樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

人の心を丸くまんまるに

2008年03月31日 | 木と作家
近くのデパートで「木喰(もくじき)展」をやっていたので見てきました。
木喰とは、全国を遍歴しながら、行く先々で仏像を彫った修行僧。今年は生誕290年だそうです。同じ系統に円空がいます。

       

仏像にはさほど興味はないですが、木喰独特の彫刻表現には魅力を感じます。分かりやすく伝えると、棟方志功の木彫版。素朴で骨太で、温和だけど、じっくり見ると鬼気迫る…という感じ。
会場では撮影禁止なので、ポスターの写真で紹介します。

       
                  (聖観音菩薩 103cm)

61歳のとき、遍歴先の北海道で木像を彫ったのが最初で、以来91歳まで日本全国を旅しながら多数の仏像を残しています。木喰の仏像はニッコリ笑っているのが特徴で、別名「微笑仏(みしょうぶつ)」。
83歳で故郷に戻ったとき醜い争いに巻き込まれ、それ以来、人の心がまるくなるような仏を彫ろうと決意したそうです。その頃に作った歌が、「みな人の心を丸くまんまるに どこもかしこも丸くまん丸」。

              
                  (薬師如来 57cm)

閻魔大王も彫っていますが、この恐ろしいキャラクターが木喰の手にかかると実に大らかでユーモアがあって、全然怖くない。見ていると、気持ちがほのぼのとしてきます。
材料へのこだわりもなかったようで、北海道ではカバ、トチノキ、岩手県ではヒノキ、栃木県ではサクラなどを使っています。展覧会場の入口には、コウヤマキの立木に彫った子安観音像も展示してありました。

             
                   (十二神将 50cm)

作風を棟方志功に例えましたが、木喰も志功も民芸運動家の柳宗悦(やなぎむねよし)に見出された作家。木喰や志功もスゴイけど、柳の審美眼には感服します。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶碗と木

2008年03月28日 | 木と飲食
京都の陶磁器と言えば清水焼ですが、現在は清水に登り窯はありません。煙害を避けて、一部の陶工が宇治の炭山という山村に移住して登り窯を築いています。清水焼は宇治の山奥でも作られているのです。
その炭山はうちから5~6km。のどかな山里で、たまに鳥を見に行きますが、先日は登り窯をウォッチングしてきました。何人かに尋ねて、ようやくある組合の登り釜を見せていただくことができました。

       
             (今では数少なくなった登り窯)

登り窯で燃やす薪はアカマツ。火力が強いのに加え、油煙が多く、それが土や釉薬に作用していい焼物ができるそうです。登り釜の前にはたくさんのアカマツの薪が積み上げられていました。わざわざ備前から取り寄せるとか。

       
          (登り窯の前に積み上げられたアカマツの薪)

茶碗と木の関係は薪だけではありません。釉薬には木の灰を使います。中でも重要なのがウバメガシ、ツバキ、クリ、イスノキの4種類の木灰。イスノキについては、以前bulbulさんから「先祖の陶工が釉薬に使うために庭にイスノキを植えていた」というコメントをいただいたことがあります。特に高級な焼物にはイスノキとツバキの灰を使うので、江戸時代には尾張藩が瀬戸にイスノキを植林していたそうです。
案内してくださった若い陶工は、「登り窯で燃やしたアカマツの灰も釉(うわぐすり)に使うので大切に取っておきます」と教えてくれました。釉用の灰を専門に扱う「灰屋さん」もまだあるそうです。

        
                 (薪を継ぎ足す横穴)

ロクロを回しながら形を整えるヘラもアカマツ。土がねばり付かないだけでなく、万一手を切っても大した傷にならないそうです。多分、マツヤニがそういう働きをするのでしょう。
この炭山でも登り窯に火を入れるのは年に1~2回。他の産地でもそうでしょうが、多くの陶磁器は電気かガスの窯で焼かれています。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑茶発祥の地

2008年03月26日 | 木と飲食
みなさんが普段飲まれるお茶は、黄緑色か黄色でしょう。なのに、なぜブラウン系の色を「茶色」と言うのか、疑問になったことありませんか?
お茶にもいろいろあって、昔の庶民は粗末な茶葉を煮出して飲んでいました(今の番茶よりもっと濃い色だったようです)。その色が「茶色」。その後、ある人が製法を改良して庶民でもおいしく飲める黄緑色のお茶をつくったので、私たちが飲むお茶の色と「茶色」がズレたのです。

             

その黄緑色のお茶をつくったのは、永谷宗円という人物。宇治市の隣に宇治田原町という茶所がありますが、ここで約300年前に「青製煎茶」というお茶を開発しました。現在、宇治田原町は「日本緑茶発祥の地」として町興ししています。
昨年、永谷宗円の生家が復元されたと聞いて、先日ちょっと覗きに行ってきました。かやぶき屋根の古民家の中に囲炉裏が設けてあり、横には焙炉(ほいろ…茶葉を手もみしながら乾燥させる台)が置いてあります。

       
              (復元された永谷宗円の生家)

宗円がつくったお茶は保守的な京都では認められなかったので、販路を江戸に求めました。そのお茶を最初に買ったのが日本橋の茶商・山本屋。「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」で知られる現在の山本山です。宗円のお茶が大ヒットして急成長したようです。
ちなみに、お茶漬けの素で有名な永谷園も同じ家系で、生家の復元や村の神社の修復に多額の寄付をしています。お茶漬けの素を発明したのも、やはりお茶がらみだったようです。

       
          (保存されている樹齢600年のお茶の幹)

この生家の前庭には、大きなお茶の樹があったそうです。幹の太さ90cm、高さ3mもの大木で、茶葉が26kgも採れたと記録されています。明治5年に枯れましたが、上部の幹を伐ったものが保存展示してありました。現在は茶摘みしやすいように樹は低いままですが、昔はそんな大きなお茶の樹もあったんですね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樹の祖先

2008年03月24日 | 木と歴史
沖縄のヤンバルの森では、ヒカゲヘゴがあちこちで枝を広げていました。

       

ヘゴの類は植物学的には樹木ではなく、木性のシダ植物という扱いになっています。ヒカゲヘゴは日本最大のシダ植物。写真の錦蛇のような模様は、枝が自然に落ちた痕です。
ゼンマイのような形をした新芽は、アク抜きすれば天ぷらや三杯酢で食べられるそうです。また幹の芯は煮込むと大根のような食感で、八重山諸島では祭りに欠かせない料理だとか。

             

私がヘゴに関心を持ったのは、これらの植物は樹木の祖先だからです。しかも、私たちはついこの間まで、この植物のお世話になっていました。恐竜がウロウロしていた時代、こういうシダ植物が地盤沈下などによって地中に堆積し、2億年から3億年後に掘り出したのが石炭です。
今では目にする機会さえほとんどなくなりましたが、昔は蒸気機関車やストーブなどのエネルギーとして頼っていました。私の母校でも教室の暖房は石炭ストーブでした。

       

私は「鉄っちゃん」ではありませんが、その懐かしい石炭に再会するために、京都駅近くにある梅小路蒸気機関車館に行ってきました。ここでは、短い距離ですが今でもSLが子ども連れの家族を乗せて走っています。
説明パネルによると、D51を1km走らせるために40kgの石炭が必要で、100km走らせるためにスコップで2000回も投入しなければならない重労働だったそうです。

       

この黒い石が、2億年だか3億年前まで今の樹木のように地球の野山で緑色の葉を伸ばしていたのかと思うと、何だか愛おしくなってきました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木の看板

2008年03月21日 | 木の材
老舗の多くが木の看板を掲げています。宇治のメインストリートや平等院の参道にも、大きくて分厚い看板を掲げたお茶屋さんやお菓子屋さんが並んでいます。
この看板には昔からケヤキが使われてきました。雨風に耐え、反りにくいという物理的な特性だけでなく、ケヤキならではの力強い木目が好まれたのでしょう。高級銘木のケヤキで、しかもできるだけ大きな看板をあつらえるというのが、昔の商売人の夢だったようです。

       

上の写真は和菓子屋さんのもの。屋根付きです。宇治に店を構えながら、茶所・駿河の名前を掲げるのは今風に言えばアウェイ感覚ですが、もともとは京都で創業した羊羹の老舗が徳川家に召されたので「駿河屋」と改名したらしいです。宇治はその分家の一つ。

       

次は、お茶屋さんの看板。こちらは、屋根だけでなく照明もついています。文字の細かい部分は判読できませんが、茶の木と茶壷の図柄は当時はけっこう目を引いたのではないでしょうか。
商売をやめることを「看板を降ろす」と言いますが、看板は商売繁盛のシンボルなので、降ろさなくてもいいように最初から大きな目立つ看板を上げるものだと言われています。
私も家で仕事していますが、看板も表札も掲げていません。だから繁盛しないのかな?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄の街路樹

2008年03月19日 | 街路樹・庭木
沖縄ではヤンバルの森でいろいろ珍しい樹が見られましたが、街路樹にもこちらとは全く違う樹が植えてありました。

             
               (那覇市の街路樹フクギ)

最初に目についたのはフクギ。ポプラのようなスリムな樹形で、いかにも南方系らしい厚い皮質の葉が密生しています。沖縄では防風林として家の周囲によく植えたそうですが、最近は実が落ちると臭くてハエがたかるなどの理由で敬遠されているようです。那覇市の市の木に選定されています。

             
        (那覇市の大通りで見かけたアカギ。車窓から撮影)

もう一つはアカギ。これも、本土には自生しない熱帯系の樹木。昔は首里周辺にアカギの森があったのに、戦争で焼けてしまったそうです。今回は訪れませんでしたが、首里城の前には焼け残ったアカギの大木があり、国指定の天然記念物として保存されています。
アカギという名前は材が赤味をおびていることに由来し、シタンの代用にされるとか。沖縄では常緑樹ですが、関西の植物園などに植えてあるアカギは冬には完全に落葉するそうです。

             
            (細い気根が出ているガジュマルの幹)

観葉植物として知られるガジュマルも街路樹になっていました。私も昔ガジュマルを部屋に飾っていましたが、こんなに大きくて街路樹になっているのは意外でした。
この樹は気根といって、空中の湿気を吸収するための根が出ているのが特徴です。ガジュマルという名前は沖縄の地方名だそうですが、意味は不明。名護市の市の木に選定されています。
このほかにも、ヤシ系のトロピカルツリーやおもしろい樹形の街路樹がたくさんあったので、レンタカーの運転は他の2人に任せて、私は後部座席で首が痛くなるくらいキョロキョロしていました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美し松

2008年03月17日 | 伝説の樹
滋賀県の甲西町平松という所にウツクシマツの自生地があり、国の天然記念物に指定されています。
植物学上はアカマツの1種ですが、普通のマツは幹が1本なのに対して、ウツクシマツは根元で何本にも株別れするのが特徴です。標高227mのその名も「美松山」の南東斜面に大小200本が群生しており、一帯は公園として整備されています。

            

東海道の道筋に近いために昔から松の名所として知られ、「東海道名所図絵」にも紹介されているそうです。
平安時代、この地で病気療養していた藤原頼平の前に、京都の松尾明神が遣わしたという妖精が現れ、それがウツクシマツに変身したという伝説が残っています。平松という地名は頼平の平と松尾の松に由来すると伝えられ、近くには頼平が創建したという松尾神社があります。
普通のアカマツに比べて葉先がやや平らになっているのも特徴で、平松の名はここに由来するのかも知れません。

       

斜面を登って行くと、何本もの幹が炎のように立ち上がるアカマツに囲まれ、確かに普通の松林と違う異様な風景でした。私は園芸品種には興味がないですが、同じように幹がいくつにも分かれる多行松(タギョウショウ)という庭用のマツがあるそうです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄の桜前線

2008年03月14日 | 樹木
沖縄ツアーの主な目的は鳥ですが、もちろん樹木も観察してきました。
北部のやんばるの森では、カンヒザクラ(寒緋桜)の花がすでに散り、青い実が成っていました。本土でもよく植えてある南方系のサクラで、赤紫色の花が下向きに咲くのが特徴です。今ごろ開花するので、みなさんもどこかでご覧になっているはずです。
やんばるの民宿では、このカンヒザクラの薪を囲炉裏で燃やし、豚の股肉を燻製にしていました。燻製にはやはりサクラがいいようです。

       
          (やんばるの森のカンヒザクラはすでに結実期)

ところが、翌日泊まった那覇のホテルではカンヒザクラが満開。本土のメジロより色鮮やかなリュウキュウメジロが盛んに蜜を吸っていました。
以前、「沖縄では桜前線が北から南へ移動する」と本で読んだことがあって、「やっぱりそうだったのか」と納得しました。那覇とやんばるは120kmくらいしか離れていませんが、南では開花、北ではすでに結実というズレがあります。

       
          (那覇のホテルの庭に咲いていたカンヒザクラ)

桜前線が本土とは逆の動きをする理由は忘れましたが、多分このカンヒザクラを基準にしているのでしょう。
やんばるの森では、エゴノキの花もすでに散っていました。本土では初夏に咲く花です。このほか、見慣れない樹がたくさん生えていて、耳では鳥の声を探し、目では樹木を追いながら歩いていました。

       
             (せせらぎに散ったエゴノキの花)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バードウォッチングの愉しみ

2008年03月12日 | 野鳥
8日から2泊3日で沖縄に鳥見ツアーに行ってきました。毎年3人で北海道や信州、四国、中国、九州など各地を巡ってきたので、今回は思い切って沖縄に飛びました。ヤンバルクイナやノグチゲラなど沖縄固有の鳥と、本土より早い南からの渡り鳥を見るのが目的です。
北部のヤンバル地域の道路には写真のような標識があちこちに掲げてあります。それだけ出現の確率が高いということでしょうが、残念ながらヤンバルクイナは私たちの前には姿を現してくれませんでした。ノグチゲラも声とドラミング(木をつつく音)のみ。

       

でも、ヤンバルではアマミヤマシギやリュウキュウオオコノハズク、中部エリアの田園地帯ではシロハラクイナなど沖縄固有の鳥に出会えました。また、南から渡ってきたサシバ(タカの1種)も各地で目撃。沖縄の最北端の岬では、これから本土に旅立つであろうサシバが、渡ろうか渡るまいか逡巡するように、飛び立ったり、木に止まったりを繰り返しています。彼らにとっては命がけの飛翔ですから無理もないです。

       
          (辺戸岬のサシバ。これから本土に旅立ちます)

那覇には干潟がたくさんあって、シギやチドリが「ピーピー」「キョーキョー」と可愛い声で鳴きながら群れていました。写真のセイタカシギは沖縄でなくても見られますし、時々うちの近くの田園地帯にもやってくるのですが、小さな池の中でほかの鳥たちといっしょに餌を啄ばんでいました。テレビで報道されたクロツラヘラサギもいました。

       
        (セイタカシギのみなさん。名前のとおり足が長いです)

可愛い鳥の姿を見、声を聴いていると、平和でのどかで、ゆったりした気持ちになります。何と表現すればいいのか、自分の体が周辺の自然に溶け出していくような感覚…。ありきたりな言葉ですが「自然との一体感」でしょうか。珍しい鳥が見られなくても、私にはそういうひと時が至福です。
「鳥を見るだけで何がおもしろいの?」と時々聞かれます。私が思うに鳥見の愉しみには3つあって、1つは前述の「自然との一体感」が味わえること。もう1つは、宝探しのおもしろさ。「この時期にこの場所に行けば、こんな鳥に出会えるはず」と推測して、目と耳を頼りにその鳥を探し、実際に探し当てたときの喜び。今回のヤンバルでは見事にハズレましたが…。
そしてもう1つは、コレクション趣味。どれだけ多くの種類の鳥を目撃するか、あるいは写真に収めるかに生きがいを見出す人もいます。しかし、この愉しみは往々にして、ただ数を競うことに走ったり、いい写真を撮りたいがために自分だけ被写体に近づいて皆が見ている鳥を逃がしたり、餌付けしたり、フラッシュを焚くというような本末転倒に陥ります。自戒も含めて、コレクション趣味に走らないようにしないと…。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貴乃花部屋

2008年03月07日 | 木とスポーツ
明後日から始まる大阪場所のために、多くの相撲部屋が大阪市の谷町筋にあるお寺などに稽古場を構えています。パトロンのことを「タニマチ」と言うのはここに由来するそうです。
ところが、貴乃花部屋だけは、去年からうちの近くにある新興の神社(龍神総宮社)に拠点を構えています。私は幼い頃、貴乃花の叔父さん(初代・若乃花)に憧れて相撲取りを夢見たくらいですから、何だか嬉しくて見学に行ってきました。しかも、2回。

              
       

序二段や三段目の若い力士が7人いるだけの小さい部屋ですが、部屋付きの親方には元大関の貴ノ浪や元小結の隆三杉がいます。
稽古は朝5時半から8時まで。「地元住民を大切に」という親方の方針から、見学は大歓迎。稽古場の座敷に座らせてもらって、お茶までいただいて見学してきました。フラッシュを焚かなければ撮影もOK。

              
          (鉄砲柱。直径50cmくらい、高さ3mくらい)

このままでは単なるミーハーなので、木の話をしますと、稽古場の隅に直径50cmくらいの鉄砲柱が立っていました。腕の運動や突っ張りの練習のために使う柱です。樹種は分かりませんが、木肌が白いのと、相撲は神事がルーツなので、神具に多用されるヒノキではないでしょうか。
大男たちが体重と力を込めて突っ張るわけですから、強度のある木でないと持たないでしょうし、相当深く埋め込まないと倒れてしまいます。強度の点から推測するとケヤキかも知れません。

(左はタコ、右はタタキ。土俵の整備に使う道具)

稽古場の裏に回ると、写真のような道具が置いてありました。左は、その形から「タコ」と呼ばれ、土俵の土を固めるために使います。そんなに大きくないのに、私が持ち上げてもびくともしませんでした。カシとかイスノキなど重い木が使われているはずです。右は「タタキ」という道具。タコで固めた土俵の土を平らにならすのに使うようです。
また、稽古場にはないですが、行司の軍配は木製。樹種はカエデだそうです。
さて、本場所が始まる頃、私は年に1度の鳥見ツアーで沖縄にいます。このブログも月曜日はお休みします。土産話にご期待ください。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする