樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

伊吹山でツリーウォッチング

2015年08月31日 | 樹木
先週、あるグループに誘われて伊吹山へ行ってきました。伊吹山は固有の植物も多く、お花畑が主目的ですが、私は草本にはあまり関心がないのでイヌワシ目当てで参加しました。
そのGolden Eagleは約3秒間だけ現れたところを同行7名のうち5名が目撃したのみ。しかも、私は残りの2名。20年以上前、同じくイヌワシ観察会で伊吹山に来たことがありますが、そのときもチラッと見えた程度。どうも相性が悪いようです。
野草の花はたくさん見られました。私には猫に小判ですが、いくつかご紹介します。


アケボノソウ


ルリトラノオ

私の目はどうしても樹木にいくのですが、頂上付近は草原で木本はまばら。それでも、「こんな所にこんな樹が?」という出会いがいくつかありました。
まず、クマシデ。栃の森では10mくらいの中高木ですが、さすがに標高1300m以上の山頂周辺では風と雪による矮性が出るようで、樹高は3mほど。最初は「本当にクマシデかな?」と疑いました。


クマシデの葉

次は、マユミ。私の頭の中では、山中の谷筋に2m程度の低木がところどころ生えているというイメージですが、ここでは山頂近くの草原の斜面に4~5mの樹高で生えています。
弓に使われたくらい弾力性に富むので、クマシデとは逆に風や雪の影響が出ないのかも知れません。


実をつけるマユミ

意外に多いのがカエデ。最初はコハウチワカエデ(別名イタヤメイゲツ)と識別しましたが、帰宅後に精査すると同類のオオイタヤメイゲツのようです。なぜか、このカエデだけが山頂周辺に密生しています。


オオイタヤメイゲツの葉

調べてみると、「滋賀県内の石灰岩地帯ではブナに代わって優占種となり、極相林を形成する」とのこと。伊吹山は石灰岩質なのでオオイタヤメイゲツが多いわけですね。
フラワーウォッチングする人が多い中、一人ツリーウォッチングを楽しんでおりました。
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壊し屋キツツキ

2015年08月27日 | 野鳥
大阪にある四天王寺の金堂の欄干に、写真のような緑色の造作物があります。これは「鷹の止まり木」と呼ばれています。



その由来に関して、『源平盛衰記』に次のような伝説が書いてあるそうです。
聖徳太子が四天王寺を建立する際、政敵であった物部守屋の怨霊が千万羽のキツツキとなって壊そうとした。それを知った太子が白鷹に変身して、怨霊を退治した。
その伝説から、過去に何度も倒れたり焼かれたりした四天王寺は、壊れないようにという願いを込めて「鷹の止まり木」を祀っているとのこと。
この伝説がルーツかも知れませんが、「キツツキ=寺を壊す鳥」というアイコンは昔からあって、キツツキを「寺やぶり」とか「寺こわし」という呼ぶ地方もあるようです。
下の動画はコゲラですが、日本最小のキツツキでさえ数日間でこんな巣穴をあけますし、採餌のために木をつつきますから、何年か経てばお寺が壊れるかも知れません。



松尾芭蕉にも「キツツキ=寺を壊す鳥」という認識があったようで、禅の師匠の住居跡を訪ねた際、次の句を詠んでいます。
木啄も 庵(いお)は破らず 夏木立
意味は、「寺をつついて壊すと言われているキツツキも、この庵だけは壊さなかった。夏木立に包まれて、昔のままだ」。
当時は「キツツキ=壊し屋」という常識があったようです。ということは、キツツキは忌み嫌われていたんでしょうね。
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木を食う

2015年08月24日 | 木と飲食
先日、テレビで6年間フルーツしか食べていない人を紹介していました。水もお茶も飲まないという徹底ぶり。健康診断でも「痩せている」以外に何の問題もないそうです。
これに近い、というかもっと過激なことを昔の修行僧はやっていました。
木食上人(もくじきしょうにん)という人物をご存知でしょうか。安土桃山時代の修行僧で、生涯木食の行を続けた人。
「木食の行」とは、仏教の修行のうち最も過酷なもので、一定の期間、木の実や草の根だけを食べて過ごす荒行。「穀断(こくだち)」つまり穀物を一切食べない修行とセットになっています。
木食上人は3000日、つまり8年以上も木食の行を続けたというのです。まず、米、麦、大豆、小豆、黒ゴマの五穀を断ち、これに肉体が慣れてくると、さらにヒエ、キビ、トウモロコシなども断ち、口にするのは木の実と草の根のみ。
木食上人が食べた木の実は不明ですが、別の修行僧の記録によると、ハシバミやカヤの実、そしてマツの樹皮を細かくついて砕き、蒸して餅のようにして食べたそうです。


マツの樹皮で餅を作る?

ハシバミは「日本のヘーゼルナッツ」と呼ばれているほどですし、カヤの実も美味しいらしいですが、マツの樹皮が食べられるとは思えません。
他の記録ではブナやトチの実も食されたようで、100日間をクリ100個だけで過ごしたという修行僧の記録もあります。草の根としては、ヤマノイモ、ユリ根などを食べたようです。
私は木は好きですが、木食にはとても耐えられません。かといって、フルーツだけというのも勘弁してほしいです。せめて、魚とビールがないと生きていけません(笑)。
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鳥獣戯画

2015年08月20日 | 野鳥
日本史だったか美術だったか、学校の授業で『鳥獣戯画』を習いました。鳥羽僧正が描いた「日本最古の漫画」です。
以下のような、カエルやウサギ、サルが相撲をとったり追っ駆けっこしたりする絵はみなさんも何度か目にされているはずです。



しかし、『鳥獣戯画』というからには鳥が描かれているはずですが、見たことがありません。「変だな」と思って調べたら、理由が分かりました。
『鳥獣戯画』には甲・乙・丙・丁の4巻があり、上の絵は最も有名な甲巻。カエル、ウサギ、サルを擬人化して、人間の遊びや賭け事、喧嘩を描いています。
鳥が登場するのは乙巻。ウマ、ウシ、ヒツジなどとともに以下のような猛禽が描かれています。



説明資料には「鷹を描いている」と書いてありますが、クマタカのようでもあるし、オオタカのようでもある。左下のタカは魚を捕まえているので、ミサゴ?
いずれにしても、乙巻に登場する鳥獣は甲巻のように擬人化されていませんし、何よりも画風が違います。はっきり言って、下手。デッサン力が貧弱で、線が生きていない。
甲巻は鳥羽僧正が描いたようですが、他の巻はそれぞれ別の作者が描いているようです。鳥羽僧正が描く擬人化されたタカを見たかったな~。
なお、写真は京都府立植物園の横にある「陶板名画の庭」で撮影したもの。乙巻の絵がここに展示されていると知って、植物園に行くついでに寄ってきました。
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チューインガムと木

2015年08月17日 | 木と飲食
5年前に「木を噛む」と題して、チューインガムには天然チクルやキシリトールなど樹木由来の成分が含まれていることをご紹介しました。
最近のガムは口臭予防や目覚ましなどの機能が加わっていますが、そこにも樹木が使われています。例えば、ロッテの「フラボノガム」にはアルコール臭を抑えるためにケンポナシの成分が使われています。



日本チューインガム協会のWebサイトには、ケンポナシについて次のような実験結果が報告されています。
ビール、ウイスキー、日本酒をそれぞれ6~8名の男性に飲ませた後、何も噛まない場合とケンポナシ入りガムを噛んだ場合の呼気アルコール濃度を調べた結果、ビールで25%、ウイスキーで21%、日本酒で28%も低下したそうです。
私はケンポナシを見たことがありません。京都府立植物園に同類のケケンポナシがあるというので、行って見てきました。


ケケンポナシの葉


ケケンポナシの樹皮

ケンポナシは妙な形の実をつけ、それがナシに似た味なのでこの名があります。フラボノガムに含まれているのはその抽出物。ロッテがこの成分を使っているということは、ケンポナシの実からエキスを抽出している業者がいるということです。
今回、スーパーのチューインガム売場でいろんなガムの成分表示を確認して驚きました。樹木由来の成分がたくさん使われているのです。
フラボノガムにはケンポナシ抽出物のほか、茶抽出物、ウーロン茶抽出物、紅茶抽出物、クチナシが使われています。クロレッツには、ウラジロガシ茶抽出物という成分も含まれていました。
チューインガムは木でつくられている、と言うとちょっと過言かな。
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シギとチドリがやって来た

2015年08月13日 | 野鳥
シギやチドリが渡ってくる季節。家の近くに、京都府では唯一まとまって観察できる干拓田があるので、「そろそろ来てるかな?」と下見に出かけました。
干拓田でのシギ・チドリ観察は、まず休耕田探しから始まります。鳥たちは、稲を植えていない、そして水を張った田んぼで餌を採るからです。
数年間休んでいる田んぼもあれば、去年は鳥がたくさん集まる休耕田だったのに今年は稲が植えてある田んぼもあります。なぜか、鳥がまったく来ない休耕田もあります。農薬が強くて、餌になる虫がいないからでしょうか。
今回の下見で新しいポイントを発見しました。まず目についたのは30羽ほどのコチドリ。じっくり観察すると、その中にトウネンが1羽混じっています。さらにじっくり探すと、ヒバリシギも紛れ込んでいます。いきなり3種と、幸先の良いスタートとなりました。



さらに嬉しいことに、同じ田んぼにツバメチドリが…。毎年あちこち探し回ってようやく出会える珍しい鳥に下見で出会えました。しかも、ツバメチドリを追う双眼鏡の中にムナグロが入りました。1枚の田んぼで5種類も観察できました。



シギ・チドリ観察は、炎天下、日陰が全くない環境で(私の場合バイクで)ウロウロするので、熱中症と日焼けの対策が欠かせません。でも、鳥たちが無心に餌を捕ったり、自由に戯れている姿を眺めていると、暑さも日焼けも忘れて見入ってしまいます。
距離さえ保っていれば、小鳥のようにすぐに飛び立つことはありません。心ゆくまでじっくり見られるのが、シギ・チドリ観察の醍醐味です。
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ツバメも多い、人も多い

2015年08月10日 | 野鳥
宇治川に“関西最大”と言われるツバメの集団ねぐらがあります。毎年8月初旬、早朝にねぐらを飛び立つツバメのカウント調査を行い、夕方にはねぐら入りの観察会を開催しています。
今年は8月1日、午前4時半に野鳥の会の有志6人が集合し、50m間隔で堤防に立って、それぞれの区間で飛び出していくツバメをカウントしました。
以下は3年前に撮った朝の飛び出しシーン。川のように流れていくツバメを千羽とか2千羽単位でカウントします。



今年は4万6千羽。2009年の5万4千羽以来、6年ぶりの4万羽超えとなりました。
同じ日の夕方、今度は観察会の案内役で再び現地へ。事前に新聞社に情報を送ったところ京都新聞とリビング新聞が掲載してくれたので、参加者がいつもより多いだろうと思って配布資料を50部用意しました。
ところが、予想以上に参加者が多く、すぐに資料が足りなくなりました。受付名簿も満杯になったので欄外や裏面に記入してもらうという“嬉しい悲鳴”状態。最終的な参加者数は86名、私が担当した観察会では最大です。ツバメも多い、人も多い観察会となりました。



普通の観察会では、「目当ての鳥が現れなかったらどうしよう」というプレッシャーがありますが、この観察会は決まった時間に必ず数万羽のツバメが現れてくれるし、初めて見る人はみなさん「スゴ~イ」と感動されるので、安心して案内できます。
その数日後、ある人に依頼されて近くの小学校の観察会も引き受けました。子どもたちのほか、先生やお母さん方も参加され、あちこちで「スゴ~イ」の声が上がります。
下見も含めて4回現地を訪れましたが、今年はなぜか朝の飛び出しはいつもより早く、夕方のねぐら入りはいつもより遅くなっていました。猛暑続きのせいかな?
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糧物(かてもの)

2015年08月06日 | 木と飲食
以前、「樹木が果たすもう一つの防災機能」の記事で、上杉鷹山が144種類の救荒植物をリストアップしたことをご紹介しました。
その書物のタイトルが『糧物(かてもの)』。この言葉は「主食の穀物と一緒に炊き合わせる食物。転じて、飢饉などの際、主食を節約するために食べる代用食」という意味だそうです。
鷹山の書を現代風に紹介しているサイトがあって、それを見ると、「え~! こんなものも食べられるの?」と驚かされます。
例えば、フジの葉。鷹山は「若葉を灰水で茹で、水を換えて2、3晩さらしてから食べる。または糧物とする」と書いています。
マタタビの葉も、茹でるか糧物として食べるそうです。「塩なしで食べてはいけない」という注釈が付いています。猫が喜ぶことはよく知られていますが、人間も食べられるんですね。


マタタビ

ブナは葉も実も食べられるそうです。鷹山によると、「若葉を摘んで、灰水か水で茹でて、細かく刻んで糧物とする。実は炒って食べる。また、きな粉にも用いる」とのこと。
ブナの実はクマの好物。私も一度口にしたことがありますが、きな粉のような味はしなかったな~。
タニウツギ(この書物では「やまうつぎ」)も「若芽を茹でて糧物にする」そうです。


タニウツギ

こうやって羅列すると、「そんなもの食べる気にならない」とか「灰水で茹でるのが面倒くさい」と思います。ところが、この『糧物』にはワラビやゼンマイもリストアップされています。
これらは今でも私たちがありがたくいただく食材。面倒でも重曹などでアクを取ってから料理します。あるいは、初夏にはタラの芽が結構な値段で出回ります。
私たちが珍重している山菜も元々は救荒食だったわけです。『糧物』にはリストアップされていませんが、キノコ類も元々は救荒食だったのではないでしょうか。
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「野鳥」のルーツ

2015年08月03日 | 野鳥
野鳥のルーツ、といっても始祖鳥の話ではありません。「野鳥」という言葉のルーツ。
日本野鳥の会の創設者・中西悟堂の造語という話をどこかで聞いたか読んだのですが、不確かなので調べてみました。
悟堂の『定本 野鳥記』第5巻に、以下のような経緯が記されています。
・鳥の雑誌を発行することになり、その名前をいろいろ考えた
・友人の文学者が「小鳥の友」「鳥の世界」という案が出した
・「鳥」という案も出たが、日本鳥学会の機関紙で既に使っていた
・鳥の意味のギリシャ語やフランス語も考えた
どれもしっくりこなかったようで、悟堂は悩みます。そのために雑誌の発行が2カ月遅れたほど。
ある日、何気なく本棚をながめていると、「野鳥の…」という翻訳書の背表紙が目に止まりました。そのときのことを悟堂は次のように書いています。
「野鳥! これはいい。WildまたはFieldの意味をも示す簡明な単語だ。これにかぎる」と私は思った。(中略)『野鳥』という題がきまると、それにつれて「日本野鳥の会」という会名も決まった。
会の名称よりも雑誌の名前が先だったわけです。その『野鳥』誌は80年後の現在も発行され、会員に毎月配布されています。


最新号(通巻797号)の特集は「日本のフクロウ類」

悟堂が「野鳥」という言葉を翻訳書で知ったのは昭和9年2月。しかし、それよりも前に「野鳥」という言葉は悟堂の目に触れているはずです。
民俗学者の柳田國男が明治43年に発表した代表作『遠野物語』で「野鳥」という言葉を使っているのです。さらに、昭和3年には『野鳥雑記』という一文も発表しています。
柳田は悟堂より20歳年上で、野鳥の会設立の際には発起人に加わり、その後も物心両面で支援しています。作家の泉鏡花や山本有三など文化人を入会させたのも柳田。
当ブログでもご紹介しましたが、柳田と悟堂の2人が昭和11年に上洛してわが京都支部を設立しました。いわば2人は盟友です。
その柳田の著作を読書家の悟堂が読んでいないとは考えられません。読んでいなくても、2人はしょっちゅう鳥談義をしていましたから、その中で柳田の『野鳥雑記』に話が及んだこともあるはずです。何とも不可解ですが、悟堂には「柳田経由の野鳥」という認識がないのです。
「野鳥」のルーツについて私以上に熱心に調べた人がいて、柳田國男よりもさらに昔、1600年頃に発行された『日葡辞書(にっぽじしょ)』、つまり日本語をポルトガル語で解説した辞典に「yacho ノノトリ」という項目があるそうです。江戸幕府が開かれた頃には既に「野鳥」という言葉が存在していたわけです。
しかし、日本野鳥の会の産みの親・中西悟堂が知らなかったのですから、一般的にはあまり普及していなかったのでしょうね。
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