樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

木のきもの

2006年09月06日 | 木と作家
私も樹木に対する好奇心は強い方だと思いますが、幸田文(こうだあや)にはかないません。明治の文豪・幸田露伴の次女で、自らも小説や随筆を書いています。
もう亡くなりましたが、この人の好奇心と行動力はスゴイです。ある人から「ポプラが邪魔になったから切った」という話を聞くと、その木の最期を見届けるために長野の箸工場まで出かけるわ、高齢を物ともせず縄文杉を見るために人に背負ってもらって屋久島に登るわ、立ち枯れの木を見るために北海道の野付半島まで行くわ・・・という猛烈ぶり。
木に関するエッセイもいろいろ書いていますが、その中に「木のきもの」という一遍があります。

         
        (たて縞のきものを着ているスギ)

「杉はたて縞のきものを着ている、縄文杉もたて縞だった」。樹皮の模様をきものの柄にたとえているのです。以下、「松は亀甲くずし、ひめしゃらは無地のきものと思う」とか、「いちょうの着物は、しぼ立っている。大きな木ほど、しぼが高いようだ」と続きます。

         
         (亀甲くずしのマツ)

また、スズカケノキ(プラタナス)について、「私はこの木の着物を、織物ではなく、染物の美しさだと思う。(略)織りの深味がない代わり、染めのおもしろさ、精巧さがある。一度にくるりと剥げるのではなく、小部分ずつ、順繰りに剥げるので、色の濃淡が複雑に入りまじるが、数えてみたら、うす茶、もう少し濃いうす茶、みどり、みどりがかった灰色、と四種がまだらになっていた」と書いています。

         
         (スズカケノキは染物のきもの)

父親の露伴が樹木に関心を持つように教育したようで、幼い頃から落ち葉を見て木の名前を当てる遊びを姉と競わせていたと言います。文はいつも姉に負けて悔しく、負けず嫌いの性格から木への好奇心が芽生えたようです。
しかし、樹皮をきものにたとえる感性は、生涯きもので過ごした幸田文ならでは。男の私にはこういう見方はできないです。(引用は新潮文庫版『木』より)
なお、「木と芸術」という大層なカテゴリーをやめて、今回から「木と作家」に変更しました。
コメント (6)
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