言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語214

2007年10月31日 22時38分39秒 | 福田恆存

(承前)

  平安時代中期以降、しだいに異なる文字でありながら、同じ音で讀まれるやうになつてきた。その第一は「ハ行轉呼音」と言ひ、語頭以外のハ行の假名がワ行音で發音される變化である。例へば、問ふ→問う、まへ(前)→まえ(前)、しほ(鹽)→しお(鹽)などである。

  第二は、ア行の「イ・エ・オ」とワ行の「ヰ・ヱ・ヲ」とが同音になつた變化である。これは、重大な變化であつた。つまり、一つの音を複數の表記で表すことができるやうになつたといふことである。この結果、「イ」を「い」「ゐ」「ひ」で、「エ」を「え・ゑ・へ」で、「ワ」を「わ」「は」で、「ヲ」を「お」「を」「ほ」で、「ウ」を「う」「ふ」で表すやうになつた。かういふ言はゞ混亂した状況の中で、一つの表記の基準を作り出さねばならぬといふ必要が生まれた。それに敏感に反應するのはもちろん一流の文學者である。さうして作り出されたのが藤原定家による「定家假名遣ひ」である。

  この經緯を見ても分かるやうに、假名遣ひは音に合はせて作られたのではなく、「一つのことばを仮名で表記するのに、二種以上の方法が可能であるときの規範を定めたものである。音韻の変化によって、音韻と文字との間に不一致が生じた場合に起こる」(前掲『國語史』二二四頁)ものなのである。

  室町時代になると更に混亂し、江戸時代になると、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」が混同する。また「申(まう)す」が「モーす」に、「叶(かな)ふ」が「かなウ」となり、「ウ」がア段の音節に續いて長音化したもの(開音)と、「思ふ」「良う」が「オモー」「ヨー」となり、「ウ」がオ段、エ段の音節に續いて長音化したもの(合音)との、言はゆるオ段長音の「開合」の區別がなくなつた。

  かうしていよいよ混亂してゆく國語の表記にたいして、基準を定めようとしたのが元祿期の契冲である。

 

「元禄時代、国学者契沖(一六四〇―一七〇一)は、『万葉代匠記』を執筆するために古代の史料を博捜し、平安時代初期以前の文献(つまり、主として万葉仮名で書かれた資料)では、いずれも仮名の用法が一定し、後世同音になった仮名に書き分けがあることを発見した。/このような事実から契沖は、仮名遣を定め、この説を『万葉代匠記』の「惣釈」にのせ、ついで『代匠記精撰本』では、自ら提唱した仮名遣を実行し、元禄六年には『和字正濫鈔』を著し(刊行は同八年)、さらに『和字正濫通妨抄』『和字正濫要略』を著作した。」

(鈴木真喜男・長尾勇著『新編国語容説』学芸図書、八九頁)

この契冲の書名を見てわかるやうに、濫れてゐた和字を正しく直さうとしたのが、彼の意圖であつた。各人がてんでに發音にしたがつて字を當てた結果「濫れ」たのである。そして、それを正しくするために求めた基準が、萬葉時代のものであつた。それゆゑに契冲假名遣ひは、歴史的假名遣ひと呼ばれたのである。歴史的假名遣ひを一括りに戰前のつづり方だと考へてゐるのは、その意味で間違ひである。

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