えはかき

2011-07-31 00:00:12 | 美術館・博物館・工芸品
横浜歴史博物館で開催中の「風景を伝える、持ち帰る絵はがきあれこれ」展。

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なぜ、絵はがきの展覧会が横浜で開かれているかと言えば、ルーツが横浜にあるから(というか、そういうことにして展覧会が開かれた)。明治維新に始まる洋風化運動の中で、横浜はその先頭に立っていた。横浜港があり、外国人居留区があり、横浜と東京間には高速鉄道があった。

そして、横浜にきた内外の観光客の楽しみの一つが、「写真撮影」だった。いくつかの有名写真館があり、外国人カメラマン、日本人カメラマンが多数働いて、カメラを担いでお客探しをしていた。

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その後、一見客をカモにする商法は長続きしなくなり、かわりに現れたのが「横浜写真」なるもの。さすがに日本人の考えることはガラパゴスである。明治10年~20年代の写真は当然モノクロだったのだが、それに彩色することにしたわけだ。疑似カラー写真である。ただし、その場ですぐできるわけでもなく、いくつかの有名な風景や街の風物などを撮影したあと、彩色していく技法である。

そして、人気を博した横浜写真も明治30年代になりさすがに落ち目になる。そこで登場したのが、「横浜絵はがき」だそうだ。


一方、郵便制度の面でも、封書ではなく葉書が登場したのが明治6年のこと。当初は「はかき印紙」と言われたそうだ。形は厚紙の二つ折り。厚い紙を製造する技術がなかったので、二つ折りにして強度を保ったそうだ。その後、明治8年になり今のような一枚の厚手の「郵便はかき」になったそうだ。

しかし、日本の絵はがきの発展を支えたのは、実は、軍国主義だったらしい。陸海軍に徴兵で組み込まれた兵士たちが実家を安心させるために、軍隊生活がいかに楽しいものか、官製の軍隊絵はがきを送っていたようだ。そういう展示もある。

そして、実は戦後、一気に旅行ブームが訪れたそうだ。ようするに民衆が抑圧された青春を取り戻そうと、国内各地を歩き始めたわけだ。その時、訪れた各地の風物を持ち帰ろうと、10枚セットの絵はがきとか買ったわけだ。だから、旅先から知人に送るという目的のほかに、アルバムがわりという効能があったわけだ。カメラで写すのもいいが、モノクロだし、カメラマンみたいな腕前じゃないし、まして摩周湖に行ってもめったに霧は晴れない。

そして、現代。人々は旅行に行き、そこで撮影し、数秒後に知人たちに送信してしまうわけだ。『絵はがきの危機』。しかし、なぜかどこの観光地に行っても、いまだに絵はがきは売られているわけだ。


ehagaki2ところで、本展覧会では全国47都道府県から絵はがきを集め展示しているのだが、夏休みの課題で展覧会の感想文を書こうとしている少年たちの眼にとまると、ちょっと・・というのがあるかもだ。

千葉県を代表する「外房(がいぼう)」という絵はがきセットの表紙は、「海女」数名が並んで被写体になっているのだが、内数名の方は、本来隠すべき部分をそのままにしているわけ。本職なのだろうか、あるいはモデルを起用したのだろうか。(もちろん、立ち止まって見るわけにはいかないし、すでに交換されてしまったかもしれないので、念のため)

軽快作

2011-07-30 00:00:26 | しょうぎ
『新・詰将棋道場』勝浦修氏の詰将棋短編集。200問である。5手詰から9手詰。作風は「軽快」といったところだろうか。難易度はそこそこという感じで、見てすぐ解ける問題だけではない。



最近、短編に凝っているのは、言うまでもなく、短編作を作れないかと模索中のため。

とはいえ、それはなかなか難しいし、どうしても有名な手筋だと盗作っぽくなってしまう。

でも、詰将棋集としては、よくできている。おすすめ。


さらに、著者の同一シリーズの最新作『詰将棋道場・挑戦編』が発売されたようだ。挑戦までする気はないのだけど、ちょっと書店で確認しようと思っている。



さて、7月16日出題作の解答。



▲1五角 △1七玉 ▲1九香 △1八飛 ▲2六銀 △2七玉(途中図1) ▲1六銀打 △同飛 ▲同銀 △3六玉 ▲3七飛 △同金 ▲同銀 △4七玉 ▲4八金 △同金 ▲同銀 △5八玉 ▲5九金 △同金 ▲同銀 △4九玉 ▲5八銀(途中図2) △同玉 ▲5九金 △4七玉 ▲4八金 △3六玉 ▲3七金まで29手詰。

エスカレーター途中ストップの図である。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



一つ一つは単純な手が多いが、順序を間違えたら詰まない。解けたら手数を数え間違えないようにね。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ正誤判断。

豆味噌と麦めし

2011-07-29 00:00:14 | あじ
最近、歴史小噺を色々読んでいるのだが、徳川家康のこと。

まあ、表の功績について言うことはないのだが、実はかなりの好色親父だったらしい。古い言い方をすると「ひひじじい」と言うらしい。

と言っても、秀吉のように「鷹狩り」を装って、山里で「女狩り」をしていることを宣教師に説教され、逆上してキリスト教徒を追っ払ったりしたわけじゃなく、一応、側室として正規登録の上、手をつけているのだが、その数16人。感心なのは、年齢を重ねるにつれ、若い娘を選んでいて、32歳の時には、お万の方(24歳)、41歳でおつま(16歳)、49歳の時にはおはち(13歳)、さらに68歳にして、12歳の於六を側女にしている。和製ベルルスコーニである。実際、66歳の時には、女子が生まれている。

で、そういうパワーの源となる食べ物だが、健康食を愛用していた。一つが豆味噌。もう一つが麦めしである。さらに家康は漢方薬を自分で製作、調合していて、調合していた道具一式を展覧会で観たこともあるが、話を味噌と麦にしぼってみる。

まず、豆味噌だが、これだって今でこそ八丁味噌として高級味噌といわれているが、少し前は「ケチの名古屋人は、メシに辛い味噌を塗って食べる」とか言われ、蔑まれていた。

ところが、まさに、家康は、ケチな名古屋人であって、麦めしに豆味噌を塗って食べていたらしいのだ。この味噌にはアルギニンというアミノ酸が大量に含まれているのだが、これが人間の精子の中に大量に含まれているそうだ。

次に、麦だが、今でこそ健康食だが、少し前はムショメシとして有名だった。ボソボソして、噛んでも噛んでも甘くならない。「貧乏人は麦を食え」と放言を吐いた首相もいた。しかし、ビタミンが多いのと、なにしろ繊維質が多く通じがいい。快便だ。

しかし、快便で思い出すのが家康の馬上脱糞事件だ。時に39歳の時の三方ヶ原の戦いでの敗戦。武田軍に打ち破られ、必死の逃走の末、浜松城に逃げ帰った時、恐怖のあまり馬上で脱糞したと言い伝えられている。

この事件、案外、単に腹が痛くなったものの、用を足す時間がなく馬上でやってしまったのではないかとも思っていたのだが、当時から麦めしを食べていたのだろうか。案外、戦場で煮え切らない干し米を食べて腹をこわしのではないだろうか。

だいたい、家康はこども時分には今川家の大事な人質だったのだから、麦めしなんか食べさせられていたはずはない。なんらかのきっかけで、麦めしに切り替えたのだろう。それが三方ヶ原の脱糞事件からだったのではないだろうか。


歴史上では、小田原城包囲戦の最中に、家康は秀吉と並んで立小便をしながら、江戸を本拠地にするように命じられたことになっている。たぶん、秀吉は、言い渡すとさっさと一物をしまってお先に失礼してしまったのだろうが、もし、しゃがんで用を足す方だったら、快便モードの家康の方が、「江戸などいらぬじゃ」と、お先に失礼と逃げだしていたのかもしれない。

ハルマゲドン

2011-07-28 00:00:24 | 市民A
近く、ハルマゲドンが来るらしい。といっても、小惑星が地球に衝突するわけでもなく、未知のウィルスをテロリストがばらまくわけでもない。

「金融超巨大恐慌」

サブプライムローンが破綻して、リーマンが破綻して、世界中の金融機関がつぶれかけたものの、公的資金を投入してなんとか大破綻を免れたものの、次なる巨大な大波が現れた。

米国債格下げ。


ところで、最近、空路神戸に行くことがあり、空港から市内に向かうポートライナーの一つ目の駅名に驚いたわけだ。

「京コンピューター前」。読み方は、「けいコンピューターまえ」である。

京を「けい」と読むことを、つい最近放射線の単位に登場したことで知ったのだが、次にコンピューターである。元々、「ポートアイランド南」という無機的な駅名で一日乗降客800名(ということは400人だけが利用ということ)の地味な駅の前に、世界最高速のスーパーコンピューター「京」の入ったビルが建っていたわけだ。例の蓮鈁議員が将来の首相の座をフイにした名言「一番じゃなきゃ、いけないの?」と罵られた物体だ。

世界一になった記念に、この7月から駅名が変わったそうだ。

ただ、世界一思想の是非とは関係がないが、「コンピューター前」という語感は、コンピューターの前にひれ伏す人間というイメージを感じ、やや心穏やかにはなれない。


で、話が横に飛んだが、放射能、スーパーコンピューターにつぐ第三の「京」だが、おカネの話である。米国債を直接的、あるいは間接的に組み込んだ金融商品の残高であるが、サブプライムショックの時もそうであったように全貌を知る人間がいないものの、およそ数京ドルあるのではないかと言われているわけだ。

さらに、米国債はAAAの基準とも言われているわけだし、米国のあらゆる企業体のディフォルト率だって変わってくるし、それらの債権、株価、為替・・・すべてのマーケットが大崩壊する可能性があるということらしい。数十京ドルということらしい。仮にその0.1%の価値が地上から消え去ったとしても100兆ドル(8000兆円)が価値ゼロになるということになる。

で、どうしてそうなるかというと、米国政府の借金上限に関する法律である。現在、14兆2900億ドル(1120兆円)を上限としている法律を改正して、もっと国債を大量に発行しようという法案を民主党が主張しているのに対し、共和党が大反対しているわけだ。しかも、ねじれ国会。法案のタイムリミットは8月2日である。

実際、日本の感覚で言うと、米国経済の3分の1程度なのに、もうすぐ借金1000兆円になろうというのだから、もっと借金に寛容になってもいいのではないかと思うのだが、共和党員はそうは思わないわけだ。

借金を減らす方法は大きく3つ。

1.上限を増やさない
2.歳出を減らす
3.増税する

実際は、1は目標というか結果というか、2と3の結果である。おおむね両党が合意しているのは、上限を少し増やし、一方、歳出を減らし税額を増やして、長期的には借金を増やさないようにしようということ。

そんなことはわかり切っているのだが、問題は、歳出を減らすのは何を対象にするかということで、社会保障費と軍事支出のどちらを減らすのかという点で民主党と共和党は対決している。増税にしても、ブッシュ減税による金持ち優遇措置を続けるのか辞めるのか、意見が分かれている。

つまり、上限を少しだけ増やすということには合意できたとしても、何を節約して、誰から増税するかということにおいて、意見が正反対になっているということである。


ということで、法案成立のめどが立っていないのだが、本当のところは、上限が拡大して
借金が増えた場合と、決裂して新たに国債が発行できすに強制的に公務員に給料が払えなくなる場合と、どちらがの場合が国債格下げになるのか、ということすら明確ではないことかもしれない。


西部劇の昔から、米国人はチキンレース的決闘が好きなので、結局はなんとかなるのかもしれないが、現大統領の片方の先祖は西部劇の頃のアメリカには住んでいなかったわけだ。

高速鉄道追突脱線落下事故

2011-07-27 00:00:31 | 市民A
言ってはなんだが、中国で起きたマネッコ新幹線の事故だが、欧米ではあまり報道されていない。日本の報道も、「やはり・・」という主旨が多いし、中国での報道だって「やはり・・・」という感じが漂う。

積極的事故原因の分析をするには情報がなさすぎて、しかも車両を穴に埋めるということで、話にならない。

しかし、大雑把にいえば、落雷で止まった車両があって、後続列車がブレーキをかけたものの止まり切らずに約120キロ程度で停車中の先行車両にぶつかったらしい。追突したということでいえば、前の列車の情報が後ろの列車に伝わらなかったということである。

日本的システムであれば、少なくても三重以上の追突防御策がこうじられていて、すべての策をすり抜けて事故が起きる可能性について、かなり少ない可能性になっている。たとえば、目視が第一段階だとすると、ATS装置があって、さらに緊急時には、系統の全列車が同時に止まるシステムとかだ。自宅近くの東急だって、経営姿勢は暴走気味だが、列車だけは同時に全部止まる。。

中国の事故を見て感じるのは、元々安全システムというより中央制御システムが脆弱で、さらに安全対策が二重や三重になっているわけでもないのだろうということだ。


実際、鉄道史と鉄道事故史とは表裏一体のものだった。

1830年9月15日イギリスで起きた死亡事故では、鉄道敷設の功労者である代議士が死亡したのだが、一方、その日は世界初の公式開業日だった。乗客も、運転手も慣れていなかったようである。日本でも創設期には、脱線とか正面衝突とかよく起こっているが、幸い、速度が出ていないのなら事故は大きくならない。

その後、しばらくすると、ハード的な事故が増えてくる。1879年のイギリス・テー長鉄橋崩壊事故では78人が死亡。

その後、列車の速度が上がると、事故の衝撃度もより増加し、数十人、百人の単位で大惨事が起こるようになる。その後、日本では、在来線の特急でいくつかの事故が起き、その都度安全対策が追加されるようになる。

つまり、第一段階の低レベルな事故から、第二段階では在来型特急による事故と対策に代わっていき、その次の第三ステップとしてさらに安全度を高めた高速鉄道による安全システムという順を踏んだ進歩があるわけだ。

中国の場合、第一段階から、第二段階をすっ飛ばしていきなり第三段階に進もうとした結果、当たり前のことができてなかったのだろうと思うわけだ。

それと、たぶん、たいした事故じゃない、と思っているのかもしれない。

二千円札の失敗

2011-07-26 00:00:46 | 市民A
最近、歴史裏話系の本を読んでいて、「聖徳太子」のことが書かれていた。といっても聖徳太子の実像の話ではなく、聖徳太子が日銀券のモデルになったことについて、その登場した時の驚きのようなこと。

実は、聖徳太子が千円札に登場したのは、1950年のこと。その前に1946年に登場した百円札に聖徳太子が登場しているのだが、なにしろこの1950年の千円札は国民に衝撃を与えたそうだ。

なにしろ、今までの最高額紙幣が百円札だったのだから、一挙に10倍である。当時の新卒者の給与が平均四千円だったそうで、その1/4の金額である。今で言えば初任給20万円として、5万円ほどの価値がある。五千円札しかなかったのに五万円札が登場したようなものだ。

そして、その後、聖徳太子は、五千円札、一万円札に登場する。そして月日が経ち、2000年。小渕首相が沖縄サミットを記念して、二千円札の発行をする。

だが、今に至るまでこの二千円札は邪魔者扱いである。1年に1回ほど見ることがあるが、大部分は銀行の金庫に眠っているらしい。簡単にいえば、『失敗』である。

では、なぜそうなったのか。

一つは図柄。沖縄の守礼門と源氏物語で、沖縄と日本の一体感をあらわそうとしたのだろうが、時代考証がでたらめである。

しかし、もっとも大きな理由は、『少額紙幣』ということだろうか。
初任給の1/4という基準で行けば、五万円札がふさわしかっただろう。上を見ないで下を向く内向き精神が、デフレを招くということだろう。

ところで、紙幣ではなくコインだが、500円玉というのが、実用に用いられている中では世界最高額のコインだそうだ。

いっそ、千円玉とか作るべきなのかもしれない、

27 クラブ

2011-07-25 00:00:04 | 音楽(クラシック音楽他)
英国人女性歌手のエイミー・ワインハウス(Amy Winehouse) さんが自宅で亡くなっていたことが報道された。

詳しくは、各種メディアに詳しいので触れないが、アルコール依存症、薬物依存症の治療中だったそうだ。6月から12回シリーズで予定されていた欧州ツアーは、初回のセルビア公演中に、中毒症状に襲われ、以降は全部中止となっていた。



アルバムを2枚しか出していないと惜しむ声もあるが、ちょっと違う気もする。


亡くなった年齢が27歳という早さだったことにつき、wikipediaには「27 club」入りと紹介されている。確かに有名歌手が多い。

Brian Jones
Jimi Hendrix
Janis Joplin
Jim Morrison
Kurt Cobrain
 他

日本代表候補の尾崎豊氏は26歳で、クラブ入りに1年足りなかった。

仮に歌手の厄年と考えれば、日本人歌手で現在27歳ということになると1983年後半から1984年前半生まれということになる。

余計なお世話もいいところだが、調べてみると、この年代の歌手は圧倒的に女性優位となっている。

現在27歳の歌手は、今井絵理子、市井沙耶香、島袋寛子、土屋アンナ、平原綾香とかになる。脱出して28歳になったことを喜ぶべきは、上原多香子、宇多田ヒカル、矢口真理、中島美嘉など。案外、休養後再活動開始といった人たちが多い(休んだままの人もいるが)。


ところで、名前のワインハウスだが、日本語にすれば「酒蔵」である。アル中になったのも名前のせいじゃないかとふと思うと、酒井法子とかいたような気がする。私の知っている範囲で「酒井」というのは、揃って酒豪である。


もう一つの余談だが、なくなったエイミーさんだが、父親のミッチさんはタクシードライバーを職業としていたのだが、最近転職している。

新しい職業は、「ジャズ・シンガー」ということ。昨年は、アルバムを出しているそうだ。

追悼のためエイミーのアルバムを買いに行って、誤ってミッチのアルバムを買ってしまっても、怒らないことだ。

七代目佐藤養助

2011-07-24 00:00:22 | あじ
「一子相伝」とは、親から子、子から孫と引き継ぐ技を指すことが多い。能の世界に多く、したがってマニュアル本というか紙に書かれた種本が見つからないことが多い。

もう一つ、「門外不出」というのは、ある種の技や一芸を狭いグループ内のみの秘密にすること。だから、この二つは似ている概念ではあるのだが、方や個人企業、方や小企業というように、ちょっと異なる。というよりも矛盾する概念と言える。

ところが、「一子相伝」と「門外不出」の合わせ技を謳い文句にして販売を伸ばしている会社がある。

「佐藤養助」。

個人名である。が、同姓同名の親子が七代続いたわけじゃない。「三遊亭円楽」みたいなものであるが、落語の場合は親子伝承ではなく、名前と芸を継ぐわけだ。親子で同じ名前を継ぐのは、現代では例が少ないが歌舞伎なんか近いのだろうか。江戸時代では、例は悪いが、首切り役人、山田浅右衛門というのがある。親子が同姓同名の仕事ネームを引き継ぐわけだ。

さして、佐藤養助は万延時代(1850年代)から現代にいたるまで、面々と続く、うどんの家元のようだ。

で、彼は何を切るかというと、首ではなくうどんである。当主は七代目だそうだ。

ところが、このうどんの銘柄である「佐藤養助」だが、うどんらしく、細く長く営んできたはずだが、全国にうどんを売りだすだけではなく、直営店を出し始めたようだ。東京に進出してから有名になる。



直営店でないと、このブランドの入手が品薄で困難という話もあるのだが、幸運にも赤坂のあるうどん店で注文すると、目の前に運ばれてくることになる。

で、味と食感だが、「いかソーメン」に似ていると思う。ただし、函館のイカよりはかたく、呼子のイカよりは柔らかい。うどん好きはともかく、イカ好きにおすすめである、イカソーメンをこんなに大量には食べられないはずだ。

ただ、讃岐うどんとは方向性が違うようだ。要するに高級うどんである。冷やしせいろうどんは、うどんつゆかごまだれて食することになるが、高級でも低級でも、食べるときに十分に気を付けないと、シャツにつゆを飛ばしてしまうのは同じである。

易しすぎる7手詰集

2011-07-23 00:00:58 | しょうぎ
nanate浦野真彦氏と言えば、プロ棋士の中では詰将棋の達人と言われる。プロ棋士の中から詰将棋の達人を選べば、彼の他、谷川浩司、中田章道、森信雄、勝浦修、伊藤果あたりだろうか。古くは、塚田、内藤、二上となるだろうが。

そして、5手詰ハンドブック、続5手詰ハンドブックに続き、7手詰ハンドブックが発売された。かなり期待できそうだった。

が、・・・

簡単過ぎる感じだ。200題もあるのだが、端から解けていく感じだ。だいたい、見て直ぐに本筋が見えて、あとは紛れを読むという感じで、大部分は30秒以内で詰めることができる。

詰将棋本は何十冊も持っているが、特に易しい。

どうも、7手詰というのも5手詰に2手を追加してというわけじゃなく、それなりの深さと拡がりが必要なのだろう。この辺、いずれ稿を改めて。


さて、7月9日出題作の解答。



▲1八飛 △2七玉 ▲3九桂 △同と ▲2八歩 △同金 ▲1六銀 △同と ▲2八飛 △同玉 ▲1八金まで11手詰。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。一見無駄とも思える細かな動きが重要になる。7手詰ではない。



わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ正誤判断。

忘れたころに伸びてきたゴーヤ

2011-07-22 00:00:39 | 市民A
goyaあまりの暑さに野菜どころじゃない、という感じだが、朝と夜に適当に水撒きをしているうちに、あきらめていたゴーヤが伸びてきた。ただ、去年は、根元から3本に枝分かれしていたのだが、今度は1本。ゴーヤネットを張ってみたが、その1本の枝が途中で折れるとそこで終わりだ。一人っ子政策の国で、こどもが反政府主義者とみなされてどこかに消滅してしまった親みたいな気分になってしまう。取り扱いは慎重に行わなければならない。

もう1本、ゴーヤは植えていて、何か盆栽みたいにミニチュアバージョンになっている。伸びないものを無理やり伸ばす方法もないので、とりあえずそのまま。

そして、トマトが10個くらいできている。今年のトマトはあまり赤くならないが、収穫して1日、2日経つと赤くなってくる。本物のファーマーも少し緑がかった状態で収穫するらしいのは、輸送途中の傷みを考慮してのものだそうだ。

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だからこそ、トマトは自家製が最高なのだ。


そして、オクラが妙な形に葉を拡げはじめた。最初の丸っこい葉は幼葉だったらしい。近くの畑に生えているオクラ風の植物とは、まだ相当の形状の差がある。やはり、野菜ってかなり不思議な生物だ。

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ところで、オクラを使った料理だが、「まぐろ市場」の定番メニューに、「ばくだん丼」というのがある。酢飯の上に、ちらし寿司風に敷き詰められる食材として、「納豆」「ねぎトロ」「刻んだオクラ」「刻みタクワン」「温泉卵」「いか刺」といったところである。確か590円。韓国風に、まぜてから食べるのだが。

「ばくだん」食べてから、さあ、どうしよう?

もんもんシティ(内田春菊著)

2011-07-21 00:00:48 | 書評
monmonマルチタレント内田春菊氏の三冊目の出版物だったそうだ。エッセイというよりドキュメンタリーというのだろうか。ただし、一言でいうとフーゾク。

男性諸氏の密やかな楽しみの場に、潜入ルポを図る。ただ、この本、1987年の初版。24年前のフーゾクが今とどのように異なるのか、という点にも興味がある(といっても、それほど興味はないけど)。彼女がまだ30歳前。(今は50歳を超えている)

登場する店舗は、「顔見せソープ」「ゲイバー」「ロリータショップ」「SMクラブ」「性感マッサージ」「ストリップ劇場」「包茎手術」「使用済み下着販売」「ゲテモノ料理」「壁向こうマッサージ」「テレクラ」。

なんだか、今も変わらないのだろうか。ややバリエーションが増えているように思うが、大差なしだろうか。ただ、2番目は、フーゾクとは言わなくなったし、7番目と9番目はちょっと仲間はずれのような気がする。10番目は消滅し、11番目は進化したのだろうか。

でも、後で「出版しない方がよかった」と思うような本なのかもしれない。ということは力作でもあるというべきなのだろうか。女性が書くと、すべての職業を冷ややかに分析してしまうため、各種店舗に夢を感じないような気がする。

米国債格下げで儲かるのは

2011-07-20 00:00:57 | MBAの意見
サッカーをテレビで観ていると、しょっちゅう右足首の古傷が痛む。チャンスあるいはピンチの時に思わず足が動いてしまい、その度に、騙しながら使っている箇所が痛みだす。特に18日未明の決勝では、PK戦を決した熊谷選手のゴール左上へのシュートは、足首に力をこめたキックであり、思わず激痛で涙がこぼれてしまった。女子の方が体が柔らかいのか、足首を深く曲げてパスが出せるようで、その都度、痛い。

それで、負けた方の米国だが、さらに追い打ちがある。

格付会社による米国債の格下げである。(世界ランキングみたいな話だ)

なにしろ米国債は、今まで「最高」のものとされていた。二大格付け会社の格付けは、スタンダード&プアーズが「AAA」。ムーディーズが「Aaa」である。

AAAとAaaは何が違うかというと、同じである。AAAがS&P社の登録商標であるため、ムーディズはAaaを使っている。トリプルBの場合、BBBに対して、Baaというのになるため、ちょっとややこしい。

以前のことだが、S&Pの日本支社の人と話す機会があって、AAAの基準というのを聞いたところ、きわめて簡単なルールがあると答えてくれた。

「AAAの基準は米国債」ということだったのだ。要するに、国家としてみた場合、短期的な不調はあるとしても、あれだけの国土と資源と人口があるのだから、短期間で立ち直ることは間違いない、という安心感があるそうだ。

となると、今回の格付け見直しにより、どういうことが起きるのかというと、今まで基準としていたものの価値が変わるのだから、かなり多くの国の国債、優良企業の社債などは、全部格付けが変わる、ということが十分に考えられるわけだ。

となると、格付けの見直しが、世界中で無数に行われることになり、儲かるのは格付会社ばかり、ということになるような気がするわけだ。

ハプスブルグ家の葬儀

2011-07-19 00:00:27 | 市民A
今月16日、オーストリアの首都ウィーンで行われたある葬儀をめぐり、オーストリア国内には賛否両論がおこっているようだ。

葬儀の主は、7月4日に亡くなったオットー・ハプスブルグ氏。98歳と長命であった。元オーストリア皇太子である。元皇太子という言い方は、父親のカール1世の時に、第一次大戦がおこり、その結果敗戦国オーストリアの国王は退位をし、一応、そこで帝政が終了したから。副社長になったけれど会社が倒産したようなものだ。



その元皇太子の盛大な葬儀に国家予算の一部を使うのに対して、国民が賛成したり、反対したりという状況だと思う。さらに、国王を追い出した時の状況からして、帝政賛成論と反対論とがあるのだろうか。

そして少し調べていると、オットーとかカールという名前は、ハプズブルグ家には非常に多い。例えば、亡くなったオットーの息子はカールだし、オットーの父親カール1世の父親はオットーだし、そのオットーの父親は、カールだ。

さらに調べると、亡くなったオットー元皇太子には8人の兄弟姉妹がいて、もう一人だけ長命なものがいる。フェリックスという弟で94歳である。こちらは、いまだにオーストリア政府と争っていて、皇位について、皇位請求権を放棄する気はないそうだ。メキシコシティで静かに出番を待っているらしい。


で、・・

日本が、仮に1945年の敗戦の時、天皇制を廃止していたらどうなるかということ。

廃止した制度であっても、皇位請求制度とかのこっているのだろうか、あるいは新天皇を担いだ勢力(三島由紀夫総統とか)が勃興して、革命でも企てるのだろうか。

もう一つの「なでしこ」

2011-07-18 00:00:00 | スポーツ
ワールドカップ(女子)の決勝は、日本時間のきょう午前3時45分のキックオフ。このエントリは午前零時に公開されるので、まだ結果はわからない。

米国も日本も女子の方が優位という特徴があるのだが、米国の女子サッカーをこの位置に引き上げたのは、ミア・ハム(Mia Hamm)(1972~)の功績が大きいのだろうと思う。15歳でナショナルチームに入り、2004年に引退するまで158ゴール。ワールドカップ優勝2回である。

ということで、決勝で日本が勝てば、「王国の崩壊」ということになるのだろうが、スポーツ界にはよくあることなのだろう。(身近な例では、巨人、朝青龍、タイガーウッズ・・)



ところで、サッカーにあやかれ、ということだろうけど、“旬の街”秋葉原に登場したのが「なでしこ寿司」。板さんは全員女性。

カウンターの向かいで寿司を握ってもらえる。それもコスチュームで。ただし、入店の時に「いらっしゃいませ」と言われるのか、「お帰りなさいませ」と言われるのかは不明。



同様に、店を出るときに「ありがとうございました」なのか「いってらっしゃいませ」なのかも確認は必要だ。

特長は、シャリを握る時に、かなり長い時間をかけて、こねまわすことらしいのだが、だからといってそれ以上のことを期待しても、たぶん何もないだろう。

あとは、若い女性との会話を楽しむということらしいが、長くいるためには、どんどん注文を追加する必要があるわけで、この店の魔力に取りつかれると、財布が軽くなる一方、どんどんデブ化するという問題が予想されるわけだ。




ところで、日本代表が準々決勝で辛勝したドイツだが、開催直前のプレーボーイ誌(ドイツ版)で若い5人ドイツ選手がヌードを披露したわけだが、大会が終わったあと、次にどういう展開になるのだろうと、薄々期待。

「東京の交通100年博」

2011-07-17 00:00:09 | 美術館・博物館・工芸品
江戸東京博物館で開催中の「東京の交通100年博」。明治の事情など深く知るためには、どうしても東京の交通史のことを知っておいた方がいい。例えば、ハチ公はどうして渋谷駅に通ったのか、とか。飼い主の上野博士が渋谷から本郷の東京大学に通っていたからなのだが、現在なら銀座線で赤坂見附で乗り換えか、半蔵門線で大手町乗り換えだが、当時は何に乗ってどこで乗り換えたのだろうか、とかだ。



ところが、この100年博だが、どうも、東京の交通ではなく、都営交通の100年史のような感じだった。だから、中心は都電である。

その都電だが、今や荒川線だけが動いていて、他の線は全部滅亡したわけだ。その代わりが地下鉄なのだろうが、都営と東京メトロと並列になっている。

それで、実は、都営交通というのは、5種類あるそうだ。わかるだろうか。

少なくても、都営地下鉄、都電(荒川線)、都バスの3種類は直ぐわかるだろうが、残る種類が難しい。

で、4番目は、まだ日が浅い新交通・日暮里舎人ライナー。乗ったことがない。

そして5番目。「上野動物園モノレール」。正式には「上野懸垂線」というらしい。動物園が運営しているものだと思っていた。