少し前に、山口県を中心に中国地方西部を旅行していた。津和野は実は島根県だが松江方面からは遠く、観光的には萩・津和野と回ることが多い。

津和野は小さな盆地にある城下町で、城は町を見下ろす霊亀山の山頂にあり、山の下からは石垣だけが見えている。城に登る時間も体力もなかったので、遠方からの撮影写真。

実は、津和野城は鎌倉時代中期に吉見氏により築城されたとされる。周防・長門・石見の三国をつなぐ交通の要所ということで栄えていた半面、戦国時代には大内氏と尼子氏の両雄に挟まれて、さらに新興の毛利氏が中国統一すると、毛利氏の傘下に入って生き延びていたが、関ケ原での西軍敗退によって、ついに追い払われてしまう。

そして、入城したのが坂崎直盛。関ケ原での戦功によるものだが、後にとんでもない事件(千姫事件)を起こす。ただの暴れ者だったようだ。
大坂夏の陣で豊臣秀頼や淀君が大坂城の灰燼と果てた時、秀頼の妻だった千姫(=二代将軍秀忠の娘)は家康の命で救出することになっていて、それを果たしたのが、津和野城主の坂崎直盛だった。問題は家康が決めた救出の条件で、「千姫は、救出した者の妻になる」と人参をぶら下げたわけだ。そこで張り切って火の海の中から連れ出したのが坂崎直盛だったのだが・・
実際には千姫は幕臣である本多忠政の子、本多忠刻と結婚することになり、怒った坂崎は千姫を強奪しようと計画したのだが、計画を幕府に知られ、江戸屋敷を包囲される。切腹する気がないと知った坂崎の家臣が、坂崎を斬り、切腹を偽装するも失敗。お家取りつぶしとなる。
そして、新たな城主が亀井氏となる。しかし、この亀井氏の治世中にも「極秘扱い」の事件が起きている。吉良上野介暗殺計画だ。
浅野内匠頭の事件の一年前に、吉良上野介からのイジメを受けていたのが、時の津和野藩主であり浅野の前職だった亀井茲親だった。さんざんイジメられた結果、明日こそは殺してやろうと江戸詰家老に打ち明けたところ、家老はびっくりして、「1日待ってください」といって、吉良に追加賄賂を持っていったそうだ。その結果、イジメはなくなり、江戸城中ご乱心役は浅野家に任されることになり、その結果、平穏無事に明治時代を迎え、亀井という苗字の国会議員も数人生まれることになる。