業者に販売しているなあ、ということに留まっていた。

しかし、4月16日になって、東京新聞がこの件をさらに調査した結果ということで、朝刊にスクープする。


兼松 子会社が『循環取引』 石油で年200億円 2007年4月16日 東京新聞朝刊

 東証一部上場の中堅商社「兼松」の連結子会社「新東亜交易」(東京)と石油の取引業者が、実際には商品を動かさず伝票上だけで売買する「循環取引」をしていたことが十五日、関係者の話で分かった。
 昨年十月に打ち切られるまで少なくとも十年間は続いていたといい、直近の取引額は年約二百億円に上っていたという。取引先の倒産リスク回避が目的とみられるが、新東亜の売上高がかさ上げされるなど決算が実態と異なる場合、兼松の決算に影響、証券取引法に抵触する恐れもある。
 関係者によると、問題とされるのは、新東亜が名古屋市の元売り業者から仕入れ、岐阜県の石油卸業者に売る取引。
 正常な取引の場合、元売り業者の請求伝票は、新東亜だけを介して石油卸業者にいく。しかし、新東亜は資本関係のある大阪市の業者に振り替えるよう元売り業者に指示。伝票はその後、数社を経由し、岐阜の卸業者に戻り、新東亜に転売された形になっていた。介在した業者は、それぞれ仕入れ額の1%以下のマージンを上乗せして伝票を移動。岐阜の卸業者は現金決済を条件にダンピング価格で新東亜に卸していた。岐阜の卸業者は赤字を背負うことになるが、運転資金を確保できる仕組みだったという。

 名古屋の元売り業者から始まるこの流れだけで月十数億円に上っており関係者はほかにも伝票を還流させるルートがあったと指摘している。新東亜は「コメントは差し控える」、兼松は「取引に関してはコメントできない。連結決算に影響を及ぼす可能性のある事項には適切に対応し、情報開示している」としている。


つまり、新東亜交易は年間200億円も循環取引していたことになり、つぶれそうな岐阜の会社に実質的な融資をするため、支払いサイトと入金サイトの差を作り(額から言えば1か月分強?)、その対価として、岐阜の会社に逆ザヤ取引を強いていたことになる。そして、同一取引を繰り返すことによりその実質的融資額を何倍かに拡大していたということになる。

しかし、東京新聞の書くことが正しいと仮定すると、商流は、

名古屋の元売(A社)→大阪の業者(シンコーサービス?)→B社→C社→岐阜の会社→新東亜交易→シンコーサービス→・・・→新東亜交易→実販売先
ということになる。

ところが兼松側は16日の夜になって、あらゆる取引は通常取引である。と、循環取引ではないと発表した。

実際はどうだろうか。

記事中の名古屋の元売と書かれているのはN社という主に軽油を取り扱っている会社であると考えられる。輸入も手広く行っている。軽油の単価は1キロリッター(1立方メートル)あたり、60,000円程度だろう。通常の取引単位である2,000キロリッターなら1億2000万円になる。年商200億円とか焦げ付き額が14億円(または33億円)とか書かれているところから推測すると、数量的に10倍くらい感覚が違っている。10回転したのではないかと思いたくなる。

そして、さきほど描いた構図だとすると、破産したのはシンコーサービスなのだから新東亜交易だけでなく、N社も被害者なのだろうと思うが、その部分が循環取引になっていないとすれば、N社の被害はかなり限定的になる。あるいは、新東亜交易が債務保証をしていたのかもしれない。

また、破産したのが大阪の会社なのに、支払いサイト差で延命していたのは岐阜の会社。これからつぶれるのだろうか。

この取引が10年も行われていたとするなら、一体、その真の目的は何だったのだろうか、ということが本当によくわからない話である。

そして、調べてみると、この大阪のシンコーサービス(負債額31億円)の裏にはもう一社あった。森産業海運株式会社。帝国データバンクの発表では、こちらは38億円の負債を残して破産。17年度の年商は170億円もある。この森産業海運と新東亜交易がシンコーサービスへ出資している。38億円の負債は誰のものなのだろうか。この辺を図に書いてみたが、どうもうまく書けない。だいたい目的が不明なので、会社群を図の中に並べる因果関係がわからない。

ただなんとなく感じるのは、

負債の総額は兼松が発表している33億円より多そうなこと。
まだ、岐阜の会社がどうなるか、わからないこと。
循環取引が行われなかったとすると、相当量の実取引量が必要だが・・?
リングの中で生まれた利益は、営業上の所得と認識されるのか(贈与?)

などだ。

さらに、奇妙なのは、この新東亜交易は、兼松ではなく三菱商事の子会社だったわけだ。2005年12月末に兼松が株を買取る。そして兼松は事業展開の整理として、石油販売は「兼松ペトロ」という会社にまとめようとしたわけだ。しかし、この取引は2006年10月まで続くことになる。

したがって問題になるのは、兼松は三菱商事から新東亜交易の株を買い取る時に、これらの取引実態を聞き取ってから取得株式の対価を決めたのだろうか。あるいは、隠し込まれていたのだろうかということ(力関係から言って、今更、言えないかもしれないが)。しかし、仮に、当時、この破綻的債権リスクを知って買取株価を決めていたとするならば、今度はリスクについての開示義務に違反していたことになる。


兼松の株主の方には、ご同情するしかないが、株主総会の場で大声で頑張ってもらうしかないだろう。

そして、石油販売を行わないはずのなかった新東亜交易の経営基盤の一つは、ペット用品の輸入なのである。ペットフードや玩具、そしてケンネルハウスなどが主力商品である。閉店セールの投売りにならないことを祈るだけである。

仮に、ペット用品でも循環取引をしたならば、・・「イヌのおまわりさん」になってしまうから。


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高崎経済大学に何が?

2007-04-17 00:00:29 | 市民A
高崎市立高崎経済大学二年生の女子学生が(20)が、ゼミ担当教員准教授からの留年通告を受け、自殺したのは2007年1月15日。それから3ヶ月経ち、大学は、その担当の准教授の中路敬氏(38)を懲戒免職にし公表する(4月9日)。大学の説明では「大学院並みの厳しい課題を与え、ある課題ができないから即留年、とはおかしい」とのこと。

教員の懲戒処分について
 本学学生が平成19年1月に自殺した事件について、平成19年4月9日付で演習担当教員を、教育的配慮を欠いた指導を行い、また、教育公務員としてふさわしくない行為があったため、免職処分としました。
 併せて、同日付で学長及び経済学部長をそれぞれ、指導監督を怠ったとして減給処分としました。
 大学として、このような痛ましい事件が二度と起きないよう、教職員が身を引き締め一体となって、教育・研究環境の一層の改善を推進して参ります。
 平成19年4月13日 高崎経済大学長 木暮 至


さらに、留年通告メールを送って、学生からの「自殺を予感させるメール」を黙殺した行為も明らかになっている。一方、中路氏は、不当解雇として高崎市公平委員会に不服申し立てをすると言っているようだ。

この件は、准教授の氏名はジャーナリズム上で明らかにされていない。また、事件の細部が報道されていないのだが、「加害者の人権保護」という一環だと思っていたわけだ。そのため、よくあることだが加害者側に責の7割があり、被害者側に責の1割があり、まだ表に出ていない第二の加害者に責の2割があるような場合、加害者側の報道がなされない場合、被害者バッシングが起こるということになる。ネット上の意見など見ていると、先週はそういう被害者バッシングが行われていたが、事態が少しずつ明らかになるにつれ、「被害者の身勝手」→「加害者の過剰な厳しさ」→「教育を超えた異常な人格」→「採用した大学の管理責任」という方向に向い始めたようだ。どうも人名が表に出てこないのは、この変質性の部分にジャーナリズム側が病的なものを感じているからではないだろうか。

その前に、「准教授」という地位についてだが、教育基本法が変わり、「助教授」が廃止になって「准教授」になったことを、この事件で初めて知った人が多いようだが、一般的な教授コースである「助手→講師→助教授(准教授)→教授」が変わらなければ、呼称変更に深い意味があるのかどうかは、よくわからないし、深過ぎる意味が隠れているのかも知れないが、この話は本題と関係ないだろう。


まず、この中路氏の担当していたゼミだが、内容は「経済学」ではなく「経済学史」で、「基礎ゼミ」の一つだった。そして「基礎ゼミ」が「必修科目」だったそうだ。だから、単位が取れないと、この1科目だけのために留年になってしまうわけだ。そして、この学生の場合、そういう「この1単位だけのための留年」になりそうになっていたらしい。学生は「数ある基礎ゼミ」の中から1つを選び、10~20人程度の少人数教育を受けることになっていた。だから、勉強が嫌いな学生は、易しいゼミを選び、勉強が好きな学生は難しいゼミに挑戦することになっていた(まさか留年の危機があるとは知らず)。

そして、昨年6月に出題された「ゼミの課題」だが、報道されているのは、「アダム・スミスの行った重商主義批判の論点を説明するなど10題の中から5題を選んでリポートする」と「新聞社説10本の要約とそのコメント」というのだが、誰しも、「それくらいなら、まあ、なんとか時間もあるし、できるではないか。やはり女子学生が悪いのではないか」と思いそうである。

しかし、実際は、アダム・スミスは最も易しめの問題で、リカード、ワルラス、マルサス、マーシャル、ケインズ第一公準、第二公準、それに経済数学の問題などが並んでいたそうだ。

さらに、中路氏は、レポートに「ボールペンによる手書き」を指定し、「修正液使用禁止」とし、字が下手な場合、糾弾していたそうだ。「女」という字を書かせて、「字が崩れているから、性格も崩れている」とか「家畜」とか「ピンサロ嬢」とか口走っていたそうだ。しかも、レポートに欠陥があると、ペナルティとして、さらに追加の課題を出すということらしく、ほとんどの学生がついていけない状況だったようだ。大学側が大学院レベルの問題といったのは、准教授が「(どこかの)大学院入試問題を使った」と説明したかららしい。

しかし、38歳にもなって、どうしてこんな社会性の欠けた幼児の様な発想の准教授が存在するのだろうか、というのが疑問になる。第一、教えているのは「経済学」とは言い切れない「経済学史」である。私も、遥か以前に経済学を選考していたので、当然ながら経済学史のことは知っているし、上記の問題に対する解答は、およそわかるし、多くの経済学者の著書は日本語訳で読んでいる(准教授は、度々、引用の出所を原書中に求め、さらに留年メールも英語だったそうだ)。が、これらの諸学説というのは、社会科学の宿命として、A→B→C→・・・と発展していくものである(社会が発展するのではなく、経済学に新説が追加されるという意味)。だから、こんな経済学史などやらずに、サミュエルソンの経済学の教科書(大学生向け)を読めばすべて終わり、という考え方もある(もっとも、日本人には経済学者は一人もいなくて、すべて経済学史研究者だという厳しい考え方もある)。

そして、これらの多岐にわたる諸学説を理解するためには、マクロ経済やミクロ経済の大枠を理解してからの方がいいのだが、この大学では2年生の段階ではそれらについて教え切っていないそうである。つまり、基礎ゼミの内容は他の講義との体系性がとれてないわけだ。

さらに、注意深く課題を見てみると、この中に欠けている経済学者がいることがわかる。「マルクス」である。さらに、ケインズ以後の現代的な経済理論が含まれていない(教えていないかどうかは判らない)。

彼が前職の茨城大学助教授の時には、同様のゼミを3年生・4年生に行っていたのだが、その時に「経済学史」の重要性について記したコメントを見つけた。一般的には高崎経済大学よりも入学難易度が高いと思われる国立大学の3年・4年に行っていた講義をそのまま2年生に使いまわしたようなことではないだろうか。

経済学史 中路敬

 なぜ、経済学史を学ぶのでしょうか?21世紀に生きている私たちが、何十年・何百年も前に死んでしまった経済学者の主張に耳を傾けることなど、何の価値もないように思われます。しかし、経済学を知るためには、経済学史を学ぶことが、実は最も手っ取り早い方法といえるのです。
 数学や物理学とは異なり経済学には、たくさんの学派があり、これまで数え切れないほどの論争が繰り広げられ、現代においても論争がやむことはありません。言い換えれば、経済学はひとつではないのです。また、一見新しい経済学が生まれてきたかのように見えても、じつは、それは、何十年も前に主張されていたことの繰り返しだったり、ただ単に(難しそうな)数学で書き表しただけだったりと言うこともしばしばあります経済学史を学ぶことで、みせかけの新しい理論に振り回されなくて済むのです。つまり「経済学者にだまされない」というわけです。
 さらに経済学史を学ぶことで、経済学という宇宙の時空を超えて旅し、その世界全体を見渡せるわけですから、論争のいわば公平なレフェリーの役割を担えるということにもなります。経済学史の勉強は、まさに経済学の勉強の王道なのです(・・・と同時に、つねに正統派経済学を批判的に眺めるという意味では、ウラ街道を突っ走ることにもなります)。
 経済学史研究者が経済学者の中で一番エライというわけではありませんが、経済学史を知ろうとしない経済学者・理論家は、ほぼ間違いなく二流以下といってよいでしょう。経済学史を知ればこそ、新しい理論や思想の発展にもつながるのです。
 3年次ゼミでは、近代経済学もしくは古典派経済学に関する基本文献(ゼミ生と相談して決定します)を輪読し、討論することによって経済学・経済学史に関する理解を深めていきます。また、随時レポートを書く訓練もします。要するに「よく読み、よく考え、よく話し、よく書く」ゼミにしたいと思います。
 4年次の卒論ゼミでは、各自がもっとも関心を持った経済学者もしくは経済学派の理論・思想・政策論を取り上げ、卒論を作成します。卒論は、400字詰め原稿用紙50枚以上(手書き不可)で、基本的に日本語文献・邦訳のある文献を扱ってもらいますが、邦訳を使った場合でも原著のページの確認ぐらいはしてもらいます。


ここから、中路氏の経歴をなぞってみる。

まず、生まれは1969年1月。いわゆる団塊ジュニア世代は、狭義では1971年から1974年生まれとされるので、2年上である。大阪生まれだが、広島大学経済学部に修士課程まで在籍。その後、九州大学で博士過程を履修。経済学博士。九州大学で2年間の助手を務めた後、2001年に茨城大学准教授となる。

ここまでで、気がつくのは、どこかで3年余分に使っていることだ。団塊ジュニアと同じ舟に乗ることとなる。また、「留年させることなんて何とも思っていない」ということは自分の経験からなのかもしれない。冒頭に書いた、助手→講師→助教授というのが一般的とすれば、彼は、助手→助教授と一つ飛ばしている。これが旧帝大(九大)と旧二期校(茨大)の格差なのだろうか。

さらに、頭に入れておきたいのは、特に国立系の大学の経済学は過去に「マル系色」が強かったことだ。中路氏あるいは彼を指導した教授が、マル経にどれだけかかわっていたのかはまったくわからないが、ソ連崩壊は彼が20歳の時だ。

そして、問題の茨城大学在籍中の事件とは、「勤務時間中にスポーツジム通いが目に余った」「大学院生に対して、退学をうながした」ということだそうだ。一言でイメージを言えば、「自分に甘く、他人に厳しい」。よくわからないが、勤務20年のベテラン教授であれば、多少のサボりくらい許容されるのかもしれないが、まだ新米の内である。

その事件で停職3ヶ月の処分を受け、結局退職。たまたま、高崎市立高崎経済大学の公募に応じ、採用される。


そして、これから起こることが予想されるのが、大学の管理責任である。確かに、大きな大学でもないし、東京に近い関東の経済大学というのは、経営的に苦しいことが予想され、無傷の教授を集めるのには苦労するのかもしれないが、「経済学史」くらいなら非常勤で教えられる先生はゴマンといると思える。

また、言いたくはないが、今後の少子化の中で、大学が生き延びる経営基盤は、授業料だけではなく入学金、寄付金に頼らざるを得ないではないだろうか。それならば、留年など固いことをする意味などまったくないわけだ。どんどん学生の回転を上げる必要がある。超一流大学ではないのだから、自分の大学の評価は、卒業後の学生の活躍によって上げるというプロセスが重要なのである。大学生が楽しい気分で卒業しなければしょうがない。

さて、一旦、採用すると、なかなか解雇することができないのは日本の労働事情である。2006年に彼が採用された時の、基準やその経緯、そして採用後のチェック。また、一科目でも取れないと留年するという制度(他の大学でも、この手の制度はあって、学生・教官とも困っている)を放置していた責任は極めて重い。これから厳しく問題にすべきである。

しかも、未確認だが、この1年で本件以外、何人かの学生が自殺しているという情報も流れ始めているわけだ。

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巧みな大感謝祭?

2007-04-16 00:00:54 | マーケティング
458f5c62.jpg先週、勤め先の近くの「なか卯チェーン」、親子丼をかきこむ。490円。親子丼の有名な専門店は知っているが、わざわざ一人で行くにもなれず、さらに、その時は、親子丼が食べたかったわけ。器用なもので、店に向かって歩いているうちから、既に親子丼向けの消化液が胃腸に流れてくる。今更、途中の店で、ラーメンとか海鮮丼ということにはならない。後で消化不良を起こす。

そして、無事になか卯に到着し、親子丼を注文すると、すかさず「春の大感謝祭」の抽選券をもらう。コインで銀色の部分をコスルと結果が現れる仕組みだ。通称スクラッチカード。以前、そういう仕事をしていたことがあるが、場合によると、銀色のシールと何等賞が刷り込まれた抽選用紙が別に送られてくることがある。各店舗で、銀色シールをアタリハズレの記載の上に貼るのだ。もちろんバイトの仕事。そうすると、加盟店は等賞ごとに把握できるので、任意に、このお客には1等とか、女性客には優先的に当たりを増やすとか、そういうことが可能になる。妙な細工ができるわけだ。

そして、もとより、ここで抽選をやっていることなど知らなかったのだから、どうでもいい話だが、根がケチだからコインで削ってみる。削る時は500円玉を使うことにしている。すると・・・

4等賞!!

あたりである。商品は「こだわり卵」である。要は「ナマ卵」。しかし・・

親子丼にナマ卵をかける人を、今まで見たことがあるだろうか。しかも、なか卯の親子丼はつゆダクである。じゃあ、次回は牛丼にしようと、なにげなく考えてしまう。

しかし、・・・・・

妙な、疑いが頭をよぎったわけだ。つまり、親子丼のお客に対して「4等・こだわり卵・当選」ということにしたならば、次回、最来店して、「牛丼」を注文する確率が高いのではないだろうか。というようなマーケット戦略があるのではないだろうか。逆に、牛丼の顧客に「ナマ卵」では、本当の感謝になってしまう。

そこで、そういう「怪しい眼力」でこのスクラッチカードの裏の記載を確認してみる。各等は、

1等  ネックストラップ 3色よりいずれか1本(よくわからない)
2等  小うどん     1杯無料
3等  海藻味噌汁    1杯無料
4等  こだわり卵    1個無料
ハズレ ハズレ券     6枚で牛丼無料

なんとなく、小うどんというのはメインの丼のおまけのようなもの。小うどん2杯食べる人はいない。また、味噌汁も通常1杯だ。またうどんを注文した人は味噌汁は飲まない。疑う訳でもないが、小うどん注文した人には2等、味噌汁を頼んだ人には3等。親子丼、または月見うどんを注文した人には4等を渡しているのではないだろうか。では、単に牛丼だけの人は、ハズレ券を6枚集めることを期待されているわけだ。

しかし、その勝手な仮定について確かめるには、もう時間はほとんど残されていない。大感謝祭は4月17日24:00までになっている。検証するためには、16日に行って、牛丼+味噌汁にスクラッチカード4等のナマ卵というように注文すればいいのだろう。仮説が正しければ、3等の海藻味噌汁が当たるはずなのだ。

仮に、実験を忘れていなければ、その結果は、本エントリに追記することにする。

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