樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

樹の珍百景-②

2010年08月30日 | 樹木
昨年の秋にアップした「樹の珍百景」の第2弾です。
まず、下の写真は奈良の春日大社で見つけたムクロジの大木。地上3mほどの又の部分から立派な竹が4~5本生えています。山の中の巨木にいろんな樹木が根付いているのは時々見かけますが、街中の樹に、しかも竹が根付いているのは初めて見ました。



案内看板はありますが、樹種の説明や樹高(15.5m)、幹周(4.6m)が書いてあるだけで竹の説明はありません。他の参拝客もカメラや携帯で撮影していましたから、樹木ファンでなくても目につくのでしょう。
次は、大阪大学の近くで見つけたイチョウ。枝の間を電線が通っています。街路樹と電柱は近い位置にあるのでこんなケースは珍しくないのかも知れませんが、葉が茂っている時期には電線工事が難しいでしょうね。



次は京都御苑にある2本の樹。右側のエノキが左側のクロマツを抱えているように見えませんか? 「雄松」と呼ばれるクロマツを男性に見立てれば、女性(エノキ)が抱きつこうとしているように私には見えます。こんな立場になってみたい!(笑)



いつもの散歩コースにも妙な樹があります。住宅地の側溝からトウネズミモチが生えているのです。以前、アスファルトの割れ目などから芽生えた植物が「ど根性○○」と言われて注目されたことがありますが、これは「ど根性トウネズミモチ」。



側溝を覗くと、少し土砂が堆積していました。養分は微々たるものなのに逞しく育っています。よく見ると枝に剪定跡があります。樹の好きな近所の方が手入れされているんですね。
最後は「樹の珍百景」というよりも「木の珍百景」。これも散歩コースにある最近建てられた民家です。屋根も壁も木製。板材ではなく、細い木の角柱を並べて仕上げてあります。しかも、デザインがモダンと言うか、彫刻のような外観。樹木ファンには嬉しいですが、「木の屋根で大丈夫?」と不安になります。


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京指物

2010年08月26日 | 木のミュージアム
京都市のほぼ真ん中にある夷川通りは家具の街。その中にある宮崎という老舗が「京指物資料館」を開設したと聞いて見学してきました。
「指物(さしもの)」とは、板と板を組み合わせて金釘を使わずに仕上げる家具のこと。京指物と江戸指物があり、クワやケヤキなどの大胆な木目を生かして拭き漆(つまり透明)で仕上げた武家好みの江戸指物に対して、京指物は木目の目立たない桐などを使い、蒔絵、螺鈿などの漆で意匠を際立たせるのが特徴だそうです。


蒔絵でウズラを表現した書棚

宮崎の老舗たる所以は、竹内栖鳳や上村松園といった日本画の巨匠に図案を依頼して家具を製作したこと。そして、天皇家の婚礼家具を製作したり、皇居の豊明殿や京都の迎賓館の内装工事も請け負っています。
展示の中で私の目を引いたのは桐タンスのコーナー。例えば、おばあさんの嫁入りタンスを孫の代まで使っている場合、自社製のものはほとんど補修する必要がなく、洗ったり、磨いたりするだけで新品のように蘇るそうです。


古いタンスも右半分のようにきれいに

また、実際に火災に遭って黒焦げになったのに、内部は焼けなかったタンスの写真も展示してありました。桐のタンスは燃えにくいという話はよく聞きますが、その実例を目にしたのは初めて。


照明が写り込んで見にくいですが、火事で焼けた桐のタンス

このタンスは、焦げた部分を削り取り、突き板を張り直して現在も使われているそうです。また、昭和13年の阪神大洪水の際、タンスが流されたものの中には浸水せず、着物が無事だったというお客さんの話も紹介してありました。
資料館の隣には桐タンス工房があり、日によっては製作の様子が見学できるようになっています。


桐タンス工房。この日は作業していませんでした

このブログでは木に関する聞きかじりの知識を自慢げに披歴していますが、その実際の姿を目にし、木工の伝統の重みや匠の技の深さを感じさせられて少し恥ずかしくなりました。
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日本初のサルスベリ

2010年08月23日 | 木と歴史
夏の花木のベスト3は、キョウチクトウ、ムクゲ、サルスベリでしょうか。いずれも花期が長く、原産が外国(キョウチクトウはインド、ムクゲとサルスベリは中国)という共通点があります。
今年の5月、そのサルスベリの渡来時期に関して従来の説を覆す証拠が宇治市で発見されました。
平等院境内の池を調査したところ、940年頃の地層からサルスベリの花粉が発見されたのです。これまで、サルスベリは江戸時代初期に中国から移入されたと言われていましたが、それよりも600年以上前の平安時代中期にすでに植えられていたわけです。


平等院鳳凰堂の池の横にあるサルスベリ

調査したのは京都府立大学の森林科学の教授。花粉の年代は放射性炭素法で測定したそうです。
池の南側には現在もサルスベリの老木がありますが、サルスベリの花粉の飛散距離は数百メートルであることから、当時の系統を受け継いでいる可能性もあるとか。もしそうなら、日本初のサルスベリの子孫に当たるわけです。


日本初(?)のサルスベリの花

平等院はもともと藤原道長の別荘ですから、権力にモノを言わせて中国の珍しい樹木を植えたことは十分に考えられます。私の推測ですが、サルスベリは別名「百日紅」と呼ばれるほど花期が長いので、藤原家の長期繁栄の願いを託して庭に植えたのではないでしょうか。
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古代の里山

2010年08月19日 | 木と歴史
奈良県御所市で弥生時代前期(約2400年前)の埋没林が発掘され、その現地説明会が8月7日に行われました。
宇治から電車を乗り継いで2時間はいいとして、炎天下、最寄り駅から徒歩40分というアクセスに一瞬ひるみました。しかし、約200本の樹木がほぼ当時のまま発掘され、うち186本の樹種が同定されたと知り、二度とない機会なので覚悟を決めて足を運びました。
発掘されたのは3000㎡の森と1700㎡の水田。洪水による厚さ1~1.5mの土砂で真空パックされたため、当時の状態のまま残ったそうです。


手前が水田、向こうが森


森のゾーン

森ゾーンには黒く変色した樹木がニョキニョキと生えています。土砂より上の部分は枯れたり腐ったりして消滅し、埋まった部分だけが残ったわけです。倒木は長いまま残っています。
最も多い樹はヤマグワで44本、以下ツバキ(39本)、カエデ(21本)、イヌガヤ(12本)と続きます。ヤマグワは器に、ツバキは杵に、イヌガヤは弓に利用しただろうと推測されています。


カエデ


クリの倒木。乾燥して劣化しないように散水中

オニグルミは樹だけでなく、人為的に割られた殻も発見されており、食糧として利用していたようです。トチノキもありました。現在ではもっと標高の高い所で自生する樹ですが、当時はもう少し冷涼な気候だったのでしょう。


トチノキ

驚くべきことに、人や動物の足跡まで残っています。面白いのは、ヤマグワの周囲を歩いた人の足跡。洪水の直前に、木を切るとか実を採るために物色したのでしょう。2400年前の人間の生活が目に浮かぶようです。


ヤマグワの周囲を歩いた人の足跡


動物(イノシシ?)の足跡

もう一つ特記すべきは、エノキの伐採痕。焦げ目があるので、樹の繊維を焼き切りながら石斧で伐採したのではないかと言われています。
石斧を使って古代の伐採を再現した学者によると、針葉樹は柔らかいので伐採しやすいと思われたものの、石斧がボンボン跳ね返るので、硬い広葉樹の方が伐採しやすいそうです。その智恵に加えて、弥生人は焼きながら切るという技を持っていたわけです。


焦げ目のあるエノキの伐採痕

こんなアクセスの悪い場所に来る人は少ないだろうとタカをくくっていましたが、最寄りの駅では30人以上が降りてゾロゾロと歩き始め、会場には100人以上が集まっていました。私も物好きですが、考古学ファンにも物好きな人が多いですね~(笑)。
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英雄ゆかりの樹

2010年08月16日 | 伝説の樹
日本史の授業で「大塩平八郎の乱」を学びました。天保8年(1837)、飢饉で苦しむ民衆をよそに米価を吊り上げる商人や腐敗した幕府を正すために反乱したのが大塩平八郎。
その乱の際に砲弾が命中したという樹が大阪市内にあります。そのまま約150年間生き残っていましたが、枯れ死したため1984年に2代目が植樹され、建設省(当時)が石碑まで建てて顕彰しています。
その2代目も枯れたので、今年になって3代目が植えられました。樹種はエンジュ。場所は大阪造幣局近くの国道1号線沿い。車がビュンビュン走り去る道の並木の1本として植えてあります。



戦いの朝、平八郎の屋敷から放った第1発目が向いの屋敷にあったエンジュに命中したそうです。つまり、大塩家の樹ではありません。


2代目植樹の際に建設省が建てた石碑

エンジュ(漢字では「槐」)は中国原産のマメ科の樹木。日本でもたまに街路樹に使われます。中国の周代では朝廷の庭に3本のエンジュを植え、その下に最高位の3人の官職が座ったことから「出世の木」とされ、中国では今でも庭に植える家が多いそうです。江戸時代の日本でも、同様に屋敷に植えられたのでしょう。


マメ科なので葉は羽状複葉

それにしても、砲弾が命中したというだけで樹木が保存される、しかも2代目、3代目と受け継がれるというのは、大塩平八郎を英雄としてレスペクトしている大阪ならではでしょうね。
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木喰い虫の脅威

2010年08月12日 | 森林保護
3月に京都の大文字山でナラ枯れ病防除のボランティアに参加しました。その際に主宰者が心配していた通り被害が拡大しています。京都ではもうすぐ送り火が開催されますが、その山が秋でもないのに紅葉しているとローカルニュースで報道されるほど。


ナラ枯れ病で部分的に紅葉した大文字山

大文字山の近く、京都大学の裏山にあたる吉田山にも拡大し、枯れて赤く変色した樹が目立ちます。


ナラ枯れで赤くなった吉田山

さらに、京都市のど真ん中・京都御苑にも飛び火。6月に、苑内でナラ枯れ病に冒されたアラカシが43本発見され、うち4本が枯れ死、34本に薬剤を撒布してフィルムを巻いたという報道がありました。実際、1ヶ月ほど前に訪れた時にはアラカシの巨木に防除フィルムが巻いてありました。
ところが、先日再び苑内を歩いてみると、34本どころか、あちこちの樹にフィルムが巻いてあります。しかも、アラカシだけでなくコナラ、クヌギ、スダジイ、マテバシイなど他の樹種にも広がっています。


スダジイの大木


葉が枯れ始めたマテバシイ

すでに葉が枯れているコナラやマテバシイも見られ、フィルムより高い位置に木喰い虫(カシノナガキクイムシ)の穴が開いているコナラもありました。梅雨明け後の猛暑で木喰い虫の発生がピークを迎え、被害が急速に拡大したようです。


ガムテの上に見える小さな白い部分が木喰い虫の穴

苑内の樹木はもちろんですが、心配なのは生垣として植えてあるウバメガシ。被害木と同じブナ科コナラ属なので、木喰い虫に襲われる可能性があります。そうなれば、4キロに及ぶ周囲が枯れて無残な姿になります。


京都御苑を囲うウバメガシの生垣

ナラ枯れ病防除に取り組む方のメールでは、もはやお手上げ状態のようです。しかも、被害は京都府だけでなく日本全国に広がっています。恐るべき木喰い虫のパワー。後は、韓国が国家プロジェクトとして開発しているフェロモンによる防除に頼るしかないのでしょうか。
偶然かどうか、前回ご紹介した「生存のエシックス」展でナラ枯れ病に関する展示がありました。「バイオミュージック」というコンセプトで、樹木の中の木喰い虫の音を聞かせるという試みです。


木喰い虫の音が聞こえるという木

私がヘッドフォンを装着した時は残念ながら何も聞こえませんでした。その隣では、木喰い虫のさまざまな顕微鏡写真がスライド上映されていました。


スライド上映される木喰い虫の顕微鏡写真

環境と芸術という興味深いテーマですが、一生懸命防除に取り組んでいる人たちからは「何を呑気な!」と言われるかも知れませんね。
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宇宙庭

2010年08月09日 | 街路樹・庭木
(フレームが縮小されている場合は、「お気に入り」を一旦×にしてご覧ください)
京都国立近代美術館で「生存のエシックス」という展覧会が開催されています。医療や環境、宇宙に対して芸術的なアプローチを試みる12のプロジェクトを紹介するという面白い内容。流行の言葉で言うと「コンセプチュアルな」、卑近な言葉で言うと「小難しい」アートです。
私の興味は「宇宙庭」というプロジェクト。国際宇宙ステーションの日本モジュール「きぼう」の中で、種から植物を育て、さらに庭を作って、それを鑑賞することで宇宙飛行士の心を癒し、宇宙空間における庭のあり方を探るという実験です。提案したのは京都市立芸術大学の教授。



上の写真が宇宙庭。銀色の風船のような物体からいろんな植物が顔を出しています。展示品は造花でしたが、実際にはカタバミ、ヤブミョウガ、ナデシコ、セイヨウタンポポ、ヘビイチゴ、オニタビラコなどの草本が使われたようです。
宇宙船内ではこれがプカプカ浮いていて、その輪の中をくぐりながら植物を愛でるというのが宇宙庭の鑑賞方法らしいです。下の画像は地上での無重力空間でテストしたムービーの1シーン。



さらに下のムービーでは、実際に「きぼう」内で宇宙飛行士の野口さんが2ヶ月かけて作った庭を外国の宇宙飛行士に説明しています。展覧会でも同じムービーが映写されていました。後半は英語で説明しているのでよく分かりませんが、「宇宙初のガーデンパーティー」と言っているようです。



この銀色の風船タイプとは別にリング状の宇宙庭も製作されていて、こちらでは草本だけでなく、ナンテン、パキラ、ポトスなどの木本も使われたようです。宇宙で庭を鑑賞するという試みも興味深いですが、私の関心は「無重力空間で樹木は育つのか?」ということ。
これについては従来からいろんなデータが蓄積されていて、宇宙船内部では無重力や宇宙線といった条件よりも、湿度、気温、照度などの条件の方が影響が大きいそうです。地上とあまり変わらないということでしょうか。会場には、実際に宇宙ステーションで使われた植物栽培装置も展示してありました。


親水性高分子膜による植物栽培装置

宇宙で庭を鑑賞するというアイデア、それを実現するエネルギー…、芸術家のパワーはスゴイですね。おかげで、私のように樹木や緑が好きな人も安心して宇宙旅行に出かけられます(笑)。
「生存のエシックス」展のwebサイトはこちら
JAXAの宇宙庭のwebサイトはこちら
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黒木鳥居

2010年08月05日 | 木と宗教
故郷の丹後には鬼退治伝説で知られる大江山があり、その山中に元伊勢神社という古い神社があります。そこに全国でも珍しい黒木鳥居があると聞いて、帰省の途中に寄ってきました。
黒木鳥居とは樹皮をつけたままの鳥居。現在は石やコンクリート製の鳥居が多いですが、木製の場合でも普通は樹皮をはがした丸太を使います。しかし、元伊勢神社は昔から樹皮つきの鳥居。現地で確かめると、樹種はスギでした。


元伊勢神社(内宮)の黒木鳥居

黒木鳥居としては京都・嵐山の野宮(ののみや)神社の方が有名かも知れません。ここの鳥居はクヌギ製。以前は3年ごとに建て替えていたものの、木材が入手困難になったため一時はコンクリートの擬木にしていたようです。しかし、四国のある企業が剣山からクヌギを切り出して寄進し、本来の黒木鳥居が復活しました。


野宮神社の黒木鳥居

元伊勢神社のスギはご神木でもあるので納得できるとして、野宮神社の鳥居はなぜクヌギなのか? そもそもなぜ皮付きの鳥居なのか? よく分かりません。そのヒントになるかどうか、万葉集に黒木を歌った聖武天皇の和歌があります。
  あをによし 奈良の山なる 黒木もち 
    造れる室(むろ)は 座(ま)せど飽かぬかも
天皇が住む宮殿は皮をはいだ木で造られていますが、当時の庶民の家は皮がついたままの木で造られていたそうで、ある時そういう庶民の家を訪れた天皇が、「皮付きの木で造った家はリラックスできていいな~」と詠んだ歌だそうです。皮をはいだ木の家はフォーマルで堅苦しいというイメージがあったのでしょうか。


蝋で固めたような防腐処理が施してあります

土曜日の嵐山、しかも縁結びの神社とあって、若い女性の熱気でムンムンする境内を、鳥居を撮影するために場違いなおじさんが一人ウロウロしてしまいました(笑)。
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一畳敷

2010年08月02日 | 木造建築
松浦武四郎をご存知ですか? 幕末に日本全国を旅した探検家で、伊能忠敬や間宮林蔵によって輪郭線だけ測量済みだった蝦夷地の内陸部を調べて地図を作成し、「北海道」と名づけた人物だそうです。
武四郎は晩年、東京の神田に住まいを設け、その隣にわずか一畳の書斎を建てました。しかも、8年の歳月をかけ、日本全国のお寺や神社の古材を集めて。
その書斎を再現し、地図や著作物を公開する「一畳敷展」が大阪のINAXギャラリーで開催されているので見てきました。


(提供/INAXギャラリー 撮影/中里和人)
 
上の写真は実物の書斎を撮影したもので、INAXの許可を得て掲載しました。会場には3面を写真パネルで囲んだ原寸大の部屋が再現してあります。また、どこの部材がどこの寺社から寄せられたのかも示してあります。
例えば、奈良・吉野にある後醍醐天皇陵の鳥居の古材を柱に使ったり、伊勢神宮の遷宮で取り替えられた木材を桁に使っています。
その他、京都の大徳寺、建仁寺、東福寺、奈良の法隆寺、三重の熊野神社、広島の厳島神社など著名な寺院や神社からも古材が寄せられ、鴨居や敷居などに再利用しています。宇治の平等院からも取り寄せていて、正面左の棚板に使われているそうです。
北は宮城県から南は宮崎県まで古材の出所は91ヵ所。それだけ武四郎のネットワークが幅広かったということでしょう。木材の樹種は明示してありませんが、ほとんどがヒノキだと思います。


武四郎が作成した北海道の地図

わずか一畳の空間ですが、寺社建築に使われる最高級の木材を全国から集めたわけですから、贅沢この上ない書斎です。死後は一畳敷を壊してその木材で亡骸を焼き、遺骨は大台ケ原に埋めて欲しいと遺言したそうですが、貴重なのでそのまま残され、現在は国際基督教大学の構内に保存されています。
会場に再現された一畳敷に座ると、何故か気持ちが落ち着きます。1日中は無理でしょうが、読書や書きものにはちょうどいいスペースです。


石狩平野でのスケッチ。下はヤマセミ、上はアカショウビンかな?

そう言えば、私は浪人時代に3畳の部屋で生活していました。押入れもないので、衣服は壁に吊るし、布団は畳んで片隅に置くという狭小な居住空間でしたが、けっこう快適でした。
一畳敷展の詳細はこちら
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