樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

江戸の博物画

2020年07月30日 | 野鳥
前々回の記事「浮世絵の中の鳥」に、日本の野鳥画には花鳥画、浮世絵、博物画の3つの系譜があると書きました。江戸時代には博物学(当時の言葉では「本草学」)がブームになり、動物、植物、魚、虫などを記録・研究する人が増えました。
平和が続いて他にすることがなかったのか、特に大名の間で博物学が広まり、さまざまな図譜(図鑑)が編さんされます。中には、自ら絵筆をとって描く大名も現れます。
その一人が、伊勢長島藩5代藩主の増山正賢(まさかた)。植物や昆虫の図譜のほか、鳥類図譜としては『百鳥図』を発行。下はシマアジの図ですが、その精密さと技量の高さは大名の余技とは思えません。


国立国会図書館提供

また、下野佐野藩の藩主・堀田正敦(まさあつ)は、『堀田禽譜(きんぷ)』と呼ばれる江戸時代最大の鳥類図鑑を編さんする一方、自ら絵筆をとって『観文禽譜』を著しています。
江戸時代の鳥の図譜の白眉は、毛利梅園による『梅園禽譜』。この人は大名ではありませんが、将軍の身辺を警護する旗本の身分。下はその中のミゾゴイ。精緻な筆使いと美しい彩色による生き生きとした鳥は、バードウォッチャーの目を釘付けにします。


国立国会図書館提供

こうした図譜の発行は、鳥の名前の確定という副産物をもたらします。それまで、同じ種類に複数の名前があったり、地方によって異なっていた鳥の名前が、徐々に統一されるようになります。私たちが現在共通した鳥の名前で呼べるのは、江戸時代に編さんされた鳥類図譜のおかげです。
その一方で欠点もありました。たくさんの鳥を水禽、原禽、林禽、山禽など生息環境で分けただけで、科学的な分類が行われなかったのです。その点について、専門家は以下のように述べています。
西洋的な分類をもたなかった江戸時代においては、ある目や科に分類される鳥が日本に何種いるのか把握するすべはなかった。今の図鑑に相当するような網羅的な図譜はついにつくられることはなかったのである。
そうだとしても、江戸時代に博物画家が描いた美しい野鳥画の価値に変わりありません。
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鳥の価値

2020年07月23日 | 野鳥
前々回の記事でバードウォッチングの経済的価値についてご紹介しましたが、鳥が人間にもたらしてくれる恩恵は観察や芸術だけではありません。例えば、鳥は木の実を食べ、飛んで運び、糞として排泄することで種子を散布します。それによって、森林の更新や植物群落の維持、つまり自然環境の保護という重要な役割を果たしています。
ヤマガラやカケスのように木の実を貯食することで樹木の拡散や森林の再生に貢献している鳥もいます。スウェーデンではカケスが貯食で行う種子散布を、人間が種をまいたり植樹する費用に換算し、1つがいの貯食行動を約40万円と見積もっています。
鳥は種子を散布するだけでなく、花粉も媒介します。メジロやヒヨドリが花の蜜を吸っている姿をよく見かけますが、野鳥のこうした行動によって植物は受粉し、結実して、私たちに恵みを与えてくれます。日本にはいませんが、ハチドリなど蜜を吸う鳥は世界に950種以上いて、その鳥によって花粉が媒介される植物は500属に及ぶそうです。


蜜を吸うメジロ(Public Domain)

また、ツバメのように虫を食べる鳥によって害虫が抑制され、農作物の生産が向上することもあります。ジャマイカでは、24種類の鳥が害虫を捕食することによって上昇するコーヒー農園の収益を31,000円/ha/年と計算しています。数字としては算出されていませんが、日本のアイガモ農法も鳥による農業上の恩恵でしょう。
こうした恩恵を「生態系サービス」と呼びますが、逆に鳥が人間に不利益をもたらす場合もあり、それを「ディスサービス」と呼びます。例えば、カワウによる漁業被害や集団営巣地での糞による悪臭や植物の枯れ死などです。
こうした生態系サービスについて、ある学者が次のように書いています。
日本においては、鳥類の生態系サービスについての研究はほとんど行われていない。日本においても鳥類は有害生物とみなされる場合が多く、被害評価のみにもとづいた鳥類の個体数管理が各地で行われてきた。
日本では「鳥はいろいろな害をもたらす迷惑な存在」と認識されているので、ディスサービスが強調される傾向が強く、猟銃などで捕殺されてきたということです。そして次のようにも書いています。
今後2100 年までに鳥類の6~14%が絶滅し、その結果鳥類が担う生態系機能の7~25%が喪失されるとも言われている。鳥類が担う生態系機能や生態系サービスが失われる前に、それらを正しく理解し保全することは、古くから鳥類の恩恵にあずかってきた人間の務めであろう。

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浮世絵の中の野鳥

2020年07月16日 | 野鳥
日本には野鳥画の系譜が3つあります。1つは、狩野派や琳派の画家たちが描いた花鳥画。もう1つは、江戸時代の図譜(図鑑)に描かれた博物画。そして、もう1つは、浮世絵の1ジャンルである花鳥版画。
正統派の花鳥画が襖や屏風に描かれた肉筆画であるのに対して、浮世絵の花鳥版画は複数枚制作され、現在のポスターのように庶民の家に飾ったり、画集として閲覧するものでした。浮世絵といえば役者絵や美人画、風景画が有名で、その陰に隠れてあまり知られていませんが、花鳥画も数多く描かれています。その中から、喜多川歌麿をご紹介します。



歌麿といえば上の「寛政三美人」のような美人画が有名ですが、花鳥画も多く描いています。鳥をテーマにしたのが『百千鳥狂歌合(ももちどりきょうかあわせ)』という画集。2種類の鳥を対置して描き、それぞれの鳥を詠んだ狂歌と組み合わせています。狂歌は江戸時代に普及した文芸で、ユーモアや機知を身上とする短歌。
例えば、下のように鶉(うずら)と雲雀(ひばり)を対置し、それぞれの鳥にまつわる狂歌を載せています。



鶉の狂歌は「うづらふのまだらまだらと口説けども 粟(あわ)の初穂の落ちかぬる君」。「うづらふ」は「鶉の斑点」、「まだらまだら」は「まだら模様」と「ダラダラ」の掛け言葉。意味は「鶉の模様みたいにダラダラ口説いても、餌の粟がなかなか落ちないようにあなたはなびいてくれない」。
これに対する雲雀の狂歌は「大空に思い上れるひばりさえ ゆうべは落ちる習いこそあれ」。「思い上れる」は雲雀が高く舞い上がることと思い上がりを掛けたもの。意味は、「空高く舞い上がる雲雀も夕方には降りてくるのだから、気位の高い相手も私のもとに落ちるかもしれない」。
次は雀と鳩を並べた絵(下)。雀の歌は「定めなき君が心のむら雀 ついにうき名のぱつとたつらん」。「心のむら」と「群雀」、雀が一斉に飛び立つ様子とうわさがパッと広まることを掛けています。意味は、「あなたの心はむらがあって定まらないので、雀が飛び立つように恋のうわさがパッと広まる」。



これに対する鳩の歌は「鳩の杖つくまで色は変わらじな たがいに年の豆くうとも」。「鳩の杖」は当時の老人が使った鳩が彫られた杖。「年の豆」は節分に食べる豆と鳩の餌の豆を掛けた言葉。「毎年節分に豆を食べ、鳩の杖をつくまで年老いても、二人の仲は変わらない」という意味です。
『百千鳥狂歌合』には、こうした鳥と狂歌のセットが13枚つづられています。江戸時代には、こういう洒落の効いた面白い文化が花開いていたわけですね。
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バードウォッチングの経済的価値

2020年07月09日 | 野鳥
鳥をはじめ自然界の生物の価値を経済学的に捉えようという考え方があります。2007年に欧州委員会とドイツが提唱したTEEBです。The Economics of Ecosystem and Biodiversity(生態系と生物多様性の経済学)のイニシャルからそう呼ばれています。
生物が担う生態的機能のうち、人間が恩恵に浴しているものを「生態系サービス」と言います。鳥の生態系サービスのうちバードウォッチングは、芸術や宗教などと同様、人間に精神的な価値を与えています。それを経済学的に算出した研究もいくつかあります。
例えば、アメリカでは8兆2千億円と試算されています。これは4800万人のバードウォッチャーが支出する旅費や関連商品の支出総額として計算されたもの。アメリカにバードウォッチャーが4800万人もいるのか疑問ですが、観察種を競うコンテストのために多くの人が何百万円も使って国内を移動することや、毎年クリスマスシーズンに5万人もの人が一斉に鳥をカウントすることを考えると、野鳥観察に関するこの国の経済的価値は他の国とは別格なのかもしれません。



スコットランドでは、バードウォッチングとハンティングの市場規模が算出されていて、前者は2億2,500万円、後者は3億1,500万円。野鳥を見るより撃つ方が多いわけです。
日本でも「バードウォッチングの経済的価値」という論文が発表されています。珍鳥のメッカ・舳倉(へぐら)島にやってくるバードウォッチャーの観光的な価値を算出したもの。1994年4月から11月までに来島したバーダー838人にアンケートを行い、回収した260通を集計・分析しています。それによると、舳倉島の探鳥地としての価値は年間4,372万円。算出方法によって数字は変動するようです。
また、豊岡市におけるコウノトリの野生化事業を経済学的に分析した研究もあります。それによると、豊岡市を訪れる観光客のうち、コウノトリ郷公園を目的とした客は日帰り客で34.7%、宿泊客で6.7%。この研究では、そうした観光分野での経済波及効果を10億3千万円と推計しています。
自然観察をお金に換算することに抵抗を感じる方もいるでしょうが、TEEBは自然の大切さを一般社会に訴える方法の一つです。環境省はTEEBを紹介するパンフレット「価値ある自然~生態系と生物多様性の経済学~」の中で次のように述べています。
これまでの経済社会では、「自然」は“タダ(無料)”同然のものとして扱われてきました。「自然」を守り、これからもその恵みを持続的に享受していくため、その価値を認識・評価して、様々な意思決定に反映させていく必要があります。
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バードウォッチングの先駆者

2020年07月02日 | 野鳥
「鳥を撃つのではなく、見て楽しもう」と提唱した英国王立鳥類保護協会が設立されたのは1889年。ドイツの光学器メーカー・ツアイスが世界初の商用双眼鏡を発売したのは、その5年後の1894年。そして、Birdwatchingという言葉が生まれたのは1901年。私の趣味の歴史はたかだか120年です。
しかし、そのはるか以前から野鳥観察に明け暮れた人がいました。その一人が、ギルバード・ホワイト。1720年にイギリスに生まれ、長じて牧師になったものの、野鳥観察に現(うつつ)を抜かしたために副牧師のまま生涯を終えた人物。バードウォッチングという概念が生まれる150年ほど前から、日々野鳥を観察し続けました。その著書『セルボーンの博物誌』が「世界初のバードウォッチング記録」と呼ばれるゆえんです。



本書を読むと、スコープやカメラはもちろん、双眼鏡さえないにもかかわらず、その観察は微に入り細に入り、野鳥の形態から習性にいたるまで広範囲に及び、「どうやって観察したんだろう?」と思うことがしばしば。例えば、アマツバメについて次のように書いています。
アマツバメは、飛びながら交尾するということです。この推定に驚かれる方々はいずれも、御自身の眼を十分に使っていただきたい。(中略)アマツバメはほとんどたえず飛んでおります。そして、地面や、樹上や、屋根の上に止まることは決してありませんから、空中で愛に耽(ふけ)れないとすれば、交尾する機会はほとんどないわけです。
肉眼の観察だけで、素早く飛ぶアマツバメが空中で交尾することを確認しているわけです。さらに、当時アマツバメはツバメの仲間とされていましたが、これにも疑問を抱き、他のツバメ類に比べて、ひと夏に1回しか繁殖しないこと、卵を2個しか産まないこと、脚の構造が違うことなどから別の属ではないかと推測しています。


ギルバード・ホワイト

また、ある博物学者が「イワツバメは巣以外では雛に餌をやらない」と書いているのは間違いと指摘し、次のように報告します。
うっかり見ている人には目にもとまらぬ早業ではありますが、イワツバメは、まさしく飛びながら雛に餌をやっております。
つまり、ホワイトはアマツバメやイワツバメの飛翔中の習性を肉眼で確認した上で、学者の眼は節穴だと言っているのです。
双眼鏡やスコープ、望遠レンズ付きのカメラなど使って野鳥を観察し、その姿や習性を云々する私たちを見て、ホワイトはどう言うでしょう。「そんな文明の利器を使っているのに、お前たちの目は節穴か?」。
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