樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

ユーカリの花は冬?夏?

2007年12月28日 | 樹木
散歩コースの花寺でシャクナゲが咲いていました。本来の開花時期は初夏ですから、いわゆる狂い咲きです。その途中の遊歩道ではツツジが咲いていました。シャクナゲもツツジ科ですが、ツツジの仲間は狂い咲きしやすいのでしょうか。

       
    (この寒いのにセイヨウシャクナゲがたくさん花を咲かせていました)

私は以前からいくつかの疑問を抱えていて、その一つは「南半球原産の樹を北半球に移入した場合、開花や落葉の時期はどうなるのだろう?」という疑問。
例えば、コアラの餌として知られるユーカリ。オーストラリアでは12月頃(南半球では夏)が満開だそうですが、日本に移入した後も同じように12月頃に開花するんでしょうか? あるいは、日本の気候に適応して、開花時期を夏にリセットするんでしょうか? シャクナゲの狂い咲きを見て、この数年来の疑問を探ることにしました。

       
   (遊歩道では冬鳥のアオジとツツジの花を同時に見るという妙な季節感)

ネットで調べると、オーストラリアからユーカリの種を輸入して自宅の庭で育てている方がいました。そのお宅では1月にユーカリの花見を楽しんでおられます。また、園芸店で販売しているユーカリも開花時期は11月~2月になっています。
一方、大阪の公園と旅先のギリシャで見たユーカリの花を紹介している人もいて、日本のは4月、ギリシャのは6月に撮影されています。また、私がよく利用している岡山理科大学のWEB植物図鑑にも「4~5月に花をつける」と書いてあります。

       
 (8月に大阪の長居公園で撮影したマルバユーカリ。花は確認しませんでした)

素人の推測ですが、移入された当初は南半球の季節のリズムで開花するものの、何年後かには日本の季節に適応して生態を変更するのではないでしょうか。
ひとくちに「ユーカリ」と言ってもオーストラリアには数百種類あるそうですから、種類によって開花時期が違うという可能性もあります。
アカシアもオーストラリア原産なので調べましたが、四季咲きの種類があるらしいのであきらめました。
木本でも草本でも南半球原産の植物はたくさんあると思いますが、どなたか花に詳しい方、教えていただけませんか? また、ユーカリは常緑樹ですが、落葉樹の場合は落葉時期をリセットするのでしょうか?

疑問を投げかけたままですが、『樹々日記』も本年はこれにて店じまいです。1年間おつきあいいただき、ありがとうございました。来年は1月7日からスタートします。
では、みなさま、よいお年を…。
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文化財は国産材で

2007年12月26日 | 木造建築
前回の「宇治人形展」は妙心寺系の花園大学でしたが、今度は西本願寺系の龍谷大学で学術講演会を聴講してきました。テーマは「寺社建築と日本の森の復興~木の文化の継承に向けて~」。

       
       (龍谷大学は2009年に創立370周年を迎える歴史ある大学)

その中で私が初めて知ったのは、国宝や重要文化財に指定されている寺社は国産材を使って修理するように決められていること。歴史的な価値を継承するという意味から、同じ樹種を使って、同じ技術で修理するらしいです。
それ以外の寺社には入手しやすい外国産の材木が使われています。最も多いのがカナダの太平洋岸に生育するベイヒバで全体の34%。国産のヒノキ17%やヒバ(=アスナロ)16%の倍です。トータルでも外材と国産材が半々くらい。
その話を聞いて、縄文時代の三内丸山遺跡を思い出しました。現地には当時の建築物が再現してありますが、柱に使う直径1m高さ20mのクリ材(6本)が国内では調達できなかったのでロシアから輸入したそうです。
一方、国宝や重文の寺社の修理で使う国産材の樹種はヒノキ27%、スギ21%、マツ19%。ところが、それを供給する人工林のヒノキは樹齢50年未満がほとんどで、90年以上のものはわずか0.8%。もちろん天然林も残っていますが、柱などに使う樹齢数百年の材は調達が難しいようです。

       
            (うちの近くにあるヒノキの植林)

「文化財は国産材で修理する」という話を聞いたとき、「あれ?奈良の薬師寺の柱は確かタイワンヒノキだったはず」と疑問が湧きましたが、そのときは「台湾は戦争中は日本の領土だった」という拡大解釈でクリアしたそうです。そうでもしないとヒノキの大径木が入手できなかったということでしょう。そのタイワンヒノキも現在は輸出禁止です。
龍谷大学の本家である西本願寺も現在、御影堂(みえいどう)の大修復の真っ最中で、10年がかりの工事が来年ようやく終ろうとしています。世界文化遺産でもあり重要文化財ですから、木材はすべて国産材を調達したのでしょう。文化財を遺すというのは大変なことなんですね。
ちなみに、龍谷大学のキャンパスにも、上の写真の本館も含めて4棟の洋館の重要文化財があります。
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宇治人形

2007年12月24日 | 木と文化
京都にはお寺と大学が多いですが、仏教系の大学もたくさんあって、思いつくまま数えても五指に余ります。その一つ、妙心寺系の花園大学で「宇治人形展」をやっていたので見てきました。
宇治人形というのは、茶葉の栽培ができなくなった古い茶の木を使って、茶摘み姿の女性などを彫刻した人形。宇治に通算20年住んでいる私も全く知らなかったのですが、昔はお茶と並んで宇治の名物だったそうです。

       
(宇治では今、あちこちでお茶の白い花が咲いています。ツバキ科なので開花は冬)

江戸初期、金森宗和という茶人が宇治に隠棲していた頃、茶の木で千利休の像を彫ったのが始まりで、写真のような茶摘み姿の女性を彫り始めたのは上林清泉という茶師だそうです。
その息子の楽之軒が2代目を名乗る頃には、広く「宇治人形」として知られ、宇治の名物になったとか。往時は皇室や大名、茶人などに縁起物として愛玩されたそうです。その後、何度か途絶えるのですが、現在も細々ながら宇治人形を作り続けている作家がいます。

       
        (赤い前垂れに姉さんかぶりの茶摘み姿の宇治人形)

茶の木は大きく成長しないので、直径は5cmからせいぜい10cm。人形もほとんどが小さい作品ですが、一部にツバキや土で作った大型の人形もありますし、茶摘み姿以外に宇治川の鵜匠の人形も展示してありました。

       
              (左が材料の茶の木。直径5cmくらい)

京都では御所人形や伏見人形が有名ですが、宇治にもこんな伝統工芸があったとは…。わが町が少し誇らしくなりました。
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55年ぶりの中村錦之助

2007年12月21日 | 木と文化
京都では南座の「まねき」が師走の風物詩になっています。「まねき」とは、毎年11月末から12月末までの「顔見世興行」で掲げられる出演者の看板。
その昔、劇場と役者が1年契約だった頃、「今年はこれらの役者で興行します」というお披露目の意味で掲げたのが始まりだそうで、独特の勘亭流の文字で書かれています。
「まねき」の材はヒノキ。長さ180m、幅32cmの板に、艶出しのために日本酒を混ぜた墨で書くそうです。板は1回で捨てるのではなく、削り直して5回くらい使うとか。
「まねき」の1枚目が座主、2枚目が主役、3枚目が準主役というところから、「二枚目」「三枚目」という言葉が生まれたといいます。現在は昔とは並び方が違うようです。

       
        (南座の前にはオバサマたちがいっぱい並んでいました)

南座で使われているヒノキは「まねき」だけではありません。昔から「檜舞台」と言うように、実際の舞台もヒノキで造られています。しかも、木曽ヒノキの立派な材で、舞台に立つといい香りがするらしいです。
また、舞台や花道に置く所作台という道具もヒノキ製。3尺×12尺もの大きなこの台を置くと、役者の足の滑りがよくなって、足拍子がよく響くそうです。
芝居が始まる前には、「柝(き)」と呼ばれる拍子木が打たれますが、これはシラカシ製。材木の芯を中心にして、左右対称に木取りしたものがいい響きを出すとか。また、表面がザラついたら割ったガラスで削って丁寧に手入れするそうです。

       
           (左が信二郎改め二代目中村錦之助のまねき)

今年の顔見世興行では、二代目中村錦之助の襲名披露が行われています。映画俳優の初代中村錦之助(後の萬屋錦之助、中村獅童の叔父)がまだ歌舞伎役者だった頃、顔見世興行に出演したことがあるらしく、この名前が「まねき」として上がるのは55年ぶりだそうです。
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最後の一葉

2007年12月19日 | 木と作家
今の職業を志した頃、英文和訳が効果的な文章上達法であると知って、辞書片手に英語の小説を訳したことがあります。テキストはアメリカの作家、オー・ヘンリーの短編集でした。
その作品の中で最も有名なのは『最後の一葉』でしょう。肺炎を患った女性が窓から見える木の葉を数えながら、「最後の1枚が散ったら私の命も終る」と思っている。それを知った老画家が徹夜して絵で葉を描き加え、嵐でも落ちなかったその葉を見て女性が元気になる。逆に老画家は肺炎で死ぬ、というストーリーです。
仕事部屋から見える庭のモクレンの葉がほとんど散っているのを見てこの小説を思い出し、「何の樹の葉だったかな?」と気になって、仕事そっちのけで調べました。
記憶ではモクレンのような立ち木でしたが、改めて読み直すとツタでした。原文にあるivy vineは「ツタのつる」という意味のようです。病床の窓から見えるレンガ造りの建物にツタがからみついているという設定でした。

       
   (近所のお寺の駐車場の壁にはりついたツタ。ほとんど落葉していました)

ツタはブドウ科の樹木。時々、壁が見えないくらいツタがからまっている洋館があります。また、アメリカのアイビーリーグもこのツタに由来します。そんなことから何となく洋風のイメージがありますが、日本でも平安時代にはツタの樹液を煮詰めて甘蔓(あまづら)という甘味料を作ったそうです。
今頃の季節、残り少ない木の葉を見ると寂しさを感じますが、オー・ヘンリーもそんなところから人の命にオーバーラップさせてこの作品を書いたのでしょう。

       
        (ブドウみたいな実が成っていました。とても渋いそうです)

ひと昔前に大ブレークした『葉っぱのフレディ』という童話も同じようなモチーフのようです。
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お箸のオーダーメイド

2007年12月17日 | 木と飲食
これまで割り箸について2回記事を書きましたが、今日は塗り箸のお話。
京都に「日本で唯一の誂え御箸専門店」があります。名前は「京都おはし工房」。30年以上前、私が社会人になったころ住んでいた町にあるので、懐かしさを楽しみながらブラブラ歩いて訪ねてきました。
小さなお店ですが、窓にはいろんなお箸の材料が展示してあります。仕事で他のお箸専門店を取材したことがありますが、材料となる木をきちんと展示している店は初めてです。こういうのに弱い私は、それだけで魅入られました。

       
     (珍しい樹種の木材サンプル。こういうのを見るとワクワクします)

買うつもりはなかったので、最初は外観だけ見て帰ろうと思っていましたが、その多彩な木材のサンプルにつられておじゃましました。中に入ると、お箸と箸置きと箸箱のサンプルが壁面いっぱいに並んでいます。材料は、竹も含めて100種類以上あるそうです。
こんなブログを続けているくらいなので、私はいろんな木材を見ている方だと思いますが、それでも初めて名前を聞く木や、名前は知っているけど見たことない木がけっこうありました。中でも、ピンクアイボリーというアフリカ産の木は聞くのも見るのも初めて。こんなに鮮やかな色の木材があるんですね。

       
         (ピンクアイボリーはまさに鮮やかなピンク色)

このほか、蛇紋木(スネークウッド)という南米産のクワ科の木も初対面。珍しい木で、お箸にすると1膳3万円。また、以前ご紹介した「世界一重い木」リグナムバイタのお箸や、ギターの裏板に使うハカランダ(ブラジルのローズウッド、現在は輸出禁止)のお箸もありました。
100種類以上から好みの木を選び、形状(四角形とか八角形など)や漆の塗り方を選べば、性別と身長に合わせて持つ人にぴったりのお箸を誂えてくれます。
ここのお箸は先がシャープなのでゴマ粒や魚の小骨も簡単につまみ取れ、イカの刺身なども滑らずに食べられるそうです。食器としての使いやすさや安全性にこだわり、スイスの時計職人と同じ気概でお箸を作っておられます。

       
     (お箸と箸置き、箸箱のサンプルが壁一面に展示してあります)

私はいま使っているお箸が気に入っているので、しばらく注文する機会はないですが、このお店のホームページを読んでいるだけでもワクワクしてきます。私が言うのもおこがましいですが、木の説明も正確です。よく唐木のカリンと実のなるカリンを混同して説明しているサイトがありますが、きちんと分けて説明されています。
お箸を誂えたい方はこちらへ。ただし、現在は完成まで1年待ちだそうです。
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命を救った樹

2007年12月14日 | 木と歴史
10月末にこんなニュースがありました。1945年、あるユダヤ人がアウシュビッツ強制収容所から逃走し、民家の裏庭にあったカバノキの空洞に9時間隠れて命拾いをした。そして今年、83歳になったその人が60年ぶりに自分の命を救ったカバノキと対面した。
長い歴史の中には、こういう話はたくさんあったはずです。日本にも有名な話が残っています。
源頼朝が平氏との合戦に敗れて逃げたとき、倒木の洞に隠れて「八幡大菩薩」を唱えた。追っ手は洞の中に弓を突っ込んで探ったが、ハトが飛び出したので「誰もいない」とあきらめた。
この話は『源平盛衰記』に出てきますが、ほかにも聖徳太子が物部守屋と戦った際にムクノキの空洞に隠れて難を逃れた話や、天武天皇が大友皇子に攻められたときエノキの空洞に隠れて助かった話もあります。

       
     (京都御所にあるムクノキの巨木。人が隠れるほど大きく成長します)

以上は樹が人の命を救った話ですが、逆のケースもあります。源頼朝の子である実朝は、イチョウの大木に隠れて待ち伏せした公卿(くぎょう)に暗殺されました。親は樹で命拾いし、子は樹で命を落すという皮肉な運命です。
鎌倉の鶴岡八幡宮にはその伝説の「隠れ銀杏」が今も残っています。ただし、その樹齢から考えて鎌倉時代には人が隠れるような巨木ではなかったはず、という樹木研究者もいます。

             
  (樹齢250年、幹周3mの宇治名木百選のイチョウ。これなら隠れられる?)

実朝が暗殺されて頼朝の直系が絶えたために北条氏に実権が移ったようです。歴史は人間が変えるのでしょうが、その傍らで樹木もこんな形でその節目に関わっているんですね。
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手紙とトイレットペーパー

2007年12月12日 | 木と文化
前回、ロシアの白樺の手紙をご紹介しましたが、日本にも木に文字を書いた木簡があります。
先月訪れた奈良文化財研究所にはさまざまな木簡が展示してあり、その中に興味深い文書を発見しました。一つは「鶴2羽のえさ 米2.4kgを支給」、もう一つは「鶴の世話係の少年3人にごはん3.6kg 受取人は得麻呂」と書かれた木簡。
話は木から鳥にそれますが、1300年も前にすでに鶴の保護活動をしていたんですね。現在タンチョウは北海道にしか生息しませんが、昔は日本全国にいたと言われていますから、奈良にタンチョウがいても不思議でありません。あるいはタンチョウ以外のツルかも知れませんし、「鶴はコウノトリを意味する」という説もあるので特定はできませんが、いずれにしても当時すでに日本野鳥の会みたいな組織があったということです。

       
       (鶴の世話を記録した木簡のレプリカ。白いのは説明ボード)

話を木に戻しますと、木簡の材料はヒノキが7~8割、スギが1~2割だそうです。木簡用に材木をあつらえたわけではなく、建築材の残りを利用したのでしょう。お隣の韓国では建築や棺などにマツを多用するので、木簡もマツ材が多いそうです。
紙がない時代ですから、書類だけでなくトイレットペーパーも「捨て木」と呼ばれる木でした。奈良文化財研究所もさすがに実物の展示ははばかったようで、現在のトイレットペーパーと「捨て木」を並べた写真パネルを展示していました。タイトルは「8世紀のトイレットペーパー」。

             

説明パネルによると、当時は道路の側溝から宅地の片隅に細い溝を引き込み、そこに跨って用を足したとのこと。1300年前すでに水洗トイレがあったのです。その近辺から「捨て木」が多数発掘されたそうです。

       

前回のラブレターから急にトイレットペーパーというビロウな話になって恐縮ですが、生活と木の関わりに関心がある私にはとても興味深い展示でした。
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白樺に書いたラブレター

2007年12月10日 | 木と歴史
『トロイカ』というロシア民謡をご存知ですか? 「トロいイカ」じゃないですよ、ロシアのソリですよ。
「♪雪の白樺並木 夕陽が映える 走れトロイカ~」という歌詞がスラスラ出てくるのは、私より上の世代でしょうね。
ロシアには白樺の森が広がっているようですが、フィンランドに近いノヴゴロドという町で、白樺の樹皮に文字を書いた14世紀の文書がたくさん発見されました。白い樹皮の表面に、ピサロと呼ばれる鉄筆で古代ロシア語が記されていたそうです。
遺言状、契約書、嘆願書など1000通以上の文書が残っており、中には女性が書いたラブレターもいくつかあったそうです。私は「白樺のラブレター」という点に注目しましたが、学者は中世の一般の女性が文字を書いた点に注目しているようです。

       
                (霧ケ峰高原のシラカンバ)

鳥見ツアーで訪れた信州では、シラカンバ(植物学的にはシラカバではなくシラカンバ)やダケカンバをたくさん見てきました。幹にも触ってきました。ツルツルした気持ちのいい感触で、私の知る限りいちばん滑らかな樹皮です。シラカンバの樹皮は文字通り白いし、表面が滑らかなので、きっと文字が書きやすかったのでしょう。
カバノキの英名Birch(バーチ)は「樹皮に文字を書くことができる木」という意味のサンスクリット語に由来するそうですし、北米にはPaper Birchというシラカンバもあるそうです。カバノキの樹皮は世界的に紙として使われていたということですね。
「白樺文書」の画像を見たい方はこちら(書籍の表紙です)。
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2007年12月07日 | 木造建築
2007年も残り1ヶ月、だんだん寒くなってきました。
ちょうど1年前の年末、京都の観光名所・嵐山の渡月橋で、凍結のために車がスリップして木製の欄干を突き破り、川に転落するという事故がありました。幸い、車に乗っていた3人の若者は軽症で済んだそうです。
2ヶ月ほど前、久しぶりに嵐山に行った折、その部分の写真を撮ってきました。手前が事故前の欄干、向こう側の汚れていない部分が事故後に補修された欄干です。

       

橋に使われる木材は、橋脚にケヤキ、欄干や橋板にヒノキが一般的。どちらも強度の高い木です。
渡月橋の欄干もヒノキですが、突然のことで補修用の材料の入手が難しかったそうです。ところが、奈良の料亭が庭園の橋に使う予定で確保していたヒノキを融通してくれたので、何とか早く補修できたらしいです。

       
        (嵐山の観光客で賑わう渡月橋。事故と反対側の欄干)

うちの近くにある宇治橋の欄干もヒノキ。この橋には「三の間」という出っ張りがあります。3つめの橋脚にあるのでこう呼ばれています。秀吉がここから汲んだ水を毎日伏見城に運ばせて、お茶に使ったと言われていて、現在も10月上旬の献茶式の際には三の間から宇治川の水を汲み上げます。

       
                (宇治橋の三の間)

渡月橋や宇治橋のように、橋脚はコンクリート製でも欄干は昔と同じように木製という橋は日本全国にあります。冬は橋の凍結に注意してくださいね。いくらヒノキが強いと言っても、車が衝突したら折れますから。

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