前々回の記事「浮世絵の中の鳥」に、日本の野鳥画には花鳥画、浮世絵、博物画の3つの系譜があると書きました。江戸時代には博物学(当時の言葉では「本草学」)がブームになり、動物、植物、魚、虫などを記録・研究する人が増えました。
平和が続いて他にすることがなかったのか、特に大名の間で博物学が広まり、さまざまな図譜(図鑑)が編さんされます。中には、自ら絵筆をとって描く大名も現れます。
その一人が、伊勢長島藩5代藩主の増山正賢(まさかた)。植物や昆虫の図譜のほか、鳥類図譜としては『百鳥図』を発行。下はシマアジの図ですが、その精密さと技量の高さは大名の余技とは思えません。
国立国会図書館提供
また、下野佐野藩の藩主・堀田正敦(まさあつ)は、『堀田禽譜(きんぷ)』と呼ばれる江戸時代最大の鳥類図鑑を編さんする一方、自ら絵筆をとって『観文禽譜』を著しています。
江戸時代の鳥の図譜の白眉は、毛利梅園による『梅園禽譜』。この人は大名ではありませんが、将軍の身辺を警護する旗本の身分。下はその中のミゾゴイ。精緻な筆使いと美しい彩色による生き生きとした鳥は、バードウォッチャーの目を釘付けにします。
国立国会図書館提供
こうした図譜の発行は、鳥の名前の確定という副産物をもたらします。それまで、同じ種類に複数の名前があったり、地方によって異なっていた鳥の名前が、徐々に統一されるようになります。私たちが現在共通した鳥の名前で呼べるのは、江戸時代に編さんされた鳥類図譜のおかげです。
その一方で欠点もありました。たくさんの鳥を水禽、原禽、林禽、山禽など生息環境で分けただけで、科学的な分類が行われなかったのです。その点について、専門家は以下のように述べています。
西洋的な分類をもたなかった江戸時代においては、ある目や科に分類される鳥が日本に何種いるのか把握するすべはなかった。今の図鑑に相当するような網羅的な図譜はついにつくられることはなかったのである。
そうだとしても、江戸時代に博物画家が描いた美しい野鳥画の価値に変わりありません。
平和が続いて他にすることがなかったのか、特に大名の間で博物学が広まり、さまざまな図譜(図鑑)が編さんされます。中には、自ら絵筆をとって描く大名も現れます。
その一人が、伊勢長島藩5代藩主の増山正賢(まさかた)。植物や昆虫の図譜のほか、鳥類図譜としては『百鳥図』を発行。下はシマアジの図ですが、その精密さと技量の高さは大名の余技とは思えません。
国立国会図書館提供
また、下野佐野藩の藩主・堀田正敦(まさあつ)は、『堀田禽譜(きんぷ)』と呼ばれる江戸時代最大の鳥類図鑑を編さんする一方、自ら絵筆をとって『観文禽譜』を著しています。
江戸時代の鳥の図譜の白眉は、毛利梅園による『梅園禽譜』。この人は大名ではありませんが、将軍の身辺を警護する旗本の身分。下はその中のミゾゴイ。精緻な筆使いと美しい彩色による生き生きとした鳥は、バードウォッチャーの目を釘付けにします。
国立国会図書館提供
こうした図譜の発行は、鳥の名前の確定という副産物をもたらします。それまで、同じ種類に複数の名前があったり、地方によって異なっていた鳥の名前が、徐々に統一されるようになります。私たちが現在共通した鳥の名前で呼べるのは、江戸時代に編さんされた鳥類図譜のおかげです。
その一方で欠点もありました。たくさんの鳥を水禽、原禽、林禽、山禽など生息環境で分けただけで、科学的な分類が行われなかったのです。その点について、専門家は以下のように述べています。
西洋的な分類をもたなかった江戸時代においては、ある目や科に分類される鳥が日本に何種いるのか把握するすべはなかった。今の図鑑に相当するような網羅的な図譜はついにつくられることはなかったのである。
そうだとしても、江戸時代に博物画家が描いた美しい野鳥画の価値に変わりありません。