樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

白梅紅梅

2011年03月31日 | 木と歴史

少し時期はずれになりましたが、梅のお話です。

桜はいろんな種類が日本に自生しますが、梅は中国から移入されたというのが定説です。時期は8世紀中頃と推測されています。

その根拠は、『古事記』『日本書紀』『風土記』など古い書物には梅の記述がなく、『万葉集』の3巻以降にようやく登場するからとのこと。しかも、3巻以降では117首も詠まれ、植物としては萩に次いで多いそうです。

デビューしていきなりトップ3入りしたヒット曲みたいなものですね。

 

 

もう一つの根拠は、たくさんの歌を残している柿本人麻呂が梅を一首も詠んでいないこと。人麻呂は7世紀末~8世紀初頭に活躍した歌人です。

当時、梅は貴族だけが愛でた樹木で、庶民には高嶺の花だったようです。117首も詠まれているのに、庶民の歌「施頭歌」や東国で詠まれた「東歌」には登場しないらしいです。

また、『万葉集』には白梅しか出てこないそうですが、清少納言が『枕草子』に「木の花は 梅の 濃きも薄きも 紅梅」と書いているので、平安時代には紅梅があったことになります。

 

清少納言好みの紅梅

 

最初に中国から白梅が移入され、その後に品種改良で紅梅がつくられた、あるいは新たに中国から紅梅が持ち込まれたということでしょう。

私はどちらかというと、清少納言と同じく紅梅の方に心惹かれます。

写真は、宇治市近くの梅の名所・青谷の「梅まつり」で撮ってきました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人はフォーク民族?

2011年03月28日 | 木と飲食

金属製のフォークが皿に当たる音が気持悪いらしく、妻はパスタをお箸で食べていました。何だかヘンなので、先日ようやく木製のフォークを買ってきました。以来、私もこのフォークを使っています。

 

 

フォークを使うのは主にヨーロッパの民族で、箸を使うのは日本や中国など東アジアの民族、そしてインドなど南方地域には箸もフォークも使わず直接手で食べる民族がいます。

ところが、3世紀頃の日本を描いた『魏志倭人伝』には、「食飲は手食す」と書いてあるそうです。つまり、当時の日本人はインド人みたいに手づかみで食べていたわけです。

その一方、遺跡からは木製のフォークやスプーンが発掘されています。下の写真は、弥生中期の遺跡から発掘されたフォークとスプーン。

 

 

「日本人は箸の民族」と思い込んでいましたが、手づかみで食べていた時期もあったし、フォークやスプーンも使っていたということになります。フォークやスプーンが出土するのは主に日本海側の遺跡なので、渡来系の民族が使っていたものであろうと考古学者は推測しています。

私の勝手な推測ですが、もともと南方系の手づかみ民族がいた日本に、フォークを使う北方系の民族がやってきて、その後にさらに箸を使う東アジア系の民族がやってきたということではないでしょうか。

今は手づかみで食べる日本人はいませんが、箸も使えばフォークも使います。こういう古代の習慣が生きているのかな?

ちなみに、わが家はカレーも木のスプーンで食べます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根寄木細工

2011年03月23日 | 木と文化

義母が101歳になりました。去年の百歳祝賀会に参加できなかったので、2月末に久しぶりに神奈川県藤沢市まで会いに行ってきました。耳は遠いですが、頭は85歳の私の母よりしっかりしています。 

帰りに箱根に寄って、妻を温泉に放り込んで、一人でゆっくり寄木細工を見学してきました。寄木細工とは、色の違う木材を使って模様を描き出す箱根独特の木工技術です。

箱根山中の曲がりくねった道を走ってようやくたどり着いたのが「寄木会館」。作品展示や実演が行われている観光施設です。

 

木材サンプル

 

私の関心事は「どんな木を使っているのだろう?」。サンプルコーナーには50種類ほどの木片が陳列されていました。おなじみの日本の木に加えて、マコレー、パードック、チーズナット、セリオなど聞いたことのない木も並んでいます。外国産の特殊な樹種です。

こうした色とりどりの木を膠で貼り合せ、それを繰り返して細かい幾何学模様を描き、特殊なカンナで薄くはいでお盆や引き出しに貼り付けるのです。

 

カンナで削った寄木模様

 

作品の一つお盆

 

これまでいろいろな所でたくさんの木材を見てきましたが、こんなに木の色が多彩だとは思いませんでした。白、黄色、茶色、黒、赤…、実にカラフルで絵の具のようです。

記念にコースターを1枚買いました。以前、高知県の四万十川で買ったヒノキのコースターを仕事場で使っていたのですが、だいぶ汚れていたのでリフレッシュです。

美しいです。緻密です。大変気に入りました。

 

 

 

地震の後、藤沢市でも計画停電が実施されたり、スーパーに商品がなくなったり、不便しているようです。こちらで食料品や日用品を買って送りました。これから東日本はどうなるのでしょう、心配です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな木

2011年03月20日 | 木と子ども

東日本の被災地が一日も早く復興することを祈りながら、そして平穏な生活をいつもどおり送れることを感謝しながら、ブログを再開します。 

地震の1週間前、京都府立植物園で「私の好きな木」発表会というイベントが開催されたので見学してきました。

これは、子どもたちに植物園内で好きな木を1本選ばせ、その木をスケッチしたり、感想文を書きながら1年間(6回)観察するという活動。その最終回で、子どもたちがそれぞれの木の下に立って、春夏秋冬の木の絵と感想を発表するのです。

 

まず研修室に集まって説明会

 

もともと京都市内の中学校の先生が始めた活動らしいですが、現在は理科の教師のグループと植物園の共催で毎年開催されています。一つのことをじっくり学ばせるという主旨のようです。

まず、研修室に集まって、「一本の木」という歌を全員で合唱。京都のフォークシンガーが作った曲で、この活動のテーマソング。1年間の総括の後、園内へ出て4グループに分かれて発表されました。

 

 

サンシュユの木を発表する子ども

 

私は子どもたちが樹木をどう見ているのか知りたかったので、最も人数の多いグループにくっついて10人全員の発表を見ました。

枝垂れ桜やイロハモミジを選ぶ子どもが多いのは、それだけポピュラーだからでしょう。中にはサンシュユというシブい木を選んだ子どももいました。株立ちする形が面白かったから選んだそうです。

 

トウカエデを選んだ女の子

 

「幹に苔がくっついて、木はくすぐったいだろうな~と思いました」とか、「秋になって葉っぱが落ちて、木は寒いだろうな~と思いました」とか、子どもならではの擬人感覚が印象的でした。

そういう話を聴いているうちに何故かウルウルしてきて、それを悟られないように俯くことが何度かありました。自分が木になったような気持ちになったのでしょうか(笑)。

 

トウカエデの四季の絵

 

参加者は私の想像よりも多くて、保護者も含めて約80人。毎年実施されるようなので、関心のある方はこちらをどうぞ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お休みします

2011年03月14日 | 樹木

東北関東大地震の惨状を見ていると、ブログを更新するような気持ちになれませんので今日はお休みします。

一昨日は近くの自衛隊駐屯地から「災害派遣」の幕を張った車両が出て行きました。また、今朝早くこちらでも地震があったようで、宇治でも弱い揺れを感じました。「遠い地域の出来事ではない」と感じました。

近いうちに再開しようと思いますので、またご覧ください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石器時代の道具

2011年03月10日 | 木と歴史

近くにある京都大学宇治キャンパスで「木の文化と科学」という、私にとっては「猫にマタタビ」みたいなシンポジウムがシリーズで開催されています。これまでにも何度か参加してこのブログでも紹介しました。先日その第10回が開催されたので行ってきました。

3つの講演の中で特に興味深かったのは、遺跡から出土する木製品から当時の文化を推測するというもの。例えば、割れた丸太と一緒に木製のクサビと木槌が出土するので、弥生時代はクサビを使って丸太を割っていたことが分かります。下はその復元写真。

 

 

当時はノコギリがありませんから、こうやって板をつくったわけです。しかもクサビは、今のカッターナイフみたいに、刃先がダメになったら折って次のを使えるように、4個連続したものが作られていたそうです。

OLFA2000年前にすでに発明されていたわけです。弥生人の知恵、恐るべし!

 

 クサビの復元模型。これが4個連結したものが出土

 

下は出土品を元に復元された石斧。立木を伐採する時にはこれを使うわけです。形も大きさも野球のバットのようですが、スイートスポットあたりに穴が開けられ石の刃が組み込まれています。柄はクサビと同じくカシ(アカガシ)。

 

 手に持つとズッシリ重い

 

クサビも木槌も石斧の柄も、さらに割れた丸太もほとんどがカシ。弥生時代はカシの木製品が多く、古墳時代→古代と進化するにつれてスギが多くなるという話でした。

カシからスギに変わった理由の一つは鉄器の登場。石器では加工しにくい針葉樹も、鉄器なら加工しやすいのでスギやヒノキが使われるようになったらしいです。針葉樹は柔らかいので石器ではボンボン跳ね返って伐採しにくい一方、鉄器なら針葉樹も加工しやすいそうです。

このほか出土木材の保存方法や、遺跡出土木材研究の権威である東北大学の教授の講演もありました。どちらも面白かったですが、少し専門的で、私にとっては「猫にマタタビ」と言うよりも、「猫に小判」だったかな?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒッチコック

2011年03月07日 | 野鳥

スリラー映画は嫌いですがサスペンス映画は大好きで、ヒッチコックの作品は名画座や自主上映に通って全35本中イギリス時代のも含めて33本見ました。一般的には「怖い映画」と思われているようで、代表作とされているのは『サイコ』とか『鳥』。 

この『鳥』はカラスやカモメが人間を襲ったり、頑固で愚かな鳥類学者が登場したり、言わば「反愛鳥家」的な映画なので、鳥仲間の間では「ヒッチコックのファンです」とカミングアウトしにくい雰囲気です(笑)。 

 

 

『鳥』を彷彿とさせるミヤマガラスの群れ(近くの干拓田で撮影)

 

あの映画には原作があって、イギリスで実際に起きた事件が題材になっているそうです。ヒッチコックのインタビュー集『映画術』を読むと、面白いことが書いてあります。

「これがワシとかタカといった猛禽類だったら、映画化はしなかっただろう」。つまり、身近なカラスやカモメ、スズメがある日突然人間を襲うから恐怖感が深くなるということでしょう。

映画の撮影中にもロケ地のサンフランシスコでカラスの群れが子羊を襲う事件があったそうで、ヒッチコックはその牧場へ行って話を聞いています。映画の中に、カモメに襲われた農夫が眼球をえぐられて死んでいるという、ヒッチコックにしては珍しく凄惨なシーンがありますが、その子羊の話からヒントを得たそうです。

 

 

宇治川のユリカモメ。今のところ人は襲っていません(笑)

 

最近、鳥インフルエンザで野鳥が白眼視されていますが、映画のような物理的な襲撃も化学的な襲撃も、人間に対する自然の復讐という面があるのではないでしょうか。

なお、『鳥』は東宝の「午前10時の映画祭・何度見てもすごい50」の1本として全国で上映されます。京都ではTOHOシネマズ二条326日から見られます。

私はつい先日テレビで見たばかりですが、多分また行くと思います。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェンスとの闘い

2011年03月03日 | 街路樹・庭木

以前、「樹の珍百景」として歩道の鉄柵を飲み込んだプラタナスをご紹介しましたが、その後もあちこちで似たようなシーンに出くわしました。今回は珍百景ではなく、フェンスと闘う樹としてご紹介します。

 

以前ご紹介したプラタナス

 

まず、近くの水路に設けられたフェンスに残る枝。横に生えているサクラの枝が網目を抜けて伸び、そのまま太くなって抜き差しならなくなったのでしょう。枝を剪定したものの、取り除けないので、そのまま放置されたようです。

 

 

次は、散歩コースにあるアラカシ。フェンスの網目を完全に飲み込んでいます。上のサクラは樹の負けですが、こっちは完全に制圧しています(笑)。こうなったら、フェンスを切るしかないでしょう。

 

 

 

次は、京都御苑の石垣と闘うムクノキ。この状態を見ると、石垣が築かれる前からこの樹が生えていて、それを避けて石を組んだようです。

現在の京都御苑は平安京の御所ではなく、明治10年以降に整備されたものなので、工事が行われたのは約130年前。そのときすでに大木だったので伐採せずに残したのでしょう。

 

 

最後は、宇治川沿いにあるクロガネモチ。私もよく通る堤防の道で、以前から気になっていた巨木です。調べてみると、この場所は行政区分としては京都市伏見区になるので「京都市の巨樹名木」にも数えられています。

 

車に削られて枝が四角になっています

 

木の根元を見ると、幹が半分ほど堤防に埋まっています。これも京都御苑のムクノキと同様、堤防工事の際すでに巨木だったので伐採せずに残したのでしょう。

宇治川の堤防を築いたのは豊臣秀吉ですが、多分その時代ではなく後世の改修時にこうなったのだと思います。いずれにしても樹齢は数百年、たいしたものです。

 

 

フェンスや石垣といった人工物と苦闘しながら、樹木は健気に生きています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする