樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

樹をめぐる物語

2016年10月06日 | 木と作家
8月11日の「スペインはスゴい!」の記事に、「岐阜県美術館で『樹をめぐる物語』という展覧会をやっていますよ」というコメントをいただきました。樹木が好きな上に、もともと絵が好きなので、こんなチャンスを逃したら2度と見られないと思って、先日行ってきました。岐阜県に行くのは久しぶり、岐阜県美術館は初めて。
まず嬉しいのは入場券。葉っぱの形に切り抜かれています。こういうのは「トムソン加工」といって結構コストがかかることで、主催者の意気込みを感じました。



スケッチや習作も含めると110点もの樹の絵が展示されています。いつもどおり、ざーっと一覧してから気になる作品の前に戻ってじっくり鑑賞しました。モチーフが樹木なので、当然風景画が多いのですが、中には人物画や樹木だけを描いた作品もありました。
樹として最も迫力があったのは、フェリックス・ヴァロットンの『オンフルールの眺め、朝』。村を望む峠を描いたようですが、生き物のようにクネクネと幹を伸ばす樹には圧倒的な存在感があります。



印象派では、レオ・ゴーソンという作家が気になりました。下の『樹木の向こうの村』はスーラ風の点描ですが、ほかにもマネ風、ゴッホ風、ゴーギャン風の樹木の絵が展示されていました。樹が好きだったのかな?



出口の横にあった最後の展示品も私の目を奪いました。クリスチャン・ロールフスの『春の樹』。抽象画に近いですが、樹木の勢いを感じさせるパワフルな油絵です。私は写実的な絵よりも、作者の表現意欲が感じられるこういう系統の絵に惹かれます。



ほかにもじっくり鑑賞した作品があって、樹と絵を楽しんできました。お名前はわかりませんが、情報をくださった方、ありがとうございました。
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漱石と宇治

2015年12月17日 | 木と作家
人目にはほとんど触れませんが、いま宇治の茶畑では白い花が咲いています。チャはツバキ科なので、サザンカやツバキの赤い花と同じく冬に開花するのです。
俳句でも「茶の花」は冬の季語。山口素堂は「茶の花や 利休が目には よしの山」、利休にとっては吉野の桜ほど美しい花であろうと詠んでいます。



小説だけでなくたくさんの俳句を遺した夏目漱石にも、「茶の花や 黄檗山を 出でて里余」の句があります。黄檗山(おうばくさん)は宇治にあるお寺、満福寺のこと。この寺を出て一里余りのところで茶の花が咲いているのを見つけたわけです。ということは、漱石は宇治を訪れたことがあるわけです。


画像はパブリック・ドメイン

この文豪と宇治のとりあわせが気になったので調べてみたら、『草枕』に以下のようなくだりがありました。

(自分は書については門外漢だが)平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。

ここにある「隠元」とは黄檗山萬福寺の開祖で、中国からインゲン豆を持ち込んだ高僧。書の達人でもあり、弟子の「即非」「木庵」とともに「黄檗三筆」と言われているそうです。
その五代目の住職が高泉。つまり、夏目漱石は書を通じて黄檗山萬福寺をレスペクトしていたわけです。


萬福寺の山門。中国風の建築が特徴

萬福寺の門前には普茶料理(精進料理の一種)の店がありますが、漱石はここで食事をしたらしく、「腥物(なまぐさもの)のない中華料理」と評しています。
さすが漱石先生、うまいことを言いますな~。
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南方熊楠を天国に導いた樹

2015年05月18日 | 木と作家
センダンの花が満開です。この樹は河川敷や荒れ地に雨後の筍のように生えるので、ちょっと困った厄介者ですが、小さな薄紫色の花を見ると、逆に可憐で、優しい印象を持ちます。
博物学者であり生物学者であり民俗学者、ひと言でいうと“知の巨人”南方熊楠(みなかたくまぐす)は、このセンダンの花が好きだったようです。


センダンの花

長女の南方文枝さんが次のように書いています。

医師が時々打つ注射を嫌い、「こうして目を閉じていると、天井一面に綺麗な紫の花が咲いていて、からだも軽くなり、実にいい気持ちなのに、医師が来て腕がチクリとすると、忽(たちま)ち折角咲いた花がみんな消え失せてしまう。どうか天井の花を、いつまでも消さないように、医師を呼ばないでおくれ」と言いつけた。
父は紫色を好み、庭の草花も紫色が多かった。昭和4年6月1日、御召艦長門において御進講の栄光に浴せし日、あたかも父の門出を祝福するかのごとく、庭の樗(おうち=センダン)の花が薄紫の霞のごとく咲き誇っていた。今幽明の境を彷徨する父の脳裏にあの日の感激と、見事に咲いた樗の花を想い出したのであろうか、父の寝顔は実にやすらかであった。


熊楠が亡くなったのは12月29日なので、センダンの花は咲いていません。庭に植えたセンダンが満開になったシーンが脳裏に焼き付いていて、薄紫の花の霞の中を通り抜けて天国に昇っていったのでしょう。
私があの世に行くとき、天井一面に咲くのは何の花だろう? わが家の庭に咲くエゴノキの花かな? 栃の森で見るトチノキの花かな?
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作家の命日

2015年04月02日 | 木と作家
作家の命日を「文学忌」と呼ぶそうです。よく知られているのは「桜桃忌」。6月19日に愛人と心中した太宰治の命日で、『桜桃』という作品名に由来します。サクランボが成る時期ということもあるのでしょう。
「桜桃忌」もそうですが、文学忌には樹木がよく登場します。例えば、檀一雄の「夾竹桃忌」(1月2日)、与謝野晶子の「白桜忌」(5月29日)、中野重治の「くちなし忌」(8月24日)など。
4月10日に亡くなった内田百は「木蓮忌」。モクレンは4月10日には散っていますから時期が少しずれていますが、百が詠んだ俳句「木蓮や 塀の外吹く 俄風」に無理やり当てはめたようです。


わが家のハクモクレンも昨日ほとんど散りました

女優・檀ふみのお父さん、檀一雄の「夾竹桃忌」も開花時期とは半年もずれています。その理由については7年前の記事でご紹介しました。
そして、きょう4月2日は、彫刻家でもあり詩人でもある高村光太郎の命日。「連翹(れんぎょう)忌」と呼ばれています。
高校生のとき光太郎の詩に惹かれて、長編詩を書き写して部屋に貼ったこともありましたが、戦中に戦争賛美の詩を書いたことから晩年は寂しい人生を送ったようです。
光太郎は知人の家で亡くなったのですが、その庭にレンギョウの花が咲いていて、知人の奥さんに木の名前を尋ねたそうです。そして、告別式で棺の上にレンギョウが一枝置かれていたことから「連翹忌」と呼ばれるようになったとのこと。
この「連翹忌」だけは、命日と開花時期がぴったり一致するわけです。
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国宝『檜図屏風』

2015年03月19日 | 木と作家
狩野永徳が描いた『檜図屏風(ひのきずびょうぶ)』(国宝)の修理について、NHKがドキュメント番組を放送しました。
表面の汚れや経年劣化を補修する技術、絵の裏に隠されていた家紋から推理される歴史も興味深かったのですが、ツリーウォッチャーとしてはやはりモチーフであるヒノキが気になりました。


『檜図屏風』の部分(画像はパブリックドメイン)

幹も枝もダイナミックに暴れています。でも、見た瞬間「これは実際のヒノキではないな~」と思いました。ヒノキの幹は真っ直ぐ上に伸び、枝もほぼ真横に規則正しく張るので、こんな曲がりくねった樹形にはならないはずです。
永徳はリアルに描くことよりも、動的に描くことで何かを表現したかったのでしょう。ネットで調べると、ある専門家が次のように書いていました。
「実は、本来、檜は、真っ直ぐに伸びます。その枝は綺麗に広がります。しかし永徳は、その檜を大きくデフォルメし、不気味なほど、ねじ曲げて描いていたのです。永徳は、戦国の美は決して美しいものだけではなく、もがき、荒ぶる姿にこそ、本質があると考えたのかもしれません」。
永徳が生きたのは戦国時代~安土桃山時代。信長や秀吉から依頼されることが多かったので、こういうパワフルな絵を描いたのではないかという推測です。
その一方で、葉はリアルに緻密に描いています。


葉の部分の拡大

構図の大胆さとディテールの緻密さ。そこにこの作品の魅力があるように思います。
面白いことに、惜しげもなく金箔を使った狩野派特有の豪華絢爛なヒノキとは逆に、地味な樹木の絵が同じ時代に描かれ、それも国宝に指定されています。以前ご紹介した長谷川等伯の『松林図屏風』。



地味ですね~。水墨画なので色もなく、金箔も使っていません。私は年金を受け取る年齢ですが、まだこの枯れた境地に至っていないので(笑)、永徳のヒノキの方に惹かれます。
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ダ・ヴィンチはツリーウォッチャーだった

2015年03月09日 | 木と作家
昨年の夏「ダ・ヴィンチはバードウォッチャーだった」というタイトルで、この天才が飛行機を発明するために鳥を観察していたことをご紹介しましたが、それに加えてツリーウォッチャーでもあったようです。
ダ・ヴィンチが残した『絵画の書』という書物に「樹木と植物について」という章があり、そこに科学的な知見や樹木を描くときの法則が記されています。
例えば、「二股に分かれた枝の太さは、親枝の太さに等しい」。下の図(右)を示して、「aとbの枝をたすとeの太さに、cとdの枝をたすとfの太さに、eとfの枝をたすとpの幹の太さになる」と書いています。



その理由について、「最も太い幹の樹液が、枝を通じて分配されていくからである」と記しています。樹液が運ぶ養分は一定だから、枝の太さも合計では一定になるという意味でしょう。
また、「樹木を見る角度や距離によって光の角度が違うから色が変化する」というような描画上の法則も書き遺しています。下の絵は、木の葉を見る角度によって明るさが異なることの説明。



さらに、葉の色を出すときは、その葉の上で絵具を混ぜ、見分けがつかなくなるまで調合すればいい、とも書いています。
そこまで緻密に考え、計算して描いたから、『モナリザの微笑』や『最後の晩餐』が生まれたんでしょうね。驚きました。
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樹木礼賛

2014年10月30日 | 木と作家
現在、仙台市博物館で「樹木礼賛」という絵画展が行われています。その開催趣旨は以下のとおり。

日本人は昔から樹木とともに暮らしてきました。住まいや日々の生活に利用するだけでなく、花や紅葉など四季折々の姿を愛で、また信仰の対象として敬い、そして絵にもたくさん描いてきました。例えば、鎌倉時代以降の宗教絵画には榊や松などの樹木が神木として描かれています。桃山時代から江戸時代の襖や屛風といった大画面絵画には、その力強い生命力を感じさせるように樹木が大きく描かれます。
本展覧会では、樹木を描いた様々な絵画を通して、日本人が樹木をどのようにとらえ、表現してきたのかを紹介します。


ツリーウォッチャーとしては観たくてウズウズしますが、わざわざ仙台まで行けないので、展示作品を自分でピックアップして「樹木礼賛・樹樹日記バージョン」を開催します。(説明は受け売りです)
今回の目玉の一つは、円山応挙の「雪松図屏風」。応挙の作品で唯一国宝に指定されています。
右隻には堂々としたクロマツ、左隻にはソフトな印象の二本のアカマツが描かれています。雪の白さを強調するために、この絵のために特別に漉かれた紙が使われているそうです。


右隻はクロマツ


左隻はアカマツ

もう一つの目玉は、長谷川等伯の最高傑作『松林図屏風』。こちらも国宝です。
藁筆による荒々しい松もさることながら、屏風として折り立てたときに、遠景と近景が強調されるような画面構成になっているそうです。


右隻


左隻


松の絵が続いたので、次は落葉広葉樹。江戸時代の絵師、鈴木其一の『朴に尾長図』。



オナガは日本画のモチーフによく登場しますが、関西では見られません。でも、ホオノキとの取り合せが面白いですね。
この頃の題材は、花鳥風月の伝統からか樹木と鳥をセットにした題材が多く、このほかにも「松に孔雀」「松に山鳥」「枇杷に金鳩」「柏に鳩」「柳に翡翠図」といった作品が展示されています。樹木観察のつもりが、いつの間にか野鳥観察になりそうです。
この展覧会、関西にも巡回してくれないかな~。
「樹木礼賛」展の詳細はこちら
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樹を愛した歌人

2014年09月25日 | 木と作家
白鳥は哀しからずや海の青 空の青にも染まず漂う
中学で習ったこの歌はイメージが鮮烈で、今でも覚えています。詠んだのは若山牧水。大正時代に活躍した歌人です。
この歌にもあるように、牧水は鳥をよく採り上げました。一方、樹木にも愛情を注いだようで、『かなしき樹木』という詩集や『樹木とその葉』というエッセイ集を出版しています。
やはらけき欅(けやき)のわか葉さざなみなし 流れて窓にそよぎたるかも
軒端(のきば)なる欅の並木さやさやに 細葉そよぎて月更けにけり
見上ぐれば窓いつぱいの欅の木 椎の木の蔭の花柘榴花(はなざくろばな)

ケヤキが頻出するのは、特に好きだったからでしょうか。


ケヤキ並木

その他にも樹木を歌った作品があります。
いつとなく黒みて見ゆる楢の葉に 今朝ふく風のあはれなるかも
山に入り雪の中なる朴(ほお)の木に 落葉松(からまつ)に何とものをいふべき

樹の花を詠む歌人は多いですが、ここまで樹種を明示して樹そのもの詠む歌人は少ないでしょう。牧水が相当なツリーウォッチャーだったことがうかがえます。
以前、無残に伐木されたミズナラを見て怒りの歌を詠んだことを当ブログでご紹介しましたが、その後も伐木に怒りを爆発させています。
沼津市に移り住んだ頃、地元の景勝地・千本松原の一部伐採計画が浮上。それを知った牧水は反対運動の先頭に立ち、新聞に意見を投稿したり、苦手な演説も引き受けたりします。結果、伐採計画は中止。その功績を称えて、千本浜公園には若山牧水の歌碑が建立されています。
ただ樹を観察したり、歌に詠んだりするだけでなく、行動する人だったんですね。
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世界一幸せな国をつくった木

2014年08月14日 | 木と作家
キリスト教思想家である内村鑑三が、100年ほど前に『デンマルク国の話』という一文を発表しています。副題は「信仰と樹木によって国を救いし話」。
それによると、19世紀中頃ドイツとの戦争に敗れて南部の肥沃な土地を失い、荒地しか残らなかったデンマークは植林による国土豊穣化に取り組みます。
しかし、ノルウェー産のモミを植えたものの数年で枯れ死。その後研究を重ねて、アルプス産の小さなモミと混植し、ある程度成長するとアルプス産を伐採するという植林方法を考案。これによって国土の約7%を緑化しました。
その結果、まず気候が変化。寒暖の差が穏やかになったため、それまでジャガイモやライ麦しか栽培できなかった土地で、小麦などの穀物、砂糖大根、各種の野菜が栽培できるようになりました。
また、海岸から吹きつける砂塵をモミ林が防ぎ、砂の害を一掃。さらに、木材も国内調達できるようになりました。


内村鑑三

そして、内村鑑三は次のように書き進めます。

しかし、木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、そして畜類よりもさらに貴いものは、国民の精神です。デンマルク人の精神は、植林成功の結果として、ここに一変したのです。失望していた彼等は、ここに希望を回復しました。彼等は国を削られて、さらに新たに良い国を得たのです。
しかも、他人の国を奪ったのではありません。自分の国を改造したのです。自由宗教から来る熱誠と忍耐と、これに加えて大モミ小モミの不思議な力によって、彼等の荒れた国を挽回したのです。


昨年9月に国連が発表した「世界幸福度レポート」では、デンマークが第1位にランクされています。つまり、世界一幸せな国はモミによってつくられたわけです。
ちなみに、同レポートの評価基準は、富裕度、健康度、人生の選択における自由度、汚職に関するクリーン度などで、日本の順位は43位。


デンマークを救ったモミ

『デンマルク国の話』の中で、鑑三は次のようにも書いています。

エネルギーは太陽の光線にもあります、海の波濤にもあります、吹く風にもあります、噴火する火山にもあります。もしこれを利用することができれば、これらはことごとく富の源であります。

100年も前に、太陽光発電や波力発電、風力発電、地熱発電を示唆しているのです。しかも現在、デンマークは電力の2割を風力でまかなう風力発電大国。内村鑑三の慧眼に驚かされます。
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木とブレヒト

2014年04月21日 | 木と作家
以前、長田弘という詩人が樹木を題材にした作品をたくさん書いていることをご紹介しました。先日、その長田さんの『私の二十世紀書店』という本を読んでいたら、「木とブレヒト」という章がありました。
ドイツの詩人ブレヒトも長田さんと同じく樹木が好きで、木を題材にした作品をいくつか残しているとのこと。学生時代に何度か耳にした名前ですが、その作品に触れたことはありません。図書館で研究書を1冊借りて読んでみました。そこに収録された「夏」という1篇をご紹介します。

ぼくは、とても年を経たうるわしい菩提樹の
冷たい木陰の草地に横たわる
すると陽に明るい牧草地にある草たちはみんな
風に吹かれ、おだやかに身を傾ける

そして、ぼくが喜んで耳を傾けて横たわっていると
ぼくには聞こえる、葉っぱが不思議にざわめいているのを
まるで、かれらが話をしているかのように
それはいにしえの戦いのこと、勇敢な英雄たちの
誉れ高い勝利のこと


ドイツだから、やはりボダイジュ(リンデンバウム)なんですね。


リンデンバウム(セイヨウボダイジュ)

「樹」というそのままのタイトルの詩もあって、その前半はこんな感じ。

何十年ものあいだ彼は樫の森に立っていた
あらゆる樹のうち最も美しく、最も偉大なものとして…
緑色の葉のギザギザをつけて
誇らかに不敵に、高く挙げた額
おそらくずっとずっと何百年のあいだ…
そしてここに嵐や、雹や、雨に立ち向かう…
こいつらは樹の梢の縒れ(よれ)を荒っぽく傷つけたのだ
かれの敵に向って樹は辛抱強い力で抵抗する
そしてあの何年も戦い抜いた力強さ


「樫の森」とか「緑色の葉のギザギザ」という言葉から推測すると、詠まれているのはオーク(ヨーロッパナラ)でしょう。


ヨーロッパナラの葉

この作品には、長田さんの「空と土のあいだで」に共通する世界観があります。ブレヒトの詩にインスピレーションを受けてつくられたのかも知れません。樹木が好きなドイツの詩人と日本の詩人との間には、何か通じる回路があったのでしょうね。
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