樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

松葉は何本?

2006年09月14日 | 樹木
私たちがよく目にするクロマツやアカマツの葉は2本あります。
それ以外に、日本にはハイマツ、ゴヨウマツ(五葉松)というマツ属の樹があって、これらの葉は5本あります。写真は近所の禅寺にあるゴヨウマツ(別名ヒメコマツ)で、宇治市名木百選の一つになっています。

      
      (宇治市名木百選の興聖寺のゴヨウマツ)

      
      (上がゴヨウマツの葉、下はお馴染みのクロマツの葉)

「マツの葉は2本か5本」と覚えていた私は、その禅寺の隣にある花寺の境内で3本の松葉を発見して驚きました。
調べてみると、世界にはいろんなマツがあって、葉も1本から5本までいろいろあるようです。一葉はアメリカヒトツバマツ、二葉は日本のアカマツやクロマツ、ヨーロッパアカマツ、三葉はダイオウショウ(大王松)、ヒマラヤマツ、四葉はアメリカヨツバマツ、五葉は日本のハイマツやゴヨウマツ、チョウセンマツ。

      
      (ダイオウショウの葉は長いので柔らかく見えます)

私が花の寺で見たのは、ダイオウショウ(大王松)のようです。北アメリカ東南部が原産地で、マツの中では最も長い葉があるのでこの名前がついたそうです。写真の樹のような老木では葉の長さは20~25cmくらいですが、若い樹なら40~60cmにもなるそうです。

      
       (枯葉ですが葉は3本あります。)

松ポックリも大きいです。最大で25cmくらいになるそうです。
そう言えば20年以上前、仕事で初めてアメリカに行ったとき、宿泊先の庭でバカでかい松ポックリを拾って持ち帰ったことがありました。場所は東南部でしたから、ダイオウショウだったのでしょう。

この記事を書きながら、「松の木ばかりがマツじゃない、(略)あなた待つのもマツのうち~」というショーモナイ(「くだらない」の関西弁)歌を思い出しました。
偶然ですが、マツの英語PINEには、この歌詞のような「思いこがれる」という別の意味があります。
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火の樹、子の樹

2006年09月13日 | 木と文化
近くを車で走っていたら、思いもよらぬ場所にザクロの大きな樹があったので、Uターンして写真に収めてきました。
古い民家の前の歩道に、たくさんの実をつけた大木が立っているのですが、道行く人は気にする様子もなく通り過ぎていきます。私は「この実が熟したら、誰が食べるのだろう?」と、とても気になりました。

         

先日、「火防せの樹」としてサンゴジュをご紹介しましたが、このザクロは、逆に「火に縁のある樹」として地方によっては庭に植えるのを嫌うそうです。
中世の軍記物語『太平記』には、「ザクロの実が猛火となって妻戸に燃え移った」というような記述があるようです。江戸時代の博物学者・貝原益軒は、「普通、赤い実がなる樹は花が白い。しかし、ザクロは花も実も赤いので、火を連想するためにこういう話が生れたのだろう」と書いています。

      

一方、小さい赤い実がたくさん詰まっているからでしょうが、中国ではザクロは子宝のシンボルになっています。トルコにも、結婚式の日、新郎がザクロを地面に投げつけると、こぼれ出た実の粒だけ子どもが授かるという言い伝えがあるそうです。さらに、ザクロには鬼子母神伝説がありますが、長くなるので改めます。
ザクロは西南アジア原産で、平安時代に日本に移入されたそうです。
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コインでツリーウォッチング

2006年09月12日 | 木と文化
普段、何気なく使っていますが、コインや紙幣にはいろんな樹木が描かれています。今日はいつもと趣向を変えて、コインでツリーウォッチングしましょう。
まず、1円玉。裏面には1本の幹から3本の枝が出て、葉が8枚ついています。このモチーフはオガタマノキと言われています。

      
      (マウスオンするとオガタマの花と葉になります。)

漢字で書くと「招霊の木」、つまり、神を招く木。昔から神木とされ、神社によく植えてあります。関西の神社に植えてあるのは、ほとんどがカラタネオガタマという中国からの移入種(写真もカラタネオガタマ)です。
6月13日の記事でご紹介しましたが、花にはバナナのような甘い香りがあります。私は日本自生のオガタマノキは見たことがありませんが、こちらもいい匂いがするそうです。ホオノキやユリノキ、コブシなどと同じくモクレンの仲間です。

5円玉には表と裏に4つのモチーフが描かれています。稲で農業、水で水産業、穴の周りの歯車で工業、そして裏面の木の芽で林業を表現しているそうです(樹種が不明なので写真はパス)。
10円玉の額面に描かれているのはゲッケイジュ。日本には自生しませんが、その葉は勝利の冠や洋風料理の香りづけとして知られています。

      
      (マウスオンした写真はわが家のゲッケイジュ)

裏には樹は描かれていませんが、宇治市民としては平等院が描かれていることに言及しないわけにはいきません。さらに、1万円札の裏面にも平等院の鳳凰が描かれているんですよ(自慢!)。

50円玉の裏面には菊が彫ってありますが、樹じゃないのでパス。
100円玉の裏面にはサクラが描いてあります(写真はパス)。千円札の裏面にも桜が印刷されています。以前、大阪の造幣局の近くに勤務していたので有名な「桜の通り抜け」にも行きましたが、多種多様なサクラが植えてありました。桜と造幣局は何か因縁があるんでしょうか。

500円玉には、表面(額面)の上下に竹、左右にタチバナが、裏面にはキリが描かれています。タチバナは京都御所やヒナ飾りの「右近の橘」で知られるミカン科の樹。文化勲章のデザインもタチバナですが、当初サクラだったものを、昭和天皇の「文化は永遠であるべき」という意向で常緑樹のタチバナに変更されたそうです。

      
  (マウスオンした写真はキリの落花。周囲にはいい匂いが漂っていました。)

裏面のキリをルーペで覗くと、実に精巧です。「こんなに細かい鋳造ができるのか」と思うほど、キリの花と葉がリアルに表現されています。このモチーフは「五三の桐」など家紋でもよく使われますからご存知の方も多いでしょう。実際の樹は、葉はでっかくて可愛気がないですが、花は薄紫色で、気品のある香りがします。
なお、紙幣に描かれている樹木は千円札(裏面)のサクラだけでした。
今度、お金を使うときに、描かれている樹や花をじっくり見てやってください。

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駅のホームに巨木

2006年09月11日 | 伝説の樹
私が仕事で京都と大阪を往復し始めて、かれこれ25年になります。その間、ずーっと京阪電車を利用してきました。
その京阪電車の大阪寄りに「萱島(かやしま)」という駅があり、そのホームに大きな枝がニョキニョキと出ています。以前から気になっていたので、先日、途中下車して取材してきました。この駅で降りるのは初めてです。

      

ホームの案内板によると、樹齢700年のクスノキで、昭和47年の高架複々線工事の際、この巨木に寄せる地元の人々の思いに応えて残したそうです。「ご覧の通り、樹木がホームと屋根を突き抜けるという全国に例をみない姿となりました」とも書いてあります。こんな巨木を傷つけずに駅の工事をするには、費用も時間も余分にかかったでしょう。

      
      (樹の部分だけホームの屋根がありません)

高架の駅のホームの下には、萱島神社という小さな神社があり、その横にクスノキの巨木が根を張っています。「大楠大明神」と書かれた旗や提灯も飾ってあります。
地元では宗教的な意味のある巨木なのでしょう。「大阪みどりの百選」にも選ばれています。

          
      (この樹の上が駅の高架式ホームになっています。)

大阪に通うようになって25年ですが、それ以前から京阪沿線で暮らしていますので30年くらいお世話になっています。関西の私鉄と言えば阪急や近鉄、南海が有名で、京阪は野球チームを持たなかったせいか、どちらかというと地味なイメージです。
でも、私は緑色が好きなので、京阪の緑の2トーンカラーの車両が気に入っていました。この萱島のクスノキのことを知って、さらに京阪電車に好感を持ちました。
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平賀源内のカン違い

2006年09月08日 | 木と言葉
写真の木はホルトノキと言います。細長い緑の葉の中に、ところどころ赤い葉が混じっているのが特徴です。
どこにでもある樹ではありませんが、時々公園などに植えてあるのを目にします。写真は京都府植物園で撮りました。

         

この樹の名前には、面白いエピソードがあります。
昔、オリーブのことを「ポルトガルの木」と呼んでいました。ヨーロッパから移入されたために、そんなふうに呼ばれていたのでしょう。
平賀源内が紀州でこの樹を見たときに、オリーブとカン違いして「ポルトガルの木」と呼び、それが転訛して「ホルトノキ」になったと言われています。

      

確かに、葉が細いところはオリーブ(写真はわが家の庭のもの)に似ていますが、葉の大きさや樹形は全然違います。西洋のものに関心が高かった平賀源内らしいエピソードですね。
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この木何の木、気になる木

2006年09月07日 | 木と文化
以前、テレビで『世界ふしぎ発見』を観ていたら、サハラ砂漠の真ん中にある樹齢5000年の糸杉を紹介していました。そのことも気になったのですが、番組後の日立の企業CM「この木何の木、気になる木」の方がもっと気になりました。
ご覧になった方も多いと思いますが、二つのバージョンがあって、その一つにはカラフルな鳥も登場します。ツリー&バードウォッチャーとしては、とても気になるCMです。

ネットで調べたら、ありました、ありました。サイト名も「日立の樹オンライン」。それによると、木の種類はモンキーポッド、撮影場所はハワイ・オアフ島のモアナルア・ガーデンパーク。樹齢は約130年で、高さ25m、広げた枝の幅は40mもあるそうです。
このmonkey podの別名は「アメリカネム」。そう言えば、別バージョンには日本のネムノキに似た赤い花が写っていました。podは「豆のさや」、ネムノキはマメ科です。猿がこの樹の実(豆)を好んで食べるので、この名があるそうです。

      

写真はモンキーポッドではありません。ハワイまで撮影に行けないので、宇治市植物園の温室で見つけたトキワネム(ブラジル原産)で我慢してください。
この「日立の樹」は、最初はアニメーションだったそうです。実写版の1作目が現在のモンキーポッドで、その後シンガポールのバニヤンツリーやカリフォルニアのオークで何本か制作され、6作目に初代のモンキーポッドに先祖返りして、現在は8作目(アニメを含めると9作目)だそうです。

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木のきもの

2006年09月06日 | 木と作家
私も樹木に対する好奇心は強い方だと思いますが、幸田文(こうだあや)にはかないません。明治の文豪・幸田露伴の次女で、自らも小説や随筆を書いています。
もう亡くなりましたが、この人の好奇心と行動力はスゴイです。ある人から「ポプラが邪魔になったから切った」という話を聞くと、その木の最期を見届けるために長野の箸工場まで出かけるわ、高齢を物ともせず縄文杉を見るために人に背負ってもらって屋久島に登るわ、立ち枯れの木を見るために北海道の野付半島まで行くわ・・・という猛烈ぶり。
木に関するエッセイもいろいろ書いていますが、その中に「木のきもの」という一遍があります。

         
        (たて縞のきものを着ているスギ)

「杉はたて縞のきものを着ている、縄文杉もたて縞だった」。樹皮の模様をきものの柄にたとえているのです。以下、「松は亀甲くずし、ひめしゃらは無地のきものと思う」とか、「いちょうの着物は、しぼ立っている。大きな木ほど、しぼが高いようだ」と続きます。

         
         (亀甲くずしのマツ)

また、スズカケノキ(プラタナス)について、「私はこの木の着物を、織物ではなく、染物の美しさだと思う。(略)織りの深味がない代わり、染めのおもしろさ、精巧さがある。一度にくるりと剥げるのではなく、小部分ずつ、順繰りに剥げるので、色の濃淡が複雑に入りまじるが、数えてみたら、うす茶、もう少し濃いうす茶、みどり、みどりがかった灰色、と四種がまだらになっていた」と書いています。

         
         (スズカケノキは染物のきもの)

父親の露伴が樹木に関心を持つように教育したようで、幼い頃から落ち葉を見て木の名前を当てる遊びを姉と競わせていたと言います。文はいつも姉に負けて悔しく、負けず嫌いの性格から木への好奇心が芽生えたようです。
しかし、樹皮をきものにたとえる感性は、生涯きもので過ごした幸田文ならでは。男の私にはこういう見方はできないです。(引用は新潮文庫版『木』より)
なお、「木と芸術」という大層なカテゴリーをやめて、今回から「木と作家」に変更しました。
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くわばら、くわばら

2006年09月05日 | 木と宗教
小学校の裏に桑畑があって、休み時間によく幼友達と桑の実を食べに侵入しました。ある時、先生に見つかって、「お前ら、また桑の実を食べただろう?」と問い詰められ、私は否認して放免されましたが、桑の実の汁で口の周りが紫色になっていた幼友達は、「嘘をつけ!」と張り倒されました。大人になってから、その思い出話をしては笑ったものです。

      

お盆の帰省で泊まったミニホテルの樹木園にマグワが植えてあったので、懐かしくて写真に収めました。ヤマグワは近くの山や河原で繁茂していますが、マグワはほとんど目にしません。昔はカイコの餌を確保するためにあちこちに植えられていましたが、今では信州あたりに行かないと見られないでしょう。マグワは中国からの移入種、ヤマグワは日本でも自生します。

さて、今年の夏は雷が多かったですが、昔の人は雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と呪文を唱えました。その「くわばら」が桑原だと知ったのは、つい最近。木の本を読んでいたら、面白いことが書いてありました。

      
      (クワ科の樹の葉は不定形の切れ込みがあるのが特徴)

菅原道真が藤原氏の策略で福岡に左遷されたのは有名な話。道真の死後、京都には異変が続き、御所も落雷を受けて多くの死傷者が出ました。祟りと恐れた朝廷は、道真の名誉を回復したのですが、この落雷事件以来、雷神=道真の怨霊と結び付けられました。道真が祀られている北野天満宮も、もともとは火雷天神が祀られていた場所だったそうです。
その道真の領地が丹波にあり、養蚕業が盛んなために桑の木が多く、桑原という地名だったそうです。そこで、雷が鳴ると、「ここはあなたの領地の桑原ですから、雷を落とさないでください」という意味で、「桑原、桑原」と唱えるようになったと言うのです。
雷だけでなく、何か恐ろしいことが起きそうなとき、あるいは誰かの逆鱗に触れたとき、昔の人は「くわばら、くわばら」と唱えて難を逃れました。桑の木のパワーはすごいのです。

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遣隋使が植えた柳

2006年09月04日 | 伝説の樹
京都市のど真ん中に六角堂というお寺があります。正式名は頂法寺ですが、本堂が六角形なのでこの名があり、寺の前の通りを「六角通り」と呼んでいます。
ここに、遣隋使の小野妹子が植えた柳があるというので行ってきました。近くはよく通るのですが、境内に入ったのは初めてです。ここは生け花の池坊流の発祥の地でもあり、横には池坊会館が建っています。

      

607年に小野妹子が中国から持ち帰って植えたという話が残っていますが、何度か枯れたり、倒れたりしたしながら、挿し木や接ぎ木で植え継がれてきたのでしょう。大きい柳ですが、現在の樹齢は150年くらいと思われます。

          

案内板には、聖徳太子や桓武天皇にゆかりのあることや池坊発祥のことは説明されていますが、この柳の言い伝えは表示されておらず、「縁結びの柳」という看板が立ててあるのみ。「遣隋使が植えた柳」と言うよりも、恋愛成就の樹としてアピールした方が観光客や女性にアピールするということでしょうか。柳の枝にはたくさんのおみくじが結ばれていました。
江戸時代の記録には、「六角堂の柳は垣の外まで垂れている。この柳は中国の種だと言い伝えており、俗にシダレヤナギという樹の中でも特に枝の長い樹である」と書いてあるそうです。
シダレヤナギは中国から渡来した樹ですが、ひょっとするとこの六角堂の柳が日本初上陸だったのかも知れません。
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歴史的建造物の危機

2006年09月01日 | 木造建築
自宅からほど近い「桃山御陵」は、明治天皇と皇后のお墓として知られています。そのすぐ南側に、明治天皇の忠臣であった乃木希典(のぎまれすけ)を祀った乃木神社があります。
案内板によると、この門の扉板は、台湾総督であった乃木を記念して台湾にあった樹齢3,000年のヒノキを使ったもので、幅1.8mの1枚板だそうです。何かと話題の多い靖国神社でさえ、雑誌で見る限り門扉には4枚の板をつないでいますから、1枚板というのは珍しいのでしょう。

         

ヒノキは日本固有種で、台湾にあるのはタイワンヒノキ。近年、国内ではヒノキの大木が入手できないため、寺院や神社の修理・再建ではタイワンヒノキを使うケースが増えています。1976年に再建された奈良の薬師寺金堂の心柱をはじめ、平安神宮の本殿、明治神宮の鳥居、国立能楽堂などにもタイワンヒノキが使われているそうです。

タイワンヒノキが分布しているのは、台湾中部の玉山あたり。日本が占領していた頃は新高山と呼んでいた山で、標高は3,997m。戦時中は日本の最高峰は富士山ではなく、この玉山だったのです。

       

日本のすべての歴史的建造物は、いずれ再建する時期を迎えます。でも、昔と同じような国産のヒノキの大木を使うことはもう不可能です。海外に頼らざるをえないのですが、台湾でも大木が減ってきたので保護政策がとられており、伐採するには当局の許可がいるそうです。倒木さえ入札でしか手に入らないとか。
伝統的な建築技術の継承もそうですが、日本の歴史的な建造物にとって木材をどう確保するかが大きな課題になっています。乃木神社の扉も、1枚板での修理や再建はもう無理でしょう。
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