言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

自治医科大に向かふ車中にて

2024年08月08日 10時49分49秒 | 評論・評伝
 今日はこれから自治医科大学の説明会に向かふことになった。説明会自体は明日だが、天候不順が怖いので大事をとつて本日から移動することにした。大阪から東京への新幹線での移動は久しぶりのことで、その間何をしようと考へてゐたが、少し見ておきたい映像があつたので、それを見て過ごすことにした。実を言ふと今この文章も車中で書いてゐる。その映像を見終つたところで一息ついてこれを書いてゐる。
 
 これからの時間は、教へ子が書いた小説を読まうと思つてるる。職業作家のそれではないが、その腕は相当なものだと思つてゐる。なかなか切実なテーマを抱へてゐるもので、書かなければ生きていけないといふやうな種類のそれである。聞けばヘッセの小説に惹かれてゐると言ふ。こんな時代に、いやこんな時代だからだらうか。ヘッセを読まうといふ若者は貴重である。少なくとも今の私の周囲にはゐない。

 さて自治医科大学についてだが、私には未知のことばかりである。入試制度についても、その大学生活の内容についても不勉強ゆゑによく知らないでこれまで来てしまつた。もう数年しかない私の職業生活であるけれども、上長に無理を言つて行かせてもらふことにした。交通費の大半は大学が出してくれることになつてゐる。何かあれば、ここに書かうと思ふ。

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