樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

ヒシクイとオオヒシクイ

2015年12月31日 | 野鳥
1カ月ほど前から、近くの干拓田に珍しい鳥が滞在しています。ヒシクイという名のガンの仲間。京都府南部では2例目の記録だそうです。
先輩に教えていただいた翌日(12月3日)と翌々日に出向いて観察してきました。その後も、買い物や外出ののついでに寄り道して様子を見ていますが、時々お留守になるくらいでほとんど同じ場所に居ます。
多分、シベリアから越冬地へ向う途中で群れからはぐれたものの、この場所が気に入って居付いているのでしょう。ヒシの実を食べることからこの名がありますが、田んぼの中では落穂や稲の茎を食べているようです。



このヒシクイには亜種がいくつかあって、そのうち日本で見られるのは亜種オオヒシクイと亜種ヒシクイ。干拓田に滞在しているのは亜種ヒシクイ。
亜種オオヒシクイは湖北で見られます。下の動画は4年前に湖北野鳥センターで撮ったもの。亜種ヒシクイよりも少し大きく首が長く見えます。



日本に渡来するヒシクイの8割は亜種オオヒシクイとのこと。環境省のレッドリストでも亜種オオヒシクイは準絶滅危惧ですが、亜種ヒシクイは絶滅危惧Ⅱ類と1ランク上に指定されています。
また、シベリアのタイガで繁殖するのが亜種オオヒシクイ、ツンドラで繁殖するのが亜種ヒシクイだそうです。
1月2日にこの干拓田で新春探鳥会が行われ、私も案内のお手伝いをします。参加されたみなさんに京都府南部では2例目という珍客を観察していただけるのではないかと期待しています。
さて、2015年も今日で最後となりました。この1年間ご愛読いただきありがとうございました。来年も引き続きよろしくお付き合いください。
では、みなさま良いお年をお迎えください。
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田舎のオシドリ

2015年12月24日 | 野鳥
宇治で平日探鳥会を毎月1回開催することになったので、コースを計画するために何度か宇治川の上流部から下流部まで下見してきました。
この時期の宇治川の“売り物”はカワアイサ。上流部には比較的近くで観察できる場所があり、下見の際も雌雄合わせて10羽ほどが泳いでいました。
これなら参加者にも喜んでいただけそうで一安心。時間的にもちょうど順光で、頭の緑色(オス)や茶色(メス)が美しく見えます。



宇治川沿いの探鳥会は初めて。おおよその地理は頭に入っていますが、公衆トイレの位置や工事中の場所などをチェックしながら歩きました。
下見が終ってから、オシドリ観察のためにダム湖まで足を伸ばしました。3カ所でそれぞれ30羽ほどの群れが泳いでいました。
ところが異様なほど警戒心が強く、道路とダム湖の間にある樹木の陰からそーっと覗くだけで、飛び去ってしまいます。他のカモ類はのんびり泳いでいるのに、オシドリだけが逃げるのです。
見つからないように、木陰に隠れてゆっくり近づきながら、そーっとカメラをセットしようとするとバタバタバタ…。そんなことを何度か繰り返しながら撮った動画です。



京都市内の都市公園や大阪郊外の緑地公園にもオシドリはいますが、それほど警戒心は強くありません。一方、宇治川のオシドリは100mほど離れているのに、少しでも人影があると逃げます。田舎のオシドリはウブのようです。
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漱石と宇治

2015年12月17日 | 木と作家
人目にはほとんど触れませんが、いま宇治の茶畑では白い花が咲いています。チャはツバキ科なので、サザンカやツバキの赤い花と同じく冬に開花するのです。
俳句でも「茶の花」は冬の季語。山口素堂は「茶の花や 利休が目には よしの山」、利休にとっては吉野の桜ほど美しい花であろうと詠んでいます。



小説だけでなくたくさんの俳句を遺した夏目漱石にも、「茶の花や 黄檗山を 出でて里余」の句があります。黄檗山(おうばくさん)は宇治にあるお寺、満福寺のこと。この寺を出て一里余りのところで茶の花が咲いているのを見つけたわけです。ということは、漱石は宇治を訪れたことがあるわけです。


画像はパブリック・ドメイン

この文豪と宇治のとりあわせが気になったので調べてみたら、『草枕』に以下のようなくだりがありました。

(自分は書については門外漢だが)平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。

ここにある「隠元」とは黄檗山萬福寺の開祖で、中国からインゲン豆を持ち込んだ高僧。書の達人でもあり、弟子の「即非」「木庵」とともに「黄檗三筆」と言われているそうです。
その五代目の住職が高泉。つまり、夏目漱石は書を通じて黄檗山萬福寺をレスペクトしていたわけです。


萬福寺の山門。中国風の建築が特徴

萬福寺の門前には普茶料理(精進料理の一種)の店がありますが、漱石はここで食事をしたらしく、「腥物(なまぐさもの)のない中華料理」と評しています。
さすが漱石先生、うまいことを言いますな~。
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常緑樹ウォッチング

2015年12月10日 | 樹木
週末、2カ月ぶりに栃の森に行ってきました。11月の紅葉は見逃しましたが、初冬の森を楽しんできました。市街地に比べると季節が1~2カ月進んでいるので、落葉樹はほとんど葉を落とし、森の中はすっかり冬枯れ。



「それなら常緑樹ウォッチングをしよう」と思いつき、林内に自生する緑の樹木をチェックしながら歩きました。
最も多いのは予想どおりスギ。谷筋には幼木が、斜面には若木が、尾根筋にはそれらの母樹と思われる巨木が生えています。下の写真は湿原にある一本杉。この湿原には昔、木地師たちが住んでいたらしいので、当時植栽されたものかもしれません。



スギの次に多い常緑樹はアセビ。斜面のあちこちに群生しています。奈良公園と同じく、有毒でシカが食べないために増えているのだと思います。



今回の収穫はツルマサキ。数年前にイワウメヅルと同定したのですが、京都府レッドデータブックで絶滅寸前種に指定され「府内に記録はあるが、近年目撃した人はいない。すでに絶滅している可能性もある。発見されたら、施設栽培で系統保存が望ましい」と書いてあることを同行の仲間が教えてくれたので、改めて確認したところツルマサキであることが判明しました。



当ブログではこれまでイワウメヅルとして3回ご紹介してきましたが、誤りだったわけです。訂正してお詫びいたします。
イワウメヅルは落葉樹、ツルマサキは常緑樹なので、今の時期によく見ていれば誤認するはずはないのですが、観察力が足りなかったわけです。


林内の各所で樹木にまきつくツルマサキ

以上3種のほか、マツ、エゾユズリハ、ヒサカキ、ヤドリギ、カラスシキミが緑の葉を広げていました。栃の森の常緑樹は8種ということになります。
想像以上に少ない結果でしたが、豪雪地帯に位置する冷温帯林であることを考えれば、常緑樹が少ないのは当然かもしれません。
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鳥と地震

2015年12月03日 | 野鳥
『日本書記』に鳥と地震に関する興味深い記述があります。現代語訳すると以下のとおり。
「天武7年12月27日(西暦679年1月18日)、アトリの大群が空を覆って西南から東北の方向に飛んだ。そして、筑紫国で大地震が発生した。地面が幅6m・長さ10kmにわたって裂け、どの村でも多数の民家が崩壊した」。
この筑紫地震は記録に残る日本最古の地震だそうですが、アトリの大群の飛翔を地震の予兆と考える学者がいて、日本地震学会でも採り上げられたようです。
アトリは時にものすごい数の群れを形成することがあって、私も20年ほど前、何万というアトリの大群を見るために岐阜県の山奥へ友人と出かけたことがあります。山の中腹で見ていると、谷全体を覆うようなものすごい数のアトリが飛んでいました。


京都市のど真ん中・京都御苑でも大群を形成するアトリ

大地震の前に動物が示す異常な行動を「宏観異常現象」と呼ぶそうです。「ナマズが騒ぐ」というのもその一つ。
東日本大震災の前にも、宮城県石巻市でカラスが異常に群れて鳴き騒いだとか、数十羽のトビがけたたましく鳴いという宏観異常現象が記録されています。阪神淡路大震災でも、カラスやスズメ、キジなどの異常行動が報告されています。
鳥ではないですが、海外でも2011年のペルー大地震の前にネズミが消えたという現象があり、それを研究したイギリスの大学教授は、地震の前に起きる地殻変動にによって陽イオンが発生し、それが動物にストレスを与えて異常な行動に駆り立てると説明しています。
ナマズについては「?」ですが、そういうメカニズムは「あるかも知れないな」と半分納得します。
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