言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語220

2007年11月22日 08時25分52秒 | 福田恆存

(承前)

金田一京助からの反論めいた手紙を引用しよう。福田恆存との論爭に決着をつけることなく、私信でその忿懣をぶちまけて終りにしたいといふ算段である。もちろん、これは書物として刊行されてゐるものであるので、惡しからず。

    拝復

   御懇書ありがたく拝誦  しかし私は福田氏の悪意あるレトリクに、今更桑原さんの「私は答えず」に感服いたして居るものです。

  私の仮名遣論は、かなづかいは改訂すべからざるものか、改訂すべきものかの議論で、改訂せねばならぬものだということを、わかってもらうための議論ばかりして来ているものですのに、私が言いもしない触れてもいないことを、私がきめたことででもあるように取って私を非難しているわけがわかりませんでした。今度の七月号のを見て、やっとそのわけがわかりました。

  光栄にも、私が現代仮名づかいの発案者か、建策者か、元兇であるように取って私を攻め、私を憎んでいるのだとわかりました。それほどにはたらいたものではなく、小泉博士への仮名遣論だって全く私一個人の私見、私の学説で、新かなづかいを論じたに過ぎないのを、文部省の代弁の如く解しているのだとわかりました。それだから私の触れないことがら、二語の連続の時とか同音の連続の時はどうのと非難して来たり、文部省の事務官の著を引いて私を非難したり、送り仮名のことまで言及して、いやになってしまいます。

  あなたは、あの文をお読みになって福田氏をいっしょに国語をよくするために議論を上下するに足る相手と御覧になりますか。

  遺憾ながら私はそう思われなくなりました。イヤ初めから、私を憎悪してかかって来ています。

  私は、この老年に至るまで人に怨みを買ったり、憎まれることをして来ませんでしたのに、一向接触麺のない福田氏からメチャメチャに悪口されて明いた口が塞らず何の故だか全くわかりませんでしたが、七月号で初めてわかりました。私をかなづかい運動の元兇と見て憎悪してあんな態度を私に示したもののようであります。ありがたすぎます。

  だが憎悪の感情を抱いて物を言う人と国家の大事をまじめに議論できますか。たとい道理に合ったことを申しても率直に受取れない、他の事でしっぺ返しをするような気分の人と、まじめな議論ができますか。

  こんど、千年前のつづりを常用してる国が他にたくさんあると言ったことはまちがいだとあやまりましたから、それなら旧かなを固守することがあやまりだとわかったはずですから、私の論戦は目的を遂げました。

  それで私は、私の論戦の終結を宣言しようと存じます。

昭和三十一年六月十四日         金田一京助

大久保忠利 様

  大久保忠利『一億人の国語国字問題』三省堂選書)

 手紙の最後に「敬具」はないのは何故なのか。あるいは、文の主語述語の整合性もあまり讀めたものではないのは何故なのかを推測すると、相當に興奮してゐるのがよく分かる。福田恆存にそれほど「憎悪の感情を抱いて物を言」つてゐるのであらう。讀み返す餘裕がないのである。

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