言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

逆説といふこと

2021年02月13日 16時04分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 「逆説」の説明を授業でした。

 一見間違つてゐるやうに見えるが、じつは真実を突いてゐる状態、またはその表現、と定義した。例へば、「急がば回れ」である。

 この言葉には起源があつて、元は歌である。連歌師の宗長の詠んだ「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」(諸説あり)であるといふ。武士が京都に行くときに、現在の草津市にあつた矢橋の渡し船を利用して琵琶湖を渡るよりも、現在の大津市にある瀬田唐橋を利用した方が着実であり、結果的には目的地に早く到着するといふことを意味したものであるさうだ。

 それはともかく、「では、同じやうなことわざを一つ挙げてみよ」と言ふと、しばらく考へて「紺野の白袴」だとか、「雨降つて地固まる」だとか、思ひ思ひのことわざを書いてみせるが、私としては「?」がついてしまふものばかり。

 以前の生徒ならかうはならなかつたが、やはり今の生徒は変化してしまつたのだらうか。

「負けるが勝ち」だとか「逃げるが勝ち」だとか、あるいは「可愛い子には旅をさせよ」だとか、が出てくるかと思つたが出てこない。

 彼らにとつて「矛盾」といふ表現はよく分かるやうだ。しかし、それを越えた先に真実が見えるものが「逆説だ」と言ふと、それは「先ではなく手前ではないか。なぜつて、矛盾してゐないんでせう。ならば、矛盾の前といふことになりませんか」と言ふ。「一見~、じつは~。」といふ説明は、「手前」で起きてゐるといふことらしい。しかし、考へてみてくれよ。「急がば急げ」が正説で、急ぐならば回り道などせずに最短距離で行けといふことだらう。それなのに、「回れ」なのであるから、まづは「矛盾」である。しかし、よくよく考へてみたら「間違つてゐない」から「逆説」になるのである。これは「矛盾の先にある」といふ表現の方が正しい。

 「逆説」といふ表現は、本を書く人でも間違つて使つてゐることが多い。今、いい例文が見つからないが、「逆に」と言へば済むのに、わざわざ「逆説的に」と使ふ場合である。

 ネットにあつた例……「最近、ソーシャル・メディアにより抗議活動が勢いづいていると言われています。その通りなのですが、十年来複数の社会運動の研究や参加を通して私が気付いたことは、テクノロジーは社会運動に力を与えると共に、逆説的ながら力を奪いもすることです。必ずそうなるわけではないとは言え、長期的に上手くいくものを模索する必要があります。そして、そのことは様々な分野にも当てはまります。」

 これなど「逆に」とすれば済むことだ。かういふ使ひ方(誤用)が増えてくれば、逆説の意味も曖昧になる。

 だから、正しく逆説を教へたい。

 

 

 

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