樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

名前

2008年06月30日 | 木と言葉
私は男ですが、本名は「○美」という女性にも時々ある名前です。幼い頃は「女みたいでイヤだな~」と思っていました。
学生時代のクラスに同名の女子がいました。出欠をとる時、私を女だと思って「××○美さん」と呼ぶと、私が「ハイ」と答えるので、先生が「失礼しました」。続いて女子の名前を「△△○美くん」と呼ぶと、女の声で「ハイ」、先生が再び「失礼しました」。教室中大笑いということが何度かありました。

       
         (ブナの葉。縁にかまぼこ型の凹凸があるのが特徴)

私の周りには自然愛好家が多く、その思いをお子さんの名前に託す人もいます。私が樹木に関心を持つきっかけを作ってくれた人は、男の子に武奈人(ぶなと)、女の子に梓(あずさ)と名づけています。
ブナはナチュラリストに最も好まれる木の一つ。特に、白神山地が世界遺産に登録されて以降、自然保護のシンボル的な存在になっています。私のハンドル名fagusもブナの学名です。

             
               (栃の森にあるブナの大木)

アズサはカバノキ科の樹木で、シラカバと同じ仲間。幹には横方向の皮目があってサクラにそっくり。「梓弓」と言われるように昔は弓にも使われましたし、現在も家具などに使われる有用材です。
ちなみに、日産のマーチのテレビCMで最後に木の葉が登場しますが、あれは多分アズサです。なお、植物学では「ミズメ」と呼ばれます。

       
    (アズサの葉。枝先の皮を爪で引っかくとサロメチールの匂いがします)

鳥では、女の子に継美(つぐみ)と名づけたバードウォッチャーがいます。ツグミは日本には冬にやってくる渡り鳥。私はこの鳥を見ると「冬が来たな~」と思います。
野路子(のじこ)と命名した人もいます。ノジコはツグミとは逆に夏の渡り鳥。優しい声でさえずる小鳥で、女性の名前にはぴったりです。
わが子に樹や鳥の名前をつけるということは、若い頃から自然観察している、言わば筋金入りのナチュラリスト。私のようにオッサンになってから興味を持っても手遅れです(笑)。

             
       (アズサの幹。横一の皮目は、サクラ類とカバノキ類の特徴)

以前、某生命保険会社に、「名前は最初の贈り物、保険は最後の贈り物」というシリーズ広告を提案しましたが採用されませんでした。名前には親のいろんな思いが込められているので、いいプランだと思ったんですけどね~。
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木では無い

2008年06月27日 | 木の材
家で仕事をしている日は、市役所の食堂で昼食をとることが多いです。特別おいしいわけではないですが、けっこう気に入ってます。
まず、最上階(8階)にあって眺めがいいこと。宇治市街から京都市、比叡山まで一望できます。しかも、窓には写真のような案内シールが貼ってあります。京都府産の米や野菜を使って地産地消を実行しているのもポイント。

       
               (景色を説明する窓のシール)

一般市民も多く、お年寄りや身障者もよく来られますが、セルフ方式が困難な人には係員が食事をテーブルまで運んでいます。また、家族連れのために子ども用の椅子が用意してあります。子どもの笑い声や泣き声が響く市役所の食堂って、和やかでいいですよ。
バレンタインデーにはチョコレートもくれるし、本来は市の職員のための施設でしょうが、「一般市民大歓迎」という姿勢が感じられて気持ちいいです。

       
             (隅で出番を待っている子ども用の椅子)

テーブルや大人用の椅子は安っぽい合成素材ですが、子ども用の椅子は木製。こういう曲げ木細工のある家具にはブナがよく使われます。
ブナは昔は伐採するとすぐに変色するので木材としては価値がありませんでした。そのことを「ブナは木では無い。だから橅(木へんに無)と書く」とも説明する人もいます。
現在では変色しない加工が開発されたこともあり、蒸気や高周波で熱して成形する曲げ木家具に最適の木材とされています。「世界で最も売れた家具」と言われるトーネットの椅子もブナの曲げ木。

       
         (うちの食卓と椅子もブナ製。食卓の両端は曲げ木)

子ども用と言えば、木製玩具にもブナがよく使われます。うちには子どもはいませんが、甥や姪が来たときのために木のパズルを用意していました。

       
              (ブナの木をくりぬいた動物パズル)

ピンクがかった明るい色がソフトな印象を与えるので、ブナは子ども向けにぴったりの木材。「木では無い」なんて、とんでもないです。
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イルミネーションと樹

2008年06月25日 | 街路樹・庭木
大阪府の橋下知事は厳しい予算削減に取り組む一方で、大阪市のメインストリート・御堂筋をイルミネーションで飾るイベントに最大20億円をつぎ込むと豪語していました。「財政再建の中にも灯し火は必要。圧倒的な光で世界に類のない大阪の顔にしたい」と選挙公約に掲げていたからです。
ところが、5月下旬に現場を視察した結果、今年は一部区間での試験的な実施にとどめることになりました。理由は、樹の種類。

       
                (御堂筋のイチョウ並木)

東京の六本木仙台のイルミネーションをイメージしていたようですが、そちらはいずれもケヤキ並木で、御堂筋はイチョウ並木。ケヤキは枝が外に伸びるので両側に植えてあればトンネル状態になりますが、イチョウは枝があまり伸びないので電飾しても光が降り注ぐ感じにはならないのです。知事は「樹木なら何でも一緒だろう」と思っていたようで、試験点灯の結果によっては断念するとのこと。

             
         (ケヤキは枝が斜上して傘形の樹形になります)

イルミネーションと樹の関係を調べてみると、多いのはやはりケヤキ。前述の仙台はもともとケヤキ並木で有名ですし、六本木も開催場所が「けやき坂通り」。このほか金沢市、福井市、つくば市、さいたま市でもケヤキの並木や広場で行われています。ケヤキ以外では、クリスマスにちなんでモミの樹を電飾するくらい。
街路樹として植えられ、冬は落葉し、枝が頭上に広がってトンネルになる樹と言えば、ケヤキのほかにはサクラくらいでしょう。

       
    (京都市の白川通りは中央分離帯がケヤキ、両側の歩道がイチョウ)

しかし、「へそ曲がり」と言われるかも知れませんが、私はこういう人工的に演出された光景を美しいとは思いません。神戸のルミナリエも、以前仕事で近くに行った帰りにお客さんに誘われましたが断りました。LEDとはいえ「電気をそんなことに使っていいの?」とも思います。
やっぱり、自然がいちばん美しいです。
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寄り道

2008年06月23日 | 樹木
(エド・はるみ風に読んでください→)バードウォッチング~とツリーウォッチング~のために、先々週またまた栃の森に行ってきました。
いつもは土曜日の午後4時頃に家を出ますが、今回は途中で寄り道して別のフィールドを観察するために昼過ぎに出発。京都市北部の山中をウロウロしてきました。まず出会ったのがウリノキ。細長い花弁がカールして、かんざしみたいでしょう?

       
        (葉がウリに似ているのでウリノキ。印象的な花ですね)

林道の斜面はフサザクラで埋め尽くされています。こっちは花はすでに終わって、実が成っていました。

       
       (フサザクラは葉の形が特徴的。左に写っているのは愛車)

もう一つはアワブキ。図鑑には「燃やすと切り口から泡を吹くのでこの名がある」と書いてあります。でも、木は燃やすと多かれ少なかれ切り口から泡が出るので、この説は怪しいな~。中国名の多花泡花樹(泡みたいな花をいっぱいつける樹)に由来するんじゃないでしょうか。

       
                    (アワブキの花)

以上3種は図鑑や植物園では見たことがありますが、フィールドで見るのは初めて。しかも嬉しかったのは、葉や花を見ただけで同定できたこと。何気なしに図鑑を眺めたり、植物園で葉や幹を触っているうちに頭の中に情報がインプットされるらしく、すぐに名前が浮かんできました。

       
        (アワブキの葉。トチノキの小葉に似た大きな単葉が特徴)

翌日の栃の森では、何種類の樹木が識別できるかトライしてみました。結果は80種。2年前が73種類でしたから、あまり進歩していません。寄り道コースでは喜んだのに、本コースでは落ち込みました。ちょっとショッキング~(←ここもエド・はるみ風に)

             
            (栃の森で採取されたトチのハチミツ)

帰路、いつものように栃の蜂蜜を購入。去年、このブログでラベルの絵をけなしたせいか、今年はシンプルな文字のシールしか貼ってありません。
でも、味の方は(最後もエド・はるみ風に→)Very Gooood
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文学忌

2008年06月20日 | 木と作家
昨日は「桜桃忌」、『走れメロス』や『人間失格』で知られる作家、太宰治の命日でした。死の直前に発表された作品『桜桃』と、ちょうどこの時期に実るサクランボ(=桜桃)にちなんでこの名があります。
昭和23年6月19日は入水自殺した太宰の遺体が発見された日であり、奇しくも39歳の誕生日でもありました。当初の「桜桃忌」は太宰と親交のあった人たちが遺族を招いて、サクランボをつまみながら酒を酌み交わしたそうです。
その名の通り今はサクランボのシーズンで、野山のサクラにも実が成っています。ただし、ソメイヨシノはクローンで増えた樹なのでほとんど結実しません。

       
           (カスミザクラのサクランボ。この後、実食!)

私の散歩コース・大吉山にはソメイヨシノに混じってカスミザクラが数本あり、果樹用品種ほど立派ではないですが、赤い実をいっぱいつけています。いつもはメジロやヒヨドリがせっせと食べているので、私もそのおこぼれをいただいてみました。
写真の実は酸っぱいものの、サクランボの味がしたので飲み込みました。「もう少し熟したものを」と思って少し黒くなった実を食べましたが、こちらは渋味と苦味が強くて吐き出しました。

       
          (近くのバス停の前のキョウチクトウ。すでに満開)

さて、太宰治の親友で「桜桃忌」を主導し、女優・檀ふみの父親として知られる作家、檀一雄にも「夾竹桃忌」という文学忌があります。キョウチクトウもちょうど今ごろ開花し、夏の間ずーっと赤や白の花で目を楽しませてくれます。
檀の命日は1月2日ですが、生前に宮崎で見たキョウチクトウの写真に感動し、花の季節にわざわざ見に出かけたために、ご当地で「夾竹桃忌」が開催されるようになったとのこと。太宰の「桜桃忌」と違って、季節がまったくリンクしていません。また、キョウチクトウは葉にも花にも枝にも毒を含んでいます。
映画評論家の小森和子や女優の入江杏子が愛人だったそうで、代表作『火宅の人』のようにかなり乱れた私生活を送り、「最後の無頼派」と呼ばれた作家にふさわしい文学忌かも知れません。
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雲太、和二、京三

2008年06月18日 | 木造建築
タイトルは「うんた、わに、きょうさん」と読みます。「雲」は出雲、「太」は太郎という名前が示すように長男、「和」は大和、「京」は京都。出雲大社がNO.1、奈良の大仏殿が2番目、京都御所の大極殿が3番目という意味で、日本の巨大建築のベスト3を表しています。
前回、世界最大の伝統木造建築として大仏殿をご紹介しましたが、それより大きな建築物があったのです。現在は焼失して実物は残っていませんが、昔の書物に「出雲大社は16丈(48.5m)、大仏殿は15丈(46.4m)」と記録されています。

             
        (幻の出雲大社を記述した本居宣長の「玉勝間」)

長い間その出雲大社は記録に残るだけの「幻の木造建築」でしたが、2000年にそれを裏付ける遺構が発掘されました。出雲大社の境内の地下から、直径1.35mの柱を鉄の輪で3本束ねた直径約3mの柱の跡が2ヵ所発見されたのです。
出雲大社の柱跡はこちら。当時の復元模型はこちら
6本の柱のうち4本がスギ。あとの2本は不明ですが、おそらくヒノキかコウヤマキでしょう。建築されたのは平安末期と推定されています。
江戸時代に再々建された現在の大仏殿には集成材の柱が使われていますが、平安末期すでに丸太のまま束ねて柱にするという技術があったわけです。

             
   (集成材を鉄の輪で束ねた大仏殿の柱。出雲大社は丸太を束ねたようです)

さらに、本居宣長は「上古には32丈、中古には16丈あったが、現在は8丈」とも記していて、それが事実なら創建時の高さは97mにもなります。現代の建築学者は「構造的に不可能」と言っているようですが、100m近い木造建築物を想像するのは楽しいですね~。
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世界最大の木造建築

2008年06月16日 | 木造建築
「世界最大の木造建築は何?」というクイズに「東大寺の大仏殿」と答えれば、普通なら「ピンポ~ン」でしょうが、私なら「ブ~」です。
大仏殿は幅57m、奥行き50.5m、高さ46.4m。一方、アメリカのオレゴン州にある飛行船格納庫(現在は製材工場)は、幅90.2m、奥行き304.8m、高さ51.8m。いずれも大仏殿を上回ります。

       
                   (東大寺の大仏殿)

ただし、「伝統的な建築物」という条件なら大仏殿が最大。建築物の最大・最小は高さで比べるようで、46.4mならスフィンクスも自由の女神(台座は別)も大仏殿の中にはスッポリ入るそうです。

       
           (スフィンクスや自由の女神より大きい大仏さん)

ところで、現在の大仏殿は再々建されたものですが、創建時や再建時に比べると小さくなっています。以前は幅(桁行)が86mありましたが、現在は3分の2の57m。奥行きや高さはほぼ同じ。
なぜ3割も縮小されたのか? 簡単に言えば「資金不足」ですが、私は経費のかかる遠隔地にしか必要な巨木がなかったからだと思います。

       
          (再建時の模型。現在のものに比べると幅が長い)

寺社建築の主要材はヒノキ。東大寺の創建当時、奈良のヒノキはそれまでの宮殿建築で枯渇したため、滋賀県の田上山(たなかみやま)から入手しました。そのために、田上山はつい最近まで禿山でした。
その大仏殿も兵火で消失。鎌倉時代に再建されますが、その柱に使うヒノキは山口県から伐り出され、瀬戸内海→淀川→木津川→奈良のルートで運ばれました。当時すでにヒノキの巨木は関西になかったようです。

       
  (明治の大修理で取り替えられた元禄再々建時の柱。材はスギ、周囲3.65m)

そうして再建された大仏殿も再び兵火で消失。元禄時代の再々建時には、同じ大きさでは無理なので縮小されたのです。その上、ヒノキの巨木が入手できなかったのか、柱にはスギを、しかも太さが足りないため数本を集成して使っています。
現在、柱の1本には「大仏さんの鼻の穴と同じ大きさ」という穴が開けられて子供たちがくぐり抜けていますが、その穴を見ると集成材であることが分かります。

       
                (穴をよく見ると柱は集成材)

大仏殿の建築を知るまでは何となく「昔の文化は自然にやさしい」と思っていました。でも、世界最大の木造建築物を3回も建て、ほかにも多数の寺院や神社、宮殿、城を創建・再建するたびに天然の巨木を伐採したわけで、中には田上山のように禿山になった例もあったでしょう。そのことを考えると、「昔の暮らし=エコ」とは単純には言えないなぁと思います。
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木の刀

2008年06月13日 | 木とスポーツ
宮崎県の東国原知事は盛んに県産品をPRしていますが、知事の出身地である都城市には知る人ぞ知る木の伝統工芸品があります。
剣道に使う木刀は8割以上が都城産。材料になる上質なカシが自生していることや、昔から武道が盛んだったことから、木刀の名産地になったようです。

       
           (わが家の護身用の木刀。材料は多分アカガシ)

木刀には主にシラカシやアカガシが使われます。また、ヒイラギも重くて硬く、肌目が緻密なので高級な木刀になるそうです。
珍重されるのは、「日本で最も重い木」と言われるイスノキ。特に風化した木の芯材は「スヌケ」と呼ばれ、最高級の木刀になるようです。装飾用としてはコクタンやシタンでも作られるとか。

             
               (日本で最も重いイスノキ)

木刀と言えば、巌流島で佐々木小次郎と闘った宮本武蔵は舟の櫂を削った木刀で勝ちましたが、この櫂もカシ製です。特にイチイガシがよく使われたようで、弾力性に富み、水切れがいいので漕ぎ手の負担が少なかったそうです。

             
          (武蔵が櫂を削って木刀にした?イチイガシ)

「物干竿」と呼ばれた小次郎の長い刀が3尺1寸(約94cm)、武蔵が櫂を削った木刀が4尺6寸(約1m39cm)だそうですから、木刀の方が45cmも長かったんですね。
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舟の木

2008年06月11日 | 木と乗物
前回、縄文時代の丸木舟をご紹介しましたが、大阪の民俗学博物館にも復元された丸木舟が展示してあります。
アイヌ民族のもので、樹種はカツラ。北海道にたくさん自生する樹ですから、舟や家具などに多用されたでしょう。カツラ材は赤いので見た目には重そうですが、比重は0.5ですから浮力はあります。ちなみに、前回のスギの比重は0.4。

       
        (民博のアイヌコーナーに展示されているカツラの丸木舟)

丸木舟の場合、比重が軽いことも条件ですが、完成後すぐに進水できるように川や海や湖の近くで入手できる樹木という条件があります。前回のスギも今回のカツラも、基本的にはその条件を満たします。
今年の3月、沖縄に鳥を見に行った際、ある道の駅に郷土資料館が併設されていて、そこにも舟が展示してありました。丸木舟ではないですが、樹種はマツのようです。多分、沖縄固有種のリュウキュウマツでしょう。

       
        (沖縄の道の駅に展示されていた舟。船尾側から撮影)

マツもなんとなく重いイメージがありますが、比重は0.55。一般的に針葉樹よりも広葉樹の方が硬くて重く、例えばケヤキは0.7 、カシ類は0.9。それらに比べるとかなり軽いので、マツも舟には向いています。また、沖縄では海の近くにマツが自生しているので、すぐに進水できたのでしょう。
現在は公園のボートも樹脂製ですから、木の舟に乗る機会はほとんどないですね。
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縄文時代の舟

2008年06月09日 | 木と乗物
『日本書紀』には、スサノオノミコトが自分の髭や眉毛からスギ、ヒノキ、クスノキ、コウヤマキを作り、「スギとクスノキは舟に使え」と教えた話が残っています。
ある調査によると、日本で発掘された丸木舟180点を樹種別に分けると、最も多いのはスギで48点、次がクスノキで15点。『日本書紀』の記述を裏付ける結果になっています。ちなみに、それ以外にマツ、モミ、トチノキ、コナラなど29種類の木が使われているそうです。
そのスギの丸木舟の一つが京都府北部の舞鶴市の資料館に展示されているというので、帰省の際に寄り道して見てきました。

       
   (舞鶴はレンガの倉庫が多く、その一つを資料館として利用しています)

平成10年、舞鶴市の浦入(うらにゅう)遺跡からスギの丸木舟が発掘されました。出土したのは船尾部分ですが、約5300年前(縄文時代前期)のもので、推定される全長は8メートル。

             
       (丸木舟の残存部分は、長さ4.6m、幅85cm、深さ60cm)

舞鶴市が偉いのは、これをモデルに当時の丸木舟を復元したこと。しかも、市民中心のプロジェクトを立ち上げ、石の斧や木のくさびなど縄文時代と同じ道具を作るところからスタートし、直径1メートルのスギを半割りして、当時と同じ手法で復元したのです。19ヶ月かかったそうです。

       
              (平成19年3月に完成した復元丸木舟)
       
               (実際に浮かべて乗船したようです)

周辺からは杭や碇石が出土しているところから桟橋があったらしく、大きさや出土地点から外海を航行する舟ではないかと推測されています。歴史のロマンを感じますね~。
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