樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

着物姿の貴婦人

2020年09月24日 | 野鳥
いつものように干拓地へ鳥見に出かけました。ある休耕田に行くと、オグロシギがすぐ近くに1羽…。そして、私も一人。
最初はジーッとして動きません。双眼鏡で5分ほどじっくり観察していると、歩きだしてタニシを食べ始めたので、おもむろにカメラを回しました。



広いフィールドで1対1で鳥と向き合っていると、仲間意識みたいなものが芽生えてきます。心の中で「元気か?」とか「しっかり食べて南へ渡る体力をつけろよ」といった言葉が湧いてきます。
小鳥と違ってシギ類は同じ場所にほぼ終日滞在しており、至近距離でじっくり観察できるのでそんな感情移入がしやすいのでしょう。それがシギ観察の魅力でもあります。
鳥にとっては、食事中の姿を変なオジサンにのぞき見されて迷惑でしょうが、見る方は勝手に鳥と交歓しているような気持ちになります。まして、相手がシギ類の中でも特にお気に入りのオグロシギであればなおさらです。
この鳥がお気に入りになったのは、9年前この干拓地で7羽の群れに遭遇したのがきっかけ。たまたま光線の具合が良く、美しい背景の中で7羽がそろって動く優雅な姿が観察できたからでした。その時の動画が以下。



オグロシギにはその後も毎年出会っています。そのたびに、江戸小紋の着物を着た優雅な女性をイメージします。前回、セイタカシギを「田園の貴婦人」として紹介しましたが、私にとってオグロシギは「着物姿の貴婦人」といったところです。
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貴婦人たちのパーティー

2020年09月17日 | 野鳥
相変わらず近くの干拓地でシギ・チドリ観察を続けています。今年は鳥の飛来が全体的に少ないですが、週末にようやく私の大好きなオグロシギに出会えました。しかも2羽おそろいで。



撮影していると、警察官がやってきて「何をしているんですか?」と質問されました。私を含めて6人ほどが田んぼに向かってカメラを向けていたので、不審に思った近所の人が通報したのでしょう。「鳥を撮っています」と答えると、「鳥ですか」と言って去って行きました。
そういえば、5年ほど前にも同じようなことがありました。知り合いのバードウォッチャーが今回と同じ場所で鳥を撮影していると、警察官がやってきたそうです。近くに公営のプールがあるので、水着姿の女性を撮っていると誤解されて通報されたのです。撮影した画像を全部チェックされ、鳥しか写っていないので無罪放免になったとのこと。
今年はコロナのためにプールが閉鎖されているので、そういう誤解は受けなかったのですが、田んぼにカメラを向けて撮影している人間は、一般の方にとっては“怪しい人”なんでしょうね。
それにもめげず、3日後に訪れると、1枚の休耕田にセイタカシギが4羽も入っていました。上のオグロシギも1羽だけ交じっています。



これまで、1日に別々のポイントで3羽のセイタカシギを見たことはありますが、1枚の田んぼに同時に4羽もいるのは初めて。この鳥は別名「田園の貴婦人」ですが、4羽がパーティーしているように見えました。
1週間ほど前には、2羽が1枚の休耕田にいましたし、別の日には3羽いました。他の鳥は少ない一方、今年はセイタカシギの当たり年のようです。
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花鳥画

2020年09月10日 | 野鳥
日本には鳥の絵の系譜がいくつかあります。一つは、中国をルーツにした花鳥画。留学僧や交易を通じて、室町時代に山水画や人物画とともに花鳥画がもたらされました。
この頃に活躍した雪舟は国宝6点すべてが山水画ですが、『四季花鳥図』(重要文化財・下)も残しています。描かれている鳥は、2羽のタンチョウと右上の木に止まる2羽のハッカチョウ。両種ともおそらく中国の絵を模写したものでしょう。



ある美術史家によると、「絵には身分がある」とのこと。①墨だけで描いた水墨画、②水墨画に淡い色を加えた淡彩画、③カラフルな色彩を画面全体に用いた着色画の順に格式が高く、題材では①山水画、②人物画、③花鳥画の順。屋敷などでも上段の間には山水画、中段の間には人物画、下段の間には花鳥画、しかも水墨画、淡彩画、着色画の順に飾られたそうです。
上の雪舟の絵は、タンチョウの頭頂と背景の植物に赤が使われているので、淡彩画の花鳥画ということになります。
そうした当時の絵画の枠組みを打ち壊したのが狩野永徳。自身が画壇の中心にいながら、上述の格式を無視し、豊臣秀吉に依頼された障壁画では、金箔を配した着色の花鳥画を描いています。その美術史家は、「(狩野永徳によって)花鳥画は“身分”の束縛から自由を得たのである」と書いています。
その永徳が描いたのが下の水墨画『梅花禽鳥図』(国宝)。左襖には梅の木に止まる2羽の鳥、右襖には地面で採餌する2羽の鳥が描かれています。



江戸時代になると、平和な時代を反映して優美な絵が好まれるようになります。題材も、桃山時代の武将が好んだ猛禽類から、次第に身近な小鳥へと変化していきます。また、それまで京都で活躍していた狩野派は、徳川幕府の御用絵師として江戸に移ります。
一方、宮廷絵師として身分を保証されていた土佐派は、雪舟や永徳のようなゴツゴツした巨木と鳥といった中国風の題材ではなく、大和絵の伝統を受け継ぐみやびな花鳥画を制作します。例えば、土佐光貞による『粟に鶉図』(下)は、実をつけた粟の下で7羽のウズラが採餌している場面をソフトなタッチで描いています。



狩野派、土佐派とは別に、琳派の画家は金箔を使った華麗な花鳥画を残しています。例えば、尾形光琳の『群鶴図』(下)。整然と並んだ10羽のナベヅルが描かれており、工芸デザイナーでもあった光琳ならではの大胆な構図です。



円山応挙も同じく『群鶴図』(下)を描いていますが、光琳と違って写実性を重視しています。以前の記事「光琳と応挙」でご紹介したように、鳥の写生図を模写する際も、光琳は自分なりにアレンジしているのに対して、応挙はそっくりそのままコピーするように模写しています。



花鳥画というジャンルがない西洋画と違って、日本では才能豊かな絵師が百花繚乱のごとく優れた花鳥画を残しています。また、花鳥画とは別に浮世絵の分野でも鳥の絵がたくさん残っていますし(「浮世絵の中の野鳥」参照)、博物画としての野鳥の絵もたくさん残っています(「江戸の博物画」参照)。
絵の題材としてもっとも頻繁に鳥が登場するのは日本ではないでしょうか。
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命の危険を冒して鳥見

2020年09月03日 | 野鳥
その後も近くの干拓地へシギ・チドリ観察に出かけていましたが、目当ての鳥がまだ到着していなかったようで、2回とも空振り。「もう来ているだろう」と満を持して日曜日に出かけました。
期待通り、セイタカシギが1羽、サギ類に交じって休耕田の中にいました。まだ幼鳥ですが、この鳥の最大の特徴である長い脚を持て余すようにして採餌しています。さらに、下見の際に目星を付けていた別の休耕田に、もう1羽セイタカシギがいました。同じく幼鳥ですが、こちらの方が体色が濃くなっています。



「田園の貴婦人」という別名のとおり、立っている姿も歩く姿も優雅。今年は何羽の貴婦人に出会えるのか楽しみです。
その後も鳥を探して休耕田巡りしていると、トウネン2羽とタマシギの幼鳥に遭遇しました。シーズン最初に下見しておいた休耕田を順番にしらみつぶしに見て回るのですが、ほとんどは空振り。ようやく発見したり、下見でチェックしていなかった想定外の場所で出くわす喜びがこの地でのシギ・チドリ観察の楽しみです。



今年は「命に危険を及ぼす暑さ」とか「殺人的暑さ」と言われます。干拓地には日陰がないので、熱中症には注意しています。冷水のボトルと氷を包んだタオルは必携。日焼け止めクリームを腕、首、顔に塗りたくってから出かけます。それでも、帰宅後にシャワーを浴びるとヒリヒリします。
命の危険や日焼けのリスクを冒して、あと1カ月ほどはシギ・チドリ観察にうつつを抜かします。
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