樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

雨の森

2008年05月30日 | 樹木
先週末、私のメインフィールド・栃の森に行ってきました。今年2回目。
あいにく土曜日から雨で、現地の予報も日曜日は1日中雨。普通なら中止でしょうが、「雨なら雨の森を楽しもう」といつものメンバーが集まります。夜は森の入り口にある東屋で食事しながら仲間と話すのが楽しみ。10時頃に各自の車で寝ましたが、夜中に屋根を打つ激しい雨の音で何度か目が覚めました。
早朝、いつもなら鳥のコーラスを聴きますが、雨の日は鳥もほとんど鳴きません。6時前、レインウェアを着て傘を差して出発。フードをかぶると鳥の声が聴こえないので、雨の日は大体このスタイルです。何度も小川を渡るので、足元は晴でも雨でも長靴。おしゃれなアウトドアファッションとは無縁です(笑)。

       
    (コップを洗うブラシのようなウワミズザクラの花。雨に濡れています)

この時期は白い花が目につきます。ウワミズザクラ、ガマズミ、ナナカマド、トチノキ、ホオノキ、ヤブデマリはほぼ満開、ミズキやサワフタギも白い蕾を膨らませていました。
驚いたのは、白いタニウツギ。普通は濃いピンクですが、1株だけ白い花をつけて目立っていました。調べてみると、時々あるようで、そこからシロバナウツギという園芸品種も作られています。

       
                  (普通のタニウツギ)
       
                  (白花のタニウツギ)

オニグルミの雌花も初めてカメラに収めました。3mくらいの高さに咲いていて、私のデジカメでは距離が遠かったのですが、傘の柄で枝を引き寄せてパシャリ。雨だから撮影できたんですね。

       
         (オニグルミの雌花。この赤い花の下に実が成ります)

雨の日ならではのツリーウォッチングもあります。この日は樹幹流(幹を伝って流れる雨水)をチェックしながら歩きました。葉で受けた雨水の流れ方が樹種によって違うのです。
樹幹流が多いと言われているのはブナ。幹に苔や地衣類が付着しやすいのはこのためだそうです。
いろんな樹の幹を触りながら雨水の感触を確かめましたが、サワグルミやトチノキなどに比べるとやはりブナの樹幹流が多い感じでした。ブナの樹皮が滑らかで、雨水の流れがスムーズだからかも知れません。

             
           (ブナの樹幹流。滝のように流れています)

鳥では昨年に続いてジュウイチを目撃。「11、11、11…」と鳴くので声はよく聞きますが、姿はなかなか見せてくれません。そのほか、赤い夏鳥・アカショウビンも近くで長い間「キョロロロロ~」という独特の歌を歌ってくれました。姿は見られませんでしたが、声を聴いているだけで幸せです。
たまに雨の森を歩くのも、楽しいもんですよ。
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柳と楊

2008年05月28日 | 伝説の樹
京都市の北隣の亀岡市に篠村八幡宮という古い神社があります。そこに「足利尊氏 旗上げの楊(やなぎ)」があるというので、帰省の途中に寄ってきました。

       
                (篠村八幡宮の拝殿)

1333年、足利尊氏は鎌倉幕府の京都の出先機関・六波羅探題を攻略して北条氏を滅ぼし、室町幕府を開きます。その時に挙兵したのがこの場所。全国の武将に参軍を求め、このヤナギに家紋を印した白い旗を掲げて目印にしたと伝えられています。
亀岡市の説明によると、その当時の樹を挿し木によって継承したもので、現在で6代目か7代目ということですが、挿し木の技術が開発されたのは伏見桃山時代ですから、どうなんでしょう?

             
           (石の柵で囲われ、案内板が立っています)

ヤナギと言えば、みなさんはシダレヤナギかネコヤナギしか想像しないでしょうが、この仲間は種類が多く識別が難しいです。また、普通は「柳」と表記しますが、この樹のように「楊」という漢字も使います。
中国では「柳」と書けばヤナギ属(シダレヤナギやネコヤナギ)を、「楊」と書けばヤマナラシ属(ポプラの仲間)を意味します。日本人には「楊」はあまり馴染みがないですが、爪楊枝には使います。中国ではヤマナラシ属の木で楊枝を作ったので、この熟語が残っているのでしょう。

       
              (名前の通り、ヤナギなのに葉が丸い)

この足利尊氏の楊はその場で識別できなかったので、帰宅後に図鑑で調べたらマルバヤナギのようです。ところがマルバヤナギはヤナギ属なので、漢字表記は「柳」のはずですが、案内板の文字は「楊」。なぜそうなったのかは不明ですが、表記が混乱しています。
普通のヤナギとは違う由緒ある樹として表現するために、わざわざ日本人に馴染みのない漢字を使ったのかも知れません。確かに、こうしたいわれのある樹としてはマルバヤナギは珍しく、私も初めてです。
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木の名前

2008年05月26日 | 樹木
いま中国は地震で大変なことになっていますが、胡錦涛主席が来日していた頃、東シナ海のガス田に関する報道で、採掘現場を「白樺」とか「樫」とか木の名前で呼んでいるのが耳に止まりました。
調べてみると、埋蔵資源が日本のものであることを強調するために、中国側がつけたガス田の名前とは別に経済産業省が名づけたようです。「白樺」という名前のガス田は中国では「春暁」、「樫」は「天外天」、「楠」は「断橋」、「翌檜(あすなろ」は「龍井」と呼ばれています(中国名の意味は分かりません)。

       
          (ガス田の名前になぜシラカバを選んだのでしょう)

でも、日本のガス田であることを強調するなら、日本固有の木の名前にすればよかったのに…。シラカバやクスノキは中国にも自生しますから、スギとかカツラを選ぶべきでしたね。アスナロは日本固有種ですが、カシは樹種名ではなくグループ名なのでどちらとも言えません。

          
           (アスナロはヒノキの仲間で日本固有種)

話は少し違いますが、ブラジルという国名は木に由来するそうです。ポルトガルがブラジルに侵入したとき、赤い染料が採取できる木を発見し、パウ・ブラジル(赤い木)と名づけたのがそのルーツだとか。
日本にも木の名前の県が二つあります。一つは栃木県で、県の木はもちろんトチノキ。もう一つは山梨県ですが、なぜか県の木はヤマナシではなくカエデ。

       
              (栃木県の木はやっぱりトチノキ)

また、「樹木町」という町名が愛知県豊田市と千葉県佐倉市にあります。材木町とか木屋町など木材関連の町名はけっこうあるでしょうが、樹木町というのは珍しいですね。豊田市のその町には樹木神社という神社もあります。
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京都フラワーセンター

2008年05月23日 | 樹木
京都には府立の植物園が二つあります。一つは京都市内にある府立植物園。もう一つは、あまり知られていませんが、宇治市に近い「京都フラワーセンター」。
京都府、大阪府、奈良県の3府県にまたがって開発された「関西文化学術研究都市」のエリアにあり、開園は1986年。こういうビッグプロジェクトにありがちなアクセスの悪さで、現在は訪問者も少なく、かなりマイナーな存在になっています。
私もこの近くは何度も車で走っていますが、中に入ったことはありませんでした。先日、天気がいいので、ちょっと出かけてきました。

       
            (こんなリラックスできる広場もあります)

思ったよりも広く、トケイソウばかり集めた温室や南アフリカの植物を集めた温室などマニアックな施設もあります。ただ、京都府はあまり予算を割けないらしく、人手不足で十分に管理できていない様子。3年前に「花空間けいはんな」と改名してリニューアルしたものの、あまり成功していないようです。(大阪府の橋下知事ならすぐに閉鎖するだろうな~)
それでも、名前のとおりいろんな花が植栽されていて、樹木もたくさん植えてあります。名前だけは知っていたギンドロにも初対面できました。ヤナギ科ヤマナラシ属の樹木で、日本にあるドロノキのヨーロッパ版。葉の表が濃い緑、裏が銀色なのでこう呼ばれています。

       
            (ギンドロの葉。濃い緑は表、白いのは裏)

表と裏の色の差が激しく、風で葉が揺れるとチラチラします。日本にも葉の表裏に色の差があるウラジロノキがありますが、このギンドロほど濃淡の差はありません。葉を触ると、裏側には細かい毛があるらしくビロードのような感触。
幹は日本のヤマナラシと同じで、白い樹皮に細かい菱形の皮目がたくさんついています。ヨーロッパ原産ですが、北海道では野生化しているらしいです。

       
            (ユリノキの花。別名チューリップツリー)

ユリノキもたくさん花をつけていました。私がこのブログを始めたのはちょうど2年前の今頃で、最初の記事がこのユリノキでした。その時は「200回くらしか続かないだろう」と思っていましたが、おかげさまで今日で376回。もうしばらく続けられそうなので、これからも読んでください。
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日本一の松

2008年05月21日 | 伝説の樹
京都の西のはずれの善峰(よしみね)寺というお寺に、「日本一の松」があるというので行ってきました。
聞き覚えのない名前なので小さな山寺を想像して出かけたら、何の何の、歴代の天皇や徳川5代将軍綱吉の生母が創建や再建にかかわった大きなお寺でした。

       
                  (立派な山門)

何が日本一かというと、枝の長さ。お寺の説明によると、樹齢600年の五葉松から54メートルも枝が伸びているそうです。ところが、平成6年に松喰い虫にやられて15メートル切断。ということは現在は約40メートルということです。
それでも日本一なのかどうか、そもそも誰が日本一と判定したのかは明示してありません。石碑には「日本一と人口に膾炙(かいしゃ)されている」と書いてあるので、確かな根拠があるわけではないようです。

       
         (左奥の幹から手前に伸びる枝。半分くらいの位置)

それにしても、すごい長さです。幹よりも太いくらいの枝が延々と伸びていて、大蛇のよう。こういう松の枝は蛇ではなく龍に例えられて、よく「臥龍の松」と呼ばれますが、ここのは「遊龍の松」。江戸時代の偉い人が命名したそうです。
私自身はこうした園芸手法とか盆栽とか、樹木を人工的に奇形させることには抵抗がありますが、松の枝を伸ばすことにエネルギーを注ぐ日本文化の構造には興味があります。

       
    (左から右に伸びる枝の真ん中あたり。枝をくぐって石段を降ります)

このお寺は「日本一の松」とは別のことでも有名です。阪神大震災の際、壊れた高速道路からバスが転落寸前で踏みとどまって乗客が助かったことがありました。あのバスの運転手さんが持っていたのがこの寺のお守り。あれ以降、「落ちないお守り」として受験生に人気だそうです。
何でもこじつけるなあ~。これも一つの日本文化でしょうか。
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わが家の雑木林

2008年05月19日 | 街路樹・庭木
よその樹木のことばかり書いているので、今日はわが家の庭木をご紹介します。
借地ですから自慢にはなりませんが、庭は広い方だと思います。引っ越した頃は樹木の知識がなく、ただ「好きだから」というだけでいろんな樹を植えました。さっき庭に降りて数えたら、高木低木含めて28種43本。このほかに枯れた樹が4種5本ありました。

       
           (コナラ。枝が暴れるので庭には不向きでした)

庭をつくるとき、マツとツツジと石灯篭といった和風にはしたくなかったので、「雑木林みたいな庭」というコンセプトを立て、アラカシ(3本)、コナラ(2本)、エゴノキ(2本)、カツラ、カシワ、ナツツバキなどを植えました。当時よく鳥を見に通った林がそんな林相だったからです。

       
         (カシワ。いま、黄緑色の美しい葉が広がっています)

一方、妻は「白い花が咲くか、食べられる実が成る樹」という理由でハクモクレン、ドウダンツツジ、ブルーベリー(5本)、ユズ、ウメなどを選びました。また、贈り物でいただいたり、株分けしてもらったり、植木屋さんで衝動買いするので、当初のコンセプトはいつの間にか崩れて、何でもありの無秩序な庭になってしまいました。

       
        (エゴノキ。秋にはこの実を食べにヤマガラが来ます)

日本の雑木林なのに、オリーブやジンチョウゲ、エニシダなどの外来種がはびこっています。和風の庭にしたくなかったのに、ツバキやサザンカ、アジサイなどが花を咲かせます。

       
       (ウメの実。梅干にするほどはないので梅ジュースにします)

手間もかかります。枯葉や花弁、実(ドングリ)がお隣の駐車場や道路に落ちるので、掃除しなくてなりません。今はゲッケイジュの葉の更新時期で、常緑樹のくせに大量に葉を落とすので毎日掃き掃除しています。夏は毎日散水しなければなりません。

             
       (コデマリ。もう散りましたが、生垣が真っ白になります)

台風が来れば倒れないか心配ですし、時々虫に刺されたり、バラのトゲが刺さったりします。ガーデニングというほどの趣味もないのでほとんど手入れはしませんが、時々は剪定して、伐った枝を束ねてゴミに出さないといけません。

       
               (2階から見た東側の庭)

面倒くさいことが多いですが、特に今の時期、樹に囲まれて、風にそよぐ葉の音を聞きながら、庭で本を読んだり、うたた寝していると気持ちいいです。わが家の雑木林は極楽、極楽…
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足の神様

2008年05月16日 | 伝説の樹
以前、駅のホームに生えている樹をご紹介しました。私がいつも利用している京阪電車の「萱島(かやしま)」駅です。
同じような樹が阪急・宝塚線の「服部」駅にもあるというので、宝塚市のOPEN GARDEN FESTAの帰りに寄ってきました。萱島駅のは高架式のホームも屋根も突き抜けた巨木でしたが、こちらは平地のホームに生えて屋根を突き抜けている普通サイズ。樹種はどちらもクスノキです。

             

もともとこの駅や線路の敷地が服部天神宮の境内だったので、ご神木としてこのような形で残されたそうです。神棚が設けられ、しめ縄も飾ってあります。毎年、夏の天神祭りの際には、このホームで安全祈願の神事が行われるとか。

       
              (改札を出て踏切から見たクスノキ)

その服部天神宮は足の神様と聞き、せっかくなのでお参りしてきました。この冬2回も膝を痛めて不安があったので、ちょうどいい機会でした。
菅原道真が大宰府に流される途中、このあたりで持病の脚気が出て歩けなくなったところ、村人の助言に従ってこの社に祈願したら治ったという由来から、「足の神様」として崇められるようになったそうです。

       
                  (絵馬の図柄はワラジ)

足の悪い人だけでなく、足を使うスポーツの選手もお参りに来るらしく、マラソンの土佐礼子選手、サッカーの大黒将志選手などが祈願の絵馬を奉納していました。土佐選手は昨年9月の大阪世界陸上で銅メダルを取った後、お礼参りにも来ています。大学や高校の陸上部やサッカー部の絵馬もありました。
足の神様に祈願したお蔭か、今のところ膝の痛みは出てません。
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木のお菓子

2008年05月14日 | 木と飲食
木をかたどったお菓子、けっこうあります。
誰でも思い浮かぶのは、バウムクーヘン。ドイツ語でbaumは「木」、kuchenは「お菓子」、そのまんまの名前です。
みなさんと同じように私も「切り口が木の年輪みたいだから」と思っていましたが、その年輪説とは別に、「昔は心棒に樫の木を使っていたから」という説もあるそうです。
日本で最初にバウムクーヘンが登場したのは1919年。中国の青島(チンタオ)で菓子店を営んでいた職人が、第1次大戦中に日本軍に広島に強制連行され、広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開かれた展示即売会に出品したのが最初だそうです。その菓子職人がカール・ユーハイム、現在のユーハイムの創始者です。

       
   (ユーハイムのバウムクーヘン。久しぶりに「木のお菓子」を食べました)

少し前にメタセコイヤをご紹介しましたが、記事を書きながら「そう言えば昔、フルタのセコイヤチョコレートというお菓子があったな~」と思い出しました。早速、近所のスーパーで探したら、まだご健在でした。
多分、世界一高い樹・センペルセコイヤの幹のイメージで作られているのでしょう。フルタって大阪のメーカーですが、このお菓子は関東でも売っているようですね。

       
        (フルタのセコイヤチョコレート。新発売の抹茶味、39円)

森永の「小枝」もすっかり「木のお菓子」の定番になりました。先日、久しぶりに買ってみると、中袋は植物図鑑になっていて、「ドングリ」「アジサイ」「ヒマワリ」などの写真と短い説明文が印刷されていました。

       
            (「小枝」は植物図鑑の中袋に入っています)

発売が1971年だそうですから、もう37年前です。guitarbirdさんのブログで知りましたが、「樹齢約37年、小枝も太くなりました!」というキャッチフレーズで、「大樹の小枝」という新製品も発売されているそうです。
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赤いハリエンジュ

2008年05月12日 | 樹木
連休のある日、天気がいいので妻といっしょに宇治市の植物園に出かけました。と言っても、目的は植物観察ではなく、植物園の駐車場敷地内にあるレストランのランチ。

       
           (私は魚料理、妻はサンドイッチをいただきました)

このレストラン「蝶々」は隣にガーデニング&クラフトショップも併設していて、店内に珍しい木工品をディスプレイしていたり、テラスがあったり、リゾート感覚が味わえます。

       
        (カトラリーを収納している南アジア風の木製キャビネット)

駐車場の植栽もちょうど開花シーズンを迎えています。赤花のハリエンジュにも初めて出会いました。普通のハリエンジュ(白花)の隣に植えてあって、紅白が並んでいます。
帰宅後に調べたら、予想どおりハリエンジュの園芸品種で、「花エンジュ」とか「赤花ニセアカシア」、「花アカシア」と呼ばれているようです。3つの名前が示しているように、この樹の名前はややこしいです。

       
                 (初対面の赤いハリエンジュ)
       
                 (普通のハリエンジュは白花)

植物学上はハリエンジュ。葉がエンジュに似ていて基部にトゲがあるので「針エンジュ」ですが、私たちが普通に見る樹にはトゲがありません。これがまずややこしい。
そして、学名を直訳した「ニセアカシア」という名前もありますが、「偽」を嫌って、例えば蜂蜜屋さんは「アカシアの蜂蜜」と称しています。また、歌によく出てくる「アカシア」も、実はニセアカシア(またはハリエンジュ)です。街路樹に使われているので歌詞によく登場しますが、「ハリエンジュ」とか「ニセアカシア」では歌にならないので「アカシア」を使うのでしょう。

       
            (セイヨウトチノキ、フランスではマロニエ)

このほか、セイヨウトチノキ、ハクウンボク、ナンジャモンジャなど初夏ならではの白い花も咲いていました。

       
               (ハクウンボク、漢字では白雲木)
       
              (ヒトツバタゴ、別名ナンジャモンジャ)

おいしいランチが食べられて、いろんな樹や花が観られて、植物園に入園しなくても十分楽しめました。

レストラン「蝶々」のサイトはこちら
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木接太夫

2008年05月09日 | 木と歴史
前回の続きで、園芸の町・宝塚の話。
宝塚市(特に山本地区)が日本三大園芸産地になった経緯は、鎌倉時代までさかのぼります。当時、この辺りを治めた武将が造園の術に長けていて、園芸家としてその地位を築いたのが始まり。
そして安土桃山時代、その子孫である坂上頼泰(さかうえよりやす)という人物が接木(つぎき)法を発明して、さらに園芸が栄えたようです。その頼泰に豊臣秀吉が与えた称号が「木接太夫(きつぎだゆう)」。

             
              (木接太夫の偉業を称える石碑)

別の樹の幹や枝をつないで品種改良するこの接木法は今なら確実にノーベル賞ものだそうで、その偉業を称えて、阪急・山本駅の近くには「木接太夫彰徳碑」が建てられています。私たちがおいしい果物を食べたり、病気になりにくい花木を楽しんだりできるのも、木接太夫のおかげです。

       
        (ある園芸屋さんのバックヤード。玉仕立てのウバメガシ)

また、千利休も生け花や茶庭の花木をこの木接太夫に依頼したそうで、近くに残る「京伏見街道」が伏見桃山文化との繋がりの深さを物語っています。京都の神社や寺院、茶庭に植えられた樹も、この山本で育てられたものが多いのではないでしょうか。

       
          (圃場ではいろんな苗木が育てられています)

山本地区のオープンガーデンを見て歩きながら、「さすが三大園芸産地」と感心しました。あちこちに植木屋さんのバックヤードがあり、多彩な樹木が植えてあります。圃場もたくさんあってさまざまな苗木が育てられています。小学校の校庭の植栽さえ、マツ、ポプラ、ヤナギ、サクラと多彩。

       
               (小学校の校庭の植栽も多彩)

町全体が植物園のようで、散歩するだけでいろんな樹木や花が観察できます。「周囲にこれだけ植木があったら、自分ちの庭に樹を植えなくてもいいんじゃないの?」とさえ思えます。
うらやましいな~、宝塚市に引っ越そうかな…(なんちゃって)。
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